2024-05-11 Sat.
東酔
2024-05-11
TELASAに加入したら、映画がいくつか観られるとのこと。
リストを参照した結果「東京夜曲」を見つけたので、観ることにした。
長塚京三、桃井かおり、倍賞美津子、上川隆也、そして、市川準監督作品。
「40代の男女の移ろい、さまよう心を優しく綴っていく切ない大人の愛の物語」とあり、さすがにこの歳になれば理解できるか、と期待して。
結果、全く理解できない。
もう絶望的までに、理解できないという状況が絶望的状況とみなされることが理解できるくらいまでに、全く理解できない。
「人の心の機微と東京の風景」とあるが、東京の風景ばかり気になってしまう。
そもそも、最初から話に入っていけない。
物語の舞台となる場所から始まり、主人公の人となりについて周囲の人間が一通り語る。
それをずっと聞いていないと、見ている方の準備が整わない。
台詞が物語を進めていくのだ。
そして、ストーリーを転がすにはうってつけの、というより、とってつけたような人間関係、のように僕には見える。
文筆家らしい若者が都合よく掘り明かすことで、状況が少しずつ晴れてくるのにも、耐えきれない。
唯一感情移入できたのは、主人公が父親が経営してきた街の電気屋を廃業して、TVゲームソフト屋を開店したところだ。
1997年であっても、そんな業態が通用したのであろうか。
エンドロールに松重豊の名があったが、気付かなかった。
国内の映画業界に名を轟かせた、市川準である。
「トキワ荘の青春」は観た。
よかったけど、これはどちらかというと「トキワ荘」ファンとしての感想だ。
よく振り返ってみると、「トニー滝谷」も村上春樹の小説を読んだうえで観たに過ぎない。
「あおげば尊し」はよくわからなったし、「あしたの私のつくり方」に至っては「既成事実」とまで呼んでしまった。
「大阪物語」は映画館で観た気がするけれど、よく覚えていない。
「つぐみ」も1996年に観たけど、要はマキセであり、中嶋朋子や白島靖代が出ていたことも、今となっては忘れてしまっている。
なんか怖くなってきた。
実は今、手元に「東京マリーゴールド」のDVDがあるのだ。
1週間後。
TSUTAYA DISCASで借りた「東京マリーゴールド」を観る。
前回観たのは、2001年7月7日。
場所は銀座の映画館、と記録がある。
ウェブによると、銀座シネパトスと思われる、といっても、何も記憶がない。
シネパトスという特異な場所で、田中麗奈主演の映画を観ていて、何も覚えていないのだから、もうどうしようもない。
観てみたけど、これがまた、全く理解できない。
フォーカスするべきは、烏龍茶を飲んで、みそ汁を飲んで、携帯電話を買うというところだ。
きっと、使っているPCはFM/Vで、カメラのフィルムはフジフィルムであろう。
監督が「今を時めく田中麗奈」と言っている通り、スポンサーには事欠かない。
またこの映画も、台詞での物語展開が続く。
それでも、映像描写でわからせる部分も比較的ある方だったかとは思う。
自分にとっては、全く無縁で、荒唐無稽のストーリーである、これは自分が悪い。
またキャッチボールだし、劇中で作成したCMを「このCMは傑作」と言ってしまっているし、このCMに似たような実際のCMに思い当たるのは、きっとここがオリジナルだからなのだろう。
寺尾聰がパルムを持って家に来た。
最後に、展開がある。
これも、台詞で説明がかなり補われる。
この展開をもってして、「だから、小澤征悦はずっと、東出昌大を彷彿させるような、ぎこちない演技のような振る舞いをしていたのか!!」とわかった、気がする。
ラストで示された事実をもってして、映画をもう一度観返し、田村目線で話を眺めるのは面白そうだが、そこまでの気力がない。
それよりも、「井の頭公園駅に自宅がある主人公が、横浜の法事に行くのに、なぜバスに乗るのか。駅で乗り換えのできるバス停で降りるのなら、なぜ東京からその駅へ鉄道で向かわないのか」ということが気になって、また話が入ってこない。
田村が何のためそういう行動をしていたのか、確定的な理由に思い至らず、現実感を持てなくて、自己嫌悪である。
最後の最後、まさか後ろ姿で走って母親に呼びかけたりしないだろうな、というベタベタの静止画エンディングじゃないことへの期待が裏切られ、泣きたくなる。
こうなると、サスペンスを通り過ぎ、ホラーともいえる。
美しい田中麗奈さんがキャッチボールしているエンディングに見とれていると、エンドロールに「井川修司」の名を見つける。
どこかで聞いたことのある名に感じ、イワイガワの井川さんであると思い当たる。
どこに出ていたかわからないまま続けて観ていると、「岡田ひとみ」の名が出てくる。
おねんどお姉さん、1980年はここにも逸材を誕生させていた!
