2023-10-29 Sun.
熟鷹
2023-10-29
藤本博史氏が、ソフトバンクホークスの監督を退任された。
1989年、ホークスのフランチャイズが福岡に移ってきたとき、僕はホークスのファンであろう、と決めた。
僕らはそれまでずっと、西鉄ライオンズを知る大人たちが唱える「神様、仏様、稲尾様」を聞かされており、今回もきっとそんなことが起こるのだろうと思って、とにかく僕は懸命に応援し、ペナント制覇、日本一奪取を夢見ていた。
TVで観戦し、ラジオを聴き、北九州市民球場の試合を見に行き、平和台で鴻臚館を思い、福岡ドームで子門真人の「ホークスタウン物語」を歌った。
福岡に最初に来た年は、杉浦忠監督の下シーズン4位だったものの、見ごたえのあるシーズンだったように思う。
特に、北九州市民球場では負けがつかなかった。
バナザード、アップショーの時代である。
しかしながら、ドラフト1位指名した元木に拒否され、次の年からのシーズンはひどいものだった。
試合途中までは調子が良くても、終盤になると投手陣が崩れ、ヒット、エラー、ホームランで逆転される。
TVQの中継では勝っていても、中継が終わりKBCラジオに移ると負けていたりしていた。
閉店前のバーゲンセールに、ラジオを一緒に聞いていた父親の機嫌が何度も悪くなった。
ちなみに、野球中継を聞いていたことが、ラジオを聞くきっかけになった。
中学校の先輩であるカズ山本氏が母校に講演にいらした際、ずいぶんと歓迎した。
活舌が悪く何言っているかはわからなかった(というネタを多く繰った)が、実際はその時いただいた「忍耐とは、耐えて、耐えて、耐えて、ジャンプすること」という言葉を座右の銘の1つとしてきた。
「球界の草刈正雄」こと、森脇浩司氏に悶絶した。
ホークスが福岡に来る前、僕はライオンズファンでもあったため、秋山幸二氏がホークスに来たときは、とても喜び、バク宙を繰り返した気分になった(トレードで佐々木や村田を放出したことは、苦しかったが)。
秋山仁氏へのオファー間違いがなくて、よかった。
福岡ドームができ、根本監督が就任され、1994年は何となくいい感じになったのだが、この年もBクラスで、何を応援しているのかよくわからなくなってきた。
そして、城島が入り、石毛や工藤が入り、根本監督が事務職に回り王監督が就任したことで、なんだか違うチームになってきたように感じた。
そして1995年、ケビン・ミッチェルのことが決定的で、5月ごろにはホークスへの興味が失せていた。
そのあとの、カズ山本の放出や、脱税事件やら、サイン盗み疑惑やらがあり、僕も小倉を離れたこともあって、ホークスの動きを追うことがなくなった。
だから、僕にとってのホークスとは、選手が魅力的で、期待はできて、でも弱くて、ずっとBクラスで、鷹のヘルメットをかぶったチーム、というイメージだ。
1999年の優勝に思うことはなかったし(むしろこの時は、山本和範選手の決勝ホームランのことを覚えている)、今に至るまで、とても「常勝軍団」というイメージはない。
2020年にradikoのタイムフリーで「PAO~N」を聞き始めて、「Hawks マン・オブ・ザ・ウィーク」で西村龍次氏の活躍をうかがい、「ホークス3軍はなぜ成功したのか?」を読んだことで育成システムを知ることもあり、再び興味を取り戻しつつはあった。
仲根かすみのこともあり、和田毅選手についてはやっかみを超えた応援をしていたのはある。
そのイメージの中で、藤本選手は、スターだった。
大阪から身売りされた選手たちが、福岡に来てどんな思いだったのかわからない。
ずいぶんと癖のあるパ・リーグのプレイヤーたちが来たものだと、子供ながらに感じていた。
藤本博史は、緊張感のある内野守備と何をするかわからないヒッティング、そして愛すべきキャラクターと口ひげがあり、応援のし甲斐があった。
その藤本が2022年に監督就任したことには、驚かされた。
上にもあるように、もはやホークスのことは追っておらず、彼がどのようにチームとかかわっているのかも知らなかった。
ましてや、王、秋山、工藤というスター選手が監督を務めた後の就任である。
優勝するのが当たり前のような雰囲気の中で、藤本監督の就任は、かなり失礼になるが、格の違いを感じた。
そして、これは小久保裕紀へのつなぎとしての就任なのだろう、と思うに十分だった。
知らなかったのだが、藤本監督の地元での人気が高かったようで、就任は歓迎されており、ホッとした。
そして、この2年間、大変難しく苦しいシーズンを藤本監督は過ごされたと察する。
シーズン中も浮き沈みが激しかったが、終盤だけを取り上げると、2022年はバファローズとゲーム差なしでありながら、直接対戦の勝利数で優勝を逸し、2023年のクライマックスシリーズは、延長10回に3点差をつけたにもかかわらず逆転され、シーズンを終えた。
2023年の全試合終了の同日中に球団から退任が発表された。
クライマックスシリーズが終わった翌日の退任会見、およびTVQでの退任後インタビューを拝見した。
最初に口をついた「しんどかった」というのが、象徴的であろう。
厳しいペナントを耐えて、耐えて、耐えていただいたのだから、ステップ、ジャンプが続くものとと信じたい。
現役、コーチ、監督とホークス生活30年にわたる活躍と献身に、藤本監督には本当にお疲れさまとお伝えしたいし、感謝するばかりである。
僕が見ていたホークスは、これでいったん終わってしまった、という気すらしている。
2023-10-16 Mon.
