曇天の続き

Diary > 2024 > 01 | Calendar | RSS 1.0
2024-01-27 Sat.

相対

2024-01-27

落ち着いてきた。

2023年、「ガキの使い」で「原西ギャグストラックアウト」をやってくれた時、見ている自分が暖かい気持ちになった。
そういった面がある一方で、というのもわかっていて、やはりサプライズはない展開だ。

ただただ、浜ちゃんの負担が心配になる。
年末、ロケ中に浜ちゃんが街行く人に言い返した、というシーンがあって、「まだそんなことをやっているのか、変わらないな」と思った。
こちらは少しホッとするというか、感心というか、芸のすごみすらうかがえた。
三枝に立ち向かっていった、若い浜ちゃんのままだ。

もう一方にも「まだそんなことを」と思うのは同じだが、それを自分から進んで露呈していたところもあった。
「変えろ」とまでは言わないけれど、年齢とともに気もちを封じ込めることができなかったのかとも思う。
残念、に尽きるが、自分はもう次のフェーズに進んでしまっている。
あと、若井おさむが気になる。

Link
2024-01-20 Sat.

専横

2024-01-20

先週日曜の行動記録を残す。

予習として、「あ・UNの呼吸」(パクリ社)を読む。
この本は、ナガリ書店のカウンターに1冊だけあったのを偶然見かけて、その場で買ったものだ。
本には、日本武道館で行われた「南原清隆生誕28周年記念祭」の模様が書かれてある。
この催しは当然、出川哲朗生誕29周年にも掛かっていた。
後に大学の入学式で日本武道館に行くことになるのだが、その時「ここで長女隊が歌ったんだよな」と感慨に浸ったのは、きっと僕だけだと思う。

当日。
まずは、用事があり、神田に向かう。
用を済ませた後、コーヒーショップで時間をつぶしつつ、「ナインティナインのオールナイトニッポン」を聴く。
能登の地震後初の放送だが、通常放送。
いつものようにすることがとても難しく、とても必要であることを改めて思う。
うえのぼうくんのほくろが下がる、りっさ戻る、10番はモミアナ、ひがしをあずま、せこちんほくろを取る、そして健介アキレス腱断裂。

神田から新横浜に向かう経路探索をすると、いくつもの候補が上がってくる。
東急新横浜線ができた効果のようで、「銀座線で溜池山王から南北線乗り換えで目黒線直通の新横浜」というのも出てくる。
「品川から横須賀線で武蔵小杉乗り換え」というのもある。
要するに、遠いということだ。

昼は、最近話題の「ちゃん系ラーメン」。
しょうゆ味で、味が濃くて、あっさりしていて、透明な油が浮いている、という特徴。
ただし、味は店によるらしい。

京浜東北線で品川に向かい、京急と迷ったが時間の都合上東海道線を選び、横浜へ向かう。
マルイシティのポップアップストアに行くためだ。
移動途中から、「土田晃之 日曜日のへそ」を聞く。
横浜アリーナの楽屋からの生放送で、ダチョウ倶楽部、三四郎、狩野英孝が出演。

横浜駅では出る改札を間違えたらしく、大きく迂回して地下街にたどり着く。
ポップアップストアはグッズ購入者が並んでいて、店内には入れない。
出川さんの活動年表が掲示されているようだが、外からだとよく見えなかった。
本当なら、12月28日に行く予定だったのに、体調が悪くて断念し、残念。
時間があるので、マルイ店内やそごう店内を歩き、欲しいものがないかチェックする。

横浜線直通電車の時刻を調べ、電車に乗る。
2023年に放送された「出川哲朗のオールナイトニッポン」の録音を聞く。
そして、15時過ぎに、新横浜駅に到着。

プリンスペペの中を抜けて、横浜アリーナへと続く歩道橋へ。
開場の前に、10人ほどの幅のある行列が折り重なるようにできている。
驚くべき光景で、もう早くも目頭が熱くなる。
聞いていた「出川哲朗のオールナイトニッポン」がちょうどエンディングを迎えていて、「がんばっていれば、きっと誰かが見ている」と30年前から変わらないことを言う。
僕は、本当に30年前に放送を聞いていたのだ。
何も変わっていない、世間が変わっているだけであることに、戸惑いすら覚える。