後から調べると、井川さんは最初に出てくる、主人公の恋人役であった。
三輪明日美にはもう気付けないかもしれない。
石田ひかりの起用みたいなものがあるから、映画をまともに観られなくなるのだ。
美しい東京と、美しい田中麗奈さんがフィルムに収められている、というだけで、存在価値のある映画である。
歯科医院での治療シーンは、もう釘付けである。
「急いで歩いているからイソガニだよ、君はなにカニ?」
このDVDは、特典映像でも気もちが上がる。
まず、「ほんだし」のCM。
当時見ていた頃から貴重なCMだなと思っていた映像が、7パターンの60秒バージョンとして収録されている。
樹木希林の演技に、自然な様子で応じているように見える田中麗奈さんが、とてもほほえましく神々しい。
贅沢な体験、贅沢な瞬間である。
インタビューを見ていると、「ああ、あの時の扱われ方」というのを思い出す。
やはり、機会に恵まれた俳優である。
そして、東京MAP。
どうやって隠しメニューが出でくるのかよくわからないまま、メッセージを何度も見てしまう。
代官山が好き、というのが初々しい一方で、後の展開を知っている身として恵比寿が出てくるのは「うーん」とうなる。
並木橋などをみると、この映画に出てくる風景の多くが失われていることを思い知らされる。
生活をしていた風景だ。
全体的に暗い時代であり、それが自分の過ごした時代である。
自分より上の世代の無責任さといい加減さとうさん臭さに本当に腹が立つし、田中麗奈さんはかわいく美しい。
この後の小澤征悦のことを考えると、余計に腹が立つ。
そもそも、自分の名前を子供たちに与えることに、躊躇がなかったのだろうか。
僕らの世代が主役になるのは、結局孤独で行き詰った犯罪者として、しかないのか。
音楽が心地よくて、サウンドトラックを手に入れたい。
しおかぜ橋にも行ってみよう。
こうなると、怖いもの見たさというか、市川準を評価するには、「BU・SU」まで観ないといけないかもしれない。
ついでに「つぐみ」ももう一度観てみるか。
失ってしまった何かを、取り戻せるかもしれない。
取り戻したとて、しょうもないものだろうけど。
それにしても、「VRおじさんの初恋」の今週の最後の田中麗奈さんの顔、怖かったな。
2024-05-04 Sat.
宝来
2024-05-04
2024年4月、5月の曜日配列は、2019年と同じだ。
2019年は「恩賜の10連休」があり、我々はその施しを謹んで受けた。
その時は、連休前にタレントが逮捕され、連休後に俳優が逮捕された。
僕は、所用をこなし、ちょっと遠出して、近くを散歩した。
2024年も10連休となった。
自分でそうしたいわけでもなく、図らずともそうなってしまった。
その連休も終盤に差し掛かっている。
これまでの経過を記しておこう。
土曜。
起きて、相棒S17-14を視聴。
中野英雄出演回で、自分の耳のせいであるが、彼の台詞が聞き取れなくて何度も早戻しした。
例の「シャブ山シャブ子」が出演する回であり、内容はとても楽しめた。
ステレオタイプすぎるのは批判を浴びるところなのも納得するけれど、ドラマとはこういうものではないだろうか。
そのあと、クリーニングに服を出して、買い物をして、酒屋で日本酒を買う。
秀鳳 出羽燦々というもので、その夜にあらかた空けてしまった。
寝る前にシャッフルが選んだのは、谷村有美「愛する人へ」。
「最後のKISS」を聴き、涙で枕を濡らす。
「やさしいふりばかりしていた」ことこそ、礼儀というものではないのだろうか、というのが勘違いか、と打ちのめされて。
日曜。
TELASAへの入会手続きに取り組む。
au IDというものが必要のようだが、調べていくうちに自分がそれを持っていることがわかり、過去の書類を引っ張り出してくる。
30分くらいかけて、入会手続きを終了。
さっそく、「相棒 sideA/sideB」を視聴。
「相棒」の配信限定のコンテンツがいくつかあるようで、無料期間中に見切らねばならない。
一方で、「テレ朝動画」との違いがよくわからない。
そのあと、「VRおじさんの初恋」。
ついに、田中麗奈さん登場。
