2009-05-31 Sun.
また小倉へ・その3
2009-05-31
9時、起床。
いつも以上にけだるい。
鯖の醤油漬けで、3杯メシを食らう。
両親に
- PCの不調を改善すること
- Wiiとテレビをつなぐ配線を変更すること
- デジタルカメラのデータをPCへ移動すること
- Wiiがインターネットにつながらないので、安定して接続できるようにすること
を言いつかり、1つずつこなす。
父親が、「要らない本ばかりだから、本棚から適当に持っていってくれ」という。
ありがたく、「諫早菖蒲日記」と「花と龍」を持ち帰ることにする。
そうこうしているうちに、もう昼。
父親に小倉駅まで送ってもらい、駅で上等かしわめし弁当を購入。
アミュプラザでパスタを食べ、バスに乗る。
35分で空港に到着。
早い。
エスカレーターで出発ロビーに向かう途中で、ようやく気付く。
「そうか、コンビニの張り紙は右から読むのか」
今度こそスムーズに搭乗手続きを済ませ、土産を物色。
ここ最近頻繁に小倉を訪れているので、土産に対して魅力を感じなくなった。
それでも、ゆずごしょうとかば田の昆布漬辛子明太子(切れ子)を購入。
搭乗口へ向かう。
もちろん、マイルの登録も怠らない。
帰路ももちろん、スターフライヤー。
6月10日放送の「翼の時間」が楽しみである。
積乱雲による混雑のため、定刻より1分遅れで、空港に到着。
リムジンバスの発車が1分前に迫っていたが、結局そのバスはやり過ごし、1時間待つことにする。
リムジンバスに乗り、タクシーを乗り継ぎ、帰宅。
当分、小倉に行くこともないだろう。
2009-05-30 Sat.
また小倉へ・その2
2009-05-30
実家の中があわただしいので、やむを得ず起床する。
まだ、7時前。
昨日の酒が体内にいることを知る。
11時、外出。
目的地に到着。
何もやることがなく、手持ちぶさた。
一通り儀式を済ませ、曇天の小倉の空を眺め、食うべきものも食らい、カクテルまでいただき、無事終了。
終わってしまえば、大したことはない。
南欧風レストランで夕食をとる。
メニューにはイタリアの地図が。
だったら、イタリアンレストランでいいのでは。
「もしずっと小倉に住んでいたとして、初デートに行くとしたらどこに連れていくか?」という難題が出される。
同席者は、体験談として「マリノア」と言った。
マリノアって福岡の小戸にあるアウトレットモール、マリノアシティ福岡のことだろう。
何とも現代的で、ハイカラな話である。
僕には絶対に思いつかない。
僕だったら、よくてせいぜい門司港レトロ。
そして、関門海峡をくぐるトンネルの人道を歩いて渡ることになるだろう。
気が回らなかったら、平尾台の鍾乳洞とか皿倉山とかへ行きそうである。
下手したら、山を越えて墓参りに行くかもしれない。
そんな感じで、この日は早々に終わり。
2009-05-29 Fri.
また小倉へ・その1
2009-05-29
やむにやまれぬ事情があり、小倉へ行くことになった(決して「小倉へ帰る」ではない)。
半年で4回目の小倉行である。
特筆することは何もないのだが、記憶を振り絞って、道中を記録する。
7時40分、電話で呼んだタクシーに乗車。
7時くらいに「7時40分にタクシー1台」という電話をすると、タクシー会社の人は「雨で道路が混んでいて、時間が読めないので、その時刻になったらもう1度電話してくれ」と言ってきた。
しばらくこのタクシー会社に電話することはないだろう。
8時、リムジンバス乗り場でバスに乗る。
高速道路は一部を除いて混んでいなかったので、定刻よりかなり早く空港に到着。
これまで、飛行機には数十回は乗った。
搭乗手続きのやり方を誰にも教えてもらっていないが、さすがに手続きのやり方がわかってきた。
自動チェックイン機で搭乗手続きを終える。
余裕。
何食わぬ顔で、手荷物を預ける。
ところが、「こちらははずしてもよろしいですか」と係員にやんわりと言われる。
預ける手荷物に携帯電話入れが付きっぱなしになっていたのだ。
