2020-12-31 Thu.
長聴
2020-12-31
2020年は今日で終わり。
東京は晴れていて寒いが、昨日までは暖かった。
平均的な気候であってほしい、と強く願う。
2020年の重大ニュースを以下に挙げる。
- 志尊淳、オンラインでの収益から1000万円を日赤に寄付
- 最優秀ホラー女優賞は、小倉優香
- 最優秀ホラーサービス賞は、ドコモ口座
- 児島一哉のヨガ本まで出す、あざとくノリノリな出版社
- 矢崎滋に「はね駒」の再放送料が支払われる
- メディアはこれまで、戸田恵梨香の一体何を伝えてきたのか
- 県知事を選ぶのは県民であり、水面下の森喜朗ではない
- 決定的一発屋の出現に歓喜
- Snow Manが紅白に出ないのは、春に発覚した不祥事のため、ではない
2020年は何もなさないまま終わった。
年末の最終週になって、「あさイチ」のプレミアムトークでウッチャンが出ていたのを見たり、レンタルしたDVD「小堺一機&柳沢慎吾LIVE ライブマン コミック君!!」を見て柳沢慎吾の妙演に腹を抱えて笑ったりして、少し取り戻した気分になった。
ラジコプレミアム会員になったことが、2020年の大きな出来事となった。
外出できない代わりにラジオでも、と軽い気持ちで入ったら、やめられなくなった。
KBC「PAO~N」を聞くようになり、多くの時間を費やしてしまった。
矢野ペペの優秀さを知らずに終わらなくてよかったし、いわぶ見梨もおもしろい。
「新婚家庭は火の車 深瀬智聖です」が2020年最もお気に入りのフレーズである。
7月15日に放送された「走れ!山笠2020特別編~4時59分 何していますか~」は、さみしいが、素晴らしい番組であった。
勢い余って、KBCの「チャリティミュージックソン」に寄付する始末。
お世話になったのだから、ぜひとも貢献したかった。
まさか、井堀にある歯科のCMを東京で聴くことになるとは、全く想像していなかった。
サブスクリプションをやめられない決め手は「ミルクボーイの煩悩の塊」である。
この番組が続く限り、エリアフリーをやめることはないかもしれない。
他にも、聴いてみたかった「TOKI CHIC RADIO」をFM山口で、「PAO~N」に東京から電話で出演し続けた松村さんの番組「松村邦洋のOH-!邦自慢」をKRY山口放送で聴いた。
周波数の入る山口の放送を拾って地元でネットされていない番組を聴いたり、沢田幸二の昼ワイドを聴いたり、と30年前にやっていたことを今もしていて、進歩がない。
今週になってふと気づいたのだが、現在も週5でオフィスに出勤している自分は、少数派とは言わないまでも、オフィスワーカーとしては多数派ではないのかもしれない。
4月から5月にかけては週2の出勤で残りは自宅待機しており、思い出しながら電話で指示をするという「目隠し将棋」みたいなことをしていたが、6月以降は元に戻っている。
出勤時間も同じで特に何も変わらないし、仕事も変わらない…、いやむしろ増えた。
よく考えれば、自分の仕事は以前からリモートワークであったようだ。
扱うデータはどこか別の場所にあり、遠隔からアクセスできる端末がセキュリティエリア内にあるだけに過ぎない。
その端末を自宅に持ち帰ることができないし、セキュリティエリア外からのアクセスができないので、アクセスポイントに通う必要があった。
それでも、会議で顔を合わせることがなかったり、取引先のオフィスに行くようなことがなくなったりはした。
客先に訪問したり、会議室を確保したり、顔合わせが必要だと集合をかけられたりとか、今考えると何だったのだろうと思う。
そういうことを大事にしてきて、資源を費やしてきた人たちは、この際責任を取ってとっとと退場すればいい。
2020年はいつもと変わった年だったが、それなりに技術が発達していたおかげもあり、何とかやり過ごせたものだと思う。
自分にとっては、そもそも人とのかかわりが没交渉であり、それほど変わったという印象がない。
面倒なかかわりが一掃されて、むしろ快適に過ごせたように思う。
飲み会もなくなり、金も使わずに済んだし、無駄な風邪も引かずに済んだ。
NHKオンデマンドでドラマ「徒歩7分」をじっくり見ることもでき、「ぬくもりの北欧スタイル」も実践したいし、個人としてはいいことも多かった。
