2020-04-30 Thu.
内憤
2020-04-30
それでは、神の言葉を聞いて始めたいと思います。
新約聖書コリント人への第一の手紙、10章13節の言葉です。
あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。
神は真実である。
あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。
それでは始めましょう、「笑っていいとも 特大号!」。
僕は、過ちを悔い、欠陥を是正しようともがき続けるのが、人の道だと思う。
それ以外の道を歩く人をあまり信用していないし、できるだけかかわらないようにしている。
2020-04-29 Wed.
美日
2020-04-29
少し前、父が仕事をリタイアした。
以来、毎日することがないのだと言う。
電話の声にも、覇気がない。
母は、「季節が一巡するころには慣れるやろ」と言っている。
僕は、父を慮り、以下のような発言をした。
今の世の中、サブスクリプションというものがある。
月額数百円で、契約したチャンネルで見られるビデオは見放題だ。
僕がもし長期の休みを得たら、毎月サブスクリプションを渡り歩く生活を送るだろう。
父さんは、昔どんな映画を見ていたんですか…。
例のごとく父は昔の記憶を失っており、「はて、よう見たはずやが、何見よったやろか」とつぶやく。
僕も将来、いやもうすでに現時点でもそうだが、過去の具体的なエピソードなど、悪い思い出を除いて、すべて忘れ去ってしまうのだろう。
上の会話をしていたのは、今年の1月だったかと思う。
そのころは、4月の僕が父と同じような境遇、つまり「家にとどまり、することを自分で探さなければならない」という事態になるとは、考えもしなかった。
そして、考えようによっては、幸運である。
VODで見られるものは少しずつ見ているが、見たいものがVODにない場合も多い。
DVDを借りに行けばいいのだが、外出するなと言われているし、こんな時に近所のTSUTAYAは休業している。
それなら、ネットでDVDをレンタルし、郵送してもらうことにする。
それで、先日借りたのが、映画「Beautiful Sunday」。
前回見たのは1998年12月13日日曜で、場所はやはり渋谷のシネ・アミューズ。
始まってすぐに、「わっ、尾藤桃子出ていた」と思いだす。
J-PHONE presentsで、永瀬正敏主演。
例のごとく、話の筋を完全に忘れている。
「下妻物語」以前の中島哲也監督作品として、「つまらない日曜」というコンセプトが今でも好みであることを確認できた。
しかし、どちらかというと「夏時間の大人たち」のほうが、比較的話が存在するので好きだ。
年を取ってしまい、この映画を見るにはどうやら忍耐力が欠けているようだ。
若い時にしか見ることができない映画、というものがあることを改めて知る。
そして、若い時に確かに見ていたのに、今の自分にとって特に何かになっている自覚がない。
結局のところ、若い時期をどう過ごしても、すべて無駄に終わることが決まっていたのだと、自分に言い聞かせる。
そんなことを思ってもまだ、時間が余っている。
2020-04-27 Mon.
反信
2020-04-27
森喜朗が「(再延期は)絶対ない」と言っているのだから、再延期は絶対あるのだろう。
2020-04-24 Fri.
惜別
2020-04-24
エルシャラカーニのDVD「穴を掘る人」を動画配信で見る。
覚えているか、昼のドラマってあれだろ、五つ子出てきて、早く起きてトークやって…、って違う違う違う。
再婚して家族になって、井上真央出てきて、ざけんなよ…、って違う違う違う。
辺見えみり出てきて、有森也実出てきて、美山加恋出てきて、大子町でロケして…、って違う違う違う、それはこないだ水郡線に乗って初めて知ったやつ。
朝はライオン、昼は花王ってなーんだ、って違う違う違う。
要するに、感謝祭での正答率が高い、さすがは「連想ゲーム」出身ということだ。
来年のおせちは、いったいどこで買えばいいのだろう。
2020-04-23 Thu.
切羽
2020-04-23
「ここにきてそれかよ」というどうでもいい復縁の報道(「どうでもいい」は「復縁」にかかっている)があった矢先、それを上回る「ここにきてそれかよ」の様相漂う福田明日香のニュースを聞くと、コロナ禍の深刻度を新たにする。
2020-04-17 Fri.
流昔
2020-04-17
美人は、手を洗うだけでポジションを回復することができるのだから、得である。
2020-04-16 Thu.
循環
2020-04-16
10万円給付されたら、セクキャバは自粛して、欲しいものを買おう。
それは、国債。
いや、国債を買って、10万円が給付されるのが順番か。
いやいや、国は貯金するな、と言っているし、「貯金をする=国債を買う」が実態のような気もするし、そうすると国が国債は魅力的な投資先ではないと言っているのと同じだし。
それなら、資本市場に戻すことにするか。
ああ、経済を回すというのは、手間と労力と税金がかかるもののようだ。
念のためだけど、これは、票田を得ることについて評しているわけではない。
未来から有権者が投票できれば、と一瞬思ったが、未来を思って投票するのが現在の有権者の責務だと恥じる。
刹那主義はよくない。
それにしても、そもそも平時でも(「平時」などという概念は存在しないだろうが)、票を得て仕事をしている人間がセクシーキャバクラに行くものかね、咎めるつもりはないけれど。
それとも、独自の情報網から、「もう人類は絶滅する」あるいは「俺の余命はわずか」との極秘情報でも得ているのか。
あるいは、「俺だけが特殊な免疫を持っている、何ならわけてあげようか」という善意なのかもしれない。
岡山1区は大変だ。
2020-04-15 Wed.