やはり、スムーズに飛行機に乗ることはできない。
実家への土産を買い、地下まで降りて朝食をとり、また出発ロビー階へあがり、保安検査を受け、搭乗口へ。
マイルの登録も怠らない。
定刻通り、テイクオフ。
乗るのは、いつものごとく、スターフライヤー。
スターが乗るスターフライヤー。
原千晶だって、「北九州バナナ」の収録へ行くために使っていた。
左の窓側の座席。
よく晴れていたので、地上がよく見える。
窓から中部国際空港と関西国際空港と神戸空港と北九州空港を見たので、「これで我が国の人工島の海上空港は制覇したな」と悦に入る(長崎空港は有人島に建設された海上空港なので、ここでは省いた)。
座席に備え付けのパーソナルテレビで、キリンの決闘(首同士をぶつけ合う)と、JAYWALKのボーカル、中村さんが佐世保を訪れる旅番組(JR九州提供)を鑑賞。
広報誌「雲のうえ」は2月に読んだのと同じだったので、そっと座席に置く。
南側から滑走路に突入し、無事に北九州空港に着陸。
相変わらずの曇天。
到着ロビーでメーテルがお出迎え。
空港の建物内にあるコンビニの入口に「中付受員会規新コナナ」と書いてある。
中国語だろうか。
連絡バスで小倉駅方面へ。
橋を渡り、苅田町の工場地帯を横切る。
苅田町と言えば、バドミントンでオリンピックに出場した潮田玲子選手を生んだ町である。
苅田町の有名人、と問われても、潮田玲子と尾形智矩(合掌)しか知らない。
その苅田町の至宝、潮田玲子は、今や北九州特命大使である。
にしても、特命大使が多すぎないか?
バスを降り、2月にも行ったラーメン屋を再訪。
小倉らしい居心地の悪さは、相変わらず。
タクシーで実家を目指す。
新しく建った高層マンションが多くて、街並みが激変している。
何が何処にあったのか思い出せない。
出身高校の風変わりな制服を横目に、実家に到着。
午後2時前に着いてしまい、やることはもはや何もない。
「バンバンバン」で板東英二の気配りあるトークを味わうに限る。
2009-05-28 Thu.
子猫
2009-05-28
タイトルからわかるように、この日記は江戸家小猫について書かれたものではないことをあらかじめお断りしておく。
昨日までいなかった子猫を発見したので、写真に撮ってみた。

殺伐とした世の中、他人への中傷ばかりが掲載されるこの日記に、ささやかな彩りを与えてくれた。
こういう話題こそ、個人が公開する日記にふさわしい。
2009-05-27 Wed.
日劇
2009-05-27
「そんなの簡単だよ」と安請け合いしてやってみるものの、改めてその難しさを思い知り、自爆撃沈する。
あき竹城のモノマネのことである。
あんなに特徴があるのに、真似を試みてみるとこれがなかなか難しく、思った通りのニュアンスを醸し出すことができない。
新潟が舞台のドラマなのに、普段の山形弁をそのまま演技に生かしてくる(ように見受けられる)あき竹城は、本当に希有な存在だ。
「現在放送中の大河ドラマに出ている出演者のうちで、最も演技がうまいのではないか」というのが、僕の行きすぎた持論である。
ところで、僕は「土曜ワイド劇場」の1シリーズである「はみだし弁護士 巽志郎」が大好きである。
このシリーズにもあき竹城が自称「秘書」役でレギュラー出演している。
あき竹城の演技スタイルは、もちろん変わらない。
最終回と噂される第10作。
本放送を見逃したため、いまだに見たことがない。
何故か再放送もしてくれない。
10年くらい経ってからでもいいので、新作をやってくれないかな、と切望している。
2009-05-26 Tue.
秩序
2009-05-26
このサイトの名称にもあるように、「メタな話」が大好物である。
最近、ある言葉を知った。
それは、「自衛隊逮捕術」。
「自衛隊逮捕術」とは、戦闘訓練を受けた自衛隊員を逮捕するための特別な逮捕術である。
自衛隊の警務官が習得するものだ。
自衛隊員を相手に格闘するとは、警務官とはいやはや大変な職務である、たぶん。
2009-05-25 Mon.
