曇天の続き

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2025-06-28 Sat.

典福

2025-06-28

運転免許の更新に行ってきた。

前回の更新は、たしかCOVID-19の感染者が急増したころだったはずだ。
よく覚えていないが、免許更新の業務がとりやめとなり、書類を郵便で送って暫定的な期限延長手続きをした。
期限延長の書類を発行してもらい、3か月くらい延ばしてもらって、そのあと更新手続きのために出向いた。
それ以来となる。

この辺は、免許更新の機会にしか来ない。
更新手続きの場所まで行く道の風景は、前回と比べて少し変化していた。

まず、全国チェーンの書店の店舗がなくなっていた。
COVID-19の感染が拡大し、人々の行動が制限さ…それぞれが自粛していた余波を受けてなのか、閉店したのだった。
残念だけど、コンテンツストアはネット上に置き換わっていく時代なので、まあ受け入れる。
跡地には、建物は取り壊されたのか居抜きなのかわからないが、新しく24時間営業のフィットネスジムが営業していた。
この辺りは、同業態の店舗がいくつもある。
それだけ需要があるのだと思う。

書店のみならず、いくつかの店がなくっていた。
その跡には、住宅が並んでいる。
雑木林だった場所にも、林がなくなり、住宅が建っている。
道もきれいに整備されている。
住む場所が用意され、そこで人々は眠り、必要なものはネットで取り寄せ、それぞれの生活スタイルに合わせジムに通っているのだろう。

今回の免許更新の手続きで、変わったことがいくつかある。
その1つが、事前の講習予約である。
少し前だと、個人番号カードを所持していれば、オンラインで講習を受けられる、みたいな仕組みがあったようだ。
しかし、マイナ免許証が導入されたきっかけで、オンライン講習はマイナ免許証の所持者に限られることとなった。
この辺り全く意味が分からないが、とりあえずウェブを使って講習の予約を取って、今日に臨んだ。
ちなみに、予約は必要ではないが、予約しないで来ても、予約優先で講習が受けられないかもしれないよ、とのことだった。
実際、今回の現場で、そのやりとりの悶着が起きているのを見た。

あまり行きたくない場所が2つあって、1つは携帯電話の手続き、もう1つは運転免許の更新手続きである。
これらの手続きには、ありとあらゆる属性の人たちが集まってきて、トラブルもよく見かける。
携帯電話については、番号ポータビリティ制度の手続きを最後にして、リアルなサイトでの手続きをすることはない。

手続き会場に行くと、入り口に係員が待ち構え、訪問者を案内している。
向こうはきっと親切のつもりだろうが、職業柄か威圧感を受ける。
見ようによっては教えてくれているようだが、結局は指示に従わせようとしている。
そちらは毎日やっていることだから慣れているだろうが、こっちは数年に1度のイベントであり、しかも行くたびにシステムが変わっていて、要領を得ない。
でも、容赦がなく、我々は無力で従順な市民にすぎない。
建物に入ると、こちらの不勉強が原因にちがいない、よく理解できない行政用語を投げかけられ、係員に誘導され、手続き開始時刻まで待たされる。
誘導された狭い場所に100人ほどが待機している。

