2009-02-28 Sat.
休日
2009-02-28
2009年11月12日。
いや、平成二十一年十一月十二日。
いやいや、皇紀二千…、何年だっけ。
とにかく、何が催されるか、ご存じだろうか。
この日に、天皇が即位して20年が経過したことを記念し、記念式典が催される予定である。
このことは、2008年12月に閣議決定している。
そして、この日を国民の休日にするという動きがある。
既に、自民党内閣部会で了承されており、議員立法として法律が国会に提出される予定である。
法律は賛成多数で可決され、2009年11月12日が休日になることはほぼ間違いない。
…というニュースが、2008年10月に報じられた。
それから半年近くが経過した。
このニュースの続報は、今のところ見当たらない。
追跡報道を切に願う。
2009-02-27 Fri.
抱合
2009-02-27
最近のCM。
相武紗季が出ているCMが多い。
どうも、CMの作り手が「相武紗季を使っておけばいい」と考えている気がする。
僕はファンだから、別に構わないけれど。
それにも増して「後ろに、森三中を使っておけばいい」という風潮もはびこっているような気がする。
中島美嘉の後ろに、森三中。
上野樹里の後ろに、森三中。
相武紗季の後ろに、森三中。
パターン化されてしまった。
2009-02-26 Thu.
規律
2009-02-26
2009年2月25日。
国公立大学入試の2次試験前期日程の初日である。
新聞には、大手予備校である河合塾の広告が全面広告で掲載されていた。
広告の内容は、受験生を激励するものであった。
おそらく、この広告によって多くの受験生が勇気づけられたことだろう。
2009年2月26日。
国公立大学入試2次試験前期日程の2日目である。
新聞には、ある予備校の広告が全面広告で掲載されていた。
北予備東京。
すなわち、北九州予備校東京校の広告である。
「九州の伝説の予備校が、この春ついに東京へ。本気で浪人するなら、北予備です。」
と書いてある。
「伝説の予備校」というのがいい。
何故か、頭痛が痛くなった。
下に小さく
「※北予備のことは、ぜひお知り合いの九州出身の方にお尋ね下さい」
と書いてある。
聞きたいことがあれば、ぜひ答えてあげようと思う。
僕なら、全力で入学を止めてやる。
2009-02-25 Wed.
死活
2009-02-25
僕は生まれてから一貫して「バカ」である。
しかし、ある時期を境にして種類の異なる「バカ」となった。
現在の僕は「どうでしょうバカ」である。
しかし、「どうバカ」になる前までは、「どうでしょうを見ない本当のバカ」であった。
僕はある理由からローカル番組を毛嫌いしてきた。
なので、「「水曜どうでしょう」という番組が北海道で話題になっているらしい」という噂を聞きつけても、「ローカル番組である」という理由だけで見る気にはならなかった。
特に、テレビ朝日で「探偵!ナイトスクープ」が打ち切られ、代わりに「水曜どうでしょう」が放送された段にいたっては、遺憾の意を表明し、「北海道3大独特文化」の1つとして「水曜どうでしょう」を挙げるほどだった。
そのうち、大泉洋を全国区の番組で見るようになり、「この男は面白い」と気付いた。
その当時、独立UHF局で「水曜どうでしょうclassic」をやっていたので、軽い気持ちで見ることにした。
時は2006年10月まで進んでいた。
このとき、「アラスカ」の回をやっていた。
何週か見ていくにつれ、この番組の面白さを次第に理解するようになった。
決定的だったのは、オーロラを見る企画のはずなのに、当人たち(少なくともD陣)は見るための手を尽くしていないこと。
あまりに衝撃的で、テレビ企画の常識を覆された気がした。
その衝撃以来、僕は「どうでしょうバカ」を公言し、これまでの「視聴せず嫌い」を返上した。
お得意の「変節」とはいえ、「どうバカ」になるまで大変愚かな振る舞いをしてきたものだ。
素直に反省する。
今日、我が街の独立UHF局で放送されていた「水曜どうでしょう」が最終回を迎えた。
7年前の番組にもかかわらず、思わず胸が熱くなった。
ここ2年半ほど、「どうでしょう」を生きるための原動力としてきた。
今、それを失い、呆然としている。
見始めたのが遅かったのが完全に悪いのだが、あることが原因で「西日本縦断原付バイクの旅」を放送できなくなったという事態をかなり悔しく思っている。
それでも、D陣の「全てをDVD化する予定」という言葉を信じ、「西日本原付」がDVD化され、それを手に入れるまでは無事で生き続けよう、と心に決めている。
2009-02-24 Tue.
