親身
東京マラソンが開催されているときに雪が降らなくてよかったね、と心の底から言える大人になりたい。
そんなに気にしてはいないが、「東京マラソンは、実は東京で大災害が発生した場合に人々がどのような行動をとるかデータをとるためでもある」などという「都市伝説」を吹聴していた芸人の、地震後の状況を知りたい。
東京マラソンが開催されているときに雪が降らなくてよかったね、と心の底から言える大人になりたい。
そんなに気にしてはいないが、「東京マラソンは、実は東京で大災害が発生した場合に人々がどのような行動をとるかデータをとるためでもある」などという「都市伝説」を吹聴していた芸人の、地震後の状況を知りたい。
あれほどに迷惑な陣取りをして、四六時中見張っていて、それでいて逃げられるようでは、彼らは一体何の仕事をしているのか。
いやむしろ、単にマンションの警備がしっかりしているだけだ、と考える方が正しいのだろう。
毎日新聞で、「北九州市50年ものがたり」という特集が連載されている。
僕は毎日新聞の地方版を講読していない。
記事の内容をウェブサイトで読んでいる。
五市合併から来年で50年。
合併したことについては、今となっては「偉業」と称していいことだと、僕は思う。
おそらく合併していなければ、もっとひどいことになっていた可能性が高い。
人口20万前後の市が5つあって、まとまりのないことをそれぞれが言っていたとしたら、相手にしてくれるところは少なかっただろう。
逆に言うと、これほどまでの「偉業」と呼べるものをすぐには思いつけない。
報道によると、マラソンが計画されているという。
北九州市は、2014年2月にも市民参加型のフルマラソン大会を開催する方針を固めた。
「日和見系現状追認型サイト」を標榜しているこのサイトとしては、歓迎したいニュースである。
県警が協力する気になっているみたいであるところが、実に興味深い。
さて、コースはどうなるだろうか。
おそらく、横長にとることになるだろう。
コースはどうあれ、風が強く吹いている大会になりそうだ。
この冬のうちに東京タワーに上ろう、特別展望台に行こう、ついでに蝋人形館にも行こう、と考えていた。
気づけば、冬も終わりかけている。
今日も雨が降った。
これで、最後のチャンスを失ったように思う。
それにしても、家具の中に潜んで脱出、なんて、まさかないよね。
「わたしが子どもだったころ」の再放送に写真家の藤原新也が出ていた。
番組によると、彼の実家は門司港で旅館を営んでいた。
港から対岸を眺めながら、彼は「向こう側には何があるのだろう」と考えていた。
この「対岸に思いをはせる感覚」というのは、僕にも覚えがある。
関門海峡に面して住んでいる者が抱く特有のメンタリティであろう。
東京や大阪のような都会は遠い。
その都会と地続きになっている本州は、自分の目の前に見えている。
あの岸の向こう側には、一体どのような世界が広がっているのだろう。
いずれは、向こう側の世界をこの目で見てみたい。
小倉に住んでいた頃、九州から本州の方へ関門海峡を渡る機会というものは、めったになかった。
目の前に見える本州が、こちらとは全く違う世界であるかのように思えた。
自分の後ろ側には、福岡という経験したことのある大きな都会が控えている。
福岡に引け目を感じながら育ち、そして、海峡の向こう側にあるはずの、福岡よりももっと大きな都会のことを想像しながら、狭い土地で小さな生活を営み続ける。
もっとも、藤原新也氏が番組内で言ったように、「行ってみれば、向こう側もこっちと大して変わらないんだけどね」というのも確かだ。
行われていることは、どこもそれほど変わらない。
違っていたものもある。
それこそが、当時抱いていた、関門海峡を見て生きている人が持ち得る感覚だった。
結局、そういうことなのだ。
Endeavorはなかなかよさそうじゃないか。
一体どんなスペックなのだろう。
興味を持って検索したら最後。
Epsonの広告ばかりを見る羽目になり、嫌気がさしてくる。
友近がやっているキャラクターの、水谷千重子が原因で、坂本冬美が歌うカバー曲をまともに聴けなくなってしまった。
このネタで恐ろしいと感じたのは、リサイタルの途中でおすすめ商品のコーナーが差し込まれるところだ。
このようなことが、実際の演歌歌手のリサイタルでも行われているのだろうか。
ステルスマーケティングなどと騒いでいるのが、恥ずかしく思えてくる。
最近注目しているのは、吉田照美だ。
今さらながら、なぜ吉田照美なのか。
それは、昨年から「本番前@控室」を見るようになり、今になって彼の能力の高さを知ったからだ。
