曇天の続き

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2024-07-30 Tue.

純金

2024-07-30

オリンピックの開会式をリアルタイムでも翌日の録画放送でも観なかったのは、久しぶりのことだ。

パリオリンピック最初の感想は、「PARiS 2024」のロゴを見て「あれで「4」という字を表現するのか」という感嘆である。
仕事しすぎの僕は、あれを見るとブランチを思い出す。
エンブレムも、トリプルミーニングでうまくできていて、頭を抱える。
そして、ピクトグラムがわかりやすいのかはわからないが、斬新と言うかおしゃれと言うか。

競技の方は、早速TV映えする映像が得られたと嘆息し、ハンディカメラクルーに特別ボーナス。
おにぎりをどうやって準備したのか、ラップはサランラップかクレラップか、なども知りたい。
思いのままにポーズをとってくれそうなあちらの対照的な団体と異なり、いわゆる「初老ジャパン」の写真撮影は一筋縄では済まないだろうな、と率直な物言いができないことにストレスをためる。

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2024-07-28 Sun.

高志

2024-07-28

6時半、起床。
大浴場のサウナでは、鼎談番組を放送。
露天風呂から見渡す下界は、やはり「繁華街」という感じで、猥雑さがいい。

香林坊のミスタードーナツで朝食。
ドーナツ2つにコーヒーで、コーヒーのおかわりなどしてみる。
休日朝、都市のカフェで過ごす時間が、贅沢で、好きである。

金沢観光でもするつもりで兼六園近くの宿をとったのだが、別の予定を思いつき、バスに乗る。
金沢駅で、干したえびのつまみと350ml缶を買って、改札内に。

泊へ向かう列車は、事前の想像よりも混んでいて、車両の入口近くにある、たたまれていた座席を出して座ることになった。
津幡駅を過ぎると、七尾線が分かれていく。
能登半島にはまだ行ったことがない。

倶利伽羅駅を過ぎるころには、車窓はもやっぽくなる。
それもすぐに晴れて、明るい射水平野が広がる。
思わず、350ml缶を開ける。

40分ほどで高岡駅に到着。
荷物をコインロッカーに入れ、ドラえもんトラムに乗る。
10年前ほどの興奮は、さすがにない。

志貴野中学校前電停で降り、市役所の方へ歩く。
しばらく進むと、氷見線の越中中川駅の近くにたどり着く。
氷見線もなかなか面白く、伏木などは一度訪れたい。

高岡市美術館に開設された、高岡市 藤子・F・不二雄ふるさとギャラリーを訪れる。
チケット売り場でSuicaが使えるのを見逃し、現金決済したら、お釣りで新五千円札を受け取った。

川崎のミュージアムと異なり、こちらは先生が少年時代を過ごされた高岡のころの焦点を当てた展示。
驚いたのが「7日前のごはんだから、こわくて」の「こわい」が、こちらの方言で「固い」という意味だ、と紹介されていたこと。
ずっと、「時間が経過した米飯は劣化していて、食べるのが怖い」という意味だと思ってきた。
ショートムービーは「ドラえもん&Fキャラオールスターズ すこしふしぎ超特急」。
ギャラリーショップで、入場料と比較すると嫌になるくらい、金を使う。

古城公園の脇を過ぎ、高岡大仏の前を通り過ぎ、アーケードを歩く。
高岡には百貨店があったが、今はその跡地が商業施設になっている。
立ち寄ればよかったが、時間がなかったので先に進む。
アーケードでは、七夕祭りの準備をしていた。
駅に向かう途中にあった書店はなくなり、志ある人が跡地で宿泊施設を営んでいるようだ。

駅に戻り、ホテルのレストランで昼食。
ここでつくづく後悔する。
金沢ではなく、高岡で一泊すればよかった。

高岡は、古い町並みが残り、路面電車もあり、駅前の飲食店も興味を引くし、公園もある。
駅前は整備されていて、人の行き交いもある。
古くは「北陸の商都」と呼ばれるこの街が、ほどよく落ち着くし、ひかれる。
富山と金沢の両方から少し距離があり、利便性もある、というのも魅力的だ。
新高岡駅をどのように活用すればいいか想像できなかったのだが、来てみて感じたのは、新倉敷駅みたいな位置ととらえればいいのだろうか。

この魅力的な高岡に昨夜は直接ここにきて、福井で泊まったホテルチェーンに泊まればよかったのだ。
旅程を計画する時間が限られており、そこまで考えが至らなかった。
まあ、時間がない中で考えた割には、うまくいった方ではないだろうか。

