2017-12-31 Sun.
周転
2017-12-31
この年末、地上波TVで、映画「君の名は」が放送される。
さすがは、tvk。
年末が近づくと、時々耳にするのが、「もう年末か。そんな気がしないよね」という感想である。
この年末も数人からうかがった。
ありがたいことである。
自分の周辺には人がいて、このような話しかけを受けることができる。
僕が最も楽しみにしている周期イベントが、年末である。
なぜ楽しみにしているというと、「明確に終わる」からである。
逆に、最も憂鬱なのが年明けの「仕事始め」である。
そういう理由から、年末の準備を年初から12か月ずっと続けている。
11月も終わりかけると、気がソワソワする。
このように僕は始終年末を意識して過ごしているので、「そんな気がしない」という感覚がまるでない。
ないものの、そこで意見を対立させ、自分の考えを伝えても、理解はしてもらえないこともわかっている。
なので、「早いね」と答えるにとどめる。
こんな実のない会話ばかりしているから、人が離れていく。
さて、2017年の重大ニュースだが、記憶がほとんどなくて、記録も乏しい。
本当に生きていたのだろうか。
2017年の日記ですでに触れたものとは重複しないものを絞り出すと、
- メディアから消えたSPEED
- ♪袴田吉彦 アパーパーパパパアーパー(ラジオより)
- 佐藤玲ブーム、到来
- 政治家の誕生は、モノマネ芸人に恩恵をもたらす
- 小出恵介へのコメントを、岩下尚史氏から取ってきてほしい
- 純烈、か
興味のないニュースと、興味を持つほどの知識を有さないジャンルのニュースばかりが報道された1年であった。
2017年最もみっともなかったのは、最後に突然さし勝ったことによる、2年連続の桂文枝である。
2017年で最も笑ったTV番組は…、こちらもよく覚えていない。
視聴時間が10年前に比べかなり少なくなったので、候補すら挙げられない。
後で思い出したら追記するが、今のところは「鶴瓶大新年会」にしておこう。
少なくとも「昆虫すごいぜ!」ではないことだけは明らかだ。
2017年で周辺で起きた最も面白かったことは、あまりに使い勝手の悪いマクロ言語に憤る僕の様を見た知人が、「それなら、私がそのマクロ言語でソートアルゴリズムを実装します」と言ってくれたことである。
その知人の優しさと優秀さ、そして使えないマクロ言語を開発した開発者に、感謝を捧げたい。
当然そんなことをさせるわけにはいかないので、その好意を全力で阻止し、以後、不必要に憤らないように心がけた。
3年連続で夏休みを取らなかった一方で、福井旅行をもって本土46都道府県の訪問を達成した。
小倉を離れて約20年で、東京都内の鉄道路線すべてに乗った。
また、現時点でKindleで読むことができる野呂邦暢の電子書籍2冊をすべて読み終えた。
この10年で約1,200冊の本を読んだことになっているが、1,200冊に目を通してようやくこの程度かと認識した。
2017年は、27本くらい映画を見た。
初めて、桜の花が満開になっているときに、中目黒と京都に行った。
Bluetoothイヤフォンを購入した。
体調はあまりよくなく、風邪で何度か寝込んだ。
寝込まないまで至らない時でも、のどの調子が悪く、話すことすらつらかった。
健康診断で精密検査を受けるように指示され、検査の結果ごく軽度の肺炎に罹患していた疑いがあることが判明した。
自然気胸の兆候もあった。
血の巡りが悪く、冷えが取れにくくなった。
全般的には、大きな事故もなく、無事に年末を迎えることができたと考える。
関わりがあった人と関わりのなかったすべての人、ご迷惑をかけた各方面に、感謝したい。
2017-12-29 Fri.