入替
2009-05-25
映画「秘密」を見る。
1999年の滝田洋二郎監督作品である。
デビュー当時からの広末涼子のファンである。
だけど、公開当時、僕はこの映画を見よう、という気になれなかった。
広末涼子の演じる役が重すぎて、受け入れられなかったからだ。
10年経って、「おくりびと」がアカデミー賞外国語映画賞を受賞した。
その関連で過去の滝田洋二郎監督作品がテレビで放送されている。
その恩恵で僕は「秘密」を見ることができた。
過去の映画を見て、結末に驚愕するものの、その驚きを誰とも分かち合えない。
「ターミネーター3」を公開からかなり経過して見た時に感じたあの気持ちを、この映画でも感じた。
1度頂点に達した感動を後からなかったことにされ、足場が崩壊した感がある。
話の展開に納得いかないところもあるが、それでも見ていて息が詰まる。
この日記でベタは禁止だが、こういうベタな感想だけが後に残る。
「それが「秘密」だったのかよ…」
今更ながらだが、しばらく立ち直れそうにない。
2009-05-24 Sun.
住込
2009-05-24
先日、「たんけんぼくのまち」の2009年「新作」が放送された。
「今、よみがえる!たんけんぼくのまち2009」である。
僕はもちろん、リアルタイムで見ていた世代に属する。
現実と虚構のはざまのような設定。
教育番組の中でも、特に濃密でしっかりとしていて飽きのこない内容。
いつまでも忘れられない番組だ。
で、「新作」。
世知辛い現実を隠すことなく、といって暗い内容にはならず、取るに足らない生活を懸命に過ごしている人々への祝福すら感じた。
特に、
「おじさんの3人の息子さんは、それぞれものづくりなど誰かの役に立とうとがんばっているんだって」
というインサートのナレーションが、意味深でとても印象的だった。
2009-05-23 Sat.
物忘
2009-05-23
確か、中島らものエピソードだったと記憶している。
酔っぱらっているときに、作品のアイデアを思いつき、それがすばらしかったので、メモを書いておくことにした。
明くる日、酔いが覚めて改めてメモを見ると、そのメモには、
とだけ書いてあった。
中島らもは何も思い出せずイヤになったそうだ。
天才の閃きが作品として昇華することはなかった。
人類の極めて大きな芸術的損失の1つである。
僕は、普段からメモを取るようにしている。
やることを忘れないようにするためと、話のネタを蓄えるためである。
ネタの方は未だに有効活用されていない。
大抵のメモは、それを見てどういうことを書き残したかったのか思い出すことができる。
だが、中島らもにはとても及ばない僕も同様、酩酊している時に残したメモの意味がわからないで、困惑することがある。
最近それが顕著で、未だに意味不明な記述が3つもある。
1つは、「攻略する」とだけ書いてある。
いったい、何を攻略するつもりだったのだろう。
スパルタ国かSASUKEかたけし城でも攻略しようと決意したのだろうか。
2つ目は、「音声をデコード」。
たぶん、エンコードされた音声が自宅のどこかにあるのだと思う。
早く、デコードしなければならない。
でも、音声をデコードする方法がわからない。
3つ目は…、読めない。
字であることは間違いないのだが、何て書いてあるか読めないのだ。
僕の判読で無理矢理読むと、「拵州貿加」と読めなくもない。
ATOKの手書き文字入力で無理矢理文字にすると、「拓州奨加」となる。
「若林豪」の下に書いてあるので、たぶん「オールスター感謝祭」に関係することなのだと思う。
人類にとって何らかの損失はあったのかもしれないが、攻略されずに残ったものからメリットを受けることもあるだろうし、聞きたくもない音声がデコードされずにすんだのかもしれないし、ATOKの限界がわかったというだけでも儲けものである。
2009-05-22 Fri.
模擬
2009-05-22
なぜ、バカリズムが脳について語っているのか。
写真をよく見て、記事をよく読むと、雑誌に載っていた人は黒縁眼鏡をかけた池谷裕二さんだった。
先生、その眼鏡はコント用だと思います。
2009-05-21 Thu.
逆流
2009-05-21
裁判員制度が始まる、本日。
通知がハガキで来た。
定額給付金の振り込み通知である。
銀行口座を見ると、確かに振り込まれている。
早速、給付金で個人向け国債を買おうと思う。
2009-05-20 Wed.
同意
2009-05-20
以下は、僕が実際に交わした会話の内容である。
僕:「何だか、いろいろ考えると疲れちゃうよね」
知人:「あんまり考えるのはダメじゃない? 高田さんみたいにやればいいんじゃん」
僕:「高田さんって誰?」
知人:「高田純次」
僕:「ダメだよ、あの人真面目だもん」
知人:「確かに。会社勤めから、劇団入るくらいだもんね。お疲れだよね」
「高田純次は真面目」という点でコンセンサスがとれ、第三者が指摘するまで話のユニークさに気付かないのは、まさに「お笑い病」以外の何者でもない。
2009-05-19 Tue.
