曇天の続き

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2023-09-28 Thu.

水浸

2023-09-28

映画「台風クラブ」4Kレストア版を見てきた。

夕方1回きりの上映、ということなので、用事を切り上げて、渋谷駅に到着。
埼京線乗り場から南口に出たかったのだが、思うようにいかないのが工事中の渋谷であり、階段を上って中央改札を出る。
改札の正面は銀座線の線路がむき出しになっており、道玄坂下と宮益坂下が見渡せる風景になっている。
もう渋谷の過去のことなんて思い出せないのだろうな。
西の方へ、今も急な階段を下る。
少し年老いた女性が、手すりをつかんでゆっくりと階段を降りていた。
階段を降りると強制的に左折。
ハチ公口に出るつもりだったが、南口方面に降りるのが面倒になり、流れにのってバス乗り場を越し、フクラスのあたりまで振られて、マークシティの先端部分にぶつけられる。
玉川改札に向かう通路は閉鎖され、「明日の神話」は修復作業中。
おもしろくないことに2度と巻き込まれなければいい、と思うこの作用も、きっと芸術であろう。
多少の割り込みへの耐性を試されるエスカレータで下り、ようやく地上にたどり着く。
いつも思うのだが、この時間の渋谷で、シャツにスラックス、革靴に手提げ鞄、という格好の人間を1人も見ない。
おそらく、ここにいてはいけないのだろう。
火事のあったバスケットボールストリートを思い、小火が出た109の脇を抜け、閉店した東急百貨店本店の前へと差し掛かる。
この道は、過去に何度も反対方向に向かって抜けた。
20世紀末の記憶がどれくらい残っているのだろう、と歩いてみるが、郵便局と薬屋以外に、何も覚えていない。
坂の下にラーメン屋があったが、今は別の店になっている。
雑貨屋もあったが、それが今はどこのどれかもわからない。
それ以外は、新しくできたのか、20世紀末にすでにあったのか、それもわからない。
道を拡幅するために用地が確保されていた記憶があるのだが、その記憶が正しいかどうか検証できるほどの記憶はない。
坂の角度すら、記憶していたよりもずっと緩やかだ。
センター街の看板が落ちたとき、「死にかけたな」と思った何十万人のうちの1人である。

ユーロスペースに到着。
ここに来るのは2023年…、先月以来だ。
この前に比べたら、ずっとスムーズにチケットを買うことができ、前回やり取りにリソースを使ったために気を配れなかったSuica支払いもできた。
「福田村事件」の合間の上映、とのことで、田中麗奈さん出演映画を見ないことに心が痛む。
こちらの方は、しばらくは評論で状況をうかがうことにする。
入場時に、映画のシーンを切り取ったポストカードをいただく。
客の入りは2割よりは多いが、3割はいるだろうか。
年齢層も若い人から年配の人まで、男女比も同じくらい。

「台風クラブ」を見るのは、数え直したところ、今回で7回目である。
最初に見たのは、1996年1月、前年末にFBSの深夜に放送されていたのを録画して見た。
1番好きかどうかは数年ほど考える時間が欲しいが、最も衝撃を受けた映画の1つであることは否定できない。
自分の好きなものが、自分の考えていることが、自分では把握できていなかったのにもかかわらず、1985年に公開された映画に全て入っていた、というのが、感想である。
これから先の人生、何も成し遂げられないな、と自覚させられ、その実感はしっかりと当たっている。
早めに期待を捨てさせてくれた映画だ。

1996年に2回、1997年、1998年、2010年に見た、と記録にある。
直近は2021年12月24日、短期貸しの別荘において、Prime Videoでタブレットを使って見た。
11年ぶりに見たのだが、この時はそれまでとまた違う感想を持った。
過去に確かに感じていた映画の意味が、全くわからなくなっていたのだ。
歳を重ね、何かを失った事実を突き付けられ、歳を取ってから作っているはずの相米慎二の感覚を称えるしかなかった。

