雲合
市井紗耶香のことに触れるのを忘れていた。
落選であるが次点であるため、まだ繰り上げ当選の可能性がある。
6年もあると、何があるのかわからない。
市井紗耶香のことに触れるのを忘れていた。
落選であるが次点であるため、まだ繰り上げ当選の可能性がある。
6年もあると、何があるのかわからない。
「祝!蒼井優結婚 映画「フラガール」」をBS日テレで視聴。
この10年で最も多く見た映画が「フラガール」だと思う。
DVDを借りて見て、メイキングも見た。
それに加えて、TVで放送しているのを見かけると必ず見てしまう。
なぜ見てしまうのか考えると、
といったところだろうか。
ただ、どうしても受け入れられないシーンがある。
それは、主人公が土地を離れようとして列車に乗り、生徒がそれを引き留めるシーンだ。
一度走り出した列車がすぐに止まり、列車のドアが開いて、主人公が降りてくる。
おそらく、感動のシーンである。
しかし、停車位置を離れてから再び停止し、ドアを開けるようなことがまずありえないし、ましてやこんな理由で列車を止めるようなことはなされない。
このシーンだけは嘘が強くて、「バスじゃないんだから」とさめてしまう。
あるいは、当時は許されていたのだろうか。
1行目に戻るが、ずいぶんととってつけたようなタイトルであり、番組編成である。
そうはいっても、「今年はこれくらいしかいいニュースがない」というのが知人の弁。
このままいいニュースであり続ければいいと、切に願う。
僕からしたら、お笑いをやりとりしてきた人以外が、えっ、なんで僕の好きな「お笑い」を奪おうとしはんの、って感じ。言うのは自由やけど、えっ、なんでたくさん笑わせてもらった「お笑い」、傷つけるの、って感じですね。
「…ファースト」でまとめようとする風潮は苦手だし、「言い切る」というよくない癖が出てきたなと僕は思う。
それはそれとして、僕がしいて言うのなら「お笑いファースト」である。
人そのものではなく、人の行為を尊重する。
金髪のままで記者会見か…。
この程度の軽口しかたたけないのは自分の能力の低さのせいとは言え、強いショックを受けたのは確か。
「この後は!」という文脈でニュース速報が用いられるとは、さすがステーションブレイクレスの放送局である。
冗談はさておき、これまでの「ニュース速報」も速報ではなかったのか、今後も速報性を信じてはいけないのか、と思わせる「演出」…、いや速報であった。
さて、天気予報を見たら、TVを消して寝るとしよう。
夜中まで母親に食器を洗わせることになり申し訳ない、それにしてもいつまでも洗い終わらないものだな。
そう思っていたら、すでに朝であり、母は片付けではなく朝食の準備にかかっていた。
夜に全く目覚めなかったのは、ここ数年なかったように思う。
あるいは、単に気絶していただけなのかもしれない。
朝食はごはんが進む。
明太子を食べ、一昨夜の刺身のしょうゆ漬けで茶漬けを食う。
おいとめいがやってくる。
2人の父親は、まだ寝ているという。
死んでいなければよいのだが。
おいへのプレゼントで、Wiiリモコンと「Newスーパーマリオブラザーズ」をあげたので、一緒に遊ぶ。
声高に言いたくないが、Wiiの中古ソフトでこんなに喜んでもらえるとは、コスパがいい贈り物である。
実家を退去。
来年は東京オリンピックのために祝日が移動するので、いつ帰ることになるのか予定が立たない。
タクシーで移動していると、連節バスの試運転に出くわす。
昨日のバスの中で、月内に市内で連節バスが運行されることを知った。
路面電車を失った街だが、連節バスが走るのはまあよい。
ところで、小倉ホテルの跡地が整備されたようだが、どうなったのだろう。
小倉駅でかしわめしを買おうと、地下にある北九州駅弁当の店に行くが、駅弁が売られていない。