そのあと、映画「劇場版東京スカイツリーのひみつ」。
秘密というほどのことはなく、「新プロジェクトX」の内容と一部かぶる。
テーマソングを聴くために見たようなもの。
そのあと、「藤子・F・不二雄SF短編」の「アン子 大いに怒る」。
春から新シリーズが始まることは知っていたが、4月から放送開始になることは直前まで知らず、それに気付いたのはウィキペディアの荻野目洋子のページを読んだことからだ。
荻野目洋子は「月曜ドラマランド」版にも出ていて、当時それも観ていたが、再びの配役にうなずき爆発である。
寝る前のシャッフルが選んだのは、BONNIE PINK「evil and flowers」。
連日、熟睡できるわけもない。
月曜。
午前中所用をすませ、午後は映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」
PG12指定のようだが、僕は、この映画について小学生に助言・指導をできるような自信がない。
そんなに直接的でなくても、もう少し表現を選んでもいいのではないか、とも思う一方で、自分が原作の世界観を今も把握しきれていないのか、とも思う。
勝手な期待を持つ自分が悪いのだが、水木先生の作品ににじみ出るユーモアが感じきれず、暗い気持ちになった。
火曜。
映画「博多っ子純情」を視聴。
渋谷のTSUTAYAがレンタルをやめてから初めて、TSUTAYA DISCASを利用した。
ウェブサイトが画面遷移のたびに何度も認証を求めてきて、Vポイントのことを多少不安に思う。
品ぞろえと価格のことを考えると、もう近所のレンタルショップはなくなるのではないか。
ただ、この価格が今後も維持できるとも思えない。
映画の内容は、大人のおっさんの寄り合いは本当に意味がない、という感想を持つ。
「一瞬しか訪れない青春の一コマ」を描くのもいいけど、「意味なく生産性もなく何の話も起きないのんべんだらりと続くおっさんたちの酒宴と営み」というので映画を作ってもいいかもしれない、もしかしたらそれが「釣りバカ日誌」なのかもしれない。
そのあと、出かける。
西荻窪駅で下車。
階段を削って、エレベータを設置したんだっけ、と思い出そうとするが、記憶がいまいち。
NEW DAYSがある場所は、以前トイレだった気もするが、それも思い出せない。
駅前はところどころ変わっているのだが、雰囲気は最初に東京に来た時と変わらない気もするが、それもあやふや。
僕もいつかは、オレンジボードの仲介で西荻窪のマンションを手に入れるんだ、と意気込んでいた20世紀末が遠く色あせる。
商店街に酒饅頭屋があった気がするが、今はもうない。
北口の方へ移動。
ところどころ小さい店が入れ替わり、この西荻窪にも少しずつ大手チェーンが進出しているようで、でも天丼てんやは建物の建て替えでなくなっていた。
西友はまだあるけれど、中は大きく変わっていて、面影は何もない。
西友を抜けたところにある自転車駐輪場の2階に、僕は昔自転車を置いていた。
この日は、北口の方を進む。
井の頭通りの近くに住んでいたこともあり、北口の方にはほとんど行ったことがない。
とりあえず、意味もなく、東京女子大学を目指す。
道幅は狭く、店があり、家がある。
この道は、杉並区と武蔵野市の境界にあるようだ。
「東京ってこんなものか、思ったより田舎だな」と、上京した当時は思ったものだが、それがまだ続いているのが西荻窪というものだと思う。
地図を確認しながら進むと、進んだ先にラーメン屋があることが分かった。
昼はもう少し後で、と思っていたが、ここまで来ることももうないかもしれないので、そのラーメン屋で昼食。
味の濃い醤油ラーメンで、実においしい。
女子大通りに出て、西に進む。
武蔵野市に入り、少し余裕が出てきたようだが、街には「拡幅反対」の貼り紙がある。
今を見れば反対だし、実現すれば賛成である、という嘆かわしい自分の日和見主義に嫌気がさす。
武蔵野八幡宮に参詣。
ここに来るのは、たぶん初めて。
社殿を眺めていると、後ろから「先に参ってもいいですか」と女性に声をかけられ、「どうぞ」と譲る。
