曇天の続き

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2012-08-31 Fri.

直送

2012-08-31

この頃、「ナインティナインのオールナイトニッポン」のCMに、ACジャパンのCMが多い。
提供クレジットのスポンサーの数が2社くらいしかないときがある。
これはつまり、スポンサーが以前ほどついていないということだ。

僕はACジャパンのCMのほとんどが嫌い…苦手なので、不快で仕方がない。
それはそれとして、「この先も番組が続くのだろうか」という不安が現実的になってきたことを感じる。

同時間帯では、TBSラジオの方がレーティングがいいのだという。
聴収率は自分の選択に影響を及ぼさないのだが、番組の継続には影響を及ぼす。

僕が気にしているのは、番組内のフリートークだ。
最近、岡村さんは「Yahooニュース」の記事に対する感想を話すことが多い。
これに関しては、僕ははっきり言って「おもしろくない」と思う。
少なくとも、飽きてしまった。

ずっと人気を保たなければならない(そして、スポンサーを保たなければならない)というのが番組の宿命だが、その中でもラジオはそのハードルが比較的低いものである。
それでも、番組が終わるときは、歴史の厚さに関係なく、終わる。

番組はともかく、実生活で気をつけなければならないことがある。
ACジャパンのような説教くさいきれいごとばかり言い(そのくせ自分がまき散らしている迷惑には目を向けない)、Yahooニュースが元ネタの話題ばかりを持ち出してくる人たちを、僕は敬遠している。
それはそれとして、ACジャパンが言うようなことを言い、Yahooニュースにあるような話をするのは、人に嫌がられる恐れがあるので、控えよう。
これは、自戒である。

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2012-08-30 Thu.

苛責

2012-08-30

青山真治 著「ユリイカ」を読み終える。

映画「ユリイカ」がノベライズ化されていることは、僕にとってはとてもありがたい。
映画の内容をほとんど忘れているが、3時間半以上も映画を見直す気にはどうしてもなれなかったからだ。

作品中、著者は門司の地理について次のように描写している。

海と山に挟まれ、狭い斜面にしがみつくように人が住む町がある。海といっても視界はすぐに向い側の本州に阻まれた海峡であり、山といっても越えればすぐにまた海があった。地図で見れば卑小な陰茎を思わせるような半島だった。

企救半島を「卑小な陰茎」にたとえるところがすごい。
多くの半島はそのようなたとえになりそうだが、だったら、佐田岬半島はどうなるのか。

青山真治は門司出身である。
自分の生まれ育った地をこのように卑下して表現する人は少ないと思う。
しかし、故郷をこのように表現したくなるのが、実は北九州市出身者のメンタリティである。

そして、自分の出身地をこのように言われてしまった方も、つまり小倉出身である僕も、「言い得て妙だな」と思ってしまう。
腹の立つことなど、ない。

ただ、これはあくまでも、北九州市出身者同士のやりとりだからである。
よその人が、事情も理解していないまま、北九州市出身であることを理由にして人をからかうようなことはしない方がいい、と注意喚起したい。
余計なトラブルには巻き込まれたくないでしょ。

僕もたった1度だけ、北九州市出身だからということで根拠のない偏見を含んだ言葉を言われ、大人げなく激昂したことがある。
「いつか、くらすけの」とは(言い慣れていないので)言わなかったが、そういう精神の傍流にあることを思い知らされた。

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2012-08-29 Wed.

愚口

2012-08-29

「店員に対してだけ態度を変え、ぞんざいな口の利き方をする男性が嫌い」というのは、女性がよく口にする発言である。
僕はそれを真に受けて、店員に対して丁寧な言葉遣いを心がけるようにしている。

この定説に対し、最近少し疑問を持っている。

この定説のポイントは、「口の利き方が悪い」というところにあると考えていた。
しかし、実際は、「態度を変える」というところにあるのではないか。
つまり、普段から攻撃的な態度を一貫してとっている人であれば、店員に対してもえらそうな態度をとることが許されているのではないか。
むしろ、店員に対して高圧的な態度をとり、より多くのサービスを引き出すこと自体は、女性は望んでいるのではないか。

以上が、「一緒に家電を買いに行きたいタレント」ランキングからの考察である。

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2012-08-28 Tue.

