曇天の続き

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2012-07-31 Tue.

剛愎

2012-07-31

最近、コンビニエンスストアの会計で「袋、どうしますか」と言われたときに、「いりません」と返事をすることに挑戦している。

エコロジーに目覚めたのではない。
店員に尋ねられた場合、僕はとっさに「いらないです」と言ってしまう。
この言い方が気に入らなくて、「いりません」と言うように改めようと挑戦している。

「いらないです」とは、広く通用する言い方なのだろうか。
通用しないことはない。
それでは、正確な言い方なのだろうか。
それはよくわからない。
でもとにかく、「いらないです」という言い方はやめようと決意した。

ところが、会計の際100%「いらないです」と言ってしまう。
いつそういう癖がついてしまったのかわからないが、無意識だと必ずそう言ってしまう。
「いらないです」に限らず、僕は否定する際に「―ないです」と言ってしまう癖がある。

ここ最近は、「です」を省略して、「いらない」とだけ言ってしまうこともある。
完全におじさんの言い方である。
この言い方でいいと思っているのは、言っている本人だけだ。

「いらないです」と言った場合も、「いらない」と言った場合も、後でひどく悔いている。

逆に、袋が欲しいとき、以前なら「いただけますか」と返すようにしていた。
しかし、今は、「ください」と言うようにしている。
丁寧さが欠ける言い方なのが自分で気になるのだが、コンビニエンスストアに必要なのは、迅速なやりとりだと気づき、こういう言い方に変えた。

ところで、店員に「レシートいりますか」と言われたら、必ず無言で手を差し出すようにしている。
これは、ささやかな抵抗である。

いらないときは「いらない」と言うし、万が一いらないレシートを受け取ったとしても、レシートを捨てる箱が用意されていたらそちらに捨てる。
レシートをゴミ箱以外の場所に捨てる人がいる、と思われているから、こういうやりとりが生まれてしまったのだろう。
ぜひ、なくなって欲しい。

ところで、「ウザい」と思っているのは本人だとおもう。
自分で火をつけたところもあるのだから、しつこくやられても文句は言えない。
求めに応じて、いつまででもやり続ける。
それがなくなるのは、効果のあるクレームが飛んできた時だろう。
どこかに泣きつくんじゃないかな。

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2012-07-30 Mon.

介入

2012-07-30

久しぶりにスポーツ中継を見て知ったことは、中継の解説者に公平性や中立性などは全く求められていない、ということだ。

自国の選手に不利な状況があっても、気づかれていなければ、解説者はそれを無視する。
例えば、審判が誤った判定をした時、自国の選手に有利であれば、たとえ判定が誤っていると気づいていても、解説者はそのことを言わない。
後で、誤った判定が覆ったときに、解説者はそのことを指摘する。

F1中継では、このようなことはほとんど起こらない。
解説者は、自国の選手に偏った見方をしない。
解説者にプライドがあるからだろうし、また、解説者自身が外国からの目に常にさらされているから、事実や実態をねじ曲げた無様なことは言えないのだろう。

僕は、解説者にスポーツの解説を求めている。
解説者の気持ちの解説を求めているわけではない。

そう思っていたら、あるスポーツ中継では、解説者が「解説と応援の両方をがんばります」とはっきり公言していた。
僕が勝手に幻想を抱いていた。

盛り上がることは、お茶の間の方に全面的に任せて欲しい。
だから、おとなしくネット生中継を見る。

それにしても、あんなことが許されるものなのだろうか。
今回は全くなかったのだろうが、観客の空気を読んで一度下した判断を覆す、ということが起こりうると疑われてしまうではないか。
未経験者の僕にはよくわからない感覚なので、もう見ないだろう。

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2012-07-29 Sun.

雨乞

2012-07-29

柔道に延長戦が導入されたことが原因なのだろうか、なかなか「平清盛」の放送が始まらないので、「ビューティフルレイン」を見てしまう。
酔って眠かったので、内容はよくわからなかった。

エンディングテーマのところで目が覚めてしまう。

松任谷由実が作詞作曲した歌を芦田愛菜が歌っていることは知っていたのだが、聴いたのはこれが初めてだった。
なぜこのような歌を書いたのだろう。

ところで、「愛菜」を「まな」と読むのは受け入れがたいことのように思ったが、慣れてしまった今では抵抗感が少なくなった。
人が名を育てる。

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2012-07-28 Sat.