まさか、「宗教上の理由から、一生賽銭しないことにしています」とは言えない。
寄付者の名前を見ると、「原丈二」とあり、高尾山とは異なる字の篤志家がいることを知る。
冬に閉館した吉祥寺プラザの前を通り、サンロード商店街へ。
当時ここにラウンドワンがあれば、かなり行っていただろうな、と思う。
実際は西友で買い物を繰り返す日々で、その西友には4階にドン・キホーテが入っている。
ブックス・ルーエがまだあるのが奇跡みたいに思え、伊勢丹の跡のコピス吉祥寺を見て、他の百貨店跡を抱える街との違いに思いを馳せる。
ロヂャースがまだあって、ハモニカ横丁には服屋があって、LONLON改めアトレ吉祥寺の地下は店がひしめく。
僕は、LONLONに地下があることに、住んでから1年ほど気づかなかった。
疲れたので、パルコの下の一口茶屋があった、今も一口茶屋の会社が運営しているたこ焼き屋でたこ焼きを買い、店先のベンチで食べる。
ソースではない「だし醤油味」というのがあり、マヨネーズを断り、いただく。
外カリカリ、中トロトロでおいしい。
このパルコの入り口もよく使っていて、WAVEとパルブックで時間をつぶしていた。
今、地下にはアップリンク吉祥寺があるが、特に何か騒動が起きているわけでもなさそうだ。
連休中とはいえ、平日で、街は人が多い。
南口に移り、コンビニで買い物をして、公園に下る。
人のいないベンチを求めたが、この時期なので、なかなか空きはない。
弁財天を回り、池の反対側の道を進み、いくつかのスワンボートの航跡を目で追い、井の頭公園に近い公園のベンチに腰掛ける。
ここまで気を遣えば、缶ビールを開けてもいいだろう。
改めて思うに、この辺はなじみやすい。
上京する前、「東京は狭い」と評した人がいた。
例えば、飲食店など、隣席との間隔がとても近くて、余裕がないのだという。
それでいて、お互いかかわりがないように時間を過ごす。
上京して、実際それを目の当たりにし、「確かに」と思ったものだが、時間が経つにつれて、それに慣れてしまった。
というより、そっちの方がいい、とまで気付かされるほどだ。
狭い道、隙間なく並ぶ建物、空間のない店内。
それらが実は自分の感覚に合っていて、近くに人がいて、それが無関係であることに、落ち着きすら覚える。
逆に、余裕のある作りをした店など入ると、落ち着かなくなる。
情報量が多くて、それを受け止めるキャパシティがなくて、制約を受けた生活を強いられ、お決まりのパターンの行動しか取れず、そんな自分に嫌気がさして、家に帰る。
それでも暮らしていける選択肢があるのが、東京である。
井の頭公園駅を過ぎ、線路沿いに細い道を進む。
吉村昭書斎の前を通り、三鷹台駅に近づく。
きれいになっているところもあるものの、連休中だからもしれないが、店が閉まっていたり、古ぼけた建物があったりして、なんだか寂しい。
もしかしたらさすがにこの辺には「寂れ」というものが到来しているのかもしれない。
三鷹台駅のたたずまいは変わらず、相変わらず急行の通過を待って各駅停車に乗る。
仰々しくなった久我山や、何も変わってなさそうな浜田山など見てみたいものだが、今日もやめておいて、明大前で降りる。
明大前は、食事をとるためによく降りていた。
京王線の高架をくぐり反対側を見ると、高架の橋脚が作られている。
本当に、京王線の工事は終わるのだろうか。
工区を挟んで家があったりして、不安に思う。
この辺りに中華料理屋があったはずなのだが、やはりなくなっているようだ。
駅周辺には高校生が多く、うらやましいのかうんざりするのか、よくわからなくなる。
いずれにせよ、彼らは僕ではないのだから、うんざりするような未来ではないだろう。
特急を待って新宿駅へ向かう。
時間があったので、改札内の新しい商業スペースを見る。
ここは地下であり、地上レベルで営業している線路の下を掘って、空間を生み出したはずである。
工事しているときに、プラットフォームから下で動いているショベルカーを見ていたが、よくやるものである。
そうやって空間を捻出して、ぎっしりとテナントを並べても成立するのだから、「東京の狭さ」には舌を巻く。