慣れない大イベント会場に、トイレに行くことすら苦労する。
ぐるっと回って、予約したアリーナ席に到達。
先行予約の翌朝に取ったのだが、センター席ではなかった。
ステージを取り囲む、大勢の観客。
横浜スタジアムの野球大会に思いを馳せ、場所が崎陽軒の宴会会場じゃなくてよかったと思う。
後でわかるのだが、自分の左隣の2席が空いていて、何かの事情があって来られなかったようで残念に思う。

15時30分、開演。
内容は、イベントレポートに譲る。
とにかく、全部見てしまったのではないか、という気がしてならない。
ホリケンの圧倒的な開会宣言、はっぱ隊、大喜利の解答スピード、白い雲のように、日比谷線vs銀座線にCHAKE and YASKA。
めくるめくスペクタクル、1992年以来の腹からの大笑い、これ以上何を望むだろうか。
幕間の「出川哲朗物語」が豪華で、映像の詳細をずっと忘れずにいられたらな、と心底思った。
中学高校のころ同じようにTVを見、ラジオを聴いていただろうバカリズムの司会を見ていると、時間の経過とともに、ずっと走り続けている3人+あんちゃん+入江さんに感謝しかない…、と思ったが、どこかで升野さんは「オールナイトニッポン」を聞いていなくて、「未・知・子」を読んで映画学校に入ったという話をしていた。
僕も、田川の祖父の家で年末特番を聞こうとして、KBCの電波を拾えず怒りを覚えた記憶がある。
そして、出川さんのパワフルな熱唱。
忘れてしまいそうなのだが、これは出川さんの還暦祝いで、前日23時まで電動バイクロケをやっていたという話だ。
それが横浜アリーナを練り歩きながら歌い、マイクパフォーマンスまで見せている。
まさにプロフェッショナル。
ずっと泣いてしたし、もう「出棺」でもいい。

19時終演。
大会場は出るのも大変で、2回の出口から出る直前で「お味噌汁なくなりました」との声を聴き、正面出口に回ることになった。
それでも新横浜駅に19時30分ごろに着いた。
東京に行く予定があり、思い切って新幹線に乗る。
乗車券を買うのが面倒だったが、N700Sに初めて乗れてよかった。
「SUNDAY NIGHT DREAMER」を聞き、おでんのくだりのアイコンタクトによる連携プレイに感激する。

帰宅して、牛タン弁当を食べながら、昨日の「人生最高レストラン」を視聴。
ナンチャン回で、さっきまでの興奮が再燃する。
そのあと、MBSの坂田利夫追悼特番。

次の日の「ZIP」を見ていると、自分が小さく映っていたような感じ。

そして、火曜に「出川哲朗のオールナイトニッポン」。
途中から何度か「押している」との発言があったものの、予定通りに終わっていたことが衝撃である。
「巻いた」ような感じが一切しなかったので、この点もプロフェッショナルである。
やはり、出川さんはダンス☆マンが元ジャドーズであることを知らなかった。
赤い粉の主成分をジモンさんが心配していたそうだ。

Link
2024-01-14 Sun.

貫哲

2024-01-14

ひとまず、マスメディアにあまり載らなそうな情報を。

  • 全キー局から花が出ていて、チャンネル順に並ぶ。安岡喜郎さんからの花もあった。
  • 辻カメラマン、ハンディカメラを担当。
  • 出川哲朗物語、ナンチャンによるマセキ社長のモノマネを久しぶりに見た。再現ドラマ中にウンナン2人のやり取りがあったことに、感激。

「ビートたけし」さんからビデオコメントがあって、「今度、俺も充電バイクに乗せてくれ」とのこと。
「たけしさんがバイク」というネタが観客のほとんどに伝わっていなかったことを、松村さんにお伝えしたい。

Link
2024-01-13 Sat.