僕が予約した開始時刻の講習予約の人が呼ばれ、列に並ぶように指示される。
列に並んだが、そこからさらに5分ほど待たされる。
本当によくわからないが、きっとこれで余計な手間が省けているのだろう、その手間が「我々のもの」であったことを信じたい。
受付は自動受付機で処理されるのも、今回の変更箇所である。
事前に取得したQRコードをかざし、画面を操作すると、従来のカード式免許証か、それともマイナ免許証か、はたまた両方必要か、選択を迫られる。
列に並ぶ時間を十分に与えられたため、ウェブで情報を得たが、自分にとってマイナ免許証のメリットが見いだせない。
マイナ免許証だと、転居時の住所変更が個人番号カードの手続きのみで済むのだそうだ。
その一方で、個人番号カードを更新すると、マイナ免許証の書き込み手続きが必要、と書いてある。
今年度中のシステム改修を終えればその手続きも必要なくなるらしいが、いよいよ意味の分からなさも突き抜けてしまい、もはや晴れ晴れとした気持ちになってきた。
よって、従来からのカード式免許証を選ぶ。
身分証明のためには、個人番号カードと運転免許証のダブルスタンバイの方がいいと考えた。
セキュリティのために暗証番号を2つ設定する必要があるが、そのうちの1つはすでに入力されていた。
免許証番号から生成された番号のようだ。
2つ必要な理由もこれまたよくわからないが、そんな親切をするのなら1つだけでいいような気もし始め、結局2つとも新たに設定する。
幸運なだけに過ぎないと思うが、これまでこの暗証番号が必要になったシーンは1度もなかった。
紙が印刷されて、記入台へと進み、紙に書かれた「最近、気を失ったこと、ない?」みたいな質問への回答を記し、今度は更新料を払うために、また列に並ぶ。
さっきの機械には意思確認するための機能が備わっていないのかもしれないし、こうすることで記入を確実にチェックできるし、金の収受は機械になんて任せていられないのだ。
更新料の支払いは現金以外でもいいらしく、交通系ICカードで支払った。
現金以外の支払いの領収書は、本日中には出せないとのこと。
隣の窓口では、「iD使えますか」という問いに「すみません、iDだけは使えないんです」と返答していた。

視力検査の列に並ぶ。
列が一向に進まない。
午後の開始時刻までまだ時間があるのだ。
前に並ぶ人の用紙が目に入った。
「あれ、年齢は違うけど、誕生日近いじゃん」とテンションが上がったが、よく考えると、ここに更新手続きに来ている人は、前後1か月程度の誕生日の人たちである。
用紙には、先ほど決めた暗証番号が、離れた場所から視認できる大きさで印刷されている。
何度も言うけれど、わけがわからない。
これも視力検査なのかもしれない。

定刻を迎えたのか、視力検査場の扉が開く。
この日のために、手持ち不足気味だったコンタクトレンズを購入した。
鼻に眼鏡の跡が残らないように、起床してすぐに着用している。
老眼鏡をかけ始めて3年近くなるが、コンタクトレンズは近視用。
眼鏡とのバランスをとるため、コンタクトレンズの度数の調整が難しかったのだが、視力検査はクリアした。

次は、写真撮影。
前回は、流れ作業の中で気を抜いたところに撮影の順番が来てしまい、その結果、髪型が乱れ、シャツの襟が傾いた写真になってしまった。
「この無残な写真で数年過ごすのか」と気が沈んだが、誰にも気にされることもなく、何事もないままに更新を迎えた。
今回は一応鏡で髪型と身なりを整え、写真撮影を終える。

次は、講習。
講習室に14番目に入る。
講習の定員が70名だそうで、定員がそろうまで30分待った。
「予約したことの意味はあるんだよね」という問いをこらえるだけで、疲れてしまった。
待っている間、前回の更新からの運転履歴を思い返す。
暴風雨の中、死にかけながら天草五橋を渡った以外は、短時間の運転数回だけだ。
運転免許を取得してから幾星霜、ここまで車を所有せずに暮らしてきてしまった。
車の知識が全くなく、大人たちの話の輪に入れず、情けない思いをしている。
最近、Geminiを使うようになってきて、時間があるので「残価設定クレジットで550万の車を購入、金利2.3%、36回払いで、残価率70%だと、月の支払いは?」と尋ねると、計算過程とともに答えてくれる。
残価にも金利がかかるよう説明を加えても、Geminiは理解してくれた。
優秀すぎて、もう部下のいない境遇を嘆く必要などないように思う。
きっと、つまらない冗談でも、Geminiなら相手にしてくれる。
それにしても、一般的な家庭で5.5M円の車を保有しようとするのが、今の世の中なのだろうか。
それに加えて残価分の金利まで支払うのだから、恐ろしい。

