曇天の続き

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2010-01-31 Sun.

熱願

2010-01-31

あるウェブサイトで、アンケートを採っていた。
「あなたのいちばん好きなBONNIE PINKのアルバムは何ですか?」

対価の支払われないウェブサイトのアンケートなんて普段は非協力的なのだが、めずらしく心躍る質問だったので、考えてみることにした。
小倉さんではないが、何と言っても、こちらは小倉にいるときからBonnie Pinkを聴いているのだ。

最初に聴いたのは、「Blue Jam」。
ブレイクのきっかけになった「Heaven's Kitchen」もリアルタイムで聴いた。
BPが再び注目を集めた、「Present」。
「Golden Tears」以降のアルバムは、どれも高いクオリティを保っているように思う。
最新アルバム「ONE」に至っては、現在ほぼ毎日聴いている。

いろいろと躊躇逡巡した挙げ句、やっぱり「Even So」だろう、という結論に達した。

2004年頃、身のまわりでずいぶんといろいろあってひどく疲れていたとき、渋谷のHMVで初めて「Last Kiss」を聴き、かなり救いを感じた。
この年は、僕がめったに行くことはないライブにまで足を運んだ。

ということで、「Even So」を選んで投票した。
他の人の投票結果を見ると、「Even So」が最高の人気を集めている。
「A Perfect Sky」をリリースする前のアルバムを選ぶところが、いかにもファンらしい(自画自賛じゃないよ)。

と言っている僕も、一時期BONNIE PINKのファンを辞めるかも知れない、と思ったことがある。
「Let go」を出したときだ。
リアルタイムで聴いたが、その時の感想は好意的に言って「理解し難い」、悪く言うと「好きではない」だった。
正直に言うけど、この時に「もしかしたら、もうBonnie Pinkには期待できないかも知れない」と思った。

次のアルバム「Just A Girl」も聴いたが、それほどははまらなかった。
その次のアルバム「Present」の最初のトラック「Tonight, the Night」を聴いて、ようやくBONNIE PINKを聴き続けようと思うに至った。

その時は知らなかったのだが、一時期、Bonnie Pinkは不調を感じ、休養を取っていたらしい。
そのことを全く知らないまま、アルバムの好みだけを判断していた僕は、今でも「BONNIE PINKの熱心なファン」を自認してはいけないのだと思う。
不調の時期をファンとして支えることは全くなかったのだから。

こういうこともあって、僕はひどく反省した。
そして、1度好きになったアーティストやミュージシャンの新譜リリースを生涯追いかけていこう、と決め、ターゲットとなるアーティストリストを作ることにした。
1年に1度はリストを点検し、新譜が出ているかどうかを確認している。
このリストは長くなることはあっても、短くなることは決してない。

ファンとしてわがままな希望なのだが、ミュージシャンにはいつまでも音楽活動をして欲しいと思う。
たとえヒットに恵まれなかったとしても、1度アーティストの曲を好きになったファンは、次のリリースを生涯気にしているものだからだ。

今はウェブ社会である。
ウェブは発表する場でもあれば、ファンが現況に触れることのできる場でもある。
楽器があったり、声を失わなかったりすれば、音楽はいつまでも続けられるので、ビジネスの力につぶされることなく、モチベーションがある限り続けていて欲しい。
新譜を期待することがもはやかなわず、リストから消すこともためらってしまうアーティストだって僕にはいるのだ。

こないだ、柿島伸次が北千住のライブハウスで歌っている、という情報をウェブで知り、改めてそう思った。

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2010-01-30 Sat.

不朽

2010-01-30

2010年に、僕みたいな人間が声高に言うことでもない。
それでも、この日記は「僕の脳内の投影」というテーマで書かれているので、一応記しておこうと思う。

「男はつらいよ」はおもしろい!

すみません、もちろん同じ意見ですよね。

幼少の頃から、僕の両親は「男はつらいよ」がテレビでやると必ず見ていた。
その影響で、初期から中期にわたる作品はほとんどは見ている。

少し前までの僕は、こういう感じだった。

「寅さん? あれは確かにおもしろい。でも、もう何年も見ていないな」

おもしろさはわかっているつもりだけど、そういえば何年も見ていない。
そういう40歳ぐらいまでの人はかなりいるのではないかと思う。

2009年に大原麗子が死んで、その追悼で年末にテレビで「男はつらいよ」をやっていた。
それを久しぶりに見て、これがひきつけを起こすくらいおもしろく、思わず笑い泣きするほどだった。
特に、とらやで言い争いが起こるシーンになると、タコ社長が出てくるのをついつい楽しみにしてしまう。
「来るぞ、来るぞ」みたいな感じで。

山田洋次監督作品「おとうと」が公開されるにあたり、過去の山田洋次作品に出演した喜劇人の特集番組を日曜に放送していたのだが、その番組の中でももちろん「男はつらいよ」が取り上げられていた。
とらやでのやりとりが、やっぱりおもしろい。
映像を振り返って笑福亭鶴瓶が「寅さんってここまでおもろかったんか」と言っていたが、その意見には全く同感である。

ということで、これから少しずつ「男はつらいよ」を見返すことに決めた。
これでまた、新しい映画を見る時間がなくなっていく。

手始めに、小倉がロケ地になっているのはないのか、と探してみたが、見当たらなかった。
代わりに、筑豊が舞台になっている第37作「幸せの青い鳥」があったので、早速DVDを借りてきて視聴。
志保美悦子と長渕剛が出ている作品で、見たことはあった。
言わずもがな、彼らはこれをきっかけに結婚した、というやつだ。