酔正

2024-01-13

「2023年を振り返ろう」と、何度か日誌を読み返した。
いや、日誌を見ても、記憶が蘇らなくなってしまったので、1年を振り返るのはもうやめたのだった。
せめて、年の後半を振り返ることにした。
7月、8月、9月…、と読み進めていくと、10月を読み直すころには、すでに読み返した7月のことを忘れてしまっている。
12月までたどり着くと、「はて、今年の後半は結局何があったのだろう」と、途方に暮れる。
瞬間的な記憶はもうできなくなっているし、もちろん過去のことを思い出すこともほとんどできない。
何度もこすった同じ話、同じ考えだけが再生され、周囲に疎まれる。

さらに、年末は余裕があったのに、体調不良で寝込んでしまい、振り返る時間も気力も失った。
長いスパンを振り返るのはもうやめて、この年末年始の動きを記録しておこう。

まず、2023年12月25日から鼻水が出始めた。
久しぶりにマスクをして外出し、用事を済ませた。
26日に百貨店に行って、ワインを買ってきた。
27日の午前でようやく用事が終わり、帰路で交通トラブルに巻き込まれ、夕方に帰宅し、そのまま寝込んだ。
28日は、1日中寝ていた。

29日、熱が下がり、何とか起き上がった。
滞っていた執務を処理し、病臥中に連絡のあった人たちに失礼を詫びた。
「徹子の部屋」タモリさん出演回を視聴。
自宅から15分ほど歩いたところにある酒屋に行き、正月用の日本酒と芋焼酎を購入し、店員に年末の挨拶をした。
スーパーにも行き、正月用の食材を物色した。
例年、食材のリストを作り、そこから厳選して購入しようと試み、結局リストに書いたもの全部を買う、という愚行を繰り返してきた。
この年末は、物価高騰もあるし、自制心を働かせようと思い、買い物を控えた。
帰ってから、恒例行事である、HDDレコーダーの録画番組の消化に取り組んだ。
2012年の年末にチバテレビで再放送していた「世にも奇妙な物語」をまだ見ておらず、少し進める。
錦織一清、千堂あきほ、浅香唯が出演していた回。
途中に、その当時の高校サッカーのCMが挟まれる。
「高校サッカー応援マネージャーに外れなし」というのが僕の持論だが、この頃に1度法則が怪しくなったかもしれない。
大野いとは中間出身で、「おっぱいバレー」のロケを見に行っているときにホリプロからスカウトされたそうだから、そんな人生もあるものだなという感慨もある。
夜は、久しぶりにビールを飲んで、「ファミリーヒストリー」草刈正雄回を見た。
「まさかの一丁目一番地」を見たかったが、寝てしまった。

30日は、9時過ぎに起床。
10時から、出川さんの草野球番組。
この番組を3回連続リアルタイムで見ている家庭が、他にあるだろうか。
昼過ぎに、今年の出納帳を締める。
今年も何とか逃げ切った感じ。
また、「世にも奇妙な物語」を見る。
永島敏行、南野陽子、柴俊夫の出演回。
夕食は、実家から送付された、華味鳥のもつ鍋。
レコード大賞は、imase「NIGHT DANCER」がよくて、大賞はMrs. GREEN APPLE「ケセラセラ」。

31日は、5時過ぎに起床。
また、「世にも奇妙な物語」を見る。
佐藤B作、畠田理恵、木内みどりが出演していた回。
畠田理恵のかわいさに目が覚め、将棋でも始めようかと思う。
10時から、フジテレビの「ジェラシックトーク」。
いかにも年末年始らしい番組名で思わず見てしまったが、藤田ニコル、神田愛花、ROLAND、さらば森田が出演し、活躍を嫉妬されるという番組で、見ごたえがあった。
昼前に出かけて、この年63回目のドトールで、軽く1年を振り返る。
坂田師匠が亡くなり、我々はまた目標と笑顔を失う。
食材の買い物をダメ押しして、帰宅。
4Kで始めて視聴する「紅白歌合戦」は、「アイドル」の出演者総出のダンスがよくて、これがあるからこそ「紅白」ではないかと思う。
何が売れている歌なのかがわからないので、「紅白」は本当に助かるし、逆に曲をこの日まで聞かないで生きてきた自分は、どうやって生きてきたのだろうと不思議に思う。
相変わらず、終盤は「九州歌合戦」。
文句なしで、紅組優勝。
今年は、冷たいそば。
「酒場放浪記」で、国道駅の酒場や京成立石の酒場の初期回を見て、ギラギラ感がよみがえる。