風潮
2009-02-24
イタリアには「オレンジ投げ祭り」というのがある。
もちろんだが、「投げたオレンジは全てスタッフで美味しくいただきました」というテロップが必要に違いない。
2009-02-23 Mon.
最高
2009-02-23
「命がけ、ってサイコー」らしい。
上地雄輔が、映画「ハムナプトラ3」のCMで言っていた。
この言葉の使いどころが難しいな、と常々思っていた。
しかし、ハドソン川に飛行機が不時着した事故に対しては、比較的前向きにつかうことができるだろう。
2009-02-22 Sun.
千鳥
2009-02-22
僕が最も行きたい場所の1つは、バチカンである。
ローマで無事に過ごせる自信はないが、生きているうちには行ってみたい。
なので、前大臣が体調が悪くてもバチカン観光に行ったのには、非常に共感できる。
しかし、どうせなら、税金でおみやげを買ってきて欲しかった。
2009-02-21 Sat.
巡礼
2009-02-21
「EXPACK500」で何かが送られてきた。
送り主は母親である。
中を開けるとビデオテープが2本入っていた。
テープの背には「四国八十八カ所巡礼の旅」と書いてある。
何も聞いていなければ、何かの宗教の勧誘かと思ってしまうところであった。
感激したので、これから毎朝このビデオを見ることにしようと思う。
2009-02-20 Fri.
気流
2009-02-20
ANAのCM。
「1日機長の石川遼です」と突然アナウンスされたら、あんな穏やかなリアクションにはならないだろう。
機内がどよめき、悲鳴、怒号が飛び交うだろう。
まあ、既に離陸できているのだから、もしかしたら彼は優れたパイロットなのかもしれない。
今日の教訓:座席に着いているときは、常にベルトを着用しよう。
2009-02-19 Thu.
発明
2009-02-19
カップ麺にお湯を注ぎ、ふたをする時、必ずやかんの底でふたの開いている部分をプレスする。
こうすることにより、ふたとカップが熱で接着される。
先日もいつものようにこの技を実践していると、知人に指摘された。
「それって、「発明将軍ダウンタウン」でやってたやつじゃない?」
確かにその東リである。
8番に緑が飛び込んだ。
僕はこの技をテレビで見て、約15年は実践している。
21世紀も9年目にさしかかり、こんな指摘を受けるとは、感慨深い。
この技をテレビで披露していたのは、当時中学生か高校生の女性だった。
優れた発明は、後世まで残る。
…いや、ただのウラ技か。
2009-02-18 Wed.
本質
2009-02-18
昔。
もちろん子供だった。
だから、確かな記憶はない。
記憶はないけれども、昔からマスメディアでこんなに露骨に「日米同盟」という言葉が出てきていたものだろうか。
「日米安保」ぐらいの言葉でごまかしていたように思える。
最近の報道で、日本も軍事同盟を結んでいたんだな、と改めて認識するようになった。
新聞の縮刷版を取り寄せて、地道に調べればすぐわかる。
しかし、さすがにそこまで暇ではないので、この問題は誰かの卒業論文のためにとっておこうと思う。
2009-02-17 Tue.
辞任
2009-02-17
何はともあれ、辞めて正解だと思う。
それにしても、気になることが3つ。
1つは、大臣の体調だ。
会見を見て、本当に心配になった。
あんな体調で記者会見に臨もうとする判断能力で、今後国会議員の職務を全うできるのだろうか。
本当に体調が心配なので、これを機にしっかり検査を受けて欲しい。
もう1つは、随行していた人たちの振る舞い。
大臣が錯乱状態なのに、何故会見の中止、もしくは延期を進言しなかったのだろう。
偉い人がたくさんついて行って、それくらいの判断はできないのだろうか。
あの会見により、国益を大きく損なったと思う。
官僚ならば、国益を第一に考えるべきだ。
ついでの1つは、記者の態度。
大臣があんな状態で、何故記者たちは誰も大臣の体調について質問しなかったのだろう。
それに、新聞においては、最初は小さな記事にとどめておいたくせに、1日経ったら急に騒ぎ始めた。
新聞も、官邸と同じで、当初は事態の深刻さに気付いていなかったんじゃないかと思う。
人の振り見て我が振り直せ。
気をつけようと思う。
2009-02-16 Mon.
