曇天の続き

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2013-12-31 Tue.

空洞

2013-12-31

2013年も、本日で終わりである。

FM福岡を聴いていると、「モーニングジャム」に中島浩二が出ていた。
中島浩二が芸能ニュースを読み上げ、井上和香の「ワカパイ」について言及する一方で、地元の話題を取り上げていた。
どこにいてもしたり顔で芸能ニュースを取り上げることができるのだろうが、僕にはこの感覚が合わない。

昼のニュースで、大瀧詠一が死んだことを知る。
大瀧詠一が本当にいない時間を、これから生きることになるのだ。

アイススケート場の跡には、大きなマンションが建つのだそうだ。
「マンションはいくつも建つが、売れているのだろうか」というのが、父親の疑問である。
僕も同じ疑問を持っている。

レイザーラモンを見かける。
ラフォーレ原宿・小倉店だった建物の最上階で、サイン会を行っていた。
そうだった、小倉は吉本興業の常設劇場がある街だったのだ。

BSで放送していた「劇場版 東京スカイツリー」のラストだけを見て、テーマソングを土岐麻子が歌っていることを知る。
作曲は、柿島伸次である。
2013年は、土岐麻子のアルバムを多く聞いた。
インストアライブにも行った。

「紅白歌合戦」を久しぶりに最初から最後まで視聴する。
僕はバービーボーイズが好きだから、T.M.Revolutionと水樹奈々を見てしまうのだ、と気づく。
そういえば、せっかくの「無名の新人」である河合奈保子の娘の歌を、あまり聞いていないまま年が終わろうとしている。

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2013-12-30 Mon.

小倉憂古・往

2013-12-30

小倉に行く。

まずは昨年の行程を復習する。
毎年同じことを繰り返していけば、洗練された行動になる、と信じている。

出発。

どうやら、中央線が遅延しているらしい。
運が悪いね、とこのときは思った。

帰省専用弁当である「叙々苑焼肉弁当」、帰省専用つまみである「貝柱の干物」を買い、グランドキリンを買い込む。
新幹線が出発。
品川あたりから、富士山が見える。
さよなら、東京。

弁当を食べる。
眠る。
ビールを飲み、しばらく酔い、酔いが落ち着いてきたら、ビールを買う。
「日経エンタテインメント」2014年1月号をめくる。
「清水ミチコ物語」、「ラジカル・ヒステリー・ツアー」、土岐麻子「TALKIN'」、paris matchをランダムに聞く。
ミハエル・シューマッハの容態を、ニュースで気にする。

4時間40分など、あっという間に感じるようになった。
間違いなく加齢である。

「北九州マラソン」の看板がお出迎え。
コースが寒そうである。

めずらしく、タクシーの運転手に話題を振る。
「正月の初売りは2日からみたいですね」と。
しばらく、「昔はよかった」話に付き合う。
もう昔には戻れない。

実家。

母親から、北九州予備校の元日センター模擬試験について聞く。
僕が卒業した高校は、予備校ではなく北九州市立大学で受験するらしい。
つまり、本試験と同じ会場である。
これについて、「きたなくない?」という評判が上がっているらしい。

父親からは、実に北九州らしい話を聞く。
ここで披露できないのが、とても残念、というか、この話自体が残念だった。

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2013-12-29 Sun.

捜入

2013-12-29

配偶者などの都合により、北九州市へ初めて帰省する人たちの気持ちはよくわかる。
僕だって、帰るのを少し躊躇した。

しかしながら、子供のころを小倉で暮らしてきた人間から言わせていただくと、普通に暮らしていればほぼ安全に暮らせる。
好奇心を働かせないことが重要である。

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2013-12-28 Sat.

発動

2013-12-28

2013年最大のピンチは、飛行機に乗り遅れそうになったことだ。

確かに、ギリギリと言われても仕方ない。
羽田空港のレストランで、のんきにパンケーキを食べていたことは認める。
それでも、出発の25分前には保安検査場の列に並んでいた。

「出発の時刻が迫っているお客様がいらっしゃいます。優先させていただけますでしょうか」
有無を言わせない地上スタッフの質問、そしてこちらは何の返答もしないまま、列の前を割り込まれた。
5、6人ではない。
20人以上割り込まれた。
「なぜギリギリで行動するのかね」と、この時はのんきにひとりごちた。