水曜。
映画を見に行く。
前日に、ネットでチケットを買う、という現代人的行動をする。
水曜の映画館は混んでいる、という経験値があったので。
座席表を見ると、9時15分開始にもかかわらず、7割程度埋まっている。
劇場の真ん中の真ん中が1席空いており、隣もぎっしり埋まっているが、そこにする。
上映時間が出てきて、終了が12時30分とある。
3時間15分もトイレに行かなくて済むだろうか、と考えると、夜も眠れない。
一睡もできなかったような気がしながら、快適に目覚め、電車に乗る。
そこそこ座れないくらいに混んでいて、健全な世界に後ろめたさを感じる。
かといって、逆方向の電車に乗り、郊外の映画館で事足りるほどの酔狂さは持ち合わせていない。
日比谷ミッドタウンに到着。
TOHOシネマズ 日比谷は、2019年10月のタイタンライブ以来。
スマートフォンでQRコードを表示し、端末でチケットを発券する。
少し待って、入場。
入り口でチケットのQRコードをかざすことを求められ、後で調べたら、スマートフォンのQRコードでよかったみたい。
とても怖くてできない。
朝から水分控えめで、トイレで絞り出して、真ん中の座席に。
中座できる雰囲気ではなく、念のため、通路が後ろにある席にしたけれど、緊急時この背もたれを乗り越えられるだろうか。
福本莉子の話は入ってこないし、心の余裕があれば「ディア・ファミリー」を見に行こう。
席の埋まり具合は9割以上。
時間が来て、「オッペンハイマー」が始まる。
感想だが、まず、やはりトイレのこと。
1時間と持たず、残り2時間トイレのことばかり考えていた。
トリニティ実験が終わった後、まだ展開あるのかよ、と立ち上がって抗議しようとしかけた。
そして、さすがクリストファー・ノーランであり、顔の記憶力ゼロの僕であり、現実に基づく話にもかかわらず、いつものクリストファー・ノーラン作品と同様に、話を見失う。
それでいて、終わると話がわかった気になるのだから、恐ろしい。
小倉市民である身としてのちゃんとしたコメントのつもりで書くと、原子爆弾による惨状の描写がないことを指摘されているが、僕はなくてもいい、とは思った。
描写がなくても表現できていると感じたし、映画の表現に具象なテンプレートを規定するのもどうかと思う。
東京大空襲の時に自国内から非難の声が上がらなかったことを出していることで、表現できていると感じた。
戦争が始まってしまえば、勝たなければならないし、勝てないのならうまく負けなければならない。
その案を出すのが政治家だし、それを選ぶのが国民であり、それを遂行するのが公務員である。
だからこそ、戦争が始まる前に、戦争を選ばないように頭を使う必要がある。
また、理論屋であるなら、実験に手を出し実装し世の中に役立てることで名を立てようなど、つゆにも思ってはならない。
その尊く隙のある功名心は、容易に利用され、挙句の果てには「自分が実現した」と言われてしまう。
そして、科学技術だけが悪者扱いにされる。
とにかく、この映画は映画館で見るべきである。
映画館とは音を聞きに行く場所だということが、よくわかった。
公開に尽力してくれたことに、感謝したい。
映画が終わって、トイレで放心した後、ロビーで窓から外を見ると、僕の生理現象を代弁してくれるかのような雨である。
頼りない折りたたみ傘なら持っている。
階下に降りると、普段の属性と異なる人々が行き交う。
いつもなら歩くところだが、結構な雨なので、地下鉄で移動することにした。
矢印の通りに進み、どこかの通りの下に抜け、日比谷線乗り場にたどり着き、列車に乗り、虎ノ門ヒルズ駅で降りる。
雨の中を10分くらい歩いてトンネルの手前にたどり着き、階段を上る。
こんな雨の日に山登りしなくても、と思ったけど、もう遅い。
NHK放送博物館に到着。
実は、初めて来た。
「虎に翼」の展示を見た後、8Kシアターで鑑賞。
「モナリザ」がルーブル美術館にあるのは、フランソワ1世が晩年のレオナルドを招聘したからである、と初めて知った。
大きなスクリーンに照射された画像を見ても、そのありがたみがよくわからない。