下落
2009-02-16
僕が、世界史の中で最も好きな史実は、第1次世界大戦後にドイツで引き起こったハイパーインフレーションである。
第1次世界大戦後、ドイツは多額の賠償金を連合国側に支払うことになり、しかもフランスに工業地帯であるルール地方まで占拠されたのが原因で、インフレが進行した。
どれくらいかというと、1ドル=4.2マルクだったのが、最終的には4兆2000億マルクまで暴落した。
マルクは1兆分の1の価値に下落したのだ。
世界史の資料集に、当時のドイツ国民が多額の紙幣をリヤカーで引っ張っている写真が載っていた。
その写真を見て、僕は不謹慎にもひとり大爆笑、もとい、大笑いしていた。
もちろん、誰ともこの笑いを分かち合うことはできなかった。
そして、2009年。
ハイパーインフレーションは昔のことだと思っていた。
しかし、まさに現在進行形でハイパーインフレが進んでいる国がある。
南アフリカの一国、ジンバブエ共和国である、
どのくらいのインフレなのか、説明するのは難しい。
最新のデータだと、非公式だが、年率のインフレ率は6.5x10^108%である。
僕は無量大数までしか大きな数を知らないので、これをどう表現していいのかわからない。
ちなみに、失業率は80%を超えている。
ただ、今回のこの騒ぎについては、僕は笑うことはできない。
現在進行形の話であるからなのはもちろんではあるが、それだけではない。
対岸の火事ではないかもしれない、という恐怖があるからだ。
経済については、無学なので詳しいことはわからない。
でも、政府紙幣というのはどうも気持ちが悪いし、僕は信用できない。
何せ、中央銀行が発行する二千円札券ですら、国民の信用を得ていないのだから。
2009-02-15 Sun.
形成
2009-02-15
暇である。
国史に残るくらい暇である。
「己丑の閑暇」とか。
暇なので、これまで見てきた映画のリストを作成することにした。
いったいどんな映画を見て、自分というものが形成されているのか、後世に残したくなったのだ。
Bookshelf Applicationを使うと、比較的簡単にリストを作成することができる。
便利な世の中だ。
ところで、自分はいったいどれくらいの数の映画を見たことがあるか、これまで考えたこともなかった。
今回リストを作るにあたり、鑑賞した映画の本数を数えることができた。
その数、少なく見積もっても200本以上。
この数は、「男はつらいよ」シリーズ、「トラック野郎」シリーズ、「喜劇駅前」シリーズを除いた数である。
200本以上の映画を見ておいて、この程度の人間でしかないのか、と思うと、憂鬱になった。
何の成長もしていないし、何の教訓も得ていないし、何のユリイカにも巡り会っていない。
2009-02-14 Sat.
ジイサンズ11・その3
2009-02-14
8時、起床。
胸がいっぱいで何も食べられない。
いや、胸焼けがするだけだ。
胃薬を飲む。
昼過ぎ、実家を出て、タクシーでラーメン屋に乗り込む。
大盛りワンタン麺をオーダーする。
胸焼けがとまらないが、うまい。
さすが、小倉である。
店員の言葉が荒く、隣の客の振る舞いに不必要な緊張感が走る。
…これが、小倉である。
自分が何故小倉を離れたのか、その理由をまざまざと思い出すことができた。
エアポートバスで空港に向かう。
30分。
早い、近い。
空港で、ここ最近の毎月恒例、土産の物色をする。
北九州空港限定、キティの飛行機バージョンもよいが、結局「ご当地リラックマ」の「北九州限定 バナナのたたき売りでだららん」のチャームストラップを購入した。
早速、携帯電話に付ける。
定刻で、飛行機が離陸。
帰りももちろん、スターフライヤー。
今日は2月14日ということで、搭乗者全員にチョコレートをくれる、というアナウンス。
ラッキー。
…男性のキャビンアテンダントからチョコレートをもらった。
「逆チョコ」って、このことか。
ジェット気流に乗り、定刻で空港に到着。
リムジンバスとタクシーを乗り継ぎ、自宅に到着。
ビールを飲み、「酒場放浪記」を見ていると、携帯電話に母親から電話。
疲れたので、外で南仏料理を食べているらしい。
「もう小倉には帰らない」宣言をして、電話を切る。
2009-02-13 Fri.
