2023-08-30 Wed.
福家
2023-08-30
有楽町駅で降りる。
銀座口の方に向かい、ルミネストリートを抜ける。
この辺に甘栗屋があったものだが、といつも思うのだが、いつの記憶なのかはわからない。
「8階にある」という情報だけで、マリオンの方まで歩いてきたのだが、どうやら間違っていたようだ。
調べ直し、ビックカメラ有楽町店がある、読売会館へと向かう。
ここに来るまでにポプラに寄りたかったのだが、導線にあった生活彩家はローソンに変わってしまった。
時間が少しあるので、ビックカメラの店内を冷やかす。
「持っているタブレットが使えなくなったらどうしよう」という不安がいつもあり、タブレット売り場を探索。
店員に丁重なお断りを告げ、候補の値段をチェックする。
今だったら、OPPOにするだろう。
ふと見ると、aiwaがタブレットがある。
石橋凌が宣伝している。
6階までエスカレータ、そこから階段を上る。
7階のカフェは、今後使い勝手がありそうな立地だ。
8階に上がると、人が多い印象。
受付で時間を告げ、両隣に人がいない中央席を選び、現金で支払っている途中で、開場。
水曜は、料金が1,300円だそうだ。
それもあるし、1週目ということもあるから、人が多いのだろう。
角川シネマ有楽町に来たのは、前身を含めて、たぶん初めてだと思う。
3割程度埋まった席で、予告編が始まる。
ライトな予告編が、ほどよい。
「シーナ&ロケッツ 鮎川誠~ロックと家族の絆~」。
映画館で上映されるのは知っていたが、TV版を見ていたので、「もういいか」と考えていた。
何せ、後ろにTBSがいる以上、のこのこと見に行くわけにはいかない。
そんな時、「PAO~N」のコーナーに、監督の寺井さんが出ていたのを聞いて、TV版にはない未公開映像と甲本ヒロトのコメントがあること、そして、音楽をぜひ映画館で聞いてください、との言葉に考えが変わった。
RKBの人がKBCのラジオに、しかもその日東京で仕事をしていて、台風で飛行機が飛ぶかどうかわからないところを帰福して出演し、そしてKBCシネマで上映するのだ。
自分の信条など、どぶ川に捨ててしまえばいい。
鮎川誠とシーナの生い立ちから追っていくのだが、先日視聴した武田鉄矢と回る久留米の番組、鮎川誠が単独で久留米を訪れる番組、そしてドラマ「You May Dream」で描かれた情報が重なる。
シーナに歌うよう詰め寄ったボーカルの女性は、その後どうなったのだろう。
開始当初からかなり苦しい思いがしたのだが、甲本ヒロトが下北沢で見た鮎川誠とシーナの姿を語るシーンで、涙がこぼれた。
そこからは、鼻水が止まらない。
映画館を出て、呆然としたまま街を歩き、餃子屋で昼食。
喪失感の正体にたどり着いた気がする。
ことあるごとに繰り返しているように、僕の鮎川誠ファーストタッチはポプラのCMである。
同年代であるバイきんぐ小峠氏が言っていたのと同じように。
シャープなフォルム、それに似つかわしくないように見える穏やかなコンビニCM、バックにかかる歌の印象深い歌詞。
道端のポプラを目にするたびに、「やっぱ九州のコンビニはポプラやね」と言って入店し、のちに広島に本社があることに顰蹙を覚えたものだ。
上京して、青山通りにポプラを発見し、その前を通るたびに「やっぱ九州のコンビニは…」と何度も唱えた。
方言が抜けきれず、人前で話すことを苦にしていた自分にとって、全国放送のTVでも筑後弁で語り続ける鮎川誠の姿は不思議で仕方なかった。
「いいとも」に出たときに「DOS/Vブルース」の上梓を披露したのを見て、読まずして傑作だと確信した。
時間が経つにつれ、自分が知っていた曲のいくつかが実はシーナ&ロケッツのものだと知り、意識せず見ていたローカルCMの数々を思い出し、黒霧島を飲むようになり、ニューイヤーズロックの番宣を毎年楽しみにするようになった。
シーナが若松の人であることを知ったのも、かなり後だった。
飾らずに、曲げずに、自分のしたいことを突き通す。
ポプラのCMから時間が経過して、その偉大さを少しずつ思い知らされるのだから、重々しい。
喪失感の正体。
それは、誇り高き地元の先輩を失ったことによる虚脱感だ。
「うちの地元には、こんなすごい人がおるんやぞ。お前んとこに、こんな人おるか?」
そんなことを意識していたのだ。
小松政夫が亡くなった時も同じことを思ったけど、芯のある人たちと地元が一緒であることに、力をもらっていた。
規模は小さいながらも、自分が苦境に立たされた時や、絶望的状況に追い込まれた時に、「まあ、何かできるやろ」と思えたのも、そのあたりからの救いを勝手に設定していたように感じる。
