組合
パン粉をごはんにふりかけて食べたことがあるだろうか。
僕はある。
あまりにも貧乏だから、ではなく、全く意図しない形で。
市販の鮭わかめふりかけを買ってきて、ごはんにかけて、あまり口に合わなくて、「何が入っているんだ?」と内容表示を見てみると、
原材料 ごま パン粉 …
とあったのだ。
パン粉をごはんにふりかけて食べていることは、往々にしてあるようだ。
パン粉をごはんにふりかけて食べたことがあるだろうか。
僕はある。
あまりにも貧乏だから、ではなく、全く意図しない形で。
市販の鮭わかめふりかけを買ってきて、ごはんにかけて、あまり口に合わなくて、「何が入っているんだ?」と内容表示を見てみると、
原材料 ごま パン粉 …
とあったのだ。
パン粉をごはんにふりかけて食べていることは、往々にしてあるようだ。
「四次元クロスワード」という言葉を思いついた。
具体的にどういうものになるのか、早速思考実験した。
2秒であきらめた。
年寄りにはつらい仕打ちだ。
もう少し涼しくなったら、再び考察してみよう。
自宅の受信環境では、現在「水曜どうでしょうClassic」を週に5本見ることができる。
アンテナを取り付ければ、たぶん週に7本は見ることができる。
CSの受信契約をすれば、その数は9本に増える。
この状況が本当に歓迎されるべきことなのか。
「水曜どうでしょう」過疎地の福岡に帰って、一度この問題を揉んでみたいな、と思っている。
紳士のたしなみとして、今週の金曜も大量の酒をいただいて帰宅した。
テレビをつけると、今までに見たことのない番組が放送されていた。
テレビ東京の「流派-R」である。
ヒップホップなどを扱う音楽番組。
「童子-T」とは違う。
ドワンゴ提供、というのが、いかにも現代っぽく、ビジネスっぽい。
300回以上続いている番組なのに、完全なる初見である。
なかなか見応えがあって面白い。
何より、歌詞が逐一出てくるのがすごくよい。
この日の放送は、「HIPHOPをこよなく愛するFankyな男、ダースレイダー!」の特集だった。
「宇田川町のCISCO坂が、なんとかかんとか…」とかなり大事なことを語っていた記憶だけがあるが、詳細まで覚えきれなかった。
でも、「HIPHOPは「真夜中の太陽」」という表現だけは覚えている。
かなり気に入った。
が、ウェブで「真夜中の太陽」を検索すると数多くヒットして、結構使われている表現なのがよくわかる。
「英辞郎」による「ヒップホップの4要素」とは、
である。
求められている条件が高すぎる。
そのうち、ライセンスが必要になるかもしれない。
僕は、この番組を見るだけにしておこう。
水曜。
「NEWS ZERO」で、特集「長期密着プロジェクト/ありのままの、公立中学。」を放送していた。
特集の中では、北九州市立湯川中学校が取り上げられており、公立中学校の現状をそのまま描いている、というふれこみだった。
取材を受けた湯川中学校は、非常に勇気があると思う。
授業が成立してなかったり、風紀が乱れていたりする状況を全国に放送されることを了承するのは、学校関係者の立場もあることだし、各方面の調整も大変だ。
なかなか立派だし、簡単にはできないことだと思う。
湯川中学校と同じ市内の中学に、もう10数年前に通っていた僕としては、「10数年前から実態はあんな感じだったけどな」という感想を持った。
村尾キャスターと違い、何も違和感なく、番組内容を受け入れてしまった。
ところで、今から15年ほど前、祖父がテレビについてよく言っていたことが2つある。
15年前と言えば、祖父は70代前半であった。
1つは、「今の番組はCMの後に、CM前と同じ内容を放送していて、見ているこちらをバカにしている」。
そしてもう1つは、「昼に放送されたニュースを、同じ原稿、同じ内容で、夕方、および夜に放送している。何度も見ることになる視聴者のことを何も考えていない。バカにしている」。
水曜の「NEWS ZERO」の特集も、新聞のテレビ欄を読む限りは、夕方の情報ワイド番組「リアルタイム」でもほぼ同じ内容を放送しているようである。
「リアルタイム」の方は見ていないので正確には言えないが、たぶん夕方の方は夜のPRだったのかな。