見ると、何となく覚えているものだ。
ただ、若い2人だけのシーンが多かったので、とらやのおもしろさがあまり出ていなかった。
もしかしたら、渥美清は既にこの頃から体調が悪く、それゆえ出演シーンが少なかったのかも知れない。
でも、おばちゃんの名台詞、「あの男が一度でもうちの団子の配達をしたことがあるかい?」には大笑い。

次は、出川哲朗が出演しているやつでも見ようか、と考えていたら、たまたま選んだ第37作が出川さんの出演作だった。
最後の芦ノ湖のシーンには、エドはるみも出ていた(顔は映っていない)。

そしたら、次は湯布院、いやウィーンに行ったやつにしようかな。

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2010-01-29 Fri.

iPad

2010-01-29

iPadの発売について、ついにお披露目があった。
久しぶりに、購買意欲をくすぐるワクワクする商品が出た。

最近の考えでは、PCは役割に応じて3種類欲しい。
内訳は次の通り。

  1. 家電としてのPC(大画面。自宅に据え置き。音楽を聴いたり、VODを見たりする)。
  2. 文房具としてのPC(個人用。すべての電子データを収納。持ち運びが便利)。
  3. モバイルデジタルデバイスとしてのPC(携帯用。情報取得、紙の代わり)。

そして今のところ「持っている」と言えるのは、2番目のPCだけ。
iPadは、もしかすると3番目に挙げた役割を果たすデバイスになりうるかも知れない。

これまでは、3番目に対応するのは、携帯電話のお化けみたいなものか、せいぜいiPhoneかなと思っていた。
iPadが使えるものだとしたら、本当に紙の代わりになるかも知れない。
おそらく、普段持ち歩いている、紙の予定帳やメモ帳も手放すことになるだろう。
大きさもいろいろ異論が出ているようだが、僕にとっては、A5サイズに近いのでまさに求めていたサイズである。
電子辞書機能や、ファイル検索機能、フルブラウザ機能があれば、本当に便利である。
表計算ファイルの編集とかできなくてもよく、手書きで書き込めればいい(あとで、文房具用のPCで編集すればいい)。

すべての本の代わりにiPadで電子書籍を読むことはないだろうけど、少なくとも仕事で参照する書類をプリントアウトする代わりに、iPadで見ることが多くなるのではないかと思う。
あるいは、現在はドラフト段階の資料をこまめにプリントアウトし、ペンで修正を加えては、その修正をもとにPCでファイルに反映させるというプロセスで資料を作成しているが、その作業のうち、プリントアウトの作業が置き換わるかも知れない。
つまり、iPadにはプリントアウトをなくすための端末になって欲しい。

たぶんこれから進化を遂げていくだろうから、早く市場に出回って、ユーザーの声をもとに改良が加わって欲しい。
そしてできれば、PCの小型版ではなく、紙が進化したものになって欲しい。
すごく期待してます。

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2010-01-28 Thu.

風儀

2010-01-28

「となりのマエストロ」という番組で「おでんマエストロ」というのがやっていた。

ぼんやり番組を見ていたら、「やってきたのは福岡県小倉市!」という不穏なナレーションが聞こえてきた(このサイトの愛読者には蛇足だが、「小倉市」という地名は既になく、「北九州市小倉」の方がまだ正しい)。
どうやら、小倉のおでん屋台を紹介するらしい。
ますます不穏な雰囲気になってきた。
番組の内容を要約すると…、

小倉にある「はる屋」という名の屋台には、女性や子供の客が多い。
その理由は、この屋台では、酒類をいっさい出さないからである。
また、おでんとともに愛される一品がある。
それは、おはぎである。
実はここ小倉では、おでんとおはぎを一緒に食べるのが定番
おでんの旨みとおはぎの甘みがマッチするのだ。
「通はこうやって食べる」とは中年女性のお客さんの発言…。

久しぶりに頭痛と吐き気が同時にし、しばらく体に力が全く入らなかった。
メディアからの一面的な情報だけを見て、その地域について判断を加えることは決してやめようと誓った。

それにしても、普段からひっきりなしに口出ししているのだから、こういうところにも市が漏れなく行政指導して、番組内容をコントロールする方がいいのではないかと思う。
だいたい、なぜ小倉の屋台で酒を出さないところがあるのか、その理由を番組制作者は調べたのだろうか…。

しかし、柳生九兵衛さんは頻繁にメディアに出てくる。
この人と池上彰氏は、メディアに今すごく重宝されているようである。

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2010-01-27 Wed.

偏見

2010-01-27

土曜。
気が向いたので、映画「デトロイト・メタル・シティ」を見る。

「渋谷系」ってあんなのだっただろうか。
自分の理解と、全然違っていた。
カジくんを標準にしてしまったから、実像が歪んでしまった気がする。
一方で、デスメタルについては門外漢なので、「ああいう感じなのかな」とよからぬ先入観を持ったのは事実。
制作者サイドは、気をつけて欲しい。

現在気になるのは、小林武史が監督を務めた映画「BANDAGE」である。
宣伝や予告を見る限り、これがまた1990年代後半の音楽文化に対する誤解を招くような気がしてならない。
ある一部の実像には近いのかもしれないけど、あれがすべてではないはず。
当分見ることもないだろうから、この謎はしばらく解けないだろう。

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2010-01-26 Tue.

