2020-08-29 Sat.
過夏
2020-08-29
相次いで、訃報を聞く。
内海桂子師匠。
この人がいて、内海好江さんがいて、そして、ウッチャンナンチャン、出川さん、入江さんがいて、そしてそこからお笑いの厚い層が形成され、僕は少なくとも30年間ずっと笑わせてもらうことができた。
感謝しかない。
福嶋一雄さん。
地元では、もはや伝説上の人物である。
僕らの世代だと直接のかかわりはなかったが、その残滓というか、夢の続きというか、そういうものが僕らの周囲にはまだほんの少し残っていた。
2013年に野球殿堂入りし、夏の甲子園でスピーチをされていたのはTVで拝見した。
「世紀の歴史」は、ここに1つ区切りがつけられた、と言っていいだろう、そう言ってくれ。
そして、河原崎次郎氏。
言わずと知れた、あの河原崎三兄弟の次男である。
名脇役は、ひそかに姿を消す。
2020-08-27 Thu.
客演
2020-08-27
犯人風の役で出演を重ねる忍成修吾は、もはや「令和の中島久之」と称したい。
2020-08-25 Tue.
足稼
2020-08-25
僕は、扇千景からコメントをとった「週刊ポスト」の気概を買う。
2020-08-23 Sun.
端銭
2020-08-23
2020年の麻布十番祭りはどうなっただろう、とこの時期恒例の番組を見ながら思い、今年も「募金」について考えてみようと思う。
僕も番組の真摯な訴えを純粋に受け止め、「募金」をしているのだが、金が一向に集まってこない。
きっと、僕の志の低さが露見しているだろう。
ところで、最近心変わりして、寄付を始めた。
まかり間違って一円硬貨を手にすることになったら、即座にレジスターの横に備え付けられている募金箱に放り込むようにしている。
一円硬貨がいったん手元に来るとしつこく残留するようになり、それがどうしても許せなくなってきた。
これまでは、銀行のATMに小銭を投げ入れ、口座の残高に加算してきた。
でも今は、その手間すら面倒に感じる。
恥ずかしい話、寄付は不本意である。
寄付の代わりに、税金を納め、国民の代表者がその使い道を適切に定め、しかるべきところにお金がいきわたってくれればと思う。
募金箱の中身を回収する人たちが、それをどう扱うかは今も確認する手立てがない。
それでも、一円硬貨を市中に残すくらいなら、適切に処分された方がいい。
何なら、募金箱ではなく賽銭箱でもいい。
彼らは、「一円硬貨など、扱う手間がかかるだけだから、いらない」とは言わないだろう。
僕は言うけど。
改めて、一円硬貨の廃止を願う。
現金決済は5円単位で、4円以下を5円に、6円以上9円以下を10円に切り上げればいい。
これで、何か大きく困ることがあるのだろうか。
1円単位の細かいやり取りをする弊害の方がよほど多いように思う。
もっとも、僕の場合キャッシュレス決済ばかりなので、1円硬貨を受け取ることはほとんどない。
金融機関で配当金を受け取る際に1円硬貨を渡されることがあるのだが、あれこそどうにかならないかと思う。
世の中でキャッシュレスが進んでいない三大窓口は、役所、金融機関、そして医院であると思う。
ところで、後出しになってしまったが、「募金ラン」のメンバーを5人中3人当ててしまった。
自分の勘の良さを誇るよりも、僕のようなものでも当てられるキャスティングの安易さを嘆きたい。
2020-08-22 Sat.