2024年元日。
10時ごろ起きて、2年連続のPAO~Nおせち。
年末に買った、大納川 天花 純米吟醸 初しぼりを飲み干す。
新聞に、中川家礼二とナイツ塙の対談が載っていて、それを支えるのが創価学会の広告。
茅乃舎だしで作った雑煮を食べ、眠っていると、夕方に地震で目が覚める。
番組が全部切り替わる。
テレビ東京が復帰して、「充電旅」を途中から視聴。
「相棒」が放送されていることを確認した後、TVerで「華丸・大吉 今年はなんしよったと」を視聴。
2023年福岡重大ニュースのTOP3は、太宰府天満宮本殿改修、七隈線延伸、そして天神ビッグバンだそう。
特に天神の建て替わりは進んでいて、「それならもう愛眼ビルしかわからんちゃないと」と言ったら、同じ発言が番組で出てきた。
その愛眼ビルですら、僕が思い浮かべるそれとは異なる。
「やきとりはタレか塩か」に結論を出そうとしてくれて、豚バラは間違いなく塩だが、とり皮は本当に悩む。
最後に、寿一実さんが亡くなっていたことを、この番組で知る。
正直に言うと、見ていた時は何の人なのかよくわかっていなかったのだが、最後になってしまったが、わかってよかった。

2日。
午後から散歩に出て、自宅の窓から見える謎の光の正体を見極めようとしたが、よくわからなかった。
パチンコ屋が開いていて、ラーメン屋に40人ほどの行列ができていて、ドラッグストアで足りない食材を買った。
「ツッコミ総会」を見たり、「さんまのまんま」を見たりしていたら、羽田空港の飛行機衝突の映像が入ってくる。
この日は、するめをあぶって、焼酎を飲む。

3日は、10時ごろ起床。
読書、ゲームの後、「東西寄席」を見ていると、鳥町食道街で火災発生のニュース。
散歩をして、近所の神社に1年のお礼とこれからの願掛け。
夜は、「さんま・玉緒かなえたろか」を見て、三笠中学校における、さんまさんの活躍を見る。

4日は、酒の抜けないまま所用。
左脚のしびれが1日中続いた。
5日は、左の鼻から液体が出て止まらなかった。
この日、前年末の「PAO~N」を聞き終える。
PAO~Nニュース選定委員会が選ぶ「2023年喜怒哀楽ニュース100」の第3位に「ジャニーズ問題」が入る。
TV関係者で、この問題について真正面から追求できる権利のある数少ない1人が、沢田幸二さんであろう。
備忘のために記すが、第1位は「ウルトラマラソン 第3位のランナー 車に乗っていた」。

6日は、30日にKBCラジオで放送した「復活!PAO~Nぼくらラジオ異星人」を聞く。
僕は、深夜放送の「PAO~N」にギリギリ間に合わず、ラテ欄で「変な番組があるな」と思うにとどまっていた。
復活版を聞いたことで、僕が聞いていた後番組が「PAO~N」のテイストをそのまま引き継いていたことを思い知らされ、自分の数少ない「輝かしい思い出」が少し遠くなった。
悲しいかな、「KBC-INPAX」世代である。
番組内の箱番組、特に深瀬智聖のものまねの完成度が高かった。
「アフタヌーンスロープ 沢田幸二のイケイケドンドン」で沢田アナのおもしろさを知り、今の昼PAO~Nまで聞いているのだから、もうそれはそれは偉大な存在である。
夜は、三船敏郎、淡路恵子が出演する「男はつらいよ 知床慕情」。
竹下景子の登板スパンの短さが、時を超えて心配になってしまった。
明日のために早く寝ようとも、このまま起きていようとも試みたが、やっぱり寝た。