やむを得ず3階に行き、東筑軒のかしわめしを買う。
この次は、事前に北九州駅弁当に電話して、どこで売っているのか確認しておこう。
エアポートバスに乗る。
車内のチラシで、「小倉ループバス」と称されるバスの紹介がされていた。
苅田北九州ICから日豊本線と国道10号をまたぐ道路の延伸工事が進んでいる。
ここの信号は必ず引っかかるので、当然の工事である。
北九州空港に到着。
今日もやっぱり、スターフライヤー。
今回は、ANAのコードシェア便で搭乗することとなった。
ビデオで「WORLD FUKUOKA NEWS」を見る。
この番組の調査によると、堅パンは、森永チョイスの14倍固く、タイルの1.4倍固い。
ゴリけんの英語で大いに笑う。
C滑走路着陸で、定刻の10分前に羽田空港に到着。
第1ターミナル搭乗口1番から速足で歩き、高速バスの出発時刻に間に合う。
実家を出てから自宅までは、5時間弱。
7時30分起床。
朝食は、パン。
実家のPCが2010年購入のWindows7であり、もう使えなくなるので、事前にノートPCを購入し送付しておいた。
そのセッティング作業を実施。
プリンタのドライバを入れ、ブックマークを旧PCから移動。
メールは、OutlookからThunderbirdにして、データを移した。
筆王も入れる予定だったが、意図せずDVDを捨ててしまったとのことなので、パス。
そういえば、インプラントのCMに、ローカルタレントが出演していた気がする。
おそらく、アーバンヘアミキのCMみたいなものだろう。
出かける。
おいとめいがついてくることとなった。
昼食は、自宅から徒歩10分のうどん屋。
ここは僕が卒業した学校にほど近く、この日も多くの学生が訪れていた。
僕は、彼らの全活動の健闘を心から祈っている、本当に。
僕は、丸天うどんにかしわ、おいは、冷やしとろろそば、めいは、カレーうどん。
おいには「本当にとろろなど食べるのか、山かけだぞ」と確認したが、「食べる」と言う。
しかしながら、配膳されたとろろそばを見るやいなや、おいは「目玉焼きがのっているんじゃなかったの」とのたまう。
めいは、カレーうどんのカレーが辛くて、食が進まない。
おいは冷やしとろろそばが冷たくて、体が冷えるというので、僕の丸天うどんの汁を飲ませてやるが、「おじさん、一味入れすぎ」と指摘される。
本当に子供慣れしていなくて、不憫に思う。
駅まで出て、列車に乗る。
若戸大橋、牧山トンネル、くろがね線などを確認し、スペースワールド駅に到着。
スペースワールド駅に降りるのは、初めて。
スペースワールドは解体され、もはや何も残っていなかった。
何もないのを見ると、むしろ爽快さすら感じる。
未練がましく廃墟になるより、よほどましである。
後ろに見える山の斜面には、住宅がぎっしりとたてられている。
僕はあの住宅に住まう方々を平地に下ろしてあげるために、ここに住宅を建設すればいいと思うのだが、そうはならないようだ。
いのちのたび博物館に到着。
小学生のころ、八幡駅の自然史博物館や、勝山公園の歴史博物館に遠足で行ったが、ここは初めて。
館内に入ると、ものすごく混んでいて、北九州とは思えないほど子供がたくさんいる。
爬虫類展をやっているのもあるが、この日は第2日曜で小学生の入館料が無料になっているとのこと。
実に、北九州らしい。
結局、入場券を買うまで20分近く並んだ。
北九州でここまでの行列に並んだのは、ラフォーレ原宿 小倉店がオープンした時以来、あるいは、そごう小倉店が開店した時以来、20数年ぶりだろう。
いのちのたび博物館は、ぜひとも訪れてほしい施設であった。
自然のほうは僕は全く興味がないのでコメントできないが、歴史のほうは確かに見ごたえがあった。