豊平
2017-12-29
映画「雪の断章 -情熱-」を視聴。
時代は変わったものである。
VHSが存在することはわかっていたが、手に入らない。
DVDは、あるかどうかもよくわからない。
そんな状況が変化し、Amazonビデオで視聴できるようになっていた。
事前知識がほとんどなく、視聴に臨んだ。
主演が斉藤由貴であることは知っていたが、それ以外のキャストは知らず、榎木孝明、世良公則が出てきたことにシンプルに驚いた。
北海道が舞台であることも知らず、レオナルド熊の刑事役は「最後までピントのずれた捜査を続ける刑事」像を全うしていた。
感想は、「意味不明」に尽きる。
ここでいう「意味不明」は、相米慎二の演出にかかわることではない。
綱渡りや道化師を思わせる各所の演出や、バイクの後部に乗って「夏の扉」を歌う斉藤由貴や、エンドカットが忠臣蔵であることには、僕はむしろ満足である。
公園におけるキャッチボールのシーンなど、鳥肌が立つ。
「意味不明」なのは、話の内容である。
7歳の子供を男が突然引き取るのは、まだいい。
10年経って、幼少時に扶養されていた家族の次女と同級生になったり、長女がアパートの階上に引っ越してきたりすることも、果てはその長女が服毒死することも、かろうじて受け入れられる。
もちろん、斉藤由貴演じる役が真犯人ではないことも、観客は知っている。
しかし、その後の、斉藤由貴、榎木孝明、世良公則のそれぞれの関係性、女子高生がどのようにして青酸を手に入れたと警察は考えているのだろうという疑問、「それ、ばれないのか」というようなトリックとその発見過程、短い逃避行と独白、大学進学を決めた人間にそれを言うかという独善的な行動、観客に明らかにされない犯行動機(ここは、演出に唯一疑問を持つところだ)、そして、「何だよ、結局そこに落ち着くのか」というエンディング。
「現実味がない」から理解できないのではなく、「話を進めるために都合をつけていないか」という観念にとらわれてしまう。
おそらく、このようなタイプの話について、僕の方に読書の経験値が足りず、内容に全くついていけないのだと思う。
いくら斉藤由貴が動き回り、泳ぎまくり、雨にぬれまくっていても、その頑張りを受け入れられない。
「翔んだカップル」を見た時には、この映画ほど置いて行かれた感じはしなかった。
もしかしたら、加齢のせいなのかもしれない。
佐々木丸美による原作に対しての評価は低くなく、きっと原作のせいではないのだろう。
一方で、共感できたこともある。
それは、孤独な人間は、永遠に孤独であるということだ。
複数人のコミュニティに属している者は、そのコミュニティの輪を自然と広げることが容易である。
しかし、長い間1人でいた者は、まず2人になることに高い障壁がある。
2人でいることと、2人でいることに失敗して1人になることを行き来し、いつまでもその連環を抜け出せない。
どこかで見切りをつけなければ、自己憐憫の毒牙にやられてしまう。
さて、Amazonビデオで見ることができる相米慎二監督作品は、「雪の断章」の外に、「セーラー服と機関銃」「魚影の群れ」「ラブホテル」「風花」がある。
これらはすべて見ているが、視聴可能な状況がいつまで続くかもわからないので、今後も頻繁に見ていくことにしよう。
これで、相米慎二監督作品で見ていないものは、「光る女」のみとなった。
機会は近いうちに得られるだろうか、各方面のご協力を乞う。
2017-12-28 Thu.
癌擬
2017-12-28
先日受診した健康診断から4日後、自宅に封書が届いた。
送り主は健診センターで、中には封筒が入っていた。
封筒には、CDが入っていると思われるディスクケースらしきものと、紹介状が封入されているらしい。
なにぶん、「この封筒を開かないで病院に提出すること」との文面があるので、封筒の中の様子を図ることはできない。
添え状によると、先日の健康診断の結果、胸部レントゲン検査の結果がD判定で、病院で精密検査を受ける必要があるとのこと。
なにがどの程度まずいのか、具体的なことは何も書いていない。
その夜は眠れなかった…、とまではいかないけど、不安は頭から離れない。
早い方がいいと思い、翌日急遽、総合病院へと出向いた。
受付に紹介状を提出し、しばし待つ。
30分くらいの待ち時間で、診察室に呼ばれる。
医師が、CD(あるいはDVD)の中に格納されていたレントゲン写真を僕に見せてくれた。
僕の左肺のごく一部に白い影が見えるが、わずかなものである。
大したことはなさそうだ、という医師の見解。
また、血液検査の白血球数にも異常が認められる。
「当日は体調が悪かったのか」との医師の問いかけに、「健康診断であってはならないことですが、風邪の症状で劣悪でした」と答える。
その日のうちに、血液検査をして、胸部レントゲンを取る。
血液検査の数値は正常範囲に収まっていたが、左肺にはまだ影が映っていた。
ごく軽度な肺炎にかかっていたのかもしれない。
念のため、1か月後に診療を受けるように指示され、その日は帰宅した。
まさか、その日は早朝から遺書の内容を改めた、などとても言えない。
1か月が経ち、再度病院に行った。
前回胸部レントゲンに映っていた影は消失しており、問題ないとの診断を受けた。
病院では、延べ100人ほどの患者が診察を待っていた。
そのうち、この日だけで2人の患者が、病院の職員に対し声を荒らげている人を見かけた。
僕は、この1年で合算すると10か月くらい、のどに異物がひっかかっているような違和感を抱えており、調子が悪いと咳が止まらないこともあった。
そんな時に人と話すのは苦しくて、聞き取ってもらえないことに対し、苛立ちをあらわにしたことが何度かあった。
体調が悪いという理由で人に当たってしまったわけだが、それは相手にとってとても不合理なことである。
振る舞いを改める必要がある。
そして、できれば、健康な状態を維持して、穏やかに暮らしていたい。
2017-12-25 Mon.