食事を済ませて、駅前の高岡市図書館に行く。
大全集の予約購入特典であるFノートや、豪華愛蔵版の特典である「引くえもん」など、めったに見られないものを手にし、子供に交じって読書に没入する。

名残惜しいが、そろそろ帰る時間となった。
あまりの感動に、ロッカーに預けた荷物を忘れそうになりつつも、思い出してピックアップし、改札を通過。
20分ほどで富山駅に到着。
新幹線乗り場への案内に従って進むと、裏口みたいなところに出て、さらに進むと新幹線改札内に入ってしまった。
改札内に店はほとんどなく、むなしい思いのままに乗り場に上がり、それでも店を見つけて、いじきたなく350ml2本と白エビ入りかまぼこをせしめ、かがやきに乗る。

親不知付近をトンネルであっけなく抜け、日本海が迫る糸魚川駅を通過する。
長岡と上越妙高をつなぐ「羽越新幹線」ができる日は、いつか来るのだろうか、それほどに我々の心は豊かになっているだろうか。
高崎-長岡-上越妙高で大デルタ線になるのが厄介そうだ。
105週連続でKindleを開きました、と教えてくれ、岡山旅行から2年経過したことを知る。
Prime Readingのおすすめに「週刊大衆」が出てくるの、すごく気が散る。

しばらく進むと、長野駅に停車。
これで、北陸新幹線は福井まで乗ったことになった。
端の方を少し残すのは落ち着かないが、またいつか乗る機会があるだろう。

旅行中ほとんど現金を遣わず、Suica、PayPay、コンタクトレス決済、ネットでの事前クレカ決済で済ませた。
意外に現金払いだったのが、公共交通。
バスや、小さな鉄道会社で、現金決済を求められた。
あと、自動販売機でも、現金決済を強いられた。
キャッシュレス決済ができるようなことも案内されていたが、以前下関でBluetoothを用いたPayPay決済に手間取り、屈強な男にすごまれたトラウマがあり、怖くて手が出せない。

あー、もうこれで、金をつかい果たした。
何も楽しいことはないし、これからは死んだように生きる。
仕事を受け付けるので、まずは金の話から始めよう。

旅を終えて、旅の心得めいたものをいくつか思いついたので、記しておく。

  • 夕方以降は次の日の観光地まで進んで、宿泊。翌朝は日の出とともに起き、入浴、観光
  • 宿は都市のホテル、非循環式の大浴場があると望ましい
  • 食事に期待しない。観光客向けの店は高い。地元の安いレストランで満腹に
  • コンビニで手に入れたものを、部屋で飲めばよい
  • 宿の朝食が地のものを出すようなら、そこで十分に栄養補給
  • 現金支出は、記録しておかないと思い出せない
  • 水分をこまめに摂取。トマトジュースも飲む
  • 予算は、宿泊が8,000円、1日の出費が6,000円。トータルで14,000 *(n-1泊)+ 6,000円 + 現地までの交通費
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2024-07-27 Sat.

頭竜

2024-07-27

5時半、起床。
大浴場のサウナでは、バッハがまた長い話をしていた。
「土砂降りかよ」が、今日最初に発した言葉。

レストランで朝食。
和定食を選び、サラダやデザートはバイキング。
決められた献立の方が面倒がりの自分にとってはいいし、食品ロスもなくていいのではないか。

今日は、えちぜん鉄道に乗ることにする。

7年前に福井に来たときは、えちぜん鉄道福井駅は、建設中の北陸新幹線の橋梁上に仮設されていた。
東海道新幹線の建設時、阪急電車が新幹線の線路を走った、みたいな話を聞いたことがあり、本当にそんなことができるのかと思ったものだが、できるという確信をこの時に得た。

窓口できっぷを買う。
キャッシュレスならnanacoかiDかQUICPayで、と言われ、おとなしく現金払い。
高架のプラットフォームから、特徴のある「ふくいー」のアナウンスに送られて、出発。

福井口を過ぎ、三国港へと向かう線路に別れを告げると、列車は地表へ降りる。
市内を抜けると、九頭竜川と中部縦貫自動車道に挟まれる形で、先へと進む。
福井駅は電車の発着が多く、半ばラッシュのようだったのだが、この辺りは実にのどかで、気分が良くなる。
缶を買って乗ればよかったが、まあ帰りもある。

永平寺口駅に到着。
ここまで来たのなら永平寺に行ってみたいし、一乗谷にも訪れてみたいのだが、少し距離があるようなので、先へ進む。
出発から1時間ほどで、列車は勝山駅に到着。
古い駅舎で、中にはカフェもある。
ビールがあったかは、よくわからない。

