2017-07-31 Mon.
同質
2017-07-31
サマージャンボ宝くじのCMで、「7億当たったら、どうする」という質問に、現代にタイムスリップした侍が「スマホを買う」と答え、鈴木奈々扮する女性が「ちっちゃ」と答えている。
これは、なかなかに興味深い。
たとえば江戸時代なら、7億円相当の金をもってしても、スマートフォンを買うことができなかった。
それだけの技術がまだなかったからだ。
現代の富を当たり前のように享受する様を描いたのは、藤子・F・不二雄の「福来たる」にもあった。
僕からしても、高速処理可能な可搬デジタル端末を多くの人が所持する世界に、まだ慣れていない。
コンピュータを持ち歩く人間など、一昔前なら奇人扱いされていた(実際、された)。
カメラを持ち歩き、やたらめったら撮影する人間など、下品なのぞき見趣味だと見下されていた、ような気がする(僕はそう思っていたし、その感覚は変わらない)。
2017-07-30 Sun.
挽潰
2017-07-30
「熱中世代 大人のランキング」(BS朝日)を見ていて、「そう、北村総一朗は40歳まで風呂なしのアパートに住んでいたんだ。能力のある人間は違うな」とひとりごちていたら、番組は終わり、セサミンのCMが映り、グッチ裕三がセサミンを効果を語っていた。
きっと、リベートシステムがあるのだろう。
こういうCMがBSにはびこっている中、グッチ裕三が勘違いしても仕方がないと思う。
視聴者からしても、メンチカツ屋が悪くて、セサミンがよい、という境界線が見えない。
一方で、清水ミチコの、グッチ裕三に向けたコメントは秀逸である。
「セコそうですね」
2017-07-29 Sat.
断髪
2017-07-29
ワイドショーを見ない父親については、以前記した。
僕は、昔はワイドショーを見ることに意味を感じていた。
それは、ワイドショーのネタを基にしたお笑いを理解し、笑うためだった。
ただ今となっては、そんな笑いすら見受けられなくなり、単なる形態模写、というかモノマネしか見られなくなった。
ワイドショーを見る無駄な時間は、別の行動に充てている。
実は、この期に及んでも、議員のミュージカルやタレントの手作り映像を一切見聞きしていない。
TVの視聴時間は少ないし、稼働させたとしても合わせるチャンネルはNHKとテレビ東京、BS、ケーブルTVチャンネルだけ。
自分からコンテンツに触れようとすれば容易に視聴できる環境はもたらされているが、この素晴らしい環境をしょうもないことに活用する暇がない。
ネットからのテキスト情報くらいの刺激でちょうどいい。
それがあれば、これらのネタを扱うお笑いは理解できるし、もっと言うと、深い理解は必要ないだろう、とまで考えている。
もしかしたら、今の時代、芸人コメンテーターがコメントの体を借りて面白いことを言っているのかもしれない。
だとしたら、それに僕は気づけないままだ。
せいぜい、たけしさんが提唱しているしこ名「船越山」ぐらい知っていればいいか、と思う。
2017-07-28 Fri.
寒村
2017-07-28
「特に何が」というわけではないのだが、頻繁に出くわすので記録しておく。
外来語を平仮名表記して、表現の妙を狙おうとする行為が、苦手である。
そんな陳腐なこと、臆面もなくよくやれるなー、自分のセンスがつまらないと表明しているようなものではないか、とまで(何も言わないけれど)思う。
2017-07-27 Thu.
辞任
2017-07-27
「バーター」以外に、言葉が思いつかない。
2017-07-26 Wed.
未練
2017-07-26
TBS、否定するんだ。
大手メディアが、企業からスポンサーを受けている番組を、ネットに落ちているコンテンツを使って作っている、という報道があるが、そもそもそんなことあるのだろうか。
あまりにプライドの低い制作現場ではないか…、なんてね。
TBSは、以前番組に出演していた一般人の存在すら消していたから、心霊物件には強いのかもしれない。
2017-07-25 Tue.