CSのニュース放送局ではよくあることだが、地上波でも番組で特集を使い回すようになったか。
きっと、「日本テレビを1日中見ている人なんて1人もいない、だから同じ内容でも問題ない」という判断なのだろう。
これまでに何度か、クリスタルクララのCMを見た。
桜っ子クラブさくら組…、ではなく、モーニング娘。さくら組…、でもなく、中国人双子の桜組(桜紅丸&桜蘭丸)が「フニクリ・フニクラ」を替え歌で…、と言っても「からあげ おいしくつくるなら モミモミー」バージョンではない替え歌で歌っている、宣伝主体がタレントなのか水なのかよくわからない、ロッテのガム「SPASH」における矢島美容室状態のCMだ。
水道橋博士の日記を読む限り、桜組および所属事務所のキャピタルプロモーションの存在が非常に興味深い。
日本文化をあしらったコスチュームを着ていることに対して中国国民からクレームが予想されないのか、と心配してしまうが、彼女らは中国政府銀行(「中国人民銀行」のことか?)高官の娘だから、その辺はたぶん心配無用なのだろう。
いつか中国の双生児に「一人っ子政策についてどう思うか」と質問したい、と思っていたが、その答えが聞ける日が訪れるのもきっと近いだろう。
子供の頃、NHKで「九州のうた」という番組が放送されていた。
美しい九州の風景をバックに、九州にちなんだ歌を流す、5分か10分の番組である。
2009年現在、まだ放送されているようだ。
この番組で流れていた「筑豊の子守歌」という歌が、僕は好きだった。
こんな歌である(音量注意)。
この歌の
ボタ山のある町 お前の生れたふるさとよ
という部分。
僕は自分にこの詞を重ね合わせ、何とも言えない気分になっていた。
何だか、諦観を感じさせる詞だな、と感じたのだ。
「所詮おまえはボタ山のある町の生まれ、その事実からは逃れられない」
といったような感じで。
こういう感覚は、ボタ山のある町に育たなければ理解しがたいと思う。
とはいえ、実際のところ、僕はボタ山のある町で生まれ育ったわけではない。
「小倉生まれで 響灘育ち 今日は荒井が 皿洗い」である。
両親の実家に行くたび香春岳が削れていくのを見てきたので、何だか自分もボタ山のある町に育った気分になっていただけだった。
バカリズムや中ノ森BANDの中ノ森さんとはちょっと違う。
ところで、ある知人が小倉に実際に行って、こんな感想をくれた。
「煙モクモクだった」
市街地から、白い煙を吐く工場地帯の煙突をのぞむことができるのが小倉である。
それが一般的な都市の光景だと思って、僕は育った。
でも、大抵の街において、工場地帯の煙突なんて見えることはないのだ。
「煙突とガスタンクのある街 お前の生まれたふるさとよ」
そういえば、我が家の先祖代々の墓は、ボタ山のある町に存在する。
近いうち、僕もボタ山のある町で永眠することになるだろう。
小倉を歌った「あばれ太鼓」の中で、坂本冬美もこう歌っていた気がする。
「どうせ死ぬときゃ 田川やないか」
結局、バカリズムや中ノ森BANDの中ノ森さんと同じ結末である。
受け入れなければならない運命だ。
最近気付いて、調査した結果、判明したこと。
小笠原諸島では、電波時計の自動補正機能が機能しないこと。
だから、小笠原諸島に在住の方に電波時計を贈るのはやめておこう、ということ。
大江麻理子アナウンサーの高校時代のエピソードをテレビで聞いたことがある。
そのエピソードとは次の通り。
寮生活だった高校時代のある日、寮の壁にハシゴを立てかけ不法侵入しようとしていた角刈り男を目撃したことがあった。
「何て治安の悪い地域の、何て先時代的な話だ」と僕はそのエピソードを一蹴した。
こういう話のオチは、大抵決まっている。
後に、大江麻理子の出身高校は小倉にあることを知った。
男の髪型は、角刈りではなく、パンチパーマじゃなかったのかしら。
大江麻理子は豊前市出身。
なので、大江麻理子は潮田玲子と並び、京築地域を代表する至宝である、とは僕が唱えている以外、未だ誰からも聞いたことがない「くくり」である。
ウェブで検索しても、そのような概念は今のところ見当たらない。
だいたい、普通に生活していて、「京築」という言葉にすら触れることが少ない。
年末の楽しみは、毎年盛んに取り上げられていた「今年の漢字」をマスメディアが今年はどう扱うか、である。