7年前と合わせて、これでえちぜん鉄道を完乗した。
改めて思うが、えちぜん鉄道が好きである。
福井駅の活気、きれいな車両、田原町での路面電車線との乗り入れ。
そして、一方の路線は芦原温泉を通って、三国、東尋坊へ、もう一方は永平寺を経て、勝山へと、魅力的な終着駅がある。
市内の利用も便利だし、風景も穏やかで美しい。
女性アテンダントにもときめく。
一時期は事故が頻発し、廃線の危機もあったわけだから、ここまで残してくれたことに感謝したい。

というわけで、福井駅に戻ってきた。
その前に、夕食。
昨日は洋食にしたので、今日は地のものを求め、駅ビル内の居酒屋。
「福井尽くし」みたいなメニューがあり、スタッフにも勧められた。
「出てくるのに時間がかかります」と注意されたが、せっかくなので、それを選ぶ。
突きだし、刺身、焼き物、肉と続き、最後はカニのたきこみごはんが出てきて、とてもおいしかったものの、予告通り出てくるのに時間がかかった。
腹が膨れた感覚もなく、手持無沙汰に酒を頼む始末。
店内の空調が効いていて、寒いので熱燗を頼んだが、冷酒が出てきた。
値段も考えると、今後の食事選択方針を見直そうと思う。

出発前、福井駅に今日の宿を求めたのだが、直前過ぎたのか、適当なホテルで週末の予約を見つけることができなかった。
思案した結果、別の投宿地にした。

また、えきねっとでeチケット自由席を購入し、Suicaで改札を抜け、北陸新幹線。
また速達タイプのつるぎが来て、先頭2車両の位置まで歩き、自由席車両に乗る。
40分ほど乗ると、進行方向左手後方に打ち上げ花火が見えた。

金沢駅に到着。
10年前に来た土地勘に頼り、バスに乗って、今日は片町のホテルに投宿。
週末の繁華街だからか、片町は行き交う人々の活気があって、身構える。
「北陸に来たらこのホテルチェーン」と決めていて、昨日はそのホテルだったのだが、今日は予約が取れなかった。
「北陸と言えばこのホテルチェーン」と言うことで、こちらのチェーンに初めて泊まることにした。
フロントの手続きが電子化されていて、便利なのか不便なのか、判断しかねる。
エレベータでは、カードキーをかざした上で客室階のボタンを押す必要があり、容易に外来客を呼び込めないシステムになっているのだな、とこの時は思った。
客室の扉が多く並んでいて、さすがこのホテルチェーン。
部屋もきれいだし、字の多い本を気にしなければ、何も問題ない。
社長の顔写真がラベルに印刷されたペットボトルの水を、冷蔵庫にしまう。

最上階にある大浴場は、露天風呂を備えている。
そちらの方に行くと、ボディペインティングの人がいたので、場所を譲る。
場所柄、やはり気を引き締めておいた方がいい。
部屋に戻り、近くのコンビニで買ってきたビールとチューハイ2本を飲み、体操男子団体の試技を見ながら、就寝。
なぜか、体操男子の映像は快眠を誘う。

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2024-07-26 Fri.

残雪

2024-07-26

5時半起床、6時出発。
相変わらず、ばかばかしいほどに大げさな動き出しだ。
ラッシュにも遭遇しない時間帯だが、それでも席が埋まるほどの乗客がいる。
たまごサンドと500ml缶を買い、敦賀行き北陸新幹線、かがやきに乗車。

小倉への帰省を予定していたのだが、事情があって取りやめた。
2021年にも帰省を中止したが、その時は岡山旅行を兼ねていて、ツアーの取り消しで全額返金された。
今回は、航空チケットのキャンセルだけとなり、航空会社との粘り強い交渉をした。

一方で、休みは休みである。
家にいるのもどうかと思うし、かといって休暇を取りやめるほど、心を売ってはいない。
普段から「次の旅行計画」を考えていたのが役に立ち、2日前の夜に旅程を組み、出発前日に宿泊地を確保した。
それで、福井に行くことになった。

それで、長野駅に到着。

長野駅に来たのは、30年ぶり。
小倉から北志賀高原へ11時間かけて移動した時以来。
その時は、名古屋から特急しなので長野まで来た。
寝覚の床とか三大車窓とかのたまうくらいの才覚はあった気がするし、あの時は長野行新幹線はおろか、名古屋の次の停車駅が東京だったことを強く記憶している。
長野駅はすっかり変わっている、というより、何も覚えていない。

コンビニエンスストアでトマトジュースと、マカデミアナッツチョコレートを購入。
今から1時間45分、バスに乗る。
事前にウェブサイトでチケットを予約しており、バスの運転手に画面を見せて乗車する。