ありもしないつながりを仮想して、それにしがみついて、ない線を手繰り寄せるせるように暮らしてきた。
それで、どこか安心していたところがあった。
でも、鮎川誠はもういない。
今後のことを考えると、怖い。
もつのか、自分。
へしゃげても誰も相手にしてくれない。
十分にたくさんのものをいただいた。
これからは好きなことを見つけて、それを1つでも多くやろう。
そして、それ以外のことで、自分のことで手いっぱいにならないようにしよう。
周りに感謝して、好きなようにしてもらおう。
ハイボールと紹興酒で、かなり仕上がってしまった。
少し歩いて、東京ミッドタウン八重洲を探索。
店の並びを眺めていて、幸せを感じる。
思い返せば自分も運がよくて、いくつかのめぐりあわせもあって、夢のような暮らしを送っている。
頼まれごとは、時間つなぎでやらされているものではなく、自分のオリジナリティを発揮できるものにたどり付けている。
傍からすると、乏しく歩く自分の姿が惨め見えるかもしれない。
でも、本人にすると、街を見て目くるめく思いができるのは、本当に恵まれていることだ。
とりあえず今日見た映画を参考にして、長年気にかかっている「福岡出身のおじさん特有の髪型」の実践を試みようと思う。
2023-08-26 Sat.
歩測
2023-08-26
徒歩で向かうのが本筋なのかもしれないが、そんな根性はない。
自宅最寄りの電車の時刻だけを記憶していて、乗り換え時刻まではよく見ていなかった。
乗換駅に着いて、次の電車の時刻を見ると、間近に迫っている。
いろいろあきらめて、コンビニで350mlを2本としょっつるするめを買い、乗り場でグリーン券を購入すると、電車が到着。
今日も、2階。
動くとともに缶を開ける。
行けども、行けども、家である。
千葉駅に、地味な出口があることに初めて気づいた。
出発した先には、ミニトレインがある。
ラジオは、「めぐみのラジオ」。
長岡大雅アナウンサーがトークライブを行う告知、ゲストはファンキー加藤。
湖月堂はふるさとWish北九州市を応援し、懸垂式モノレールは支柱が物々しい。
都賀駅には、カラオケ大賞のスポンサーの看板。
番組に出るのに出演料を払わなければならないところが、先進的。
四街道駅で多くの中学生が降り、さすがにここまで来ると田が広がり、早くも稲穂が揺れている。
本当に空港方面に行くのか不安になりはしないか。
成田駅で降り、4両編成に乗り換える。
佐原駅に到着。
周遊バスに乗り、香取神宮に着く。
参道をのぼり、灯篭に刻まれた建立者の名と職業を見て、ここでは書けないことをつぶやく。
本堂を参り、裏手の鹿苑へと回る。
ボランティアで鹿の世話をする人を募集しているチラシが貼ってある。
神の使いを無償で世話させようとする考え方がよくわからない。
よくわからないので、入場料を払って宝物館を見学する。
「海獣葡萄鏡」が興味深い。
木彫りの狛犬に思いをはせ、自動販売機でネクターを購入。
21世紀なって初めて、細い缶のネクターを買った。
境内にはところどころ福田派や安倍派の雰囲気が漂っており、不勉強を恥じる。
さすがに、ツクツクボウシが鳴いている。
要石が地震を抑えている、のだとか。
奥宮は、伊勢神宮の式年遷宮で使われなくなった木材で建立されたとのこと。
そういう使い方があるのかと、また勉強。
山を下りると、山村新治郎の胸像。
詳しくは知らないが、「男・山新」くらいの知識はある。
立派な人だし、数奇な人生である。
周遊バスで戻り、山車会館を訪れる。
館内には山車が飾られており、なんとも言えない香りが立ち込めている。
ビデオが流れる時間となり、一人で見る。
祭りは、僕とは最も縁遠い概念であり、今日もよくわからない。
昼食は、ひよって、ビールとピザとする。
ドラフトビールが4種類あるということで、New England IPAを頼み、ピザはビスマルク。
どちらもおいしかった。
ただ、自分はつまらない人間で、ビールはどうもピルスナータイプが好みであるようだ。
スーパードライが、工業製品として最も優れていると考える。
ビールのためだけに、チェコに行ってみたい。
今回の旅の目的は、伊能忠敬である。
まずは、旧宅を訪れる。
家訓というものを知り、石に刻まれた家訓を心に刻む。
これを書いている時点では内容は忘れたので、ウェブサイトで調べ直す。
続いて、樋橋を渡る。
通称「ジャージャー橋」といい、用水を対岸に通していた。
今は、観光のため、時間が来ると水が流れ落ちる仕組みである。
そして、伊能忠敬記念館。
地図にある、細かい町名がすごい。