満了

2012-08-28

3年更新ということには気づいていたが、果たしてその通りになった。

5代目おけいはんが公募されることが告知された。

日向千歩は今、新しい仕事をしているのだろうか。
それとも、多くの芸能人と同様、このままフェードアウトしていくのか。

見守る以外、することがない。

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2012-08-27 Mon.

受入

2012-08-27

「ワタナベエンターテインメント九州事業本部」というフレーズを久しぶりに耳にし、少々不快になる。

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2012-08-26 Sun.

飼料

2012-08-26

料理をするのが面倒あので、食事を缶詰で済ませることが多い。
98円のサバの味噌煮缶、サンマの蒲焼き缶、ツナ缶などだ。

確かにおいしい。
ただ、まるでペットの犬や猫の食生活だ。

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2012-08-25 Sat.

除隊

2012-08-25

映画「ランボー」を初めて見て、衝撃を受けた。
勝手な思いこみとは異なり、あんなに暗い映画だったとは。

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2012-08-24 Fri.

呼集

2012-08-24

騒ぎのことに気が回らずに、秋葉原に立ち寄ってしまう。

今夜は、東京ドーム公演の初日である。
だから、なのか、それにもかかわらず、なのかはよくわからないが、普段とそれほど変わらない街であった。
ただ、広告は多い。

電気街口の広場の様子を見て、昔と大きく変わった、と感じる。
昔、といっても15年くらい前のことだ。

広場で盛り上がっている人たちはきっと、15年後も「懐かしの―」みたいな感じで、盛り上がることができるのだろう。
僕らには、(幸運だと言っていいのだろうが)それがない。

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2012-08-23 Thu.

猿轡

2012-08-23

僕がよく見る夢のパターンは、次のようなものだ。

口の中に、異物を押し込められる。
その異物とは、金属片、もしくは針金のようなもの、あるいはゴムのような柔らかい素材でできたものだ。
これを口の中に入れたまましばらく暮らせ、と言われる。

口の中が、すごく気持ち悪い。
数日は我慢するが、やはり我慢できない。
医者に言って、調整してもらおう…。

目が覚める。
口の中に何も入っていないことを確認し、ほっとする。
もう、歯医者に通う必要はないのだ。

これが、歯列矯正をしたことがある人間が見る悪夢である。

治療が終わってから20年近く経つのに、今でもこの夢をよく見る。
口の中の違和感までも、夢の中では再現されている。

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2012-08-22 Wed.

補給

2012-08-22

アリナミンVのCMみたいなことをやってもらえたら、朝からどんなに快適だろう。

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2012-08-21 Tue.

濁甲

2012-08-21

祇園太鼓が趣味の「国民的美少女」か。
驚いちゃう。

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2012-08-20 Mon.

放逐

2012-08-20

僕は、「ファンと私的メールで連絡していたから脱退させられた」という報道に懐疑的である。
前例から言うと、移籍で済むはずだから、である。
むしろ、明確な証拠もなく原因を推測する報道が出るところに、前例への批判をあおる意図を感じる。

ところで、全然関係ないが「ヤング―」と前につく言葉がどうも受け入れられない。
何となく、古くさいイメージがしてしまうからだ。
受け入れられないのは僕だけで、これが英語圏標準の呼称なのかも知れない。
この言葉自体は数年持たないと考えるのだが、僕の感覚など全く当てにならない。

美しいソフトボール選手、という話題が4年前にあったのだろうか。

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2012-08-19 Sun.

