祈念
「千羽鶴ボランティア」というのを思いついた。
闘病している人の回復や世界平和を祈り、鶴を折り、それらをどこかの団体が千羽鶴にまとめ、必要としている人に贈呈するのだ。
思いついただけで、やるつもりはない。
きっと、誰かがやっているだろう。
「千羽鶴ボランティア」というのを思いついた。
闘病している人の回復や世界平和を祈り、鶴を折り、それらをどこかの団体が千羽鶴にまとめ、必要としている人に贈呈するのだ。
思いついただけで、やるつもりはない。
きっと、誰かがやっているだろう。
総選挙があろうがなかろうが、生活に全く影響しない、と考えていた。
8月28日放送の「スタジオパークからこんにちは」に田中麗奈が出演することを、少し前に知った。
1週間前に番組表を確認したが、予定されている8月28日の「スタジオパークからこんにちは」が番組表に載っていない。
代わりに、政見放送が予定に上がっている。
結局、この日の放送はレギュラーとは変則になり、政見放送後の13時26分からの放送だった。
放送時間が短いせいか、内容も、いつも以上にあわただしいものだった。
NHK初出演で、この仕打ちか。
関東地方では、広域放送が行われている。
福岡のように、1県ごとに放送が違うわけではない。
そのため、関東地方では関東各地の政見放送(各県ごとの小選挙区、3つの比例代表選挙区、ついでに何故か茨城県知事選分)が全て放映されている。
政見放送全体の放送時間が長くなり、政見放送の占める割合が大きい。
時間が長い割りには、僕が知りたい各小選挙区の候補者の政見は以前よりかなり短くなったし、無所属や諸派の政見は放送していない。
ところで、番組内で稲塚貴一アナウンサーが「私もアラサーです」と言ったのには、少しびっくりした。
ずいぶんとしっかりしていらっしゃる。
僕も言動に気をつけよう。
酒に分類されるものは、基本的に何でも飲む。
少し前までウィスキーを好まなかった。
しかし、最近では、ビール、麦焼酎、ウィスキー、そして二日酔い明けの麦茶、とずいぶんと麦好いている。
ところが、ここ10年で何度か挑戦してみたが、どうしてもなじめない酒が1つだけある。
それは、ラム酒である。
ロック、コーラ割り、ダイキリ、先日にいたってはシロップ割りというものまで試してみたが、どれも飲む度に顔をしかめてしまう。
きっと、カリブ海が僕を拒絶するのだろう。
まあ、1つくらい飲めない酒があってもよい。
こういうことを言うと、「本物を知らないくせにそんなこと言っちゃって」と挑発し、食通にはわかるラム酒を紹介しようとし、ついでにビジネスやプライベートな問題まで解決しようとする山岡さん的な人が出てくるかもしれない。
公共の場では好き嫌いを決して主張しないでおくことにしよう。
ラムがベースになっているとは知らないで、飲んでいるカクテルもあるみたいだし。
「君は期待を裏切りませんねー」とは杉下右京の亀山君評。
でも、こちらにはできれば期待を裏切って欲しかった。
ただただ、残念。
仙台の牛タンを入手した。
早速食べたいところなのだが、現在、僕の舌に口内炎ができているので、ひとまず先延ばしすることにした。
舌の病気が原因で、舌を食べられない、と言いたいだけ。
多くのブログにありがちなように、僕も自分の口内炎の写真を撮ってここに掲載しようと思い、実際に写真を撮ってみた。
でも、撮れた舌の写真はあまりにも気色悪く、何かの性病と間違われても困るので、掲載は控えようと思う。
それにしても、僕の口の中にはよく口内炎ができる。
原因はわからない。
リステリン的な口腔洗浄液で毎日洗浄する、という習慣が口内炎を予防し、また口内炎が早く治癒する、と聞き、実践している。
でも、ほとんど予防になっていないようだ。