洗香
2023-10-16
「わたしの一番最悪なともだち」を見終えた。
連続ドラマはほとんど見ない。
時間がないものあるし、話題の連ドラに共感できるほどの度量がない。
以前は、深夜の30分1話完結ドラマをよく見ていた。
その前は、「銀河テレビ小説」を見ていた。
その前は、夕方の再放送ドラマや、土曜の2時間サスペンスドラマの再放送を見ていた。
2023年度は、NHK「夜ドラ」を見るようにしてきた。
週に15分×4回くらいなら時間が取れるかと思って。
最初は、「おとなりに銀河」。
ファンタジーのようだったので、楽しめるかと思ったが、3週目くらいまで見て、話についていけなくて、やめた。
もちろん、自分のせいである。
次は、「褒めるひと褒められるひと」。
第1話を見て、森川葵と川崎鷹也が出ているのを見て、それでやめた。
これももちろん、自分のせいである。
そして、「わたしの一番最悪なともだち」。
こちらは、最初から見て、最後まで全部見た。
途中、怖いところがあった。
嘘を突き通してポジションを得るところなど、怖くて仕方ない。
また、進み切った企画を、自分の思いだけで抜本的な変更をしようとするところも、怖い。
止められるのは当然だ、と考えてしまうのは、自分が年を取ってしまったからなのかもしれない。
それがきっかけで休職してしまうのも怖くて、ちょっとこの辺りはついていけなかった。
過去の自分のことを棚上げして、ミスや不完全さへの寛容度がずいぶんと低くなっていることを認識させられた。
若い時の自分を考えると、新しい人たちに対してもっと優しく受け入れてあげるべきなのかもしれない。
全体的には、お互いに感じていることが長い時間をかけて伝わり合い、見ている方がそのことに最終週まで気付かされなくて、とてもよかった。
テーマソングの歌詞がドラマの内容と合っていないな、と当初から思っていたのだが、それを歌っているのが主演の2人だったのも最終週に気付かされ、最初から終わりが提示されているのも、何ともおしゃれな感じだった。
そして、豪華な出演陣だった。
「トクサツガガガ」にも出ていたが、倉科カナの配役はもうゆるぎない。
平井理央の立ち位置もよくて、僕とちょうど1歳違いの元夫のことを考えると、平井理央のことを全面的に応援する。
白石麻衣の役柄も、実験的で受け入れられた。
唯一疑問だったのが、神戸に実家があるのに、大学進学で一人暮らしを始めているところだ。
神戸といっても広いし、親が公務員ならできるのかもしれない。
2023-10-10 Tue.
悪手
2023-10-10
新しいマウスを買った。
先日外出した際、PCとともに自宅で用いているマウスも持っていった。
帰って確認すると、マウスのスクロール部分が空転してしまう。
メカニカルな部分が外れているのか、破損しているのか、分解したらわかるのかもしれないが、ひ弱な文明人なので、そこまではしない。
このマウスは、2021年4月に購入したらしい。
その時のレシートが残っていた。
購入する前には、さらに8年前に購入した、USBに受信機を差し込むタイプの無線マウスを使っていた。
2019年に購入したPCは、USB Type-AのインタフェースがこのPCの左側だけにあり、マウスの受信機を左側のUSBに差し込み、右側に置いたマウスを操作しても、ときどきポインタが動かない事象が発生していた。
PCの右側にはUSB Type-Cのインタフェースしかなく、ここに短めのケーブルの変換アダプタを差し、受信機を差して、しばらく使っていた。
(見たことないけど)盲腸みたいで見栄えのよろしいものではなく、不満を抱えていた。
その時Bluetooth接続のマウスを持ってはいたのだが、プラスティックの粗雑なつくりのおもちゃみたいなマウスで、接続も安定しなかった。
それもあってBluetoothマウスを避けてきたのだが、もう現代人なのでBluetoothも受け入れなければならない、と覚悟を決め、買ったのが、今回壊れたマウスである。
2年で使えなくなるのも口惜しいが、接続も安定していて十分使ってきたし、スクロールが使えないままだと現代のシングルカラムレイアウトのウェブサイトに対応しきれないので、購入を検討することにした。
電器店の売り場に行って、まず出た言葉が、いつもの「た…」である。
前にマウスを購入したレシートを見ると、値段は1,490円だったようだ。
その値段でBluetoothマウスなんて、売ってない。
また覚悟を決めなけばならないようだ。
ところで、職場で普段使っているマウスはELECOMのEX-Gというモデルである。
職場で使うマウスだから、作業効率を考えて気に入ったものを買おう、と思って、電器店でいろいろ試して、これを買った。
握った時のフィット感がよかったのと、サイズが選べたのがよくて、Lサイズを買った。
