観念
諸般の事情があり、ついに我が家にもハロウィンが侵略してきた。
個は弱く、世間体には抗えない。
斉田季実治氏くらいの仮装が、大人として適切である、と僕は感じる。
今後、ハロウィンのことは「仮装大賞」と呼ぶことにした。
これで、気が少々楽になった。
諸般の事情があり、ついに我が家にもハロウィンが侵略してきた。
個は弱く、世間体には抗えない。
斉田季実治氏くらいの仮装が、大人として適切である、と僕は感じる。
今後、ハロウィンのことは「仮装大賞」と呼ぶことにした。
これで、気が少々楽になった。
おそらく、指摘されたことをもう1度行う、という工夫のなさについて、審議されるのではないのだろうか。
思い出される「SEA RIZE ROCK」の一件。
TVに出たての芸能人は、みんなこんなクオリティだったか、と思わせる、ソニー損保の新CM。
いや、声質がキャリアを反映しない例なら、長島三奈がいた。
高部あいに失望する、というより、高部あいのプロフィールからサイトから抹消されてもそれほど騒ぎにならなかったことに、マネジメント能力を感じる。
あるいは、オスカーの収益構造を再考させられる。
今こそ、「日本沈没」を読み直すなり映画を再度見るなりするべき時だと思うのだが、いかがだろうか。
「TGC」という、やや身震いする言葉が、僕の耳に入ってきた。
「東京スポーツ」の記事によると、「抗争都市のイメージチェンジ」という効果がある。
久しぶりに、「激怒」しかねないフレーズである。
5000万円払って、コンテンツを受け入れて、一体いつまで「街もかつての暗いイメージから変わりつつある」などと言い続けるのだろう。
地道な歩みを望む。
「MOZU市」はともかくとして、よく人が集まった方だと思う。
「この時代、金利が高いのは、預金するよりも債券を買うよりも、クレジットカードのポイント還元だな」
このようなことをのたまい、皮肉を決めていたつもりだったのだが、最近、
「でも、買い物をするとそもそも8/108は持っていかれているし」
という尤もな正論を授かり、大恥をかいた。
そして、川島永嗣は時代から忘れ去られていく。
死者は美しい。
特に、天寿を全うせず、光に満ち溢れた未来を失った女性は、美しい。
…そういうことにしてしまう人たちに、僕は取り残される。
いくらなんでも、都合がよい陶酔ではないか。
それとも、記憶すら失っているのか。
神無月を迎え、僕は身近から「お笑いマンガ道場」という言葉を少なくとも4回、「カンニング」という言葉を2回、耳にした。
むしろ、そんな話し手たちにこそ、良心の存在を強く感じる。
ようやく「相棒」Season 12の第18話まで視聴し終わった。
次は最終話であるため、まとまった時間が必要である。
そして、劇場版III序章、劇場版III、S13と見ていく予定。
およそ1年半遅れ。
S12の途中で、「誰だ、この美人女優は。知らないぞ!」と思ったのが、松尾れい子だったことにショックを受ける。
前にも書いたとおり、僕の生活は松尾れい子が一切取り上げられない場所で繰り広げられている。
「相棒」を見ていて痛感するのは、未だ名の知られていない美人女優はあまたいるのだ、ということだ。
松尾れい子や石橋けいクラスの役どころではない、たとえば、事件現場の隣の一戸建てに住んでいて、聞き込みを受けるだけの住人役であったり、たったワンスポットしか出てこない上司役であったりする女優だ。
エンドロールに出てくる、女優の名前にピンとくることはない。
このところ、僕は「相棒」以外のドラマをほぼ見ていないので、その女優たちが他のドラマに出演しているのかは存じ上げない。
それでいて、存在感をアピールする顔だちと演技である。
スターはごくわずかしかいない。
はるかに多くの人たちが携わって、ドラマができている。
憧れが、本心であるかどうか、十分確認してみる。
とにかく「劣化」と言っておけば成立するような世の中だが、僕は、どちらかというとマクドナルドの広告の作り方が、劣化とまでは言わなくとも、進化していないのだと判断する。
やはり、披露宴中継を期待してしまう。
ついでに、前回の再放送も望む。
ごくまれに「おすすめの本を教えてください」と尋ねられる。
僕は素直に、「佐藤正午の本」と答えることにしている。
よさを説明することはできないが、僕が好んでいることは確かなので、「読んでほしい」と伝える。
思うに、もしある人におすすめの本があるのならば、聞かれる前に、その人に積極的に伝えているはずだ。
答えが返ってくると踏んで、おすすめの本を尋ねる行為は、控えめに言って「無理な話」、悪く言うと「虫のいい話」だ。
この人になら伝えてもいい、と判断するから、相手に読んでほしいと思う本を勧める。
相手に請われなくても、こちらから勧めるものだ。
そして、そう判断するときの多くは、相手の読書傾向を理解している場合だ。
理解するには、相手から読んでいる本の話が出てくる必要がある。
普段どんな本を読んでいるのか説明されないまま、「おすすめの本」を聞かれたら、冒頭のような回答をするようにしている。
「COSUGI」にしたからと言って、何が違うのか、理解に至るまでの時間が取れない。
縁遠い話であることには違いない。