傑出
2017-07-25
ご存知の通り、僕は「正午派」である。
これも後出しジャンケン的になるが、直木三十五賞候補に選ばれた時点で、「これはもう、受賞は既定路線だな」と考えていた。
候補に選ばれた以上、受賞は間違いない、なぜなら候補に選ばれたのだから。
「正午派」としてうれしいのは、直木賞受賞よりも、直木賞受賞によってより多くの人に知られるよりも、受賞によってしばらくは佐藤正午のエッセイの露出が増えるだろう、ということだ。
ペースを守る小説家に無理強いするのは忍びないが、これは一過性のものであり、できる範囲でご対応していただければ、と思う。
文章であればこなせる巧みさを、期待することすら失礼である。
記者会見の全文が掲載され、いい時代になった。
それにしても、文春オンラインを見て驚いたのは、もし授賞式に出席することになれば、それは20年以上ぶりの上京になる、ということだ。
第一線で活躍する小説家が、20年以上東京の地を踏まず、しかも「Y」や「ジャンプ」、「5」、「アンダーリポート」、「身の上話」のようなストーリーを書いてきたのだ。
いや、それ以前に、仕事の用事ですら上京していないことに、矜持を感じる。
Date of Birthについてもしかり、自分も地元にとどまったままで望む仕事ができればと思う。
小説や音楽づくりのような仕事において、東京を離れていることによるデメリットがないとは決して言えないが、それを乗り越えているのだから、すごい。
機会にさえ恵まれていれば、僕の今の仕事でもテレワークで十分なはずだが、それよりもまだ、僕自身の意向の方が強い。
なお、オリコンの記事で、芥川龍之介賞を受賞した沼田真佑と並べて「2人は初受賞」とあるのは、津田伸一を意図した表現だと、僕はほくそ笑むが、考えすぎかも。
2017-07-24 Mon.
天才
2017-07-24
実は、世間で言われているほど、僕は加藤一二三の言動を「おもしろい」と思っていない。
むしろ、強い信念に裏付けられた上での行動であることを彼の説明から感じ、ただただ尊敬してしまう。
僕も、加藤一二三の足元にも及ばないものの、自分の生活様式が崩れることを嫌い、日々同じように行動するこだわりから逃れられずにいる。
昼食の選択でも、毎日同じものとまではいかないものの、曜日によって選ぶものは決めている。
その理由は、考えたいこと以外のことを考えたくないからである。
また、条件をそろえることによって、いつもと違うことが起こった時に気づくことができると思う。
まあ、大したことには気づかないのだが、それでも何もしていなければ何も気づけていない。
2017-07-22 Sat.
無仕
2017-07-22
飲食店で、水のサーバーにレモンの輪切りが入っている場合があるけれど、あれを「問題ない」としている人はどのくらいの割合でいるのだろう。
素水が飲みたい。
2017-07-21 Fri.
脊髄
2017-07-21
居酒屋のイベントで、ビールを注文し店員とジャンケンをして買ったらビール1杯無料券進呈、と言われた。
それも、20時までなら何度頼んでもジャンケンをするという。
2017年、最大のイベントである。
「店員と客が1人ずつ対決するのか」という質問に、「店長と、ビールを頼んだ客が一度にじゃんけんをする。あいこは負け」との回答。
すかさず「おお、関ロじゃんけんだ」と言ってしまい、誰にも聞かれなかったものの、後悔する。
今最も恐れているのは、街中で石坂浩二を見かけたときに絶対に「あっ、兵ちゃんだ」と言ってしまうことである。
30年近く前の「テレフォンショッキング」でも、ビートたけしがお友達紹介で石坂浩二の名を挙げた際、観客からすかさず「兵ちゃん」という声が上がっていた。
わかっていても言ってしまう気持ちはよくわかる。
ちなみに、ジャンケンの戦績は、4回やって3回勝った。
ビールは5杯頼んだのだが、最初に懸念したとおり、5杯目にはすでにジャンケンに飽きていた。
「関ロじゃんけん」については、「テレビあっとランダム」を調べること。
2017-07-17 Mon.
