難問
「「相棒」に出演したことがあるなしクイズ」で渡辺いっけいが出題されたとしたら、不覚にも間違えてしまっていたであろう。
「「相棒」に出演したことがあるなしクイズ」で渡辺いっけいが出題されたとしたら、不覚にも間違えてしまっていたであろう。
相米慎二「最低な日々」を読み終える。
まずは、またこれを言うことになるけど、値段が高い。
2,750円した。
で、誤字がある。
「これくらい、気付いてほしい」と言いたくなるほどの、しょうもない変換ミスがある。
値段が高いのだから、その辺はちゃんとやってほしい。
というのを、先に言っておいて。
30年を経て、雑誌連載が単行本になったことには、感謝しかない。
企画協力の金原由佳氏は、同時期に相米慎二の本も手がけており、こちらも読んでみたい。
相米慎二へのインタビューというのもあって、
「普通の生活をしていた少年少女を主役に抜擢するのはなぜか?」
という、答えを知りたくて仕方のない質問もされている。
映画を見るだけでも、現実がのしかかってきて憂鬱なのだが、本を読んでも明日の暮らしが嫌になってしかたない。
佐藤正午「小説家の四季 1988-2002」、「小説家の四季 2007-2015」を読み終えた。
「何をいまさら」という感じもあるだろう。
実際、前者は「ありのすさび」などのエッセイ集に収められたのを読んでいるし、後者は単行本を図書館で借り読んでいる。
今回は、2022年末に出された岩波現代文庫版を購入し、読んだわけだ。
持っている本を(厳密には、持っている本に収められた文章が再掲された本を)新たに買い求める、というのは、僕にとっては異例中の異例である。
これは、分散して収録されていた「小説家の四季」を新たにまとめて文庫化した思いにこたえたかったからである(文庫化の経緯は「2007-2015」のあとがきにある。どちらにもあとがきが加筆されているのも、購入に至った理由の1つだ)。
後で感謝は述べる。
それはさておき、言いたいことがある。
最近の文庫本は、高い。
10年くらい前に、「ああ自分はようやく、文庫本だったら、新刊であっても(中古を探し求めなくても)好きな時に読める分だけ買えるほどの余裕を持つことができたな」と悦に入っていた。
新刊の単行本は、値段と置き場所が原因でめったに買えないが、文庫に入るまで待てば迷うことなく買える。
そんな経済力ならある、と思っていた。
ところが、それは全くの間違いだったと言えよう。
今回購入した文庫「小説家の四季」の価格は、どちらも消費税課税前で1,000円を超えている。
文庫本でこの値段か、文庫本に収められた意義がないな、とまで、思う。
もちろん、文章の価値は値段以上のものがあると理解している。
余裕のある人が積極的に単行本を買ってくれているおかげで、市場が成り立つ。
その恩恵で、第一級の文章が廉価で提供され、僕のような者でも触れることができているのだ、と思っていた。
今後またしばらくは、文庫本を買うまでに十分逡巡することになるだろう。
さて、「2007-2015」の帯に、「同じことを繰り返し特別な作品が生まれる。」とある。
この言葉は自分の中に深く響く。
これに気付かされたからこそ、自分の生活の「通奏低音」を意識するようになった。
そして、佐藤正午の書いたものを読み続け、次の新作を待ち望み続けているのだ。
「四季」というリズムが、筆者にとても合っているのではなかろうか。
「この方法を選んでいることに、焦る必要はないのだ」という認識を強くしてくれることに感謝したい。
内容を受けて、自分がたどってきた「PCの変遷」はどういったものだっただろう、と振り返る。
1980年代に百貨店でキャプテンシステムやディスクシステムの書き換えシステムに触れ、祖父の家で2×10文字のディスプレイだけのワードプロセッサを操っていた以来、自分の人生は「コンピュータの、社会と家庭への普及」とともにあった。
自分にとってのエポックメイキングは、高級言語コンパイラの入手、テキストエディタの利用、ネットでの情報収集、駅すぱあとの使用、ADSLによる常時接続、Google検索の衝撃、オンラインでのWindows Update、ネットでの買い物、開発環境のコモディティ化、メモの電子化から全記録の電子化、といったところだろうか。
