気入
同じネタでお茶を濁すことになるのは恐縮だが、やはり松岡修造の写真がパッケージに掲載されている商品よりも、皆藤愛子の写真がパッケージに掲載されている商品のほうが買う気になる。
松岡修造の商品のほうは、どうも暴走しそうな気がする。
同じネタでお茶を濁すことになるのは恐縮だが、やはり松岡修造の写真がパッケージに掲載されている商品よりも、皆藤愛子の写真がパッケージに掲載されている商品のほうが買う気になる。
松岡修造の商品のほうは、どうも暴走しそうな気がする。
飲食店で、置き場所を指定する番号のラベルが貼られた漬物入れを見ると、この容器は定期的に洗浄されているのか、と思う。
もちろん、洗浄されていると思う。
近頃、1円硬貨が財布に多くたまる傾向にある。
これは、1円硬貨を消費する機会がないからだ。
支払いはほぼ電子マネーかクレジットカードを使う。
たまに紙幣で払うことがあるが、端数を1円硬貨で支払うことがない。
1円硬貨を数えることが面倒だからだ。
おつりで1円硬貨を受け取るので、ますます増えていく。
あまり言いたくないが、1円硬貨は邪魔である。
「持ち運ぶ」という管理コストが高い。
両替したいのだが、その機会もない。
僕は時々、駅の自動切符販売機に1円硬貨と5円硬貨以外の硬貨をまとめて入れて、取り消しボタンを押し、大きな単位の硬貨に「換金」している。
自動販売機は1円硬貨と5円硬貨を受け付けないので、この方法も使えない。
1円硬貨の原材料はアルミニウムである。
ふと思ったのだが、空き缶のリサイクルボックスに投げ入れればいいのではないか…。
などということをするくらいなら、レジスターの横にある募金箱に入れればいい。
僕はもはや寄付をしないと決めているので、この方法も使わない。
「東京マラソンって今度の土曜ですよね」
日ごろから、「お手軽に記憶の修正をしてくれる装置」として重宝されている僕は今年、この質問を10回程度承った気がする。
それほどまでに、人々が東京マラソンに興味が…あるということなのだろう。
とにかく、増刊号の放送がなかったので、今日は1日中不機嫌だった。
その影響で、東京マラソンに参加した者とは以後絶交することを決意した。
土曜、朝。
めっきり見なくなったTVだが、あるきっかけからこの時間だけは見るようになった。
NHK「おはよう日本」を視聴しながら作業をしているので、はかが進まない。
感情表現豊かな江崎史恵アナウンサーの顔をしかめさせるようなひどいニュースがなければいい、と願う。
もちろん、「ひどいニュースを伝えなければいい」と望んでいるのではなくて、「ひどいニュースになるような出来事がなければいい」と望んでいる。
下りエスカレーターに乗る。
降り口のあたりで人がたまっている。
見ると、ベビーカーを後ろ向きにエスカレーターに乗せ、下から支える形で運搬していた人が、降り口で方向転換しようとしているようだ。
その後ろから来た人々が行き場を失い、人が滞留してしまっているのだ。
このままでは、エスカレーターが進み人ごみにぶつかってしまう。
かといって、後ろにも人が大勢いるので、後ろに戻ることもままならない。
その場所から離れようと、降り口にたまっている人々が方向転換中のベビーカーのわきを抜けようとする。
誰かが、ベビーカーの車輪に足を引っかけた。
故意でないとはいえ、ベビーカーをゆさぶるとは、実に危ない。
足をぶつけた人に、非難の目が集まった…。
そう思ったけれど、所詮危険なエスカレーターに乗せるような物としてしか考えていないのだ。
きっと、それは大事なものではないのだろう。
大事なものではないベビーカーは時間をたっぷり使い方向転換に成功し、我々は倒れこんで圧死することもなく、無事にそれぞれの目的地へと向かうことができた。
大事でないものの行方は知らない。
後出しじゃんけんになるが、僕が初めて飯田ゆかをドラマで見たとき、「どうもな」という印象がした。
何の根拠もないが、「このバスに乗ってはならない」という予感がした。
この予感はだれにも伝えられなかった。
だから、予感していたことを証明できない。
誰にも言わなかったのには理由がある。
大半の人は、飯田ゆかを知らない。
不注意に名前を出すと、誤解される恐れもあった。
飯田ゆかについて詳しく知っている人とは、できればお友達になりたくない、という偏見がある。
「退学」という強烈なキーワードが出てきて、この後に復帰という流れがあるのだろうか。
いずれにせよ、「メンバーの入れ替えが容易にできるようなウェブサイトを設計する」という重要性を実感した。
「相棒」に中山忍が出演する。
「刑事貴族3」を見ていた僕にとって、これは待ち望んでいた出演だ。