ジイサンズ11・その2
2009-02-13
8時、起床。
めしを3杯食らう。
近所のおばさんにこれまた20年ぶりに会い、挨拶。
そして、移動。
滞りなく、作業を終了。
携帯電話を持つ祖父の写真が掲げられ、「らくらくフォンの広告か」とゆるいツッコミをする。
いつの間にか、壺を持たされる。
なにやら大役を担ってしまった。
国内では生まれて初めて、左ハンドルの車に乗る。
道路交通法を遵守するため、後部座席に乗り込むもシートベルトを付けさせられ、壺を抱える。
車内、さすがに母親がしんみりと黙っていた。
広い市内を横断し、山奥に到着する。
しばし時間調整と昼食。
こんなところで食べるメシなんてまずいだろう、と落ち込む。
しかし、頼んだかけうどんは意外にうまかった。
ところで、こんなところで何故メニューに肉うどんがあるのだろう。
食後、妹に菓子をたかられる。
さすが、小倉っ子である。
作業を着々とこなし、バスで移動。
盆地に到着。
十数年ぶりに住職に会い、深々と頭を下げる。
広間に掲げている集合写真で「ウォーリーを探せ」をし、首を痛める。
帰りのバスの車窓から、豪邸を発見する。
「今後の墓参りツアーにまた1つ行く場所が加わったな」と父親が独りごちる。
実家に戻り、酒屋から冷えたビールを配達してもらう。
そして、寿司を食いながら、ビールを飲む。
伯父さん曰く、「しかし、あんなまずいうどんは初めて食べた。会場の人は「おいしいですよ」って薦めてくれたんだけど」。
過剰な期待は禁物らしい。
母親曰く、「なんで車内で誰もしゃべらないんだ。静かすぎて頭が痛くなった」。
霊柩車内で饒舌な人なんているだろうか。
気を遣って、損した。
そして、気付いたら、父親と2人で吉田類の物真似をする自分がいた。
2009-02-12 Thu.
ジイサンズ11・その1
2009-02-12
小倉に帰ることになった。
5時55分、起床。
自宅にタクシーを呼び、タクシーで高速バス乗り場へ向かう。
高速バスで、空港へ。
高速はやや混んでいたが、ほぼ定刻で空港に到着する。
いつまでも慣れることのない搭乗手続きを危なっかしくこなし、手荷物を預ける。
そして、朝食にカレーを食べる。
前にも言及したが、この空港に来ると、何故かカレーライスが食べたくなる。
ATMを探し求めて、地下1階に。
羽田空港あるある。
「せっかくリムジンバスを出発ロビー階に横付けしてもらうのに、用事があるので必ず下の階に行く羽目になる」
定刻で、飛行機が離陸。
今日も、スターが乗り込むスターフライヤー。
キャビンアテンダントにコーヒーをお願いし、チョコレートを2つせしめる。
今朝は、富士山がきれいに見える。
少し経つと、眼下に琵琶湖も見えた。
空港上空でやや回遊した後、定刻通り北九州空港に着陸。
預けた手荷物を受け取り、ロビーに出ると、メーテルがお出迎え。
エアポートバスで、駅に移動。
35分で駅に到着。
早い、便利。
腹がへったので、ラーメンを食べることにする。
こんなことなら、正月に無理してラーメンを食べなければよかった。
ありがたみに欠ける。
そうだよ、あれに見えるが「チャチャタウン」だよ、何か文句ある?
実家に到着し、少し休憩。
「いいとも!」と叫び、「何が出るかな?」と歌い、人差し指と小指を立てて「いいテレビ!」とのたまう。
「ミヤネ屋」をチラ見した後、移動。
関東から来た伯父さんに実に20年ぶりの再会。
適宜、作業をこなす。
何とか終えて、夕食。
肉や魚のない料理なのに、ビールを17本空ける。
「まあ、中ビンやったし」というのが父親の談。
しかし、僕はその役を任されなかったが、何で夜通し起きていかなければならないのだろう。
去年、確かこれが原因で、全焼した家があったはずだ。
2009-02-11 Wed.