今年も例年通り総理に「今年の漢字」を尋ねるのだろうか。
例年通りには行わないとするならば、各報道機関は昨年までの報道を自省し、一財団法人のPR戦略になぜ乗せられたかを検証する番組やシリーズ記事を制作するのだろうか。
特に、問題が露出する前に、「今年の漢字とは、実は協会のPRなんです! すごいですねー」と言っていたTBS。
一体、何を取材してたんだろう。
とにかく、漢字に罪はない。
2009年の「今年の漢字」は「辞」かな。
理事長も、財務大臣も、地上デジタル放送推進キャラクターも辞めてしまった。
「今年の漢字」も今年で辞めます、の意。
ところで、僕は漢字検定2級を10年前に取得した。
自称ではなく、理事長に2級を口頭で授けられたわけでもなく、ちゃんと試験を受けた。
しかし、取得した事実がフィーチャーされるのは、父親に「おい、漢検2級。この四字熟語を知ってるか」といじられる際だけである。
最近父親に教えてもらった四字熟語は、「水天彷彿」。
意味は、「沖合の水が空に接して、その境目がはっきりとしない様」。
「どういうときに使うのか?」と問うと、父親は「沖合の水が空に接して、その境目がはっきりとしない様を表現したいとき」と教えてくれた。
僕のひからびた人生において、この四字熟語を使うケースにめぐりあうことはおそらくないだろう。
5年ぶりに、F1中継をCSではなく地上波で見ている。
昨今起こった諸般の事情…、というより、視聴契約が面倒になり解約したので、やむをえず地上波で見ているというのが実情だ。
最近のF1中継を見ていて、「道端ジェシカはJ・バトンと交際することによってポジションを上昇させていることになるのだろうか」という不安をつくづく抱く。
きっと、僕が心配することなんて何もないのだろうけど。
「僕にもできる小さく身近なエコ」を考えている。
街頭で配られているチラシを極力もらわない、というのを思いついた。
いや、むしろ配らせない。
「ソトコト」を買わずに立ち読みで済ませる、というのもある。
いや、むしろ書店から排除する。
土葬や鳥葬を選択する、というのもエコだろうか。
エコかもしれないが、法令に抵触するなど簡単にできることではないので、こちらは却下される。
だったら、納棺師ブームに抗うため、死に化粧を辞退する、っていうのはエコかな。
とにかく、これで地球の限りある資源が保全された。
覚えないでおこう、と拒否しても、いつの間にか定着している記憶。
マーガリン。
キャサリン。
ヴァンダム。
そして、ナンシー。
ご存じ、スザンヌの家族の愛称である。
全て言えたところで、僕の生活においては何も役に立たない。
何故覚えてしまうのだろう。
五大湖とか富士五湖とかの名称を覚える方が先だと思うのに、こちらはさっぱり覚えられない。
北九州市が五市合併する前の旧五市の名称なら、もちろんそらんじることができるが、こちらはこちらでさっぱり役に立たない。
そして、あいかわらず五大路子と伍代夏子の違いを正確に覚えられない。
杉良太郎と結婚している方がどちらかで、大和田兄弟のどちらかと結婚し子供も子供のいとこも俳優で子供のいとこの母親が「はなまるマーケット」の司会をやっている方がどちらかである…、このくらいで勘弁して欲しい。
まもなく、「キンケロ・シアター」という常設の劇場が柿落とし、ではなくこけら落としを迎えるはずである。
キンケロ・シアターとは、愛川欽也が東京都中目黒に建設する小劇場であり、その名の由来は推して知るべしである。
愛川欽也と言えば、手がける事業が次々に失敗し、3か月で閉店するところから「ワンクール倒産」とも呼ばれることが有名である。
なので今回も…、と期待してしまうけれど、本人としては「今回こそ」という意気込みなのだろう。
行くことはないだろうけど、影ながら応援だけはしたい。
今から書く話は、口うるさいだけで何も面白くない、梶原しげるが言いそうな話である。
びわ湖放送の番組内容で銃刀法違反に問われている事件について。
滋賀県警は、原田伸郎氏の所持容疑についても捜査したが、「銃の受け渡しがアドリブ的に行われ、所持には当たらない」と説明した。
なんだよ、「アドリブ的に」の「的に」って。