だから、見ることが少し怖かったのだが、自分にとって大事な映画が映画館でかかる機会もなかなかないので、見に来た。

まず、映画館で上映してくれたことに感謝したい。
日本映画全体に言えることだが、画が暗く、自宅の画面でははっきりと見えないことが多い。
また、台詞が不明瞭であり、音量を上げると今度は背景の音がうるさい。
今回は4Kレストア版で画面が比較的明確になっていたし、何せ台風の中の話だから雨風の音が大きいのだが、それも映画館だと気にしないで見ることができた。

今回は画も音もクリアで、「意味が理解できない」ということがなく、実際かなり安心した。
短期貸しの別荘にいたときは、やはり調子が悪かったみたいだし、自分の目と耳の劣化のせいだったのかもしれない。
「見に来てよかった」というのが率直な感想だ。

ただ、思うことが少しずつ変わってきているのは確かだ。

最初に見たときは、当然子供の方に感情移入していた。
2010年に見たときは、年齢もあり、教師を演じる三浦友和の立場がわかるようになっていた。
「無責任な教師」と評されることが多いが、僕からすると、社会の規範を守ろうとしているし、相手のことを引き受け自分のふがいなさを受け入れようともしている点が見える。

2023年の今回は、そのまた上の世代、子どもの親の立場で見るようになってきている。
すなわち、つまらない精神論を語る様を子どもに見透かされている父親であり、子どもの家出を学校や周囲の責任に押し付けている(と思われ、電話の向こうでわめきちらしているらしい)母親であり、一升瓶から酒をラッパ飲みをするおっさんである。

次に見るときは、娘の結婚を急ぐ母親や、モンモンを背負う水戸の弟、もしくは実務的なことを口にするだけの中学校の事務員の立場で見ることになるのだろう。
最後には、台風の目に入り、停電しただけで「死んだんじゃない」と決めつけられる、死にかけのババアの立場で、「台風クラブ」を見るのだろう。

子どもを描くことを通じて、この5つの世代、15歳と32歳の中間である、やや中途半端な大学生の世代を加えるなら6つの世代を表現している、実はそういう映画だった。
「意味が分からない」という状態は回避できた。

「終わっている」と突き付けるのは、多分正しいのだろう。
「終わっている」とわかっていて、結局ここにたどり着く、と言い返すのも正しいことであろう。
子どもが「もしも明日が…。」を歌い、大人が「北国の春」を歌うのも、正しい。
僕は祭りの概念が苦手なのだが、それがなぜ苦手なのかがこの映画では描かれていて、それは特に、狂乱の後「何やってたんだろうな」と我に返る「振りをする」様によく表れている。
祭りは集団がこぞって参加するから成立するのであって、それを構成員に義務付けてくるのが苦手なのだ。
そして、その輪にどこまでも加わらず、付き合いを装う器用さを持ち合わせていながらどこまでも加われない主人公の立場にほっとする。
ただ、最初に見たときから、「主人公のあの終わらせ方はずるい」と珍しく素直に思っていたのだが、ウィキペディアにあった「1人くらい死んでくれないと」という、映画構成的な意図なら十分に受け入れられる。
それくらい、生きることは凡庸なことなのだ。

好きな台詞は、工藤夕貴の「名前、小林っていうんですね」だ。
名前も知らないで部屋までついていっているところが、全体的にマヌケである。
もちろん、その時の外から中へと移っていくカメラワークには、何度見ても息をのんでしまう。
また、最後の方で大西結花が机で組み上がった櫓の横を這い上がってくるシーンも好きだ。
あれがないと、一人でしゃべったままで終わってしまい、他者との関係がないように感じてしまう。
そして、最後、学校に残らなかった明と理恵が登校するシーンが、何よりよい。
台風の過ぎ去った後の風景に美しさを感じる様子がすばらしく、台風によって文明がほんの少し自然に引き戻されたように思える。
「金閣寺みたい」という表現はたまらない。

