曇天の続き

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2012-09-30 Sun.

自縄

2012-09-30

新聞記事の曖昧な記憶によると、漢字を忘れていると考えている人がかなりの割合でいる。

「漢字を忘れていますか」と質問されたら、僕も「はい、忘れています」と答えるだろう。
しかし、実証がない。
周囲の雰囲気が「ITにより漢字を書く機会がなくなり、漢字を忘れやすくなった」というものになっており、自分も同じように忘れているだろう、と考えるだけだ。

実は、「漢字を忘れている」という実感すら、僕にはない。

そもそも、手書きで文字を書く機会がほとんどない。
そういう機会があるとすれば、そのほとんどは自分向けに書くメモの類である。
そのメモに書く字はかなりいい加減で、よく言えば略字、悪く言えばぐちゃぐちゃである。

つまり、漢字を正確に手書きしなければならない機会がほぼない。
だから、漢字を忘れている、ということを実感する機会すら自分にはない。
それゆえ、本当に忘れているかどうか、よくわからない。

ただ、少なくとも読む分に関しては、能力がそれほど劣化したとは思えない。
以前読めていた漢字が読めなくなった、と感じることはまずない。
間違って読んでいる漢字があれば、それはずっと昔から間違って読んでいるだけである。

最近では、自分が陥っている状態について「自縄自縛」と言いたかったのだけど、頭の中に漢字は浮かぶのだが、読み方がどうしてもわからなかった。
なので、「自分で縄を持ってきて、その縄で自分を縛るみたいなことをやっています」と言ったが、「それ、何かのプレイ?」と返されてしまった。

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2012-09-29 Sat.

試麺

2012-09-29

新たに開店した飲食店にはすぐに行くものではない、というのは言い過ぎかも知れない。
しかし、少なくともラーメン店に関しては、これは正しいと言える、と思う。

なぜなら、開店してすぐのラーメン店というのは、ほぼ間違いなく行列ができているからである。
行列ができるのは、近所にラーメン店が新しくできると聞けばすぐに行く、という人たちが多いからだ。
それほどまでにラーメンは人気がある。
もし開店したてのラーメン店にもかかわらず行列ができないのなら、よほどラーメンに関心のない地域なのか、もしくはかなり厄介な問題が潜んでいるはずである。
立地を間違ったかもしれない、と疑うべきだと思う。

店前に行列ができているからといって、その新店のラーメンがおいしいとは限らない。
だから、行列に並ぶ時間を費やすほどの味ではないかもしれない。
さらに、店はいきなり許容量を超えた客を相手にしなければならないのだから、店本来のサービスを提供できる可能性も低くなる。
味が落ちる、ということはないだろうが、接客がないがしろになり、客は不要な不満を抱えかねない。

やはり、落ち着いた頃に様子を見て、店を訪れる方がいい。
開店から1か月経って行列がなくなっていたとしても、それは一過性のブームが過ぎ去っただけという場合が多い。
自分の舌で確かめて、そしてもう一度食べに来るかどうか考えることにする。

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2012-09-28 Fri.

極悪

2012-09-28

今年の目標は、「視力を下げない」である。

ある本で読んだのをきっかけにして、日常生活でできるだけ眼鏡を外すようにしている。
眼鏡に頼らない時間を過ごそう、というのを真に受けたのだ。

裸眼ではもはや、PCの画面の文字すら読めないので、デスクワークの際は眼鏡が必要である。
人と会うときも、顔を判別する必要があるので、眼鏡をかける。

一方で、日中、外を歩くときは眼鏡を外す。
夜間でも裸眼で大丈夫だとは思うのだが、念のため眼鏡をかけている。

また、電車内では眼鏡を外す。
そして、完全に目を閉じると眠ってしまうので、移動中は薄目を開けている。

眼鏡を外すと余計なものを見なくて済むことがわかった。
僕はどうも目から疲れがやってくるような気がしているので、できるだけ目を休めるようにしている。

Bonnie Pinkのアルバム「Blue Jam」の中の「Freak」という曲で、「みんな必ず、何かしらのfreak」というような意味のフレーズがある。
その中で、「目の悪さを極めたりするfreak」というのが出てくるのだが、17年間聞いてみても、どういうことなのかピンと来ない。
ただ、全般的には「Freak」という曲が好きだし、「Blue Jam」というアルバムが、全般的に明るくなくて大好きである。

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2012-09-27 Thu.