「アドリブで行われ」でいいはずだ。
滋賀県警が作る公式文書では、「私的にはー」のような言葉が乱発されているのだろうか。
と思ったけど、そういうことを言い始めると、「アドリブ」げな外来語をさっちが使わんでも「即興で」ちゅうほうが適切やろうが、という意見も出てくるかもしれない。
無駄な論争を避けるために、いろいろなことに寛容でいなければならない。
今度、DAMカラオケで「ガス・ワンだフル。」を歌うことにしよう。
「ガス・ワン中毒現象」という表現は、いささか問題があると思う。
2009年6月10日放送分の「翼の時間」を見た。
スターフライヤーA320の特集で、興味深い内容だった。
今まで4回くらいだけど、「実家が北九州なら、新しい黒い飛行機で帰省するの?」と聞かれたことがある。
「スターフライヤーなら何回か乗ったことがある」と答えると、「1度乗ってみたいんだよね」と返ってくる。
そして、大抵、「乗ってはみたいんだけど、乗る機会がないんだよね」と言われる。
スターフライヤーに対する興味度は結構高いようだ。
問題は、北九州に行く用事が全くない、ということにある。
飛行機だけでは観光につながらないのはわかっているけど、この潜在的な需要が北九州への訪問につながらないかな、といつも思う。
「スターフライヤーは関西国際空港にも飛んでますよ」
と一応親切に教えるのだが、
「関空を使う用事なんてある?」
と返されるのが関の山。
6年ぶりにエクセルシオールカフェに行った。
昼食の目的で。
アイスティーのMサイズとカマンベールとパストラミビーフのパニーニを頼んだ。
出てきたパニーニを見て、「これは長細いパンにただ具材を挟んだものであって、パニーニとは言わないじゃないの?」と思った。
表面を焼いた白いパンで挟んだものが出てくると思いこんでいたからだ。
でも、レシートには「パニーニ」と書いてあるし、写真を見ても同じものが出てきている。
自宅に戻り、「パニーニ」を調べる。
そこでわかったことは、「パニーニ」とはイタリア語で言うところの「サンドウィッチ」という意味であり、しかも「パニーノ」の複数形だということだ。
白いパンの方を特に「パニーニ」と称しているのは、日本の一部のチェーン店だけだ。
エクセルシオールによると、白いパンの方は「サルティンボッカ」と呼ぶ。
なんだよ、ローカルルールかよ。
ていうか、ドトールがそう呼んでたはずだ。
足元をすくわれて転ぶ姿をおさめた映像をネットで配信された気分である。
ところで、エクセルシオールが提供するパニーニのサイズは、僕にとってはかなり物足りないものだった。
710円払ってこのボリュームとは、いやはや都会は怖い。
でも、おいしかった。
5年くらい前に気付き、常日頃嘆いていること。
僕の世代から排出されたスーパースターは、他の世代のそれと比べ極端に少ない。
時代を牽引した唯一のスーパースターは安室奈美恵だけだ、と思う。
そして、時代の主役になったのは、悪い印象だけが残る女子高校生ブームの時だけだ。
1つ上の世代のスターなら、佐藤琢磨と中田英寿がいる(彼らは早生まれなので、1つ上の学年と見なすことにしている)。
1つ下の世代なら、中村俊輔と浜崎あゆみと徳重聡(21世紀の石原裕次郎!)がいる。
それ以上離れた世代になると、層が厚くて、とてもかなわない。
それに引き替え、僕の世代。
もちろん、バンテリンでおなじみの中澤佑二選手は、スーパースターだと思う。
その他が続かない。
菅野美穂と矢部美穂と矢部太郎の世代。
佐藤藍子と石川亜沙美と菊川怜の世代。
雛形あきこと鈴木紗理奈の世代。
演歌界の星、氷川きよしだけが残された望みだ。
歳が1つ離れた世代にはスターがいる、とは言ってはみるものの、3つ以上離れた世代に比べれば、かなり引け目を感じる寂しい状態だ。
朝日新聞が言うところの「ロストジェネレーション」の中核を成す世代。
その「ロストジェネレーション」というフレーズは定着せず、100年に1度と言われる大不況の割を食った新卒の大学生にフォーカスは移っている(本当に割を食っているのは、ここ10年くらい辛酸をなめ続け、挙げ句の果てに放出された30歳前後の非正規労働者だと思う)。
こういう世代を、僕は「ずだぼろの世代」「ぼろかすの世代」「絶望世代」「ドブ底の世代」と称し、悲嘆に暮れていた。
