緑日
NHKスペシャル「ボクの自学ノート -7年間の小さな大冒険-」を視聴。
世間とは全く違う理由で驚く。
早速、おいに教えてあげなければならない。
NHKスペシャル「ボクの自学ノート -7年間の小さな大冒険-」を視聴。
世間とは全く違う理由で驚く。
早速、おいに教えてあげなければならない。
同様な事象に対して、厳格な視聴者がいた一方で、寛容な有権者もいるものだ。
NHK「宮崎発地域ドラマ ひなたの佐和ちゃん、波に乗る!」を視聴。
よくもまあ、このようなドラマを、何度も何度も作る気になるよな、いくら地方振興とはいえ…、と思うのなら、見なければいい。
「この時代、地方において、こんな山道を、人が歩くわけがない」「はあ、夜に飛び出して、浜辺で寝て、気づいたら朝になってましたか」などと悪態をつくひまがあるのなら、TVを消して自分の生活を営めばいいのだ。
それでも見なくてはならない、なぜなら田中麗奈が主人公の母親役で出演するからだ。
もともと、主人公役のようなポジションで、田中麗奈は女優を始めた。
それが、キャリアを重ねて、母親役としての出演である。
「自分のやりたいことをやればいい」と主人公を後押しする姿に、久留米を離れた田中麗奈の過去が重なる。
このドラマの最大の見どころは、ウェブで公開されている、田中麗奈のインタビューである。
それにしても、ネットにつながっていれば場所を問わず仕事ができるような時代が、いい加減訪れないものだろうか。
そうすれば、このような安易な題材のドラマの再生産も絶えることだろう。
「地方に仕事さえあれば、都心に住む必要もないのになあ」とよく聞く。
そんな人たちが早く地方で暮らせるような社会になることを望み、そのような環境整備に協力したい。
僕は、都会で生活を営みたくて都会に住んでいるのだから、そうじゃない人はぜひとも都会を離れてほしい。
甘いものには冷たいものが多く、「温かい甘いもの」があまりない。
それゆえ、この時期は、あんまんを食べることになる。
今日、あまりに寒くて、コンビニエンスストアで今シーズン初めてのあんまんを買う。
店員に「あんまんを1つください」というと、店員が固まってしまった。
名札を見ると、国外の人と思われる名字がひらがなで書いてある。
「あんまん、を1つください」と、他の店員に聞こえるように、大きな声で言う。
そして、中華まんの保温器の前に移動し、1つしかないあんまんを指さし、「このあんまんをください」という。
札には「ごまあんまん」とあった。
コンビニで働く外国人は、とてつもなく優秀である。
僕ならとても、外国で店員などできない。
いや、国内のコンビニすら無理だと思う。
これからは、日常的に「やさしい日本語」を話していこう、と決意する。
あんまんを食べていると、その様子を見ていた人から、「あんまんは昔から食べてましたか」と尋ねられた。
さあ、どうだったか、どういう意図か、と尋ね返すと、「あんまんのあんこは、普通のあんこと違うじゃないですか、月餅みたいで。子供のころは苦手だったけど、今は大丈夫なんですね」との答え。
ああ、確かにそうだった、気がする。
もちろん、子供のころは「月餅」のことを知らなかったが、そういえば肉まんばかり食べていて、あんまんは食べていなかった気がする。
あんこは以前から好きだったが、僕が本当に好きなのは、あんまんではなく、酒まんじゅうである。
酒まんじゅうのあんこは、あんまんのあんこと違い、アンパンのあんこである。
袋に4個入った酒まんじゅうを、蒸気で蒸しなおして食べていた…、記憶があるのだが、本当にそうだっただろうか。
そんな感覚を思い出させてくれた人に、感謝。
そして、あんまんよりも酒まんじゅうが手軽に入手できる世の中であってほしい、と願う。
全員、沈黙。
お笑いの人を見て、余計なことが邪魔をして笑えなくなるのが、悲しく、怖い。
