曇天の続き

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2021-05-30 Sun.

白熱

2021-05-30

COVID-19が、このような形で6年ぶり14回目のパーフェクトをもたらすとは、誰が予想できたであろう。

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2021-05-27 Thu.

均一

2021-05-27

それにしても、人の家の養育費の金額など、よくも漏れ聞こえてくるものだ。
その取材力、くだんのビッグカップルに一切向けられなかったのだろうか。

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2021-05-17 Mon.

重役

2021-05-17

岩波書店の社長に、坂本政謙氏が着任することとなった。

坂本氏の仕事について知ることのすべては、佐藤正午の担当編集者であったことである。
2人の関係は、控えめに言って胸を熱くするものである。

褒賞人事である、と言ってしまえばそれまでだが、ファンとしては、厄介なものを背負わされて何だか大変だなという思いの方が強い。
こんなこともあるのか。

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2021-05-12 Wed.

忠臣

2021-05-12

「平成の大合併」以前から存在するものに限れば、国内の市名を大まかな位置を何となく記憶しているのだろう、というのが、自分の能力の認識であった。

当然ながら、自分の不勉強で、名を知らない街は多く存在する。
特によく把握できていないのが、愛知県である。

愛知県には現在38の市があり、そのうち8つは「平成の大合併」以後に誕生した市である。
つまり、残り30の市と、一宮市と合併した旧・尾西市は、それ以前からあった市である。
しかし、たとえば津島市とか岩倉市などの市名を見ても、「そんな市あるのか、本当に」と思ってしまう。
僕は何も知らない。

例えば、西尾市。
市の存在すら知らなかった。
どうやら愛知県に所在するようだが、どの位置にあるのかわからない。
なぜだかわからないのだが、「スギ林でもあるのか」と思い付き、内陸を調べてみたが、見つからない。

西尾市は、実際は佐久島すら擁する、三河湾に面した市である。
よくは知らないが、公共の福祉を尊重し、譲り合いの精神を持つ人たちが住んでいるのだろう。

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2021-05-05 Wed.

鄙泉

2021-05-05

5月は「NHKオンデマンド」の加入月である。
2020年からそうすることに決めた。

今見ているのは「トクサツガガガ」。
小芝風花が美しいのもあるが、話に興味があったので、楽しんでいる。

休みを強制的に取得させられて、それでいて外出を控えるよう要請されているので、ビデオを借りるためレンタルショップに赴く。
偶然目についた「日本映画-ドラマ-マ行以降」の棚を物色し、この中から1作品を選ぶことにする。
ついうっかり「水の中の八月」(石井聰互映画版)を選びそうになるが、それをぐっと我慢して先に進み、「無能の人」を借りる。

「無能の人」を見ていて、昔FBSで日曜の夕方、「笑点」の前に「下落合焼とりムービー」を放送していたことを思い出す。
あれをあの時間帯に流す放送局は控えめに行ってどうかしていて、当時純真無垢だった少年はその悪ふざけ的な不条理にぶつかり、しばらくトラウマとして悩まされた。

もちろん「無能の人」を見て同じ感想を持つわけもない。
素直に話に引き込まれてしまう。
先日BSプレミアムで放送されていた「セーラー服と機関銃」を見ていて、代々木や南新宿のあたりの街並みの趣に気づかされたのだが、この「無能の人」でもそれが存分に表れている。
街歩きが楽しくなる。

さて、この借りてきたDVDで本編以外に楽しめるのは、コメンタリーである。
制作から15年後に吹き込まれたコメンタリーは、竹中直人監督と当時照明助手であった田中要次によるものだ。
このコメンタリーを聴くためだけでも、改めてDVDを手に取ることををお勧めしたい。
映画とは監督の手によって丁寧に作られたものであり、多くの人の協力が必要なものであり、愛されるものであることよくわかる。

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2021-05-04 Tue.