ICE「THIS IS ICE」を聴く。
偶然なのか「17」がかかり、激しく深く落ち込む。
どう切り取っても自分の人生に何もいいことはなかったし、戻りたい場所も時間もない。
確かにそれがなければ今はないけれど、それをまるでいとおしくは思えない。
ひどい結果ばかりだけど、それでもマシな方なのだろう。
radikoで「PAO~N」を聴いていると、沢田さんは流行り病でお休み。
山奥に来たらしく、途中で一時的に電波がなくなった。

扇沢に到着。
QRコードを読み取らせ、発券機からきっぷを受け取る。
時刻表では子供のころからよく見ていたが、ルートに臨むのは初めての経験である。

まずは、関電トンネル電気バス。
整然とした乗り場は、過去のトロリーバスを思わせる。
パンタグラフで充電した6台のバスは列をなし大町トンネルを走行、破砕帯で落涙し、対向のバス群とトンネル内ですれ違い、黒部ダムへ到着。
展望台の方へと階段を昇るが、普段の通勤で毎日250段の階段を上っているはずなのに、途中で息が切れ、頭が痛くなる。
「ハサイダー」なる炭酸飲料を購入し、苦みのある味を堪能し、瓶を戻す。

黒部ダムを見下ろす。
観光放水をやっていて、下の方には虹もかかっている。
実物の迫力を実感する一方で、これから、あの下まで階段を降りるのかと思うと、気絶し重力で直接降りてしまいそうである。
夏休みにもかかわらず、小学生の集団が引率されている。
この時間にいるということは、昨夜は立山に宿泊したのだろうか。

結局、階段で降りられるところまで降りる。
峡谷となるダムの下流を眺めると、左右に山が迫っているのがわかる。
ここまでかなり簡単に来たから実感がないが、黒部ダム建設にはどれほどの苦労があったのか。
というのがわかるビデオ放映もやっていて、15分間しっかり見てしまう。
大プロジェクトの話を聞くのは好きだが、実際に携わりかけたことを思うと、安堵する。
机上の計算だけしていたい、でも、それで満足いかない自分もいるかもしれない。

両端がウィング状になっているアーチダムの堤頂歩道を歩く。
大きいし、高いし、怖い。
堤頂の反対側まで歩き、黒部湖駅。
ここから、全線がトンネル内にあるケーブルカーに乗る。

黒部平駅。
眼下に小さく見える黒部湖と、後ろに迫る北アルプス、背後にはこれから抜けようとしている立山連峰。
人の流れにはじかれながら駅の乗り換えに手間取った朝が、遠く感じる。

ここからロープウェイに乗る。
TVでも何度か見てきたが、実際に乗ると、ワンスパンの迫力がたまらない。
山肌に下からは白く見えていたものが、上るにつれて近づいてきて、それが残雪であることがわかる。
そして、ここでは書けないけれど、同乗する傍若無人な観光客の集団。
「あれ雪なの! あの上に降りてみたい!」という、僕には到底思いつかない、思いついたとしても口にする労力を惜しむような感想が飛び交う。
さっきロープウェイに乗るときも、順番抜かされた。

大観峰駅に到着。
また展望台に上るが、頭が激しく痛い。
にしても景色が普段見ている風景と違いすぎて、錯乱してくる。
観光客集団が記念写真を撮るのに時間をかけている様子なので、すばやく次の行程へ。

ここからは、トロリーバスで立山を抜ける。
係員から乗車記念のカードをもらう。
今期でトロリーバスの運行は終了し、来年からは電気バスに置き換わる予定である、という風なことが書いてあるらしいが、コンタクトレンズだと細かい文字が見えない。
トロリーバスに乗ったことがあったかは記憶にないが、きっとこれがトロリーバスに乗る最後になるのだろう。
分岐を通過する際、集電装置が大きな音を立てることを初めて知った。
これでまた1つ、未乗区間をつぶすことになった。

国内最高地点の駅である、室堂に到着。
この辺りになるともう疲れてしまい、周辺を見ることもなく、バスの行列に並ぶ。
自分の1組前で乗車が打ち切られ、次の臨時バスに乗ることになった。
2組前の客が乗車を断られて戻ってきた。
ソフトクリームを食べ終わらないとバスには乗せられない、ということらしい。

バスの中では、頭も痛いし、疲れていたのもあったので、眠る。
車内でものすごく観光案内していた気がするし、よくニュース映像で見る「雪の大壁」というのもこの辺だろうが、そんなの関係なく眠る。
車窓には、ホテルだかロッジだか避難小屋だかが見える。
ここを宿とする、となったら、僕はすべてを捨て去るだろう。