口内炎の痛みで不機嫌になり、口の中が痛いので口数が少なくなってしまい、しかめ面になり、人から誤解され、他人といらぬ口論になり、痛みでイライラしているので口汚い発言がつい口につき、友人を不快にさせ、死ぬまで1度も会話を交わすことはなくなる。
そのうち、核戦争に発展するかもしれない。
チョコラBBを飲んで、早く治すことにしよう。
ソ連時代、クレムリン・ウォッチャーは、共産党機関紙プラウダを血眼になって読んでいた。
記事に書いてあることに注目するのではなく、何が記事に書いていないかに注目していた。
実力者の名がある日突然プラウダに載らなくなったのを発見することで、その実力者の失脚を知ったのだ(野口悠紀雄「「超」文章法」(中公新書))。
ところで、冷戦も終わり、僕はのんびりテレビを見ている。
僕には世界情勢を読む必要もないし、読む器量もない。
そんなある日、テレビに、キーボードの前で歌っている女性アーティストが出演していた。
所属バンドが30周年を迎えて、夫も同じバンドのミュージシャンで、メンバーの1人が何らかの理由で辞めたあのアミューズメント的なバンドの人だ。
ふと気がついた。
そういえば、この人はキーボードを演奏する有名なアーティスト。
清水ミチコがモノマネをしていてもおかしくない。
だけど、僕はそのモノマネを見たことがない。
もしかしたら、清水ミチコのレパートリーにはないのかもしれない。
十分特徴もあるのにマネをしない。
これは、何らかの圧力や陰謀があるのだろうか…。
つまり、世界は平和だ、ということだ。
食前、食事中、食後。
ゆっくりの日、家族で、健康のため、寝る前、踊りながら。
CM通りの頻度でチョーヤの製品を飲んでいたら、果たして幸せになるのだろうか。
アメリカンホームダイレクトの「これからだ」っていう保険。
80歳まで加入可能で、90歳まで継続できる。
お葬式の費用まで保証してくれる。
「助かるねー」と地井武男が言わされている。
葬式の費用をあてにしていた被保険者が、契約年齢の上限まで来てしまった場合どうなるのだろう。
契約のしおりを読むと、「保険契約者、被保険者または保険金を受け取る者の故意」では保険金は支払われない。
どうやら、モラル・ハザードは起こらないようである。
長寿を待ち受けているのは、さしずめ絶望だろうか。
現代は、ストレス社会である。
いかんせん、不条理ばかりが目につく。
世間で言われているとおり、若いうちは、不条理は我慢するに限るのだろうか。
僕が思うに、不条理に耐えている人々は、将来不条理を周囲にぶちまける側の座の継承を期待しているのではないか。
後輩はいずれ先輩になり、部下はいずれ上司になる。
そういう年功序列システムが約束されていないと、不条理に耐えることは難しいのではないか。
理屈はともかく、何が言いたいのかというと、とにかく、大人の日々は、胃にくる。
何らかの液が口腔に逆流し、トイレの個室に入ればしばらく巣ごもりしてしまう。
広末涼子とキャベジンコーワだけが僕の救済だ。
そういうわけで、帰宅すればBSばかり見ている。
「欧州もけい探訪」や「皇室が愛した名旅館」を見て、心をいやしているのだ。
BSをつけたまま気を抜いていると、すぐ三國連太郎が皇潤のCMをかましてくる。
最近は放映しないが、少し前まで三國連太郎が皇潤のCMでこういうことを言っていた。
「僕が、なぜこの皇潤を選んだのか。実はうちの奥さんが、飲んでいたからなんです。グフフフフフフフフ」
三國連太郎のこの笑い方が気に入ったので、しばらくひとりでマネしていた。
マネをすることが皇潤を飲むよりずっと健康にいいと思うが、もちろん誰も共感してくれない。
「うちの奥さん」というのが彼の何番目の奥さんなのかは定かではないが、もちろん誰もこの疑問に答えてくれない。
Amazonのウェブサービスの方式が変更されたので、このサイトも対応した。
参考:もやし日記