死識

2012-09-27

先日、地図で飯田線のことを調べていて、初めて長篠の位置を知った。
もちろん「長篠の戦い」の知識はあったのだが、これまで場所については全く知らなかった。

よく考えてみると、桶狭間の位置も知らない。
天王山も「この辺だろ」と思っていたところが、全然違っていた(京阪電車に乗ったことで気づいた)。

これは不勉強を認めない完全な言い訳になるが、地名と位置が結び付いていなかったのは僕が九州出身だからだと思う。
九州で暮らしていると、本州、特に内陸の方に対して遠い存在のように思えてくる。
実際、僕が最後まで位置を覚えられなかった都道府県は群馬県であった。

いずれにせよ、「生きた勉強」というのを全く意識しないまま受験の目的だけで勉強していたな、と恥じる。
逆に、もっと地図を見ながら勉強していたら、歴史の点数も少しは上がったのかも知れない。

ところで、僕が生活で案外役に立たない科目だと思うのは、化学である。
多くの時間を費やして苦労して覚えたことなのに、生活で化学反応の知識を生かすような機会にほとんど巡り会わない。
単に、化学を使いこなせていないだけなのだろうとは思う。

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2012-09-26 Wed.

至便

2012-09-26

後からいろいろと調べると、京都であれもこれも買いそびれたな、と気づく。

ところが、たいていの土産は、東京でも買える。
例えば、京都のつけものなど、デパートに行けば簡単に買える。
京都のお茶屋でパフェでも食べたかった、と後悔していたのだが、調べてみると実は東京にも出店していたりしている。

東京で生活していると、旅行土産のありがたみが少ない。

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2012-09-25 Tue.

知理

2012-09-25

以前の僕は、「物知りでありたい」と願っていた。
その願いは叶わず、今となっては5分前に見た情報も忘れる始末である。
もはやその現実を受け入れ、物知りになる夢をあきらめている。

ところで、物知りというのは人に嫌われることが多いのだが、最近は「物知りぶる人」が多く出てきて、こちらは嫌気がさしている。

彼らは、集団の中でよく知らない話題が持ち上がると、即座にネットにアクセスする。
そして、ウィキペディアに書かれていることを読み上げる。

彼らは、物知りでも何でもなく、その場にいる価値が低い。
そんなことは、Siriにでもできることだ。
もちろん、読み上げてもらったのだから、その人に対しては「へぇー」という言葉をかけてあげ、感謝の意を示す。

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2012-09-24 Mon.

明解

2012-09-24

先日の「テレフォンショッキング」に渡部豪太が出演していたが、いろいろと学ぶところがあった。

その1つが、鶏の唐揚げについてである。
彼は、よく散歩をしていて、商店街の精肉店で売られている唐揚げを買い、路上で食べるほどに鶏の唐揚げが好きなのだという。

その話を聞いて以来、無性に唐揚げが食べたくなってきた。
以前から僕の三大好物は、餃子、唐揚げ、コロッケだったが、この話を聞いたことで、改めて唐揚げブームが訪れてしまった。
精肉店で唐揚げを食べるところまでは至っていないが、コンビニエンスストアで唐揚げを買うようになった。
先日京都へ行った際には、餃子の王将で餃子とチューリップのみを注文し、かぶりついた。

彼の話でもう1つ学んだのが、電車の乗り方である。
彼は、電車の車両をスケートボードのように「1つの乗り物」として考え、カーブや発進、停止に合わせて体の重心を移動させる「遊び」をしているのだという。

この話を聞き、実際に電車に乗っているときに、吊革に頼らず重心を移動させるようにしてみた。
初めは疲れるのだが、慣れてしまうととても楽である。
電車の動きに身を任せて、振り回されてきたこれまでの自分と周囲の客に気づくことができた。

感覚を言葉で伝えてくれればこちらも理解できる場合があるのだが、それをできる人は限られている。
多くの人は、言葉による指導ができずに、相手にただ結果だけを求める。
そして、相手が自分の思い通りに動かないと、ひとり勝手に不機嫌になる。
もっとコツのようなことを言葉で表現して欲しいが、求めるだけ無駄である。

その意味で、僕は渡部豪太を「有能な人リスト」に加えることにした。
大変にありがたい。

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2012-09-23 Sun.