菲薄

2012-08-19

昔、僕には映画を見るという習慣が全くなかった。

まず、映画館に足を運ぶということがなかった。
中学を卒業するまでに映画館に行ったのは、「大長編ドラえもん」を見に行ったのと(後藤寺バスターミナルの上にあるターミナル会館)、中学校の行事だけである(「おろしや国酔夢譚」と「息子」と「ホームアローン2」)。

当時、映画産業は斜陽を迎えていた。
今みたいにシネマコンプレックスもなく、映画館というのは暗く汚い場所というイメージがあった。
ましてや、僕の地元は小倉である。
今と違って、繁華街に足を運ぶのも、いろいろと制限があった。

一方で、自宅で映画を見ることもほとんどなかった。

ビデオデッキが一般家庭に普及したのは、せいぜい中学生の頃だったと思う。
子供のころは、近所にレンタルビデオ店はなかった。
僕の実家にVHSデッキが設置されたのは、一般よりもさらに遅く、確か1995年である。

映画を見ると言えば、せいぜいTVで放送されるのを時々見るくらいだった。
放送はだいたい午後9時以降なので、小学生の頃は寝てしまっていた。
中学生の頃にも、他の番組を優先していたので、進んで映画番組を見ようとすることがなかった。

TVで時々見たり、学校の体育館で見たりした経験から、映画を見ることが好きであることは何となく気づいていた。
しかし、僕には、映画を自由に見る手段がなかった。
だから、他の世代によくある、「あの懐かしい映画が好きだ」という感覚が欠落している。

映画が娯楽の中心であった時代。
そして、映画を自宅で自由に見られる時代。
僕は、その間の時代に育った、「映画を見ることが不自由だった世代」に属している。

そうは言っても、何とか「ミニシアターブーム」の中にいた世代である。
あるいは、「J MOVIE WARS」にギリギリ間に合った世代である。
つまり、忘れ去られる世代である。

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2012-08-18 Sat.

刻限

2012-08-18

例えば、あと1時間で死ぬとわかっていたら、大切な人と過ごしたい。

などという発想が、(現時点では)全くない。

誰に会いたいとも、特に思わない。
後悔を感じるような別れをしないように、人に会ったときごとに全力を尽くしているからだ。
嘘のように聞こえるかも知れないが、本気でそう考えて行動している。

(仮にいるとして)大切な人と一緒に過ごす時間より、一緒にいない時間の方がずっと長い。
それが、人の一生である。
そろそろ、そういうことに気づくお年頃だ(僕は、「篤姫」の再放送を見て、最近やっと気づいた)。

死ぬまであと1時間しかないとしたら、できれば人と一緒に過ごしたくはない。
僕は、ひとり静かに過ごしたい。
自分のPCの前に座り、過去を振り返りながら、自己の全てを肯定し尽くして終わりたい。
ついでに、いくつかのファイルを消したい。

でも、いじきたないので、「何かおいしいものを食べておきたい」とは思う。
1時間で、しかも手軽に手に入るものだったら何がいいか、と考えて思いつくのは、まず、国産のビールである。
ただ、酩酊した状態で時間を費やしたくはないので、飲酒は控えめに済ませたい(死ぬ直前には酔うことができないのだから、普段から納得いくまで酔うようにしよう)。
後は、生ハム。
これなら、最悪コンビニで売っているもので済ませることもできるし、調理する手間がいらない。

もし、6時間くらいあるとしたら、都心に出てフカヒレを食べる。
12時間くらいあるとしたら、遠出して、福井でカニを食べるか、佐賀でイカを食べるかしたい。

ただ、人生の終わりを福井か佐賀で迎えるのも、どうかと思う。
そう思うのは、福井や佐賀が僕には全く縁のない場所である、という個人的な理由からだ。
他意はない。

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2012-08-17 Fri.

真実

2012-08-17

開始と共に子供たちの悲鳴を聞かせる悪趣味な番組、という印象のある「ほんとにあった怖い話」は、本当に怖いのだと思う。
まさか、出版社やTV局が嘘をつくはずもないのだから、本当にあった話なのだろう。
番組を視聴して確かめたいのだが、それはできない。
なぜなら、見るのが怖いからである。
万が一実話でなければ(「このドラマはフィクションです」などのテロップが出るようなら)、番組はBPOの審査対象になるだろう。

僕はどちらかというと霊の存在を信じる方である。
しかし、いや、だからこそというか、人間である霊能者のことを比較的信用していない。

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2012-08-16 Thu.