表示
2009-02-11
昨年、自宅のテレビにケーブルテレビを投入した。
おかげ様で「アナログ」の文字は表示されなくなった。
「4:3」の画面であることは未だ変わらないが。
しかし、4年前に買ったハードディスクレコーダーは未だ健在である。
録画の方には、しっかり「アナログ」の文字が表示されている。
だけど、別に構わない。
激しく憤っているけど、別に構わない。
そんなに視聴者に「地デジ」喚起したいのなら、徹底して欲しい。
何故、CM中には「アナログ」と表示されないのだろうか。
きっと、テレビ局は、古くからの視聴者よりクライアントの意向を気にしているのだろう。
2009-02-10 Tue.
法螺
2009-02-10
バッファロー吾郎の木村さんが、番組中ホラ貝の音が鳴ると、すかさずこう言っていた。
「あれ、「三枝の国盗りゲーム」が始まるんですか?」
週末の、テレビ朝日50周年記念番組の昼の部で、「三枝の国盗りゲーム」の映像が流れていた。
何だか懐かしくなった。
2009-02-09 Mon.
逆行
2009-02-09
今の世の中、みんな必死である。
「逆チョコ」という発想には、頭が下がる。
全く、世紀末である。
いや、正統に戻ったのか。
政府も、定額給付チョコでも配ればいいのに。
2009-02-08 Sun.
出身
2009-02-08
世の中には、有名大学を卒業したお笑い芸人がいるらしい。
現代のテレビ番組には欠かせない存在になっているようだ。
結構。
ところで、最近、驚いたことがある。
それはサンミュージック所属、お笑いコンビ髭男爵のひぐち君についてのことである。
なんと彼は、修猷館高校出身らしい。
修猷館とは、創立200年を超える福岡県下随一の名門校である。
福岡県出身の人で、知らない人はいない、書ける人はぐっと減るが。
廣田弘毅元首相に並ぶ名士として、末代までひぐち君の名が残ることは間違いないだろう。
いや、名を残さねばならぬ。
ただし、ひぐち君は留年したらしいが。
2009-02-07 Sat.
固有
2009-02-07
Wiiの「みんなで投票チャンネル」で、以下のような質問が出された。
日本国内の島の名前を5つ以上言える?(北海道、本州、四国、九州、沖縄本島を除く)
簡単である。
下の2つは、歯舞群島を形成する島である。
2009-02-06 Fri.
夜景
2009-02-06
神戸の夜景は「100万ドルの夜景」と言われる。
1950年代、神戸周辺の1か月の電気代の合計が100万ドルだったのが、その由来である。
ところで、「100億ドルの夜景」というのがあるのをご存じだろうか。
「100億ドルの夜景」が拝めるのは、北九州にある皿倉山である。
実際に看板も立っている。
地元でも、「それは言い過ぎだろ」という声が後を絶たない。
2009-02-05 Thu.
餃子
2009-02-05
たまに、「好きな食べ物は何?」と聞かれることがある。
比較的舌が肥えている方である、と自認している僕であるが、この質問には以下のように答える。
答えだけ見れば、まるで子供のようである。
この3つの好物の中でも、餃子が特に好きだ。
毎週食べているが、飽きない。
もちろん、宇都宮まで食べに行ったことも何度もある。
お取り寄せまでしたこともある。
餃子と言えば、宇都宮が有名だが、最近、浜松が「餃子の街」として名乗りを上げた。
まったく結構なことだが、それに乗じて僕も言いたいことがある。
北九州も餃子の街である!
その昔、まだ北九州が「製鉄の街」としてにぎわっていた頃。
八幡製鉄所で知られる八幡では、多くの製鉄マンが働いていた。
その製鉄マンが、日頃の肉体労働を支える栄養源として、ニンニク入り餃子を好んで食べていた。
主に鉄鍋餃子が好んで食べられたようだが、おそらく製鉄の街という自負があったからであろう。
歴史もはっきりしている、由緒正しい名物である。
…という話は、ウェブで最近知った情報である。
地元小倉で、そんな話を聞いたことはほとんどない。
もしかしたら、八幡の方では盛り上がっているのかもしれない。
八幡ぎょうざ公式ブログ
高炉のように灯が消えないことを願う。
2009-02-04 Wed.