おいとめいを呼んでは、地図を見て昔の小倉の解説をし、山本作兵衛の絵を解説をし、古墳の解説をした。
特に、吉田初三郎の鳥観図が見事であった。
近くの喫茶店でパフェでも、と思ったが、中央町のほうに出ても古美術カフェしかないようだったので、休憩スペースでセブンティーンアイスをふるまう。
そして、スペースワールド駅からJRで戻り、タクシーで実家。
帰ってきて、「月の石」を見逃したことに気づく。
おいとめいはしっかり見たとのこと。
夜は、妹夫婦も来て、大いに飲む。
18時から飲み始めて、終わったのは23時半であったそうだから、こんなに迷惑なことはない。
5時30分起床。
ロビーで風呂場が開くのを待つ。
昨夜はBGMかと思っていたが、ロビーには実際に鈴虫がいて、音色を奏でていた。
…すごく、うるさい。
古い柱時計が6時を告げ、風呂へと向かう。
露天風呂に出ると、雨が降っている。
昨日の天気予報では、午後から持ち直すようなので、気にしない。
40分ほど風呂を楽しみ、上がる。
朝食も、ほどよく豪華である。
めしを4杯食らい、しばし横になる。
TVで天気を確認すると、天候はやはり午後から回復する模様。
天気予報の地図で、自分がいる指宿の位置と、小倉の位置を確認する…、遠い。
およそ指宿は、小倉に行くついでに寄るようなところではない。
東京に当てはめるのなら、ついでに仙台に寄るような感覚だろう。
どうも東京に染まってしまったようで、九州ならどこも一緒のように考えていたようだ。
思い起こせば、初めて鹿児島県を訪れたのは、小学生の頃の祖父との旅行だ。
出水平野へ越冬するツルを見るのに、いとことともに連れて行ってもらったのだった。
その時は、行きは特急有明、帰りは寝台特急はやぶさの寝台昼間利用、いわゆる「ヒルネ」で小倉まで戻った。
祖父の酔狂で「ヒルネ」を体験でき、しばらくの間、はやぶさに乗ったことが僕の自慢だった。
そのときはおそらく片道4時間以上かかり、「はやぶさに長く乗れてよかった」と思ったように記憶する。
その記憶すら忘れていたから、こんな無謀な移動を計画してしまった。
砂蒸し風呂の開館に合わせて、出かける。
草履を用意してくれたのが、またよい。
今回の旅の第一の目的は、砂蒸し風呂を体験することである。
11年前に訪れたときは、台風が到来していたため、砂蒸し風呂はどこも中止であった。
こんな果てまで来て、砂蒸し風呂を楽しめないとは、よほど運がなかったのだろう。
しかしながら、よくよく考えれば、当時は、台風接近中に大隅半島から薩摩半島にフェリーで渡ることができたし、台風直撃の枕崎で事故も起こさず車を運転できたのだから、むしろ幸運に感謝するべきである。
とにかく「今回こそは」の意気込み高らかに、満を持して砂蒸し風呂を堪能することにする。
脱衣所で浴衣だけを着用し、現場に向かう。
相変わらずの小雨なのだが、傘を指すほどではない。
砂蒸し風呂会場に到着。
外国からの客が半分程度。
砂に横たわると暖かく、体の上にかけられる砂は重い。
10分くらいが適切、とのことなので、それに従う。
暖かくて、心地よい。
砂風呂から上がり、建物の中に入り、ある程度砂を落としてから、温泉に入る。
湯は少々塩辛いようだ。
広い風呂で、控えめに言って、最高である。
風呂から上がり、しばらく周囲を散策したあと、宿の送迎車で駅まで向かう。
本来予定のなかった特急「指宿のたまてばこ」に乗ることにする。
単なる気動車の改造列車に特急料金を払うのはしゃくだ、と旅行に出る前は考えていた。
しかし、現実に乗れる選択肢を与えられてしまうと、どうしても抗えない。
鉄道ファンの悲しき性である。
ただ、時間がない中で移動を楽しめるという点では、この特急もいいものだ。
水戸岡先生はよく考えていらっしゃる。
鹿児島中央駅に到着。
突然、激しい雨が降ってくる。