眩暈
2017-12-25
映画「哀しい気分でジョーク」を視聴。
主演、ビートたけし。
監督、瀬川昌治。
また、いつもの感想になってしまう。
なぜ、2017年になるまでこの映画を見ることなく、過ごしてきたのだろう。
主人公「ひろし」の職業が売れっ子芸人であり、恥ずかしがり屋である主役の性格に役者のそれが投影されている。
話は当然虚構なのだが、こちらはつい虚構と現実をまぜこぜにしてしまう。
子供への愛情を示そうとする父親の不器用さと情けなさ。
それを理解しながら、受け入れる子供。
シドニーに飛んで、コアラと接し、それをストーリーにちゃんと使う、話のまっとうさ。
エンディングは、見ていると苦しい気持ちになるのだが、生活は続くのだという決心も感じられ、鑑賞後に自身の生活を見つめ直す。
僕は、藤子・F・不二雄の「パパは天さい!」という作品が好きで、川崎にあるミュージアムで閲覧できる「全集」で「パパは天さい!」を2016年に改めて読み直した。
その「パパは天さい!」を読んでいるときと同じ気持ちを、この映画を見て感じる。
瀬川昌治の監督作品には「喜劇役者たち 九八とゲイブル」があり、こちらは愛川欽也とタモリが出演しているそうだ。
ぜひ見てみたいのだが、現在のところDVD化はされていない。
ソフトとしては、VHSがあるようなのだが、入手困難である。
また、2016年1月には、この作品が神保町シアターで上映されたそうだ。
キンケロ・シアターなど見に行っている場合ではなかった。
改めて、僕は1985年ごろの日本映画が好きであることを認識した。
今から30年前の作品を見に行くことを思うと、輪をかけて孤立し、世界が狭まりそうで、気が重い。
2017-12-24 Sun.
保嵐
2017-12-24
顔を知っていて、名前も確かに知っているのに、その名前が思い出せなくて、「ここは調べるのではなく、記憶がよみがえるのを待とう」として、2日後に思い出した名が、ホラン千秋であった。
また、「橋本さん」という名前は憶えておきながら、芸名を全く思い出せなかった状態が3日続き、ある日急に記憶の扉が開いた名が、May J.だった。
2017-12-23 Sat.
保身
2017-12-23
「世にも奇妙な物語 '16秋の特別編」を視聴。
4本の中では、「貼られる」が一番面白かっただろうか。
でも、さほど納得はしなかった。
まさか、成宮寛貴にレッテルが貼られるとは。
立て直し可能な企業にもかからず融資することを拒んだところを見ると、やはり彼は、バンカーとしては終わっていたのだろう。
「シンクロニシティ」の方がより納得できたけど、なぜか白けてしまった。
決して演技力のせいではないと信じたいが、きっと事故発生時点で「落とし穴」の件を捜査しなかった警察に不自然さを覚え、腑に落ちなかったのだろう。
「捨て魔の女」は、ありがちなオチだったが、TV局がこんなステレオタイプなアナウンサー像を提示して、気がとがめないのだろうか。
「車中の出来事」は、好きな人は好きなのだろう。
アバンストーリーの「ずっとトモダチ」は、雑な感じがした。
「貼られる」と「捨て魔の女」を見て実感したのだが、組織は現場に責任を取らせる。
失敗をフォローすることが組織の長の仕事だと僕は考えており、それをしない彼らに対し、無駄だけどシンプルに腹が立ってしまった。
2017-12-16 Sat.