美女平に到着。
流れるプールに身を任せるごとく、ケーブルカーに乗る。
これで、国内22あるケーブルカーのうち、11路線乗ったことになった。

立山に到着。
さすがに疲れた。
立山カルデラ砂防博物館がだーたーだったので、見る。
常願寺川の砂防について紹介するもので、あの18段スイッチバックについても解説されていた。
幸田文は72歳で突如「崩れ」に取りつかれたそうで、その後各地の崩れを見て回った、との展示もあった。

富山地方鉄道に乗る。
車両は混んでいて、先頭部分の手すりに軽く座る。
立山駅を出ると、次の駅までは距離があり、林の中を進む。
「本当に都会に戻れるのか」という不安はあったが、川に沿って高度を下げ、電車は岩峅寺駅に到着。
ここで隣の乗客が、「富山駅まで行くなら、ここで乗り換えたら座れるよ」と言う。
「時間はどうなんですか」と尋ねると、そんなに変わらない、とのこと。
男性に感謝を告げ、提案通り不二越・上滝線に乗り換える。
止まっていた列車は2両編成で、後ろの車両に乗ったが、確かに座れる。
ところで、言ってしまっていいのか悩むが、車両が古い。
これが富山地鉄の売りなのだろうけれど、いくらなんでも古すぎやしないだろうか、こういうの好きな人ばかりじゃない。

南富山駅で路面電車を確認し、稲荷町駅に到着。
立山からきた列車を待ち、そちらが先に行き、電鉄富山駅に到着。
売店で、地鉄のマスキングテープを買った。

ところで、関東から北陸へ、例えば富山を目指すとなると、鉄道だといくつかのルートが考えられるだろう。
まずは、碓氷峠を越え、長野から直江津に出るルート。
こちらは、昔からあるルートだ。
次に、上越線で長岡まで出て、柏崎を経由するルート。
これは、ある時から上越新幹線に置き換わった。
その発展形で、越後湯沢からほくほく線を使って、直江津に出るルートができた。
現在の主流は、北陸新幹線で長野経由を進むルートである。
これにより、残念ながら直江津はかすめる形になってしまった。
あるいは、松本から大糸線を選び、糸魚川へと抜けるルートもある。
こちらは以前乗ったが、いつまで乗れるものかわからない。
上記のルートは、いずれも必ず親不知を通ることになるが、さらには、名古屋まで出て、岐阜から高山本線で富山に出る、というルートもありうるかもしれない。
一度はやってみたい。

で、今回は、富山を目指すために、立山黒部アルペンルートを選んでみた。
自宅から数えると、今日の宿泊地までに14個の乗り物に乗ることになる、本当に物好きだと思う。
いずれは、「キャニオンルート」も開通し、宇奈月温泉経由で到達することもできるだろう。
「旅行とは、移動と展望である」というのが、僕の会得した境地であるが、いつまでこんなことができるのだろう。

さて、最初に言ったとおり、今回の旅行は福井に行くのであった。
岩峅寺駅で時間を気にしたのは、北陸新幹線の時刻があったからだ。
まずは、10年ぶりに訪れた富山駅なので、富山市内線と富山港線の接続部を確認。
新幹線のチケットを手に入れる窓口や券売機に行列ができていたので、えきねっとでeチケット自由席を購入。
改札を抜け、乗り場に向かうと、つるぎが到着。
自由席が後ろ2両しかないとのことで、大移動。
そんなに指定席が必要だろうか。
速達タイプのつるぎなので、新高岡、金沢と停車し、福井までは1時間足らず。
10年前は、在来線で金沢まで行ったものの引き返したわけだから、実にあっけないし、利便性を痛感する。

福井のホテルにチェックインしたのは、18時30分ごろ。
朝6時に出ているのだから、福井まで12時間かかったことになる。
改めて思うが、実にばかばかしい。

にしても、外は息苦しいほどに暑い。
恐竜にあいさつし、夜は名店のソースカツ丼。
一緒に頼んだビールの中ジョッキが、いつも都心で見る大きさよりも心強く感じる。
ソースカツ丼もおいしかった。
TVでは「小学5年より賢いの」みたいな番組がやっていて、佐藤隆太が司会であることに驚く。
回答席のアイドルのことを知らないのは、自分の不勉強。
他番組のフォーマットに触れないのか、という不安に震えたが、そもそもこの番組が外国フォーマットであるようで、安堵。

コンビニエンスストアでチューハイを2本購入。
ホテルに戻って、大浴場で入浴。
部屋で、チューハイを飲みながら、「ドキュメント72時間」千葉市の団地の回を視聴。
男子体操特番を見ながら、就寝。

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2024-07-20 Sat.