孤高
2017-07-17
1988年11月24日の「テレフォンショッキング」にビートたけしが出演した回を、幸運にも視聴(日付は、「笑っていいとも!資料室」より)。
このころ、オープニングの歌がなくて、番組当初から「テレフォン」が始まっていた、という風に説明されるが、実際にどんな感じだったかすっかり忘れていて、今回視聴したことにより思い出すことができた。
そうだ、あの頃はゲストを呼び込む前に、タモリさんが毎日一人で話していたんだ。
昼間のTVで一人でしゃべるとは、ネタに困らなかったのだろうか。
ましてや、この日は後にスーパースターが登場する。
観客が彼の登場を待ちわびている中で話をして、受けるかどうかなどと思うと、そのプレッシャーにつぶされたりしないのだろうか…。
などと心配することこそ、杞憂と呼ぶ。
これができるだけでもものすごいことだけど、当時は気づかないものだ。
たけしさんが登場。
言わずもがな、フライデー襲撃事件後である。
改めてみると、タモリさんは30年前から同じことを言っているのだと気づく。
特にタモリさんが弟子を取らないことについて、「芸を教わったわけではないのだから、教えることもない」と言い、たけしさんのところに押し寄せる弟子の多さを心配している。
すばやく真理に行き着けば、後は迷いない穏やかな時間を過ごせる。
ところで、これとは別に、「テレフォン」にユーミンが出演した回もあわせて見ることができたのだが、シャンパンを飲みながら生放送に出る「風格」の押し売りはともかくとして、ただただ「やっぱり性格悪いな」という印象。
少し前に、美空ひばりのトーク番組出演を見たところだったので、なおさら対比してしまったからかもしれない。
2017-07-15 Sat.
狂々
2017-07-15
自分の人生を振り返ると、どうしても乗り越えられないでいるのが、篠原ともえである。
何か、2年おきくらいにイラつくのが、今も続いている。
そもそも文化女子短大に入った時もそうだし、宙ガールなどという概念を持ち出した時もそうだし、あと古舘プロジェクトに入った時も。
きっと、はなと同じカテゴリーだからなのだろう。
2017-07-10 Mon.
回帰
2017-07-10
KOSUGEeee!!、か。
ごく短い一時期、「マンションポエム」の鑑賞を楽しんでいた。
お気に入りだったのが、「果てしない大空をリザーブする。」。
この広告のマンションがあるのが小手指、というところで、15分くらい笑っていた。
広告の実在を確認していないので、嘘だと信じたい。
2017-07-09 Sun.
小倉役人issue・復
2017-07-09
7時30分起床。
さすがに飲みすぎである。
体内に酒の存在を感じる。
午前中は、「ドラえもん 新・のび太の日本誕生」を見て過ごす。
最近は、「のび太の未来にドラえもんはいない」、つまり「のび太とドラえもんは、いつか2人に別れが来ることを知っている」という事実を思い出すだけで、涙ぐんでしまう。
で、時間が無くなってしまい、追い詰められるように出発。
電話で呼んだタクシーが別の場所に行っていたらしく、さらに時間がなくなる。
やはり、歩車分離信号にいらいらする。
バス出発の5分前に小倉駅に到着。
駅弁を買おうにも、南口…小倉城口の駅弁売り場がなくなっている!