撫犬
2020-04-15
もはや、スベリ芸の域。
2020-04-14 Tue.
閉内
2020-04-14
気づいたら、大きな災害の中に閉じ込められている。
街が、閉まっている。
よく考えると、そもそも僕には欲しいものがなかったことに気づき、店が閉まっていても特に困ることはない。
お世話になった店には申し訳ないけれど、ドトールでコーヒーを飲んでいたのを、家でコーヒーを飲むことに替えれば済むことだ。
眼鏡のつるのカバーがボロボロになってしまい、近いうちに新しい眼鏡を買おうと思っていたのだが、これはまあ、しばらくあきらめる。
けれど、今後生活必需品の供給が縮小したりしたら、どうなるのだろう。
華のない自分の生活でも、さすがに危うくなる。
最近の人間は、リスクに気づくことには長けてきた。
しかし、リスクに対処する術はまだまだ未熟なようだ。
賢い人たちが、その賢さで気づいたリスクにおののいてしまい、騒ぎ立てるだけだ。
雑音を排し日常を保つことだけでも、個々人にできるリスク対応策に十分なると思うのだが、この考えはそれほど受け入れてはもらえない。
みんな、行政に預金でもしているのか、金を引き出すように求めている。
批判の対象である体制は、僕ら有権者が長年かけて築いてきた(あるいは放置しているうちに育った)ものだ。
結局は、自省あるのみ。
これまで何をやってきたのだろうか。
2020-04-13 Mon.
減援
2020-04-13
徳井さんは、対象かな。
2020-04-11 Sat.
映聖
2020-04-11
ラジオのニュースで、何よりも先に大林宣彦監督の訃報が伝えられた。
「最も好きな映画は」と尋ねられた時に、気の置けなくて、信頼できて、これで嫌われても仕方がないとまで思える相手であれば、「今のところ「ふたり」でいいと思う」と答えることにしてきた。
多分その答えで、間違ってはいない。
2020-04-10 Fri.
綿帯
2020-04-10
外を歩く人たち、電車に乗っている人たちは、ほぼ全員マスクを着けている。
どうやってマスクを手に入れているのだろう。
もしかして、僕の苦手とする「つて」を通じてマスクを入手しているのか。
そうなると、行列に並ぶなどの「努力」を軽視し、コミュニティの外にいる僕が手に入れるのは、経済が元に戻った時だな。
街で防塵マスクを着用している人を見かけたが、すべる覚悟を持ってでも、そうするべきなのかもしれない。
もし、マスクを持っている人だけが外出しているのなら、だれかはっきりと「休み」を指示してくれ。
もともと、「相談役」みたいな仕事しかしていないのだから、TV電話でペアプログラミングで十分だろう。
普段と全く変わらない要請を受けているどころか、社会のために普段より緊急度の高い依頼を受けており、やや疲弊気味。
これまで、1日2時間くらいしか仕事をしていなかったのは、ミス防止のため。
余裕がないとミスをするし、むしろぼんやりしているときのほうがアイデアを思いつく。
今みたいに限られた「働ける日」にフル稼働で働いていると、ミスが手招きしているようで怖い。
2020-04-08 Wed.
会村
2020-04-08
そうだ、今こそ「6人の村人!全員集合」を再放送すればいいのではないだろうか。
何とか骨を折ってくれないだろうか。
2020-04-07 Tue.
欺生
2020-04-07
「相棒」Season18 #20を視聴。
相変わらずの年齢設定。
「若く見えるが、年40」の遠山景織子、「7歳でコンピュータゲームを開発し、評判を呼んだ」世代の坂井真紀。
時空がゆがんだのだろうか。
終わってみれば、シンプルな犯罪だった。
しかしこれで、「防犯カメラの映像を逐一疑わなければならない」という強い制約を自ら設けたことになる。
「ディープ・フェイクは日進月歩」と言ってしまったし。
新たな登場人物を迎えたたにもかかわらず、次のシーズンがなかったらおもしろいのだが。
まあそんなことはなく、次のころまでには通常収録できるようになっていてほしい。
2020-04-05 Sun.
探訪
2020-04-05
またまた追悼番組を見てしまう。
このロケ番組が大好きで、放送時間に家にいるときは必ず見ていた。
でも、もう新作はない。
再放送もされないし、ダイジェストもないだろう。
これが、本当に見納めだ。
それにしても、一番驚いたのは、矢部美佳が出てきたことだ。
こちらも見納めになるような気がして、それはそれで怖い。
2020-04-04 Sat.