回煙

2024-07-20

上代以前には既にあり、平安時代には完成し、現代にも変わらぬ形で伝わっている、とされるのが、雅楽である。
宮廷音楽として現存しているものとしては、世界最古のものの1つとされている。
俗物にまみれた生活に身を置くものとしては、雅楽に触れる機会はニュース映像くらいしかないにもかかわらず、いったん耳にするだけで不思議と悠久の歴史を感じてしまうのは、やはりこの国に根を張って生きてきた証だろうか。
雅楽にはいくつかの楽器が使われているが、その中でもひときわ目立つのが、背の高い楽器である。
どのように作るのかと疑問に思い、完成品を宮内庁式部職楽部にも収めているという製作者のもとへ早速足を運んだ…。

みたいな新聞のコラムのような書き出しをし、「ところで、こちらは」みたいに承けた段落でゴシップをさもありなんと取り上げ、果ては20歳未満ではないものが当然有する権利を侵害している規約を「人権問題」として論じたくなる、夏。
ああ、セーヌ川が待ち遠しい。
「辞退」という表現、合っているのだろうか。
そして、自分の先祖は雅楽に触れるような機会もなく、穴を空けただけの竹の音でピーヒャラしていたと思う。

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2024-07-13 Sat.

麺動

2024-07-13

できるだけ映画館に行くようにしている。

そのような習慣を田中麗奈さんが実践しているのを聴き、僕もそれに倣うことにした。
この広い東京でも、映画館でなら田中麗奈さんに出くわすこともあるかもしれない。

そう考えて、2か月ほど過ごしてきた。
時間をつくることはできるのだが、金がない。
この広い東京で、僕は田中麗奈とは違う階層に暮らしていることを思い知らされる。
同じビルで同じタイミングで食事していたとしても、向こうは52階のレストランで、僕は地下1階のラーメン屋である。

それでも、連日昼飯を抜き、のどの渇きを水道水で潤し、金をつくった。
映画を見ることにする。

見たい映画は特になくて、「違国日記」でもと考えたが、時間が合わない。
いろいろと見て、「アカデミー賞にノミネートされた」というふれこみだけで、観る映画を決めた。
現代人っぽく、ウェブサイトでチケットを購入。
このサイトで便利なのは、決済に必要な情報を登録することなく、PayPayアプリで支払いを終えられることだ。
クレジットカード番号なんて野蛮なものは怖くて使えない時代が、もうすぐ訪れるのだろう。

電車で移動し、池袋。
今回は東口に出る。
「32番出口」と案内されているのだが、見渡しても32番出口を示す案内が見当たらない。
思い出すに、池袋で道に迷わなかったことがない。
電車を降りてから、地上に出るまでに、分厚いゼリー状の空間があるように感じて、息苦しい。
地上に出てはみたが、道が複雑で方向感覚を失う。
渋谷も新宿も同じような複雑さであるはずなのに、池袋が特に難しく感じるのは、場慣れしていないせいなのだろう。
そういう「池袋に慣れていない人生」を、僕はいとおしく思う。

昼が立ち食いのカレーだけだったためか、腹がへる。
そういえば、田中麗奈さんは「時間があれば、カフェに入り、タスク整理などをする」と言っていた。
僕にはそれができない。
金がないためである。
そこで、コンビニエンスストアに入り、ソリューションを求め、うにおかきの袋を手に取る。
コンタクトレス決済で支払い、店を出て、袋を開けて、おかきを口に放り込む。
思い描いていた未来と、全然違う。
もっとも、何も思い描けていなかったけど。

映画館の前に到着。
できてから年月が経っていない映画館だと思うが、いつできたのかも知らないし、以前何があったかもわからない。
それが僕の「池袋感」である。
しばらく時間があったので、跨道橋の上に立ち、残りのおかきを食べる。
前に見えるのが、池袋イーストゲートパークだろうか。
食べ終えたおかきの袋が邪魔で仕方ない。
鞄にしまうと、中におかきのかすが散らかりそうで。