隣の席には男が座り、講習が始まり、傾聴力養成の訓練と認識し、しっかり聞いた。
法令もいろいろと変わっていて、一番驚いたのが、 電動キックボード(特定小型原動機付自転車)は16歳以上なら免許なしで運転できる、しかもヘルメットは推奨だが義務ではない、ということだ。
どれほど便宜を図ら…、推奨されているのだろう、と思う、なんだよ「特定」って。
最後はビデオを見て、人がはねられているのを見てしっかり声を上げ、いいところでビデオが止められて、時間となる。
公金を費やしてビデオを作成しているのだから、いつかは最後まで見てみたい。
もしかしたら、伊藤健太郎や吉澤ひとみなどが出演しているかもしれない。

免許証の交付は、事前に配布された番号順で呼ばれる、とのこと。
公安職に番号で呼ばれることは、ここでしか経験できないものとしておきたい。
周囲と番号を見合わせて、一列に並んでほしい、と指示される。
ただし、マイナ免許証との関係で、呼ぶ番号は連続していないらしい。
自分の番号は465番で、460番が呼ばれたところで、次かもしれないと窓口の近くに待機。
463番が呼ばれ、自分のほかに誰も近づいてこないので、次は自分かと構えていると、464番が呼ばれる。
ここが本日一番の驚きで、今回も「いろいろな人が集う場所であるな」と実感する運転免許更新であった。

ICの記録内容を確認するべく、交付された免許証を機械にかざし、暗証番号2つを駆使して、確認終了。
交通安全協会の活動に敬意を払い、立ち去る。

帰宅し、過去歴代の運転免許証を並べてみる。
「苦労と我慢をしない」と決めてから、周囲の人たちの髪が薄くなったり白くなったりするのを横目にしてきた。
実年齢を口にすると、「見えないですね」と言われることが多いが、それはやっていることがすべて幼く、思ったことと自己都合ばかり口にしているからであり、つまり相手は呆れているだけなのだ、ということ十分に自覚している。
実際、つまらない冗談への対応に時間を費やさないし、そもそも何もできない、それはGeminiがやってくれる。
でもさすがに、今回の写真は前回よりかなり老けてしまっており、歴代の変化量と比べても、最大のように思う。
昔は若かったんだな、と今にならないと気づかないし、もう遅い。

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2025-06-22 Sun.

倍展

2025-06-22

今週はいろいろあった。

東ゆめ子氏の訃報が出た。
北九州市出身であった。
最近まで舞台に立たれていたようで、残念だ。

放送に乗せたコンプライアンス違反もあれば、放送に出てこないコンプライアンス違反もあった。
どちらもどうしたものかと思う。
今回は目立つだけで、数多くのケースは表沙汰にならないまま切られているのだろう。
そういえば、先日ヒロミが自分のことを「危機管理能力が高い」とラジオで言っていたが、あれってバーベキューのことをネタにしていたのだろうか、その時は気付かなかった。
以前はやけどを負ったのだから、それはそうだろう。

そして、僕は嘘をつけない。
つかないのではなく、嘘をつくことができない。
一方で、隠し事はある。
隠すつもりはなくても、話さないことはある。
「何でも言うとは限らない」という警告は、時々必要だ。
そうしないと、信頼が依存や利用に転じる。

他人の嘘は受け入れられないし、隠し事の存在を公にされるのも、気分がよくない。
真実が露見しない嘘、存在すらわからない隠し事であれば、かろうじて受け入れられる。
僕はぼんやりしているので、周囲で起こっていることの大半が見えていない。

身内や仲間を守ろうとして、外に向かって放たれた嘘を、僕は許せない。
自分たち以外の存在を軽視している意識が、我慢ならない。
これはきっと、自分がどの立場から見てもその埒外にいることを強く自覚しているからだと思う。

言わなくていいことなのに世間に向かって言うのは、今の自分も一緒だ。
そうする必要はないのだが、そうすることによってもたらされる効用、つまりオープンにしておくことで社会に存在できるよう自身の軌道修正を図ることを求めている。

嘘をついてまで言うことでもないように見えるけれど、そうする事情もあるのだろう。
また、わけのわからない言動をして、自分の信頼度をより低くすることになるのも、何か理由があるのだろう。
それを踏まえて、端的に言って、不愉快だ。
もう何一つ信用することはなく、今後のチャンスは決してない。

