曇天の続き

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2016-06-27 Mon.

贈呈

2016-06-27

誕生月に送られてくる「ねんきん定期便」を見ると、年を取ることに気が滅入る。

学生納付特例制度期間分の追納に応じたいのだが、すでに10年以上経過しているので、それはかなわない。
もっとも、その動機は、社会保険料控除にある。
不純な感情からの奉仕は、受け入れてもらえない模様。

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2016-06-26 Sun.

勇敢

2016-06-26

BS世界のドキュメンタリーで、「エリザベス2世 -イギリス女王が見た90年-」と「ドナルド・トランプのおかしな世界」を続けて視聴し、内容のあまりの格差にバランスを失う。

僕は、政治家には常に公平さを求めている。
この点について、政治活動家の多くと僕はわかり合える気がしない。

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2016-06-25 Sat.

根岸

2016-06-25

「昭和を思わせるような女性の名前である、程度のものであり、深い意味はないのだろう」

このような解説文とともに、桑田佳祐「ヨシ子さん」について称賛を含む解釈を重ねているサイトが、googleの検索結果の上位に現れ、しかもそのサイトにスポンサーがついている事態を、僕はほとほと嘆く。
知っている以上のことを語ってはならない、もちろんこれは自戒である。

検索をかけると、上位にまとめサイトばかりが現れ、どのサイトも同じような表現が掲載されている。
そういうことに出くわす回数が増えているように感じる。
剽窃には厳しいペナルティを与え、検索上位に現れないようになる時代も、もう近いかもしれない。

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2016-06-24 Fri.

赤鬼

2016-06-24

「ミュージックステーション」の清野菜名を見て、以前の見解の適切さを再度確かめる。

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2016-06-19 Sun.

夜宮

2016-06-19

事情があり、BS朝日「百年名家」を視聴。
旧松本家住宅(西日本工業倶楽部)の回。

牧瀬里穂が最後に、「私は福岡県出身ですが、こんな建物があることを知りませんでした」と述べ、僕は他の福岡県出身者と同様に、「やっぱりマキセは福岡出身であることを主張するのだな」と独り言ちる。

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2016-06-17 Fri.

対峙

2016-06-17

田中慎弥「これからもそうだ。」を読了。

やはり、P31の

鳩は、決して慌てることはなく、トンネルを潜った先の門司港駅で降りる。

が気になる。
果たして、西日本新聞社の校正をすり抜けるものだろうか。
鳩が関門海峡を列車を使って渡る話は、確かに聞いたことがある。

収められている「見切り発車」というエッセイでは、著者が列車に乗り、小倉、若松、行橋、後藤寺、香椎をめぐる様子が記されている。
列車に乗る前に、著者の居住地である下関に触れ、船に乗り、著者が幼少の一時期を過ごした門司に触れる。

もちろん依頼主のせいもあるだろうが、著者は海峡側を向き生活をしている、と感じた。
僕は小倉の人間であり、海峡の先を想像しながらくすぶっていたのだが、下関に住む著者は僕とは反対側から海峡を見て暮らしている。
逆に言うと、海峡の反対側、東側には背を向けているように見えた。

もちろん僕が育った街なので、「見切り発車」が描く街並みを楽しめたのだが、最も興味をひかれたのは後藤寺のくだりである。
「確かに繁栄していた街」には、そこかしこにアンバランスが転がっている。
いずれにせよ、どの街も凡人には描写のしようのない、拍子抜けの街だと思う。

小倉の映画館や書店の描写は、まったくもって共感できる。
いくつもあった「入りがたい映画館」がほぼすべてシネマコンプレックスに置き換わっても、個性的な品ぞろえで歴史を感じた書店が消え去っても、同じような営みが続く。

ところで、葉室燐「柚子は九年で」にもあったのだが、文学賞を取ると、何の交流もなかった地元の議員から花が届けられるらしい。
こうした事実は、すべからくオープンにされるべきだ。

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2016-06-14 Tue.