先見

2012-08-16

今読んでいる本の中で、「シュワルツェネッガーが演じるターミネーターがコナー親子の味方であることを始めから知ることなく、「ターミネーター2」を見たかった」とあった。
確かにこれは、現在の僕も味わうことができない贅沢である。
他にも例えば…、と例を挙げて、他人の楽しみを減らすようなことはしない。

本では続いて、映画の予告編についての考えが書かれてあった。
予告編を見ることにより、キーとなるあらすじがわかってしまい、映画を見る楽しみが減じてしまう、とあった。

確かに、ネタバレを引き起こす予告編、はある。
先日見た「異人たちとの夏」のディスクに収録されていた予告編では、名取裕子が浮遊しているシーンがあった。

しかし、僕の場合は、予告編によるネタバレはほとんど生じない。
たとえ予告編を見たとしても、映画館で本編を見るまでに予告編の内容を忘れてしまっているからだ。

むしろ怖いのは、予告編によるミスリードだ。
先日見た「異人たちとの夏」のディスクに収録されていた予告編は、映画の内容を「ホラー」と思わせるものであった。
もし予告編だけを見ていたら、僕は「異人たちとの夏」を見ることを控えただろう。

確かに、「異人たちとの夏」にはホラーの側面がある。
僕が一番恐ろしいと感じたのは、林泰文の容貌が現在とそんなに変わらないところだ。

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2012-08-15 Wed.

滂沱

2012-08-15

夏のまっただ中に「異人たちとの夏」を見る。
感想は、この映画を見終わると、無性にビールが飲みたくなる。

ファンタジーが好きなので、「異人たちとの夏」は好みの映画である。
この映画のジャンルをファンタジーとしてもいいと思うのだが、自分なりのファンタジーの定義が、今もまだ定まっていない。

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2012-08-14 Tue.

温故

2012-08-14

ロンドンオリンピックの閉会式で、あるアーティストが人間大砲に入り、飛ばされることなく砲口から転がり落ちてくる、というシーンがあった。
早朝に見ていた僕は、「これは、こないだの火薬田ドンのパクリじゃないか」と興奮した。

その日のうちにわかったことは、NHKのアナウンサーが「アーティスト」とだけ呼んでいたエリック・アイドルは「モンティ・パイソン」の一員であり、人間大砲は1970年代からの持ちギャグである、ということだった。
エリック・アイドルは、2011年に来日し、「いいとも」でタモリさんと共演しており、僕はそれを見ていた。

その事実を知り、おそらくNHKのアナウンサーほどではないだろうが、ものすごく恥ずかしかったし、ものすごく反省した。
火薬田ドンは「モンティ・パイソン」からネタを引っ張ってきており、視聴者である僕はそれを全く知らずにオリジナルなものとして笑っていたのだ。

古典を知ることはうっとうしい場合が多いのだが、それでも知っておかなければ腹の底から笑うことができない。
鬼瓦権造を知らずして、「やべっち寿司」で笑っているようなものだ。
でも、これから「モンティ・パイソン」を見ていくことになるのか、と考えると、ため息が出る。

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2012-08-13 Mon.

濾水

2012-08-13

今日は、年に1度の「朝からビールを飲む日」である。

朝といっても、起床してすぐに、というわけにはいかない。
いろいろと作業をしていたら、9時ぐらいまでかかってしまう。
午前中に350mlを2本、「いいとも」を見ながら4本、15時から3時間ほど昼寝して、夕食時に5本。

やったところで、収穫は特にない。
早く寝るだけだ。

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2012-08-12 Sun.