逃桜
2020-04-04
不要不急の用で出かける。
久しぶりの「目的のない外出」で、いつも持ち歩ているイヤフォンを家に忘れてきた。
自宅から40分ほど歩く。
車通りは多いが、人とすれ違うことはほとんどない。
いつも散髪をお願いしている理容師から「川沿いに、桜がきれいに咲く場所がある」とうかがっていたので、この機会に見に行くことにしたのだ。
こんな機会でもなければ、僕はすぐに都会に行ってしまう。
桜は咲いていたが、風が強くて、すでに花弁が散る量も多い。
桜の下には、シートを広げてただ座っている人もいるし、弁当を広げている人もいる。
周辺に比べれば散歩をする人の数は多いが、込み合っているというわけでもない。
菜の花が咲いている川のそばへ降りようとすると、看板が立っており、「川の近くは放射線量が高いので、近寄らないでください」と書いてある。
晴れていて、少し汗ばむくらいの、いい陽気だ。
橋を渡った先に小さなパン屋が開店しているのを発見した。
窓越しにのぞいてみて、やはり実物を見てしまうと誘惑に勝てず、いそいそと入店し、購入。
PayPayで支払った。
街まで出る。
街を歩く人の量は、とても少ない。
大きな店は閉まっていて、ある小さな店ではバーゲンセールをやっていた。
店員が元気よく声を出し、客はそれなりにいた。
ラーメンを食べ、コーヒーを飲み、有線マウスを買い、日用品と夕食を買い込み、バスで帰った。
書店はどこも閉まっていて、本は買えなかった。
2020-04-03 Fri.
等隔
2020-04-03
また、追悼番組を見てしまう。
普段は世の中のために21時で風呂に入ることを心がけているのだが、つい番組終了までTVを見てしまった。
月並みな感想だが、「もういない」ということを忘れてしまう。
もう次がないのか、と思うし、今まで何を見てきたのだろう、とも思う。
物心がついたころには、志村けんはザ・ドリフターズの一員で、いかりやさん以外のメンバーはすべて並列に見えていた。
志村さんはすでに第一線の芸人であり、それから40年ずっとそのままでいる。
志村さんがあとから加入し、加入前はいかりやさんの付き人だったのを知るのはおそらく30年くらい前だが、そのことにはまったく気づかずにコントを見ていた。
特に、加藤さんとのコントは、本当の友達がふざけているように見えた。
でも、よく考えれば加藤さんと志村さんの間にはメンバーとメンバーの付き人という関係性があったはずだ。
当時そのことを意識させなかった加藤さんは、すごい。
また、気づいていなかったことがあったことに気づき、落胆する。
タモリさんの3時間生放送も少し視聴。
離れて立っているのには慣れればいいのだが、それにしても寄りかかるところもなくずっと立っているタモリさんはつらくないか、と心配。
思い返せば、「ブラタモリ」の四万十川の回では、河口から船に乗り、あの四国の細い山道を車で移動し、過去の川の痕跡に降り立ち、ラフティングをし、新幹線型の列車に興奮し、最後は四万十川の源流まで行き、その上ところどころ頭を使うコメントを残しており、「ぶらぶら歩く」とはかけ離れた行動に、ご年齢を考えるとどれだけ元気なのか、と思う。
むしろ、ナレーターの健康管理のほうが心配になり、番組視聴の邪魔となっていた。
2020-04-01 Wed.
空車
2020-04-01
今日から新年度。
電車内は、ウソみたいに空いている。
不要不急でない用事で、原宿と銀座に行く機会があったのだが、怖いくらいに人がまばらだ。
このままリモートワークが進めば、自宅をオフィス化する経費が認められ、もっと広い家に住めるようになるのだろうか。
それでも僕は、都会に住みたいし、混み合った街の喧噪を離れた路地で一休みしたい。
マスクの配布は、僕は「効果」があると思う。
人は、モノを見れば安心する。
全く売られていないマスクを手にすることで、今の不安やパニックは多少軽減するのではないだろうか。
そして、これは「逆効果」にもなるのだろう。
マスクがあることで安心し、うがいや手洗いがおろそかになったり、不要不急の交流を再開したりすることになるだろう。
不安は面倒だとは気づいていたつもりだが、今回わかったのは、安心も十分に厄介だ、ということだ。
ところで、世界規模の困難、「世難」とでも称してくれれば、少しは見直すのだが、「国難」とは聞こえ心地のいい言葉なのだろう。
追悼番組を視聴。
人を笑わせることを真剣にやることの偉大さ。
お笑い芸人のすごさのほんの一部に気づいてから、まだ10年くらいしか経っていない。
確かに熱心な視聴者ではなかったにもかかわらず、埋めきれない喪失感がある。
「次の機会で偶然番組がかかっていれば見られる」という安心が、もうない。
それにしても、「追悼番組にも登場させない」という事実で、罪深さを改めて知る。
「こんな時くらい」と思ってしまうのは、自分の甘さだ。
気づかなかったけれど、これまでも、志村さんのためにうがい、手洗い、換気を心がけ、人と離れて会話をしてきた。
これからも、同じ。