結集

2012-07-28

命名権が好きではない。
契約期間が過ぎると、名称が変わってしまうところが苦手だ。

本当に広告しているのは、メディア関係者である。
金をもらっていないのに、正確な名称を間違えずに宣伝することに気を遣わなければならない。

また、商品のイメージが強いのも困る。
「味の素スタジアム」に入ると、どうも自分が粉まみれになったような気がする。
渋谷公会堂の前の名称だと、気に食わない商品名を言うのもしゃくに障るし、自分が何だか酸っぱくなったような気になる。

泉佐野市が市名命名権を売るとしていたが、報道もそれに合わせて名称を変える必要があるのだろうか。
例えば、「泉佐野建設」みたいなところが買えばいいのではないかと思う。
栃木県の佐野市が命名権を買うとか、どうだろう。

さて、渋谷に行ったときの楽しみの一つは、用事もないのに渋谷公会堂の前まで行って、今日は誰がコンサートを開くのか、どのくらい人が集まっているのかを確認することだと思う。

先日渋谷に行ったときにも、公会堂の前は多くの人が集まっていた。
何人かの人が、iPadを掲げて入り口で立っていた。
余った券を買うか売るかする人なのかも知れないが、そうだとしたら時代が変わったものだ。

公会堂の前には看板がなく、何のイベントが行われているのかわからなかった。
そこにいる人に聞くか散々悩んだが、結局聞かないままに終わった。

帰って、ウェブサイトでイベントの予定を確認すると、「PRIVATE」とある。
後で、ウェブ上の情報をつなぎ合わせると、誰かの「達成ラリー」が行われたらしい。
初めて知った概念だが、とりあえずその場の人たちに聞かなくても知ることができた。

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2012-07-27 Fri.

援撃

2012-07-27

いじめの被害者だった、ということでコメントを出すタレントは散見される。
しかし、いじめの加害者だった、という立場でコメントを出すタレントを僕は知らない。

これは、いじめの加害者のようなものどもはすでに死滅したか、社会的制裁を受けており少なくともタレントのような一般社会の構成員の中にはいない、ということなのだろう。
本人に加害者の自覚がないから、では決してないのだろう。

だったら、「いじり」を得意とするタレントの弁明を待ちたい。
まさか、加害者の見解と同じようなことは言わないだろう。

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2012-07-26 Thu.

表徴

2012-07-26

夏である。

昼間の街には、若い学生が目立つ。
おそらく、中学生か高校生なのだろう。
年相応で学校の制服らしきものを着ていても、それを中学生か高校生だとは断定できない。

昼間の電車に乗ると、おそらく中学生と思われる人たちが数人で騒いでいた。
「5万で」「いや2万5千円で」「1万5千円でしょ」という、ここでは詳細が書けない話をしていた。

いやでも耳に入ってくる会話から、聞いたことがない単語が聞こえてきた。
2、3度は聞き流したが、好奇心が強く、すぐに忘れてしまうくせに知らない言葉の意味を知りたがる自分の性格をとどめることをできず、その単語をメモに書き留めておいた。

PCで、その単語を検索する。
その単語は、一般的に使われているものではなく、どうやら内輪で使われている言葉のようである。
仲間内で使われているような単語がどうしてウェブに公開されているのかというと、内輪の構成員がその単語をウェブ上に綴っているからである。
そのウェブサイトには、今日はどこに行っただの、あいつはどうしただの、固有名詞込みで事細かに記されてあった。
当然ながら、と言っていいのか、人物の写真も掲載されている。

その単語を、ここで公表するわけにはいかない。

この経験から感じたのは、「電車内で騒いではいけない」という常識の新しい理由の一つが生まれた、ということだ(ちなみに、電車内で騒いでいた当人たちのひとりは、「「騒いじゃいけない」なんてどこにも書いてない」と話していた)。
マナーは、自分の身を守るためにあるものである。

僕は普段、スマートフォンを持ち歩いていない。
仮に持ち歩いていたとしたら、きっとその場で検索していただろう。

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2012-07-25 Wed.

