動員
ふと思いつき、四ツ谷駅で下車。
行列は四ツ谷駅前交差点で折り返しだそうで、警察官が整理にあたっていた。
ちょっとした散歩にはいいのかもしれない。
ふと思いつき、四ツ谷駅で下車。
行列は四ツ谷駅前交差点で折り返しだそうで、警察官が整理にあたっていた。
ちょっとした散歩にはいいのかもしれない。
まずは、村田兆治が逮捕された。
僕は、人差し指と中指にボールを挟んで眠った世代であり、いささかショックである。
次に、常幸龍が引退を表明した。
ここ数年来、一番応援していた力士が常幸龍であり、アプリでその日の勝敗の通知が来るように設定していた。
負けが込んでいたので気が気でなかったが、つらい決断を受け止めることとなってしまった。
家族ができてからの長い養成員生活、どれほど苦しかったであろう。
そして、佐藤美希が引退を表明した。
佐藤美希ですら引退してしまうとは、芸能界は厳しい。
栃木三大美女、すなわち平山あや、酒井若菜、八反安未果に続く、栃木県出身女性タレントであったが、今後は井上咲楽が頑張ってくれることであろう。
土曜。
時刻は、9時すぎ。
車窓には、野球やらサッカーを楽しんでいる子供たちと、それを見守る大人たち。
控えめに言って…、控えめにしても公表できない賛辞というものもある。
10時前に、船橋に到着。
船橋は遠く、この時刻が自分の限界である。
マクドナルドに入り、席からモバイルオーダー。
スマートフォンの「便利な」アプリをほとんど使わないが、マクドナルドのアプリからの注文は、もうすごい。
ついにマクドナルドは、この時代に席まで商品をサーブしてくれる店になった。
そして、モバイルオーダーのカスタマイズ注文は、僕にとって福音である。
なぜなら、店員を気にせずにオニオン抜きのチーズバーガーを頼めるからだ。
一度食べて確信したが、もうカスタマイズしていないチーズバーガーには戻れない。
列車の時刻をGoogleマップで確認し、間に合うように店を出る。
僕がまだアルバイトで関東平野をくまなく回っていた頃、船橋あたりの京成線はまだ地上を走っていたように記憶する。
駅の周辺を見まわすが、線路がどこをどう通っていたのか、想像もつかない。
ほんの20年くらい前の話なのに。
浅草線の車両がやってきた。
京成船橋駅から快速に乗る。
京成津田沼からは各駅に停車する、とのことだが、駅間は長い。
八千代台やらユーカリが丘やらをやり過ごし、景色が開ける。
京成佐倉駅で下車。
4年ぶりだ。
坂を上りきったところに、佐倉市立美術館があった。
前回、JR佐倉駅までバスで移動したときに、佐倉が城下町であることを初めて知った。
ぜひとも、機会があればこの街を訪れてみたい。
「イラストレーター 安西水丸展」の開催を知り、佐倉再訪の機会が訪れたのだと気づいた。
銀行から変遷を経た建物は、レンガ造り、銅板葺き、外壁はタイル張りである。
作品で目を見張ったのは、小学生時代に描いたという水泳大会のポスター。
明快な構図、めりはりのある色使い、最初からそうなのだ。
ポストカードを1枚買って、出る。
車通りの多い、狭い道を進む。
円筒形の郵便ポストが街に設置されており、桜色に塗られたものもある。
長嶋茂雄、荻野目姉妹、堀越のりを輩出した佐倉中学校、堀越のりを輩出した佐倉東高校の脇を抜け、佐倉城址を散策。
美術館では中年女性の組が多いが、城址では中年の夫婦が目に付く。
単独のおじさんはいったいどこで何をして過ごしているのだろうか。
佐倉についてよく知らなかったが、説明書き看板によると、古くは佐倉藩として多くの老中を輩出してきた。
印旛沼と川に挟まれた台地の上に城を配し、趣を感じる。
明治以後は、陸軍連隊の駐屯地が設営されたのち、国立歴史民俗博物館が建てられた。
建物までは入ったが、展示を見ることはせず、今後訪れることがあるような気もしない。
せめて、臼杵摩崖仏の複製は見ておいた。
坂を下り、坂を上り、コンビニでコーラを買い、京成佐倉駅に戻り、電車を待つ。
プラットフォームの「サテライト成田」の看板を見て、おじさんは場外車券売場でも出かけるている方が、まだ健全である、と会得する。
西馬込行きに乗車。
京成船橋で下車。
とんこつラーメンで遅めの昼食。
店内には、オリコンとビルボードのチャートをお伝えするラジオ番組が流れている。
パーソナリティが、ランクインした地方発のアイドルグループの紹介をしている。
控えめに言って…、行きついた感じ。
「よそ者は立ち去れ」ということであろう、おとなしく「サタデーミュージックカウントダウン」でも聞く。
帰りの電車内で、ICEを聞く。
夏の終わりに聞く「echoes」は、明日も何とか暮らしていこうかという気になる。
今年もやると聞き「またやるのか」と思っていたのだが、見てみてやはり「またやったのか」という感想の内容だった。
見ていたときは、あらゆる審査員の要請を断っていることを知っていたので、意味に気付かなかったのだが、「M-1の審査員、やらないのか」というのは、認めているということなのだろう。
第3世代から第4世代の間で審査員ができるような関東の漫才師は思いつかない。
全員死に絶えたのだろうか、つぶされ尽くされたのか。
そして、田中はこの場でこの発言をどう聞いていたのだろう。
また、練習しているんだな、とも素直に思った。
何も準備がいらないのもすごいし、準備を怠らないのもすごい。
また、上島さんのいないダチョウ倶楽部の役割についても気づかされた。
松っちゃんにちょうどよく促すことができるのは、今はダチョウさんだけなのかもしれない。
それにしても、鶴瓶はまたやってくれた。
前年の継ぎ足しで感じたことは、このくらい。
TV生特番は、もうロスジェネ、割り食い世代だけをターゲットにしているのだろうか。
日テレの特番を見ないので、一概には言えないのかもしれない。
NHKも、テレビ朝日も、自動車メーカーも、衛生薬品メーカーも、みんな誰も知らない(知らされていない)ってことが、あるものだな。
むしろ、情報収集能力を疑われないか、ということもないか。
日曜9時の出演者を見ていると、TBSは知らなくても(視聴者に対して知らない体を決め込んでいても)納得。