僕の番がやってきた。
チケットをセンサーにかざしても、アラートが出る。
スタッフは、「時間を過ぎておりますので、お通しすることができません」と告げた。
「どうすればいいんですか?」という問いに、「外のスタッフに言ってください」と言われた。
引き返して、スタッフに事情を説明すると、「もう乗れません」とのことだった。

僕は、出発時刻15分前に保安検査場を通過するように指示されていることを知っていたが、時刻を過ぎれば機械がロックすることを知らなかった。
だから、彼らは他人を差し置いてでも、スタッフに申し出て通過しようとしていたのだ。
いつまで経っても飛行機に乗り慣れない、世間知らずとは、僕のことである。

僕だって、こんなことはしたくない。
でも、使わなければならない時がある。
男一代、小倉出身の「気の荒さ」である。

「手短に言うけど、時間前に並んでいたのに、前を次々に割り込まれた。ルールを守っていたのに、乗れないの?」

見苦しい食い下がりなどしたくないし、相手が困るようなことも言いたくない。
「考えられへん」とキレるのが正しいとも、同意を得られるとも思ったこともない。
現に、地上スタッフの方の顔色が変化したのを見て、僕はものすごく後悔した。
後悔することをわかっていて、僕はこの方法を選んだのだ。

スタッフは、プレミアムメンバーが通過する安全検査場に僕を連れて行き、僕はその場で手早く検査を受けることができた。
僕は、スタッフに何度も感謝を伝えた。
スタッフに動いていただけなければ、僕は空港で無力である。

検査場の目の前の搭乗口だったので、搭乗には十分に間に合い、飛行機は定刻前に動き出した。
スタッフの寛大な対応のおかげで、ピンチは回避できた。

さて、僕が小倉出身でなければ、飛行機に乗れただろうか。
僕は、実に久しぶりに、小倉出身であることに感謝した。
もっとも、一番感謝しているのは、スタッフの方に対してである。

飛行機に乗り遅れたら、どうなるのだろう。
この答えを知ることがないよう、前もって行動し、自分の権利を守ることを心がけたい。
スタッフの方の手を煩わせないためにも、事情があって遅れている人たちに向かって、はっきりと「並んでいるんですけど」と言えばよかったのだ。

本当は、「羽田空港における搭乗手続きマナー改善キャンペーン」をACジャパンに提案したい。
でも、高速バスの遅延などが原因で、自分も救済される可能性が十分にある。
だから、声高には叫べない。

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2013-12-21 Sat.

裕退

2013-12-21

「New Years World Rock Festival」が終わった。

正確には、僕の中での「New Years World Rock Festival」が終幕した。
2013年12月20日、内田裕也が、「いいとも!」で最後の番組宣伝をした。

あの、いったい何を練習しているのかわからない、ミュージシャンたちにしてはリズム感を感じさえない茶番…いや番宣パフォーマンスを、僕はもう見られないのだ。
あれに「Rock」を感じないとしたら、いったい何を「Rock」と呼ぶのだろう。

「いいとも!」が終わる、とは、そういうことだ。

いや、「いいとも!」が終われど、「New Years World Rock Festival」が(僕にとっての「New Years World Rock Festival」とは、番組宣伝のみを指すが)続く可能性は残されている。
「いいとも!」の後番組でも、この伝統を残せば、それでいいではないか!

そう期待したところで、僕の期待が実現するとは到底思えない。

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2013-12-20 Fri.

凍結

2013-12-20

少し前の話だ。
よく利用する駅の中に掲げられた広告で、斉藤和義のデビュー20周年を知った。

何かを思い出しそうで、しばらく思い出せなかった。
思い出したのは、2013年11月に入ってからだ。

「だとしたら、ICEもデビュー20周年になるのか」

ICEのウェブサイトを見てみると、確かに20周年を謳っていた。
そして、斉藤和義もコメントを寄せていた。

かくして、僕はBSフジで10月に放送されたICE20周年特別番組を見逃したことを知った。

それでは、ICE20周年を記念したアルバムを購入し、特典DVDを見るか、と言えば、おそらくそれはしないだろう。
僕はやはり、どんなことについても「熱心なファン」にはなりきれない。
他の人に任せることにしよう。

「HIGHER LOVE」を聴いても、(今のところ)新曲に心躍る感じがしない。
極めて冷酷な事実だが、時はすでに止まってしまっている。

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