再生
2020-08-22
「飽きた」というより、こっちの方が危険なのではないかと思う。
行政の呼びかけを真摯に受け止め、かといって家にいても何も起きないため、近所を散歩することを、この数週間続けてきた。
しかし、最近は、ショッピングモールは家族連れでいっぱい、サイゼリヤは高校生でいっぱい、コーヒーショップはおばさまがたがマスクなしで大きな声でのおしゃべりに花を咲かせている始末。
気が休まらない。
数週間ぶりに、週末に都心に出かける。
まずは、埼京線に乗って南渋谷駅…、渋谷駅に。
思えば、前回南渋谷駅を利用したのは映画を見に行った時で、埼京線の乗り場が北に移設されてから初めての利用となる。
埼京線は、ちゃんと渋谷駅に着いた。
ハチ公改札に出るのに階段を1つ降りるだけでいいとは、上京したころの僕にぜひとも教えてあげたいものだ。
何なら、新南改札も見に行きたいところだけど、そんなに物好きでもないので、また今度。
改札を出ると、緑色の電車が撤去されていた。
何の因果で、あんな関係のない場所に移設されられたのか、深く同情する。
東急百貨店はすでに閉館しているものの、中が通り抜けられるようになっていた。
モヤイ像の前を通り、歩道橋を上る。
この歩道橋がいつ新設されたのかは知らないけれど、すでにゴミが散乱している。
橋上で周囲をしばし見学。
今度は、フクラスの屋上庭園に行ってみたい。
桜丘の方へ入る。
この地にあった映画館で見たのが、東京で初めての映画で、それ以降20世紀の終わりには事あるたびにこのあたりに来ていた。
渋谷に近いのに急な坂になっていて、人も少なくて、たたずまいに落ち着きがある。
また、ここを抜けていくと、代官山まで歩いていける。
そして、特によく行っていたのが、担々麺屋である。
渋谷で長い間店を続けてきたのはすごいことだと感心していたが、桜丘にも訪れた再開発で閉店となってしまった。
ところが最近知ったのだが、この店の味を受け継ぐとして、新たな店が桜丘にできた。
この渋谷で、そんな気概を持って飲食店を経営するというリスクに挑戦するという思いにまたまた感激し、今日訪れることにした。
以前の店の記憶があり、多少並ぶかなと思ったが、やはりこの最近の状況もあり、すぐに入れた。
とはいえ、席はほとんど埋まっている。
いつもは担々麺を頼んでいたのだが、この店といえばやはり、ということで、今回初めて排骨担々麺を注文。
卓上のサーバーには、ミントの葉が浸された水が入っている。
排骨担々麺をいただく。
実に、安定した味。
この店は「渋谷のソウルフード」と歌っているが、まさにその通りだ。
食べていると、20世紀の終わりのことを思い出す。
これまで基本的に何もいいことがなかったけれど、この店に出会い、東京でおいしい担々麺が食べられることで心細さがすこし和らいだし、渋谷で受け取った嫌な気持ちをこの味が何度も癒してくれた…、という明確な記憶があるわけではないけれど、でも本当に助けてもらったような気もするので、復活に対して純粋に感謝する。
反社会的勢力を許さないセルリアンタワーの前を通り、歩道橋を渡る。
今度は、首都高速の上からしばし車の流れを見ていたが、日差しにやられ1分も立っていられない。
橋を渡り切り、ふらふらと歩くと、記憶にない新しいビルがあり、公開空地で少し休む。
国道246号線を見ていると、いろいろな出発地からのバスがひっきりなしに流れてくる。
バスで渋谷に来る日常が根付いているのだろうか。
車の流れを眺めていても、全く飽きない。
子供のころ、関門海峡を行きかう船を何時間も観て、全く飽きないでいた。
その感覚が、今でも続いているのかもしれない。
ただ、ずっと見ていると、首都高速の下で資源品分別を生業としている方に誤解されるかもしれないので、ほどほどにして立ち去る。
道玄坂上から折り返して、坂を下り、マークシティの中に入る。
井の頭線の改札を背にし、橋上からスクランブル交差点を見下ろす。
さすがに、いつものようなカオスはない。
予定通りオリンピックが開催されていたら、僕はきっと渋谷に近づくことをしなかっただろう。
この平穏がずっと続けばいいのだが、そうするといろいろとうまくいかなくなるに違いない。
井の頭線から銀座線に向かう通路にはシャッターが下ろされている。
銀座線⇔井の頭線という経路を利用していた時期がしばらくあり、よく通っていたので、少し残念に思う。
玉川改札の方に来ると、東急百貨店の中であるため、店はすでに閉まっている。
9月には玉川改札も閉まる。
ハチ公前を回避するためにこの改札を利用してきた記憶も、今後は薄れてしまうのだろう。
そして、井の頭線のユーザーの苦行はあとどのくらい続くのだろう。
おそらく最後となるだろう、東急百貨店の中にあるエスカレーターを上り、銀座線の改札へと向かう。
建物の隙間から宮下公園が見え、あらたな施設が開業している模様。
僕はマツコ・デラックスのことをよく知らないが、マツコが「もう渋谷再開発の様子を自分の目で見ることはかなわない」という風に嘆いていたことについては、深く同情する。
変装のしようがない有名人の人生とは、苦しいものなのだろう。
銀座線の列車は宮益坂に突入し、青山、赤坂を経て、虎ノ門で下車。
通路で線路下をくぐり、西新橋方面の改札を出る。
まぶしい照明の下、広い通路の中は涼しい風が吹き込み、人も少なく、快適である。
思わず、最近本で学んだ「ゆっくり歩くことで、距骨の位置を正しい位置に戻す」運動を行う。
虎ノ門ヒルズ駅に到着。
構内図を見ると、本当に線路に乗り場を引っ付けたような構造で、対面にわたる通路もない。
心細い通路を通り抜け、虎ノ門ヒルズにへと上る。
トラのもんの写真を撮り、愛宕下通りを渡り、環状2号線の側道を歩き、新橋駅に到着。
都心の、特にオフィス街のほうが、近所より人が少ない。
自宅周辺から都心へ向かう列車も、山手線も、この時間帯は空いている。
そろそろ街歩きを再開してもいいのではないか、とすら思う。
思うだけです。
2020-08-13 Thu.
