奉職
「当家は、先代より受け継いだ議席の維持によって政党への貢献を果たすことを生業としております」
「当家は、先代より受け継いだ議席の維持によって政党への貢献を果たすことを生業としております」
池袋に行く。
池袋に行くことは、めったにない。
これはきっと「恵まれた生活」と言っていいのだろう。
だから、池袋に行くと、いつも迷う。
今回は、時間がなかったので、地図アプリに目的地を入れ、ナビゲーションを起動することにした。
ナビに指示されたよりも前に出発する列車に乗る。
池袋駅に着いたら、ひとまず階段を下る。
念のため用を足しておこう、としたが、やっぱり迷う。
名前と位置のわからない改札を出て、列車の方向から推察し、とりあえず西口の方面に歩く。
20C、というのが指示された出口だ。
出入り口の案内は見つからず、出口に記されている数字は小さく、近づかないとサインを読み取れない。
見づらいアプリの地図を苦労して確認すると、どうやら行き過ぎた模様。
嘆息して、希望の見当たらない東武ホープセンターだかタイ料理店内だかを突っ切る。
場末になんとか20C出口を見つけて、階段を上る。
地上に出てもここがどこだかわからない。
地図上にある交番を見つけたので、そこまで行って改めてルートを確かめる。
「エビス通りを行け」とナビが言うので、バカ正直に進み、風俗店店員の嘲笑をあびる。
上映開始時刻の5分前に到着。
現金でお支払い。
池袋シネマ・ロサには、7年ぶりの来訪となる。
できれば避けたいたたずまいの映画館だが、選択肢が限られており、今回はやむを得ない。
これも念のため言っておくが、自分が偏屈だからであり、映画館に非はない。
今日も、空いているのに、隣の席が埋まっている座席をスタッフは指定した。
「夜明けまでバス停で」。
モチーフにした事件に以前から関心があり、映画になったことを知り、たまたま予定があったので来てみた。
主演は、もしかしたら学校の同時代の先輩になっていたかもしれない、板谷由夏。
それゆえのリアルタイム「SO・TA・I」世代であり、「avec mon mari」も映画館に見に行った…、と思い込んでいたが、調べても記録がない。
上映が始まってすぐに後悔する。
普段から「暗い映画」を避けるようにしている。
事件の結果、そして結末の結末まで知っている身としては、この映画が暗いものになるに違いない、と察し、苦しくなった。
その後悔は、裏切られることになる。
もちろん悲惨ではあるが、悲壮感がない。
これも板谷由夏のなす業であり、「板谷由夏が主演でよかった」と何度も思った。
途中で出てくる、「自助、共助、公助」には、文脈上、心底腹が立った。
何度も言及されているが、順番が逆だろう。
振り返ると、どう考えてみても最初には周囲の助けがあったし、政府は共助をシステマティックに行うための発明であろう。
何とか助けられながら、自分の足で立てるようになり、自分の身の回りのことができるようになってから、ようやく周囲のことまで考えられるようになる。
政治家がこれを口にすることに、そもそものセンスを疑う。
きっと、環境と才能に恵まれていたのだろう、あるいは天上と地を指さして生まれたか。
そして、中盤で「これは、ああはならないかも」と気づかされて、楽になった。
何も解決していないものの、希望がある、痛快な娯楽作品であった(個人の感想)。
見ていなければしばらく誤解したままで過ごしたと思う、見ておいてよかった。
帰りももちろん道に迷った。
いったん五差路に出て、あの西口の正面階段を下らないと、帰れる自信がない。
必ず現金で支払う場所の1つは、理髪店である。
僕が通う理髪店は、PayPayでの決済ができ、僕はその店でのPayPay決済の第1号を飾った。
2021年10月から加盟店に決済手数料が課せられるようになった。
その話題を店主がしてきて、それ以来PayPay決済がなんだか気が引ける。
なので、理髪店に行く前の平日には銀行のATMに向かい、現金を引き出すことにしている。
ATMでは紙幣だけでなく、調髪料に合わせた硬貨も引き出すことにしている。
ちょうどで支払うことにより、店主を釣りの準備で煩わせたくないからだ。
先日もその用事でATMに行った。
その日は何らかの経緯で入手した一万円札を持っていたため、一部入金をして、調髪料が戻ってくるようにした。
上でも書いたとおり、現金を持っていたとしても、釣りを発生させるわけにはいかない、自分のためにも。
紙幣を入金し、ボタンを押すと投入口が閉まった。
まもなくATMから「足元の返却口をご確認ください」との音声が流れ、画面の表示でも促された。
そんなものの存在も知らなかったし、なぜそんなことを言われるかもわからなかったので、大いに戸惑った。
身体をかがめ、確かに存在した足元の返却口を視認し、手を突っ込んでみたが、特に何もなかった。
後で調べてみてわかったのだが、もし紙幣投入口に誤って硬貨などを入れてしまった場合、その硬貨などは足元の返却口に戻される例があるそうだ。
今回はそんなことはなかったのだが、何かの条件がそろうと、ATMからこのような案内がされる仕組みなのだろう。
この件についてウェブで調べていると、勝間和代氏のウェブサイトに突き当たった。