家鴨

2016-06-14

これで、2016年中に東京都知事選が行われることが確実となった。
東京都議会解散をすれば東京都知事選を回避する可能性をまだ模索できるが、法は許しても人は許さないだろう。

次の候補に、僕はうってつけの人材を見つけたのだが、今はまだ公の場では言えない。
近隣でこのネタがうけるかどうか、試してみてから公表を考える。

なお、しつこく「東京都知事選」と「東京」を略さなかったのは、今後「都」が増えるかもしれないことの予防線である。
僕としては、「県構想」を唱えている。

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2016-06-13 Mon.

拠点

2016-06-13

週が明けて、清野菜名の広告が電車内から消えていくのが、本当に残念に思う。

僕も年を取ったもので、広告に出ている人にではなく、広告を作った人に賛辞を贈るべきだ、とわかってしまっている。
そっち側から探せば、好きなものに出くわす確率が高まる。
労せずスタッフリストが得られるのは、本当にいいことだ。

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2016-06-11 Sat.

絞出

2016-06-11

最近知ったことは、貸与型奨学金の支払利子は経費と認められず、所得から控除されない、ということだ。

返済額が控除されないことには納得しているのだが、利子は控除されて当然のものだと考える。
なお、内閣府や文部科学省は、利子を控除する制度の設立を求めていた。

一方で、住宅ローン減税についても誤解があった。
残高の1%が所得控除されるものだととらえていたのだが、正しくは税額控除である。
現状の住宅ローン金利を考えると、「住宅ローンの金利はジャパネットではなく国が負担します」と言える。

所得を増やすために借りた奨学金返済への当たり前の措置はなされず、住宅購入者(もしくは住宅供給産業)は優遇されている。

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2016-06-10 Fri.

売奈

2016-06-10

「芸名を呼ぶCM」というものが苦手だが、得意のバスケットボールを見せつけ、指導者から「桜井」と呼ばれる桜井日奈子が出演するCMも、「いったいどっちの宣伝なのだか」という理由で、やっぱり苦手である。

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2016-06-05 Sun.

茶碗

2016-06-05

2014年のこと。
東小金井のベーカリーカフェでコーヒーを飲むことになった。
店員が持ってきたコーヒーが注がれたカップには、取っ手がなかった。
「熱いのに、どうやって持つんだよ」という漫談は、その後何か所かで披露された。

ボル、である。
実際には「ボル」と呼ばれるものらしい。
この事実を、僕はまた佐藤正午の本から知った。

進歩しているのは、今の僕は、単行本である「小説家の四季」を読んでいることである。
つまり、文庫化を待たなかったおかげで、「ボル」のことを今知ることができた。
もっとも、単行本で読んでいる理由は、公立図書館で借りてきたからである。

「小説家の四季」には、「ほくろ理論」についても記されている。
鏡でいつも見なれている自分の顔に、ある拍子でほくろがあることに気づく。
視界に入っていたにもかかわらず、昨日まで見えなかったものが、突然見える。

1年位前の朝、僕はひげをそっていて、上唇の上に大きなほくろがあることに気づき、「こんな三宅裕司みたいなほくろがあるわけがない」と錯乱したことがある。
何人かに錯乱ぶりを説明したが、すべての人の答えは「前からあったんじゃない」であった。

すでに知られていることを、さも自分が発見したように騒ぎ立てる。
恥ずかしいことだ。
人のふりを見ても、恥ずかしいことだと思う。

ところで、佐藤正午は言葉の正しいつかい方にこだわりを持つ。
気になる言葉があれば辞書を引く。
小説家として当然の行為なのであろうが、矜持を感じる。

そんな佐藤正午でも、ごくまれに間違ったものが世に出てしまい、ひどい非難を浴びたこともある。
それでも、間違うのは、言葉に対して真摯な態度で臨む過程があるからである。
百の発見があっても、一つの間違いがあれば、間違いだけを取り上げられて責められる。
そういうものだ。

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2016-06-04 Sat.

発覚

2016-06-04

なんか、タイミングよくないか、FRIDAY。

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