そのあと、体験コーナーでニューススタジオを見学。
プロンプタが手元の原稿を映しているものだと、初めて知ったような、前から知っていたような。
2階に上がり、じゃじゃまる、ぴっころ、ぽろり、ゴン太くんがお出迎え。
オリンピックの映像とかを見た気がする。
放送文化賞を鶴瓶に授けているのには、賛同できない。
冨田勲のシンセサイザーの展示を見学。
連続テレビ小説の一覧を見て、どこまで覚えているか確認する。
空白なく覚えているのは、「澪つくし」以降のようだ。
「いちばん太鼓」は地元だったので、よく覚えている。
100作がつい最近だった気がするが、もう110作目である。
大河ドラマだと「いのち」以降が記憶にある。
3階に上がり、放送の歴史を振り返る。
この国のラジオ放送は1925年に始まっており、来年で100年である。
戦前、戦中、と進み、皇太子ご成婚のところで、渋滞につかまる。
女性の皆さんが展示を前に、1つ1つ振り返っているようだ。
「美智子様はおきれいでしたね。家に美智子様のお写真が貼ってありました。平民からお入りなられて苦労されましたよね。雅子様もそうで、お加減いかがでしょうか。愛子様が母親に似ておきれいになられて、ご賢明でもいらっしゃって」
皇太子ご成婚をリアルタイムで体験しているとは、このご婦人方いったいおいくつなのだろう。
この雨の中、愛宕山を上ってきたことを考えると、心身ともに相当健康でいらっしゃると思われる。
ずいぶん待って展示を見てみると、その日の放送内容も慶祝ムードを醸し出すような番組で、祝う気持ちが両殿下に届くような主旨があったようである。
美術館でもそうだけど、女性の皆さんはずっと話していて、展示よりも話の内容の方が気になってしまう。
その後も「これ、中山律子さんよね」「私、山川静夫アナ、大好きだった」「あっ、これ「連想ゲーム」ね、私見てた」と話が続き、いろいろと勉強になる内容だった。
夫どもはどこかで干からびているのだろうか。
展示は進み、阪神・淡路大震災、そして東日本大震災のセクションへ。
東北地方太平洋沖地震発生から90分間のニュース映像のダイジェストを視聴する。
あの時、僕は外出しており、その後も含めて当時のニュース映像をあまり見てこなかった。
国会中継の途中で緊急地震速報とともに大きな揺れ、そして大津波警報、空中からとらえた津波の映像。
その辺で映像は終わり、そこから長い夜へと続いていったのだった。
後に原発事故があって、東京23区と多摩地域の一部では、水道水を乳児に与えるのを控えるよう、ニュースで伝えられたとのこと。
そう言われれば、そうだった気もするし、よくパニックを起こさなかったものだ。
控えめに言って、「オッペンハイマー」を見てきた後で、放送の歴史を見ていると、つながりというか、因果というか、要するに「バタフライ・エフェクト」である。
そのあと、大河ドラマの展示へ。
1980~90年代の大河ドラマのポスターは、まあ「女優!」という感じである。
橋田壽賀子はすごい働いていたんだな、と生涯初めて好意的な印象を持つ。
そういえば、入り口でクイズラリーの紙をもらっていたことに気付き、クイズ勘で適当に解いて、受付でクリアファイルとボールペンをもらい、受信料を納めているんだぞの顔でトイレを借り、後にする。
外はまだかなり強い雨。
下に降りるエレベータが設置されていることに気付き、受信料を払っているので遠慮なく使う。
愛宕山は当然高く、トンネルの反対側にあるエレベータに気付かなかったことを悔やむ。
新虎通りに出て、脇道を進み、この時間でも空いている中華料理屋に入る。
腸詰とピータンと水餃子と焼餃子、宗教上の理由から生ビールはやめて、瓶ビールにした後、紹興酒を熱燗で3杯。
途中で若い男女2人組が入ってきた。
足元を見ると、2人ともサンダルで、男はフードをかぶっている。
どうやって新橋まで来たのかよくわからないし、ミッドタウン日比谷といい、放送博物館といい、いろんな人がいて、それでいい。
木曜。
8時50分ごろ、東京駅に到着。
朝食がまだだったので、先週見かけたアベ鳥取堂の山陰鳥取かにめしを購入。