巻添

2012-07-25

田中麗奈のウェブサイト上の日記に、「「うまかっちゃん」が大好物」とある。
にわかに信じがたい話だが、続きの文章を読み「そういえば、ハウス食品のCMに出ていた」と気づき、モヤモヤする。
あの味、まあわからなくもない。

どういうポジションであろうと、タレントである。
全方位的に動かなければ、仕事にならない。

ちなみに、僕はどちらかと言えば「棒ラーメン」派です。
店で「棒ラーメン」を見かける機会はあるが、「うまかっちゃん」を見る機会は少ない。

サイゾーに「「平清盛」で、台詞を覚えてこなかった」と書かれてしまったが、こちらとしては、単なる「とばっちり」として処理している。

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2012-07-24 Tue.

恍惚

2012-07-24

に言ったとおり、「死ぬ前にたった1度だけ、お笑いBIG3のトークを深夜の生放送で見たい」という願いがあった。
それが叶った(しかも、+鶴瓶という形で実現した)後、TVに対するこちらからの一方的な望みは全て流れ去ったような気持ちがしている。

これからも、TVを見て笑うことはあるだろう。
しかし、それらは全ておまけのようなものに感じるのだろう。
もう十分に楽しませてもらったし、これ以上を望む必要を感じない。

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2012-07-23 Mon.

腰骨

2012-07-23

ずんのやすさんの仕事復帰が決まった。
初仕事は「カンコンキンシアター」である。

控えめに言って、ほっとした。
しかし、どの程度回復しているのか、まだよくわからない。
「お笑い能力は元々低いので、回復は期待しないで欲しい」と自嘲しているものの、体が以前より動けなくなっていれば、多くのネタをあきらめなければならなくなる。

関根さんがとんねるずと平穏に仕事をしているように見える場面を見ると、報道では明らかになっていない事実があるのだろう。

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2012-07-22 Sun.

団結

2012-07-22

オレのために働け、と言う人がいる。
時には、強要まがいのことをして、相手を思うがままに動かそうとする人もいる。
ある国では、「御国のために死んでくれ」と言う人もいると聞く。
信じがたい話だ。

それに引き替え、要請されていないのに自ら進んで走ることこそが、混じりけのない純粋な気持ちなのだと思う。

正当なセレクションを受けていないプロフェッショナルであるかどうかも曖昧なタレントを自らの裁量で選び出し、それらを思いのままに操ることにより番組を成立させようと企み、有無を言わせない環境で企画を提示し、半ば強引に命じる形で長距離を走らせる様を視聴させられていた過去を思い返すと、本当にいい時代になった。

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2012-07-21 Sat.

出禁

2012-07-21

「出入り禁止」といって騒ぐことがあるけれど、こんなのはもともとはネタである。

ネタではない「出入り禁止」というのは、騒がれることはない。
「いいとも」に本当に出入り禁止なのは、例えば堀江貴文受刑者である。

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2012-07-20 Fri.

看板

2012-07-20

佐々木希が自らデザインを手がけるファンションブランドが休止される、と発表された。
芸能活動との両立が難しいから、とコメントしている。

根拠がないので、コメントを信用してはいない。
でも仮に両立が難しいというのが本当の理由なら、もうちょっと耐えた方がいいのではないかと思う。
デザインは無理としても、せめてプロデュースという形を取れるように維持できればよかった。

これは、「タレントのプロデュースって、実態はどうなっているのだろう」という疑いの示唆である。

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2012-07-19 Thu.

配慮

2012-07-19

視聴者が真似をして、コインを口に入れ、細菌に感染したり、コインを誤飲したりすることが考えられるので、記者会見でメダルを口にくわえさせることは控えます。

このくらいの過剰反応を起こさないとやみそうにない、陳腐な演出をやめてほしい。

つまり、メダルを取るような活躍を期待しています。

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2012-07-18 Wed.