若江
2017-12-16
柳井正は、ハロルド・ジェニーンの「プロフェッショナルマネージャー」を「これが私の最高の教科書だ」と評した。
僕は、「プロジェクトマネジメント」を、「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」で学んだ。
これは、冗談ではなく、本気でそう思っている。
目標の単純化と明確化、時間が限られていることの意識、目標の共有、目標の達成を優先し手段を選ぶ、メンバーに役割を与える、チームの雰囲気を大切にする、過去の経験を活かす、二兎を追わない、決して無謀なことをしないという勇気、あきらめない粘り強さ、成功と失敗を都度確認する、懸命な姿を見せ支持者を増やす、決断はリーダーが下す。
これらの点はすべて「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」の視聴で気づいたことであり、これらを業務や日常で実践すると格段の改善を得られた。
「番組で設定されている出発地と目的地である以上、時間内に到達可能な正解ルートが必ず存在することがわかっている」という点が、一般のプロジェクトにおいて当てはまらないケースがあるものの、正解ルートの存在がわかっていてもルートを必ず探索できるとは限らないのは、一般のプロジェクトでもよくあることだ。
一体誰が、蛭子能収とマルシアを引き連れて、大阪から金沢まで路線バスを乗り継ぐことができるだろう。
太川陽介は、優秀なプロジェクトマネージャである。
今回のリスク管理ぶりを見ても、それがよくわかる。
さて、「ローカル路線バス乗り継ぎの旅Z」第4弾(岐阜→鳥取)を視聴。
ちょうど、シリーズ1の第2弾と第8弾のそれぞれのルートの一部をつなぎ合わせたような形となった。
結局のところ、琵琶湖の迂回を左回りか右回りかにするかがポイントとなり、湖西と小浜は鬼門であることは、第19弾と同じだった。
惜しいように見えたのは、おそらく制作陣の、失敗することを考慮した上でのルート設定だと思う。
そうは言っても、大原を直接目指した点などは、制作陣の期待を越えてきたのではないだろうか。
確かに、見ていていろいろと物足りないところ、シリーズ1と比べてもっとこうしてほしいと思ったことはあった。
それでも、確実なルートがあるなら先に進める可能性を確かめる行動力、落ちている情報に目を配り活用できないかを模索する貪欲さ、笑顔を絶やさない村井美樹には感動した。
フィードバックをかければ成功率が上がる(メンバーのスキルが上がれば、ルートの難解度も上がるので、一概に成功率が上がるとは言えないが)、正しいフィードバックを得られるかは田中要次と羽田圭介次第である。
できれば、マドンナに体力的な無理をさせないためにも、また合理的なルートを用意している番組の趣旨を尊重するためにも、長距離の徒歩移動は控えてほしいが、口で言うは易し。
2017-12-12 Tue.
膵臓
2017-12-12
「世にも奇妙な物語 '17春の特別編」を視聴。
先に片付けておくが、「'17秋の特別編」も最近見た。
どれもとにかくひどい出来と感じてしまい、コメントも控えたい。
そう言いながら1つだけ書いてしまうが、「今後は喜劇をやってみたい」という俳優のほとんどが、僕は苦手である。
「やってみたい」からと言って「できる」とは限らないことを、理解しているのだろうか。
「ママはアイドル」があったからいいではないか。
さて、「春の特別編」。
内容については、どれも水準を満たしていたと考える。
「夢男」はメッセージ性の強さがあったが、気味悪さのままで終わらせたのがよかった。
飛び降りた後も続けたところに、矜持を見た。
「一本足りない」は、CM明けの必要性を最初は感じなかったが、「壊されないためにどうするか」という主人公の考え方を示した点で、あってよかったと思う。
永作博美は、同じ事務所のプッシュを考慮しても、十分貢献している。
白石美帆、栗山千明と並んで、茨城県出身を代表する俳優である。
「カメレオン俳優」は、「世にも奇妙な物語」の役目の一つである、旬である俳優の特性を生かした作品であり、その役目を果たしていた。
「妻の記憶」は、ほぼ「昨日公園」であった。
独りでいるところを他人に見られるのは、僕にとっては苦痛であり、耐えられない。
何よりショックだったのは、浜辺美波の母親役が内山理名だったことである。
「美少女H」世代もここまでくるとなると、20世紀も遠くなりけり。
そして、4本構成+アバンストーリーが定着してしまったのが、悲しい。
2017-12-11 Mon.