慌てて新幹線口の駅弁売り場まで走るも、北九州駅弁のかしわめしはなく、久しぶりに東筑軒のかしわめしを購入。
バスには間に合った。
バス車内は中国人と思われる人が多い。
後でわかったのだが、大連への直行便に乗る人たちだった。
定刻通りに北九州空港に到着。
くろがね羊羹などの土産を購入し、時間もないので、保安検査場を通過。
帰りもやっぱりスターフライヤーです。
鯖寿司とビールを買って、案内を待っていると、緊急事態発生。
アナウンスによると、羽田から北九州に来たスターフライヤーの機材に鳥が衝突した。
その機材が僕の乗る82便となる予定だったが、機材確認のため、まだ案内できないとのこと。
これはもう待つしかない。
航空会社から配られたお茶を飲みながら、NHKニュースを見る。
先日の豪雨の被害が報道されていた。
結局機材を交換し、1時間半ほどの遅れで出発。
この程度の遅れで済んだのは、どちらかというと幸運である。
離陸後、大分空港を眼下に見て、少し眠る。
1時間程度で羽田空港B滑走路に着陸。
バスの時刻まで暇つぶし。
ターミナルビル内のTVで相撲をやっていたので、おにぎりを食べながら見る。
帰りのバスの中で、らじる★らじるの相撲中継を聴収。
10年前から考えると、ネット経由で中波ラジオ放送を聴くことができるのだから、時代は大きく変わった。
途中で、ユネスコが沖ノ島の関連遺産群をまとめて世界文化遺産に登録することを決めた、とのニュースが入った。
結局、スケジュールより2時間遅れで、自宅に到着。
何より、無事でよかった。
夕食は、東筑軒のかしわめし。
ごはんがもっちりしていて、これはこれでおいしい。
実家に電話すると、父親が帯状疱疹を発症したそうで、「もう飲ませすぎることもできないのだな」と悲しい気持ちになる。
2017-07-08 Sat.
更暮
2017-07-08
小倉逗留2日目。
天候は、晴れ。
事情があって、皿倉山へ行くことになる。
父親が車で送ってくれると言うが、「道のりあっての旅である」と拒絶。
天気を気にすると、母親がTVのデータ放送で予報を確認してくれて、「データ放送を活用している人もいるのだな」と感心。
西小倉駅前に出て、高速バスいとうづ号。
これに乗れば、都市高速4号線上にある「皿倉山ケーブル」停留所に連れて行ってくれる。
この機会を逃すと、いとうづ号にはいつまでも乗らないままだっただろう。
厚生年金会館の前を通り、初めて「アルモニーサンク」という名称の意図に思い当たる。
まだ五市合併を引きずっていたのか、と。
これから何度、大学で勉強したフランス語の知識が役に立つのだろう。
街中で歩車分離信号が目立つのは気のせいだろうか。
僕が運転しているわけでもないのに、すごいストレス。
木町市場のところを曲がって、少し行ったところで「この辺で火災があったのだな」と確認し、歯科大病院がきれいになっているのを知り、到津の森公園に結局観覧車が残っているのかと嘆息し、社宅が並んでいたこの辺りもきれいになったものだねと裏事情に思いをはせ、中央町の栄華にも思いをはせ、大谷ランプの大きさに驚愕し、40分くらいで皿倉山ケーブル。
半分ほどの乗車率だった。
いとうづ号は、20分間隔の運行。
七条あたりから(博多駅ではなく)天神まで行くには便利なのだろう。
ケーブルカーの発車時刻まで時間があったので、ケーブルカーの機構について模型を見ながら学ぶ。
車体の内側の車輪がフラットになっており、この構造だからこそポイントが必要ないことを初めて知った。
ケーブルカーとスロープカーを乗り継いで、山頂に到達。
前回訪れた2007年はスロープカーがまだなく、ケーブル山頂駅から徒歩で登った。
洞海湾は、昨日までの雨によって、濁っている。
山頂から市域をおおよそ一望でき、何がどこにあるのか把握することができた。
眼下にはスペースワールドが広がり、この風景も見納めである。
西側に見える、内陸の湖は、おそらく頓田貯水池であろう。
その向こうには、遠賀川が伸びている。
東側を見ると、やはりメディアドームの異様な大きさが目立つ。