量産

2012-07-18

人は簡単に「一発屋」と言う。
彼らには実力がないのだろうか。
月並みに言えば、おもしろくないのだろうか。

個人的な感覚だと、「一発屋」と呼ばれる芸人の中でも、ネタがブレイクしていた時に「おもしろい」と感じた場合もあったし、逆にネタがブレイクしていた時であっても「これのどこがおもしろいのだろう」と疑問に思った場合もあった。
そして、ブレイク当時からおもしろいと思っていた人たちは、当然好きなものであるため、今でもおもしろく思えるし実力を感じる。

「新橋ミュージックホール」にダンディ坂野が出てきたとき、僕は不思議な雰囲気を持つ人がいるという感想を持った。
数年経って彼はブレイクしたが、雰囲気はあの頃とほとんど変わらないし、世間に受けていたことの方がむしろ不思議に感じた。

ヒロシ、小島よしお、そしてスギちゃんと、「一発屋」と呼ばれる人たちが出てきているが、ネタがもてはやされている時点で十分におもしろいと思えた。
たぶん、今DVDを見直しても、おもしろいと思える自信がある。
適切な場面でネタを披露すれば、僕は今も純粋に笑う。

つぶやきシローは、ネタがおもしろいとは感じなかった。
ただ、つぶやきさんの性格には当初から興味を持つことができた。
狩野英孝も同じカテゴリー、つまり「ネタはともかく性格が興味深い」というのに入る。
コウメ太夫も、爆発力のある芸と、それとは対照的な自信のなさから、このカテゴリーに入る。

それ以外の「一発屋」と呼ばれる人たちのほとんどは、フレーズは耳に残るが、ネタ自体はおもしろさを感じない、というケースが多い。
言葉は悪いが「こんなその辺に転がっているようなことで、こちらの笑いを強要するつもりか」と思っていた。

しかし世間は、盛り上がる。
そして世間は急速にさめていき、それまで笑っていたものを「一発屋」と言いのけるようになる。
僕には、世間が当時の自分たちの盛り上がりをなかったことにしようとしている、ように見える。

「一発屋」の大半が、人工的に作られたものである。
人気ネタ番組で繰り返し放送されていただけか、あるいは身内の芸人の結婚披露宴で披露された若手の一発芸がTVの前で行われていただけだ。

僕が最初から「おもしろい」と思えなかった「一発屋」の大半が、「エンタの神様」で量産された人たち、あるいは吉本興業から供給された人たちである。
ネタの聞き心地はいいのだが、真剣に聞こうとすると、大したことは言っていない。
おもしろいのは彼らがタレントの仲間だからであって、視聴者にはよくわからない。
繰り返し見せられるから、視聴者もついていくようになる。
当然ながら、長くは続かない。

若手にチャンスを与えるのはいいことだと思う。
僕が問題だと思うのは、チャンスの与え方が均等ではない、ということだ。
だから、TVに出るための競争に歪みが生じ、芸が次から次に消費され、そして消えていく。
残るのは、消費を楽しんだタレントだけで、消えていった人たちは残ったタレントの飲み会の相手としての要員になる。

それでも、それでも一発当てるだけでも、ものすごいことである。
世の中には、一発も当てないで終えるタレントが大半であるからだ。
もちろん、西本はるかですら、である。

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2012-07-17 Tue.

無用

2012-07-17

「7つの習慣」を借りて読んでいるちょうどそのときに、著者のコヴィー氏の訃報を聞いた。

僕がこの本を初めて読んだのは、実家にいたときだった。
実家の本棚にこの本があるのを見かけ、その頃話題にもなっていたのもあり、手に取り読んだ記憶がある。

「7つの習慣」の奥付には、「1996年12月25日 初版第1刷発行」とある。
ということは、僕がこの本を読んだのは、早くても1996年12月以降、ということになる。

この本を実家で読んだことをは覚えているが、読んだ時期までは覚えていない。
本の発行日から読んた時期を類推できるが、その時期に読んでいた、というのがとても信じられない。
でも、おそらくその時期に読んでいたのだろう。

立派な本など読んでいても、何の役に立たない。
そういう短絡的な意見に乗りたくなる。
しかし、以前から言っているように、自分が気づいていないだけできっとどこかで役に立っているのだろう。
読んでいなければ、僕は爪もまともに切ることができないままだったかも知れない。

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2012-07-16 Mon.