油滓

2012-09-23

かすうどんを食べた。

ウェブで事前に調べ、梅田にかすうどんを提供する店を見つけた。

京阪中之島線の大江橋駅で降り、初めて中之島を歩く。
久しぶりの街歩きに、「僕はこうやってビルや橋、高速道路を見ることが好きだったんだ」ということを思い出す。

御堂筋を梅田まで歩き、食事時ではない頃を見計らって、店に入る。
カウンターが8席ほどとテーブルが1つある、それほど広くはない店だった。
客は2人。

食券を買い(きつねうどんに、かすをトッピング)、奥の厨房に食券を出す。
「うどんで、トッピングにかすをお願いします」と店員に声をかけた。
おそらくイントネーションの違いで、僕が関西人でないことを店員に見抜かれたであろう。
しばらく待っていると、店員に「できたら声をかけるので、座って待っていてくれ」と言われ、「どうやって待っていたらいいか、こちらから尋ねればよかった」と悔いる。

うどんが出来上がり、カウンターで食べる。

だしの味、うどんのこしのなさ、あげの甘さ。
とても懐かしい味がする。
かすを初めて食べたが、とてもおいしかった。

つゆを全て飲み、食器を返却し、速やかに立ち去る。
大満足。

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2012-09-22 Sat.

樟葉

2012-09-22

初めて、京阪電車に乗った。

まず、京都駅から近鉄に乗り、京阪との乗換駅である丹波橋駅を目指す。

丹波橋駅で京阪に乗り換える。
ちょうど8000系の特急が来たので、乗り込む。

僕は、乗ったこともないのに勝手に、京阪に対して古くさいイメージを持っていた。
沿線が街外れのほうを走っていて、牧歌的な感じなのだろう、と。

しかし、乗ってみて印象が一変した。

まず、車両がかっこいい。
今回乗った8000系といい、一般車といい、色が美しい。

また、想像していたよりも線形が良く、乗り心地が良かった。
萱島駅から京橋方面が複々線になっていることを知らなかったので、これには驚いた。

樟葉駅に着くまでの車窓にも驚かされた。
淀駅の辺りでは、どれだけ駅間が長いのだろう、と思った。
帰宅してから地図で確認する、という楽しみを手に入れた。

踏切にはカメラを構える多くの人がいて、彼らは列車の姿を撮影していた。

ともかく、これで僕もおけいはんである。
おけいはんの任期満了までに間に合い、ポスターをいくつか見ることができたので大変良かった。

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2012-09-21 Fri.

保津

2012-09-21

嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車に乗ってきた。

まず、嵯峨嵐山駅へ行く。
駅の中に19世紀ホールというところがあり、そこにレストランがあるのを発見し、そこで昼食を食べることにする。
メニューが、エビピラフだのスパゲティだの、おそらく「チン」と鳴って出来上がるものばかりで、僕が(洋食が苦手な僕が)食べられるものがない。
やむをえず、本当にやむを得ず、地ビール「嵐山」をいただく。
店員に「つまみはないのか」と詰問してしまい、後で自分の品のなさを恥じた。

地ビールだけでは腹が満たされないので、売店で「三笠」を買う。
生八つ橋入りのどら焼きで、これがとてもうまい。

トロッコに乗り込む。
あらかじめ切符を買っておいたおかげなのか、酒臭い観光団体客と同じ車両に乗らずに済んだ。

いよいよ、トロッコが出発。
保津峡に沿って、山陰本線の旧線を上っていく。
ほどよく腹が満たされ、ほどよく酔いが回ったせいで、とてつもなく上機嫌だった。
期待していたよりも、はるかに満足。