忘年会のシーズンである。
5,000円であれだけのことをやってくれるのだから、今年はぜひともあのホテルでお願いしたい。
「その予算ではできない」とは言わないだろう。
それにしても、「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」という条文を知らないのか。
松本零士先生のニュースと合わせて、1日2回も電車の中で短い声を上げてしまった。
自分の身に置き換える。
もし、「何かをやめろ」と言われて、やめられないことはあるだろうか、と不安になる。
例えば、飲酒をやめることができるのだろうか。
まあおそらく、身体的には断つことができると思う。
では、白米の摂取はどうだろう。
自信がない。
ラーメンを禁止されたら、禁断症状が出そうな気がする。
政府も「桜を見る会」を見直しはするが、やめることはできないようだ。
依存症は怖い。
手を出すときに、よく考えなければならない。
いろいろと嫌になって、「充電させてもらえませんか」の富田靖子を見て少し取り戻し、「BSフジ11時間テレビ 脳トレ生合戦」を見て、手をたたいて笑う。
出演資格は「40歳以上の芸能人」ということだが、今回の件も、ほとぼりが冷めるころには40歳を超えているのではないだろうか。
まあ、もう出てこなくていいと思うが。
それにしても、氏神一番は30過ぎてから売れたのだな、と改めて知る。
また、ひろっつぁん…、森口博子の現役芸能人感が際立っており、プロとしての矜持を感じた。
「お笑い芸人」と呼んでいいのか、適切ではないのか。
きわめて高いレベルで判然としない例が、伊集院光である。
伊集院光は、「お笑い芸人」なのだろうか。
現在の僕は熱心なリスナーとは言えないが、もともとは「Oh!デカナイト」世…、「チャオチャオ・ビッグカンパニー」世代である。
伊集院光をおもしろいと思う一方で、彼を「お笑い芸人」というジャンルに入れていいのか、悩む。
落語家に弟子入りし、一般的な「お笑い芸人」の出自とは異なる。
表層的に見れば「お笑いタレント」とまとめられそうだが、他の芸人をみると、ネタをやって舞台を踏んだり、ガヤ芸人で呼ばれたりというイメージがしづらい。
最も適切な肩書は「ラジオ・パーソナリティ」だろうが、その枠に収まらない活躍がある。
これほどまでに悩む例を、僕は他に思いつかない。
トラブルに巻き込まれて、待機することになった。
「もう解散でいいのではないかな。この時間だったら、映画を見に行くことができるのだけど」
そんな軽口をたたくと、「何の映画を見に行くのですか」という質問を引き込んでしまった。
深く反省する。
「いや、見たいドキュメンタリ映画があって、細野さんの映画なのだけど…、細野晴臣…、細野晴臣、知ってますか、はっぴいえんどの…、YMOの…、ミュージシャンの…」
「ミュージシャンのドキュメンタリを見に行きたいのですね」
「…そう、音楽家のね…。早く散開にならないものかね…」
「…」
世の中は、細野晴臣を知らない人たちと、細野晴臣を詳しく知っている人たちに二分されるのだろうか。
僕は、全く知らないわけでもなく、熱心で詳しいわけでもなく、何というか、一般常識として広く薄く物事を知っているに過ぎない。
なので、ある方面からは「よく知っているね」と言われ、ある方面からは「何も知らないのですね」と言われ、そのどちらからも距離を置かれるし、自分も居心地が悪い。
そのような自分が比較的はまるコミュニティの種類は「クイズ好き」なのだが、「クイズマニア」はクイズそのものに熱心であり、僕は熱心になることがないので、また話が合わない。
つまり、どこに行っても常に孤立し、誰とも分かり合えないのだ。
当然、自分のせいである。
それで、映画「NO SMOKING」を見てきた。