兼業

2012-07-16

小嶺麗奈のブログが久しぶりに更新された。
内容は、彼女がディレクションをするヒーリングサロンの店が開店する、というものである。
女優業を一旦休養し、アロマセラピーの資格を取るなどの準備をし、開店に至った、のだという。

「だから、こういうところだよ。わからないのかな」と独りごちる。
ファンならきっと、コンスタントに活動してもらう方がうれしいと思う。
「ファンなら」とわざわざ断りをつけるのは、僕はもうファンではないからである。

店は代官山にある。
代官山には、僕はもう10年近く行っていない。
なので、今後10年代官山に行かない可能性がある。
もし行くようなことがあったら、店をのぞいてみたいと思う。

ところで、八反安未果のブログを読んでいると、自らが経営する店の話がよく出てくる。
会社を設立し、代表取締役になるなど、結構がっつりやっている。
立派である。

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2012-07-15 Sun.

途切

2012-07-15

外で飲んだ帰り、よせばいいのにミュージックストアに立ち寄り、フィッシュマンズの新しいCD(正確にはFISHMANS+の「A Piece of Future」)が発売されているのを知り、試聴し、曲を飛ばし、6曲目を聴いて動けなくなる。
完全に酔っているせいだが、目がかすみ、ただただ聞き入ってしまう。

この時初めて、店の試聴機は一定時間が来ると止まってしまう、ということを知った。
これまで、そんなに熱心に試聴機で音楽を聴いたことがなかったのだ。

過去をむやみに有り難がることを、僕はできるだけ避けようとする。
たとえ優れた作品であるとしても、受け手としてはその作品を同時代に体験した人たちの感覚にはかなわない。
また、僕らが過去を絶賛してしまうと、同時代を生きる人たちの才能に機会が回りにくくなると考えるからだ。

しかし、失われたものに対する思いというものは特殊で、理性で押さえようと思っても押さえきれない何かがある。

僕の場合、iTunesでアルバム単位のランダム再生をしていると、フィッシュマンズの後にICEという順番で再生されることが頻繁に起きる(フィッシュマンズとICEの音源を多く取り込んでいるからだ)。
このコンボに入ると呆然とし、しばらく何も手につかなくなってしまう。

当時から聞いているので、フィッシュマンズとICEには同時代性を感じている。
そして、今後決して新曲が出ることはない、という事実に打ちのめされる。

思いがあふれ出しそうになったとはいえ、その場でCDを買うことはなかった。
やはり、酔っているときの衝動的な行動は怖いからである。

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2012-07-14 Sat.

整形

2012-07-14

3週間ほど前、シネマライズの前でぼんやりしていた。

映画館の前には近日公開の映画「へルタースケルター」の広告があった。
ぼんやりしていたのは5分くらいだが、その間に、

「「へルタースケルター」、見に行く?」
「絶対行く!」

という会話をする街行く人たちに、3組出くわした。

恐ろしいポテンシャルである。
さすが、メディアに出ないことが宣伝になる主演女優である。

新手の広告ではないと信じたい。

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2012-07-13 Fri.

醜容

2012-07-13

歯茎が痛い。

歯槽膿漏を疑ったが、どうも口内炎らしい。
これなら、病院に行かなくとも治るだろう(個人の見解です)。
健康な生活を送りたいので、医者にかかるのは極力避けたい。

それにしても、口内炎の姿はえげつない。
口内炎は、口内にできるから目で観察できる。
こういった炎症が、体内の消化器官にも頻繁にできているのだろうか。

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2012-07-12 Thu.

付録

2012-07-12

はい、映画の公開が近付くちょうどそのタイミングに、スキャンダルが発覚。

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2012-07-11 Wed.

躑躅

2012-07-11

岸本セシルの本名の漢字表記、そして彼女の兄弟の名前を知る。

感想は、「うーん、結果オーライ」。

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2012-07-10 Tue.

申合

2012-07-10

「訴状を受け取っていないのでコメントできません」というコメントはよく聞くが、訴状を受け取ったころを見計らって取材に行ってコメントを取ってきたりしているのだろうか。

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2012-07-09 Mon.