僕に賛同してくれた知り合い達は、「砂漠世代」「暗黒世代」「ブラックホール世代」「ツンドラ世代」「肥やし世代」「無花果世代」「サンドイッチのパンに塗るバター世代」という名称を考えてくれた。
そんな経緯で、木曜に放送された「アメトーーク」の「泥の97年デビュー組芸人」は、大変共感しながら見た。
まさに、僕の世代の人たちである。
芸歴の割りにテレビ慣れをしていない(風を演じている?)姿を見て、改めて花のなさを思い知らされた。
みかんゼリーが好物である。
古くはサンキスト粒ゼリー、少し前はたらみのどっさりみかんゼリーをよく食べていた。
先日購入したみかんゼリーのふたに、アレルギー物質にかんする喚起がなされていた。
本製品に含まれているアレルギー物質 りんご
みかんゼリーにりんごとは、なかなか手強いな、と僕は思った。
最近、野外の音楽イベント、夏フェスが盛んに行われ、身近なものになってきましたね。
今年の夏も、各地で開催されるようです。
知人に、夏フェスへ足繁く通っている人がいる。
国内…、は少し言いすぎだが、近郊で開催される夏フェスを回っているんだ、と言う。
ごくたまに誘ってくれるのだが、僕はライブが苦手なので、お誘いに感謝しつつ、お断りしている。
そんな知人から、このサイトにうってつけのタレコミがもたらされた。
「北九州の平尾台で夏フェスやるみたいだよ」
?
それって、本当に平尾台?
福岡市の平尾山荘通りじゃなくて?
BARKSやORICON、BIGLOBEなどによると、どうやら本当に平尾台で野外フェスをやるらしい。
イベントのタイトルは、シーブリーズ提供の…、じゃなくて、「SEA RIZE ROCK 09」。
出演アーティストの第1弾発表も行われており、そのラインナップは、大黒摩季、相川七瀬など。
8月30日開催予定、台風大丈夫かな。
夏フェス好きの知人に「平尾台がどういうところなの?」と聞かれ、「羊岩群と鍾乳洞と草原とドリーネとウバーレといったカルスト地形の自然が手つかずで広がる風光明媚な山」とふるえながら答えておいた。
実際の状況は、平尾台自然の郷で確認していただきたい。
ブログが勉強になる。
小倉あるある、あるいは、秋吉台を代表するカルストあるあるなのかもしれないが、僕は子どもの頃、平尾台を麓から眺め、羊の群れが草をはんでいる、と本当に信用しきっとったもんね。
それにしても、平尾台で野外フェスとは、2009年らしい独創的な発想だと思う。
こんな発想に出会うことができて、これまで生きていた甲斐があったというものだ。
ぜひ成功、そして継続してほしい。
しかし、企画・制作の「SEARIZEROCK2009実行委員会」の実態がどんなものなのか、はっきりつかめないのが残念。
僕は、血液型性格診断と心理テストの類が大嫌いである。
毛嫌いしていると言ってもいい。
先日テレビを見ていたら、「目玉焼きの黄身を先に破るか、残しておくか」という質問の答えからある傾向が露呈する、と公言されているのを放送していた。
その「ある傾向」については、風評被害で告訴される恐れもあるので、ここでは言わない。
興味があれば勝手に調べて欲しい。
ちなみに、僕なら、黄身を先に破り、白身につけながら食べる。
そういうマナーがあると教わったからだし、そういう風に食べるとおいしいからでもある。
こういう答えは誰も聞いていないし、誰も求めていない。
こういう偏屈な性格なので、「心理テストで盛り上がる」ことが一切できない。
心理学者でない人が心理テストをやっている時点で、気まずくなるくらい腹を立てる。
そういう対応こそが、何らかの心理状態を暴露してしまっていることになるのかもしれない。
そうなると、「心理テストを受け入れるか否か」自体がもはや心理テストである。
ところで、「脳内メーカー」というのが一時期風のように流行った。
ブームは不気味なくらい同時多発的に起こり、瞬殺された。
こちらはもちろん、心理テストではなく一種のお遊びである。
最近お気に入りの嫌がらせは、ブーム時に騒きたて、人格を否定せんばかりの発言を口にしていた方々に、「今、脳内メーカーやってる?」とうかがうことである。
ひとりだけ「時々やってる」と答えてくれた人がいた。
