曇天の続き

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2019-12-31 Tue.

折返

2019-12-31

2019年も、終わりである。

昨夜は、「レコード大賞」。
いろいろきな臭いことが聞こえてきた果てで、しがらみのクリアを狙って落ち着くところに落ち着いたか、という後ろ向きな印象。
文句はないのだが、一方でそれを許したら意義が薄れないか、と思う。
ジャニー喜多川の偉大な功績と、Little Glee Monsterの気合の入りぶり、大団円を装う「パプリカ」ダンスのギャップが、記憶に残った。

さんまさんの番組を見ていると、「笑う」というよりも「感心」が先に立つ。
先週の東野幸治出演回の「あちこちオードリー」でもそうだったが、僕は今後、お笑い番組を娯楽ではなく道を学ぶ教材として見るのかもしれない。

さて、年末に、大型芸能ニュースが入ってきた。
今後の身の振り方に不安しか感じない案件である。
そういえば昨日、からいも飴を買いに行く途中でタピオカ店の前を通ったが、列はなかった。

2019年中に触れきれなかったニュースを挙げる。

  • 本当の鉄人は、松永浩美である
  • タモリさん、門司港駅に
  • 銭湯絵師で、話題が持続するものか
  • 栃木三大美女、平山あや、結婚
  • 芳野友美、祖父は飯塚病院の元病院長
  • 松本まりか、過去の人状態から華麗に復活
  • 何なのだろう、森川葵
  • 三吉彩花ではやはりダメだったか
  • 令和、こんなに早くも飽きるものか

TVerとradikoのおかげで、TVの視聴時間、ラジオの聴収時間は格段に増えた。
一方で、自分はいわゆる「TVを見ている」部類に入るのか。
報道や情報番組を全く見ないので、世間に出回っている記者会見や監視カメラの映像、密かに録音された音声などに直に触れていない(文字では見る)。
話題になったドラマは、全く見ていない。
それで、バラエティを見ているかというと、つい最近までりんごちゃんのことを知らなかった(「スクール革命!」で知った)。
はたまた、お笑い番組を見ているかといえば、「うちのガヤがすみません!」はおろか、「全力!脱力タイムズ」すら観ていない。
確かにTV視聴はしているが、TVの本筋から自分が外れているように感じる。

今、楽しみにしているのは「ジンギス談!」と「深夜の音楽食堂」。
特に、Fm yokohamaの「深夜の音楽食堂」は、聞いていてとてもわくわくする。
radikoのレコメンド機能には、本当に感謝している。

我ら「割り食い世代」にも、2019年大きな変化がもたらされた。

1人は、多くの不要な損害をもたらし、もともと居場所のなかった表舞台から消えた。
1人は、大型案件をつかまされ、よりストイックな道を歩むこととなった。
1人は、スタンスを大きく変えるギャンブルに出て、書類送検の過去までも封じきった。

「振れ幅の小さな幸せに収まっていたい」と考えてしまう僕にとっては、普通に生きられないものか、と思う。

かくいう自分も、いったいいつまでプログラムのバグと戦うことに神経をつかい続けるのだろう。
それぐらいしかできないことは自覚しているけれど、それにしても責任が大きいわりに実入りの少ない職種である。
それに、そろそろロジックを思いつくことなどできなくなるのではないか、そうすると仕事を失うのではないか、と不安になる。
だから、今のうちフィーを受け取っておきたい。

所詮は受注産業、誰かがビジネスを御膳立てしてくれなければ、自分の能力を発揮する場所はない。
そうはいっても、自分の腕を見込まれて仕事を頼まれたり、わけのわからない妄想にとらわれている人たちを現実に引き戻したりもしており、割を食っているなと思う。
論理的な隙が許されない緊張感に疲れてしまう一方で、考慮不足で発生したバグが単に何重に仕掛けた防護策にかかって逃げ出さなかっただけ、ということに気づきひそかに息をつくこともある。
「持ちつ持たれつ」だと信じて先に進みたい。

そういえば、この歳になるまで「商談」というものに縁がないことに気づき、愕然とした。
できればPCディスプレイの前ではなく、うまいものを食べながら仕事が進むさまを見てみたい。
まあ自分も、コード書きだけが仕事ではなく、状況を収まるところに収めて、みんなが書きやすいコードを書ける環境を整備することが仕事になることも多くなっており、PCと仲良くするだけでなく仕事相手との交渉も必要となってきている。
いずれにしても、食事をしながら仕事をしたくないので、今後も「商談」とは縁のない生活なのだろう。
ああ、経費を使ってみたい。

2019年は、血眼で探しても、何1ついいことがなかった。

右肩は1年間痛かったし、右腿の違和感もずっと残ったままだ。
酒を飲んで失意を握りしめることが多かった。
調子が悪いと、本の活字が読みづらく感じ、今後の生活に恐怖を覚えた。
ここ数年、「何となくコツをつかんだか」「自分のペースを世間に合わせることができるようになったか」と感じてきたが、それは全くの勘違いであり、しかも多くのことが以前よりもひどくなっていることを思い知らされ、絶望している。
ありがたいことに居場所は与えられているが、それは数多くの人に守られているからである。
そこから少しでも出ると途端に無防備になり、妥当で厳しい評価を受ける。

いやいや、1つだけいいことが。
1月にICEのライブに行ったのだった。
何もかもいいと思えることではないものの、行ってよかったことだけは揺るがない。
あと、矢部みほを初めてこの目で見たな。

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2019-12-30 Mon.