トロッコ亀山駅に到着。
いつの間にかこんな何もないところへ来てしまった。
馬堀駅まで歩いて、嵐山へ戻る。

嵐山電鉄嵐山駅の前でビアガーデンをやっていて、そこで今年2回目の「KIRIN 一番搾り フローズン<生>」をいただく。
中学生の頃に修学旅行で来たときには、まさか嵐山駅前でビールを飲んでいるようになっているとは思ってもいなかった。

渡月橋を渡る頃には、真っ暗。
橋を渡った先の道を進み、阪急嵐山駅から電車に乗った。

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2012-09-20 Thu.

回込

2012-09-20

僕がタクシーに先に乗り込むのには、理由がある。
相手が先に乗ってしまうと、相手は奥に詰めなければならなくなる。
その車内での移動をさせないために、あえて僕が先に乗っているのだ。

…という理論武装をしていたのだが、最近、「タクシーは、まず相手を先に乗せ、自分は反対側に回って乗り込む、というのが作法だ」という話を聞き、「そういう手があったのか」と恥じる。
危ないからやらないけど。

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2012-09-19 Wed.

初物

2012-09-19

「人の噂も四十九日」と言ってしまい、どうも落ち着かない気分になる。

それもそのはずで、正しくは「人の噂も七十五日」である。
いずれにせよ、ウェブ万能時代には意味のなさない表現だ。

ところで、「初物七十五日」とも言う。
寿命が延びるのはまっぴらごめんだが、初物は積極的に食べてしまう。

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2012-09-18 Tue.

残余

2012-09-18

ウェブでニュースを見られるようになった結果、TVで芸能ニュースを見なくても済むようになった。

TVで放送されたり、新聞に記載されていたりする芸能情報の大半は、PRである。
PRだから、発信元は情報を広く伝えたがっている。
ウェブ媒体にも情報が掲載されることになる。
これにより、TVで長々と芸能ニュースを見ることなく情報を短時間で収集でき、世間の話題についていくことができるようになった。

ただ、「じゃんけん大会」が行われることを、今日になるまで全く知らなかった。
きっと盛り上がっていたのだと思うが、世間の盛り上がりに無縁の生活を送っていることが、少々虚しい。

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2012-09-17 Mon.

掲示

2012-09-17

バス停でバスを待っていた時のことだ。
別の客がスマートフォンでバスの時刻表を見て、これから乗るバスの時刻を調べていた。
バス停に時刻表が掲げてあるにかかわらずだ。

携帯情報端末を持っていることが前提の社会、というのが少しずつ近付いてきているように思う。

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2012-09-16 Sun.

端折

2012-09-16

人の善意に頼ることで成立する番組が嫌いである。
予算がないから、こういうことをするのだろう。
権威のあるところに善意を要求することはない。

例を出すなら、もうレギュラー放送が終わっているので言うが、「田舎に泊まろう!」である。
著しく礼を失する態度だと思う。
時々、アポイントメントなしの訪問に対しタレントが怒られるシーンが映るが、これはスタッフにクレームを出すべきシーンであることは間違いない。
タレントが怒られているのをそのまま放送しても、きっと彼らは恥ずかしくないのだろう。

ただ…、放送していたら見てしまう。
悪い視聴者の一例だ。

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2012-09-15 Sat.

慷慨

2012-09-15

理容店で、店主に「何だか世界がきな臭くなってきたね」と話しかけられる。

ついに、床屋で政治談義を振られる年齢になってしまった(正確には、政治ではなく国際情勢)。
目に涙を浮かべ、「もう遠い場所に来てしまった」と嘆く。

政治の話は、とても困る。
何より、自分にはよくわからないことだらけだからだ。
手元にはマスメディアからの情報しかなく、それだけで判断するのは危険である。
また、自分のことで忙しく、普段から世界のことを考え続けているわけでもない。
誰かの意見を自分の考えだと勘違いしてしまうほど、スマートでもない。
選挙で票を投じて、政府を信じることをずっと続けている。