でも、対応できているように感じるのは、自分の経験値が上がっているのも理由にあると思う。
思い返せば、1995年に世の中でいろいろな出来事があって、価値観や世界観を大きく壊されてから、今までに絶え間なくいろいろなことが続いている印象がある。
その都度混乱の中でおぼれまくっていたから、2020年のようなこともいつものことのように感じるのかもしれない。
そう考えると、若い人の方が、より大変なのだろうと推察する。
それでも、思いがけない別れがあったし、こんなに世間離れしている僕でさえも、世界を取り巻く事態に関連する重い出来事を経験した。
それは、やはりつらい。
体調だが、右肩の痛みはなくなったが、腕の可動域は変わらず小さい。
誰も気づかないが、実はこの1年で体重が10kg増えた。
みぞおちのあたりが時折軽く痛むのだが、健康診断では何も言われない。
のどに引っ掛かりがあり、咳が続くが、発熱しない。
さすがに、頭に白いものが見られるようになった。
最後に、宮崎大輔のことと、2019年の紅白歌合戦の審査員に瀬戸大也がいたことを改めて思い出しておきたい。
2020-12-30 Wed.
凡策
2020-12-30
2020年の投資活動を終えた。
インデックス投資家である僕にとって、2020年はずいぶんと試される年であった。
現資産くらいだと、損益の桁が増えることで呼吸が苦しくなるようなことはほとんどない。
額の絶対値を口にすると恐ろしくなるが、この程度の桁が生じることには慣れてきた。
それでも、桁の1番上の数値が大きくなることにより、時に大きな打撃をくらうことになる。
4月。
現状の評価損益を計算して、その額を見てその場にへたりこんだ。
これから年末まで働き、無理難題に応じていけば、その報酬として毎月同じ額が銀行口座に振り込まれるかもしれないけれど、それが全部、この損失を埋める資材として使われる。
いや、それでも足りない。
視界が両端から暗くなっていくのを感じた。
インデックス投資をしていると、自分の勝負勘のなさというか、投資力のなさというか、そういう不甲斐なさを嫌というほど思い知る事態にぶつかる。
異常を訴えるメディアと下向きのグラフを見て、「きっと評価が下がるのだろうな」と思いながらも、自信がなくて何の行動もできない。
下がりきったところで狼狽して、なぜ売らなかったのだろうか、今から売っても間に合うだろうか、と気持ちが不安定になる。
地道に働くことに意味を見いだせなくなってしまい、これは大勝負に出なければならない、と思うようになる。
しかしながら、まだ運をつかさどるものから見放されていなければ、脳は自力で次のことを思い出してくれることもある。
自分には勝負勘や投資力がないと認識しているからこそ、僕はインデックス投資を選んでいる。
不測の事態が生じて評価額が暴落することがあるが、それを予測できないから、インデックス投資をしている。
インデックス投資に費やした金は、もう手元を離れて市場に還流した金である。
手元にないのだから、投資していることはすっぱりと忘れてしまおう。
今後もインデックス投資を通じて、市場に資金を戻していく。
その継続のためには種銭を集めることが必要であり、それには、安定して資金を手に入れる手段をより確実なものにする必要がある。
以上のようなことをリアルに100回くらい、自分に言い聞かせる。
周囲にそんなことを言ってくれる人は1人もいないのだから、自分で言い聞かせるしかない。
そして、気力を取り戻して、目覚まし時計のアラームをセットして眠る。
アラームが鳴れば何も考えずに起き上がり、身支度を整える。
チャートが蛇行しながら下に向かうのを見て、2つの行動を実行した。
1つは、キャッシュの保有量を調整し、投資額をほんの少し増やした。
もう1つは、購入のタイミングを刻んだ。
いかにも「小手先」という感じだが、この2つのことだけでも、実行するには相当の心構えが必要だった。
僕は実に小心者であるし、だからこそインデックス投資を選んでいる。
さて、僕はお金の話は好きだし、資産を増やすことに興味がある。
それで考えを突き詰めた結果、インデックス投資にたどり着いてしまった。
改めて言うが、インデックス投資はつまらない。