荒波
2009-05-19
小倉出身である。
こう言うと、かなり年配の人にこんなことに言われたことがある。
「それじゃあ、映画の「無法松の一生」で有名なあの小倉ですか?」
この質問には一応「そうです」と答えることにしている。
しかし、僕は「無法松の一生」という映画を見たことがない。
それどころか、つい最近まで「無法松の一生」は火野葦平が書いたものと思っていたし、「無法松の一生」というタイトルの歌を坂本冬美の「あばれ太鼓」を完全に取り違えていた。
だいたい、本当に有名なんだろうか。
(火野葦平が書いた小説は「糞尿譚」、「麦と兵隊」、「花と竜」など。「無法松の一生」を歌ったのはもちろん村田英雄先生。)
ところで、村田御大が歌う「無法松の一生」で、どうにも納得できない部分がある。
相変わらずJASRACの承諾を得ていないので、歌詞を引用することは故意犯になるが、とりあえずこの部分。
自分の性格を考えると2行目も十分疑問なのだが、問題なのは1行目。
小倉は玄海(玄界灘)には面していない。
小倉が面しているのは、響灘である。
玄界灘は、小倉が面している響灘よりももっと西の方にある。
仮に小倉育ちだとしたら、それは「玄海育ち」ではなく「響灘育ち」になるはずである。
詞が正しいのならば、この詞で歌われている人は小倉よりもっと西で育ったことになる。
この後に続く詞の中で、
とあるが、上記の理由でこちらも納得できない。
同様に「あばれ太鼓」や「北九州市歌」の方も…、まあいいや。
もちろん、「いざゆけ若鷹軍団」は正しい。
しかし、映画1つとっても、小倉のイメージってどんなものかな、と思う。
先日見た映画の中でも、プロフェッショナルなスリ集団が小倉駅でスリ行為をする、というくだりがあった。
小倉のイメージをこれ以上悪くしたくないので、その映画のタイトルは絶対に言わないでおこうと思う。
2009-05-18 Mon.
見分
2009-05-18
「それはFじゃくて、A」
とは、僕の長年にわたる口癖である。
この後に、
「話を見れば大体わかるはず。一見陰湿なのがAで、本当は陰湿なのがF。ただしQはFとAの合作」
と続く。
最近の僕は、2周くらいした結果、FもAも好きである。
2011年まで生き残るのが、当面の目標だ。
「全集」にも間に合う予定。
2009-05-17 Sun.
複製
2009-05-17
祖父から譲り受けた「四国八十八カ所巡礼の旅」のビデオを、VHSからDVDにダビングした。
個人的な視聴だから、たぶんダビングしても問題ないはずである。
もらってから初めて見たけど、確かに祖父が言ったとおり、寺ばかり映っている。
ただ、映っているのは寺ばかり、とは言いすぎだと思う。
正確には、寺と巡礼の年寄りばかりが映っていた。
2009-05-16 Sat.
認識
2009-05-16
最近、人がその場にいるのを認識する家電が出てきた。
エアコンとかテレビとかである。
人がいなくなると、電源が自動で切れる機能がついている。
ところで、「探偵!ナイトスクープ」で顔認識するカメラの調査があった。
カメラがどこまでを顔として認識するか、という依頼である。
メーカーに聞くわけでもなく、自ら実証しようとする姿勢がすばらしかった。
最近の不安は「人がいるのを認識する家電に、僕は認識してもらえるのだろうか」ということである。
2009-05-15 Fri.
不変
2009-05-15
春の大型連休。
「ごきげんよう」を見て、思ったこと。
今のところ、いつまでも裏切らず安心して見ていられるのは、やっぱり中山忍だけだな。
連休は、何もすることなく終了した。
秋の大型連休も期待はできない。
2009-05-14 Thu.
不触
2009-05-14
「タブーな番組企画会議」という番組を見た。
テレビ東京で時々やっている「メディアリテラシー特番」シリーズの最新作。
ちゃんと理解するために、2回も見た。
難しいことはよくわからない。
ただ番組内容や、そこで出される企画のほとんどは確かに全くおもしろくな…、共感できなかった。
タブーを追求することが目的なので、魅力的な企画は必要ないのかもしれない。
でも、視聴者が既に知っているような、またすぐに思い当たるようなタブーは、もはやタブーじゃないと思う。
こういう番組をわざわざ録画してみる視聴者側に問題があるのだろう。
見たところでどうせわからないんだから、見なければよかった。
2009-05-13 Wed.