2017年に鳥取に行った際、売り切れていた「いかすみ弁当 黒めし」が食べたいのだが、まだこちらには来ていない。
500ml2本を買い、東海道線乗り場へ。
グリーン車を見るとそこそこに乗っている。
これは座れないかも、とまで思ったが、当然東京駅で多くの客が降り、かろうじて2階席を確保し、隣には人が来なかった。
新橋駅を過ぎたころ缶を空け、かにめしを広げる。
いつもほどにはいないが、平日の通勤客を車窓に見る飲み物はおいしい。
今日の新聞はひどいニュースばかりで、ポール・オースターの訃報まで載っていた。
かにめしをやっつけたので、つまみを開ける。
伍魚福の一杯の珍極 豚のど軟骨ジャーキーで、京急と先を争いながら、多摩川を渡る。
軟骨でないとダメなのか、とも思うが、おいしい。
横浜を過ぎた後、隣に男が座る。
僕は背が比較的高く、そのせいか自分より大きな背の人に出くわすことに慣れておらず、そんな人に出会うと自分のこと差し置いて瞬間的に「化け物か」と思ってしまう。
隣席の男はガタイも大きく、もしかしたら僕が抱える何らかの秘密を明かすよう迫られるのかもしれない。
そう恐れながら車窓を見ると、戸塚、大船と過ぎ、湘南モノレールの出迎えを受け、藤沢駅で男は降りて行った。
列車は相模湾に沿って進み、小田原。
そこから厳しい地形を進み、真鶴半島を離れると、熱海に到着。
バス乗り場がよくわからず、ひとまず案内所が見つかったので、そこで聞くことにする。
「「じっこく峠」のケーブルカーに乗りたいのですが、どうしたらいいのでしょうか」と尋ねると、バス乗り場を教えていただけた。
ついでに、「絶景富士山乗車券」というものでケーブルカーとバスがセットで乗れるらしく、それもPayPayで購入。
バスの発車まで時間があるので、駅前を散策。
11時ごろではあったが、観光客が多い。
熱海は復活を遂げた、みたいな話はよく聞いていたが、ここまで観光客が多いとは思っていなかった。
駅前のアーケードとしては、国内で最も傾斜のあるアーケードではないかと思う、足首が微妙に痛い。
一通り嫌気がさして、バス乗り場へ。
乗車率は半分ほど。
奥の席を確保し、バスは出発。
回送のバスを見ると、行先表示に「がんばれ熱海富士」と出ている。
どういう経緯だか知らないけど、今月末に知事選があるようで、ポスター掲示板が立っている。
バスは熱海の街を進む。
渋滞が続いている。
熱海の街を通るのは初めてで、一方通行規制になっているのが、小倉市民としては親近感。
路線バスにもかかわらず、運転手がマイク越しによくしゃべる。
話した内容はよく覚えていないが、たしかゴルフのベストスコアが71で、初島の後ろに横長く見えるのがコジマ…、大島だよ、というのだけは覚えている。
市街で客を拾ったため、立つ客が出てきた。
途中で外国人を乗せ、元箱根まで行きたいとのことで、このバスは関所まで行くからそこで乗り換え、という運転手の説明が伝わるまで3分ほどかかった。
市街地を離れ、山を登り、きついカーブをこなし、そのたびに運転手が話す。
50分ほどで、十国峠上り口に到着。
バス運転手は親切にも、ケーブルカーの出発時刻をアナウンスしてくれた。
ほとんどの客が降り、元箱根に行く外国人旅行客たちが不安になり、運転手に詰め寄っていた。
時間もあまりないので、トイレを済ませ、ケーブルカーの乗り場に行くと、ちょうどケーブルカーが出発していた。
運転手が教えてくれた時刻は5分ずれていて、結局誤った情報だったとわかる。
ここまで来たのは、いわゆる「鉄道乗りつぶし」の一環である。
関東地方を乗りつぶしたことにしている身としては、近隣に手を伸ばすくらいしか楽しみがなくなってしまった。
観光気分で気軽に行けそうだな、と発見したのが、十国峠のケーブルカーである。
ケーブルカーを相手にし始めると、辺鄙なところに行くことになりかねず、気がめいる。
ちなみに、駅名表記のローマ字表記を見ると「JUKKOKUTOUGE」となっていて、なんともアナウンサー泣かせである。
階下に戻り、土産を一通りやっつけ、時間には早いけどケーブルカーに乗り込む。