僕が考えることができるのは、単なる一市民としての行動である。

太平洋戦争に至るまでの様子を見ると、戦争の後押しをしているものの1つがマスメディアであったことがわかる。
そのマスメディアの論調を支えていたのが、政府関係者でも軍人でもない、一般に生活している人たちだ。
国同士の交渉に直接関わらない人たちが、状況を正確に理解していないにもかかわらず、根拠もなく戦争だの開戦だの威勢のいいことを無責任に言う。
世間の論調にあおられて、当事者である政府は後に引けなくなっていった。
あるいは威勢の良さを利用して、中には自分の野心をふくらませていった者もいた。
また、世論とは逆のことを考えている市民は、大きな声に阻まれて、自分の意見を心の中にとどめてしまう。
人は弱く、信じている意見をいつでも言うことができる環境が保証されているとは限らない。

だから、そんな世界が訪れないように、僕は普段から気をつけていようと思う。
それこそが、それぞれの人のできることなのではないだろうか。

確かに、暴動が起こっている。
その暴動の様子に心を痛めている人が、世界には必ずいると信じている。
自分の国の人間による行為であっても、「なぜこんなひどいことをするのだろう」と思っている人が必ずいるはずだ。
自分の国のことに置き換えれば、簡単に想像できることだ。

実際、「暴動はひどいね」と言えば「確かにひどいね」と答えた外国人の知人がいる。

…とまあ、こういう真面目な意見を理髪店の店主に言ってしまうから、「ノリの悪い人間だ」と思われてしまうのだろう。
ユーモアで返せればいいのだけど。

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2012-09-14 Fri.

先鋭

2012-09-14

シャープの株価が下がっているのを関係のない感じで見守っていたのだが、いつの間にか自分の資産にも飛び火してしまった。

僕が保有している公社債投資信託の基準価格が、6月からの3か月で2%近く下がっている。
これは、受け応えることはできるが、許容範囲を超える損失であり、他の資産が稼ぐ利益では損失をカバーしきれない。
というよりも、公社債投資信託でベーシックな利益を確保しようという魂胆があるのだから、結構つらい。

この投資信託のポートフォリオに、シャープの転換社債が入っている。
それも、5%以上の組み込み率である。
これまでのレポートでは下がっている原因ついて特に言及しなかったのだが、直近のレポートで急に「シャープのせいで」と書き始めた。
レポートによると、現状のシャープは「売られすぎ」なのだという。

よく見ていなかった僕が悪いのは、当然である。

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2012-09-13 Thu.

残留

2012-09-13

TVKで放送された「福岡恋愛白書7」を視聴。
このドラマが好きなのではなく、福岡の近況を知るため。

ドラマ内で、女子大学生役が、「福岡で結婚するなら九大(九州大学)、彼氏にするなら西南(学院大学)、友達にするなら福大(福岡大学)」という台詞を言っていた。
こういう感覚はよくわからない(特に、「友達にする」という感覚がわからない)。
なぜなら、福岡で大学時代を過ごしていないからだ。
ただ、もう福岡でも大学に行くのがデフォルトとして考えられているのだ、というのがかいま見える。
また、その台詞が正しいのだとしたら、九州工業大学、北九州市立大学、産業医科大学あたりはどう位置づけられるのか、ぜひ見解を知りたい。

地方の地名が出てくるドラマを全国で放送して、一体どういう需要があるのだろう。
僕みたいなのが、他にも大勢いるのだろうか。
いずれにせよ、九大に行くつもりなら宗像高校くらいがちょうどいいな、と思う。

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2012-09-12 Wed.