郷愁
2017-12-11
福岡県庁のウェブサイトで、「首都圏の福岡ゆかりの店」というページを見つけた。
東京事務所勤務である自分たちのために作成したリストのかもしれないが、いい仕事をしている。
しばらくは、これらの店の攻略が楽しめそうだ。
2017-12-10 Sun.
信義
2017-12-10
ラテ欄にあった、
毒舌サッチー一世風靡
野村沙知代さん死去▽
姉弟「骨肉」深い闇…
富岡八幡宮司刺殺の裏
に、「書き手の悪意」を感じる自分には「読み手のうがった見方」があるのだろう。
2017-12-09 Sat.
蒐集
2017-12-09
先週から、年末の恒例行事である、1年の回顧を進めている。
僕の頭は、過去の出来事をすっかり忘れてしまっており、記憶に基づく会話が一切できない。
せめて年末に振り返り、記録を残しておかないと、後年「僕はいったい何をしてきたのだろう」という不安と絶望に悩まされる(のだろう)。
また、年末に自身の行状を見直すことで、その年にやり残したことが見つかる。
そして、「できれば年内に決着をつけよう」という気になる。
その気になるだけで、何もしないことばかりではあるのだが。
さて、2017年の音楽鑑賞を思い返すためにiTunesの楽曲リストを見直してみる。
現在、itunesにアルバムが、1,188個取り込まれている。
しかしながら、そのうち155アルバムは、まだ1度も再生されていない。
情けない。
僕は、決してCDをインポートすることで満足感を得ているのではない。
それでも、「時間がない」という実証のない言い訳をして、結局はサボってしまっていたのだ。
年内にできるだけ多く聴こう。
すべての聴くには160時間以上かかるし、中谷美紀の「食物連鎖」を積極的に再生するとは思えないけれど、とりあえず進もう。
2017-12-08 Fri.
濃青
2017-12-08
「割り食い世代」の同年代でもあるし、「四月物語」も映画館で見たし、「歌がうまい」という評にも納得しているし、それほど批判的ではない立場ではある。
それでも、「どうなんでしょうね」と思う、CDの宣伝に用いられている松たか子の写真は。
…彼女は恵まれているように見えて、割り食っている印象がないな、松本紀保ほどには。
2017-12-06 Wed.
空転
2017-12-06
Yahooに、広告が表示される。
1月4日と5日を休んで11連休に!
厚生労働省の呼びかけだ。
こっちは、真剣に仕事をしようとして、ウェブブラウザを立ち上げている。
…しようとしていただけかもしれないが、それでもそのポーズだけは維持しようとしているのだ。
モチベーションをあげようとするモチベーションすら失わさせるのは、もはや犯罪である。
なぜ、人には都合があることがわからないのだろうか。
なぜ、一斉に休ませようとするのだろうか。
そもそも、なぜ休ませようとするのだろうか。
休んでも、仕事の量は減らない。
仕事の質を守るには、結局、他の日に時間外労働をする羽目になる。
それとも、厚生労働省は、労働量を減らす画期的なテクノロジーを開発したのだろうか。
あるいは、仕事のシェアと賃金アップをともに実現する、新たな価値創成を果たしたのだろうか。
僕の仕事に、誰も期待していないのだろうか。
それに、大型連休を取らせようとするのなら、遅すぎる。
休暇は、休暇に向けた計画を事前に練ってこそ、楽しいのだ。
資金の手当ても計画を立てる猶予もないまま、突然休みだけ与えられても、時間と金を浪費するに過ぎない。
本気でそう望むなら、せめて、1年くらい前から周知を図るべきなのだ。
それが、仕事というものではないか。
そういうわけで、早速2018年12月28日と2019年1月4日の休暇届を出し、10連休の計画を立てよう。
2017-12-04 Mon.