7日は、前日夜に放送された「ICEのオールナイトニッポン0」を聞く。
「2時間の放送なんて大丈夫だろうか」と心配だったけど、聞き始めると心配よりもありがたさが勝ってしまい、瞬く間の2時間だった。
国岡さんの話を聞いていると、何も特別なことはなく「この間の続き」という気になるのが不思議だ。
体調が少し悪くて、昼寝。
夜は、「光る君へ」をがっつり見てしまうが、肝心なところでトイレに行ってしまい、戻るとちゅらさんの出演が終わっていた。
中村メイコが亡くなった。

8日は、9時ごろ起床。
この日の10時に振替放送された「紅白お正月スペシャル」を見る。
小芝風花、井上咲楽、生田絵梨花のように、いつも笑顔をたたえるようにしたい、と2024年の抱負を押し付ける。
近所のショッピングモールに行き、お笑いタレントの無料ライブを観覧し、食事。
帰宅して、放送振替に対応しきれず録画ができなかった「タモリ鶴瓶正月特番」をNHKプラスで視聴。
サイドステップで芸能界入り、同期はピンクレディー、久米明のものまねが不発に終わり、鶴瓶は早いうちから「家族」で食いしのいでいた。
夜は、こちらも振替放送の「ドリーム東西」。
この時は、活動休止を知らなかった。

正月前に缶ビールが3ケースあったはずなのだが、ほとんど残っていない。
きつい思いをして年末に買ったワインは、結局まだ空けていない。

真っ黒な12月のカレンダーを眺め、楽しみにしていた年末が通り過ぎてしまい、年が明けた気がしない。
2024年の心がけをまだ書き切れていないまま、もう1/24年が経過しようとしている。
今年も何も成せそうにない。
せめて、今から「ブキウギ」を見始めよう。

Link
2024-01-11 Thu.

空砲

2024-01-11

どうする、和田。
いや、KBC和田侑也アナウンサーのことである。
これでは板挟みではないか。

どうする、山川。
いや、山川豊のことである。
肺がん治療に専念されるとのことで、静かに待っていたい。

…というネタまでたどり着いた1日だった。
周囲に当たり散らして過ごしたこの1日こそ、金銭補償ものだ。

本当に引退するんじゃないか、とまで考える1日だった。
ひとまず、最悪の最悪は回避できた、と言えようか。

間違ったり、受け売りだったりする一方で、大事なことに気付かなかったり。
報道の機能を果たしているのだろうか、という気持ちで1日が終わる。

Link
2024-01-09 Tue.

坊主

2024-01-09

ひとまず、ダンチョネ。

僕は、真実にはあまり興味がない、というより、真実を知ることをあきらめている。
結局、真実はその直近にいる当事者、関係者にしかわからないものだ。

僕が興味をひかれるのは、目に見える風景であり、「天秤」である。
一方に傾いていたものが、あるきっかけで逆に傾く。
それで、趨勢が大きく変化する。
漏れ聞こえてくる、真偽も不確かな情報ではあるが、それこそが状況を形成していく。
目の前で起こっていることが、部外者にとっての事実である。

よくわかっていない現時点において、僕が思っていることを記録しておこう。
今後、何かの役に立つかもしれない。

2024年1月6日の夜。
珍しく夜更かしする機会を得、ICEの映像や川本真琴の映像やたけしさんのフライデー襲撃事件後の記者会見の映像などを見ていた。
その時に記したメモに「まっちゃん審査員3連単」とあるのを、次の日の昼に気付いた。
何のことかわからない。