最近になって初めて見たと思われる「台風クラブ」評を見ると、「意味不明」「気持ち悪い」「昔だったから許される表現」といったコメントが多い。
もっともだと思う。
僕は、渋谷からの帰途、街の様子を見ても、「気持ち悪い」と感じたし、それはずっと変わらない。
結局僕は、人間というものをとことん称賛していないのだろう。
「昔は許される」もそうだと思うし、今は今で、今回の上映で見た他の映画の予告編にうかがえるテンプレート的な表現ではなく、間隙を縫った表現、後の時代に禁止されるような表現を見せてほしい。
「子どもの演技が下手」「学芸会みたい」というのも、確かにとうなずく。
逆に僕は、最近の子役の演技が観客を引き込むほどに強力で、「どこの事務所だろう、キリンプロから来たのかな」などと考えてしまう。
金子修介が「プライド」のコメンタリーで、「演技ができるようになったときにクランクアップを迎える」と言っていた。

今初めて「台風クラブ」を見たら、僕も巷の評と同じように感じるのかもしれない。
でも、僕には1980年代の映画にある程度の免疫があるし、何より20世紀末にその年齢で見てしまったのだから、分岐の向こう側の気持ちはわからない。

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2023-09-18 Mon.

喝破

2023-09-18

映画「水のないプール」を視聴。

僕はこのころの映画が好きみたいで、「水のないプール」は初めて見たが、げらげらと声を上げて笑いながら見た。
でも、「八甲田山」で大笑いしているところを人に見られて以来、気を付けるようにはしている。
こういう表現は何か深い意図があるのだろう、と表面的にはそうとらえるように装ってきたところがある。

僕が借りてきたDVDには副音声でコメンタリーがついていて、監督の若松孝二とプロデューサーの清水一夫の話が聞ける。
コメンタリーを聞くにはもう一度フルサイズで見なければならず、レンタルだと時間が厳しいのだが、できる限り聞くようにしている。

今回のコメンタリーもやっぱり面白くて、映画に出てくるアパートはスタッフが当時住んでいたものであったり、関わったスタッフが映画製作に手を出して飛んでしまっていたり、スタッフ同士がくっついてすぐにわかれたり、などの話が披露されている。
話を聞いていて思うのは、映画は笑って見ていて間違いないんだ、ということだ。
強いメッセージがあるように見えたり、独りよがりな意見が込められているように見えたりするところが、やっぱりふざけて作っているんだ、と安心できる。
「そんなことないだろ」と思っているのは、見ている人だけでなく、作っている人自身もそうなのだ。
映画はフィクションである。
リアルかどうかはいったん置いておき、楽しく作って、見る側が楽しめるよう作ることを第一に考えていていいのではないか。

コメンタリーによると、タモリさんのキャスティングは内田裕也が声をかけたのだという。
内田裕也が映画の話をもってきて、「餌食」や「水のないプール」は若松孝二が撮ったものの、次の「十階のモスキート」は断って崔洋一が初監督を務めることになり監督としての独り立ちがもたらされ、その次の「コミック雑誌なんていらない」は滝田洋二郎に話がいってメジャー監督への道が開かれ、そのあとの「秘密」や「おくりびと」につながるのだから、よく言われている「内田裕也のプロデュース力」の高さがうかがえるエピソードである。
また、監督は中村れい子の肌のきれいさに何度も触れており、きれいなものを撮ることへのこだわりが強くうかがえる。
言われて気づいたけど、音楽がおもしろい。

日常の生活も、もっとふざけて、もっとくだらないことにこだわっていていいのではないか、とまで思う。
でも、今の映画でぶっ飛んだものが少なくなっているところを見ると、現実では到底許されないものか、とも思う。

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2023-09-12 Tue.