ビールが飲みたかったが、売店に人はいなかった。
山を下り、タクシーを呼んで八幡駅に向かう。
昼食は、駅前のチャンポン屋。
製鉄病院まで出張に行った人が、「駅前のチャンポン屋がおいしい」と教えてくれたのだ。
量が多く、味もおいしく、チキンカツも入っていて、大満足。
八幡駅から電車に乗る。
黒崎、陣原と過ぎ、折尾で下車。
2013年に来た時にはまだあった折尾駅舎は、もうなくなっていた。
レンガ造りの壁や橋げたもいずれなくなるのだろう。
堀川を往復し、ねじりまんぽを確認し、駅前のミスタードーナツで休憩。
折尾駅からは、DENCHAに乗る。
「環境首都を目指す北九州にふさわしい乗り物」という触れ込みでDENCHAが筑豊本線に導入されたと聞くが、僕はこのDENCHAという名前こそ、北九州にふさわしいと思う。
4年前に折尾から若松に向かった際は、気動車であり、座席の上から冷房の水が垂れてくる始末であったことを思うと、隔世の感がある。
この折尾から若松へ向かう区間は、のどかでとてもいい。
しばらく林の中を進んだ後に、右側には洞海湾の風景が広がり、対岸には先ほど上った皿倉山などの連山を望むことができる。
振り返れば、国道の後ろにも山が控えている。
その狭間を、蓄電池式電車が進むのは何とも心地よい。
先頭車両まで行き、運転席を覗きたかったのだが、高校生が運転席の後ろで英単語集を開いていたので、遠慮した。
若松駅に到着。
駅舎の写真から過去の栄華を読み取り、街を歩く。
商店街に飾られている写真を見て、ああ若戸大橋には橋台のところに2つのバス停があったのだった、と思い出す。
1980年ごろ、僕は父親と若戸大橋を歩いて渡ったのだが、今となってはそれが本当のことだったのか、自信がなくなってくる。
海岸に出ると、古い洋館からジャズの演奏が聞こえてくる。
若松はジャズの街である、とのことらしいが、今でもその空気は確かに残っているようだ。
渡船場に到着。
もっときれいに整備すればいいのにと思うのだが、それは僕の感覚が変なのだろうか。
「ここから多くのバスが出ていたのだな」と確かに思わせる建物ではあるのだが、もうよくないか。
若戸渡船で3分間の船旅を終えれば、戸畑渡場。
戸畑渡場からのバスもめっきり少なくなってしまった。
なぜ、バスと渡船の連絡を途切れさせようとするのか。
ここまで路面電車が通っていたのも、もう30年以上前の話である。
戸畑駅へまっすぐに続く道を歩く。
よく見ると、貸間をやっているところがいくつかある。
まだ需要があるのだろうか。
500mほど歩き、いわゆる駅の「裏口」に到着する。
僕の過去の記憶だと、1度だけ戸畑駅の貨物線のホームに降り立ったことがある。
しかし、僕の生まれた時にはもう貨物線は旅客利用されていなかったはずなので、あれは誤った記憶なのだろうか。
ここに来るたび何度も貨物線上のホーム跡を探しているのだが、戸畑駅自体移設されてしまったので、しっかりと確認できたことがない。
ちなみに、そばに見えるそば屋が、梅田彩佳のアルバイト先だった店である。
駅前の公共施設で一休み。
間もなくに迫ってきた戸畑祇園山笠は、これもまたいつの間にかユネスコ無形文化遺産に指定されてしまった。
僕としては、子供のころに何度か行った戸畑市民会館が駅前に移設されたことに感慨を覚える。
戸畑駅前からバスに乗って、帰宅。
最近バス事情が大きく変わってしまい、適切なバス路線を選ぶのに苦労する。
今後は過去の記憶に頼らず、事前に調べてから利用しなければならない。
夕食は、家で宴会。
主に刺身を食べる。
「このヒラメ、歯ごたえがあってとてもうまい」と言ったら、実はフグだということが判明。
この時期にフグが盛り合わせに入っているとは思わなかったので不覚だったが、それにしてもフグと知らずにフグを食べて、「このヒラメ、うまい」と言った、などというエピソードは、とても東京では披露できない。
また、「出水に舞姫」という芋焼酎がふるまわれ、一升瓶を半分以上空けてしまった模様。
話題としては、スタジアムができて何がJ3か、ということしか覚えていない。
2017-07-07 Fri.
