2025-02-28 Fri.
ビハ
2025-02-28
「PAO~N」のイベントが開催された。
配信をしていただき、当日はリモートで参戦した。
後で思い出すため、印象に残ったことを記述する。
- 沢田さんの前ピン、原稿をくしゃくしゃに丸めるところが、最初からかっこよかった。それを投げたものの、全然飛ばなかったのに撃沈。
- 曜日ごとにパーソナリティが出てきて、勢ぞろいする感覚がたまらない。もはや次回作の放送がない「キングオブコントの会」のロバート秋山のコントの再現。
- 波田陽区のお母さんが出て、涙腺ゆるむ。
- 「おにぎり」のコガ☆アキさんが、本当に怖かった。
- コガ☆アキさんのドラえもんが、ゆるぎなかった。
- 何度も見ているのに、何度も見たい、「織田信長のオールナイトニッポン」。
- モノマネは圧巻だった。天龍、岩崎姉妹、佐々木蔵之介。松村さんの時間つなぎジュークボックス。矢野ペペの安定進行。鈴木末七のケツダイラ・マン。
- 波田陽区のネタに、安心感すら覚える。
- サワダヤの漫才は、本当に本当に良かった。同期が長い間仲良く仕事を続け、それを披露していただく、得難い瞬間だった。
- 黒柳徹子の顔芸連発がクセになる。
くだらなかった。
3時間、ずっとくだらなかった。
くだらないことを懸命にやる、という尊さを、実感した。
こんなに楽しいのに、時間通りに終わるのにも、感服した。
今週の放送は、感想戦。
漫才前にレモン水を飲まされたり、生放送中に泣きわめいたり、自分でしたメイクが油絵みたいだったり、手が乾燥して原稿用紙が配れなかったり、舞台の場数を踏んだタレントやアイドルはやはり落ち着いていたり、円熟の今年50歳コンビだったり、波田陽区のお母さん迷子事件があったり、大舞台を経て疲れているにもかかわらず、その後1週間3時間の生放送をつつがなく務めたり。
radiko、爆笑問題太田さん、ストリーミング技術、ピタロンお姉さん、舞台エンジニア、スタッフ、夢グループ、リスナー、「イケイケドンドン」に、感謝しかない。
高さより、長さ。
日常の積み重ねの先に、宝物がある。
目の前の小さなことを丁寧に仕上げる、それを続ける。
2025-02-22 Sat.
真似
2025-02-22
アナウンサーによるフォト&エッセイ(講談社刊)を読了。
あの雨の日の夜…、の話はない。
学生時代は日雇いの仕事をこなし、いろんな状況でも言葉を返すことができる実力を持ち、普段は距離感を保って自分をひそめている。
狩野恵里アナウンサーとは対極にあり、その狩野アナが気にかけてくれたことで、同期アナ2人の積極性に置いて行かれた状況をフォローされている。
対談には、境遇の近い親友の一般人が出てくる。
自分が置かれた状況を受け止め、少しずつ進んできた様子が描かれている。
そんな人となりがわかる、田中瞳アナのフォト&エッセイであった。
2025-02-15 Sat.
老残
2025-02-15
鼻の後ろがかすかに痛い。
あるいは、のどにほんの少しの引っ掛かりを感じる。
この時点で、もう「負け試合」が決定する。
これから、鼻水が出て、のどに痰が絡み、声を出すたびにむせる。
首の筋肉が甲張り、ひじや股関節が痛くなる。
熱が出れば治るものだろうが、加齢のせいか容易には熱が出てくれない。
発熱がなければ、通常の生活を送らざるを得ない。
鼻水を垂らしながら咳をまき散らしながら、相手の要望が理解できないふりを決め込み、できない理由をねじ込む日々。
見るに堪えない様相になってくる。
ぐずぐずとした時間を経て、ようやく熱が出始める。
体が動かなくなって、寝床で横たわっていると、うなされる。
こないだは、プログラミングの新たなパラダイムが隆盛を誇る夢を見た。
その前は、圏論について完全に理解した夢を見た。
いずれも、翌朝になれば無為であることに気付く逡巡である。
熱が引けば、世間は「出てこい」と言ってくる。
熱がないだけで他の症状はそのままで、のどが痛いし、咳は止まらない。
洗面所に行き、個室で鼻をかみ、手をよく洗い、鼻の周りを水で洗い、自席に戻って鼻をかむ。
話をしているのか、咳をしているのか、よくわからない。
風邪のひき初めから治るまで、1か月近くかかる。
これが、1シーズンに2回。
先日は、実に約20シーズンぶりに、大風邪を召した。
熱が出ている実感がないのに体温計は40℃を示し、自分の体に対する感覚すらあてにならないことを思い知らされる。
いつもの4倍くらい時間をかけて身支度を整え、擁壁を伝いながら病院まで行って、医師に検査をしてもらって、ゾフルーザをもらってきた。