風評

2010-01-26

「遠くへ行きたい」で北九州が取り上げられた…、ようである。
この番組も、もうずいぶん見ていない。
こういう番組こそ、BSデジタルで見やすい時間帯に放送して欲しい。

角打ちシンポジウムが行われる…、らしい。
市長も参加する予定だったが、コメントを読む限り、どうやら参加の予定はない模様。
おもしろそう。

「極道の妻たち 決着」を見ていたら、台詞で「15年前に小倉事件があったやろ。あれに関わっとったんや」というのが何の説明もなく出てきた。
本当に辞めて欲しい。

宮崎学氏が「小倉の極道 謀略裁判」という本を2001年に上梓している。
著者がアウトローサイドの方なので、それを差し引いて考えるけど、それでもタイトルや内容の紹介を読むだけでも、気持ちがすさむ。

この1週間で僕が触れた、小倉に関する情報をまとめると、こんなに感じになる。
こんなのが地元の人間のところに嫁ごうとする人がいれば、家族は猛反対するだろう。

実際は、そんなに気にせずに暮らせる街です。
故郷に愛着はほとんどないけど、それでも僕はこういうのをみると結構本気で歯ぎしりする思いをしています。
やっぱり、ブランドイメージは重要だよね。

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2010-01-25 Mon.

冷諦

2010-01-25

簡易的「無難なテレビ番組」の見分け方を伝授したい。

それは、「この人が出ていれば、トークがまとまる」という定評のある中堅タレントがゲスト出演しているかどうか。
その手のタレントが出ているということは、制作陣サイドに番組のクオリティーについての自信がないことが伺える。

番組の冒頭で、司会者が「今日は○○さんがいるから安心だね」と言ってしまう番組は、ホープレスである。
そういう番組を見たところで、何の発見も得られないことが見ない段階から予想される。

時間が限られている現代社会において、最初から無難なまとまりが予想される番組は、容赦なく切り捨てたいものだ。
なかなかそうはできないけど。

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2010-01-24 Sun.

呪念

2010-01-24

万一、永井大が噂の人と結婚したら、僕は死の呪いをかけることを策略するかも知れない。

…と、冗談でウェブに書いても、今の時代、法律の運用次第で何らかの罪に問われるかも知れない。
たとえば、偽計業務妨害罪とか。

だから、これはあくまでも冗談で、絶対にそんなことはしない旨を記しておく。

ただ、想像することは、罪にはならないのだろう。
頭の中だけは、自由だから…。

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2010-01-23 Sat.

混濁

2010-01-23

本を読んでいて気付いたことがある。
それは、夏木マリと辺見マリを混同して記憶していたことである。

改めて記憶を整理し直して、もっとひどいことに気づいた。
夏木マリと辺見マリと平山みきと日吉ミミ、そしてなぜか金井克子まで加わって、記憶が完全に混濁していたことだ。
これを機に、覚え直すことにする、どこでこの知識を使えるか分からないけど。

ところで、高校時代の友人によると、「へ」のつく有名人として名前が挙がるのは、辺見マリに代表される一連の辺見姓の人、ヘムヘム、そしてへらちょんぺである。
「有名人しりとりで「へ」が回ってきたら使ってくれ」と言われた。

が、僕はまず、名前の末尾に「へ」が付く有名人を思い浮かべることができない。

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2010-01-22 Fri.

凋落

2010-01-22

近頃、テレビをデジタルフォトフレームとして使っている。

HDDプレーヤーに「フォトビューワー」という機能がついているが、CDなどからしか読み込めないので、あまり利用していない。
WiiにもSDカードに保存された写真をテレビに映す機能があり、こちらは、時々利用する。

僕が言いたいのは、撮影された写真を画面に映すのではなく、テレビの映像を使うやり方である。

素材、つまり番組は何でもいいが、BSデジタルの番組が落ち着いていておすすめ。
チャンネルを選んで、画面に番組を表示させる。

そして、音を消す。
そうすると、自動で配信されるデジタルフォトフレームの完成である。

あるいは、音をほんの少しだけ出す。
そうすると、音楽やナレーションが流れるデジタルフォトフレームになる。
僕の自宅のテレビの音量は、最近では「6」に固定されていることが多い。

テレビ版デジタルフォトフレームを横目に、読書を楽しむ。
フォトフレームを見るのは、読書に疲れたほんの数分だ。
数分経てば、フォトフレーム、つまり番組に気を取られることなく、読書に戻ることができる。

いわゆる、マクドナルドに昔あった「マックビジョン」みたいなもの。

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2010-01-21 Thu.

心象

2010-01-21

一時期、中島美嘉を見かけたり彼女の話題になったりしたら、すぐに、

♪はてしなくー

と言うのが癖になっていた。

その歌が主題歌になったドラマ「ライフ」。
壮絶ないじめに立ち向かう主人公の物語である。
僕は、怖いドラマを決して見ないので、この作品ももちろん見ていない。

で、この「ライフ」。
原作は漫画である。
原作者は、すえのぶけいこ。
主にいじめをテーマにした作品をかいている。
出身は…、そう北九州市である。

原千晶と違って、出身地での経験が作品に反映されていないことを願いたい。

きっと、チャチャタウンの近くに2009年度開設を予定している「(仮称)北九州市漫画ミュージアム」の展示にも、彼女は名を連ねるのだろう。
…って、2009年度って今じゃないか。
本当に作っているのだろうか。

2009年に市が学芸員を募集していたので、どうやら本気で動き出しているようだ。

(2010-01-26 追記)
2009年9月29日に建設延期(?)が報道発表されていた。
知りませんでした。知らなかった原因は、間違いなく調査不足です。
ところで、年度末までが任期の嘱託職員(学芸職)を1名採用しているはずだが、その人は現在どうなっているのだろう…。

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2010-01-20 Wed.