小倉役人issue・往
2017-07-07
小倉へ行くこととなった。
この10年で小倉へ行った回数は、記録では14回。
もう父親と顔を合わせることは、100回もないだろう、と祖父が死んだときに思ったのだが、やはりそんなものである。
2016年にも同時期に小倉へ行っており、スケジュールは前回とほぼ同様である。
事前に、Suicaに満額チャージ。
前回は途中で現金チャージするという屈辱を味わったので、今回はSuica2枚持ちで臨むことにした。
そんなに金を使わなければいいのだけど、やむを得ない。
高速バスに乗り、緩やかな混雑に引っかかりつつも、ほぼ定刻通りに羽田空港へ到着。
チェックインの後、多少のお土産を物色し、展望デッキでA滑走路の具合を確認。
2階に戻って、うに御膳を購入し(僕はもう期待しない)、出発時刻の45分前に保安検査場を通過(僕はまだ失敗を忘れていない)。
搭乗口までの長い道のりの途中で、500mlの缶ビールを買う。
搭乗口前のベンチでビールを開け、うに御膳をいただく。
今日もやっぱりスターフライヤーです。
たぶんビートルズ来日を想起すればいいのだろうが、グラウンドスタッフが謎の法被を着ていたのは目をつむろう。
乗ったのは77便で、日付との兼ね合いで「七夕フライト」と称していた。
機材は何号機かは知らないが、ビデオサービスはType Iであった。
たぶん、A滑走路から離陸。
ビデオサービスでは、「中川家2011特大寄席」をやっていたので、迷わず視聴。
「見覚えあるのに笑える」のは中川家の芸のすごさであるが、後で日誌を振り返ると、2011年8月27日にルミネtheよしもとで、「中川家2011特大寄席」を見に行っていたので、既視感は当然。
クラシックも一通り聞いて、NHKニュースでも見てみると、朝のニュースで実家の近所からの中継が入っていた。
週の前半に朝倉市や日田市などを集中豪雨が襲い、甚大な被害が出たのだが、小倉は例のごとく、特に被害はないままに済んだ。
そう思っていたら、昨夜から今朝にかけて線状降水帯が北九州市上空にとどまり、実家の近所の河川があふれていたのだった。
避難所の名前に、自分の出身小学校が出るのだから、これは大変だ。
そういえば、JALの北九州空港行きは、北九州空港上空に雷雲があるため、行先地を福岡空港に変更する可能性がある、と言っていた。
特に大きな揺れもなく、定刻通りに北九州空港に到着。
天候は雨。
空港を発着する地上交通機関に大きな乱れ、という話を聞いていたので、まさか空港島に閉じ込められることになるのか、と怯えたが、小倉駅行のバスは定刻通りに出発。
途中、空港橋が片側1車線通行になっていて、通行止めになっている車線ではドラマのロケーションを行っているようだった。
この雨の中、本当にご苦労なことであるし、天候に恵まれない北九州フィルムコミッションの気苦労には頭が下がる。
雨によって東九州道が通行止めになっているだけで、都市高速は通行できた。
久しぶりに、朽網やら貫やら曽根やらのロードサイドを観察できた。
都市高速の上から見る限り、紫川は増水していたものの、他に変わったところは見られなかった。
15分遅れくらいで、小倉駅に到着。
父親のためにキヌ貝の干物を買い、適当に土産を買い、地下のスーパーでベビーハムとふりかけを自宅用に買う。
雨でもぬれずに魚町の方へ移動できるのは、この国で初めて設置された商店街アーケードのおかげである(だったら、シロヤのところから駅までも屋根でつなげてほしい)。
なお、小倉駅南口…小倉城口の西側のビルは、本当に立て替えていた。
「JR小倉駅前が変わる」とあり、本当に変わればいいと切実に願う。
また、魚町のマクドナルド跡地は、いきなりステーキになる予定。
うどんを食べて、銀天街の入り口にあるタクシー乗り場からタクシーに乗り、自宅へ向かう。
途中、NHKで中継のあった川の様子を見たかったのだが、そこにいたる前の交差点で謎の工事が行われており、そっちに気を取られてしまった。
あれ、何なのだろう、とても怖い。
実家には、甥がいた。
今週2回目の休校とのことで、Wiiにも飽きて、ふてくされていた。
母親が僕に持たせるためにベビーハムを買ってくれていたようで、涙が止まらない。
街に出る気力を失ったので、一旦昼寝をし、夜を迎える。
雨は上がっていた。
夕食は、西日本工業倶楽部(旧松本家住宅)。
昨年は大雨だったので、外観をじっくり観察できたのは、今回が初めて。
食事では獺祭をいただいて、大満足。
途中、父親が「この欄間は特徴的だ」と言い出し、僕がすかさず2016年に見た「百年名家」で得たうんちくを披露しようとしたのだが、何も思い出せなかった。
帰りのタクシーでホークスの試合経過を運転手から聞かされることはなかったので、ほっと一安心。
2017-07-06 Thu.