すぐにやみそうなので、駅ビル内で昼食をとり、時間をやり過ごすことにする。
昼食は、もちろん鹿児島ラーメン。
今日のラーメンの味は、自分に合うものであり、気に入った。
雨がやんだので、外に出て、市電に乗る。
路面電車が残る街がうらやましい、と北九州出身者は思う。
天文館を目指すが、地図を見ると海が近いようなので、いづろ通電停まで乗り、そこから歩いて海を目指す。
それにしても、雨のせいで蒸し暑い。
来た道を引き返し、夜の繁華街を昼に抜け、天文館の店でしろくまを食べる。
僕は、しろくまのヨーグルト味が少し苦手で、今回もダメかと思っていたが、この暑さのせいもあり、とても美味しく感じた。
市電で鹿児島中央駅に戻り、各方面へのお土産を購入。
新幹線車内で楽しむさつまあげと350mlビール2本を購入。
九州新幹線のプラットフォームへ上がる。
鉄路の終わりに大きな車止め。
これが、東京から繋がる線路の終点である。
これから、800系のさくらにのり、博多駅を目指す。
車内は空いており、やはり指定席券を購入する必要はなかった。
トンネルが多く、景色を楽しむことはできなかったが、車内設備がよく、快適に過ごすことができた。
途中、熊本では豪雨だったようで、新幹線に遅れはなかったが、在来線に運休が出ていた模様。
博多駅に到着。
向かいのホームに移動し、3分後に出発するのぞみ東京行きに乗る。
あまりちゃんと考えていなかったのだが、後方車両の自由席に乗る。
20分もかからずに小倉駅に到着。
おいへの土産に単3の乾電池を購入し、タクシーで実家を目指す。
タクシーの運転手によると、北九州は災害が何もなく、住みやすい街であることは変わらず、強いていうならば仕事が全くないだけが難点だということ。
これは、僕の父親の談と同様である。
運転手の説では、以前北九州を離れた人、例えば1980年代に君津へと行った人が、仕事をリタイヤしたことをきっかけに、北九州に戻ってきているのではないか、とのこと。
高齢化率が高い北九州ではあるが、他地域からの流入が多いことまでは気が回っていなかったので、今後の研究課題にあげておこう。
実家に到着。
本日の夕食は、刺身。
父が愛好する芋焼酎「出水に舞姫」もふるまわれる。
父親は、僕の養育にどれだけ金を使ったかを語り、僕はただただ感謝の意を伝える。
帰省を兼ねて、旅に出ることにした。
旅のきっかけは、知人の話だった。
航空会社が提供するサイトがあり、そこで、航空券と宿泊地の予約を合わせてすれば、正規の航空料金よりも安くなる。
それなら、「帰省に絡めて旅に出ればよい」と考えた。
具体的な計画は、次の通り。
往路は、旅先近くの空港へ飛び、1泊する。
翌日、別途手配した交通手段で実家に向かう。
実家で2泊して、復路は実家の近くの空港から帰る。
旅先は、鹿児島に決めた。
当日。
朝の天気は、小雨。
忙しい中無理を言ってしまうことを心苦しく思うが、タクシー会社に電話し、駅まで向かう車を予約した。
高速バスで、羽田空港を目指す。
車中では、NHK FM「クラシック・カフェ」を聴き、心を整える。
つまみは、日本百貨店で購入した「せんじにく」。
渋滞のため、予定より20分ほどの遅れて、羽田空港に到着。
今日は、第2ターミナル。
2017年4月に伊丹空港に行った時以来の利用となる。
フライト時刻まで、2時間以上ある。
5階まで行って飛行機を見たり、3階のPlazaでキャラクターグッズを見たり、1階まで行っておもちゃを見たりする。
おもちゃを扱う店の隣で弁当を売っていたので、購入。
フライト時刻の1時間以上前に、保安検査場の通過を済ませる。
搭乗口の番号が509だと知り、愕然とする。
それでも気を取り直し、500mlの缶ビールを購入し、席を見つけて、食事。
昼食は、叙々苑の牛焼肉重弁当。