FNSの日の第1回の放送中、視聴者が間違えて硬貨がいっぱいに詰まった瓶を放送局に持ってきた、と言って、タモリさんがその瓶を見せていた。
あれでずいぶん笑ったのだが、つい最近、あれは作家が考えたネタだった、という話を聞いた。
それが本当ならずっと騙されていたわけだが、不思議と腹は立たず、もともとパロディだし、むしろやられた感があったし、長年そのことを思い出して楽しい思いをしてきたのだから、むしろそのネタに感謝したいくらいだ。
そういう外に向かって楽しませる嘘なら、受け入れる余地があるのかもしれない。
人を楽しませる嘘をつくなんて至芸の域なのだから、僕などがそれをしようとしてはならない。

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2025-06-14 Sat.

小槌

2025-06-14

6月は、矢部美穂の誕生月である。
「YABEKE、開店して15年も経ったのか」と感心するところに、ねんきん定期便が届いた。
早速検証してみよう。

加入実績に応じた年金額を、前年と比べてみる。
老齢基礎年金は、毎年20K円増える見込みだが、前年と比べてそれなりに増えている。
老齢厚生年金は、給与収入の0.5%が加算される計算のところ、それより少し多いくらいの増額か。

年金加入については、そろそろゴールが意識されるようになった。
来月から給与収入が途絶えてしまうとして、20K円に残り加入年数をかけて加算してみる。
ああこれくらいの額か、とはわかったが、ここから税金や健康保険料が引かれる。
20%で済むだろうか。
8掛けの手取りだとしても、ワンルームの家賃の支払いすら怪しい。
めいっぱいの幸運に恵まれたとして、今の年収が残り加入年数まで続いたとしても、毎日1食松屋に行けるかどうか、という程度だ。

定額減税だの、現金給付だのが施されてきたはずだが、帳簿上でこなしてしまったため、実感がない。
後で恩義だけ求められる気がして、うっとうしさを勘違いする。

金があっても、買えるものがなければ、意味がない。
昨年、米が店頭から消えたことを思い返すと、金さえあればいいわけじゃないとよくわかった。
そもそも、僕は買い物が苦手で、面倒に思っているのだ。
自力ですべてを賄えるのならそうしたいけれど、情けないことに都市生活しか送れない身である。
用意されたシステムに乗っかって安価な生活を続ける、でここまで来てしまった。
生活力など、まるでない。

この時期毎年思うことだが、矢部美穂はすごい。
詳しく見ると考えるところは多いが、結局のところは生き残っている。
認めざるを得ない。

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2025-06-07 Sat.

電鬼

2025-06-07

休みに日帰りの遠出することを考える際、最近は、東海道線を選ぶことが多い。

まず、行先の候補から真っ先に落ちるのは、高崎線である。
親しみが薄いし、埼玉県が長いし、名物もよく知らない。
総武線も、成田では物足りず、銚子には行きたいが特急に乗る必要があるし、ちょっと遠い。
外房は戻ってこられるか不安だし、内房はより一層の不安を覚える。
最近だと中央線という選択肢も出てきたのだが、もう少し研究が必要である。
宇都宮線は魅力的であり、数回に1回の頻度で選ぶ。
私鉄の選択肢だと、秩父は山の中だし、東武はもうおなかいっぱい。
京急か小田急なら、選択肢に上がってはくる。
でも、最近普通グリーン車に安く乗れる手段が選べるようになったため、横須賀線や東海道線にしがちである。

やはり、山よりも海が好きだ。
浜辺で景色を見て、うまい魚料理を食べたい。
海だけでなく、山が見えるのも落ち着く。
小高いところから風景を見るのも、街と海が見えるとなおよい。
それなりの都市がよく、土地の暮らしや古くからの店の様子を感じたい。
なお、常磐線を選ぶことなど、最初から選択肢にない。