二重

2012-09-12

1月に放送された「ドクロゲキ」を視聴。
元々深夜ドラマというジャンルが好きなのだが、最近は時間がなくて、見ることができない。
久しぶりに深夜ドラマを見たが、こういうテイストは大好物である。
サブタイトルに「後味の悪いサスペンス」とあるが、どちらかというとオチを楽しむドラマである。
一番好きなのは、古典的なオチだったけど、第2話。
個人的には、もっと後味を悪くして欲しい。

その後、5月に放送された「竹中直人の大人の笑い」のラバーガールの回を視聴。
コントをミュージカルでやるというもので、これがとてもよかった。
普通のミュージカルだと、途中で歌い出すのを見るとどうも笑ってしまうのだが、笑いをこらえなくてはならない。
一方で、コントでミュージカルをやるのではあれば、唐突に歌い出しても笑って済ませることができる。
何より、最後は歌で盛り上がり、とても幸せな気分になれた。

この2本の番組を続けてみて、どちらも楽しんでいる自分の性格がよく理解できない。

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2012-09-11 Tue.

前借

2012-09-11

街路樹があまり好きではない。

その大きな理由(というか、ほぼ唯一の理由)は、街路樹の根が張って、歩道のアスファルトが持ち上げられ、路面ががたがたになるからだ。
歩いていると躓きそうになるし、自転車で(自転車通行可の歩道を)走るとハンドルを取られてしまう。

植えている側に、「街路樹、植えておけばいい」という発想があるのではないかと思う。
あるいは、木の根がアスファルトを持ち上げないようにするような施工方法があるのに、それを怠っているのではないだろうか。

こういうとき、市区町村議会議員を連れて陳情に行けば、行政は対応してくれるのかも知れない。
しかし、「ゴッドファーザー」を見たばかりというせいもあるのか、議員に頼ると選挙活動に一生駆り出されそうな気がして、躊躇してしまう。

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2012-09-10 Mon.

良識

2012-09-10

マクドナルドで本を読んでいると、外から何か音が聞こえる。
どうやら、スピーカーから音が流れてきているようだ。

隣の席には、家族らしき3人組がいて、中学生くらいの娘が「あれ何?」と両親に尋ねる。
両親は質問に答えるのだが、娘は納得しない。
そこで父親は、スマートフォンを取り出し、ウィキペディアで「右翼団体」の記事を声に出して読み上げた。

ITによって、確かに生活が変わった。

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2012-09-09 Sun.

長息

2012-09-09

最近、バスを乗り過ごすことが多い。
降車する停留所が近付いても、降車ボタンを押し忘れてしまい、次の停留所まで行ってしまう。

その原因は、乗車中に、深い呼吸をして痩身する方法、いわゆる「ロングブレスダイエット」風の呼吸法に夢中になっているからである。
電車に乗っているときも呼吸法を行っているが、降りる駅に着いた途端に気づいて、かろうじて飛び降りることができている。

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2012-09-08 Sat.

症例

2012-09-08

矢部浩之が、自然気胸をわずらい入院した。
このネタに、僕がコメントしないわけにはいかない。

所属事務所によると、「肺に管を通す治療を受けた」とある。
肺に管を通すことがあるのだろうか。
おそらく胸に管を通し、肺の外側に漏れた空気を抜いているのだと思う。

この治療は、結構大がかりなものである。
一般的な処置は、安静にしておくよう言い渡されるだけだ。
動かなければ、自然に治癒していく(ただし、絶対安静を要する)。
肺が大きく萎縮してしまった場合に、外から管を入れる処置が行われる。
推測するに、矢部さんの症状は重度のものである。

40歳になるまで自然気胸を発症しなかったのは、とても不思議だ。
自然気胸は10代、20代に初めて発症するケースが多い。
発症した後は何度か再発することがあるのだが、30代を過ぎると再発率が少なくなる、というのが定説である。

芸能人では、相葉雅紀、mihimaru GTのhiro、佐藤健などが発症している。
一般的に、肺の構造に発症の原因があるとされている。
成長期に急激に身長が伸びると、肺が成長に追いつかず、肺に傷がついてしまう。
その傷が破裂してしまうと、自然気胸となる。
傷が破裂する原因というのもあって、疲労が蓄積していたり、精神的ストレスが多い場合が多い。
それゆえ、再発を防ぐために、疲労を軽減したり、精神状態を整えておいたりすることに気を遣っておいた方がいい。
また、傷の部分を除去して再発を防ぐ、という手術もある(僕の左肺にはその治療が施された)。

…という風な説明を、週明けの情報バラエティ番組でパネルを使って説明するのだろう。
ご苦労なことだ。

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2012-09-07 Fri.