見識

2010-01-20

ある日気づいたのだが、PCの左カドの部分が汚れていた。

PCの左カド

よく見ると、これは汚れていたのではなく、塗装がはげていたのであった。

右側は何ともなっていない。
どうして左側のカドだけがはげたのか。
おそらく腕時計が当たってこすれてしまったからだ、と推測する。

腕時計の選択に気を遣う、というのは仕事の一部である。
どういう腕時計をはめているかで、どうやら人は何かを見なすようであるからだ。

ましてや、腕時計を持たないのはタブーと考えている人もいる。
以前、「携帯電話で時刻を確認するのではなく、社会人たる者、腕時計を持ちましょう」という雑誌の特集を見たことがある。
確かに、携帯電話で時刻を確認する行為は、見ていてあまり好ましいものではない。

ここ数年、必要物資とリタイアメントの備え以外に、僕は腕時計を買うためだけに働いている。
そして、欲しい腕時計を手に入れるに至っていないので、見た目の悪くないそれなりの値段の腕時計をはめてやり過ごしてきた。

で、上のようにPCの左カドの塗装がはげてしまった。

思うに、腕時計を選ぶという見識が社会で問われているのは事実である。
しかし、PCの前で1日中座って作業をする低級知的労働者の僕にとっては、腕時計なぞをはめて労働することが間違っていることのように思えてくる。
作業するのに、腕時計がとにかく邪魔なのだ。

それに、僕は元来、腕時計をはめることが苦手なのだ。
理由は簡単で、重いし、かさばるからだ。
学生のころ、スウォッチから極薄の腕時計が発売されて、購入を検討したことだってある(「秒針がない」という理由で見送った)。
本当は、腕時計をやめて懐中時計にできないものかと思う。
懐中時計にまだ現実性を見出せないので、買っていないだけだ。

ということで、仕事中に腕時計をするのをしばらく止めることにした。
普段はデスクサイドにある置き時計を見ているし、外では(あまり推奨される行為ではないが)携帯電話を時計代わりに使っている。
そして、携帯電話のアラームとタイマーを駆使して仕事をしている。
確かに、腕時計に気を遣う、というのは仕事の一部であるだろうが、僕はどうせ大した仕事をしていない。

それでも、それなりの腕時計を手に入れるためにしばらく働き続けなければならない。
叙勲記念パーティーで付けるための腕時計がないからだ。

ところで、ピアニストで大きな指輪をしてピアノを弾くシーンを時々見かけるけど、演奏に支障をきたさないものなのだろうか。
それとも、大きな指輪をして舞台に立つのもピアニストの仕事である、と割り切っているのだろうか。

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2010-01-19 Tue.

鉄人

2010-01-19

寛平さんが前立腺がんを患っていることが判明した。
世間は、アースマラソンを続けるべきだ、いややめるべきだ、と騒いでいる、ようである。

それでも、ちょっと考えこんでしまう。
前立腺がんだったにもかかわらず、ここまでどんだけ走ってきたか。

このことだけでも、とんでもないメッセージだと思う。

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2010-01-18 Mon.

不憫

2010-01-18

休日、疲れているからといって、昼寝をすることができなくなってしまった。
昼寝をすると体力を使ってしまい、余計に疲労してしまうからだ。

夜に規則正しく寝るのが一番。
ほとんど熟睡できてないのが実態だけど。

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2010-01-17 Sun.

私事

2010-01-17

タモリさんの口癖はたくさんある。
たとえば、

  • 「髪切った?」
  • 「服を着たまま海に入ると、泳ぎにくい」
  • 「カレーはチキンカレーが一番うまい」
  • 「オレはお笑いやるために整形して、身長を低くした」

などである。

これらを「マンネリズム」と呼ぶかは、非常に難しい。
僕は以前、タモリさんの口癖を200以上挙げたウェブサイトを閲覧したことがある。
それだけの数があると、もはや「マンネリズム」とは呼べないと僕は思う。

ところで、タモリさんの口癖に、

「酒と一緒につまみを食べるから太る。つまみを食べずに酒だけ飲んでいれば、絶対に太らない。オレは酒の味を邪魔されたくないから、酒を飲むときはつまみを食べない」

というのがある。

確かに、つまみを食べるから太るのであって、つまみを食べなければ太らないのかもしれない。
しかし、飲酒時につまみを食べなくて、健康面で本当に大丈夫なのだろうか。
何も食べずに胃袋に酒を流し込む行為を視聴者が真似をして、結果的に健康を損なったりしないのだろうか。

タモリさんの発言の影響力は結構あると思う。
だから、この話が生放送で流れると、僕はいつも冷や冷やする。
テロップで、「※個人の経験談です。」と出した方が、危機回避行動としてはいいと思う。

ところで、先日の「テレフォンショッキング」に出演した楽天ゴールデンイーグルスの田中将大選手は、「高校時代、むりやりに食わされた。おかげで甲子園で夏バテしなかった」と発言していた。

勘違いする指導者がいなければいいけど。
こういうときこそ、前記のテロップが必要だ。

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2010-01-16 Sat.