これまで、沼津や熱海、下田に行った。
三島はちょっと寄っただけだが、いずれ訪れたい場所ではある。
横須賀線は、鎌倉、横須賀に足を延ばした。

そんな中、最近よく足を運ぶのは、小田原である。
普通列車に乗って1時間半程度と、ちょうどいい乗車時間である。
歴史があって、史跡をめぐるのもいい。
歩くと昔の雰囲気を感じられるとともに、今の生活もある。
海の幸もおいしいし、都市なので他の店を選ぶこともできる。
かまぼこ屋があるのが、自分にとってはうれしい。
帰りにロマンスカーを選べることにも、ちょっとワクワクする。
昨年、熱海に行ったが、観光客が多くて、ちょっとうんざりした。
その点、小田原は、それほど混雑していない。

そういうわけで、小田原に行ってきた。

9時ごろに東京駅を出る東海道線に乗る。
グリーン車は少し混んでいて、外国人も多く見られる。
新橋で席が少し空いたので、山側の席に移る。
隣に座ってきたのは外国人のようで、目に入ったスマホの画面にはタイ語らしき文字が表示されていた。

品川を過ぎると、グリーンアテンダントが車内を巡回する。
隣席の頭上のランプは、Suicaをかざしていないことを示す赤い表示になっている。
グリーンアテンダントが隣の客に話しかけるが、要領を得ないようだ。
数分のやり取りがあり、ようやくここが「first class car」であることを理解した客が車両から出ていく。
こうしたやり取りを、グリーンアテンダントは赤いランプが示されている席にいる外国人それぞれに繰り返している。
大変な仕事だ。
「グリーン車」という表現が理解しづらい可能性がある。
タブレットで対応するなど、もう少しITが支援できる部分がないだろうか。
それでも、川崎駅を過ぎるころには、グリーン券を持たない客はすべて立ち去り、車内はいつも通りの客数となった。

これまで、東海道線に乗るときは海側の席を選ぶことが多かった。
今回は山側を選んだが、こちらもなかなかにおもしろい。
戸塚駅で、国府津行きの湘南新宿ラインに追いつく。
この乗り換えで、ちょっとしたトリックができるかもしれない。
大船駅で抜かれた特急踊り子を見ると、意外にも伊豆急下田行は混んでいるように見えた。
特急と比べ、普通グリーン車でもさほど変わらないわりに料金は安い、むしろ2階席の眺望がいいように思う。
一方で、踊り子だと、下田まで乗り換え不要なのが便利だ。
僕は移動そのものに価値を感じるのだが、多くの客は移動時間が短く、手間がかからない方がいいのだろう。
そういえば以前、上りの新幹線で、熱海からグリーン車に乗ってきた連中もいたのだから、景気もいいのかもしれない。
「高額のファーストクラスに乗っていただけるお客様がいらっしゃるから、エコノミークラスの客が飛行機に乗ることができるのだ、ありがたい」と言われれば、「そうですか」と言わざるを得ない。

500mlと350ml、山形豚ジャーキーをやっつけ、小田原駅に到着。
大きな駅舎を出て、小田原城の足元にある小田原市郷土文化館に行く。
展示によると、以前小田原には著名な政治家や実業家の別邸が多くあったらしい。
小田原には海があり、海産物があり、背後には山がある。
ミカンや茶は、静岡方面からの期待ができる。
温暖な気候だし、東京からもちょうどいい距離。
自分もいつかは住みたい、と思いを募らす。
でも、関東大震災で、90%以上の被災率があったとも知る。
地震と富士山噴火さえなければ、将来は小田原か静岡に移住したいのだが、そんなことを言っていると南関東のどこにも住めなくなる。

一通り展示を見て、分館である松永記念館へ向かう。
松永安左ヱ門は、福博電気軌道や九州電力の事業を手掛けたとして、名前は聞いていた。
スマホの地図アプリに従って進んだが、山がちな道を案内されたようで、景色がめっきりよく、眼下には新幹線が走る。
足腰の衰えや、ビールを運び上げる手間を考えなければ、ここに住んでみたい。
山縣有朋の別邸などを見、風光明媚に息が切れ、這うようにして松永記念館に到着。
松永安左ヱ門が集めた骨董や、年譜などを見る。
目を引いたのは、産業計画会議による勧告の展示だ。
当時顕在化されつつあった問題について、産業発展、経済成長の政策提言を行っていたようである。
中には、実現されたものもある。
ああ、僕もこんな勧告をしたい。