「好きなことを見つけ、機会を待ち、全力を尽くせ」と、ビデオの伊能忠敬に言われ、感服する。
時間が余った。
街などを見て回る。
一時期は当然、観光のためではなく街並みが残っていたのだから、一時の旺盛からはずいぶんと取り残された街だったのであろう。
これに価値を見出すことは難しいことだと思うし、やはり残っていることは素晴らしいことだと思う。
難点は、東京からはちょっと遠すぎることだ。
駅まで歩くことにする。
途中で「とらやき」を購入し、家に高菜漬けがあるので、鉄砲漬けは我慢した。
そもそも、鉄砲漬けが苦手だった気もする。
駅の近くまで来ても列車の時刻まで時間があるようなので、喫茶店を探す。
最近できた施設の中に、コーヒーショップを見つける。
店名に「北緯35度、東経140度」とあるが本当だろうか、と店の人に尋ねそうになったが、店員は明らかにパートタイムのようだし、煩わせるわけにもいかないし、調べればわかることなので、静かにホットコーヒーをすする。
この施設は図書館も兼ねていて、夜にはビアガーデンもやっているそうだ。
ちなみに、「北緯35度、東経140度」の交点は、千倉の沖にある。
佐原駅に戻る。
成田線は遅延しているようだが、自分が乗る列車は定刻に発車した。
車窓から、利根川の対岸にあるユニーが遠くに見える。
あそこ、20世紀にアルバイトで佐原駅からタクシーで行った。
今は、ドン・キホーテになっているようだ。
NHKプラスで見逃し配信を見ようとしたが、またログアウトされている。
2023-08-18 Fri.
境界
2023-08-18
男・還暦祭りの先行予約を済ませ、出かける。
渋谷駅で降りる。
プラットフォームからハチ公口改札に行くまでに、早くも憂鬱になる。
大きな男と、女装おじさんの脇を抜け、階段を降りる。
道玄坂は、えげつないにおいが立ち込めており、歩道の脇には一切近づけない。
道とん堀劇場の前を通る。
松村邦洋の話だと、看板屋が「道玄坂」とするところを間違えたからこの名になった、とのこと。
午前中でも、ホテル街は縁遠い。
ユーロスペースに到着。
公式ウェブサイトで上映開始時刻を確認してから来たが、ぎりぎりの時間になった。
ここに来るのはおそらく5回目だが、相変わらずここにくる時は時間が遅れがちになる。
渋谷の地理が方向感覚を鈍らせるのと、渋谷の街の移動時間を正確に読むことができないことが、理由だと思う。
入り口には、「山女」の横断幕。
エレベータで3階に上がったが、フロントの後ろに掲げられた情報を確認すると、上映時刻がウェブサイトと異なる。
どうやら、事前に見ておいた映画情報を集めた外部サイトの情報の方が正しかった。
把握していた時刻より遅かったので、よかった。
窓口には客がいて、スタッフと話している。
スタッフが相手の名前を確認し、自分の名前を告げる。
2人は知り合いのようだ。
スタッフが「今日は眼鏡をしていないので、わからないかもしれませんが」と答えている。
自分の番が来て、映画の名前を告げると、スタッフから「スクリーンが1と2で逆なのですが、いいですか」と言われた。
事前に報知している、そして窓口の後ろに掲げているスクリーン1・2で上映する作品が、実際は逆であるらしい。
スクリーンが事前情報と異なるから見ない、という人もいてもいいのだが、気にしないので「はい」と答える。
席を指定するように言われ、ディスプレイを指さし、後方中心の座席を求める。
でも、なんかうまくいかないらしく、チケットに手書きで座席番号を修正してくれた。
トイレで用を済ませ、フロントのベンチに腰掛けると、先ほどのスタッフが歩み寄ってきた。
眼鏡を着用したスタッフから「もう一度、座席指定をしていただいてもいいですか」と頼まれ、また窓口に行く。
どうやら、もう一方のスクリーンの座席を確保してしまったようで、改めて正しいスクリーンの座席を確保してもらい、チケットを得る。
眼鏡をかけた以上、このスタッフのこれからの働きには大いに期待できる。
手続きを終えて振り返ると、先ほどまで10人分ほど空いていたベンチがすべて埋まっていた。
普段自分がいる場所と比較すると、ミニシアターは、時間の流れ方がまだまだ違うようだ。
ポスターを眺めて、時間をつぶす。
近々、「台風クラブ」4Kレストア版が公開されるようだ。
シナリオや出演者インタビューなどが収録された書籍も刊行されるらしい。
きっと見に行ってしまうのだろう。
開場時間が訪れ、上映室に入り、しばし待って、予告編が始まる。
「福田村事件」、見に行くだろうか、たぶん見ないだろう。