DJライセンス、というものが存在する。
TOKYO FMの関連会社が企画している。
一種のインターンシップ、あるいは青田買いであろう。
今回の世界陸上を比較的よく見ている。
この僕がTBSを進んで見ているのだから、時代も変わったものだ。
こんなに見るようになったのは、おそらく演出が簡素になったためだと考えられる。
有力な自国選手があまり出ていないからか、放送局にお金がないからか、何チャラ陸連からプレッシャーがあったのか。
どうして、マスメディアはスポーツ競技団体に弱いのだろう。
それはさておき、BSが再放送してくれるのも、好感が持てる。
キャラクターのBerlinoもお気に入りである。
あいつはかなりがんがん来る。
優勝者とともに喜び、惜しくも優勝できなかった人の健闘を称え肩をたたく。
先日は、円盤投げで優勝したドイツ人の選手に足首を持たれて宙づりにされていた。
ただ、僕は十種競技を一番見たいのだが、全然放送してくれない。
TBSのウェブサイトを見ても、注目競技が載っているだけで、十種競技の日程は一切載っていない。
いつ始まるのか楽しみにしていたら、競技場のビジョンに一瞬「DECATHLON」と出ていたのが映っていて、それによってもう始まっている事を知った。
そして、いつの間にか終わってしまった。
ところで、なぜ各競技の優勝者は自国の国旗をもって競技場内を走り回っているのだろうか。
アスリートは例外なく国家主義者でなければならないのか。
そして、オリンピックを誘致するとなれば必ず賛成しなければならず、誘致キャンペーンに参加しなければならないのだろうか。
もちろん、みんなこぞって賛成しているのだろうけど。
その理由にようやく思い当たった。
スポーツをやる人にとって、政府は支援スポンサーなのだ。
多くのスポーツ競技は、文部科学省の支援を受けている。
だから、いい成績を残せば、自国のアピールをするために国旗を掲げ、スポンサーに報いているのだ。
国旗を持って走り回らなければ、おそらく(森喜朗が選ぶ石川五賢人の一人である)森喜朗日本体育協会会長がへそを曲げて、以後の資金援助が打ち切られてしまうのだろう。
好きで競技を始めただろうに、いつのまにかPR活動に組み込まれてしまう。
いやはや、トップアスリートは大変だ。
新型インフルエンザが再びにわかにマスメディアで流行り始めた。
世間ではずっと前からだけど。
「感染者数は3週間連続で増加しています」という呑気な報道。
だったら、2週連続増加の段階で報道するべきだったんじゃ。
だいたい、人が集まったらインフルエンザが流行する危険性がわかっていて、甲子園やら高校総体やら高校生クイズやら書道甲子園やら検察官甲子園やら教師vs高校生大会やらをやっているはずだから、そんなに騒ぐこともないと思う。
それにしても、修学旅行は中止する一方で何やら大会は参加してもよい、という判断基準が納得しかねる。
そういえば、企業の就職試験も中止になったはず。
遠野凪子が離婚した、と遠野凪子のブログに書いてあった、と各マスメディアが報道した。
ブログによると、離婚したのは7月23日。
ブログでそのことが報告されたのが、8月17日。
そのブログの記事が公表されてから、マスメディアが一斉に報道し始めた。
マスメディアの中には、ブログの過去の記事を参考に、推測記事を書いているものまである。
離婚した事実に25日間も気付かないマスメディアは果たして機能しているのか、少し疑問である。
タレントのブログや企業のプレスリリース、官庁の広報をチェックしそのまま記事にするのが、21世紀型の記者の仕事なのだろうか、それともそれらのチェックは外注しているのか。
ところで、遠野凪子の2か月あまりでの離婚は、芸能界におけるスピード離婚の新記録のようである。
もっとも彼女の場合、離婚日は自己申告によるものなので、公式認定はもう少し待たなければなるまい。