望陀

2023-09-12

夏の終わり、深大寺に行くことにした。

いろいろ経緯があって、三鷹駅からの出発。
バス路線を調べ、深大寺行きを待つ。
「三鷹ってこんなに都会なんだー」などと言ってしまうと、自分がどんなところに住んでいるか露呈してしまう気がする。

今夏、こんなに多く出かけている理由は、カレンダーの曜日配列にある。
2023年、国民の祝日が土曜に重なることが何度かあるからなのか、やけに営業日が多い。
営業日が多いと勤務時間を調整する必要がある職場にいる。
一方で、僕は従業員であり、有給休暇が付与されている。
有給休暇の有効期限は2年間。
あまり声高には言えないが、僕は、労働者の鑑として、そして後進たちに道を拓くために、有給休暇を期限内にすべて使うつもりでいる。
それで2023年は、営業日が多いため、営業時間を調整して、有給休暇を使うことを目的に、隙を見て休暇を取っている。
休暇を取るために、周囲の理解形成と多少の威圧と強行を心がけている。
加えて、実は土日が忙しく、そして直近3年の閉じこもり生活の反動もあり、平日の外出を重ねているのだと思う。

時間は、放っておくと消えていくものだ。
だとしたら、消える前に時間を経験と知識に換えておこう。
変換のために金が必要なら、慎重にはなるが、使う。
「金と経験と知識は、あっても邪魔にならない」というのが、2023年時点の結論である。
なお、金はない。

バスに乗る。
通りにはチェーン店が並び、なじみのない名前のコーヒー屋がいくつもある。
まさか東八道路がここまでできるとは、と感心する。
航空宇宙技術研究所、という名前だった施設の前を通過する。
やがて道は少し狭くなり、バスは右へ曲がり、緑の中を進む。
「こんなところにウインズが」と思ったら、「JAマインズ」の見間違えだった。

バスは終点、深大寺に到着。
平日の朝だからか、バスの乗客はおじさんばかりなのだが、きっと自分もこんな風に見えているのだろう。
国分寺崖線、というわかったようなことを口にし、じゃぶじゃぶの湧水に驚く。
昔の人は、それなりの立地に、それなりの施設を作ったものだ。
本堂に黙礼し、裏の方にあるお堂も回り、国宝である釈迦如来像を拝観する。
東日本最古の国宝仏だそうだ。
山門のそばでたたずむ。
境内にはアジアからの観光客が多く、ここまで来るのか、というのが率直な感想である。
僕は上京したころ、西荻窪に住んでいたわけだが、面倒がっていたせいで、四半世紀経って初めて来たというのに。

寺社仏閣のそばでそばを食う気には、出雲そば以外、なれない。
近くに神代植物公園水生植物園があり、そっちにも行く。
城山があり、土塁があり、草むらがあり、暑くて人がいない。
公園に隣接する邸宅は、虫が多いだろうな、というのが感想。

せっかくなので、駅までの道を歩く。
調布市に入ってから、三鷹通りの幅が狭くなった気がする。
坂を下っていくと、中央自動車道を高架でくぐる。
ここに、深大寺バスストップがある。
住宅地内にあり、山中湖の研修所などに行くには便利そうである。
中央高速バスを見ると研修を連想するのは、僕が中央高速バスに乗った2回ともが研修や実習のためだったからであろう。
もの好きなのでバス停を見に行きそうになったけど、階段が道の反対側だったのでやめておいた。
通り沿いでは、北海道のどら焼きを保管する倉庫があり、店頭でラーメンとともに販売もしていた。

野川を渡り、このまままっすぐ進むと布田駅。
甲州街道を右に曲がる。
こんなところに電気通信大学があるのかとの発見に驚き、左に曲がる。

とんかつ屋が値段が高かったので、タンメン屋で昼食。
店内のTVで、初めて「ぽかぽか」を見た。
そういえば、「バイキング」は1回だけ、榎並アナが自滅的にしどろもどろになっているところを見た。
その後の番組は、微風のように過ぎ去り、僕を置いていった。
鶏のからあげがおいしかった。