田中麗奈さんをスクリーンで見た、ということで、済の箱に入れる。
久保田紗友主演「Love Will Tear Us Apart」は、人がたくさん死ぬみたいで、興味を持てた。
暗くない映画を求める。
映画「658km、陽子の旅」。
ロードムービーが大好き、というだけで、つい見に来てしまった。
デビュー以来終始華やかな印象があった菊地凛子がコミュニケーションを苦手とする役を演じており、その演技に圧倒された。
内容は納得のいくもので、秀逸だったのは、トラブルに見舞われた竹原ピストル演じる男性に向けて妻が言った「運転、代わろうか?」のセリフ。
「相手は絶対に断る」と見越した申し出を差し込むところに、監督の粋を感じた。
映画が終わり、階段を降りる。
2階では「東京学生映画祭」が開催されており、地下1階では「国葬の日」の試写会が行われていた。
みんな、タフである。
坂を上り、まだ餃子の王将。
カウンターでハイボールを3杯飲んで外に出ると、真夏の太陽が熱い。
マークシティの中を下り、啓文堂書店に入る。
入った瞬間、旦過橋QUESTの記憶がよみがえる空気。
渋谷からいくつも書店が撤退したが、まだまだこの雰囲気が残っているものだなと思う。
いったん地上に出て、また地下に戻り、渋谷東急フードショー。
「渋谷の底」という感じの強い空気感。
もちろん、換気はされているだろう。
帰ったら、ハイボールのせいか、渋谷のせいか、暑さのせいか、体がだるい。
2023-08-14 Mon.
夏空
2023-08-14
「ファミリーヒストリー」(NHK)草刈正雄回を視聴。
高校野球中継番組の合間に流れた番組予告で放送を知った。
絶対に見なければならない、なぜなら僕は小倉の人間だからであり、小倉で最もハンサムな人物が取り上げられるからである。
「東映会館でも映るんかね」ぐらいにしか思っていなかった。
番組の紹介文を見て、声を上げた。
草刈正雄の父親が10年前まで生存していた、と書いてある。
実際に番組を見ても、知らなかった事実に呆然とするばかりで、言葉をのんだ。
まず、小倉市民として、である。
郷土が輩出した名優の父親はアメリカ軍人であり消息不明である、というのは、厳然とした事実として広く知られてきた。
小倉の歴史を抱えている市民である僕は、「この話はこれで終わり、追求するは必要はなし」として扱ってきた感がある。
それが、本人も知らないことが知らされ、実際には異なっていたことがわかったのだから、唖然とした。
同時に、芸能界史としても、重大な事実となった。
本人の口から長年語られてきた「父親は朝鮮戦争で戦死した」という話が、思いもしない形で覆ったのだから。
十分に長いキャリアを持つ俳優の十分に共有されていたことについて、新たな事実が判明した、ということに、多くの視聴者が衝撃を受けたことだろう。
そして、これに最も驚いたのだが、アメリカの情報化事情である。
カタカナ表記でしかわからない姓名、陸海のどちらに所属していたかは不明であるもの軍人であり日本に駐留していたこと、ある程度の生年、本人の父親が郵便局員であったらしいこと、さらに、若いころの草刈正雄のインタビューから推定される出身地。
この程度の情報で、消息をたどることができた。
もちろん、これらの手がかりだけでは、かなり苦戦したことだろう。
実際、「スペルのバリエーションから、20万人ほどの可能性がある」というようなことが途中で言及されていた。
その可能性を1つ1つつぶすには膨大な時間と手間がかかった、と想像できる。
それでも、調べる手立てが整備されているのは極めて強力だ。
なぜなら、後は時間をかけることさえできれば、いずれ目標物にたどり着くことができるからだ。
これも、データが電子化されているから、なせる業だ。
たとえ軍人・軍属の記録が残っていようと、紙をめくって探すのと、キーボードをたたいて探すのでは、全く異なる。
現状は1つずつ見ていく必要があるだろうが、電子化されているなら、いずれは、探索のプログラミング化、自動化も期待できる。
紙の記録のままでは、まず無理だ。
とても追いつくことのできないほどに豊かな情報化社会が、アメリカでは実現している。
今回は、70年も昔のことが現在とぎりぎりで結びついて、事実が判明した。
タイミングにも恵まれた、奇跡とも呼べるものであった。
結果を受け止めることは、当事者がするものだ。
異国の地で過去を抱え込んだ人たちを含めた救いになれば、と祈るのみだ。
視聴者としてはただただ驚いたまま、番組が終わった。
同じ番組にもかかわらず、高橋克実回と、視聴後感が全く異なる。
2023-08-13 Sun.