年間の投資計画はすでに年初に決めており、あとは粛々とオペレーションするのみ。
市況を全く見ることなく、安価な手数料のインデックスファンドを定期的に同額購入する。
買い注文を出し、出納帳に保有残高を記録すれば、それで投資活動が終わる。
評価額が上がればもっと買えばよかったと後悔し、下がれば売ってしまえばよかったと後悔する。
インデックス投資を選んでいる以上、他人と投資の話で盛り上がることはあまりない。
現代ポートフォリオ理論を持ち出せば鼻で笑われ、行動経済学のご高説をありがたく拝聴させられ、不安に陥る。
自分が儲けた話をするような機会は全くなく、他者の勝ちを指をくわえて眺めるだけだ。
市場が暴落すれば、退場していない自分は惨めな姿で立ちすくみ、笑いものになる。
内心では、積極的な投資家がいるから市場の健全性が保たれていると感謝し、オープンな市場秩序が維持されることを願っている。
市場リスクを取っているとはいえ、結局は市場にフリー・ライドしている気分になる。
「情けは人の為ならず」というが、インデックス投資を始めたことで、ようやくこの意味を理解した気になり、見ず知らずの人を助ける意義を実感できるようになった、という情けない始末。
投資家のコミュニティにも居場所を築けないのが、孤独なインデックス投資家である。
ところで、市況は、回復した。
4月には目をそらしたくなるほど下がったのに、年末のインデックスは、年初の評価額を上回っている。
街の店はつぶれ、明日の生活も成り立たなくなる人がいる一方で、株価は上昇した。
富の偏在がより進んでいるのではないか、という不安がある。
それにより、社会の不安定さが増し、やがて平和な生活が脅かされるようになるのかもしれない。
しかし、申し訳ないけれど、それはそれである。
社会との縁が薄く、自助を要請されている自分が快適に生活することを模索するなら、少しでも「資本の保有側」に回っておく必要がある。
せめて市場へのわずかな資金供給であっても、それが社会がより良い方向に向かう原動力となっていることを信じている。
税金も納めているけれど、昨今の理論だと、税金を払うことそのものが直接社会貢献につながっているわけでもなさそうなので、そこは政治参加を通じて、ほぼ無限に湧き出るらしい資金の使い道を考えることで補うことにする。
2020-12-29 Tue.
笑量
2020-12-29
生放送に続いて、再度「M-1 グランプリ 2020」を視聴した。
生放送の視聴時は実感がなかったのだが、改めて見返すと、十分に面白い回だった。
2019年のわかりやすくインパクトのある面白さと比べてしまっていたので、初回の視聴ではその面白さを認識できなかった。
決勝の下位について、言うことはたやすい。
アキナは残念だったが、単純にネタの選択が間違っていた。
十分に回収する一方で、自身の年齢を思い出して、それ相応のネタに改めてほしい。
ウエストランドは、井口さんの言葉が光っていて、見直した。
自信をもって自虐を続けることは難しく、ましてやそれを支援なく単独の力で続けていることも至難であろうが、いつか花開くことを願う。
東京ホテイソンは、月並みながら今後の期待を十分感じる出来だった。
基礎力をさらに磨き、ネタをかけていけば、爆発するネタを見つける可能性がある。
連続出場者については、どれも前回大会よりも進化していた。
インディアンス、見取り図、ニューヨーク、オズワルドが、1年間間違いなく修練を積み重ねていることが感じ取れた。
大化けしないと優勝につながることは難しく、単純な進化以上のものが求められるのだろうが、芸に対する真摯な思いは伝わってきた。
さて、錦鯉のことが世の中にどのくらい伝わったのだろうか。
錦鯉をすでに知っている人にとっては、このネタは普段のネタ番組では十分満足なのだが、大舞台としては物足りないネタであった。
見ている側の目を覚まさせるにはもっと強烈なネタが必要であった一方で、仮にその強烈さが見ている側とかけ離れたものであると、ついていけずに白けてしまう。
錦鯉については、観客が少なかったことを最も残念に思う。
ネタの追求を続け、見出だしてほしいと思う。
錦鯉とニューヨークは、最終決戦でネタを見られていれば、ひっくり返っていたかもしれない。
