自活
「ドラえもん」の「森は生きている」の回を見て、「これはまさに、「洞窟おじさん」への一歩手前だな」という、30年ぶりの発見をする。
「ドラえもん」の「森は生きている」の回を見て、「これはまさに、「洞窟おじさん」への一歩手前だな」という、30年ぶりの発見をする。
練習が苦手である。
僕が練習するのは、本番で恥をかきたくない、ただ一心からである。
それが強いモチベーションとなり、苦行に耐えられる。
本番で恥をさらしても何ら気にならない、あるいは時間をやり過ごせばその場は耐えられる、とわかったら、練習はしない。
本番で失敗をすると礼を失する、という場合なら、練習して、迷惑をかけないようにはする。
練習を楽しむことができない。
「苦手なものを克服してやろう」ということに、楽しさを見いだせない。
できない状態から、できる状態になるための練習は、何も楽しくない。
練習を始めても身が入らないから、全く上達しない。
何かのはずみで少しの上達したとしても、その上達が維持できないこともつらい。
その段階で上級者が打ちのめされると、モチベーションは一気に失われる。
だから、だと思うが、僕は楽器が一切できない。
楽器を使いこなせるまでの膨大な時間を思うと、楽器を演奏できる喜びへの想像は無力のままかき消される。
不得手なことに取り組み、我が物とすることを実直に続けている人を、僕はただただ尊敬する。
その一方で、自分が得意とすること、例えば「甘栗の皮むき」など、いったい練習のフェーズがあったのだろうか。
もしかしたら、天賦の才だったのだろうか。
さて、議員でなくなった男を、まだ必要とするだろうか。
「寄付金、何円集まったと思う?」というボケは、一応先週から用意していた。
合理的に考えて、寄付金よりも視聴率だなと思う。
何と言っても、TV局ですから。
ビットコインで募ってもよかったけど、スポンサーがある。
いずれにせよ今回のアサインは、TV局とタレント、双方とも幸運であった。
個人的には、ヒロミさんのリフォームが、しっかり見ることはできなかったけど、きっと見ごたえがあったと思う。
僕は、古いタイプの視聴者ですから。
駅での会話を聞いた。
「去年は高畑淳子の息子が事件起こして、出られなくなったじゃん。だから、手越はないと思うんだ。宮迫もありえなくない? 小山君かなー」
僕も、この女子高生と同じ年のころであれば、同じようにメディアを楽しんでいたのかもしれない。
もちろん、あざとさやドタバタを含めて。
それでも、人前で話題にするようなことをしたかは、疑問である。
僕の予想は、千眼美子。
なんだか、寄付が集まりそうじゃないか。
あるいは、原裕美子。
走る理由がありそうじゃないか。
ボケもこれくらいしか出てこない。
思い返せば、これまでのマラソンランナーなんて、間寛平など一部を除けば、大したことないメンツだったではないか(ちゃんと「一部を除けば」と言っている)。
僕はもうほとんど興味がないのでいいのだが、一部は「もうマラソンやめれば」と言っている割に視聴率とっているのが現実だ。
続けられるだけ続ければいい、犠牲者にならないように逃げ回ればいい、志願者だっているのだろうから。
でも、見てしまう。
どんだけみっともない発表になるのか、その醜態を見たいのだ。
子供のころは、「24時間テレビ」でローカルパートに入るのがとても残念に感じていたのだが、今となってはローカルパートが見られなくなったこと自体が残念である。
「札幌担当は、伊奈かっぺいか」みたいなおもしろさが、よかったのだ。
エンディングでマラソンはゴールしていてほしくて、各放送局のリレーを10分くらいかけて大写しで見たい。
途中、羽鳥慎一の「発表は1時間後」という心あるアナウンスのおかげで、安心してチャンネルを変える。
そうは言っても、今日は他に見たい番組が一切ない。
TV界全体で勝負を捨てているのか、それともこの勝負球が僕に刺さってこないのか。