調布駅の方へ歩く。
調布に来るのは、たぶん2回目。
1度目は、1999年8月18日、調布のパルコに映画「洗濯機は俺にまかせろ」を見に行った。
篠原哲雄監督、筒井道隆主演である。
映画のことは何も覚えていないけど、調布には夜に行って、駅前がすごく暗かったように記憶している。
覚えていないのに日付がわかるのは、記録していたからである。
その記録には映画の感想はなく、記述は閉塞感に満ちあふれている。
今と同じだ、気が抜けない。

ただ、同じでないことがあって、まずパルコの映画館はなくなった。
パルコの中に入っても何も思い出せず、映画館の痕跡にも気づけない。
あの時も調布にパルコがあることが不思議だったが、今もなおパルコが残っていることは奇跡のように感じる。
そして、地上の線路がなくなり、京王線が地下に入った。
相模原線との平面交差は解消され、調布駅は地下2層構造になった。
地上の線路跡には、京王が建てた施設があり、ビックカメラが入るとともに、映画館が新設された。

駅近くにある公共施設「たづくり」に入る。
人の流れについていくと、平和展という写真掲示がされている部屋に入った。
そこに、小倉の写真はない。
流れを振り切って、エレベータを待ち、最上階へと行く。
そこは展望スペースとなっており、建物の西側の風景が楽しめる。
富士山が見えるはずだが、夏の靄に隠されており、足元から広がる下界は行けども行けども家が並ぶ。
八王子の方に高い建物が見える。
きっと、高尾山がよく見えるのだろう。
展望スペースには何人かいるが、彼らは何をしているでもなく、ただ座っていた。
この施設に入っている図書館で水木しげるの展示を見て、階段で下に降りる。
階段の踊り場には各国の名所の写真が掲示されていた。
調布に空港があることにちなんで、疑似旅行を楽しんでもらおう、という趣向である。
ネパールのスワヤンブナートの写真があり、この場所に行った記憶がよみがえる。
僕にとってはどの記憶もそうだが、思い出すだけで苦しい。

駅に戻る。
駅らしい駅はなく、空間にポツンと口が空いているたたずまい。
降りて降りていくと、ちょうど上りの特急が出発しているところだった。
反対側の乗り場から快速に乗る。
快速に乗れば安心かな、と思っていたが、途中の駅で先行の各駅停車を抜き、その先の駅で後からきた列車に抜かされた。
高架化は進んでいるようだが、見ている限り進捗を感じるほどでもない。
モダンな京王線は、僕が生きているうちに実現するのだろうか。

「NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition」を聴いているうちに、眠ってしまった。
列車はこのまま都営新宿線を進み、九段下で降りる。
九段下の駅構内が変わってから、初めて来たかもしれない。
よく簡単に、「バカ」などという言葉をつかえるものだ、デスクトップの整理はついたのだろうか。

「8月ジャーナリズム」に踊らされ、昭和館へ行く。
戦争は嫌なのだが、それとともに「こうしなければならない」「こういうことをするのはけしからん」というのが至る所に蔓延している社会が苦手だ。
その状況は今もあまり変わらない気がする。
太平洋シチューなど、食べたくない。

玉音放送を聴いて、「まあ聞き取れるかな」という感覚を得る。
スクリプトを見ながらのものだから、英語のリスニングと同じ程度である。
要は、負けたけど未来に向かって力を合わせろ、ということだろう、こちらもあまり変わらない。
あの頃の昭和天皇の年齢を、もう超えてしまった。

展示にすっかりあきれ返ってしまい、半藤一利展の会場へ移動。
せっかく教えてくれているのだから、同じ失敗を繰り返さなければいいのだが、すでにもう繰り返しているようだ。
1階で映されている映画ニュースを見て、ある時点で言っていることがガラッと変わるところに、鼻白み笑ってしまう。
最近もこういうことあった。