これまでのレコードホルダーは、俳優の小倉一郎氏だった。
久しぶりに小倉一郎の名を聞いたが、こんな所で出されても。
それにしても、最速記録は松村邦洋がもっているのではないのだろうか、と「電波少年」を見ていた僕は思ってしまった。
もしかすると、届けを役所に出していなかった(つまり「やらせ」…ではなく「バラエティ的な演出」だった)のかもしれない。
ある疑問が生じて、手話について調査した。
調べても知りたいことは得られなかった。
でも、たぶん「覚醒剤」という単語を示す手話も世の中にはあるのだろう。
あるいは、アルファベットの「S」で示すのか。
ところで、ワイドショーで、ダミーを使って覚醒剤の使用方法を実演していた。
視聴者がやり方を覚えなければいいけど、と僕は余計な心配をしてしまう。
そういう危険な内容より、警察が制作した薬物依存の恐怖に関するビデオを流した方が、きっと高視聴率が取れると思う。
もっとも、テレビで放送されなくても、ポリスチャンネルのサイトで視聴できる。
なかなか興味深いラインナップが並んでいる。
ポリスチャンネルを運営する役員一覧も、これまた興味深い。
夏休みの宿題の中でも、自由研究はことに面倒である。
自由を強制されることが、僕はかなり嫌いだ。
それを評価されるのも、重ねて嫌い。
ところで、教師に受けがよい自由研究の課題を思いついた。
通っている学校の校歌について研究するのだ。
作詞者や作曲者の経歴や、歌詞決定の経緯などをたどるとよい。
愛校心も芽生えるし、おそらく国語教師や音楽教師も協力を惜しまないだろう。
僕が通った学校の校歌には、「愛国の意気 いや高し」という歌詞があった(そして今もある)。
何も考えずに恫喝されて機械的に歌うより、何故こんな詞が歌い継がれているのか、自主性を発揮して調査するのが学校が望む理想の生徒像だったのであろう。
惜しまれる限りである。
もちろん、愛校心あっての調査だ。
教師に妨害されたかもしれないけど。
僕の祖父は、少々変わっていた。
祖父の趣味は、カメラだった。
写真ではなく、カメラだ。
何かにつけては、カメラを頻繁に購入していた。
性能がいいカメラではなく、ディスカウントストア(例えば、MrMaxとか)で売っているような安いコンパクトカメラだ。
フィルムにもこだわっていて、必ずコダックでなくてはならず、現像もコダックの店にしか出さなかった。
しかし、いくつもカメラを買い換えた一方で、写真を撮ることは少なかった。
祖父はカメラを僕に見せてはいろいろと説明してくれたが、祖父に自分の姿を撮影してもらった記憶がない。
祖父は毎年のように高野山参拝や四国八十八ヶ所参りをしていたが、その旅行でも写真を撮らない。
ごくたまに撮る写真も、風景が多かった。
祖父は、写真が好きなのではなく、カメラが好きだったのだと思う。
その気持ちは、何となくわかる。
2000年前後になって、写真を頻繁に撮る人が増えたように思える。
何処に行くにもカメラを持って回り、ちょっとイベントがあるとなれば写真を撮り、飲み会の席にまでカメラを持ち込む人もいた。
レンズ付きフィルムが女子高生の必須アイテムになった。
デジタルカメラが普及し始めてから、その傾向はますます激しくなった。
「フィルム代」という概念がなくなり、気軽にシャッターを押せるようになった。
携帯電話にカメラ機能が搭載され、ますます気軽に写真を撮られ、撮られた写真はウェブで全世界に公開された。
いつの間にか、人にレンズを向けることが、当然の権利として暗黙的に主張されるようになった。
逆に、写真に撮られることを拒否する主張が受け入れられづらい社会になった。
酒税を廃止して、シャッターボタンに税金をかければいいのに。
最近に至っては、監視カメラや防犯カメラである。