事欲
2017-12-04
「欲しいものはたくさんあるの」と詩人は言った(JASRAC未承諾)。
ところで、僕は欲しいものがすぐには思いつかない。
この10年、欲しいものなど手に入れただろうか。
少なくとも、金で購入したものは、欲しいものではなく「必要なもの」がほとんどだ。
この10年で、自分のために購入した最も高額なものは、TVだったと記憶する。
自宅のTVは2009年に購入した42型の店頭展示品で、確か15万円程度だったはずだ。
それだって、「欲しいもの」というよりも、必要だから、である。
しいて言えば、「欲しいもの」というより「したいこと」だったら、10年間で購入した中で最も高額なものは「旅行」だろう。
旅行は、自分の希望で出かけている。
もっと自由に旅行に出られるのなら回数を重ねているのだろうが、日常の瑣事に翻弄されてしまい、思い通りにはできていない。
その他に欲しいものを挙げれば、本だろうか。
それさえも、本を置くスペースが確保できないのと、本の内容を理解するための時間と脳が都合つかないために、自由に買っているわけではない。
さて、その2009年に購入したTVだが、最近どうも調子が悪く、突然電源が落ちる。
いつもというわけではなく、再現する手段もわからない。
それで、家電量販店に足を運び、次のTVを模索している。
現在のものの1つ前のTVが14型で、それを42型に買い替えた時、「これ以上大型のTVを今後買うことがあるのだろうか」と思った。
それから、8年。
部屋が狭くなるような引っ越しをしたわけでもないので、サイズダウンになるようなTVの買い替えはしたくない。
次は55型かと思うのだが、価格が20万円くらいであるのを知り、気持ちが萎えた。
4K放送もまだ定まらないし、そもそもTV放送を今後どの程度見るのだろうか、という疑問もある。
可能ならあと2年くらいは今のTVをだましだまし使っていきたい。
まさか、「平成32年東京オリンピック」をきっかけにするような行動を自分が起こす気になるとは、情けないことだ。
この頃やたら「「もの」より「こと」」という表現を聴くが、僕の場合は今もなお「こと」より「もの」である。
「もの」はじっくり選べるし、後に残る。
「ものを選ぶ「こと」」や「ものを使う「こと」」が、楽しいのだ。
一方で「こと」は、クオリティがまちまちだし、「こと」の多くは人が絡むので、苦手なのだろう。
「こと」を楽しめるほどに成熟していない自分を突き付けられることも、苦手とする要因の1つだ。
2017-12-03 Sun.
薬鎖
2017-12-03
映画「ドラッグストア・ガール」を視聴。
「今更なぜ?」というそしりはごもっともで、見ている本人すら理由がよくわからないでいる。
なお、これが初見である。
田中麗奈のための映画であり、田中麗奈が主演していなければ決して見ない種類の映画だが、それにしても豪華なキャストである。
田中麗奈が主演ということで大きな動きが可能だった時代だ、と再確認。
田中麗奈の喪服姿は儲けものであり、だからあれがああなっている設定だったのか、と納得(だれもネタバレなど気にしないだろうが、書かない)。
田中麗奈に何を着せるかを考えてからストーリーが決まっていったのではないだろうか、それに何も文句をつけないけれど。
また、特典映像のインタビューであったが、田中麗奈が食べ物の中で唯一苦手としているものがイカであることを、ここに記録しておく。
僕は、「世の中で一番うまい食材はイカかも」説を唱えてきたのだが、そんなことを聴いてしまうと「いっそイカ断ちをしようか」と思ってしまう、しないけど。
2017-12-02 Sat.
素通
2017-12-02
「ブラタモリ」の次回予告で「岐阜」を訪れることを知り、僕は「岐阜のどこだよ」と口に出す。
それで、今週見てわかったのは、「岐阜」とは「岐阜の岐阜」を指す、ということだ。
小倉に住んでいたころ、最も馴染みのない都道府県は群馬県だった。
時刻表の、東北のあたりをつかんで右にグイっと倒したような、関東から新潟県にかけてがゆがんでいる地図に親しんでしまうと、海に面していない群馬県とその周囲の位置関係が把握できない。
関東に出てきて以降、何度が群馬県にも足を運んでおり、それなりの知識を得た。
それに伴い、最も疎い都道府県の座は、岐阜県が占めるようになった。
そもそも、岐阜県は、帰省の際に通過はするものの、立ち止まったことすらほとんどない。
思い返せば、岐阜県内で一旦停止したのは、修学旅行で乗った特急「しなの」での停車と、鈍行列車で実家に帰省したときぐらいだろう。
これを書いている今も、大垣が岐阜県内にあるのかを確認した。
その程度の知識である。
これは岐阜の人に申し訳ない、と思う。
人付き合いの悪い僕には、岐阜市出身者の知り合いがおらず、誰に申し訳なく思えばいいのかすら定まらない。
さしあたり、熊田曜子を見て、雑誌を前に謝ればいだろうか。
それはさておき、僕は、織田信長が目指していた形の「平和」を望まない。