燦燦
2017-07-06
ちょっとした幸運で…、というのももったいぶっているがそれはともかく、「テレビくん、どうも!」の美空ひばり出演回を視聴。
この番組のこと、全く覚えておらず、当時の自分は何をしていたのだろうと首を振る。
それもともかくとして、美空ひばりの風格はかくありなん、という感動を受ける。
あの、常に付きまとうすがすがしさは、自信に裏付けされていたものだった、というのを再確認。
ところで、「テレビくん、どうも!」の画像検索をすると、放送のキャプチャがいくつか見つかり、他にも興味深いゲスト出演回がありそうだ。
こういう番組を埋め草的に再放送していれば、僕は大満足だし、貴重な財産が埋没することもなくなるだろうに、それはTVの仕事ではないか。
2017-07-05 Wed.
善人
2017-07-05
映画「海街diary」を鑑賞。
吉田秋生、是枝裕和で、こういう優しい映画しか、今は見られない。
でも、「アウトレイジ最終章」もいつかは見るでしょう。
2017-07-04 Tue.
心境
2017-07-04
尋ねられた時のために備えておくと、好きな四字熟語は「平常運転」、嫌いな四字熟語は「一心同体」。
嫌いな概念は、「やぶへび」「なし崩し」「本末転倒」。
理想とする状態は、「当意即妙」。
2017-07-03 Mon.
熱砂
2017-07-03
夏が到来した。
2日と9日の「サウンドクリエイターズ・ファイル」に土岐麻子が出演。
新聞を講読していたからラ・テ欄を見て気づいた、感謝したい、と投書したいくらいだ。
朝から録音した番組を聴き、何かが起こりそうな予感が止められなかった。
今日は何をしに行こうか。
でも、何も起こらないかも。
それでも、明日は来る。
2017-07-02 Sun.
夢死
2017-07-02
先日の記事で過去のことを振り返ったが、その際にこの数年で何度も見た夢のことを思い出した。
夢の内容は、以下の通り。
僕は、高校に再入学する。
苦痛で仕方がないが、3年の辛抱である。
やがて卒業する時期が迫ってきて、大学受験の準備を始める。
しかしながら、入学してから1度も化学の授業が行われていないことに気づく。
受験科目には、当然化学が含まれる。
授業が全くなかった状況で、どうやって化学の試験に臨めばいいのか…。
前に書いたとおり、僕は夢の中でも自由にふるまえないので、同じ内容を何度もなぞり、同じ苦悶を味わっている。
改めて高校の授業を思い出すと、実技を除く科目についてどれももう1度学んでもいいのだが、唯一化学だけはやりたくない。
今の僕は生活に化学の知識を役立てる術を知らず、使い勝手のない知識を暗記するのは、ちょっと耐えられない。
その思いを夢で何度も再現されると、朝の目覚めがとても悪い。
ところで、僕がとった最も高い偏差値は91だが、その偏差値を得たのが化学の定期テストだった。
満点の200点で、高校の学年内の偏差値が91だった。
当時も思ったが、今考えても、あまりにひどい。
得点分布の平均が低くて、分散が小さかったのだろう。
それでも4シグマを超えるというのは、ひどい。
苦痛をかみしめ暗記するよりほかなかった自分の試験対策をアホらしく感じ、時間を返してほしかった。
今となっては、ほとんど忘れてしまっているのだから。
2017-07-01 Sat.