街のいたるところにカメラが設置されている。
映像のいくつかはウェブで公開までされている。
そして、事件があれば、警察にその映像が提出され、テレビ局は映像を放送する。
防犯カメラの映像が防犯のためだけに使われるのならば、別に構わない。
しかし、本当に防犯のためだけに使われているのか、不安が尽きない。
これまで、カメラの映像を見て「変なやつが映っている」と笑いのタネにしている現場に何度も遭遇したことがある。
個人情報については法律が整備されたため、情報の保護方針に同意を求められるようになった。
だったら、防犯カメラについても、無断に撮影するのではなく、「防犯目的以外には使用しません」という担保が欲しい。
できれば、撮影する前に使用方針を示してもらい、1つ1つ同意の署名をしたい。
「そんなに神経質にならなくても」と思われるかもしれない。
そう思われる方には、有名人が映った防犯カメラの映像を週刊誌が無断で掲載した2006年の事件を知ってもらいたい。
この事件は裁判沙汰になり、有名人側が一応勝訴したが、だからといって安心はできない。
撮影されたくない権利を主張したいけど、もはや手遅れなのだろう。
タモリさんが乗っている車は、アルファードである。
本人の談による。
さすが、タモリさん。
車は、トヨタ。
歯槽膿漏には、サトウ製薬。
電話は、日本テレコム。
コーヒーは、サントリー。
金は、アコムから計画的に借りているのだろう。
深夜によく放送している「クリック証券」のCM。
頭を木に押しつけ、手を間に投げ出して力なく振り、その場で足踏みしている人が10人ほど映っている。
このCMを見ると、心臓が締め付けられるような苦しい心持ちになる。
夜中に放送されることが多いので、余計にそう感じるのだろう。
きっと、人生に行き詰まっているからだと思う。
なので、最近は、CMを見かけたらすぐにチャンネルを変えるようにしている。
暇である。
きっと、世の中の仕事は優秀な人に集中し、無能な僕は社会から排除されているのだろう。
組織の指示に従っているつもりでも、指導者の意に沿うことは能わない。
自発的な仕事を求められても、アイデアに乏しいため、これまた期待にこたえられないようだ。
単純作業は機械がやってくれ、十分効率化されており、僕の出る幕はない。
先進的な技術は、不器用な労働者から仕事を奪う。
半端な僕の居場所がこの社会にはない。
なので、往々にして自宅のリビングで横になっている。
先日もリビングで横になっていた。
目を閉じて、何も見えない。
そして、嫌なことばかり思い出す。
僕には嫌な記憶しかない。
他の人には、いい記憶というものがあるのだろうか。
たとえ眠ったとしても、悪夢しか見ない。
目を開けた。
すると、すぐ目の前に不気味な生物がフローリングを這っていた。
体長30mm、胴回り5mm。
黒くて、節があって、数十本の脚がある。
ここ最近、この虫を頻繁に見るようになり、その度にティッシュでつまんで握りつぶしている。
この夏になって、もう30匹くらい駆除した。
アリの次は、この虫だ。
きっと、自宅裏に設置された6畳の庭、通称「草取り競技場」から侵入しているのだろう。
そして、僕の目が届かないこの家のどこかで数百匹の群となって、ごそごそうごめているのかもしれない。
夜中にリビングや寝室を縦横無尽にはいずり回っているのかも。
しかし、この虫の名前は何というのか。
調べるにも、自宅に図鑑がない。
虫に詳しい友人もいないので、誰に尋ねることもできない(そもそも僕には友人が少ない)。
「Yahoo! 知恵袋」で質問したら、見ず知らずの人に集中攻撃を受けるリスクがある。
なので、いつもの通りウェブで調べることにした。
「図鑑 虫」で検索したら、きっと図鑑サイトが見つかるはず。
検索したところ、様々な虫の写真が載っているサイトを見つけた。