「角打ち」とは、酒屋で買った酒をその店の一角に設けられたスペースで飲む、という北九州特有のスタイルのことを言う。
詳しくは、北九州角打ち文化研究会で。
僕の父親は、会社帰りによく角打ちに寄っていた。
成人男性たる者、会社帰りはまっすぐ家に帰らず、角打ちをやるもの。
僕もいずれ、そんな大人になるのだろう。
そう思って成長してきた。
大人になり、地元を離れてしまった。
未だ、角打ちに行ったことはない。
周りに角打ちをやっている大人なんて、1人もいない。
それどころか、地元以外で「角打ち」という言葉すら聞いたことがない。
「角打ち」という概念があるかどうかも、実にあやしい。
2009年5月28日の深夜に、ある番組が再放送という形で全国放送された。
NHK福岡放送局制作の「福岡にんげん交差点」である。
番組のタイトルは、「きょうも角打ちであいましょう」。
折尾駅にほど近い角打ちスポットと、そこに集まる人々を描いた番組だった。
ナレーションもない、素朴な番組である。
その番組に出てくる角打ちには高齢者の客が多く集まっていた。
そして、角打ちが高齢者の安否を確認する場所になっていた。
実際に、ある日ぱったり顔を見せなくなったきり、今生の別れとなる例もあったそうだ。
子どもの頃に抱いていたイメージと、現代の様相がひどく違う。
北九州市は、角打ちをキーステーションとする高齢者ケアネットワークを確立した方がいいんじゃないか、と本気で思った。
日曜。
「ターミネーター3」の視聴準備を万端にするため、「ターミネーター4メイキング特番×ターミネーター3今夜9時放送をさらに楽しむ!」を見た。
番組内で、小松政夫が淀川長治のモノマネをしていた。
黒縁の眼鏡をかけて、メガネの上部には三角眉毛、ひもをつけて右手で(時に左手で)眉毛を動かしていた。
往年のネタである。
最初は、若手の芸人が小松政夫が演じるマネのマネをしているのか、と思った。
今になって小松政夫の演じるモノマネを見られるなんて、何て贅沢な話だろう。
淀川長治が亡くなってから11年も経つ。
淀川長治のことを知らない世代も既にいると思う。
小松政夫が何をやっているのか、意味が全くわからない視聴者もいたかもしれない。
そんな淀川長治のことを知らない人でも、小松政夫の仕草だけで十分笑える芸だった。
先日の小倉行で、現地のタクシーに5回乗った。
そのうちの1回の話である。
タクシーのドライバーによると、小倉もずいぶん変わったそうである。
巨大な建物や、高層のマンションが確かに増えた。
しかし、リバーウォークだけはいただけない、とのご意見。
リバーウォークができたために、小倉城が電車通り側から隠れてしまったからだ。
所詮、戦後に外観復興した「作りもの」である。
それに幕末、城主は付け火をして逃げた。
だから、見えなくても、どうでもいいんじゃないんですか。
と、情感のない僕は思っただけで、その場で言うことはなかった。
しかし、「電車通り」って言葉、いつまで通用するのだろう。
父親が補足情報として、「山陽新幹線の駅を西小倉駅に作る、という話もあった」と言っていた。
話半分に聞いておいた。
にしても、リバーウォークにある西日本工業大学の建物に「NIT」と書いてあるのは、「なるほどねー」と思った。
言ったもん勝ちである。
大門から火の橋に抜ける小倉駅大門線を、作り替えてから初めて通ったけど、これも何だかものすごいことになっている。
所縁のある建物がいくつか吹っ飛んでいる気がするが、おそらくちゃんと用地補償してもらったことだろう。
僕が死ぬ前に全線開通することはあるのだろうか(こちらに詳細あり)。
2009年5月28日放送の「徹子の部屋」に芋洗坂係長こと小浦さんが出演していた。
話が盛り上がる中、黒柳徹子が「ところで、ご出身は福岡県の小倉だそうで…」と言うと、係長は、
「正確には、門司港というところでして…」
とやんわりと訂正した。
久しぶりにこういうやりとりを見た。
小倉の人なら「出身地は小倉」と言ってしまう(たとえ出身が小倉南区であっても)。
一方で、小倉ではない北九州市出身者が出身地を説明するとき、何と言ってよいか悩むらしい。
「福岡です」というのは、何となく憚れる。
「北九州です」と言っても、相手は大抵「ぽかーん」としている。