蘇連
2009-02-04
「ヴ」という表記がある。
[v]の音を表現するために用いられる。
僕は、この「ヴ」という表記があまり好きではない。
これにより、表記がぶれてしまい、どちらで書いていいのか迷ってしまうからだ。
ところで、僕の実家には平凡社の世界大百科事典があった。
全30数冊からなる事典である。
僕が生まれた頃、父親が何らかの期待を込めて購入した。
おそらく30万円はしたと思う。
父親には、「わからないことがあったら事典を引け」と教育された。
僕が事典に触れたのは、事典についていた地図帳を眺めた際と、小学校の課題で出された押し花作りのために重しとして利用した時だけである。
父親の期待を完全に裏切ってしまった。
ただ、1つだけ、事典に書かれてあったことで印象に残っていることがある。
それは、「ソヴェト」という項目である。
「ソヴェト」とは、ロシア語で言う「会議」のことである。
子供ながらに、「これは「ソビエト」のことではないか」と疑問に思った。
たぶん、いつかの時代で「ソビエト」のことを「ソヴェト」と表記していたのだろう、と推測される。
それにしても、「ソビエト」を「ソヴェト」と書くのはいささか気持ち悪い。
まあ、「あ゛」書かれるよりはましだが。
2009-02-03 Tue.
節分
2009-02-03
僕は、比較的行事を大事にしている。
端午の節句には菖蒲湯に入るし、冬至にはゆず湯に入る。
しかし、節分に限っては別である。
僕は、豆まきが嫌いだ。
ちゃんと理由がある。
豆をまくと、ちらかる。
僕の実家では、豆まきの後の掃除は、必ず僕の仕事だった。
このような手を煩わせる行事は、負担になるので、軽減する方向で調整している。
最近では、「恵方巻」というのを見かけるようになった。
一地方の伝統をなぜ全国規模に広げようとしているのか、と抵抗したい気持ちはある。
しかし、最近、その抵抗をゆるめることにした。
「関西出身の人が他の地域でも縁起かつぎが実行できるように、恵方巻が全国で売られているのだ」と解釈するようにしたのだ。
なので、恵方巻の販売だけは認めるようにしている。
だけど、恵方巻を決して買ったりはしない。
そんな習慣は、僕にはないのだ。
ところで、自宅の近所のスーパーでは、「森恵方巻」というのが売られている。
オペラ歌手の森公美子がプロデュースした恵方巻である。
確か、森公美子は宮城県出身だったはずである。
彼女と「恵方巻」との接点はないように思えるが、「元祖あばれ寿司」という番組をやっているので、まあよしとしよう。
2009-02-02 Mon.
六人
2009-02-02
もうみんな忘れかけている。
我が国を代表する国民的グループに、あるメンバーがいたことを。
その国民的グループは、歌も歌っているし、コントもできる。
俳優業もこなしている。
その国民的グループにいたあるメンバーは、「幻の第六の男」と呼ばれた。
グループが写っている初期の写真には、その男も写っていた。
しかし、時を経てその男はグループから去った。
それ以来、マスメディアはその男のことには触れず、黙殺し続けてきた。
現在では、その男がグループにいたことを知らない人もいる。
過去は完全に封印された。
これは大きな社会的損失であるため、僕は声高にその事実を叫ぼうと思う。
その男とは、すわしんじ。
国民的グループとは、ザ・ドリフターズのことである。
そんなことに思いをはせながら、「SMAPがんばりますっ!!」を楽しく拝見させていただきました。
2009-02-01 Sun.
成長
2009-02-01
この話は、ある人物を知らない人にとっては全くわからないだろうし、知っている人にとっては読むに値しない話である。
高校の時、ある質問を考えついた。
それは、北部九州に住む人間の成熟度合いを測るテストである。
質問の内容は次の通りである。
あなたは、ばってん荒川の本当の性別にいつ気付きましたか。
僕の場合、この質問の答えは「小学3年生の時」である。
ばってん荒川があるCMでメイク無しで登場したのを見て、気付かされたのである。
このとき、僕は確実に大人の階段を1段上った。
ばってん荒川が亡くなって、もう2年以上経ってしまった。
このネタが通じなくなる時代が確実に迫っていることが、ひどく寂しい。