意を決して、九段会館へ行く。
九段会館は上京当初から避けていた物件だ。
渋谷から青山通り、赤坂見附を通って半蔵門を左に、千鳥ヶ淵に参り、武道館を見上げ、靖国神社を見学した後、最初に九段会館を見たとき、何かあったら壊れるんじゃないか、と直感し、身の危険を悟ったわけだ。
その後、経緯を知って「これはダメだ」と思い、後出しになるけど、その予感は当たってしまった。
それも、自分の意志で赴いたわけではなく、拒否しがたいイベントに参加した人が犠牲になったのだ。
状況が違えば十分避けられた事故であり、このことを見ても、全く変わらないな、と思った。

改装された九段会館は、現代建築技術が施され、ひとまず安心である。
屋上はテラスとレストランになっていて、値段を見て息を飲む。
会館内には当然のことに日本遺族会のオフィスがある。
いくらおっちょこちょいを前面に押し出しみっともないことをすることに抵抗感がないとはいえ、オフィスの前まで乗り込み、中をのぞき込むことはできなかった。

通りに出ると、Tシャツを着た中年女性の組が多い。
武道館で男闘呼組のライブがあるらしい。
まさに、ぎりぎりのタイミングであった。

帰宅して確認すると、持ち歩いていたマウスのスクロール部分が壊れていた。
また、金が要る。

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2023-09-05 Tue.

雷途

2023-09-05

本日も、普通グリーン車2階席。
500ml缶を開ける。
ラジオはKBC「めぐみのラジオ」。
水曜日のカンパネラが新ボーカルになってから初めて聞いた「マーメイド」。
すごくよい、何かを彷彿させるよさだ。
剽窃はよくないとしても、もう新譜は望めない状況からすると、「っぽさの継承」はあってもいい、むしろあってほしい、と願うのが、朝本浩文ファンとしての感想である。
メールテーマは「5万円当たったら、どう使うか」。
僕なら、ジャケットを1着新調する。
「衣食住」のうち、余裕があるときにそろえておくべきは「衣」であることを、いやというほど思い知らされている。
メールの回答に「離れて暮らす家族の分も含めた防災グッズをそろえる」とあり、人間の格の違いを思い知らされる。
曲が2曲連続でかかるのは珍しく、「お察しください」とのこと。

予定より1本早い列車で、宇都宮駅に到着。
駅ビルを抜け、東口のLRT乗り場へと向かう。
黄色と黒の真新しい車体の輝きが、未来を感じさせる。
扉横にあるICリーダにタッチ。
席は埋まっていて、僕は運転席の後ろに立つ。

ロータリーの中にある停留場からの出発で、ロータリーから出る際に直進する道路を直行する形で横切ることになる。
信号制御されているとはいえ、どうも危ないな、とこの時は思った。

静かな加速、穏やかな減速。
小学生のころ、到津遊園の林間学園で、路面電車に乗って通学していた時のことを思い出す。
林間学園の生徒を乗せるため、西鉄は専用の路面電車を運行していた。
自宅最寄りの電停が路面電車の遠回りルートの起点であり、片道1時間乗って到津遊園まで通っていた。
林間学園自体は憂鬱で仕方なく、路面電車に乗っているときが気分高揚のクライマックスであった。
運転席の後ろに立ち前方を見ていたのは今とやっていることが変わらないが、昔の加減速時の音は大きく、今は実に静かだ。
路面電車が廃止されたのを期に、林間学園に行くのをやめた。
どう考えても自分には合わない催し物であった。
とにかく、21世紀を迎えられなかった路面電車を有する街の人間としては、宇都宮や富山がうらやましい。