その点でも、審査は納得のいくものだった。
おいでやすこがには、芸の修練を続けてきた人たちが至る境地というものをまざまざと感じた。
漫才師として芸を磨いてきたわけではないのだから、いわゆる「漫才芸としてのスキル」についてケチをつけられても仕方ないと思う。
仕方ない一方で、そんなことは本当にどうでもよくて、見ている方としては笑えればいいのであり、笑いのハードルは軽々と超えていた。
僕は、おいでやす小田のネタで、ホテルのフロントに扮するネタが好きなのだが、そういうことができる人は、どんな制約があっても出てくるものだな、と感服した。
マジカルラブリーは、もうすごかった。
ガラスを割って店内に入る姿が、優勝への扉を突き破る様そのものだった。
また、扉を開いてからは、見ている側が優勝への列車にそのまま同乗してしまった漢字だ。
動きだけで長時間笑い続けさせることなんて、もうほぼできないし、村上さんが徹したツッコミが丁寧で何より心地よかった。
長尺のネタをやる場合どうするのだろう、という心配をどこかの機会で解消したい。
そりゃ、しゃべくりだけで強い芸ができれば、それは美しいと思う。
でも、当然だけど、しゃべくりだけやれば面白い、というわけではない。
圧倒的に面白ければ、演者が一歩も動かずしゃべくりだけで芸が成立しているという美しさがそれに加わり、強くなるものだ。
それほどまでに強いしゃべくりは、前回はあったけど、今回の大会では出現しなかった、というだけである。
他者の例にもれず、窮屈な大会を設ければいいのであるが、M-1はそのような大会にはならないように思う。
お笑いにとって、特に漫才にとって、2020年は本当に危機に瀕した1年であり、見ている側としては苦しかった。
夢が一旦ついえた人たちも多いことだろう、と推測する。
その中でも、M-1グランプリが開催までこぎつけられたことは得難いことであり、関係者の皆さんには本当に感謝したい。
2020-12-23 Wed.
慣習
2020-12-23
現在公開されている映画で「大ヒット上映中」とあるものの大半は、きっと嘘だろう。
それとも、300億円くらいいっているのだろうか。
2020-12-19 Sat.
歯失
2020-12-19
2020年。
錦鯉の長谷川さんの芸には、ずいぶんと勇気づけられた。
年齢を重ねた自分がくだらないことを口にしてしまい、ちゃんとした振る舞いができない自分を振り返り、「こんなしょうもないことを言っていていいのだろうか、年相応にもっとまともなことを言った方がいいのではないか」と思うことが多くなってきた。
社会の一構成員として、これまで社会の恩恵を受けて生きた成人として、楽しいことをは脇に置き、無駄な時間を過ごさず、世の中のことを真剣に考えなければならない、という思考が自分の中を占めるようになっていた。
そんな中で、2019年のM-1敗者復活戦で目撃したのが、錦鯉の長谷川さんだった。
40代後半で白いスーツに身をまとい、全力で叫んでいるその姿に、まずは驚いた。
年が明け、ネタ番組でも何度か見かけるようになり、くだらないことばかり言っている姿に笑いが止まらなかった。
しかしながら、あることに気づき、年の途中から笑えなくなった。
自分よりいくつも年上の50近い男性が、周囲から年相応に見られることを一切気にせず、ただただおもしろいことを言って笑わせ、自分にできることを全力でやって、自分の姿をさらけ出している。
その姿が神々しいとまで感じるようになった。
人生の先輩がここまで徹して、面白いことを表現している。
一方で、それより年下である自分は、社会の要求に合わせようとし、できもしないのにかしこまったそぶりをしようとしている。
そんな思考を情けなく思った。
長谷川さんには到底及ばないけれど、自分ももっと楽しいことを周囲と共有するために、社会の見えないルールに抗い、ちゃんとしないことをちゃんとしよう、と気持ちを新たにした。
長谷川さんがいる以上、僕らは挑戦することをあきらめないでいられる。
だから、長谷川さんの奥歯について早く医学的処置が施されてほしい、と思う一方で、そんなことを気にせずに芸を追及してほしいとも思う。
ものすごく複雑な気持ちだが、それはそれとして、自分もがんばっていきたい。
2020-12-15 Tue.