増長

2012-09-07

2012年2月に放送された、NHK北九州放送局開局80周年ドラマ「オヤジバトル!」をようやく見たので、感想を記す。

  • 響灘大橋を自転車で渡って通勤するような人間が、一体どのくらいいるのだろうか。響灘大橋は、東京で言えば晴海大橋くらいのアップダウンがある。
  • 作業服のボタンが裁断されたペットボトルの中に混入したのではないか、ということで騒ぎが起こるが、そもそも、ボタンで留めるようになっている作業服に問題があるように思う。実際であれば、事故を防ぐために、例えば、ボタンをマジックテープで代替するように思う。
  • 白血病の患者が退院して、若戸渡船で若松へ戻ってくるが、あれは白血病の治療は若松では施せない、ということを示唆しているように感じた。

一方で、僕のような、ドラマに慣れていない視聴者に対して、とても親切な演出があった。
ドラマでは、北九州エコタウンのリサイクル事業にかけて、最後に「人も再生できる」というメッセージを伝えていた。
意味がかかっていることが強調されていなければ、僕はそのことに気づかなかったであろう。
甘やかされている気もするが、僕はもうその程度の視聴者なのだ。

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2012-09-06 Thu.

敬虔

2012-09-06

内田樹 著「街場のメディア論」を読み進めている。
第3講で、「現在当たり前に存在しているシステムに対して、感謝の念を持つ人が少なくなってきた」という風なことが書いてある箇所がある。

自分にも思い当たる節があり、ひどく恥じた。
こういうことを感じたのは初めてではない。
10年前にも同じようなことを感じていたのに、そのことをすっかり忘れていた。

どこで感じたかというと、ネパールでである。

ネパールでは、食事は口に合わない、水は飲めない、シャワーの湯は出ない、何を買うにも交渉が必要だ、などと大変な思いをした。
ネパールの地において、普段の生活が当たり前のように実現されていることについて、あれほどまでに感謝したことはなかった。
冗談抜きに、「てんや」が存在していることにも祝福を与えたほどだ。

今、多くのサービスが安価に手に入る。
原材料費と加工費、人件費くらいしか払っていないので、価格からはありがたみを感じることが難しい。
しかし、ここまで安価にサービスが手に入るのは、これまで長年にわたり多くの人の手によって構築されてきた、洗練されたシステムのおかげである。
それに対して感謝の念を忘れているとは、僕は何と愚かなのだろう。

藤子・F・不二雄の短編に「福来る」という話がある。
福の神が現代に来て、ある人に福をもたらそうとするが、現代社会があまりに高度で、福の神が与えられる福では人は感謝しなくなった、という内容だ。
その話の落ちに似たようなシチュエーションをネパールで経験しているのに、僕はまた忘れてしまっていた。

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2012-09-05 Wed.

崩壊

2012-09-05

動線経路の近傍に、ケンタッキーフライドチキンのショップがある。
ある曜日に限って、Krushersというドリンクが通常より100円引きで販売されている。
そのことを知って以来、ほぼ毎週Krushersを飲んでいる。

すごくおいしい。
ただ、冷房が効いている店内で飲むと、体がすごく冷える。

最近発売された香味チキンもよく食べている。
念のため言っておくけれど、この文章は誰かに頼まれて書いているわけではない。

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2012-09-04 Tue.

戦術

2012-09-04

日曜の朝は10時近くまで眠っていることが多いのだが、先週の日曜は珍しく早く目が覚めた。
毎週土曜に行っているが用事があって実行できなかったタスク、すなわち「1週間分のTV録画予約をし、録画データをBDにダビングする」を行う。

作業を行っているとき、「仮面ライダーウィザード」という番組が放送されていた。
通常は見ることのない番組である。
ダビング作業はTVの音を消して行うため、音のない状態で画面だけを眺めていた。