何処
2009-05-13
レンタルビデオ店でDVDを探していたら、不穏な店内放送が耳に入った。
北九州在住のロックバンド S.R.S。
映画「重力ピエロ」の主題歌を歌う…
S.R.Sとは、確かに北九州在住の10代ギターロックバンド、のようである。
CROSS FMでレギュラー番組を持っているところがすばらしいし、何より若い才能に託すCROSS FMもすばらしい。
制作サイドがちゃんとフォローできているのか、若干心配だけど。
最近のトレンドである「北九州出身を隠蔽しない姿勢」は高評価だが、それにしても何故こうも「北九州」という地名を出してくるのだろう。
北九州出身バンドというコンセプトを自ら前面に押し出した175Rや、北九州弁をコントで多用するロバートの影響なのだろうか。
彼らが北九州を前面に押し出したことに確かに時代の変化を感じた。
それにしても、当時も今も「北九州」という地名は地元民が思っているほど普及してないように、僕は肌で感じる。
こういう地道なチャレンジが重要なのだろうか、それとも市が行政指導しているのだろうか。
とにかく、応援しようと思う。
2009-05-12 Tue.
日和
2009-05-12
渡辺いっけいがドラマに出ているのを見る度に、
渡辺いっけいがドラマでよく演じる
事務的な雑用ばかり押しつけられ
上にも下にも挟まれ
これといって能力があるわけでもなく
なのにプライドだけは無駄に高く
今後出世しそうにもなく
誰からも敬意を払われず
むしろ小馬鹿にされ
妻には愛想を尽かされ
子供はなつかず
上のいないところで上の悪口を言い
だけど下は誰も味方にならず
逆にいないところで陰口をたたかれ
言ってみれば人望も展望もない
サウイフモノニ ワタシハ ナリタイ、とは全く思わないのに
そのような人に
僕は近づいている気がする
という不安を感じる。
世の中のたいていのナイスミドルが、「渡辺いっけいが演じる役のような人が自分の周りにもいるな」と他人事ですましているのだろうか。
僕は、渡辺いっけいを見て、痛快よりも絶望を感じる。
少なくとも、10代の時に抱いた気持ちとは違う。
現実を知る、とは、こういうことだと思う。
演じるだけで済む渡辺いっけいがうらやましい。
2009-05-11 Mon.
法規
2009-05-11
地球上でどこでも適用される、共通の法律はまだできないのだろうか。
それとも、既にあるのだろうか。
もしないのなら、1つの条文からでいいから、どなたかに着手してもらいたい。
一度でいいから言ってみたい、総理に上から「そう思わない?」と。
こんな非現実的なことを考えるのは、世界の通貨を共通化できないのかな、と思うからである。
通貨が共通であれば、僕の周辺で昨今起こった諸般の事情も生じることがなかったはずだし、カトマンズ空港でネパール・ルピーを無駄遣いする必要がなかったはずだ、たぶん。
そういった事情から、「世界通貨」と宣伝するVISAのCMが好きである。
ネパールで僕が持っているVISAカードが機能することはなかったけど。
今だってネパールは計画停電中だから、クレジットカードは使えないかもしれない。
まあ、ネパールでは数字の表記すら違う場合があるので、高望みしてもしょうがない。
漢数字を使う僕が言うことでもないが。
2009-05-10 Sun.
講読
2009-05-10
最近、原千晶のブログをチェックするようになった。
そのことを告げると、知人に「なぜ今そんなことをしているのか?」と半ば奇人扱いされた。
確かに自分でも理由がよくわからない。
大人にはいろいろと事情がある。
原千晶に限らず、芸能人のブログを真剣にならない程度にチェックするのが、最近のトレンドである。
日記を公開している分際で何をほざくか、と思われるかもしれない。
だが、実は他人のブログを読むのが苦手である。
特に、これまで芸能人のブログは避けてきた。
極めて問題のある偏見的な表現をすることを承知で告白するが、芸能人のブログを読んでいると、身近に感じすぎて、何だか「メディアでは見えない臭い立つような足の裏にあるタコを見せつけられている」ような気になってしまう。
こういう気持ちになったのは、かなり昔に桜井鉄太郎のブログをチラ見してからである。
芸能人とはメディアや公式の場だけで接していたい。
気を抜いていない姿だけ見ていたい。
そう願うのは、きっと、僕がウェブに対応できない旧型の人間だからであろう。
と言いつつ、前述の通り、このごろは芸能人のブログをいくつかチェックしている。
何の因果か、佐藤ありさのブログ「ありのまま」まで見させてもらっている。
それでも、詳しく読むと得体の知れぬ恐怖を感じてしまうので、RSSをチェックする程度にとどまっている。
そんな中、僕がおすすめするブログは、またまた登場、石丸謙二郎のブログである。
年長の方のブログだと往々にして、丁寧で真面目でしっかりした文章が載っている。
石丸謙二郎のブログも同様、安心感に包まれて読むことが可能だ。
2009-05-09 Sat.