同類

2012-07-09

「偉大な業績を残している人に対し、そういう扱いをするのはマズイと思います」という考え方が今もまだまかり通ると認識している人がいる。
こういう人は「偉大でない先輩でもない人なら、そんな呼び方をしてもOKだよ」と考えている、と勘違いされてしまう危険性がある。

業績があることは、否定の根拠にならない。
その考え方が、業績の有無による差別の助長につながる。
僕が考える模範的な答えは、「偉大な業績を残している残していないにかかわらず、人をそういう扱いをするのはマズイと思います」だと思う。

ただ、その答えに心底からは共感できない。
だから、面倒なクレームを出してくるところとの関わりを少なくしようとする。
その結果が、現状じゃないかな。

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2012-07-08 Sun.

誣言

2012-07-08

今朝の新聞によると、教育現場でプレゼンテーションの重要性が広く認知され、生徒はその重要性をたたき込まれているようである。

10年以上前から、プレゼンテーション重視社会に危惧を感じてきた。
ただ、この問題を世間に広く問うことができなかった。
なぜなら、プレゼンテーションが下手だからである。

プレゼンテーションが重視されることについては、もうあきらめている。
確かに、そういう考え方でないと、主張ばかりし合うこの社会を生き抜けないだろう。

せめて思うのは、プレゼンテーションを聴く、聞き手側の教育を同様に充実させて欲しい、ということだ。
プレゼンテーションの巧みさにだまされ、実態のないものを受け入れてしまうようなことがないように、批判する能力を強化する取り組みをして欲しい。
プレゼンテーションの手法ばかり教えていたら、いかに人を同意させるか、ということばかりに目がいってしまう。
結局、詐欺の被害者が増えるだけのように思う。

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2012-07-07 Sat.

密林

2012-07-07

中年男性は脚を見せるな。

自宅の近所にショッピングモールがある。
自分の家にもかかわらず居場所がないので、時々そこに行って、コーヒーショップでコーヒーを飲むようにしている。

コーヒーは、年中ホットで飲む。
実は、アイスコーヒーが苦手だからである。
よほどおいしいものでない限り飲みたくないので、滅多なことでは注文しないようにしている。

近頃、暑くなった。
電力不足が言われているので、ショッピングモールといえども、空調の設定温度はぬるめである。
また、軽装の客も多く目につく。

隣のテーブルの席に、中年男性が座る。
Tシャツに半ズボン、サンダルにキャップ、という格好である。
彼は我が家にいるつもりでこんな格好をしているのかも知れないが、まあそれくらいは容認できる。
きっと、どこにも居場所がないのだろう。

やがて、彼はサンダルを脱ぐ。
そして足を組み、こちらに足の裏を見せてくる。
運動のつもりなのか、足の指をうねうねとうごめかせている。

おじさんのすね毛や足の裏が視界に入る中で飲むコーヒーをおいしく感じる、という嗜好が僕には全くない。

いくら暑いからと言って、素足や濃いすね毛を見せつけて街を歩くのは、相手に不快な印象を与える可能性がある。
だから、僕は半ズボンで外を歩くのは、近所のコンビニまでにしよう、と改めて決意した。
僕の腕毛はそれほど濃くはないのだが、仮に腕毛ふさふさだったら、半袖を着て外に出るのも憚られることだったろう。
中年男性には、清潔感しか求められていないのだ。

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2012-07-06 Fri.

遊星

2012-07-06

北九州市出身の俳優2人が、偉業を達成した。

1人は、川原和久氏である。
「松たか子の姉」でおなじみの松本紀保と結婚した。
これでようやく片付…、少し前では考えられないような展開である。

もう1人は、鈴木浩介氏。
同県出身の蒼井優との交際を双方が認めた。
一方のイメージはそれほど変わらないが、もう一方のイメージは激変した。

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2012-07-05 Thu.

錫蘭

2012-07-05

「セレンディピティ」という単語を人前で発することができない。
何度確かめても、「セレンティビティ」「セレンピディティ」などと間違えてしまいそうで、怖いからだ。
だったら、言わない方が安全である。

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2012-07-04 Wed.