遊民

2010-01-16

映画「Dolls」を見て、「高速道路上で暮らす(車で道路上を移動し、SAやPAに駐車し睡眠や食事をとる)って可能なんだろうか」と疑問に思ってしまった。

料金所を通過せずに高速道路をループ状に走ることはたぶん可能だろう。
しかし、出場時に料金がどう請求されるかはわからない。

仮説を検証する気はない。
この実験は日常文化系ウェブサイトのネタに使えるかも知れない。

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2010-01-15 Fri.

歌唱

2010-01-15

なぜ、年末の国内に、ポール・ポッツとスーザン・ボイルが同時に滞在していたのだろうか。

この事実に、我々の国民性についての特徴が現れている気がしてならない。

それにしても、職業歌手に向かって空港で「歌ってください」と声をかける業務を行う人の気が知れない。
でも、あれこそが彼らが誇りとする「職業倫理」というものなのだろう。
それとも、アーティスト側との事前の打ち合わせがあったのかな。

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2010-01-14 Thu.

停波

2010-01-14

「テレビ、辞めます!」

こう宣言するテレビ放送局が現れれば、それはかなりの冒険だと思う。
それも、少し期待の持てる冒険。

現状の放送局は、「テレビもネットもやります」というスタンスである。
そして、それは今のところ、成功まで辿りついていないと言える。

僕は、放送業界で松井証券のような放送局が現れてくれないだろうか、と期待しているのだ。
ご存じの通り、松井証券は、証券界の常識であった投資家への営業活動を止め、通信取引に注力し、ネット専業証券へと変貌を遂げた。
その結果、松井証券は中堅証券会社でありながら業界再編を生き残った。
これを、テレビ業界でもやってほしい。

放送局の中にも、電波を使った放送にこの先の展望を見出せないところがあるのではないか。
逆に言うと、コアコンピタンスが電波ではなくコンテンツである放送局があるのでは。

視聴者は、オンデマンドで情報を得られるネットの可能性に期待していると思う。
現に、ネット専業の放送局が新規参入している。

放送局には、これまで制作してきた圧倒的な量のコンテンツがある。
コンテンツを制作する技術もあるし、経験もあるし、業界のつながりもある。
新規参入と比べ、その点は大きなアドバンテージになる。
だから、コンテンツをネット業者に売るのではなく、自前でサイトを運営、しかも専業にしてしまう、という案も考えられる。

思い切って、電波による放送をやめてしまい、今後一切のコンテンツをネットで流すプラン。
それが「テレビ辞めます!」宣言である。

キー局にそれをやって欲しい、とは言わない。
系列局も無理だろう。
となると、期待が持てるのは、地方独立UHF局だ。
どこかがやってくれると、楽しいことになりそうなのだが。

技術的は、可能だろう。
でも、確かに金銭面でのリスクが大きい。
関連法令や権利問題をクリアするのも、難しそう。
第一、放送免許がいらなくなるので、もはや放送局とは呼べなくなるのだろう。

放送局やら新聞社の経営が悪化していると言われて久しい。
でも、今の状況ではたぶん数が多すぎるんだと思う。
政府が保護をあきらめることにより、淘汰される時代がおそらくくる。

「福岡に独立UHF局が設立されるのであれば、身を奉じる覚悟がある」と言ったけど、前言撤回。
福岡のラジオ局がテレビから独立して、インターネット専業のラジオ局になるのなら、身を奉じることを考えてもよい。

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2010-01-13 Wed.

新人

2010-01-13

「平成生まれの新成人」と騒いでいたマスメディアや、その騒ぎにつき合った新成人もいたけど、果たして「平成生まれ」というのが新しいことを表すキーワードになるのだろうか。

今どき、元号で現代を考えている人がどれくらいいるのだろう。
「平成ヒトケタ代」とか「平成10年代」とかの区切りで、文化を考えたことがある?
僕はない。

自動知識提供機としてしか見られていない僕は今年、すでに4回も「今年って平成何年だったっけ?」と聞かれている。

それより、「21世紀生まれの新成人」という方が、少々のインパクトが予想される。
いずれにしても、2021年か2022年の未来の話である。
ただ、それまでに、成人年齢が変わっているかも知れない。

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2010-01-12 Tue.

手癖

2010-01-12

口内炎ができてからというもの、言葉を口にしようとするだけでも痛みが走る。
そのため、話すのを極力慎しむようにしている。
こんなことになるのなら、西村知美か酒井法子に手話を教えてもらっておけばよかった。

話せない代わりに、手の動作と「ウゴウゴ」といううなり声だけで多くの意思伝達をこなしている。
「ノッポさんがゴン太くんになった」とは、ある人のほほえましいご指摘。

話すことがままならないと、自分がおしゃべりだったことを改めて気づく。
何か言いたくて仕方がないのだ。

僕の周囲の人は、2つに分けられる。
僕が無口だと思っている人と、僕がおしゃべりだと思っている人だ。
なぜそんな違いが生まれるかというと、おそらく僕が二重人格だからであろう。
僕は陰気な人見知り、かつおしゃべりなのだ。
ちなみに、太田光によると普段の高見映(現:高見のっぽ?)はスーパーおしゃべりらしいが、マサにガスだね。