感想
2009-05-09
声高に言うことでもないが、書くことがないので、書く。
友近のDVD「いつもごひいきにしていただいております」を見た。
めちゃくちゃおもしろい。
この中では、街頭でソーセージを売る中年女性を「ドキュメントにっぽんの現場」風に紹介するコントが1番好きだ。
ところで、友近はコントで演じている人物の名前にも凝っている、とは、あるウェブサイトからの情報である。
例えば、タクシードライバーの名前が「赤城みどり」であるのは、信号機の「赤・黄・緑」に懸けているそうだ。
なるほど。
ただ、街頭でソーセージを売る中年女性の名前だけは、見ただけですぐに気付いた。
だって、その名も「吉山外子」(きちやま・そとこ)だったからだ。
蛇足:名字の最初の文字と名前の最初の文字を続けて音読みする。
2009-05-08 Fri.
想起
2009-05-08
何かを1つ思い出す度に、脳細胞が消費されてしまう、そんなイメージを持っている。
「それはチェキッ娘じゃない?」
EXILEが14人になったが、メンバーの名前がほとんどわからない。
だいたいグループの名前を知っていても、それを構成するメンバーの名前まではわからないケースが多い。
恥ずかしながら、レミオロメンのメンバーの名前を1人も知らない。
藤岡藤巻なら、2人とも名字だけは知っている。
よく考えると、モーニング娘。も、今となっては何人いるかすらわからない。
AKB48の構成人数は、たぶん48人だろう。
48人もいれば、1人くらい名前を知っているのではないか。
という流れの話になって、知人が言ったのが、
「下川みくにはAKB48だっけ?」
であり、僕が冒頭の発言をするにいたった。
後になって考えると、地雷を踏まされたのかもしれない。
この先使い道のない記憶を思い出させないでほしい、というのが切なる願いである。
2009-05-07 Thu.
勘違
2009-05-07
「こけらおとし」の「こけら」を漢字で書くと、果物の「柿」という字である、という勘違いをしていた。
「こけら」という字は…、漢字を変換しづらいし、表示しても判別できないので説明しがたいが、気になる人は国語辞典を引いて確認してください。
とにかく「柿」に似た字です。
なぜ、この勘違いが発覚したというと、「アタック25」で次のような問題が出たからである。
その問題とは、
「果物の「カキ」とこけらおとしの「こけら」、漢字で書くと画数が多いのはどちら?」
である。
その出題で、初めて字が違うことに気付いたのだ。
正解は、果物の方が画数が多い。
で、「柿落とし」の方はカツオがやりそうなこと。
知らなくてもいいことをわざわざ間違って覚えていて、結局墓穴を掘る。
何も知らないことのすばらしさを物語っている気もする。
一方で、そういう誤りを何の嫌みもなく颯爽と正してくれる「アタック25」が1番すばらしいのではないか、とも思う。
2009-05-06 Wed.
低調
2009-05-06
Sugarの「ウェディング・ベル」が昔から好きである。
悲哀よりも男性の願望すら感じる小気味よい詞ときれいなコーラスが合わさって、大変心地よい。
メンバーの1人が若くして亡くなったときは、結構落ち込んだが、その当時誰とも悲しみを分かち合えなかった。
で、この時期に何でこんなことを言うのか、という理由は、ご推察の通り。
PUFFYが「ウェディング・ベル」をカバーしたからである。
僕はまともな評論もできないし、感情的なのもわかっている。
雑誌やネットなどでインタビューを受けているPUFFYの話を読まないと、一概にものを言ってはならないのかもしれない。
それでも、受け入れがたいものを感じるし、何か違うんじゃないのか、とただただ感じてしまう。
徳永英明が女性ボーカルの歌をカバーした「VOCALIST」や、島谷ひとみが男性ボーカルの歌をカバーした「男歌-cover song collection-」にはあった明確なコンセプトが、PUFFYのカバーの方は不足しているのではないかと思う。
少なくとも、PUFFYの年齢が…。
だから、本当に言えることはただ1つ。
どんなに周到な準備をして、いろいろな人の意向があって、いろいろバックグラウンドがあったとしても、様々な人のことをもれなく考慮しなければならない現在の世の中では、カバー曲を出すというのも大変難しいことである。
受け手側も、これに同じ。
ドタバタの間に合わせでは結果が残せない。
フジテレビ月9ドラマ史上最低視聴率9.4%、ということを言いたかっただけである。
しかし、月曜9時に視聴者はどの番組を見ているのだろう。
父親が録画までして見ている「酒場放浪記」に時代が追いついてきた、気配はない。
2009-05-05 Tue.