今回は、スマートフォンでQRコードを表示させ、端末にかざして入場する。
同じ階のトイレはゲートの外だそうで、1度出て、トイレに行き、QRコードをかざして再入場。
このスクリーンはサイズが小さくて、座席数も76である。
入ると、すでに福本莉子が何か喋っていた。
別のスクリーンだと、3面のスクリーンがあるらしく、そちらでは「キングダム」がかかっている。
僕には「キングダム」を見果たす自信がない。
最近、宮脇俊三「古代史紀行」を読んでいて、鉄道を乗りつくした果てに、歴史の出来事順に遺跡・史跡をめぐる、という新たな律義さを見出していることに、半ば呆れつつ読んでいる。
それはともかく、丁未の乱とか壬申の乱とかで、ドラマを作らないものだろうか。
高校は(選択する自由も与えらえず)世界史選択だったし、「火の鳥」や石ノ森章太郎の「マンガ日本の歴史」ぐらいでしか自国の歴史の知識を得ておらず、情けない。
古代史は、ドラマになるような出来事があまりないのかもしれない。
でも、「三国志マニア」もいいけど、「古事記マニア」みたいな子どもがいてもいいじゃないかと思う。
それにしても、「映画宣伝文学」みたいな宣伝が今も続いていることが、受け入れられないどころか怒りすら覚える。

今回観た映画は、「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」。
事前知識をほとんど持っていなかったので、最初は「昔の映画の再上映か」と思わされ、製作者の思うつぼだった。
また、どちらを見るか迷っていた「SCRAPPER」を選んだものとこれまた勘違いしていて、「違う映画を選んでしまった」と思ってしまった。

僕は、「登場人物の境遇が変化する」話が好きで、その点で言うと、「ホールドオーバーズ」はとてもいい映画と感じた。
偽ってまでして得た居場所を、信念と必要に応じて手放すところなど、称賛したい。

一方で、主人公が教師という職を長年務めたことには、賛同できなかった。
彼は、長い時間において、果たして仕事をしてきたのだろうか。
母校で歴史を教えてきたことは認めるが、生徒に歴史を学ばせ、成長させて送り出すという「仕事」をしてきたと言えるのか。
そう考えると、授業を受けた数多くの生徒たちにとっては、大きな「災厄」であったと見る。
僕は、教職に厳しすぎるのかもしれない。

居場所もないし、理解もされないし、それ以前に理解もできない。
自分のことを好きではないし、何が好きなのかもわからない。
心得ているから必死に自分を抑えているつもりだけれど、みっともない部分が漏れ出てしまい、迷惑をかけ不快にさせる。
手放していいことばかりだけど、それだと生活ができないから、縋り付いている。
一見仕事をしている風だから、周りは文句を言わないが、厄介ではあるに違いない。
欠けても全く問題ないし、でも欠けたら周囲が眉を顰めることになる。
いっそのことすべて手放し、身を消したい。

そんなことを考えながら、五差路へ続く道を進む。
気分が不安定である理由は、自分がJRA職員ではなかったから、ではない。

訪問回数が少ないため、池袋の思い出があまりないのだが、この道を通るときだけはいろいろと思い出す。
このビルにアルバイトの面接に行ったけど、それまでに過ごしてきた時間が面接相手と違いすぎて、打ちのめされて帰った。
30人くらいのクラスの飲み会があって、飲み放題で人数分のレモンサワーを何度も注文して、もちろんみんなで全部飲み干して、その店はほどなくして閉店した。
普段話すこともないのに、ただ「ラーメン屋を開拓する」という志だけで集結したメンバーで、池袋のラーメン屋をいくつか廻った。
その時に「光麺」を教えてもらって、初めて行ったように記憶する。
まだ電車もあったのに、飲み会終わりでタクシーに同乗した。
途中で1人ずつ降りて行き、最後まで乗っていた僕が金を払うことに、降りる段に至って気付いた。

自発的には訪れない、人に誘われることで出向いていたのが、僕にとっての池袋という街である。

一時の平穏を感じつつ、周囲の輝きに気後れし、展望を一切感じられない時代だった。
よく生き残ったものだと思うが、僕のしたことと言えば、ひどい結果しかもたらしていない。
これからの未来が想像できるから、嫌になる。

レストランに入り、半額設定のビールと、にんにくのオイル焼きを頼む。
店は空いていて、食べているときは何も考えない。
一通り飲み食いして、時計を見ると、まだ21時30分である。
「まだ」とは言うが、これから帰ることを考えると、「もう」21時30分であるし、最近のこの時刻は就寝時刻である。
カフェにも行けないし、夜には楽しいことが一切ないし、帰るだけ。
ここから池袋駅の改札までたどり着き、巧みな乗り換えをこなせるほどの理性を求められ、本当に嫌になる。

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2024-07-06 Sat.