これまた気味の悪い虫の写真を何十枚も見ることになり、ようやくお尋ねの虫の名がわかった。
その名とは、おそらくヤスデである、たぶん。
念のため、近所の図書館分館に行き、子供コーナーにあった昆虫図鑑で改めて確認した。
たぶん、ヤスデで間違いない。
この後、「ヤスデ 殲滅」というキーワードで検索したのは言うまでもない。
女性に好感を持たれない発言。
「何だかんだあったけど、やっぱり小向美奈子はきれいだよね」
何度か実証済み。
8日、第91回全国高校野球選手権大会が開幕した。
高校野球を批判するメディアが全くないのは批判がタブー視されているから、ではないだろう。
僕も世にならって口を慎むことにする。
ところで、この日の第1試合で、常総学院と九州国際大付の試合が行われ、九州国際大付が勝った。
試合終了後、テレビの画面に応戦スタンドが映った。
そこには、応援していた生徒が持っているメガフォンが映った。
メガフォンには、「北九州市」という文字が書かれたテープが貼ってあった。
これが、北九州市のPRなのか、北九州市がメガフォンの貸与事業でもしているのか。
とにかく、市はこんなところにも関与してくるのか、とやや食傷気味。
僕は、非喫煙者である。
僕が子供の頃は、「成人男性は煙草を吸うもの」という風潮だったし、周囲の大人も男性ならほぼみんな煙草を吸っていた。
学校の職員室も禁煙ではなかった。
父親も喫煙者で、父親の命で近所のコンビニに何度も煙草を買いに行かされた。
なので、自分も、大人になれば吸うものだと思っていた。
僕が煙草を吸わないでおこうと決心したのは、中学での保健の授業の時である。
ニコチン溶液に入れられたミミズが縮んで死んでいる写真を教科書で見たのも1つの理由だが、決定的な理由は他にある。
保健の教師が煙草の悪害について、次のように教えてくれた。
「生涯に吸う煙草の総金額を計算したところ、1日1箱しか吸わないにしろ、高級車が1台買えるくらいになる。とてもばかばかしいことだが、今となってはもう煙草を辞められない。最初から吸わなければよかった。なので、お前らは決して吸うな」
吝嗇な僕は、この話を聴いて以来、煙草に手を出そうとは全く思えなくなった。
生まれて初めて吸う煙草は間違いなくうまくない。
それをわざわざ克服してまで、浪費に走る必要はない。
にしても、誰か酒についても同じようなことを教えてくれればよかったのに、と思う。
これまでの酒代を合計すれば、ヴィッツくらい買えたんじゃないか。
あるいは、トヨタのノアでも買って、CMタレントの嗜好品購入に貢献できたかもしれない。
何はともあれ、長年連れ添った嗜好品を断つのは難しい。
一方で、数学の教師は、宝くじを買うことが実にくだらないかを確率論とともに教えてくれた。
だから、忌野清志郎の歌を聴くまでもなく、僕は宝くじを買わない。
ローマのレストランでぼったくられた日本人観光客の話。
イタリア政府がお礼の意味を込めて招待したのを、ぼったくられた観光客はお断りしたとか。
このニュース、ある時から観光客の実名(茨城県在住の35歳)が公表されるようになった。
このご時世、どうして実名を公表する気になったのだろう。
僕の感覚では理解できない。
ところで、東京地方裁判所で初めて行われた裁判員裁判が終わった。
裁判員の何名かは、カメラの前に顔を出して記者会見に臨んだ。
彼らは、信念を持って記者会見に臨まれたのだと思う。
その裁判を傍聴していた10歳の子供が、NHKのニュースでインタビューに応じていた。
顔も実名も出して。
その実名は、今までの命名の常識に囚われない、現代風の名前だった。
報道された当日に名前をウェブで検索してみた。
検索結果は2件あり、
1998年生まれの人の氏名を紹介しているページが見つかった。
このページによると、報道された人の氏名は1例だけだ。