戻り道は、平地を選ぶことにする。
地図によると、この道は旧東海道のようであり、雰囲気があるようなないような道を行く。
新幹線の高架をくぐる前に、スーパーマーケットを見つけ、立ち寄る。
地元の品ぞろえもあり、近くに住みたいものだ。
そういえば、20世紀末、アルバイトで小田原のスーパーに品出しに行ったことがあった。
小田原はその時が初めてで、ロマンスカーを使っても、家から2時間かかった。
聞いたことのないスーパーだったし、店内はずっと同じ歌がかかっていて、1日そこにいただけでうんざりした。
それからしばらくその店の名を聞かなかったが、今はかなり成功しているスーパーチェーンとなっている。
最近はスポンサーの多くが控えているTV局にCMの出稿をしているが、配偶者の存在があるからなのだろうか。

国道1号線を進んでいく。
地図を見ると、海岸に向けてちょっとした突起があるのを見つけ、行ってみることにする。
小道に入り、気を引くパン屋を素通りすると、巨大構造物、西湘バイパスにぶつかる。
高架の切れ目を抜け、砂浜を歩くと、荒久の灯台があった。
突堤にあり、柵もないので、少し怖いが、先まで行ってみる。
相模湾が穏やかで美しい。
観光客がほどよくいて、にぎわっていた。
座って、少し滞在。

昼を過ぎ、飲食店が休憩に入る時間も迫ってきた。
旧東海道を歩き、干物屋やかまぼこ屋を眺める。
かまぼこメーカーがいくつもあるのが、心強い。
地図で見つけたすし屋に入り、カウンターに座る。
日本酒を飲み、中握りをいただく。
魚の味が濃厚で、悶絶。

すし屋を出て、少し歩くと、趣があるたたずまいの書店を見つける。
入って、少し本を見る。
土地柄、川崎長太郎の小説が置いてある。
川崎長太郎の名を知ったのは、御多分に漏れず、つげ義春からだ。
「抹香街」をウィッシュリストに入れたまま、まだ手にしていない。
これ以上自宅に読んでない本を積み上げるわけにはいかないので、ここは我慢する。

「このように、本との思いがけない出会いがあるから、書店は必要なのだ」という意見もあるのだろう。
僕も、地元に小さな書店がいくつかあった環境で育ってきた。
近所の本屋は、できれば残っていてほしい。
でも、現実的に見れば、かなり厳しいだろう。

一方で、今のウェブ書店に満足しているわけでもない。
現状では、書店のウェブサイトは、実店舗の書店を十分に再現できていない。
書店に足を運ばずに、ウェブで済ませることができれば、との期待で書店サイトを見てみる。
検索は確かに便利だけど、多くの書籍を俯瞰して探すのには満足できない。
実店舗では、売れ筋ではない本を手に取って確認したり、店員が企画したフェアで集められた書籍を眺めたりするのがおもしろい。
もちろん、それがウェブで実現できれば十分だし、できればそうなってほしい。
いつまでも実店舗の負担に甘えるわけにはいかない、もっと効率的な社会を希求していこう、と僕はここで産業界に勧告する。

カフェを見つけ、入店する。
店はゆったりとしているのだが、席はほぼ埋まっている。
キリマンジャロを注文すると、時間をかけてサイフォンでいれてくれた。
思うに僕は、接客業などまるでしてこなかった。
てきぱきと対応している、アルバイトかもしれない店員を尊敬してしまう。
僕はこの歳になっても、顧客対応などひどいもので、多くの失礼をやらかしている。
むしろ、コンピュータのご機嫌を取ることが圧倒的に多く、キーボードで「おもてなし」を重ねている。
成果物を迅速に届けることだけには自信があるが、そこはあまり評価されていないようにも感じる。

小田原駅に戻る。
行ったことのない西側の方に降り、アスティなどを眺める。
乗り場に戻り、果ての果てのような行く先の列車に乗り、グリーン車の座席に身を沈める。
レモンの利いた飲み物をこなし、相模川に残る昔の橋台などを眺めていると意識が途切れ、気付くと新橋だった。

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