年末帰省用の弁当である、特製焼肉弁当は、予算の都合上買えなかった。
30分前に搭乗口へ着く。
危惧したとおり、バスに乗ることになった。
バスは乗り場を出発して左側へと向かい、ある建物の前に到着。
中に入ると、建てられたばかり特有のにおいがして、すこし気分が悪くなる。
エスカレータで階上へ向かい、そこから航空機に搭乗する。
後で知ったのだが、タラップの代わりに設置された「ボーディングステーション」であった。
鹿児島空港へ向かう航空機は、エアバス321。
Wi-Fiも使えるらしいが、この日はトラブルとかで、使用することができなかった。
機内安全ビデオは、歌舞伎調。
席が窓側ではなかったのでよくわからなかったが、おそらくC滑走路から離陸。
早速、機内コンテンツを楽しむ。
まずは、神田松之丞の講談。
聴き始めて数分で寝てしまう。
気持ちよく寝ていたら、「富士山が見える」というどうでもいい声で起こされて、もうどうでもよくなって、聴くのをやめる。
次に、宮脇俊三 電子全集16「乗る旅・読む旅」をKindleで読む。
旅に全集を持ち歩くことができる文明に感謝する。
キャビンアテンダントにコンソメスープを頼むと、「後でお持ちします」と言い渡される。
持ってきてもらったコンソメスープはカップが冷たくて、「冷製スープかな」と思って飲んでみると、甘い。
「すみません、アップルジュースを渡してしまいました」と、改めてコンソメスープを持ってきた。
色が一緒なので、わからなかった。
さらに暇なので、ビデオオンデマンドでバイきんぐのコントライブ「クローバー」を見る。
こんなにビデオが充実しているのに、というか、充実しているから、というか、普段と変わらない行動にいささかげんなりする。
とにかく、バイきんぐのコントに大満足。
「翼の王国」を全ページくまなく読み終えたところで、鹿児島空港に到着。
…暑い。
朝、自宅の窓を開けると少し肌寒くて、服装に悩んだのだが、半袖で正解だった。
目を疑う高さの運賃を支払い、高速バスで市街を目指す。
先日の集中豪雨で、高速道はところどころがけ崩れを起こしていた。
radikoで地元のFMを聴きつつ、40分ほどで鹿児島中央駅前のバスターミナルに到着。
鹿児島は、実に11年ぶり。
駅前では、「鶏のから揚げフェス」なるものが開催されていた。
暑い中で、唐揚げを食べながらビールを楽しむなど、この世の極楽としか思えないのだが、今は我慢。
駅ビルの地下に向かい、本日2回目の昼食、ご当地のラーメンをいただく。
豚骨のスープはやはりすっきりとしていて、刻まれたキャベツとチャーシューがうまい。
干ししいたけのだしも効いている。
ただ、麺が少し白っぽく固めで、これは自分の好みとは異なっていた。
ところで、駅ビルに「SHIBUYA109 KAGOSHIMA」があるのは、「ラフォーレ原宿 小倉」を抱えていた北九州市民としては、やりきれない気持ちになる。
指宿枕崎線の普通列車に乗り、指宿を目指す。
列車は学生で混雑していたが、進行方向右側の席を確保できた。
天候は晴れに向かっており、自分の席とは反対側の車窓には、錦江湾と桜島、遠くに霧島連峰が望む雄大な景色が広がっていた。
レンタカーではなく列車を選んでよかった、と強く思う。
1時間半ほどかかり、指宿に到着。
迎えに来た宿の車に乗り込む。
本日の宿は、11年前に泊まった宿と同じである。
なので、11年前にも見たはずの景色なのだが、何も覚えていない。
夕食まで時間があるので、海岸を散策する。
砂浜に打ち上げられた石を拾ってみると、軽い。
海にいくつか投げてみたが、軽いので海面に浮いてしまう。
夕食は、黒豚しゃぶしゃぶ。
程よい量で、黒千代香も十分に楽しんだ。
露天風呂につかり、疲れをいやす。