無粋
2009-05-05
何でも質問して、答えを知りたがるのは、興ざめである。
もしかしたら、「枕草子」にもそう書いてあるかもしれない。
僕がそれを思い知ったのは、井上陽水の発言による。
「テレフォンショッキング」に井上陽水が出たときの話。
その頃、井上陽水は新しいアルバム「九段」をリリースしていた。
人望のないタモリが、これまた人望のない井上陽水にこんな風に尋ねた。
「あの「九段」っていうタイトルの意味は何なんですか?」
確かに、誰しも抱く疑問である。
そのときの井上陽水の答えは、あるサイトによると、こうである。
「あのね、色んな現象とかね、色んな事柄をね、なぜだ?と考えはじめるとね、人間は何故生まれて来たとかさ、そういう話にまでさかのぼるから、大変っていえば大変なんですよ。ですからまぁ、九段って事であれば、あの、九段かと、それでいいのに、どうしてもこの理由を求めたがる」
この発言を聞いたとき、本当にびっくりした。
人は誰しも意味を探りたがる。
ましてやクリエーターであれば自分の作品の意味を語りたがる。
そう思っていた。
それが、根底から覆された。
実際には意味はあるのかもしれない。
だけど、それを軽々しく聞いてダメなのだ。
ナンセンス・ギャグのパイオニア、赤塚不二夫先生。
その申し子、タモリが、意味を聞いてたしなめられた事件である。
僕も気をつけよう、と肝に銘じた。
それから、10年あまり。
タモリが、赤塚不二夫の葬儀で弔辞を「読んだ」。
その弔辞について、いろいろと憶測が飛んだ。
「いいとも」のディレクターだった横澤さんは、その真相を直接タモリに聴き、「あれは「勧進帳」だった」という発言を引き出した。
僕には、その一連の話すらネタのように思えてしまう。
「勧進帳」がギャグ?
んなわけない。
赤塚先生の葬儀から数か月が経ち、ある日の「テレフォンショッキング」に徳光和夫が出演した。
司会などで普段から番組を仕切っている芸能人がゲストに来る「テレフォンショッキング」は非常にやっかいである。
なぜなら、ゲストが段取りをあらかじめ考えてくるため、それがタモリのプランとかち合ってしまうのだ。
ちなみに、「徹子の部屋」に出るときのタモリは、黒柳徹子に進行を委ねきっているように見える。
「テレフォン」では、徳光さんが冒頭、「今日は私がタモリさんに質問しようと思います」という展開に出た。
不安的中である。
徳光さんがいくつか質問をして、タモリがそれに答えた。
そして、ついに徳光さんはあの質問をしてしまう。
「赤塚さんの葬儀の弔辞、あれは白紙に見えましたが、実際は白紙だったんですか?」
あーあ。
野暮すぎる。
これぞ、人は興ざめと呼ぶ。
それでも、僕はミーハーである。
ここで、本当のことがわかるのか。
タモリがどう返すか、緊張が走った。
それに対するタモリの答え。
「ずいぶん前のことだから忘れましたねー」
…すばらしい。
そうなのだ、もう数か月も前のことだから、すっかり忘れてしまったのだ。
だから、真相なんて永遠にわからない。
それで全然構わないのだ。
あえて野暮な質問をする徳光さんに、粋に答えるタモリ。
これで、成立してしまった。
ただ、徳光さんを野暮だと簡単に責め立てることはできない。
このあたりのクラスになると、何が決めごとで、何がアドリブなのか、全くわからない。
それに、この後、徳光さんは「若手芸人をどう思うか」という質問をし、タモリから重要な発言を引き出している。
言えることは、ただ2つ。
昔のテレフォンショッキングの会話を起こし、今でも公開しているのはすごい、ということ。
そして、この一連の長い文章こそ、まさに無粋である、ということ。
品川祐のブログを反面教師にして、生きていこうと思う。
2009-05-04 Mon.