不倒
2020-08-13
さっきまではそんなこともなかったのに、突然の激しい雨。
まるで、映画「ふたり」のようだ、と思ってみる。
それにしても、雨は激しい。
新宿駅東口からメトロプロムナードを通り、サブナードを下る。
サブナードは久しぶりで、普段は存在すら感じない宇宙が広がる。
地下道で行けるのは、歌舞伎町の入り口までが限界。
長い階段をのぼり、扉を開けて雨の中に飛び出る。
折り畳み傘に力はなく、TOHOシネマズ新宿にたどり着くまでには、いやになるくらいズボンが濡れてしまった。
映画「海辺の映画館」。
初めて、ムビチケで前売券を買って、見る。
感想だが、まず、これはぜひとも映画館で見ていただきたい。
3時間の大作を、自宅のリビングで見終える自信が、僕にはない。
映画館であれば、逃げ場はない。
令和の時代、CGはこうやって使うのか、と思ったことを、正直に記しておく。
高橋幸宏さんと広中雅志さんが、多くの仕事をしていた。
そして、中江有里の二の腕が気になって、終わった。
いろいろ盛り込まれていて、途中で不安になったのは確かだが、終わると「見てよかった」と思える作品であった。
これで本当に最後になってしまったが、最後の作品まで大林宣彦監督には楽しませていただいた。
いくら感謝しても足りないし、これからも作品群を何度も見返すのだろう。
2020-08-08 Sat.
変心
2020-08-08
「味変」が苦手である。
もう少し正確に言うと、「味変」という言葉、概念が苦手である。
ソース、ポン酢、塩が数種類添えられたとんかつが出てきて、「途中から味を変えて召し上がっていただくと、より楽しめます」とか言われても、最初に一通り試して、気に入ったのをずっと続ける。
どうも「味変」というのは、途中でその味に飽きることが前提にあるような気がする。
飽きるような味なら最初からやめればいいし、「味を変えればまだ食べられる」などという概念とは、僕は無縁である…。
さて、先日、ラーメンを食べた。
詳細を書くと勘のいい方は特定できるだろうが、食べたのは「牛骨味噌ラーメン」というもの。
初めて行った店であった。
「外出などするな」という意見の諸先輩方もいらっしゃるだろうが、だからこその「先日」という前置きである。
ラーメンには牛すじ肉が添えられており、控えめに言って自分の身もとろけてしまう。
その奥に、トマトの粗いペーストがのっている。
僕にとって、このトマトは「異物」である。
まずはそのトマトがスープに溶けないように、レンゲと箸を慎重に進める。
うまい…。
やがて崩れるトマトペースト。
抵抗むなしくスープへの侵攻が進み、器の半分ほどをいったところで、かすかな酸味が広がるようになった。
…これはまた新しい味。
汁中を支配していくトマトのしたたかさに、体がしびれていく。
これが最初から「トマトラーメン」と謳われていれば、僕は決して注文することはなかっただろう。
また、トマトペーストを最初に溶いてしまっていたら、当初の純粋な味に出会うことはなかった。
1つのラーメンで味のグラデーションを楽しめる、なんとすばらしいことだろう…。
そして僕は、好みの把握をより正確なものへと改める。
僕は、「摂取量を目的とした「味変」が苦手」である。
これまで各方面で僕の話を聞かされてきた方々、どうもすみません。
2020-08-01 Sat.
馳走
2020-08-01
ドラマで共演して、結婚、というのは、とても感じがよくていいのではないか。
みんないつまでも祝福するであろう…。
いや、あっちではなく、瀬戸康史と山本美月の方を言っている。
みんなもあの時と同じ気持ちであろう。