まずは、埼京線で渋谷駅を目指す…、目指してしまった。
渋谷駅というが、ここはやはり最後まで「南渋谷駅」である。
さらに、工事が進んでいて通路が狭く、前に進みづらい。
あと半年ほどの辛抱だろうか。
3階の中央改札から出て、下って、下って、横断歩道を渡って、裏道を通って、文化村のほうに出ようとする。
…混雑が嫌でスクランブル交差点を避けたのに、結局人が多くて、また11月の18時はもうすでに暗く、思うように進めない。
マークシティから道玄坂上に出て、そこから下ればよかった。
ユーロスペースに到着。
おそらく4回目で、今の場所に移ってからは初めて。
列に並び、上映時刻を1分すぎて、チケットを購入できた。
スタッフが「現在、予告編中です」と告げる。
毎回に共通する理由を見いだせないが、この映画館だとなぜか上映開始ギリギリになってしまう。
それで、見る。
最初のほうに出てきた「自分は戦争に行かなくていいんだ」という述懐が、心に残る。
不戦は、インフラである。
終わって帰ろうとすると、人が勢いよく入ってくる。
ビラでも配られるのか、と恐れていると、これから監督のトークショーが始まるという。
全然知らなかったが、ラッキーである。
この辺の知識に詳しくなく(僕は、どの知識にも詳しくない)、トークショーで話された内容はあまり理解できなかったが、それでも、細野さんの魅力が改めて語られ、新たなことにストレートに挑戦する細野さんの姿勢に感服した。
映画館を出て、道玄坂上のほうに向かう道を進む。
例のカートがこんなところまで入ってくる。
何が楽しくて、こんな場所に来るのか知らないが、狭い道を通行されると危なくて仕方がない。
前回この辺りに来たのがいつだったか全く思い出せず、そもそも来たことがあったかという疑いすら生まれ、悲しくなる。
マークシティで夕食。
列車なのか、バスなのかわからないが、通るたびに店内が振動する。
山手線の乗り場まで行くのが面倒で、銀座線に乗る。
この銀座線の乗り場を使うのも、もう最後になるかもしれない。
久しぶりに、リアルタイムでTV放送の連続ドラマを視聴している。
TVerのおかげで、TV番組の視聴時間は確実に増加している。
見ているドラマはもちろん、「まだ結婚できない男」である。
今週も見た。
桑野信介がひどいことを言った、ということで話が進んでいたが、僕には何がひどいのかさっぱりわからなかった。
これは、たぶんとても危険な事態だ、くらいの認識はある。
きっと知らないところで、自分の言動が人を傷つけたり、怒らせたりしているのだろう。
ただ、そんなことを気にしていたら暮らしていけないだろうし(多少は気にしているが)、気にしたところできっと何も変わらないだろうから、余計なことを言わないよう慎もうと思う。
それよりも、野波麻帆の役に対して「婚活なんて、また若いのに」と言われたり、吉田羊が野波麻帆の高校時代の先輩であったりする設定が気になって、それで感情移入できなかっただけかもしれない。
人は見かけによらないと思う一方で、態度にはよるものだと思う。
その根拠をまた1つ、見つけたのかもしれない。
「ブラタモリ」、浦安の回を視聴。
タモリさんが東京ディズニーランドに行くのは、開園当時、姉の子供に頼まれて連れて行って以来、とのこと。
タモリさんのおい、もしくはめいという概念があり、存在しているという事実を、つい忘れてしまう。
タモリさんを叔父さんと呼べる人は、どういう人なんだろうかね。
深津絵里が、「平成8年度卒業 高校同窓会」に出席しているCMは、「1999年の夏休み」を見ていた世代としては、困惑する。
前にもあったが、役の年齢を、実年齢よりも若い設定にする、というのは、一種の儀礼なのかもしれない。
「派遣のオスカル」、しばらくは再放送できなくなるのか…。
話す力の試験なら、英語の前に母国語だろ、と思う。