僕だって、必要に応じて、素直に通院することもある。
以前は世間知らずからの怖いもの知らずで、周囲に不要な迷惑をかけてきた。
「風邪をひくのも、免疫力の機能チェックみたいなものだから」と訳のわからないことを言って、その結果良識ある人々が離れていった。
現在は、年を取ったせいで、気がますます弱くなっている。
今回の大風邪の症状がつらくて、また休んだ後のリカバリがつらくて、予防接種について真剣に考える。
誰ともつながりがないのから、自衛の道を選ぶしかない。
つながりがないのに、なぜ大風邪がやってくるのかは、知らない。
蛮勇でも臆病でも、実情は全く変わらない。
いつまでも風邪に無力すぎる。
風邪のひき初めに葛根湯を飲むといい、と聞いてから、実践はしている。
今回は大風邪だったのもあり葛根湯の出番はなかったが、普段の風邪であっても、葛根湯の服薬はさして効果を示していないように思う。
服用の仕方が悪いのかもしれないが、やはり冒頭に書いてしまったように、もうひき初めの時点で負け試合なのだ。
そもそも、「風邪をひいた」という感知が遅く、初動が間に合っていない。
いずれにせよ、風邪に気付いたら、消化にいい炭水化物を食し、水分を取って、暖かくして睡眠時間を長くとる、しかない。
普段やっていることはすべて投げ捨て、風邪への対処にリソースを当てる。
それが1か月続いて、それが1シーズンに2回ある。
どれだけ生産性の低い機関なのだろう、誰もこんなの受け入れてくれない。
2025-02-07 Fri.
訣離
2025-02-07
赤川次郎 著「いもうと」を読む。
反省の結果、もう少し積極的にフィクションを読もう、ということで、長らくリストに上がっていた本作を攻略することにした。
「20世紀に見た映画で最も好きな映画」ということに便宜的に決めつけてしまった、「ふたり」。
その原作の続編が出たと聞いてから、ずいぶんと経ってしまった。
まずは、Kindleでサンプルを入手して、読む。
読み飛ばしはしたくないし、限られた時間で読み進めなければならないという制約からも逃れたい。
なので、小説は図書館で借りることをせず、購入することにしているのだ。
もっとも、出費をためらうがゆえ、小説に触れる機会が減っているのも、確かだ。
…。
納税者のたしなみとして、今回は公立図書館の蔵書で済ませることにする。
実加は成長し、企業に勤めている。
母がおらず、父がいて、父の妻がいて、父の妻の娘がいて、真子が戻ってきて、神永が出てくる。
いつの時代のことなのか、時代観がどうにも邪魔に感じるが、そういうものなのだと思う。
何なのだろう「連絡会議」、スポーツインストラクター、ウェディングプランナー。
ホテル勤めが放った率直な物言いが成立する世界とは全くの無縁である自分が情けなくなる。
フィクションならではの事件は起きるし、外泊すれば常にその結果がもたらされる。
時間が動いても何一つ変わることがない、少しだけその神格性を脅かされそうになる千鶴子に対して、感涙する。
石田ひかりでも、奥菜恵でも、どっちであっても、周囲の気随気ままに付き合わざるを得ない、そのような人生を作者に選ばされている主人公に、同情する。
もっとも、幸せな生活は、小説になりがたい。
記憶している以上、これが初めての赤川次郎著作の読書経験だったと思う。
もっとも、自分の記憶は当てにならないし、次の赤川作品が「初めて」になるかもしれない、そんな日が来るかもわからないが。
映画「運命じゃない人」を見る。
これもずいぶん前からリストにあって、ようやく対応する気になった。
その間に、内田けんじ作品の次回作の間隔が空き、中村靖日の次回作を望めなくなってしまった。
つまり、こういう映画が好きである。
ストーリーがすべてであり、ストーリーを描くためにキャラクターがあってほしいし、ストーリーで訴えようとしてこなくていい。
そういったものは、徹底的に抑えきったとしても、結局のところにじみ出てくるものだ。
この映画で言えば、最後にやっぱり戻ってきたところに出てきている。
ただ、戻ったところで、持っていったモノがモノだし、新たなキャラクターも加わることになるし、まだ話は続くだろう。
そういう余韻が、さらによい。
親分には象印賞を差し上げたい。
そして、調布駅。
もはや存在しない地上駅だったころの調布駅の姿を映像に残していることに価値がある。
僕は以前は地上にあり今は地下化されている途中駅の例を、他にあまり知らない…、と書いて、例をいくつか思い浮かべる、近い将来の新井薬師前駅とか。
とにかく、今の調布駅の「片付けられぶり」を思うと、その姿が映像に残っていることがいとおしい。