俊足

2012-08-12

映画「暗いところで待ち合わせ」を見る。
以下は、ネタバレを含む。

ちょっとしたエピソードにも意味がある、というドラマが苦手である。

例えば、「フィルムを使い切りたいから」という理由で、レンズ付きフィルムをレストランで取り出し、撮影するシーン。
これぐらいであれば、見ているこちらも「たぶんこれは、後で話に利いてくるのだろう」と構えることができる。
あまりに唐突だったし、不自然であったからだ。

一方で、「私、元陸上部だったから」という台詞は、「聞き流したい」と思った。
この台詞もかなり唐突に現れたが、本筋に関係のないキャラクター付けがあってもいいではないか、という余裕を持つことを選んでしまったからだ。
すべてを無駄にしないようにする態度は、何だか息苦しくなってしまう。

それにしても、列車の運転手の資質を問いたくなる。
プラットフォームの下に隠れ、そこからはい上がりかけてくる人間を見逃すとは、この運転手は何と注意散漫なのだろうか。
それとも、案外見えないものなのだろうか。

そして、他人に殺人の罪をなすりつけようとまでした狡猾な人間が、激情に駆られて露呈リスクの高い殺人を試みようとするものなのだろうか。
これは、殺人者の心理なので、僕には理解しがたい。

以上のように、映画を見ても話にのめり込むことができなかった。
それでも、田中麗奈の美しさが存分に表れている映画なので、僕は文句を言わない。

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2012-08-11 Sat.

虎威

2012-08-11

やはり、トラが描かれたユニフォームは強そうに見える。
この国にトラはいなかったのに、それでもトラを入れてくるのは、実力に自信がなければできないことだ。

花田虎上氏や荒木定虎とか、そういう重要さを改めて感じた。

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2012-08-10 Fri.

迎霊

2012-08-10

まさか、というか、想定内、というか、そこにいくのか、というか、そこしかないのか、というか。

今週発売の「FRIDAY」に、小阪由佳のグラビアが掲載された。

お盆休みらしい話題ですね。

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2012-08-09 Thu.

近内

2012-08-09

まったく、結婚を渋る男じゃないんだから。
飲み会の日程だって、こんな決め方はしない。
「近いうちって、いつにする?」と言われるに決まっている。

でも、解散時期を明確にする、ということは現実的な選択なのだろうか。
僕はあまりそうは思わない。
解散が決まっているのなら、「審議拒否だ」と言う人も出てくるように思う。

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2012-08-08 Wed.

複合

2012-08-08

十種競技が始まった。

僕は、デカスロンを観戦するのが好きである。
終盤の疲労困憊ぶりを見ると、まさに「死闘」といった感じがする。
順位に対する喜びの前に、競技をやりきったことに対する達成感に満たされている様を選手一様から感じる。

トライアスロンやノルディック複合など、組み合わさった競技が、見ていて興味を感じる。
近代五種やバイアスロンも興味深いのだが、競技の性質上、軍隊出身者が参加者の多くを占めるところに、やや関心が薄まる。

いずれにせよ、どれも自分でやろうとは思わない。

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2012-08-07 Tue.

減衰

2012-08-07

僕が小学生の高学年の頃、怒られていた原因の一つに「やる気を出せ」というものがあった。
僕は怒られたことを素直に受け止め…、というより怒られるを嫌って、やる気を「出した」。

僕は、今でも不思議に思う。
やる気を出さないことは、怒られる理由になるのだろうか。
実際に怒られたのだから、理由にはなるか。

では、人は怒られてやる気を出すようなものなのだろうか。
そもそも、やる気とは自身でコントロール可能なものなのだろうか。
少なくとも子供のころは、CMのように、「やる気スイッチ」を探してもらう必要があるのではないか。
「やる気スイッチ」は、感情的に叱責することにより押されるのだろうか。
まさか。

結局、「やる気を出せ」と言われて僕がやっていたことは、やる気を出している「演技」であった。
本心は渋々やっていたが、その態度を見せると面倒なことになるので、懸命にやっているふりをした。
自然と身についた、くだらない処世術に過ぎないのかも知れない。
でも、多くの人がその「演技」を求めているのも事実だ。

僕は、今でも悩んでいる。
世の中の多くのことに対して、意欲がないことに。
わざとやる気を出さないわけではないし、不真面目な態度を貫こうとしているつもりもない。
普通にやっていて、そして純粋にやる気が出ないのだ。