どうやって調査してこんなページがあるのかは、不明。
このご時世、どうして実名を公表する気になったのだろう。
夏の思い出作りかな。
2009年8月2日、古橋広之進氏がローマで客死した。
「客死」という言葉を久しぶりに聞いた。
古橋氏は、2003年に名誉都民に顕彰された。
そのときの知事は、石原慎太郎氏である。
古橋氏は、2016年夏季オリンピックの東京誘致活動にも携わっており、ローマ訪問もその活動の一環という意味もあったとか。
僕は、古橋氏があのタイミングで名誉都民になったことを知って以来、叙勲やら褒章やらがとてもうさんくさく感じるようになった。
そのとき、僕は大人の階段をまた一段上ったのだろう。
2009年7月30日放送の「テレフォンショッキング」に、DA PUMPが出演していた。
9人で。
彼らの何人かは、テレビに登場する際、帽子をかぶっていることが多いのだが、今回は礼儀正しいのか、全員とも帽子をかぶっていなかった。
登場するまで多少ハラハラしたが、あれならセーフだ。
絶対にセーフ。
でも、アレでセーフなら、温水さんをいじっちゃダメだ。
戦国武将ブームがテレビで取り上げられていた。
何でも、「戦国武将萌え」とか。
その番組では、若い女性が戦国武将の命日の法要に参加していた。
昔から、戦国時代の歴史小説は多く読まれている。
だから、違和感はない。
殺戮を企てた首謀者をあがめる風潮は、今に始まったことじゃない。
そのうち、「軍人萌え」とかが登場するかもしれない。
あるいは、世界の救済を意図して大量殺人を首謀した宗教指導者を神格化して崇拝しちゃう、とか。
BS放送で映画「南極物語」を放送していたので、見てしまった。
何度か見たはずだが、最初から最後までまともに見るのはこれが初めてである。
見た感想は、
1番目の意見は、2008年11月、政府元高官夫婦の殺傷事件まで発展した、とされている。
2番目の意見は、僕が言うまでもなく以前から存在していた。
調べたところ、藤子・F・不二雄作品に「裏町裏通り名画館」というのがあり、その中に「北極物語」という映画が登場する。
実に藤本先生っぽい話だが、あらすじを読む限り、本当にオチがあるのか気になってしまう。
機会があれば読んでみたい。
オリジナルの発想のつもりだったが、所詮凡人の考えること、僕の思いつきはずっと前から存在している。
これだから、感想文は嫌い。
世のエコロジー・ピープルは「サザエさん」を見て欲しい。
2009年8月2日放送の「サザエさん」で、磯野家では冷房器具の使用が禁止された。
冷房はおろか、扇風機を使ってはならない、と波平が家族構成員に指示したのだ。
「個々で試行錯誤して涼を楽しみなさい」というすばらしいメッセージとともに。
「扇風機はエコ」なんて、決してのたまってはならない。
ところで、この日の放送で、「お詫び団子」というのが出てきた。
どこかで聴いたことがある。
別のテレビ番組で、似たような商品を販売している和菓子店があることを放送していた。
謝罪の時に持って行く菓子折として、好評なのだとか。
新手の広告かな。
ちなみに、「サザエさん」のオープニングの名所巡りはPRである。
少額ではあるが、県や自治体から協力金をもらってます。
新聞で読んで、1944年の「竹槍事件」という史実を知った。
もしこの事件が刑事事件として起訴されたとして、あり得ない話だが裁判員制度が適用されて、運悪く僕が裁判員に選ばれたら、有罪に票を投じたいところだけど、実際の場になったら本当にそんなことができるだろうか。
かといって、海軍の「陸軍悪玉論」もあまり好きにはなれない。
一方で、阿久根市の市職員が掲示物(市職員の給与を公開した文書)を剥がしたという理由で、市長から懲戒免職処分を受けた、というのは2009年の話である。
