本質
2013-02-15
高校の時にショックを受けたことで、今でも覚えていることがある。
ある時、数式を計算し、数値を求める必要が出てきた。
暗算や筆算では対応できないような計算で、「電卓(できれば関数電卓)があれば」と悔やんでいた。
その場には何人かがいて、「電卓がないから計算できない」と半ばあきらめかけていた。
ところが、ある者が「目の前にあるものは、いったい何だ」と気づいた。
そこには、MSXがあった。
僕らは、電卓よりもはるかに計算能力の高い電子計算機を前にして、「電卓がないから計算できない」と悩んでいた。
結局、BASICで簡単なプログラムを書くことで、問題はすんなりと解決した。
あのころから、計算機能の存在を忘れるほど、計算機は計算機の印象を失っていた。
この話のポイントは、道具の本来の使い方は忘れ去られやすい、ということだ。