無策

2021-05-04

僕に対して日常的に出題されるクイズは、主に3種類である。

まず、この有名人は、もう死んだか、それともまだ生きているか。
これを、「クイズ 有名人 DEAD or ALIVE」と称し、松村邦洋は番組化を熱望しているとのこと。

次に、今年は(あるいは明治以降の西暦XXXX年は)、元号では何年か。
世の中の人が、いかに元号に興味を失っているか、むしろ厄介がっているのではないか、と錯覚してしまう。

そして、この日は何の祝日か。
祝日に対してありがたみを感じている人は意外に少なく、何をもって休みになっているか知らない人は多い。

この3種類のクイズを、もう30年以上出題され続けている。

しかしながら、2021年4月29日については気を抜いてしまい、てっきりこの日を「みどりの日」だと思い込んでいた。
今後はそのようなことがないように、気を引き締めていたい。

それにしても、今後200年くらいたって、依然として「昭和の日」が残り続け、「この日だけがなぜ残っているのか」とならなければいいが、とつくづく思う。
僕は、健全な社会を保つために、「五月病」を誘発するような春の大型連休は廃止したほうがいい、と常々思っている。
機を見て4月29日の祝日を廃してしまえばよかった、と思うし、ついでに各々が大型連休を自由に計画できる社会の到来を望んでいる。
国民の祝日の中では、永劫性を感じられない「スポーツの日」はもはや廃してしまえばいい。

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2021-05-03 Mon.

分割

2021-05-03

少し前に、「モンドリアン展 純粋な絵画をもとめて」に出かけてきた。
場所は、新宿のSOMPO美術館。
この美術館に行くのは、これが初めて。

行ってみてわかったのだが、いわゆる有名な「コンポジション」よりも、ピエト・モンドリアンがそこに至るまでにたどった抽象化の過程に興味を持った。
風景の抽象化を試みている時代などは良く、特に好きなのは「日没後の海」。
所蔵されているハーグ市立美術館にはいつかは行ってみたいのだが、感染症はあるし、円は安いし、本当に実現するのだろうか。

この絵もそうだが、僕は色彩の入り交ざった絵画が好きである。
最も好きな画家の1人はジョルジュ・スーラで、彼の淡い色使いの明るい点描画に惹かれる。

ところで、僕の目には軽い色覚異常が認められる、と以前から診断を受けている。
石原表は壊滅的にダメで、「色覚異常の人にはこう見える」という風な見え方をしてしまう。
それでいて、その当時の小学校の教師はこの結果を見て「お前、ふざけるのをやめろ」と怒鳴るのだから、今でも告発したいし、退職金を返納してほしいと思う。
ただ、パネルD-15テストは、調子が良ければ全問正解だし、悪くても2、3個入れ替わる程度。
日常生活では、赤と緑の区別がつけにくくて時々Excelの塗りつぶしを間違えるし、「アタック25」の赤と緑のパネルも、瞬時だと区別がつかない。
それ以外に困ったことはあまりないのだが、きっと他の人には見えていない見え方をしているのだと思う。
色覚異常よりも、近視や乱視のほうがよほど深刻である。

それで、あの石原表を見かけると、今もよくない思いがよみがえる。
その一方で、昔からそうなのだが、石原表のような敷き詰められた点の集合になぜか心が躍るというか、少し気持ちが上がる感じがする。
それは、点描画を見ていても起こるものと同じだ。

実は小学生の頃はスーラの絵のことをよく知らずに、水彩絵の具にもかかわらず風景画を点描でかいていた。
通常なら使わない色を、例えば木の着色に茶色の中に青やピンクの点を混ぜたりしていたのだ。
そんな風に見えていたわけではないが、そうしたほうがそれっぽい、と感じる。
僕はこの描き方が好きだったのだが、これもある教師には評判が悪く、ある時別の凡庸なやり方を強要されてしまい、それ以来やめてしまった。

僕の絵の才能はその程度のことでふいになるようなものなので、別に惜しくもない。
ただ、点描画に特別な感覚を得るのは、もしかしたら「色覚異常」と診断されていることに関係があるのではないか、と少し思う。

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