録画した番組を見て、日本テレビに戻ると、それはそうだろうという結末。
これまでのハイライトは、坂本氏の奥さんが中学時代の修学旅行のバスガイドであったこと、当日発表案を坂本氏になすりつけたこと、そして広末涼子の突然の登場である。
最終的には、TBSに移り、松山千春の歌を聴く。
この心意気に対し、映像を撮影し、しかも映像をメディアに提供するような、品のない人間には決してなりたくない。
今日は、休暇である。
「邦楽ジョッキー」は、中村隼人がDJになってから初めての聴収。
ゲストは、福澤朗。
「旅ラジ!」は、鳥取県出身の松本若菜が出演。
恥ずかしながら、松本若菜を認識したのは、これが初めて。
「相棒」に、甲斐亨の同期という役で2話に出演していたが、名前を憶えていなかった。
「私じゃなくてもできる仕事ではないか」と悩んでいたそうだが、それが芸能界である。
とっとりふるさと大使という居場所を守り、次のチャンスに備えなければならない。
「歌謡スクランブル」は、「プレイバック・昭和主題歌集」。
たまらないプレイリストである。
「ぼくの先生はフィーバー -1978オリジナルバージョン-」を聴き、橋本淳の詞に、身がくたくたになる。
「こんな先生になりたい」ではなく「こんな先生がいたらいいな」と思うのだが、そこに自身の成長を感じる。
このような先生は周囲の印象が作り上げるものであり、決して自分からなれるものではない。
勘違いは禁物である。
ちなみに、ウィキペディアによると、原田潤は、2008年にラゾーナ川崎で行われた水谷豊「TIME CAPSULE」発売記念イベントに招待されていた。
僕もそのイベントを見に行っていた。
以上は、NHK FMの聴収記録である。
15時くらいから、スーパーで買ってきた「いかのおすし」でビールを飲む。
月曜に放送された「ノーナレ」を視聴。
タイトルは、「元ヤクザ うどん店はじめます」。
京町銀天街の勝山会館に店ができている模様。
うまくて、リーズナブルな価格で、(小倉であることを考慮した上)接客が悪くなければ、僕はいいと思う。
番組にする心意気を評価したいのだが、制作局が福岡放送局だったことにモヤモヤ。
モザイクだらけでも、あの銀行がどこか、わかるような気がしないでもない。
夏の終わりの、たった1日の夏休みは、不毛に過ぎた。
テレビ東京の新しい社屋を見に行こう、と思い立つ。
たどり着いたのは六本木一丁目駅である。
そういえば、身近な誰かが南北線のすばらしさを熱弁していたのだが、誰が言っていたのか、どこを称賛していたのか、全く覚えていない。
僕の南北線の印象は、フルスクリーンドアに挫折し、8両編成に挫折し、乗り場屋出口を目指し通路を進むも地上だとどの辺を歩いているのか、という疑問が解明できず、時々遺跡にぶつかり、あの駅のどこが大学前なのだ、と憤る、埼玉と城南を結ぶ路線である。
いや、シールド工法はすごいのだけど。
新社屋は六本木グランドタワー内にある。
賃貸であることが素晴らしい。
テレ東本舗を観察し、ナナナのノートを買う。
最近は、クリアファイルに加えて、A5ノートを収集するのが趣味である。
謎のコンビニエンスストア、リーベンハウスを確認。
入居者はきっと、メジャーコンビニを熱望しているだろう。
地上に出て、泉ガーデンタワーのエレベータを確認し、麻布通りを歩く。
港区は坂の街である。
鉄道で移動している生活者、およびこの辺には全く縁のない人、つまり僕のことだが、この高低差を見るだけで心が砕ける。
ましてや、都心環状線が道路にめり込んでいるところを見ると、力が抜ける。
東洋英和の方に抜けると、スヌーピーミュージアムがあった。
入り口だけうかがうものの、ストアに入るにも入場料が必要とのこと。
貧乏人は別の機会を設けることにする。
鳥居坂を下る。
季節は夏の終わりに差しかかっている…。
もしかして、麻布十番祭りの時期ではないか!