無私
2023-08-13
忘れっぽくなってしまい、直近の過去のことを思い出せなくなったこともあり、今年は半年ごとに振り返りの機会を設けよう、と年初に決めた。
本来なら6月にその作業を行っていたはずだが、そのタイミングでPCを修理に出すことになった。
手元にPCがなく、過去を振り返るのもおっくうになってしまった。
そして、特に何もしないまま、今日にいたる。
ところで、2023年の投資活動を、最近ほぼ終えた。
「ほぼ」と言っているのは、積み立てがまだ続いているのと、機会を見て売却する資産が残っているからだ。
いいタイミングなので、今年の前半戦を振り返っておきたい。
ここまで、年初に決めた計画を遂行してきた。
具体的には、半月に一度インデックスファンドを5ドルずつ購入する、というものだ。
計算が誤っていたのか、予定していた投資額を使い切ってしまったため、途中で購入を取りやめた。
幸運にも資産を売却するような事態に陥ることはなく、バイ・アンド・ホールド戦略を貫いている。
幸運とは、実につまらなく、ありがたみを感じ難いものなのだ。
そんな風に過ごしていたら、2024年以降のNISA制度についての発表があった。
大幅な拡充である。
「そんなに弾がないよ」というのが、ひとまずの感想だ。
2022年、過去最悪の損失額を記録した。
2023年の前半を終え、多少の回復があるが、昨年分を取り戻すまでには到底至らない。
円安もまた進んでいる。
近隣のラーメン店が外国人客でいっぱいで、昼に入店することがかなわない。
インバウンドの復調を喜んでいいことなのか、素直には受け止められないでいる。
さて、僕は「やめよう」と思っていることがあって、それはポジション・トークである。
自分が有利になることを強調することなく、他人に行動を促すことは控えよう、と心がけている。
心がけているだけで、実際にできないのが、情けない限りだ。
投資に関して、僕のポジションは「インデックス投資中心」というものである。
そのうえで、もし他人に投資に関するアドバイスを求められたら、どう答えればよいか悩む。
自分が信じ、続けているやり方をそのまま教えることもあるが、本当にそれでいいのだろうか。
インデックス投資を進めている僕にとって、困ることがいくつかある。
その1つが、市場の公平性が失われることである。
場合によっては、閉鎖的でいびつな市場の方が、相手を出し抜く機会を狙うものにとっては有利なのかもしれない。
僕は、自分のポジションを優先し、開かれた市場を強く希求する。
情報や機会が独占されず、誰もが均等にアクセスできる環境を求めている。
別に、それがあるべき姿だ、とは思えない。
単に楽をしたいだけだからだ。
困ることのもう1つは、誰しもがインデックス投資を実施することである。
多くの人々が考えることなく市場を一律に購入してしまうと、そこに価格の調整が働くのかが怪しくなる。
市場に織り込まれていない情報がないか血眼になって探す人がいるからこそ、インデックス投資はうまくいく。
別に、日本銀行に言っているわけではない。
だから、もし意見を求められるとしたら、次のようなことを言うだろう。
「インデックス投資なんてつまらないし、大きく儲からないよ。臆病者がやることだ。市場に従ってないで、優秀な能力を生かして、市場のゆがみを見つけてみるべきだ。君ならきっとできる。でもそのためには、誰もが参加できる市場じゃないとダメだよね」
「優秀な能力」という表現はおおよそ虚飾だが、でもそれ以外は本心である。
これが「ポジション・トーク」と呼ばれるのなら、それは受け入れる。
身近にいないみなさんには、もっと博徒魂を燃やしてほしいものだ。
そしてたぶん、妹の子から質問を受けたら、「現代ポートフォリオ理論を理解せよ」とアドバイスする。
説明なくインデックス投資を進めるのも、なんか考えもののように感じる。
思考停止をもたらすだけで、その人のためになっているのだろうか。
2023-08-06 Sun.