やる気の出ない理由の大半は。興味がないからだろう。
興味がない理由の一つは、パフォーマンスが出ないからだと思う。
いいパフォーマンスを上げることができれば、自然にやる気は出てくるはずだ。
パフォーマンスを出すためには、工夫したり試行錯誤したりする必要がある。
それには、やる気が必要だ。

懸命にやらなければ、真の楽しさはわからない、と主張する人たちがいる。
それはそうだと思う。
その一方で、僕の保有する資源は限られている。
懸命に取り組もうと考えていることを僕はすでに見つけており、その他のことに回すほどの情熱を持ち合わせていない。
つまらないことに楽しさを見つける労力があるのなら、それを楽しいと感じていることに費やし、自分の能力を高めたい。

いずれにせよ、こんなことを今も続けていてはまずいように思う。
意識や感情、価値観ではなく、結果やプロセスで評価されることを望むのだが、そう望むのも無駄に終わりそうだ。
早く終わらせて、自分の時間を手にしよう。

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2012-08-06 Mon.

責務

2012-08-06

柔道は、関係者が考えていたような活躍ができなかったようで、関係者は残念に思っているのだろう。

柔道男子では、オリンピックにおいて金メダルを取り続けていたが、今回で途絶えてしまった、という。
そうだったかな、と北京五輪の記録をたどると…、確かにそうだった。

メダルを得るには、元気が足りないのだろうか。
ディーン元気ならいるのだが。
その辺りについて、太田誠一氏からコメントを取ってきてもらいたい。

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2012-08-05 Sun.

狭路

2012-08-05

見ていて、とても刺激的なマラソンコースだった。
東京でも、竹下通りやセンター…バスケットボールストリートをコースに含んで欲しい。
可能ならば、紀尾井坂や行人坂も加えて欲しい。

それにしても、メディアは、不必要な期待を持たせてくれる。
もっとチームワークがあれば、などというものではなかった。
きっと営業ががんばったから、いいところでCMが入り、放送の流れが寸断されたのだろう。

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2012-08-04 Sat.

凍泡

2012-08-04

今夏の課題である「KIRIN 一番搾り フローズン<生>を飲む」をようやく果たした。

以前に1度、フローズン<生>を提供する店に入ったのだが、その時は飲み放題を選択し、飲み放題のメニューにはフローズン<生>がなかったので、飲むことができなかった。

ウェブサイトで、飲める店を探す。
「一番搾り FROZEN GARDEN」というのが大手町にあるのだが、大手町に行く用事はない。
新宿だと、いくつか店があるが、軽く飲むのならキリンシティプラスがよさそうだ、ということがわかった。

16時頃、店に入る。
店内は、席の8割ほどが埋まっていた。
世の中の人たちは、休日の16時頃からすでにビールを飲んでいるのだ、と発見する。

フローズン<生>の2/3パイント(小さい方)をいただく。
最初の一口がとても爽快である。
ただ、2口目からは、凍った泡が少し邪魔で、泡の味も確かめたいという不満が現れた。
凍った泡によって低温が30分も保てるそうなのだが、僕はビールを30分も放置することを許さない。

つまみは、フライトマトにした。
レモンをかけて、塩をつけていただく。
おいしい。

一杯片付けた後、飲み会へ行く。
今年2番目に飲み過ぎてしまい(最悪は元日)、かなり気持ち悪い。
すごく反省している。

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2012-08-03 Fri.

必需

2012-08-03

佐藤正午の小説「5」を読み終える。
彼の小説では珍しく、僕は内容があまり理解できず、それゆえ今回の評価は「4」である。

小説の中で、「一番大切なものは」という問いに対し、小説家が「パソコン」と答える箇所がある。

後でこれを「冗談」と弁明しているのだが、現実の僕はあまり冗談とは思えず、少し考え込んでしまった。
僕の場合、PCがなければ、生活のほとんどはストップしてしまう、と思ったからである。

まず、情報が入ってこない。
情報源として自宅で購入しているもので、PCを使わないものは、新聞とNHKのチャンネルくらいである。
雑誌を講読しているわけでもないし、どこかからレポートを買っているわけでもない。
一般的なニュースは新聞やNHKのTVやラジオから入ってくるだろうが、TVや新聞に僕が知りたいニュースが全てあるわけではない。