思った通り、座れないほどに客が入ってきて、思ったとおりだったのに、座っていることに気が引ける。
出発から約3分で山頂駅へ。
ばかばかしい、実にばかばかしい。
これで何かをなした気になるのだから、それもばかばかしい。
国内の鉄道事業法に基づくケーブルカーは22路線あるようだが、僕はそのうち9路線に乗った。
関東地方の5路線と、皿倉山と、天橋立と、竜飛岬、そして十国峠である。
率直に言って、ケーブルカーを乗るためだけの移動の時間は、人生にはもうなしにしたい。
今日は、富士山の山頂だけが見え中腹はかすんでいる。
それ以外の景色は、実によく見える。
十国峠の「十国」とは、伊豆、駿河、遠江、甲斐、信濃、相模、武蔵、下総、上総、そして安房である。
直下に丹那断層を見る。
丹那トンネルの建設によって、地下水の底が抜けた丹那盆地を、いつかは訪れてみたい。
30分ほど滞在し、混雑するケーブルカーで下車。
バスを待ち、さっきのよくしゃべる運転手が乗ったバスがやってきた。
混んでいるので、1番前の座席に座ることにし、出発。
下りだとよくわかるのだが、結構な坂だし、ヘアピンカーブの連続である。
途中で道を外れ、団地内を経由するのだという。
まだ山の途中にもかかわらず、確かに団地があって、旧坂の途中にバス停があったりする。
熱海市民は大変だし、よくしゃべる運転手も気を遣うことだろう。
またほんの少し橋田壽賀子に同情するが、でもたぶんこの人のことだからそんな不自由な生活は送っていなかっただろうし、同情するのしゃくなので、すぐに撤回。
それでも、平地は少ないし、道は混雑するし、路面もあれているし、駅前の道路はうねっていて、観光客だらけの熱海は住みにくそうに思える。
交差点には、丸源ビルがあるし。
予定されていた所要時間を大きくオーバーして、バスは熱海駅に到着。
すぐに改札を抜け、上り電車。
まどろみながら、小田原駅に到着、15時過ぎにようやく昼食。
以前入れなかった店に入り、熱燗と刺身焼き魚定食を注文する。
焼き魚が選べるとのことで、いさきをお願いする。
「刺身が先でもいいですか」というので、もちろん承諾。
しばらくすると、刺身とごはん、みそ汁が出てくる。
まさか、「熱燗より先」という意味だとは考えていなかった。
刺身は白身中心で、実にうれしい。
緩やかなペースで刺身を食べ、待っていると、20分ほどでイサキの塩焼きが来る。
「ご注文は以上で」と言われるので、やむを得ず「お酒がまだ」と返す。
このイサキが30cmくらいあって、食べるのに30分以上かかった。
帰りは、ロマンスカー。
自動券売機で特急券の購入しようとすると、列車を選ぶ画面で、時刻と車両の正面が表示される。
GSEに乗りたい!と思わずボタンを押しそうになるが、冷静になり次に来るEXEを選ぶ。
乗り場に行くと、EXEと言ってもEXEαであり、「αなら望むところ」と機嫌を直す。
上りのロマンスカーに乗るのは、実に21年ぶりである。
快適な乗り心地、快調に飛ばす列車、そして複々線。
本当に、何をやっているのだろうか。
この1か月で、金を使い果たした。
得られたことは特になく、疲れだけが蓄積し、時間と金の浪費が身にこたえる。
町田を過ぎると、転がり落ちるように電車が進む。
この先も暗い。
なぜ金が稼げているのか、メカニズムのわからない仕事だし、いつ終わるやもしれない。
この先、データ分析の介在しない仕事は、存在しないことだろう。
ただ、仕事をする誰もがデータ分析をしなければならないわけでもないし、正しいデータ分析をしなくても、むしろよくわからないデータ分析をして、意図に合う結果を出していけば、仕事が途切れることもないだろう。
そして、人が疲弊し、子どもたちの笑顔は奪われ、未来が暗くなっていくのだ。
逃げ切ることを目標としているが、逃げ切れる気がおよそしない。
なんだか、ビールがうまくなく、脚がしびれてきた。
お土産は、揚げ蒲鉾とわさび。
金曜。
ずっと寒気がしていて、1日中寝ていた。
酒の飲みすぎで、脱水症状に陥ったのではないかと思う。
そういえば、あれほど尿意に振り回されていたのに、最後の方はトイレに行くこともなかった。