終点の「はがたかねざわこうぎょうだんち」がとても言いにくそうなアナウンス。
交差点では、右折で待機している自動車の列の横を、徐行して通過する。
軌道は国道4号を陸橋で越えた後、専用軌道となり右にカーブしていく。
車両基地のための進路変更だろうか。
路面電車でありながら、複雑な配線の平石停留場を見るのは、気分が躍る。
ここで運転士の交換があり、「油圧が安定しない」との引継ぎを次の運転士に伝えていた。
乗客である僕の不安をよそに、油圧の安定しない電車は専用軌道で鬼怒川を超え、アップダウンを経て、郊外の住宅地区へと至る。
ここを抜けると、専用軌道になるときに分かれた、駅から延びる通りに合流し、また併用軌道。
バスとのトランジットセンターを経て左折し、上り下りを果たし、終点に到着。
ICカードでの乗り降りは、北九州BRTと同様で、各ドア横のリーダーにタッチすればよろしい。
これで、10日ぶりに関東の鉄道完乗を回復。

名前の通り、工業団地だけで、他にあるのは駐車場くらいである。
すぐに折り返しの列車に乗ってもよいくらい、部外者を寄せ付けない感じなのだが、せっかくなので付近を散策する。
陸橋の上から工場敷地を見ると、歩道に「Utsunomiya St.」とある。
路線バスの乗り場かと思い、陸橋から降りて近づいてみると、確かにバス停があるが、IDカードがないと乗れないと記してある。
工場従事者の通勤のためのバスのようだ。
警備員が近づいてきて、「工場の方ですか」と声をかけられる。
違う、と答えると、「ここは敷地内ですので」と注意され、退散する。

大谷石を台とする椅子に座って待ち、1本後の電車に乗り、元来た道を戻る。
見ていると、現金で運賃を支払う乗客はほとんどいない。
現金の支払いが遅延の原因との報道があったが、開業直後、とりあえず乗った客や子供客が現金で支払っていたのではなかろうか。
一方で、ICカードリーダーへのタッチを誤る客がいて、その客は降りる際に入場のリーダーにタッチしていた。
よく見ればわかるのだろうが、間違っても仕方ないかとも思う。
そういえば、終点に行くときに、ある客から「観光できたのでよくわからないのですが、○○から乗った場合いくら払えばいいかは、運賃表のどこを見ればいいですか」と尋ねられた。
僕も市外の客なのだが、「バスと同じです」と答えて、その場をしのいだ。

国道の陸橋を超えた後、宇都宮駅から2つ手前の停留場で降りる。
通りを歩くと、架線のうっとうしさもなく、整備された街並みである。
通りにバス停があったが、LRT開業とともにバス路線は廃止、整理されたらしい。

駅のロータリーを出入りするあたりで、LRTが止まっている。
車との衝突があったらしい。
まさに、行くときに「危険」と感じた場所であり、行きで乗った「308編成」の先頭部に擦過傷が入っている。
車の運転手も、電車の乗客乗員も、けがを負っていないようだが、電車は立ち往生しており、おそらく他の電車も抑止がかかっているだろう。
あの軌道を横切る方向の道路は、早晩廃止されるのではないかと思う。

リアルタイム検索をすると、事故現場の写真がもう上げられている。
ドライバーの属性についての情報も得られる。
事故は極力避けられるべきだとは思うが、やむを得ず事故が起きると、注目度の高い今だとこうやって取り上げられてしまう。
情報を伝えるのが、一般人なのか、マスメディアなのかの境目がなく、同じ力を持つのだから何かしらのポリシーが必要かと感じる。
僕もここに来る今日だけで、電車に乗る際に入り口で頭を強打したり、ボタンで開閉する電車のドアの前で立ち尽くしたり、工場敷地への侵入を咎められたりしており、それらの姿がネットにさらされることを考えると、憂鬱である。

昼は、迷いなく餃子。
新しく建てられた施設の店で食事。
焼き3、水1、揚げ1で、1.6K円。
4年ぶりに来た店は値上げしているのだが、それでも安く、そして満腹。

西口の方へ行く。
大谷石記念館へ足を延ばそうか、とも思ったが、西側整備区間が完成してからでいいか、と思い直し、思川を越え、重い歩を西へと進める。
事前知識があったから、「シウマイ餃子ライン」を見てもそんなに驚かない。
今日も暑い。