「理想とする未来」が今実際に訪れていることを自覚し、それを喜んで利用しようと思う。
今日は、ロック葬が執り行われる。
家を出る。
土曜の早朝の列車内は、高校生が多い。
大半はスマートフォン、参考書、単語帳。
連れだって移動していても、会話はない。
隣の学生が開いていた漢検の参考書が目に入り、四字熟語の穴埋め問題が掲載されていた。
「巧言○○」とあり、苦しみつつも思い出し、辞書アプリで意味を確認する。
いい意味なのかどうか、判断がつかない。
あとは、スーツ姿での休日出勤の男性に、中年女性の単独行。
スポーツ紙を持った中年男性は、今日は見かけなかった。
駅間が長い。
鉄道に対する考え方が全く違う表れなのだが、感覚が久しぶりすぎてとまどう。
そういえば、出かけるのも久しぶりで、佐倉に行って以来だ。
利根川を越え、しばらく進んで、古河駅に到着。
さすがに駅近くはマンションが点在し、アパホテルが存在する。
2022年2月に古河に行く予定だったが、風邪だか寒すぎるだかでとりやめた。
その時に、実家に電話し、古河に行く旨を父に告げた。
父は50年近く前、古河に住み仕事をしていたことがあったのだ。
その経験を父は以前、「どんな土地にでも、魚を食わせる店はある、探せばある」と語った。
「今度古河に行くのだが、どんなところか」と改めて電話で尋ねたが、回答は「何かあったかね」。
父は常々、「過去のことは何も覚えていない」と言う。
父からは、宴席で起きた出来事以外の、過去の話を聞かない。
「悩みがあるときには、実家に電話する。別に悩みを相談するわけでもなく、普段通りの会話をする」
そんなことを、確か「ごきげんよう」で、古河が育てた俳優が話していた。
それをよく覚えていて、僕も時々そうしている。
駅前で朝食を、と考えていた。
実際、ロッテリアとヴィド・フランスと吉野家があった。
アプリで探すと、マクドナルドは東口から1kmほど行ったところ。
どうしたものかと思ったが、目的地がすでに開いているようなので、向かうことにした。
北関東の風は冷たく、180円出して「ジョージア テイスト オブ ココア」を買い、指先を温める。
大きな出費だが、気が大きくなっていたのだろう。
街並みは、ところどころ古い建物が残っており、蔵もあった。
まだ早い時刻だったからだろうが、車の往来があるものの、人通りは皆無。
若い人などまったく見ない。
古河歴史博物館に到着。
係員の話を聞き、3館共通入場券600円を購入する。
古河に来た理由は、「雪の殿様」と呼ばれた土井利位に興味を持ったからだ。
老中まで務めた利位は、その一方で雪の結晶に興味を持ち、「雪華図説」という図鑑を発行している。
降雪があると、外に机を広げ、切片を採集して、その形状を低温で維持し観察したという。
付き合った部下の苦難を思う。
利位には、鷹見泉石なる家臣がいた。
泉石の蘭学への興味関心、重厚な知識と広い人脈が、利位の研究を支えた、とされているようだ。
博物館では、鷹見泉石の功績を中心に古河の歴史を紹介し、江戸時代に雪の結晶模様のブームを起こしたとされる利位の遍歴をたどる。
今でも、市内小学校の多くの校章は雪の結晶をモチーフにしたものが多く、まさに「殿様の贈り物」と呼べる。
古河は茨城県に属し、埼玉と栃木に割り込んだような形で所在するのだが、過去を見ると、古河藩が広大な範囲を領地としていたことがわかる。
徳川将軍が日光往還した際に準備された「船橋」に、興味をひかれた。
古河文学館へと移る。
茨城県で初めて設置された文学館、とのことだが、不勉強すぎて、ぴんとこない。
田中正造の激しさを知り、もうちょっとちゃんと知っておかなければならない、と反省した。
永井路子を顕彰するためにあるともいえる文学館のようだが、その名前すら覚えがなく、「元就」の主役って誰だっけかなという疑問が晴れない。
さまざまな文筆家の原稿を見て、「これをどうやって読み解いていたのだろう」という現代病が頭を悩ます。
以前見た三島由紀夫の字なんて、すごく読みやすかったけどな。
文学館から少し先を行くと、古河市立第一小学校がある。