僕の生活に度重なりフェイドインしてくるものども、その代表がスガシカオと麻布十番祭りである。
どちらも、特にラジオを聴いていると、するっとその名前が入ってくる。
どちらも、よく働いている証拠だろう。
それはともかく、名前だけ聞くが絶対に行くことはないのが、麻布十番祭りである。
もしかしたら、今日やっているのではないか、ついに麻布十番祭りデビューか…。
麻布十番祭りは来週だった。
そもそも、僕が最も嫌いな概念の1つが「祭り」であった。
誰でもいいから…、浴衣の似合う妙齢の女性なら誰でもいいから、麻布十番祭りに誘ってくれないだろうか。
かき氷くらいなら、選ぶという行為を積極的に楽しみ、食べる。
それくらいのことがないと、僕は麻布十番祭りというものを知らないまま、死ぬ。
コロッケの劇場を確認した後、昼食。
4年前に訪れた久留米ラーメンの店を再訪。
きくらげが入っていない、という以外は極めて普通の久留米ラーメンであるが、東京で普通の久留米ラーメンを食べるのも困難であるのが、実態である。
壁には、有名人のサインが並べて貼られている。
サインを探すけれど、見つからない。
フミヤはいいんだよ、探しているのは田中麗奈のサインである。
きっと来ているけれど、食事中にサインを求めるなど、下劣な店員がここにはいないのだろう。
また、高低差である。
断崖に備え付けられた階段を上り進むと、オーストラリア大使館。
少し歩いたところにある建物が何なのかわからなかったが、地図によると「旧社会保険庁」とあり、また闇を感じる。
イタリア大使館をねたむように見て、坂を下り、慶応大学のオフィシャルショップを冷やかす。
名刺入れを買い換えたいと思っていて、ちょうど印伝の名刺入れが売っていたが、慶応のマークが散りばめられている名刺入れを持つのも、気が引ける。
キャンパス内の「福沢諭吉旧居跡」を見てみたかったが、中津の旧居跡に行ったことがあるし、まあいいか。
雨が降り続く夏である。
周囲からは、「1993年の米騒動」の話題が出ている。
高校時代の夏は、1年目が冷夏、2年目が水不足、3年目が不安、という印象に尽きる。
落ち着きのない3年間だった。
1993年の夏は雨が続き、気温も上がらず、米が不作だった。
国産米が手に入りにくくなり、タイ米を輸入したものの、国民はうるち米とは違う味に慣れず、さほど消費されなかった。
僕の記憶だと、心ある人たちが消費されないタイ米を東南アジアの国に無償で送った、というニュースが流れていた。
心ある人たちは満足そうだった。
家では、うるち米を確保していたように記憶する。
確か、長年の付き合いのある米屋から、なじみのよしみということで、優先的に売ってもらっていたのだと思う。
その時は「人とのつながりはやっぱり大事だな」と思っていたが、今の僕は、もっとよいやり方があったはずだと考えている。
城南電機の宮地社長が独自に米を売ることで世に出てきたように、米の流通経路において不要な制約があったのだ。
市場原理に任せて流通を維持するのが望ましかったが、(たった20年前のことだが)あの頃は市場が成熟していなかったのだ。
やっぱり、武田玲奈と武田梨奈を間違えていたのか、と気づき、記憶を修正する。
時折、藤井美菜と藤井リナさえ間違えることがあり、これは一方に失礼である。
休日、朝。
列車の中で、コントに出てきそうな「御朱印帳の女性」2人組に出くわす。
思いついたら京都や奈良なんか行っちゃって、「私が行くときはいつも三十三間堂が空いてて」らしくて、自分の顔と同じ像を探しているのだという。
お互いの見解を交互に出し続け、話は何も積み上がらないし、御朱印帳は開いて左から押し始めていた。
スタンプラリー化した御朱印集めに、神社仏閣側が現在どう対応しているのかは気になるが(彼らは経済論理に即した行動には柔軟である)、それを除けば、こういうことはどんどん盛り上がってほしいと思う。
楽しいのが一番だし、そこにむなしさがつけ込んでくる隙を与えてはならないし、批評もいらない。
コーヒーショップでは、ヤクルトファンの女性2人組が朝から話していた。
話の内容は忘れてしまったが、前日の試合をスマートフォンで1球ずつ確認しながら盛り上がっていた。
紙には表裏がある。
トイレットペーパーには、シングルとダブルがある。
ダブルは、表を外側にして重ねてあるので、巻いてある外側でも内側でも表である。