「相棒」への出演を望む女優の一人が、岩崎ひろみだ。
出ていないことが意外にすら感じる。
間違いなく、悪役で出ることになるだろう。
もう一人いたはずなのだが、忘れてしまった。
「R-1ぐらんぷり」を視聴。
今回の大会は、比較的ハイレベルだったように思う。
特に、三浦マイルドは、「これぞR-1」というネタであった。
ヒューマン中村のネタ、メディアなら今後どこで見られるのだろうか。
一方で、出場者のレベルにムラがあったようにも思う。
他に該当者はいなかったのか、と思えるような出場者が数名いた。
スギちゃんとキンタロー。が出てくる理由はおおよそ当たりが付くので、ここからは除外する。
高校の時にショックを受けたことで、今でも覚えていることがある。
ある時、数式を計算し、数値を求める必要が出てきた。
暗算や筆算では対応できないような計算で、「電卓(できれば関数電卓)があれば」と悔やんでいた。
その場には何人かがいて、「電卓がないから計算できない」と半ばあきらめかけていた。
ところが、ある者が「目の前にあるものは、いったい何だ」と気づいた。
そこには、MSXがあった。
僕らは、電卓よりもはるかに計算能力の高い電子計算機を前にして、「電卓がないから計算できない」と悩んでいた。
結局、BASICで簡単なプログラムを書くことで、問題はすんなりと解決した。
あのころから、計算機能の存在を忘れるほど、計算機は計算機の印象を失っていた。
この話のポイントは、道具の本来の使い方は忘れ去られやすい、ということだ。
そういえば、北九州市制50周年だった。
わざわざ「天声人語」でもとりあげてくれ、朝日新聞社内の北九州アジテーションは今も機能しているようだ(推測です)。
記念サイトができているので、ホームページにリンクを張っておこう。
また「市役所庁舎の照明で字を作る」というのをやっている。
僕の記憶の限り、これをやっているのを初めて見たのは、市制25周年の時だ。
実家のアパートからもはっきり見えた。
今の実家から市役所庁舎が見えなくなったのは、中国からの大気汚染の影響ではなくて、単に周囲に急増したマンションで隠れてしまっただけだ。
今日知ったことは、2つある。
1つは、豊川稲荷が神社ではなくて寺であるということ、
もう1つは、初午の日に願い事の数だけいなりずしを食べよう、というキャンペーンをファミリーマートが行っていたことである。
2013年の初午は2月9日で、もう過ぎてしまっている。
それにもかかわらず、近所のファミリーマートでは今日もまだFUJIWARAのポップが飾られていた。
「東京観光」が、最近のブームである。
「東京を知ろう」という、「東京新聞」のCMのような、「東京サイト」のようなことをこそこそと行なっている。
先日は、紀伊国坂を上った。
こないだ紀伊国坂に行った、という記憶があったのだが、その「こないだ」というのがいつだったか記憶をたどると、もう8年も前のことだった。
ずっと昔のことを「つい最近」の功績のように語るのは、完全に老化の兆候だ。
上智大学の前に出る。
大学では入学試験が行われているようで、キャンパスは閉まっていた。
四ツ谷駅前で信号待ちをしていると、若い男が「建物の壁面にゴシック体で「上智大学」と書くのは、どうもいけていない」という説を唱えていた。
なかなかの見識だと、僕は思う。
前回英国大使館の前を通ったのは16年前のことだった。
「行ったつもりはもったいない」というがまさに当てはまる。
お堀側はえげつないほどの数のランナーがいて、とても歩けない。
後は流れで、「千鳥ケ淵戦没者墓苑」に行った。
僕の他に、人は1人いた。
初めて行ってわかったのは、「千鳥ヶ淵」の「千鳥ケ淵戦没者墓苑」であるということ、そして、墓苑の隣にも立派なマンションが建っているほど、千代田区の都心回帰は進んでいる、ということだ。
なお、三宅坂の社会文化会館には行かなかった。
単純に行くのを忘れていただけだ。
確かに今は株式や為替への投資からの利益を得ているが、この利益はきっと近い将来の消費税増税で持っていかれることになるのだろう。
365個で「たこ焼き1年分」と称するような厚かましさは、自分の感覚からはちょっと遠い。
そもそも丸刈りの柔道家は、いったい何を刈ればいいのだろう。
うってつけの「刈るもの」を思いついてはいるのだが、品がないのでここでは言えない。
小外刈りの練習でもしていればいいのだろう。
暴力現場の映像をTV局は以前から持っていたみたいだけど、なぜこれまで公開してこなかったのだろう。
もめ事を起こすことになったとしても、「噂の!東京マガジン」に目をつけられませんように。