そう、僕はわかりやすい。
では、これまでなぜ吉田照美のことを知らなかったか。
これには理由がある。
地方在住者にとって、東京のラジオ・パーソナリティのことを理解することは難しい。
名前は聞くが、放送を聞くことができないため、身近に感じることができないからだ。
だから、例えば吉田照美が「電波少年」に出てきたときも、「この人が有名なのは知っているけれど、何の人なのかはわからない」という印象を持っていた。
なお、福岡ではネットがかなり遅れたため、「「夕やけニャンニャン」に出ていたじゃないか」というのは禁句である。
これまで吉田照美と言えば、不倫騒動があって、絵を描いて巨泉に売りつけて、Hey!たくちゃんが真似をしている、ぐらいのネタの印象しかなかった。
その程度しか知らないため、どういう人なのか考えることもなかった。
全くもって、無知は愚かである。
2012年の確定申告を終えた。
いろいろとあった1年だが
しんこくはつつがなく行う
いいわけして免れることは許されない
ふざけた態度は厳禁
くだされた審判によって
この世界から抹殺される
ちょっと新しい風も入れてみる。
いろいろといじっているうちに、投資信託の分配金から源泉徴収されていた所得税が還付されるらしい、と判明した。
還付される理由は、ご推察通りあまりいいものではない。
それにしても、弥生とソリマチ、中身がどんなものかわからずパッケージだけで判断して、ソリマチの方を選びたくなる人がいるのだろうか。
年末に帰省した際、(復元された)小倉城へ行った。
売店で、江戸時代における小倉の絵地図の複製が売られていた。
普段なら買うことはないが、半額で売られていたので、買うことにした。
国立公文書館にアーカイブされている。
デジタルアーカイブがあるのなら、買わなくてもよかった。
絵地図を見ると、昔は大きな沼が広がっていたようである。
道理で、あそこに高層マンションを建てる際に難儀したわけだ。
オリジナルを知らないでパロディを見てしまうと、オリジナルの方を見たくなる、という弊害が生まれる。
最近お気に入りの裏笑いは、X-GUNである。
「そっちで成り立っているわけではないな」とつくづく思う。
自分で買うことはないが、知らず知らずのうちに外国産米を口にしていた、ということが日常になるのだろう。
外食産業は、すすんで外国産米を選ぶ時代が来るはずだ。
外国産米に反対はしないが、飲食店にはおいしい米を提供してもらいたい、とは思う。
現に、米がまずい…、口に合わないという理由だけで、行かなくなった牛丼店チェーンが、僕にはある。
休眠預金で綱引きするところをみると、やはり持っていていいことがあるのだろう。
本当に面倒なら、申し出を歓迎し、管理を委託するはずだ。
もしかして、人々はバレンタインデーに飽きてきているのではないだろうか。
なぜなら、子供のころからずっとその習慣を続けているのだから。
学校を離れ社会に出ればその習慣から解放されるかと思いきや、オフィスでもチョコレートのやりとりが続いている。
それでは、嫌気がさす。
どうせ、僕のあずかり知らぬところでは「ママ友チョコ」なるものも流通しているのだろう。
意図しない負担にさらされている方々は、本当にご苦労様である。
まあ、お歳暮やお中元に比べれば、安く済むのだろう。
僕にとって薬師丸ひろ子といえば、アイドルという感覚ではなく、頻繁にモノマネされている人というイメージが強い。
すべては、山田邦子の責任である。
それが原因なのか、最近になって、薬師丸ひろ子のベスト盤を新鮮な気持ちで聞くことができている。
薬師丸ひろ子の音楽の価値に気づくのに時間がかかったのは、本当にもったいないことだ。
電子レンジが放つマイクロ波の周波数の桁数に「アタック25」の司会者が驚いていたのは、きっと彼がTVの世界の人間だからであろう。
確かに放送電波の周波数に比べると、マイクロ波の周波数は大きい。
そして、彼はおそらく照明というものの存在を知らないのだろう。
ただでさえ、こちらは視聴するモチベーションが下がっている。
ましてや、出場を目指している方々のモチベーションは保たれているのだろうか。
もともと制作費が安かった番組と聞く。
出演者が社員で成り立つ体制になってしまえば、ますます旨みが大きいのだろう。
田中麗奈に関する情報を捕捉するために構築したシステムに、三根梓の名が多く見られるようになった。
どうやら、システムはまともに機能しているようである。
「建国をしのび、国を愛する心を養う」ことを試みる。
結果はともかく、試みたことを評価して欲しい。
心の中で「はよ出てきーよ」とイライラしていた。