一方シングルは、ロールの外側が内側のどちらかが表面である。
一般的には、ロールの外側が表面である。
僕はトイレットペーパーを、手を外巻きに回して巻き取って、切り取ってきた。
そうすると、ペーパーの外側は紙の裏側になる。
なので、今後は紙の表を意識して、手を内巻きに回してペーパーを取らなければならない。
トイレでの作法は、飛行機の搭乗方法以上に、誰も教えてくれない。
報道によると、小倉と田川を結ぶ快速の西鉄バス路線の廃止が決まったようだ。
芳本美代子も乗った路線である。
昔、この路線を走っていたバスの種別は急行と普通だった。
僕は1度、祖母に頼み込んで一緒に普通に乗り、バス停を1つ1つ確認した。
それが、特急と快速になり、快速だけになり、祖父母が田川を離れ、バスには乗らなくなった。
元々、祖父母の家に行く時に用いる公共交通機関は、日田彦山線がほとんどだった。
だから、このバス路線にはおそらく25年は乗っていないのではないだろうか。
だから、懐古趣味的に存続を望むとしても、実態を考えると「不必要」となってもやむなしかと思う。
それでも、残念ではあるけど。
まだわからないのが、佐藤正午による「ポケモンGO」を用いた表現が、本気なのかどうかである。
本気なら「今?」だし、何かを狙っているのなら「なぜそれで?」である。
言及通り、「国民栄誉賞」とはいかなかったが、「内閣総理大臣顕彰」は納得である。
関西国際空港株式会社が並んでいていいものだろうか。
高校時代に学校から買わされた…、親の金で買った「ラーナーズ プログレッシブ英和辞典」(小学館)を20年以上使っている。
気分転換するためにそろそろ新たなものに更新しようかな、とも思うが、機会もなくこの辞書を引き続けてる。
先日、「mow」という単語が出てきて、周囲の文章から「(草を)刈る」という意味かと類推できたのだが、その日は自律神経の失調要因も機嫌が悪かったのか、すこぶる気分がよかったので、辞書を引いてみることにした。
すると、辞書のP982に「mow」は載っているのだが、これがおかしい。
単語を出ている順に並べると、
movie house [theater]
moving picture
mow
moving sidewalk
moving staircase
mow
と、先に出て来るmowの位置が間違っており、3つ先の適切な位置に改めてmowが出現しているのだ。
しかも、先に出てくるmowには、自動詞の用法の記載が欠落している。
手元にある辞書の誤りに、20年以上気づかなかった。
早速高校の恩師に、「学校指定の辞書に、原稿誤りがありました」と連絡し、学校の「無謬性」を刺激したいところだが、連絡先も知らないし、そもそも「高校の英語教師に恩師なんていたか」という原始的な理由に思い当たる。
きっと、感謝知らずなだけだ。
先日の小倉往復でスターフライヤーを利用したが、そのスターフライヤーから電子メールが届き、「九州北部豪雨の被災地支援を目的としたマイル寄付を受け付ける」ということなので、早速保有マイルすべてを寄付した(7月31日に受付終了)。
マイルを引き換えることができるほど利用しない僕にとって、とても素晴らしい使い道を用意していただいた。
やはり、本物は違うのだ。
さて、CLUB Panasonicのエンジョイポイントが60,000ポイントあるのだが、その有効活用法を知らない。
マクドナルドでSuicaによる支払いができるようになった。
自分の生活で、チェーン店で支払いがキャッシュレスではないのは、主に吉野家とスターバックスコーヒー、ベローチェ、カフェ・ド・クリエぐらいとなった。
大学時代の同級生の根拠ある予測から十数年、彼の言う通り、現金のやり取りが少なくなり、通貨にIDが付くようになった。
たとえば、直近のある平均的な1か月の支出を見てみると、現金での支払いはおよそ20,000円である。
…いや、思ったより現金で払っている。
散髪と飲み会の精算は現金だし、あとは昼食の半分ほどをSuicaが導入されていない飲食店で済ませるので、そのくらいは現金を使っている。
小口決済の大半はSuicaかnanaco、大口決済と公共料金はクレジットカードか銀行振り込みで支払う。
そして、毎月、目を覆いたくなる精算額をカード会社に支払っている。
もちろん、税金は、払うという行動の前に徴収されている。