手段や規模は変わったが、権力で生殺与奪できるのは今も変わらないようだ。
公務員だから指揮系統を守ることが求められるのは当然だろう。
しかし、こちらの事件では係長が局長の命令を遂行したにもかかわらず違法行為におよんだ容疑で起訴されている。
何をやってよいものか、わからない。
高圧的な権力で服従を強いるシステムは、最終的には組織全体が敵対勢力によって支配され、隷属を強制される運命をたどる。
勝者の理論で首謀者が都合よく裁かれたり、見せしめにあったりするのは、世の習い。
それはひどく野蛮なことには違いないけど。
さしあたって、空気を読むことが重要なのだろうか。
[2010-04-07 追記]
不正確な記述を修正しました。
八ッ場ダム。
建設するか否か、すごくもめている。
いわば、下流のツケを上流に回すわけだ。
他人事ではない。
八ッ場ダムの建設に伴って、近くを通る鉄道の吾妻線では線路の付け替え工事が同時に行われている。
この路線にある有名な樽沢トンネルも線路の付け替えによって廃止される、ということで、その点でも気にはなっている。
そういえば、公務員の知人が八ッ場ダムの建設の対応をしていたはずだ。
もう7年くらい前に知人がそんな話をしていた。
その知人が今もその対応をやっているとしたら、思わず身を案じてしまう。
ところで、八ッ場ダム。
読み方をご存じだろうか。
その東リ。
「やんばダム」である。
12番に青が入り、これで4色出揃った。
この読み方を知らず「やつばダム」と議会で言ったりしたら、「読み方も知らない者に議員の資格無し」という風なものすごいつるし上げを食らうようである。
ダムの建設問題も重要だけど、僕はそれ以上に「何故これを「やんばダム」と読むのか」を誰かに教えてもらいたい。
「ッ」も小文字が正しいのか大文字が正しいのかはっきりして欲しい。
心がすさんでくると、いろいろなことに無感動になってしまう。
街は日々変化を遂げていても、平穏で健康な心でなければ、変化に気付くことはない。
ロッテリアの前を通ると、「試せよ」と書いた垂れ幕が掲げてあった。
口に合わなかったら返金してもらえる、というふれこみの「絶妙ハンバーガー」の広告である。
毎日ロッテリアの前を通っているのに、垂れ幕に気付いたのは絶妙ハンバーガーのPRを始めてから半月くらい経ってからだ。
「試せよ」。
違和感がある。
さまぁ〜ずの三村さんかな。
例えば、「食べる」の命令形なら、「食べろ」もしくは「食べよ」となる。
コピーでつかわれている「試せよ」の用法にならうと、「食べる」は「食べろよ」となる。
「試せよ」は「食べろよ」のような用法で用いているのだろうか。
だとしたら、なれなれしいコピーで不愉快だ。
一方で、「食(しょく)する」の命令形なら、「食せよ」となる。
「試せよ」の「せよ」を「食せよ」の「せよ」のように用いているのなら、これは文法に従えば誤りである。
あるいは、「試(し)する」という名詞+「する」型の言葉があるのかもしれない。
これなら、「試せよ」は「試する」の命令形となり、文法的に正しい。
しかし、僕の持っている辞書には「試する」という言葉は載っていなかった。
このような思い煩いから言えることは、「ここまで人を悩ませ印象に残るこのコピーはおそらく優れている」ということだ。
今後、文法の曖昧さをついてくるコピーが増えるかもしれない。
ちなみに、僕はたぶん「絶妙ハンバーガー」をすすんで食べない。
もし食べることになったら、「ねぎ抜きで」と言おうと思う。
俳優の山田辰夫氏が、先日亡くなった。
53歳、若い。
「はるちゃん」の支配人役が失われた。
思い返せば、昨夏には深浦加奈子氏も亡くなった。
48歳。
病魔と闘っていることも知らず、しばらく目にしないことにも気付かずに、ある日突然訃報が飛び込んでくる。
名脇役の宿命なのだろうか、とても寂しい。