歌を聴いたことはなかったのだが、パッソのCMにひとりで反応していたことに、「方言ではなく他の外国語を自然に理解できればいいのに」と感じる。
ところで、リリー・フランキーがCMで「どうしたとね」と言うのにも、ほんの少しだけ違和感を覚える。
「どしたんか」というのがより実態に近いと考えるが、北九州弁はCMに適さない。
北九州弁がよく合うのは、やはりロバートのコントである。
あの言葉遣いを聞き慣れない人には気味が悪く聞こえるようだが、ネイティブの立場から言えば、彼らの言葉遣いはかなり自然である。
「週刊文春」のスクープよりも、メディアがどう反応するかに注目してしまう。
富士山から噴煙が上がっている、みたいな話が出回っているが、こちらの方がよほどはっきりしたのろしが上がっていた。
おそらく、今回は「なかったこと」で乗り切れるのだろう。
でも、バランスが少しずつ変わってきているように感じる。
絆とは、遠くにいる古い仲間からのエールのことである。
2月上旬であるにもかかわらず、「徹子の部屋」で追悼特集が放送された。
村川絵梨が19歳の役というのは、さすがに顔をしかめる。
気づいたら、毎日コーヒーを飲んでいる。
飲み過ぎであるとは思わないが、偏りのある食生活はいけないと思う。
コーヒーを飲まない決意を公衆の面前でするほどの時間はないが、せめて週に2回くらいはコーヒーを飲まない日を作ってもいいかもしれない。
会議を抜け出すほどコーヒーを飲みたくなるくらいの依存体質になるのは、やはり怖い。
潜水艦の汽笛をならしたがるタモリさんの姿を拝見し、祖父のことを思い出す。
こういうところが九州人の特徴だと思う、自分も含めて。
酒を飲まないで酒の席にいると、どういう風景が広がっているのだろう。
おそらく、かなりの醜態が繰り広げられているのを、冷静な気持ちで見ることになるはずだ。
「なるはずだ」と書いたのは、僕がその立場にいたことがほぼ皆無だからだ。
酒の席が設けられれば、事情が許されるかぎり、必ず酒をいただく。
僕は自分に甘いので、たいていの事情は許されることになる。
酒を飲めば、醜態をさらけ出す。
そのことに気づくことはない。
酒の席で酒を飲まないことが、わずかに1度だけあった。
その時は、車を運転して帰る必要があり、飲酒を断ったのだ。
福岡県出身であっても、車を運転するために飲酒を我慢する人はいる、というか県民すべてがそうだ。
子供のころ、大人たちが酒を飲んで騒いでいるのを見て、「早く酒が飲めるようになりたい」と感じた。
陰気な性格である僕は、酒の力を借りれば容易に陽気になれると考えたのだ。
一方で、僕の妹は今も酒をほとんど飲まない。
飲めない体質でもないのに飲まないのは、僕を含めた酔っ払い親族たちの醜態を目の当たりにし、「自分はこうはならない」と決めているからに違いない。
同じものを見ても、違う結論が導き出されることもある。
節分はもはや、完全にすしを食べる日になってしまった。
これでは、桃の節句の立場がない。
恵方巻きは食べるけれど、豆まきはしない。
これは、とても合理的な考えだと思う、次の日に豆を掃除する役目を仰せつかる身としては。
ソーラン節で「屋根にソーラー」とやるCMの勇気をたたえたい。
普通、思いついても恥ずかしくて、実行に移せない。
2011年の心がけは、「食べない」であった。
その取り組みの結果を記す。
基本的に、夕食の量を減らした。
朝食や昼食を抜くことは多いにもかかわらず、夕食だけはがっつり惰性で食べてしまう、という状況を打ち破りたかったのだ。
結果、夕食のおかずが朝食のようになった。
夕食の量を減らしたら、朝は空腹で目覚めることが多くなった。
腹が空き過ぎて、生命の危機すら感じるほどだ。
なので、朝食は是が非でもとらなくてはならない羽目になった。
昼食の量は、それほど変わらない。
ただ、夕食の時間までに腹が減る。
夕方に時間があれば軽く食べることが多くなった。
こういう習慣にしてみて気づいたのは、重めの朝食を提供する飲食店がほとんどない、ということだ。
夕食が朝食みたいなおかずだから、夕食みたいなおかずを夕食以外でとりたい。
昼食は昼休みの時間が限られているし、朝食は店が限られてしまう。
ホテルの朝食は、量をとることはできるが、おかずは軽いものが多い。
できることなら、朝からでもステーキを食べたいと思う時もあるのだが、そんなサービスのある店を僕は知らない。
だから、朝に松屋へ行って、牛焼肉定食を食べることになる。
子供のころ、NHKの朝のニュースで北京からの中継があり、多くの人が朝食を外で食べるシーンが放送されていた。
実に羨ましいと感じていたのだが、今それが現実になっている。