扼喉

2024-07-06

仕事のことで頭がいっぱいだ。
気を抜くと、仕事の段取りについて考えてしまう。

「働いていると本が読めない」という話が出てきた。
それを聞いて、最近本の内容、特に小説の内容が頭に入ってこないことに気付いた。
どこかで仕事のことが頭を離れず、新しい情報が入ってこないのだろう。

そんな状態が続いていたので、今週は定時に仕事を切り上げ、頭を休めることを心がけた。
具体的には、情報に触れない、先のことを考えない、音楽を聴く。
終業後は就寝するために行動し、早く眠る。
そうすると朝4時ごろ目覚めることもあるのだが、そうなれば仕事をすればいい。
もっとも、疲れが蓄積してたらしく、就寝時に決めた起床時刻まで目覚めない。

「労力で仕事をしない」と決めている。
単に体が弱く、無理がきかないのが、その理由だ。
労働量で質を補おうとする尊い考えからも、距離を置くようにしている。
「不遜な考え方」ととらえられることもあるが、雷同したくなるのを我慢して、気にしないふりをする。
どうせ、どこにも居場所を見出せない自分なのだから。

労力ではなく「能力で仕事をする」ことをモットーとしている。
仕事のやり方を改良することで、まず仕事の質を上げ、次に生産性を上げる。
よりよい方法を自分の頭で発明する必要はない。
うまくいっているやり方を学び、それを自分の分野に適用すればいい。
所詮僕は、最先端を走っているわけではなく、優秀な人たちが残してくれた方法論で食べているだけなのだ。
そのために、定時で仕事を終え、1日の残りの時間をできるだけ学習に充てる。
近頃では、勤務時間中にも調査して、やり方の改良や組み換えについて検討し、それを組織化している。
もう、そういう立場である。

仕事の肝を見いだし、肝の部分の仕事だけを確実に行う。
重要部分を高度に構築する能力を発揮し、他の人には容易に実装できない仕事を果たせば、ひとまずそれほどは非難されない。
できていない部分については、別の専門家に仕事をお願いすればいい。

人前で手間をかけていないので、一見すると仕事をしていないようにも思われるようだ。
「そう言うのなら」ということで他の人にお願いしてみると、ほとんどの場合、時間をかけて作られた大作ができる。
それもありなのだろうが、僕なら短時間で、しかもシンプルなものを作る。
時間もかけずに、できるのがシンプルなものだと、他人には物足りないようだ。
周囲から手間をかけていないように見えるのは、仕事をしているときだけを見ているからだ。
実はそこに至るまでの鍛錬に、莫大な時間を費やしている。
シンプルな解決策は、後から見れば明白だが、実装前に思いつくことが難しい。
そして、明白でシンプルな解決策でないと、他人に理解して運用してもらえない。
いずれ僕はいなくなるし、そして誰もがいなくなる。

僕はこれまでずっとエンジニアの仕事しかできていない。
エンジニアとは、「機能するものを作る」仕事だ。
しかも僕は、ごく狭い分野のスペシャリストに過ぎない。
人から呼ばれなければ仕事はなく、大きなシステムのごく一部だけ、ほとんど点みたいな部分でしか貢献していない。
その部分についての実装は誰にも口出しを許さず、専門家たちだけで決める。
要求を理解し、機能を満たす解決策を、自分で持ってきて提供する。

僕に回ってくるような仕事は結局、難解な仕事である。
仕事の最初にすることは、不本意ではあるが、相手の無謀な希望を打ち砕くことだ。
盛りだくさんの要求をシンプルな要件に組み替え、限定された機能で我慢してもらうことをお願いする。
それで不満なら、よそを当たってもらう。
でも、ご機嫌で融通の利くような人たちがそれまでに実現できていないから、偏屈な僕のところに仕事が回ってきているわけである。
結局、僕の拙い解決策で我慢してもらうのが現実的な切り抜け方となる。
大本のクライアントへの説明材料を持たせて、それでやってもらう。
僕の解決策は、所詮その場をやり過ごすためのものに過ぎない。
いずれきっと優秀な人が現れ、難解な問題も思い付きの解決策も一掃してくれるはずだ。

これからも、僕にはエンジニアしかできないのだろう。
スペシャリストとしてプロジェクトに呼ばれて、仕事をすれば即座にお払い箱である。
そもそも、どんなことでもやれるような自信はない。
僕がカバーしきれない部分は、それは大部分であるわけだが、専門家でもない担当者に埋めてもらうことで依存している。
相手の意にも沿わず、手間なく動くことだけを目指し、他人の仕事を肩代わりすることもないので、重宝がられることはない。
他人の仕事を奪うくらいなら、自分のスペシャリティを高める時間を確保した方がいい。

こんなことをいつまで続けられるものか、とても不安だ。
古臭いシステムは、早晩排除される。
だから今、余生を過ごせるだけの資産を受け取りたい。

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