冒頭から戦闘シーンが描かれた。
音がないからなのだろうか、画面だけではどちらがいい方(つまり仮面ライダーウィザード)でどちらが悪い方なのか、しばらくわからなかった。
一方が銃で攻撃し、丸腰の相手を一方的に撃ちまくっている。
そして最終的には、銃で攻撃していた方が火炎放射し始め、相手を焼き殺し、相手は姿を消してしまった。
ここまできて、残った方が仮面ライダーウィザードなのだと理解した。

朝から残虐的なシーンの連続、しかも、虐殺しているのは正義の側と思われる主人公の方である。
映像がきれいで、特撮技術も進んでいるから、戦闘シーンにリアリティを感じてしまう。
昔の、格闘シーンや一見してすぐに作り物とわかる爆破シーンがあったころが懐かしい。
でも、もう過去には戻れない。

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2012-09-03 Mon.

屈折

2012-09-03

「ドラえもん」で印象的だったのは、のび太の未来についてである。

大人になったのび太は、それまでにいろいろと失敗を繰り返してきた、と述懐する。
そして、「治ったのは近眼だけさ」と言う。

どうやって近視が治ったのだろうか。
きっと、成長段階で近視が矯正されたのだろう、と僕は思っていた。
つまり、大人になれば近視は治るのだ、と。

しかし、身をもって経験したことだが、大人になっても僕の近視は治らなかった。
むしろ、進行している。

現代においては、のび太の近視が自然に治ったと考えることは難しい。
おそらく、のび太はレーシック手術を受けたことにより、近視が治ったのだろう。

「治ったのは近眼だけさ」という短い台詞に、医療の進歩が、ものすごくさりげなく表現されている。

今日で、ドラえもんの誕生日まで100年となった。
新聞で「さよならドラえもん」のあらすじを読んでしまい、朝から涙が止まらなくなる。
その日のパフォーマンスに影響を及ぼすので、やめてほしい。

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2012-09-02 Sun.

解体

2012-09-02

特技に対する、人々の感覚は甘い。
趣味を特技と呼んでしまう人の何と多いことか。
そこら辺の人よりも確実に能力が高いものを、「特技」と呼ぶべきだ。

僕の特技の1つは、魚の干物をきれいに食べることである。
きれいに食べるとは、食べ終わった後が美しいという意味ではなく、身を残さずに食べるという意味だ。

僕を食事中に黙らせたいのであれば、干物を出してくれればいい。
一般的な大きさの開きであれば、30分は黙っている。
魚を解体することに集中するからだ。
食べ終わったときには、頭の部分などは原形をとどめていない。

先日あらかぶの開きを食べていて発見したのは、やはり胴体よりえらの裏にある身の方がうまい、ということだ。

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2012-09-01 Sat.

潤沢

2012-09-01

過去にカセットテープにダビングした音楽の中から、忘れてしまっている名作を探す、という作業を以前行ったのだが、収穫はそれほどなかった。

中には、どういう音楽か、どういうミュージシャンだったか思い出せないものがある。
その1つが「The Postmen」という(おそらく)バンドである。

今は便利なもので、検索エンジンを使えばネットから音源を拾い上げることができる。
聞いてみて、「まあ、こんなものもあったような気がする」という感じ。

あるページには、「The Postmenのファンで、今でもカラオケで歌っています」と書かれてあった。
The Postmenをカラオケで歌われることに対する備えをしておかなければならない、と肝に銘じたと共に、自分の行いにも慎むべきところがある、と自覚した。

「何もない世代」というのが自分が属している世代なのだと思っていたが、意外にも音楽には恵まれていた世代であったように感じる。
音楽業界の景気が良かったからだろうか、当時はいろいろな人やグループがCDデビューを比較的簡単に果たすことができた。
こちらとしても、いろいろな音楽を聴くことができ、自分が本当に好きな音楽に出会うことができた。

売れている音楽の中に自分の音楽があるとは限らないのだ。
だからこそ、世の中には今もThe Postmenをカラオケで歌う人もいる。

その世代の恩恵を受けて、僕も好きな音楽をいくつも見つけることができた。
ただ、一般的に人と話は合わないし、話が合いそうな人とは知識の差があって(つまりこちらの知識が乏しくて)これもまた話が合わない。

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