越山若水
2017-07-01
2017年4月、旅行で福井に行った。
出発前、各方面からの理解を得るために福井探訪の予定を周囲に告げると、「どうして福井に行くのか」「福井に何があるのか」という質問ばかりをされた。
それに対する僕の答えは、「そこに福井があるから」である。
沖縄を除く46都道府県で未踏だったのが、福井県であった。
1999年の稚内に始まる一連の旅行で、2014年に富山、石川に行った時点で、福井だけが取り残された形となった。
よって、3年ぶりとなる今回の泊まり旅の主目的は「福井に行くこと」であった。
逆に「福井に何があるか教えてほしい」とこちらから尋ねたのだが、ほぼ誰も有用な答えを返してくれなかった。
「特に何も知らない」「行ったことない」「どこにあるのかわからない」「福井は何県にあるのか」「あれ、琵琶湖のあるところでしたっけ」「金沢の上に突き出したところですよね」という感じ。
通用する答えといえば、「東尋坊」「恐竜」「永平寺」「眼鏡」「原発」「サバ」というところだった。
僕も同じだが、大半の人には福井に行く理由がないのだ。
実際、今回の旅行でも、福井が主目的であったが、実際は京都から大津を経由してから福井に入り、ちょっと東尋坊を見て、天橋立へ行き、余部橋梁を見学して鳥取に向かう、という感じで、旅行の中での福井のウェイトはさほど大きくなかった。
今年は桜が散るのが遅かったために、図らずとも春の京都を思う存分堪能することができた。
また、見ることが長年の念願であった、伊根の舟屋の景観を楽しんだ。
それで、福井はどうだったかというと、とてもよかったと思う。
福井市街は路面電車が走っており、落ち着いていて美しかった。
川本真琴の出身校であることで名前を知っていた仁愛女子短期大学も、この福井にあった。
三国港へ向かうえちぜん鉄道の風景は、これもまたのどかなものでよかった。
東尋坊に行くのなら、廃線の危機を免れたえちぜん鉄道がおすすめである。
天候に恵まれた東尋坊の柱状節理に迫力を感じ、三国市街には、海運盛んであった日本海沿岸の富の記憶を残す建物がいくつかあることを知った。
北陸本線のループを通ったのは夜で、その風景を楽しめなかったが、実に大雑把な命名だと感じていた北陸トンネルの長大さ、および雄大なカーブを描いて転がる列車から見えた敦賀の街の風景は、見ごたえがあった。
残念ながら、敦賀の街には立ち寄れなかったが、その代わりに立ち寄った小浜の街は三国と同様に、過去の栄華を感じさせる街並みがあった。
小浜線から海の方を望むと、原子力発電所の存在を感じさせる道路案内標識や、パチンコ店があった。
サバを食べ、カニを食べ、イカを食べ、へしこを土産にした。
行けばわかるが、福井駅前には恐竜がいた。
福井を含めた北陸3県は、美と気品があふれ、また訪れたいと感じさせる地域である。
僕は、父の仕事を見ていて、「就職すれば全国を出張するものだ」とぐひぐひ妄想していたが、職に就いても出張などほとんどないどころか、PCの前を離れることすらない毎日である。
そんな日々なのでずいぶんと遅れてしまったが、ようやく沖縄以外の本土にある都道府県に足を踏み入れた。
「行ったことのないところに行く」というのが、僕の国内旅行のテーマであったから、これで第1段階の目標を達成したといえる。
さて、今後どうしようか、と思う。
たぶん、よほどのことがない限り、自分から沖縄に行くことはないと思う。
率直に言うと、沖縄への興味がまだ高まっていない。
また、国内と言っても離島を対象にするのは気が進まない。
離島を対象にしてしまうと、キリがない。
じゃあ、もう行きたいところはないのか、というと、鳥取空港を発った飛行機内から列島を見下ろしつつ、3つほどのルートの構想がむくむくと沸き上がってきた。
東北はまだ主要都市を回り切っていないし、いつも通り過ぎるだけの静岡も行ってみたい。
中国山地もまだ片づけていないし、瀬戸内海は何度でも行きたい。
また、今一番乗りたい列車が「四国まんなか千年ものがたり」で、箸蔵から佃へ吉野川を渡るカーブを楽しみたい。
時間も金もない僕は、数年後の旅行のために、今から計画を構想する。
旅行前の調査からすでに旅は始まっていることを、僕は十分心得ている。