この使い勝手がよいので、今回もEX-Gの最新のモデルを購入の第1候補にしていた。
言うまでもないけれど、マウスで作業効率が向上するという話は、無能な僕には適用されないようだ。
それで、EX-Gの売り場に行き、見てみたが、気が引けた。
売り場に来る前まで「予算500円くらい」と本気で思っていたのだから、この値段はその10倍である。
マウスにこの値段を払うなんて、もう浮世離れもいいところである。
別に、トラックボールマウスを買うわけでも、フィンランドでデザインされたマウスを買うわけでもないのだ。
でも、試供品を握ってみると、普段使っていることもあり、心地よい。
日常生活で最も気を付けていることなのだが、ぜいたくが身に着くと、元には戻れないものだ。
サイズがS・M・L・XLと4種類あり、Lに加えXLが候補になる。
箱の横にマウスの大きさに合わせた手のひらの推奨サイズがスケールとともに記載されており、スケールに手を合わせて見ると、Lサイズが適切のようである。
ただ、試供品を使ってみると、XLサイズの方がしっくりくる。
僕の手のひらはそんな化け物みたいなサイズになってしまったのか、無用の長物だな、と落胆した。
サイズで金額が変わり、XLサイズが最も高いのだが、もういい。
購入金額の全額をポイントで決済した。
先日のTV購入で得たポイントを使ったのだ。
どうでもいいことだと思うが、僕の出納ルールだとポイント決済も支出としてカウントするので、「ポイントを無為に使ってしまえ」という考えが抑制されるシステムになっている。
なので、直接的には得した気にならず、単に資金を消費した程度にしか思わない。
購入したXLサイズのマウスを自宅で使ってみると、大きくて手が疲れる。
売り場で試供品を使った際は立っていたのだが、椅子に座って使う感じはまた違って、手の付け根に力が入る。
どうやら失敗したらしい。
とはいえ、使っていれば慣れるだろう、とも思い、実際慣れてしまった。
ただ、XLサイズなのでかなり大きく、持ち歩きには不適切だ。
そこで、手元にあった未開封のMサイズ有線マウスを開け、職場においてあったSサイズ有線マウスと取り換え、このSサイズ有線マウスを持ち歩き用優先マウスとすることにした。
PCのUSB Type-Aが左側にしかないので、有線マウスのケーブルをPCの後ろにぐるっと回す形でつなぐ必要があり、みっともないのだが、変換ケーブルを持ち出すのもばかばかしく、もういい。
2023-10-03 Tue.
返脳
2023-10-03
松岡美術館に行った。
恵比寿駅で下車。
ここから歩くことにする。
この辺りに来るのは、記憶している限りだと、20年以上ぶり。
お世話になった人のお手伝いで、街の調査のために来たのを、首都高速2号線の高架下を見て思い出した。
思っている程度に飲食店が並び、思っている以上に住宅があり、なぜこの辺に関係のない生活を送っているものか、と不安になる。
パーソナルジムのチラシを配る男性に会釈する。
大きな屋敷を横目にしつつ、道に迷い、目的地に到着。
初めての来訪。
松岡冷蔵創業者の胸像に手を合わせ、「モネ、ルノワール 印象派の光」を鑑賞。
長く生きるとわかることもあるもので、僕はどうも印象派から新印象派にかけての絵画、特に点描画や分割主義に興味があるようだ。
特に、ジョルジュ・スーラの絵が好きで、いつかクレラー=ミュラー美術館に行ってみたい。
小学生のころ点描画を描きたかったが、水彩絵の具でその表現はとても無理だった。
もっとも、後からよく考えてみたら、絵を描きたいなんて思っていなかった。
点描画にひかれるのは、僕の色覚異常にも関係しているのではないか、と思う。
実際、アンリ・マティスは色覚異常だった、という話もある。
今回は、スーラの作品はなかったのだが、ルノワールやウジェーヌ・ブーダンの絵に興味を覚えた。
アルマン・ギヨマンは、50歳で宝くじを当て、その後の人生は制作活動に没頭することができたそうだ。
ヘンリー・ムーアの「母と子」があり、「抽象彫刻はたまらないな」との感想を得た。
筆のタッチや単純なオブジェクトで表現するところにひかれるのは、プログラミングの仕事をしすぎているからかもしれない。
そして、この期に及んでも、共通点を見つけ抽象化しようとしている。
帰るころには、入場券売り場に長い列ができていた。
自分の人生ならもっともなことだが、この付近に用事があるようなことも、これまで一切なかった。
とても僕のようなものが店に入って、昼食をとるような雰囲気にはない。
白金に飾られたドン・キホーテが異彩を放っている。
マルエツ・プチばかりを見て、白金台駅の深い階段を下り、早々に立ち去る。
帰宅してから、地図アプリを見返すと、白金界隈に「脳洗浄」なるものをしてくれる店があった。
商売として本当に存在する概念なのか、とまた知識を増やす。
父親に教えてあげたい。