立派な門に立派な校舎、校章はもちろん雪の結晶。
さしま茶が名産である、との情報を事前に得ており、通り沿いのお茶屋に入る。
「お土産にお茶でもと」と店員に伝えると、「茨城県産は、うちにはこの商品しかないのですが」とすすめられる。
余計なことを言ったのかもしれない。
少し離れたところにある、篆刻美術館へ行く。
蔵を改造した館内に展示された篆刻の印章を見たのだが…、よくわからない。
離れたところに展示されていた、小学生の篆刻書を見て、まあなんとなくはわかった気になったのだが、全然納得できない。
係員に、婉曲的に「いったい何がいいのですか」と尋ねると、解説書を出してくれた。
読んだところで自分の理解が深まることもなく、要するに「金印」ということなんだろう、というところで手を打った。
係員から「もしかして、篆刻をお始めになるのですか」と教室の案内を受け取った。
完成度の高い「刻狸」というキャラクターがいて、描かれた缶バッジを購入。
12時になり、混雑時で気は引けたが、食事を出す店に入る。
空いているテーブルが1つだけで、やはり申し訳なかった。
うなぎと天ぷらの店で、メニューを見るととても安い。
うなぎはできるだけ食べないことに決めているので、上天ぷら定食と熱燗を頼むことにした。
席について15分ほどでお茶が出てきて、店員に注文を伝える。
まだ食事が供されていないテーブルがいくつかあり、これは長期戦になることを覚悟した。
物騒なニュースを見て、「探検!ファクトリー」で幕の製造の様子をしっかり見て、「舞い上がれ」を見て「BKはここまで様式美に従わなければならないか」と溜息をついているところに、冷酒が出てきた。
お通しのふきがうまく、冷酒でもしばらく飲んでいると体が温まった。
「どうする家康」が10分くらい進んだところで、天ぷら定食が出てきた。
もちろんおいしかった。
食後にはプリンのデザートとコーヒーが出てきた。
会計は2,222円で、さっき買った緑茶のお釣りがあったので、自信なく2,525円を出し、お釣り303円を得た。
店を出て、渡良瀬川に向かって歩く。
日本酒がいい具合に回ってきて、心地よい。
三国橋を渡り、歩いて県境を越える。
右手に見えるのは、おそらく渡良瀬川貯水池の水門であろう。
歩行者は他におらず、歌でも歌っていた気がするが、何を歌っていたかは覚えていない。
きっと「約束」でも歌っていたのだろう。
堤防の下に、新古河駅が見えてきた。
たたずまいは、まるで渡し場のようである。
視界の右から左に4両編成の列車が過ぎていく。
橋の途中から催していた尿意が限界に近づき、改札へと向かう階段を駆け上り、ふと気になって時刻表を見る。
さっき見た列車が上り列車で、次の列車は30分後の南栗橋行きである。
反対側の階段を降りる、何かあると期待して。
住宅地らしきものが広がり、店は何もない。
地図アプリで探し、ここから1.1kmのところにコンビニエンスストアがあることがわかった。
改札を通ればトイレはあるが、何もないところで30分も待つのも気に入らず、悩む時間もないので、コンビニを目指すことにした。
「ここは自然が広がっているので、もしかしていいのでは」と何度も思ったが、理性を振り絞って抑制した。
住宅地は、東武鉄道が開発したようである。
いったい、どこに通う人が、どのような境地でこの土地を求めるのだろうか。
あたりは休日だが静まり返っており、もしかしたら外に出てはいけないような大気になっているのではないか、と震えた。
これは酔っぱらっているからである。
しっかり13分歩いてコンビニにたどり着き、店員に断りを入れてトイレをお借りし、Body Feels Exit。
トマトジュースを購入し、元来た道を戻る。
住宅地には人が住んでいたようで、中年男性が竹刀を持って素振りをしていた。
改札を抜けると、ぎりぎりで上り列車が到着。
後から思いついたのだが、着いてすぐに改札を抜け、用を足し、次の下り列車で1つ隣の柳生駅まで行き、三県境を見に行けばよかった。
もう2度と来ることはないだろうし。
酒を飲んで、歩いたせいか、帰りの列車ではずっと頭が痛かった。
利根川を渡っても、駅間が長い。