1月9日の時点で思っていることは、2つ。

1つは、ある記録である。
それは、「同一司会者による深夜番組の最長記録」だ。

今のところ、「タモリ倶楽部」が40年6か月の記録を持っている、と僕は考えている。
30代から番組を始めて、77歳まで深夜番組を続けてようやく到達した、とんでもない記録である。
現代のTVにおいて、深夜番組を安定的に継続できることは考え難く、今後記録を破れる番組が出て来る可能性は低い。
「この記録を破れそうな見込みのある番組は」と2023年4月に考えて、数少ない希少な番組として思い至ったのが「ガキの使い」だ。
「ガキ」であれば現実的に手が届きそうだ、と考えていた。
これからも番組は続くだろうし、「浜ちゃんが連続記録を維持してくれる」という言い方も確かにできるだろう。
しかしながら、松っちゃんが当初から企画にも入っていることを考えると、松本人志あっての番組と言う面もあり、もしかしたら「番組の形態が変化した」ととらえてしまうかもしれない。
このことは、率直に言って、とても残念である。

次点は何だろう、と考え、大阪の番組の知識が足りず他にもあるのかもしれないが、「明石家電視台」が続くだろうか。
と思ったが、確か放送時間帯が土曜昼に移っており、深夜番組から外れてしまった。
そうなると、次点はもしかして「HAMASHO」から続く「浜ちゃんが」になるかもしれない。
それでもまだ放送開始から30年も経過していない。

もう1つ思っていることは、あるタイトルである。
それは、「レギュラー番組の司会をしているコンビの、現時点での最年長」だ。

本人が言及していたが、とんねるずが番組をやめて以降、ダウンタウンが現役最年長となっていた。
このタイトルは、今回の件で暫定的に移ることになる。
次のタイトル保持者は、おそらく爆笑問題になるのだろう。
爆笑問題の次となると、さまぁ~ずだろうか。
もしかしたら、大阪でだれかやっているかもしれない。

いや、「ビーバップハイヒール」があった。
そもそも、リンゴさんの方がダウンタウンより年長だから、すでにタイトルホルダーなのではないか…。
と思ったが、「ビーバップハイヒール」はすでに終わっていた。

で、自分が書いた「まっちゃん審査員3連単」のメモについても解明された。
つまりは、「THE SECOND、キングオブコント、M-1の代替審査員を当てよう」という企画のメモである。
酒の勢いは恐ろしく、この時点で年単位の不在を想定していたようだ。

30分くらい考えた結果、THE SECONDは太田光、キングオブコントは設楽統が復帰、というのでどうだろうか。
実際のところ、THE SECONDは審査員ではないポジションであり、これなら太田さんが引き受けてもいいのではないか。
M-1が悩ましく、ダウンタウンから中川家までの間の漫才師が全くの空白であることがここまで尾を引くものかと、愕然とする。
敗者復活の審査員から繰り上げるという手でもいいか、という気にもなり、それならもういっそ小沢一敬でいいんじゃないか。
まあ、これだけ大きな興行の一枠を、芸能事務所が手放すとも思えず、自前でやりくりする可能性も高い。
30分しか考えていないし、勝手に考えていることだから、流してください。

僕も同世代の人たちと同様、お笑い第3世代の影響をどっぷり受けている。
いろいろ見聞きしてきたし、直視してきた事実もある。
そのような記録や発言を、今回のことをきっかけにしてまとめている人も多い。
僕も1つ、推薦図書を挙げておこう。
それは、「私がアイドルだった頃」(草思社)である。
時代の追体験をしたい人に加えて、矢部美穂ファンにもお勧めしたい。

以前聞いた、「人気商売はつらいよ」という、たけしさんの言葉に尽きる。
お笑い芸人は、見ていて笑えなくなったら、それで終わりだ。
「スキャンダルがない」と言っていた本人は、その意味するところがよくわかったうえで言っていたのだろう。
この件が、というわけでもないが、これまでお笑い芸人の「不祥事」と呼ばれるものが出てきても、「不祥事」の当事者に対する僕の印象は、発覚前とあまり変わらないことがほとんどだった。
ここで出すのも気が引けるくらいなのだが、数少ない大きなショックだったのは、キンコメの一件くらいだ。
小さいショックは、チュート徳井さん。
一方で、発覚して大きなショックを受けたものの、結局事実無根ということに落ち着いたケースもあったが、そちらは具体名を出さない。

「ツッコミ総会」で浜ちゃんが言っていた、「来年もやる」の言葉が、今となっては重い。
1月14日は「男・出川哲朗還暦祭り」の日であり、その日は朝から外出の予定。
40年にわたる僕のTVお笑い人生においての集大成の一つとなりそうなイベントの日に、控えめに言って水を差すような形になってしまう。
残念だけど、仕方がない。

Link
2024-01-06 Sat.