ところで、山下達郎と大滝詠一による恒例の新春放談を初めて聞いた知人から、次のような感想がもたらされた。

「山下達郎っておしゃべりおじさんだな。それにしても、大滝詠一って生きてたんだ」

前者については、僕は20年前からそう思っていたので、大きく頷いた。
後者については、時々指さし確認しなければ僕も分からなくなる。

昨年、「大滝詠一トリビュートコンサート」が開催されたが、その広告に「本人の出演はございません」とあったことから、「どうやらまだ生きているらしい」とは推測できる。
大貫妙子のラジオ「懐かしい未来」によると、コンサート当日、彼は会場まで来ていて、みんなで何とか引っ張り出そうとしたけど、結局彼を引っ張り出すことはできなかった。

「テレフォンショッキング」で電話が回ってきても出演を断ったくらいだから、自分のトリビュートコンサートごときで登場するはずもないか。

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2010-01-11 Mon.

青月

2010-01-11

中嶋朋子のブログの記事によると、2009年の大晦日の月は100年に1度のブルームーンだった。
彼女は、それを最高の条件で堪能したそうだ。

僕の大晦日はというと、元日の未明に部分月食があることだけは知っていたので、その夜が満月であることはわかっていた。
わかってはいたものの、空など見上げるわけもなく、紅白歌合戦に興味すら持てず、いつもの大晦日と同じように飲んだくれ、年が明ける前に寝床に入った(年が明ける前に寝たのは、記憶している限り23年ぶり)。
年越しそばがうまかったことだけが記憶に残っている。
そして、年末年始に飲み過ぎたせいで、今も体調が悪く、舌の左側の付け根が痛い。

だから言っただろ、ここは現実なんだ。

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2010-01-10 Sun.

巡礼

2010-01-10

1度はやってみたい、と思うことの1つに、「酒蔵巡りバスツアー」がある。

数年前、友人たちと列車を乗り継いで、ある酒蔵に行った。
その酒蔵は、少々山奥だが、駅からはごく近い場所に所在した。
そこで、酒蔵を形ばかりに見学し、無料で2、3杯ほど試飲し、併設の食事処でたらふく飲み食いした。

その時友人曰く、「ここは酒のテーマパークだね」。
まさに「我が意を得たり」とその時思った…、かどうかはまったく覚えていないけど、でも今思うと確かに適切な表現である。

その経験から得た発想が、冒頭の「酒蔵巡りバスツアー」である。

全国には多くの酒蔵にある。
その酒蔵を見学し、試飲する、というのは酒飲みの夢の1つであろう。

ところが、すべての場所が公共の交通機関で行けるところにあるわけではない。
たとえ交通機関を乗り継いで辿りついたとしても、帰りが大変である。
酒蔵で試飲しまくり、めためたに酩酊していることが予想される。
最悪、見ず知らずの乗客に対し迷惑行為におよぶかもしれない。

そこで、登場するのは、貸し切りバスである。
気の知れた仲間とバスを貸し切り、酒蔵をめぐっては飲む。
移動の車内では、もちろん酒蔵で購入した酒の栓を抜き、大宴会である。
バスの中は全員酔っているので、いくら騒いでも(乗務員以外には)迷惑がかからない。

僕は詳しくは知らないが、おそらくそういう観光バスツアーが既に企画されていることだろう。
その場合見ず知らずの他人と一緒に乗り込むことになるだろうが、それでも問題はないだろう。
何せ、そんなバスツアーに参加するのは全員酒飲みのはずなので、車内で騒いだって(乗務員以外には)迷惑にはならないだろう。
あー、行ってみたい。

でも、いまの法律では、車内では乗客もシートベルトは締めないといけないんだよね、たぶん。
それとも、貸し切りバスだと、締めなくてもいいのかな。

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2010-01-09 Sat.

滑舞

2010-01-09

年末。
「全日本フィギュアスケート」をテレビで視聴した。

技術もそうだが、それと共に演技者の性格や考えていること、秘めた気迫、新人や中堅、そしてベテランなりの感じていることなどが、これほどまでに露骨に現れるスポーツであることを、今回初めて実感した。

こういうのをショーにして、僕らは楽しんでいいのだろうか、と自問した。
何だか、悪趣味な気もする。

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単語集

2010-01-09

索引を作成した。
今後、Googleのキャッシュを最適化する必要がある。

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2010-01-08 Fri.

返報

2010-01-08

舌の左側の付け根が痛い。
これは舌ガンではなく、毎年恒例の「年末年始の暴飲暴食ぐうたらの報い」の口内炎であろう。

そうは言っても、かなり痛くて言語不明瞭になるくらいなので、放っておけない。
まったく、アナウンサーじゃなくてよかった。

この痛みのせいで、食べた物をうまくかむことができず、挙げ句の果てに、犬歯と犬歯で舌を思いっきりかんでしまった。
かんだ瞬間、絶叫するしかなかった。
これで、舌上にも口内炎ができてしまった。

これにより、痛みでしばらくイライラし、口数が少なくなり、人との対応がぶっきらぼうになり

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2010-01-07 Thu.