渇望
2020-12-15
「THE W」を視聴していないのは申し訳ないが、僕は吉住の優勝に賞賛をささげたい。
さて、福岡高校には小松の親分、筑紫丘高校にはタモリさん、修猷館高校にはひぐち君、そして、東筑高校には吉住と、それぞれの高校がお笑いの逸材を輩出している事実を、僕はとてもうらやましく思う。
もちろん、柳亭燕路師匠がいらっしゃるが、やはり落語は伝統芸能であり、お笑いと同じにするわけにはいかない。
2020-12-11 Fri.
南行
2020-12-11
小松政夫さんの訃報が届いた。
訃報をニュースサイトで見たとき、僕は出先にいた。
周りに人がいる中で、「あーっ」というため息が止められず、涙が少しにじんだ。
まあ、いつかはそんなことがあるのかもしれない。
でも、それはずっと先のことであり、これからもこれまでと同じように、まだまだ魅了され続けるのだろう。
そんなことをぼんやりと思っていた。
しかし、よく考えてみれば、そんなことでもない。
楽観的過ぎるし、時の流れに対してもっと身構えていなければならない。
それでも、そんなことは考えたくなくて、目をそらしてしまう。
のぼせもんにはとても及ばない、ただのバカである。
十数年前のある日、突然気づいた。
「そういえば、僕が笑っている「ニンドスハッカッカ、ヒヂリキホッキョッキョ」とはなんなのだろう」と。
意味の分からなさに気づいてしまうと、そのギャグを生み出した才能の恐ろしさがよくわかる。
とてもじゃないけど、普通じゃない。
そのころ、あるウェブサイトで小松政夫のギャグがリスト化されていたのを見たが、もはや戦慄しか感じなかった。
笑ってしまうのに笑えない。
小松さんのエピソードをいくつもたどった。
NHKの番組「わたしが子どもだったころ」で知った博多での生い立ち、車のセールス時代の話、付き人をした植木等との絆、喜劇にかける思い…。
偉人と同じ郷土であるというただそれだけのつながりがうれしくて、誇りを感じた。
僕が好きなものの1つは、これもやはりというか、製材所のコントである。
これを最後に見たのは、「テレフォンショッキング」だった。
本来のネタは木材以外の物やら時に文化人を刃にかけていたと聞くが、そういうのはすでにTVではできない時代になっていた。
それだからこそなのか、大小の木材を切る描写が際立ち、そういう風刺など必要なく、単純に面白いのだと気づかされた。
軽やかにネタを始める姿がかっこよかった。
あれだけぶっ飛んでいるのに、筋を通される人柄を感じた。
ずっとあこがれの存在であり、自分の目指したい道の無限遠には、間違いなく立たれている方だ。
感謝しかない。
4月には、石村萬盛堂の3代目社長もお亡くなりになっている。
年末はぜひ、塩豆大福や鶏卵素麺をいただき、故人を偲びたいところだ。
同じ日に、横山ホットブラザーズのお兄さんの訃報も目にした。
日常の延長線上にある雰囲気で、見ているこちら側とのつながりを感じさせる笑いに、何百回も楽しませていていただいた。
無意識のうちにつらいことを忘れさせてくれたこともきっとあったはずだ。
大げさに思われるかもしれないけれど、ここまで生活を潜り抜けてこられたのも、横山ホットブラザーズの演芸に救われてきたから、と言っても決して嘘にならないと思う。
力を落としてしまうが、それでは恩に報えない。
いただいたものを忘れないようにし、先に進んでいきたい。
2020-12-03 Thu.
真根
2020-12-03
「育児休暇を取得するユニット」としてぼる塾が受け入れられるのはとてもいいことだと思うが、これは初めてのケースではないと言える。
以前から育児休暇を交代でとっていたユニットと言えば、MAXである。