資見

2024-01-06

自分の身の回りのことを、いつものように自分で続ける。
優先される必要があるのなら、そちらに資源が回ればいい。
こちらは、手元にあるものでやっていく。
それが、世界の安寧へとつながっていることを信じる。

2023年の金銭事情について振り返る。

金について新たなモットーを考え、それは、「減らす、増やす、活かす」である。
支出を減らす、収入を増やす、そして余剰を活かす。
この順番で細々とやっていく、くらいが、自分の甲斐性にふさわしい。

まず、支出。
2023年は、大いに金を使った。

自己啓発に使った金が、予算を超えた。
具体的な使い道は、資格試験の参考書や試験料、英語の書籍、ChatGPTに関する雑誌などである。
買った割には、そんなに勉強の時間を取ったという感じもしない。
特に結果を出したわけでもなく、買うだけ買って満足した、と言われても仕方がない。

また、交際費が予算を大きく超えた。
ここは、人にプレゼントをしたり、飲み会に行ったりした費用を計上している。
懇親会に行くことをほぼ根絶したのに、何に金を使ったのだろう。
記録を見ても、小さな出費が積み重なり、全容が把握できない。
大きかったのは、父の日、母の日である。
ここ数年、何かを買ったという実感はなく、請求書が送られてくるだけになってしまっている。
2023年は、よくわからないけど高額の請求が回ってきた。
でも結局、親に対してはそれくらいしかできない。
両親が高齢となった今となっては、旅行にも連れていけないし、食材を送るというのも気が引ける。
せめて、自分で着たい服を選んでもらって、外出してもらうことくらいしか望めない。
それでも、最近では、外出することすら少し心配してしまう。
つくづく親不孝である。
そのほか、飲み会の支払いを1つ終えておらず、額も不明のため計上していない。
酔っぱらっていた上、進んだ老眼で伝票が読めずに、支払いをうやむやにしてしまった(もちろん、払う)。
2024年は、人付き合いがますます悪くなりそうだ。

自己啓発費と交際費は、僕にとっては「投資」に分類される出費である。
「投資」なので、リターンの回収まで至らなければならないが、得られた実感がない。
今までボコボコに空いていた穴を少し埋めることができた、と言えるのかもしれない。

健康のため、納豆、ピーナッツ、チーズ、トマトジュースを日常的に購入した。
また、食事を含めて、ドトールに63回行き、ふがいない人生を憂いた。
娯楽費を、ほぼ使い切った。
デスクに置くスピーカーを買うための予算を組んでいたが、使い道を失っていたコンポオーディオを置けば済むことに気付き、出費を抑えたことが、何よりよかった。

収入、特に労働による所得だが、なんかもう、ドカッと増えるようなことは今までも起きなかったし、これからももう起こりえない、いやほんの少しでも増えたりすることすらもうないように思えてきた。
PEファンドへの就職を真剣に考えたりもしたけど、メンタリティの違いを思い知らされた感じ。
金も欲しいけど、時間も欲しい。
週3日くらいの拘束で、17時にオフィスを離れて、今の所得を上回る仕事、どこかからオファーされないだろうか。

所得が増えるのはいつでも歓迎である一方で、実は金の使い道が限られていることにも気づいてしまっている。
時間がなくて使う暇がない、という側面もあるが、欲しいものやしたいことが見当たらないのも事実。
酒を飲むのもきついし、趣味もなければ、娯楽もない。
家を買うにも、エレベータを待ちたくないし、草むしりもしたくない。
外出すれば、必ずみじめな思いをする。
服を選ぶのも面倒だし、買い物もうまくない。
2023年にペンケースを買ったのだが、年末に改めてそのペンケースを見ると、少し形が崩れたり、端がほころびたりしていて、5.5K円の出費をずっと悔やんでいるのだ。