分担

2010-01-07

「笑っていいとも!」の木曜日、オープニングのコーナーで「夢の大人買い」というのがある。

内容は、ある店の商品やサービスについていわゆる「大人買い」をするケースが3つ提示され、それぞれの総額について予想し、その高低の順位を当てる、というものだ。
たとえば、

  • ミスタードーナッツの店内すべてのドーナッツを購入した場合の購入総額
  • デニーズの全メニューを注文した場合の購入総額
  • サンシャイン60の望遠鏡を1日中使用した場合の使用料の総額

という3つのお題が出され、金額の高低の順位を当てる。

このコーナー、見ていてかなり面白い。
その理由は、予想するさまが、まるで企業の企画会議でよく見る風景だからである。

見ていて分かるのは、出演者の役割がいつも自ずと決まってくることだ。

たとえば、南明奈は自分からは発言しない。
そして、誰かにデータを求められたら、その答えを返す。

大島美幸は、独自の視点で分析しようとしている。
たとえば、「ゴルゴ13の単行本を全巻購入した場合の総額」というお題の時、パネルの写真に写った「ゴルゴ13」の単行本を丹念に観察し、表紙の数字に注目して、何巻まで出ているか確認しようとしていた。

徳井義実は、書記係である。
そして、金額の推測を定式化しようと試みている(たとえば「(単価)×(個数)」)。
しかし、このコーナーがテレビ番組であることがわかっているので、ときどきボケを差し込んでくる。

山口智充は、ほとんど議論に参加してこない。
そして、時折面白いコメントを挟み、存在感を表している。
彼も、このコーナーがテレビ番組であることを意識している。
能力の不足を、別の能力で補おうとしている感もある。

福田充徳は、議論のおかしな所のツッコミ役。
自分からの意見は少ないが、全体の意見の修正に努めようとしている。
ただ、結論に持っていこうとする意志はあまり感じられない。

笑福亭鶴瓶は、まとめ役。
ただ、せっかくの議論が反映されていない結論に持って行きがち。
感覚で生きていることが如実に表れている。
失敗が許されないミッションのリーダーとしては少々不安を感じるが、これはテレビなので別に構わない。

そして、青木さやかは…、僕には特に印象が残っていない。
おそらく彼女自身、立ち位置を見失っているのではないだろうか。

こうやってみると、このようなやりとりは普段の会議でよく見られることを強く感じる。

僕の会議での立ち位置は、たぶん青木さやかに近い。
そして、時々は南明奈、大島美幸、議論の終盤に福田充徳。
このコーナーを見て、自分の行動にフィードバックをかける必要があるだろう。

ところで、このコーナーは以前は火曜日にやっていた。
その時、さまぁ〜ずの三村さんがこのコーナーに持ち込んできたのが、電卓である。
ボケとしても正しかったし、もちろん正解を出すためという観点からも正しい。
すごく感心した。

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2010-01-06 Wed.

再来

2010-01-06

2003年1月11日に書いたメモによると、スキーウェアショップ、アルペンのCMの歌が広瀬香美からMINMIに変わった。
いつもあるものがなくなるのはさみしいものだ、とそのときのメモには書いてある。

2010年。
広瀬香美はアルペンのCMに戻ってきた。

教訓。
どんなことでも、メモを取っておくことはあながち悪いことではない。

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2010-01-05 Tue.

照合

2010-01-05

神社でおみくじを引いた後、そのおみくじを神社の木の枝(最近では神社側が備え付けた針金や金属棒)に結びつける光景がよく見られる。

その行為にはきっと何かの意味があるのだと思う。
でも、僕は知らない。
調べれば分かるのだろうが、ここでは調べない。

僕は、正月に引いたおみくじを自宅に必ず持って帰ることにしている。
「そんなことをすると、よくないことが起きるよ」と言われるかもしれないが、それでも持って帰る。

その理由は、1年後に答え合わせをするためである。

というわけで、昨年のおみくじを見てみた。
当たっているような気もするし、当たっていないような気もする。

おみくじから学ぶべきは、どのような事態を迎えても当てはまるような文章の書き方であろう。

皆さんにも、おみくじを持って帰ることをお勧めしたい。
抵抗があるのなら、携帯電話のカメラで撮影して、結びつけてもよい。
必要なのは情報だけだからだ。

おみくじを結びつける行為が奨励されているのは、後で答え合わせをさせないためじゃないか、というのは考えすぎなのだろう。

ちなみに、結びつけたおみくじのその後を僕は見たことがある。
神社の人が出てきて、金属棒に結わえられたおみくじを「ずざざざざーっ」と無造作に一方に押しやり、棒を外して手に持ち、おみくじを棒から外し、持っていた袋に流し込んでいた。
きっと、神聖な儀式を経て、どこかへと帰っていくのだろう。

ところで、上の話とはまったく関係ないが、強欲と不安、どちらにつけ込む商売の方が儲かるのだろう。
僕は、不安につけ込む商売の方だ、と直感的に思う。

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2010-01-04 Mon.

初夢

2010-01-04

職場において、僕が中嶋朋子のことを過度に信頼しすぎて、周囲の人間関係のバランスが崩れ、険悪なムードが形成される。

これが、2010年の初夢だ。

目が覚めて、寝床で考え直す。

確かに、私情を持ち込むことをはばかることは必要だ。
酷評されても当然だろう。
これからは、態度を改めることにする。
しかし…。

これはただの夢だ。
夢の中でくらい、中嶋朋子をひいきしたっていいじゃないか。
僕は、「中嶋朋子に対する世間の評価が低すぎる」と17年前から主張し続けているのだ…。

そう逡巡し尽くして、起き上がる。
くだらないことを言っている場合ではない。
ここは現実なのだ。

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2010-01-03 Sun.