無骨

2012-07-04

反社会的な宗教団体が、自分たちに不都合な遺体を処分するために、遺体を高温で焼いて骨が残らないようにした、という話がある。
その行為自体はともかくとして、できることなら、僕も死後は骨が残らないように火葬して欲しい、と思う。

理由は2つある。

1つは、死後に自分のものを何も残したくないからだ。
灰は残るだろうが、そんなものは取っておいてもらいたくない。
管理していくのも大変だろう。

もう1つは、遺骨について何も語られたくないからだ。
何度か火葬に立ち会うことがあったが、施設の方が、焼いた後の骨について、ここはけがをしていたとかお話ししてくれる。
僕の場合、どうせろくでもないことを言われるに違いない。
それが嫌だから、骨まで残さず焼いて欲しい。

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2012-07-03 Tue.

乾葱

2012-07-03

「嫌いな食べ物リスト」に、最近新たな項目が1つ加わった。
それは、フリーズドライのネギである。

インスタントの味噌汁やカップラーメンに入っているようなネギの味が、急に苦手になった。
おそらく、一生分食べてしまったからだろう。

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2012-07-02 Mon.

積算

2012-07-02

2011年。
あるタレントが、「自分の年齢に、誕生年の西暦の下二桁を足すと、誕生日を迎えている場合は必ず111になるんです」と自慢げに語っていた。

自分から恥をさらすようなことはしたくないものである。

ところで、このことを応用すると、「今年って昭和で言うと何年?」問題を簡単に解くことができる。
昭和生まれの人に限られるが、その方法は、自分の年齢に、自分の誕生年の和暦を足せばいい。
例えば、昭和49年生まれの人は2012年に38歳になるから、2012年は昭和で言うと87年、ということになる。

1900年が明治33年、1920年が大正9年であることは、覚えている。
これで、明治や大正の和暦を西暦に換算することが、かろうじてできる。
平成については、なじみやすい換算方法をまだ確立していない。
換算方法があることは知っているけれど、なじんでいないだけだ。

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2012-07-01 Sun.

水八

2012-07-01

僕が見たかった、もう1つのDVD化されていない作品。
それは、「水の中の八月」。

小嶺麗奈主演の映画版なら、DVD化されている(近所の店にあるかどうかは知らないが)。
ここで言っているのは、NHKで放送されたTVドラマ版の「水の中の八月」である。
関川夏央の原作に基づいて作られたものだ。

僕はこれを1998年8月1日に、NHK総合で視聴した。
もう1度見たいと切望していたが、これまで見るチャンスがなかった。
DVD化はされないし、NHKオンデマンドにも期待していたが、こちらで見ることもできない。

もしかしたらVHSにはなっているのではないか。
ウェブを検索すると、確かにVHS化はされていた。
SHIBUYA TSUTAYAの在庫を確認すると在庫があったので、借りてきた。

そして、見た。

映像がとても美しかったと記憶していたが、2012年に見てみると、その当時の感覚を思い出せない。
1998年以降繊細な映像を多く見てきているし、VHSプレーヤーをつなげているのが14型のTVでよくわからなかっただけなのかも知れない。

当時書いた日記には、ストーリーのことは一切記述がなく、配役の豪華さに驚いたことだけが書かれている。
日記には、伊藤歩、林隆三、寺田農、大杉漣、塩見三省、柳愛里、片岡礼子、真弓倫子、山本竜二とあり、実際それだけの人が出てきて、とても贅沢である。
改めて見ると、伊藤歩の容貌が今とほとんど変わっていない。

ストーリーについて当時どう思ったかは記憶も記録もない。
今回見て印象に残ったのは、主人公を取り巻く人たち、家族、親戚、担任、友人、ガールフレンドなどが主人公からことごとく離れていく、ということだ。
取り残されていく感じに、心から同情した。
高校生の時点で一旦人間関係がリセットされて、主人公は自立の糸口を見つけていくのだろう。

エンドロールで、出演に「友川かずき」の名前があることに気づく。
今ちょっとしたブームが訪れている「友川かずき」が出ているとは、偶然にもいいタイミングだ。
しかし、どの場面に出ていたのだろう。

(VHSだから)巻き戻して、出ていそうなところを見つけて再生してみると、姿ではわからないが声ですぐにわかった。
思い切り東北訛りを話す声があったからだ。

というわけで、「水の中の八月」は渋谷のツタヤにある。
在庫のVHSがいつまで状態を保てるか不安なので、BD化を希望する。

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