叙情
2009-05-04
井上陽水の代表曲の1つに「少年時代」がある。
藤子不二雄Aの漫画が映画化された際、安孫子氏が井上陽水に提供を依頼した作品である。
井上陽水、少年時代。
最近ふと思った。
この詞は自身の少年時代を回想して作ったものなのだろうか。
彼が少年時代を過ごした町は、僕の親の実家の近くである。
なので、僕はしばしばその町に足を運ぶ。
私見だが、その町は、とてもとても詞とは結びつかない。
「風あざみ」も「宵かがり」も見つけられない。
これでは、この質問者に何も教えられない。
ただし、その町では夕方になると「少年時代」が町内放送で流れるそうである。
そのことだけは、すばらしい。
2009-05-03 Sun.
野音
2009-05-03
2005年9月18日。
「SPACE SHOWER SWEET LOVE SHOWER 2005」というライブに行った。
気まぐれで応募した抽選に当たって、チケットを手に入れたのだ。
僕にとって、ライブを見に行くのは、実に気後れすることである。
観客の一体感になじめないし、アーティストのノリにもついていけない。
そんな僕がなぜ抽選に応募したのか今となっては全くわからないのだが、とにかくこの日もあまり期待せずに、ライブに臨んだ。
このライブは蒼々たるメンバーが出演した。
詳しくはSLSの歴史やこちらの記事を見て欲しい。
シークレットゲストを含め、考えられないくらい豪華である。
しかも、僕にいたっては無料で見ることができた。
このライブで、SOIL&"PIMP"SESSIONSというジャズバンドを初めて知った。
以来、好んで聞いている。
グループ魂を見て、「いつまで「北京原人 Who are you?」をネタにする気なんだ」と独りごちた。
そのような発見もあったのだが、何より感動したのは、トリに出てきた忌野清志郎である。
ちょうど自転車を盗難された後で、それでヒトネタ笑いを取ったあと、代表的な曲をいくつも歌った。
サービス精神旺盛のパフォーマンス、誰でも知っている名曲、繰り出される圧倒的なパワー、会場はとんでもなく盛り上がった。
最後に忌野清志郎や桜井和寿を含む出演者が勢揃いし、観客を含め全員でセッションした。
ライブが苦手な僕にとって、何も考えることなく、観客と一緒になって盛り上がり、楽しむことができたのは、後にも先にもこのライブだけだ。
こういう瞬間にはもう永遠に出くわさないのだろう、と思うとゆううつになる。
2009-05-02 Sat.
鎮圧
2009-05-02
「出る杭は打たれるが、出すぎた杭は打たれない」
とは、森田健作氏の言葉である。
「私のまわりに、出すぎて打たれないで引っこ抜かれた杭がいましたけど」
とは、2009年4月15日水曜日の「情報ライブ ミヤネ屋」における宮根誠司キャスターの言葉である。
その後、番組内で会見を流し、宮根氏はぎりぎりながら軽いコメントを出した。
「社団法人 日本音楽事業者協会」という団体を、初めて知る。
アーティストの検索は立派だが、リンクには難有りである。
とりあえず、このネタ興味がないから、もう触れるのやめよう…。
2009-05-01 Fri.
鍛錬
2009-05-01
NHKの「笑神降臨」を毎週見ている。
「番組たまご」時代のバナナマンの回を偶然見ていた。
それ以来レギュラー化が待ち遠しく、4月からのレギュラー放送は欠かさず見ている。
ところで、そのオープニング。
「世相に流されない真のお笑いファンに捧ぐ…」というコピーが流れる。
思わず、自問してしまう。
自分は、これに当てはまるのか。
NHKにこういうコピーをたたきつけられ、自分はこのハードルを越えられないな、と感じる。
思い返せば、「ニセ札」の号外を出したニュースにも、僕は考えられへんくらい無反応だった。
本当にぴくりとも笑えなかったのは、おそらく僕の修行が足りないからだろう。
でも、そもそも「真のお笑いファン」って、何なのだろう。
逆に「真のお笑いファン」ではない人とは、どういう人たちを指すのだろう。
まったく、お笑い番組1つ見ても、気が休まることはない。
「真のお笑いファン」になるべく、番組を見て精進すればいいのか。
でも、結局はアマフェッショナルのままで終わるだろう。