同様に、調べ物をすることもほとんどできない。
家には百科事典もない。
現状のレベルを保つには、ため込まれていく調べ物のリストを抱え、年に何回か図書館に閉じこもり調べ尽くす必要がある。

そして、PCがなければ、文章を書くことが著しく不便になる。
僕にとっては、「書く」とは「キーボードを打つ」ことと同じである。
15年前から、文章をキーボードで書くことを続けている。
考えるのは紙とペンを使って行うとしても、PCを使わないで文章を書くのはかなり苦しい。
紙の上だと遂行するのが大変だし、何より、自分の字の汚さに嫌気がさし、書きたくなくなる。

記録を見返すこともできない。
自分に記録と呼べるもののほとんどがPCの中にある。
ちょっとしたメモに至っても、全てがPCの中だ。
その記録を読み返さなければ、新しい文章を書くことが困難になる。
過去に何をやっていたか、思い出すことも難しい。

音楽も聴けない。
資産の管理(現実的に言えば小遣い帳をつけること)もPCでやっているのでできなくなる。
他人とのコミュニケーションを取ることも難しい。
ウェブサイトの更新もできない。
買い物もできないし、地図も持っていないから行ったことのない場所にたどり着くこともできない。

PCがなければ何もできない、と言うつもりはない。
例えば、旅行先にPCを持って行かなくても、困ることはない。
事前に準備していけば対応できるし、自宅に帰ってPCを使って記録をつけたり調べ物をしたりすれば、それで済むからだ。

ただ、PCがないと、とても困る。
ここ15年くらい、PCを経由して行動するように、生活を意図的に移行させてきたところがある。
PCに依存するつもりはないが、PCを最大限に活用させようとしてきた。
PCがなければ、生活を維持することは困難だし、PCなしで生活できるようにするにはかなりの時間と資源を必要とするだろう。

そういう意味で、「PCが一番大事」と言ってもいいように思う。
僕にとっては、PCは紙とペン以上のものだ。

「じゃあ、PCさえあればいいの」と発言する人が必ず出てくる。
僕はPCが一番大事だと言っているだけであり、PCだけあればいいとは考えていない。

「あなたにとって一番大事なものは何ですか」という、何を意図しているのかわからない質問に対し、僕は素直に「空気」と答える。
空気がないと困りますね。
その次に大事なのは、水かな。
かといって、浄水器やウォーターサーバの売り込みはお断りである。

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2012-08-02 Thu.

飛沫

2012-08-02

水族館のCMで「ずぶぬれゾーン」が宣伝されている。

かかる水しぶきは、きっと塩水だと思う。
そして、生物が生息している水のしぶきである。
およそ生物というのは、排泄するものだ。

ところで、水泳競技を見ていると、水中から水面を写すカメラの映像が映る。
天井の照明に照らされて、水中にいろいろな形状のものが浮かんでいるのが見えて、すごくなえる。
僕はもう、プールに入ることも拒絶したくなっている。

つまり、オリンピックをよく見ているのだが、そういうところが気になる。

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2012-08-01 Wed.

気力

2012-08-01

故意に負けた、とか、無気力試合、とかある。

僕は、こういうのがなぜ受け入れられないのか、と思ってしまう。
決勝を見据えて予選で手を抜くなど、陸上や水泳でもあることだ、と。
F1のチームオーダーを絶対に行ってはならないと考えることにも、正直に言うと疑問を持っている(ない方が理想的だと思うが、理想はあくまでも理想である)。
「それとは話が別」と非難されたら、もう何も言えねえ。

勝つためには手を尽くす、というのは、許される姿だと思う。
実際、負けた方が有利になる、と考えることができるルールになっているのだ。
だから、もしそれがよくないというのなら、抜け道をつぶすように、ルールの方で設計する必要がある。
思惑しかない中、設計はとても難しいけど。

理想的な競技にするために考えたり働いたりする人たちがいるはずだ。
選手側の問題ではない。

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