東側と比べると、以前からにぎわっているはずの駅西側がなぜか猥雑に見えてくる。
ところどころ残されている古い家屋、行き詰った感のあるビルの排熱、ホストの看板。
オリオン通りを歩き、「「ウチくる!?」で八反安未果が来ていたな」と、使い道のない記憶がよみがえる。
昼間だからだろうか、人がほとんどおらず、黒崎のことを思い出す。
暇のなくなった中年女性が歩いていないのが、地方都市の衰退の一因か、と思い当たる。
オリオン通りを少し外れたところに、映画館がある。
ヒカリ座という名前で、事前知識がないとなかなか入る勇気の持てないたたずまいである。
そういえば、黒崎で「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」か何かを見に行った気がする。
どういうタイミングで見に行ったのかも覚えていないが、あの時が黒崎メイトに行った最後だと思う。

映画のポスターが貼ってあり、「二十歳に還りたい。」とある。
僕は過去にはどうしても戻りたくはないのだが、もし30歳より前に戻らなければならないとするならば、高校に入学した年の夏時点くらいならかろうじて受け入れられる。
あの、冷たい夏だ。
小学生や中学生に戻るのはうんざりするし、高校卒業後だと取り返しのつかないことが多すぎる。
高校も煩わしく忌々しい出来事ばかりだったが、自分のだらしなさが起因する点も多く、まだ手の施しようがある。

もし戻ったら、ビデオデッキを購入し、まじめにTVを見る。
秋でもいいのだが、せっかくならその年の「FNSの日」を見たいので、夏に戻りたい。
そして、東京へ抜けだすことを主軸において高校生活を送る。
ちゃんと英語を勉強するし、英単語のテストで25問中24問も間違えるようなこともしない。
読書もするし、古典もマンガであらすじをさらう。
その後は、自分に土木工学の素地が残っているとするなら、計算機科学を専攻する。
高校卒業以降の周囲の顔触れは全く変わってしまうだろうが、それは受け入れ、周りの人たちとのつながりを尊重する。
何者にもなれないことを早く悟り、目の前のことを1つ1つ丁寧にこなす。
結局今いる場所にたどり着きそうだが、苦労は少なくなるはずだし、資産も厚くなることを期待してもいいだおう。
迷惑をかけることも少なく、みっともないこともなくなっていればいい。

という、指導者の置き土産がもたらしたくだらない妄想とともに一通り歩いて、時間もないので、東武百貨店の地下で冷凍餃子を買い込み、東武宇都宮駅。
新栃木駅で乗り換えて、普通列車。
ふと、先日行きそびれた「3県境」に行ってみよう、と思いつく。

柳生駅で下車。
駅から徒歩10分のところにあるようだ。
住宅地の先に、青々とした田園が広がり、稲の香りが心地よく感じる。
都会が好きな気もちに変化はないが、さっき見たような地方都市が好きかどうかは、疑問だ。
それよりも、田園風景の方が落ち着く、と考えるようになった自分に気付き、驚く。
でも、それはもともとあった感覚だ。
確かに徒歩10分で「3県境」に到着し、3歩で3県を回る。
思えば、今日宇都宮に行くだけで、5都県ほど足を踏み入れており、なんとも大げさな感じがする。
徒歩10分で駅に戻ると、汗がすごい。
ドライアイスを仕込んでもらった冷凍餃子が心配になる。
いずれにせよ、東武日光線の普通列車に乗り、30分間隔で来る1本後の列車に乗ってもいいか、と考える好事家には、3県境はぜひおすすめしたいスポットである。

帰りのラジオは、「SAYONARA シティーボーイズ」。
タイトルからしてショックなのだが、自分の年齢を考えろ、ということなのだろう。

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