限界

2010-01-03

「坂の上の雲」を見ていてもつらさを感じているのだから、ましてやテレビ東京の新春ワイド時代劇なんて、やっぱり見続けることができるはずもなかった。
たとえ7チャンネルだからといって、7時間に短縮されようとも。

31日、1日、2日で飲んだビールとチューハイは、350ml缶換算で28本。
何だか自分が、アルコールを分解するためだけに生まれてきた気がしてくる。
それ以外、社会に何の貢献もしていない。

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2010-01-02 Sat.

懐郷

2010-01-02

この年末年始は、久しぶりに小倉を離れて過ごしている。

小倉を離れると、小倉が恋しくなる。
それを最近特に強く感じるようになった。

何と言っても、生まれ育った街である。
とにかく食べ物がおいしい。
酒はうまいしねえちゃんはきれい…だったと思う。

昔、「小倉を離れたい」と思った最大の理由は、我慢ならない情報格差にあった。

当時は、テレビの中の日本と、自分が暮らしている日本では、情報の提供のされ方がまったく違う、と感じていた。

テレビで放送している番組は全然違う。
雑誌の発売日も遅れるし、本の並びにも不満。
アーティストはこないし、見たい映画もこないし、演劇もこない。
店の商品の並びにも満足できないし、それ以前に店すらない。
僕の場合、人とは話が合わないし、口コミの情報も限られている。
そして、くだらないことで威張っている人たちが多すぎる…。

僕は小倉を離れた。
そして、すごく楽になった。

それから、十数年。
時代は変わった。

地上テレビジョン放送は相変わらず絶望的だけど、それ以外の問題はほとんど解決された。
ウェブとITと衛星放送とDVDと「地方都市ミニ東京化」のおかげで、今は日本のどこにいても文化に触れられる。

今だったら、小倉に戻っても情報格差に苦しむようなことはなくなったのではないか。
むしろ、昔から知っている街なのだから、小倉の方が住みやすいかもしれない。
年齢を重ねれば、望郷の念が強くなるのは確かなんだな…。

そう思って、実家に帰ってみる。
そして、それがすべて錯覚であることをまざまざと思い知らされる。
言葉にはし難いが、すごく居心地の悪い雰囲気が小倉にはまだ根強く残っている、僕にとっては。

離れれば、故郷への思いは強くなる。
しかし、戻れば、3日といられない。
それが僕にとっての小倉だ。

人は2つのグループに分けられるのだろう。
故郷に愛される人たちと、故郷に足蹴にされる人たち。
僕は今のところ、まだ後者のグループだ。

一方で中国人排除を唱える暴力団もある。北九州市に本拠を置く工藤会だ。約10年前から、組員約30人を動員して市内の繁華街に中国人経営の風俗店や酒場などがないか調べ、あれば追い出してきた。関係者は「中国人が根を張ると女性や子供が安心して歩けなくなる。それを防ぐためのパトロールだ」と話す。小倉の盛り場を歩いても、確かにその手の店は見当たらない。この間、中国人経営のスナックが放火されるなどの事件が相次いだ。
(asahi.com 2009年10月18日)

こんな話題が新聞の一面記事になってしまう街に住みたいと思える?
記事を読む限り、小倉の街は裏社会ですらトレンドに乗っていないようだ。
そして、西日本一の規模の警察署があるにもかかわらず、こんな記事が載ってしまう。
(とは言っても、僕は東京の方がはるかに怖い街だと思う。)

それでも、僕はこの日記で小倉のことを書き続ける。
その理由は簡単で、他に書く題材が乏しいからだ。
それに、嫌いではないのだ。
僕はまだ住むには至っていない、というだけなのだ。

確かに地方間情報格差は以前より小さくなった。
だからこそ、僕は遠く離れた場所から小倉の今を知ることができる。
魚町銀天街の切れ目を屋根でつなぐ事業が進んでいることだって、ウェブで知ることができるのだ。
昔思い描いていた未来と、全く逆の状態だけど。

2010年の初詣で引いたおみくじの運勢は、「中吉」でした。

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2010-01-01 Fri.

曇天の続き

2010-01-01

大晦日は、「アタック25」で11年ぶりに達成されたパーフェクトゲームを再視聴した。
2009年の重大ニュースに、

  • 児玉清、突然髭を生やし、すぐに剃る。

というのがあったことを思い出した。

結局、「紅白歌合戦」はほとんど見なかった。
夜は、そばがうまかったことしか記憶にない。

2010年。

新しい年を機に、この日記にタイトルをつけることにした。
その名は、「曇天の続き」(どんてんのつづき)。

タイトルは、出身地である小倉にちなんだものにしようと思った。
「小倉」といって思い出すキーワードをいろいろ絞り出してみたのだが、結局「曇り空」と「橋梁」しか思いつかなかった。
小倉にこれ以上、橋は必要ないので、「曇り空」の方を取ることにした。

僕の母親は、父親と結婚してから小倉に住むようになった。
結婚当初、この日本海特有かつ工場地帯特有のどんよりたれ込めた灰色の空を毎日見続けて、「とんでもないところに来た」と思い知り、かなり気が滅入ったそうだ。
僕は生まれたころから暗い空のもとで生活していたが、その気持ちはわからなくもない。

今のところ、僕はあの曇天から解放されている。
この見上げた空の続きに、あの曇天が今でも広がっているのだろう。

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