覆水
2023-08-06
ようやくPCが戻ってきた。
2023年6月のある日、自宅ノートPCのふたを開くと、メリメリと音がすることに気付いた。
初めのうちは何の音なのかわからなかったのだが、次第にふたが開きづらくなってきた。
改めて確認すると、画面の周辺が盛り上がっている。
ふたの中の部品が折れていて、ふたの動きに連動できず、折れた個所が画面の周辺を押し上げているようだ。
メリメリという音は、両面テープで貼り付けられた画面周辺のフレームがはがれる音だ。
両面テープでくっつけていたとは、意外だった。
破損の原因が思い当たらない。
広末涼子の記事を見て、ふたを強く開いてしまったのかもしれない。
作動には影響なく、このままでも、使えることは使える。
でも、ふたを開くたびにメリメリと音がして不安だし、今以上に壊すのではないかと気を遣う。
購入して4年、まだまだ使っていくつもりなので、修理してもらうことにした。
メーカーのウェブサイトからフォームに記入して登録した。
すると、次の日に電話がかかってきた。
やり取りをした結果、メーカーにPCを送付した。
1週間後、修理費用の見積書がメールで送付されてきた。
目を疑うような金額。
手数料込みで、ほぼ購入金額と同じだ。
壊れた小さな部品の交換だけではなく、ふたもキーボードも、外側の躯体はほとんど交換するようだ。
今の時代、自分のようなPCの使い方であれば、どのメーカーの商品を買っても問題ない性能を得られるので、あとは値段を考えればいい、と思っていた。
だが、それでは足りず、キーボードの配置、外部インタフェースに加え、躯体の強度についても考えておく必要があった。
新しいPCを買うことも考えた。
でも、現PCの性能に不満はないし、昨今の半導体事情では新しいPCの値段は高い。
気に入るスペックのPCがあるとも限らない。
なので、修理をお願いすることにした。
修理をお願いしている間、手元にPCがない生活を過ごした。
PCがなくてもスマートフォンとタブレットがあるので、日常の連絡や情報収集に問題はなかった。
電子書籍の閲覧、動画試聴、radikoの聴収も普段通り利用できた。
一方で入力系、具体的には日誌や出納の記入、各ウェブサイトへの登録やデータ送信、円天の購入やバイナリオプションの取引などは滞った。
タブレットから入力し、作業を継続することもできたであろう。
しかし、一時的な作業のための設定や移行が面倒なので、紙の記入で代替した。
ノートPCをやめる、Windowsをやめるという未来も、もしかしたら来るのかもしれない。
送付から3週間後、修理を終えたPCが戻ってきた。
中身はそのままで、外がすっかりと変わってしまったようだ。
もちろん、ふたの様子は問題ない。
しかしながら、今度は側面の指紋認証センサーの反応がよくない。
よく見ると、躯体の中にある指紋認証センサーと、側面の穴の位置がずれているように見える。
ふたの破損で修理をお願いしたが、キーボード部分の取り換えまでしてくれて、その結果の不具合が生じてしまったようだ。
不具合箇所以外の修理とは、最近よく聞く話に似ているが、当然それとは違う必要な修理だったのだろう。
とにかく、再連絡して、引き取ってもらった。
事象が再現したようで、指紋センサーを取り換えてもらい、1週間ほどでPCが戻ってきた。
再度確認すると、指紋センサーは問題なく作動している。
メーカーにPCを送付してから約1か月半、PCのない生活を過ごした。
独り暮らしを始めPCを購入して以来、これほどの期間、PCのないことはなかった。
なくても過ごせたような気もするし、なかったから滞ったこともきっとあったのだろう。
いずれにせよ過去はもう取り戻せない。
元の生活に戻すつもりだけど、戻らないかもしれない。