所詮、金があっても、洗濯物は乾かない。
もちろん、誰かにやってもらって賃金を払う、という手段もあるのだろう。
でも、僕の場合は、その誰かが介在すること自体をうっとうしく思いそうだ。
車を買ったとしても、自分で運転しなければいけない。
運転を頼むとしたら、密閉された空間を知らない運転手と共有するのに気がめいり、自分の行きたい場所を知られるのを気にする。
そして、車に乗っている間中、車の維持費のことをずっと気に病むだろう。

根っからの貧乏性で甲斐性なしで、非社交的で小心者で、傲慢でわがままである。
だから、公共財を駆使することで自分の身の回りのことは自分で処理していく術を開発しなければならない。
だからこそ、日ごろから税金を払っている。

以前、4Mドルを受け取ったらというシミュレーションをして、適当なことを書いた。
適当だったつもりだけど、自分の望みが結局のところ、服、健康、旅行、そして習い事くらいしかないことが露呈し、思いのほかすっきりした気がした。
それらに年25Kドル、そして生活費が年50Kドルで、年間75Kドルあれば、金銭的には不満のない生活が過ごせそうだ。
給与所得なら、徴収率が約20%なので、年間94Kドル得られれば十分と言える。
それを超過する収入を得ても、市場に還流するだけとなる。
コストなくもらえるのなら喜んで受け取るが、自分からしっぽを振って、というか、無理してもらおうとすることもないのかと思う。
価値が相手にもたらされ、自分の生活も維持されれば、それでいい、もちろん、それはとても難しい。
ディスクレームのための蛇足だが、実際の生活はかけ離れたものであるので、ご安心を。

最後に、投資。

年初に決めた投資計画を遂行したが、年の途中で計算を誤っていたことに気付き、早々に活動を終えた。
例年に増して、つまらなさが上乗せされた年だった。
年末に、期限を迎えるNISA残高をすべて売却した。
売却で得た資金はそのまま、2024年の年初に、同じ商品を全額買い戻しにあてる。

この1年で円安が10円ほど進んだ。
つまり、1ドル持っていたら、円換算で1円増えたことになる。
10ドル持っていたら、10円増である。
僕の場合、1.2Kドルくらい持っているはずなので、12K円増えた。
ただ、持ち金が増えた気が一切しない。

2023年、営業利益が120ドルくらいあったと思う。
2024年も例年通り、これを2週に1回、5ドルずつ投資し、投資信託の口数を記録する。
何も望めない。

この数年、旅行に行けない時期が続いた。
予算計上していた旅行費などが余り、余剰の一部を寄付しつつも、残りを投資に回していた。
2023年は、そういった余剰の蓄積が産んだ運用益の一部を寄付することにした。
寄付先はもちろん、KBC ラジオ・チャリティ・ミュージックソンである。
いろいろな気持ちがあるけれど、公共的な寄付先は、しばらくは1つに絞る。

2023年をもって、資産管理簿からiDeCo残高を外した。
絵にかいた餅を眺めてもむなしいだけだとようやく気付き、Buy and Hold戦略から、 Buy and Forget戦略に変えることにした。
勘違いしてはいけないのは、forgetするべきは残高や評価額であり、世界のことを忘れてはならない。

人間、いずれ誰もがFIREを迎える。
先延ばしができるかもしれないが、いつかは公的扶助と持ち金でやり過ごすしかなくなる。
加えるならせいぜい著作権収入があったかもしれないが、著作権はもう売っちゃったし、にもかかわらずまた担保にして金を借りようとして捕まっちゃうし、でも才覚があれば、さらに3億円近くは引き出せるかもしれない。
とにかく、僕の場合、FIREは目に入らざるを得ない距離にまで近づいている。
出口戦略、そろそろ金を使うことも考えなくてはならない。

Link
Diary > 2024 > 01 | Calendar | RSS 1.0