読んでみると、「自分のいろいろなバッチ処理の1つに、代引きその他でもらったお釣りをまとめてコップにしまう、というものがあり、硬貨が大量に溜まってしまったため、とりあえず銀行に預け入れようとし、大量の硬貨をATMの紙幣投入口に投入し、ATMの返却口を大量の硬貨で詰まらせる」ということをしたのだそうだ。
そして、本人の考えだと、こうなったのは機械の設計にも問題があるのだそうだ。
僕からすると、ただただ「自分では考えもつかないことをする人がいるな」と思う。
ITエンジニアとしては留意しておく必要のあることだし、自分の行動もその例に漏れないのだろう。
とりあえず、勝間氏がバッチ処理の概念を導入していることだけには、僕も賛同しておきたい。
現金への執着が薄れている。
「金」ではない、「現金」である。
「金」はほしい、ありすぎても全く困らない。
しかし、「現金」は困る。
1億円を竹やぶに捨てた人がいたが、その気持ちが少しわかるようになった気がする。
先日も、あるきっかけで一万円札を受け取ることがあった。
後日、おぼろげながら一万円札を受け取った記憶がよみがえり、でも手元にはなく、どうしたのかと記憶をさまよった結果、洗濯したズボンのポケットに入っているのを見つけた。
以前だったら絶対にこんなことはなかった。
忘れっぽくなっているのと、「現金」への執着がなくなっていることの、合わせ技だ。
見つかった一万円札はくしゃくしゃで、少し小さくなったように思う。
もっとも、近頃一万円札などめったに手にせず、手元に他の一万円札もないので、サイズが変わっているかもよくわからない。
アイロンでしわを伸ばそうか、あるいは百科事典でプレスしようかと考え、やはり銀行に持っていくことにした。
気が進まないけど、こういう時に頼りになるのはやはり銀行である。
そういえば、通帳を持っていない。
時代に乗じて、通帳を廃止してもらったのだった。
この一万円札を窓口で口座に入金してもらうには、どうしたらいいのだろう。
文明病にはウェブ検索、調べたらキャッシュカードを持っていけばいいそうだ。
12時手前。
1階に並ぶATMを横目に、2階へと階段を上る。
近くに支店があったのだが、数年前に閉店しており、いや閉店はしてなくて移転した。
この建物には、同じ場所に支店が4つある。
階段を上ると、さっそく行員が近づいてくる。
「今日はどういった御用で」
「4Mドルほど融資してくれないか、預金金利の3倍の利子を支払う、50年後に返す」と言いかけたが、無駄口をたたくのも惜しいので、くしゃくしゃの一万円札についてありていに述べた。
「すると、ATMでも入金できなかったのですね」
「いや、この紙幣でATMが詰まったりすると申し訳ないので、いやそもそも自分が悪いんですが…」
「お気遣いありがとうございます」
慇懃な態度には限りなく下手で、を徹底する。
行員に番号札を取ってもらい(自分でも取れるのだが、先に取られた)、記入用紙を受け取り、台で必要事項を記入するように促された。
書いて、椅子に座っておとなしく待つ。
少し混んでいて、呼ばれるまであと5人。
待っている客は僕より年配の人ばかり。
途中、「遺産の相談で予約している鈴木ですけど…。鈴木で予約がない? そんなはずはないでしょ! いや、佐藤で予約していたんだった」という老夫婦もいて、縁遠い世界に来てしまったと思った。
ポスターで手形交換所の閉所が知らされていて、これからは電子取引と並行して、手形を画像として取り込んでそれをもって交換をして、電子的に処理をするのだという。
目の前が白くなってきた。
15分くらい待って、呼ばれる。
番号札を渡し、用紙を渡し、キャッシュカードとくしゃくしゃの一万円札を渡す。
「しばらくお待ちください」と赤いプラスティックの番号札を渡される。
まだこの番号札あるのか、母に連れられた福岡相互銀行、家の近所支店で40年前に見たシステムだ。
目の前では、若い女性が電話で話し、窓口の行員とやり取りをしている。
何をしているのかは、まったくわからない。
10分くらい待って、再度呼ばれる。
番号札を渡すと、キャッシュカードと紙1枚が渡される。
1万円の入金証書とのこと。
自分の不手際でこんなにも手を煩わせることになったのは、本当に申し訳なく思う。
帰宅して、改めて入金証書を見ると、200円の印紙スタンプが押してある。
この入金証書を発行するために、200円の印紙税が収められているようだ。
調べてみると、1万円以上の入金額が記された証書には印紙税が課税されるとのこと。
ATMの入金票には残高のみで入金額の記載が省略されているが、あれは印紙税の回避のためなのかもしれない。
昨今の通帳廃止も、印紙税節税のためと聞く。
自分の不手際で、相手に手間をかけさせたばかりか、税負担までさせてしまった。
そもそも、印紙税とはなんだろう。
課税の理由などあってないようなものだが、印紙税発祥の地オランダでは、時代にそぐわないとして印紙税を廃止したそうだ。
実際、本国でも電子契約だと印紙税の納付はいらないようだ。
でも、これは不公平だと言って、電子契約にも印紙税を課そうとする動きもあるそうだ。
どういう立場の人間が口にしているのだろう、本当、欲深い。
もちろん、「洗濯して使い物にならない証紙を、金を負担させてまでして引き取らせた」人間が言うことではないことはわきまえている。