脱衣所に置いてあった、漢方薬を煎じた飲み物だけが、11年前の記憶とリンクした。
いずれ、AKBグループのメンバーから選挙立候補者が出るのだろう。
先日、いろいろ話していた流れで、「18歳を過ぎたからもう言ってもいいと思うが、やはり橋本環奈はかわいい」と発言した。
カミナリのまなぶくんが「成人になった橋本環奈」と発言し、「気持ち悪い」と引かれた、というエピソードが披露されたが、「じゃあ、僕のあの時のあの発言はあの場ではどうとられたのか」と気になる。
前置きを付けたからと言って、逃れられる話ではないようだ。
それでいながら、「吉田沙保里についてはコメントを控えるが、平野ノラのやつは以前から好感を持ってよく見てたよ」とも言うのだから、自分のことがいよいよわからなくなる。
「出世をあきらめたサラリーマンが最もやっかい」といったのは、誰だったか。
それはさておき、無所属の国会議員が開き直ることほど、手の付けられないことはない。
山田ルイ53世「一発屋芸人列伝」を読み終える。
この時期に読んだことには特に意味がなく、読むことになったのは公立図書館で借りられたからである。
ずいぶん前に予約していたのだが、待ち人数が多く、およそ1年待って順番が回ってきた。
筆者には著書を購入しないことを申し訳なく思うのだが、資金と保管場所という2つのリソースに限りがある。
僕は、お笑いファンである。
世間で「一発屋」と呼ぶお笑い芸人に対し、僕は世間とは少し異なる感情を持っていると思う。
当然、同じ「一発屋」でも、出てきたときに面白いと思う芸もあるし、全く理解できない芸もある。
それとは別に、ブームが去り、「一発屋」というレッテルを安易に貼られた後の芸人たちの立ち居振る舞いを、それ自体を芸として興味深く見ている。
いや、タカダ・コーポレーションのことではない。
「一発屋芸人列伝」には、髭男爵自身はもちろんのこと、コウメ太夫、ジョイマン、ハローケイスケなどが、その名を連ねている。
その中には、レイザーラモンHG、ムーディ勝山、天津・木村の名もある。
ただただ、ため息ばかりが出る。
お笑いファンサイドとして、芸能界だけを見て言うと、今回の件について芸能事務所がハンドリングに失敗した面は否めない。
それによって、会社は大きな商品をいくつも失った。
その一部は、商品価値を回復できないかもしれない。
自業自得どころではなく、ファンにとっては極めて迷惑である。
それに加えて、最年長者の対応があまりに粗末であった。
何といっても、客商売である。
数年前からの風向きを謙虚に受け止め、自分の立ち位置を見極めて、腹をくくった対応をすることこそやるべきことであり、それが自分より弱い立場にある人たちにできる数少ないことの一つだった。
難しいことだとは思うが、その難しいことができなかったから、このような結果になったといえる。
いずれにせよ、結果の出たことであり、視聴者である僕はこの事態を受け入れていこう。
僕は、ほとんど何に対しても興味を持続できない質なのだが、せめてお笑いファンだけは死ぬまで続けていたいし、お笑いをずっと見続けたい。
お笑いの中に出てくるものは、今後も見ていきたい。
「ナンチャンお気楽ライブ -質問にすべてお答えします-」を見に行った。
場所は、新宿角座。
初めて行ったが、事前に聞いていた通り、焼肉屋のにおいが漂う空間だった。
タイトル通り、ずっと質問に答え続けていた。
事前にネタを繰っていたのかは図りかねるが、どちらにしても成熟したエンタテインメントであった。
ちょうどよく笑えて、時々ためになって、ものすごく楽しかった。
印象に残ったのは、
ナンチャンを見たのは、「ウリナリ」キャラクターライブの観覧以来、2回目。
「もうそんなことは起きない」と思っていたので、見に行けたのは本当にラッキーでハッピーだった。