「北九州」=「北部九州」という図式が成立してしまうからだ。
かといって、区の名前を言っても、相手が知っている可能性は極めて低い。
ところで、番組内で芋洗坂係長が高校時代に小倉城の脇でダンスを披露していたことが紹介された。
僕が子どもの頃、確かに小倉城の脇で踊っている人を見たことがある。
もしかしたら、その当時の芋洗坂係長を見たことがあるかも…、たぶんないだろう。
その芋洗坂係長も、先日の「ゆるキャラ祭り in もじ」に出演し、故郷に錦を飾った。
そして、例の北九州特命大使にも任命されている。
ついに、自宅がある自治体の隣までやってきた。
新型インフルエンザのことである。
これでようやく流行に追いついた。
この件について、大手新聞社のサイトには3行だけの記事が掲載されていた。
つい最近までの騒ぎは何だったんだろう。
静岡空港(愛称:富士山静岡空港)が開港した。
おおむね順調な滑り出しのようで、一安心である。
なんと言っても、県知事の首をふっとばしたのだから。
2009年5月31日の朝日新聞朝刊の一面トップに、不穏な記事が載っていた。
…と記事を紹介したいのだが、ウェブを検索しても、何処にも載っていない。
確かに新聞の一面に載っていたのだが。
というのも、この記事を見たのは、小倉の実家でのことである。
小倉の新聞では、この記事がトップにあった。
記事の内容を詳細に覚えていないので、今から書くことは正確ではないかもしれない。
しかし、大筋はあっている。
その記事の内容は、こうだ。
福岡県に国立の展示施設(国立展示場)を誘致する活動が、進行している。
その展示施設とは、敷地面積10万平方メートル規模のものである。
この大きさは、東京国際展示場(ビッグサイト)の約8万平方メートルを上回る、国内最大級である。
当初、福岡市にあるアイランドシティという人工島に誘致する予定だったが、土地の無償貸与を求められ福岡市が難色を示している。
そこで、出てきたのが北九州市。
小倉駅北口の土地を無償で提供し、国立展示施設の誘致を狙っている…。
今だって、小倉駅北口には西日本総合展示場という、それなりに役に立っている施設があり、こちらもそこそこ大きい。
そして、誰が見ても大失敗と噂される「アジア太平洋インポートマート」も、10年ばかり前に北口に建てたばかりだ。
そんな場所に、国内最大規模の展示場を作る。
たぶん、今ある施設を一掃するのだろう。
いろいろ言いたいけど、百歩譲って、北九州市の肩を持つ体で言うと、「確かにアイランドシティよりはいいよね」。
知人が愚痴ていた。
「1年のうち、6月だけが祝日も特別な長期休暇もない。週末だけしか休みがない」
それは、もう野比のび太が指摘しているよ。
そんな声を代表して、野比のび太は「日本標準カレンダー」を使い、新たな休日を制定した。
それが、6月2日の「ぐうたら感謝の日」である。
この日は誰も働いてはいけない、と法律で決まったのだ。
法律といっても、「ポータブル国会」で法律を通したわけではなく、元首の強権を発動した。
子どもの頃、日曜になると大抵の商店は休みだったような覚えがある。
近所のスーパーマーケットも週に1日は定休日があった。
現在は、商店に休みがないことがデフォルトになっている気配がある。
他の人が休日だからこそ、働かなければならない職業もある。
何だか気が休まらない。
今こそ、「ぐうたら感謝の日」が必要だと思う。
「死ぬ前にたった一度だけでいい」
とは、ピチカートファイブの歌「陽の当たる大通り」の冒頭の一節である。
最近、よくこの歌を口ずさむ。
死期が迫っているのかしら。
死ぬ前にたった一度だけでいいから、起こって欲しいこと。
何かあるかな、と考えてはじめて2か月。
ようやく1つ思いついた。
お笑いBIG3のトークを深夜の生放送で見たい。
たぶん、もう永遠に起こらないことなのだろう。
そう思うけど、どうしても願ってしまう。
もしかしたら、何かの弾みで実現するかもしれない。
でも、もし本当に実現したら、きっと欲が出てくる。
次はミドル3の企画、そしてリトル4のコント、さらにはやっぱりブリーフ4の中継を見たくなるだろう。
井上陽水が言ったように、まさに「限りないもの それが欲望」である。