爆振

2019-12-30

年が明けるまでにもう1度見直したいと思っている「M-1 グランプリ 2019」だが、見直す時間が取れそうにない。
なので、以下は、放送時に1度だけ見て、あとはメディアでの振り返りをいくつか目にしている2019年12月30日現在の「M-1」に対する僕の感想である。

おもしろかった。
画面の前で、ものすごく興奮した。
あまりに興奮しすぎて、放送日の夜、寝ているときに吐き気がして、実際に嘔吐して、翌朝高熱が出て1日中寝ていたくらいだ。
寝込んでいるときにもう1度見るという手もあったが、その時はそんなことを思いつけないくらい高い熱が出た。

何より、これは今まで一切なかったことだが、あの大舞台にもかかわらず、決勝出場者の誰に対しても「ああ、今回はいまいちだな」ということを感じなかった。
記憶がないインディアンスのことは除くとして、昼の敗者復活までさかのぼっても「今一つ」だったのは囲碁将棋だけだった(それでも、取り返してはいた)。

決勝で、かまいたちが出て、和牛が出たあと、今回の大会はもう早々に山場を越えたと思った。
あと1組誰かが出るものの、どちらかが優勝するのだと思い、力を抜いた。
次の順番がすゑひろがりずに決まった時、これで彼らの運命が決まってしまったと思い、ものすごく怖かった。
彼らが面白いということを知っていただけに、この種類の面白さが和牛の後に伝わるのだろうか、せめて悪い印象が残らず終わればいいが、とまで思った。
それが絵にかいたような「杞憂」だったことに安堵したし、そんなことを考えた自分を深く恥じた。

ミルクボーイは、もう驚愕だった。
全く知らない人たちにここまで揺さぶられることに、心底感動した。
まずフレームワークをわかりやすく提示することで、客は話の次の方向を認識し、あとはどのような仕掛けで自分が持っていかれるのか、身をゆだねて期待して笑い待ちする。
これは、実生活で人に物事を伝えるときにも役に立ちそうなメソッドだ。
思いのままに動かされ、その時点では何で笑っているのかもわからないくらい笑わせられることが、心地よかった。
そのあとのオズワルドも見事だった。

あとは、ぺこぱ。
「おもしろ荘」で知っていたので、これも伝わるかどうかという怖さがあったが、衣装をやめたという判断と、出演順が1番最後になったという運、緊張感を残したインディアンスの後というのが、はまった。
「受け止めるツッコミ」というのは今の「やさしい時代」に合っていて、いくらでも、いつまでも聞いていられる。

見終わって、錦鯉を含めて、もう「お笑い第7世代」とかではないのだな、という印象が強まった。
かつて「レコード大賞」で味わった興奮が、クリーンでリアルな現代的賞レースとなって戻ってきた。
国民的行事となった「M-1」の威力が、今後も持続するのだろうか。
それは、パフォーマンスが視聴者の目にさらされるまでに行われる予選の、「審査」の質にかかっていると思う。
そのフィルタリングにうそやうさん臭さを感じるようになったら、視聴者は興味を失うだろう。

あとは、審査員である。
出場者にここまでやられると、審査員は出場者に何か言うことをやめざるをえず、司会者をいじったり、発言で自滅したりするようになるようで、今回はその兆しが見えた。
放送後、審査員への礼賛を続けるメディアが多いが、僕はいくつか大きく失敗していたと考える。

そして、前回までM-1の準決勝までは到達していたものの、結成15年までという出場資格を失っていった漫才師たちの居場所は、今回の結果で一掃された。
その具体的な名前を出すのも怖いが、忘れっぽい僕のことだから、いずれ彼らが存在した記憶もなくしていくのだと思う。

最後に、この年末、誰かどぶろっくのことにも触れてほしいと思う。

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2019-12-29 Sun.

仮失

2019-12-29

2019年、出費が多かった。
クレジットカードのICチップのメッキが剥げるのではないか、と思うくらい、カードを切った。
暗証番号を入力する指の指紋が少し変形したかもしれない。

無駄遣いをしていないかと思って、何に金を使ったのか見直してみた。
でも、どの出費も合理的なものであった。
いや、1つだけ受け入れがたい大型出費があったのだが、商習慣上、この出費が避けられなかった。
今後風潮が変わる予感はしているし、出費を逆手にとって少しでも回収しようと(きわめて正当な)オーダーを申し出、それがいくつか通ったのだから、まあよしとする。

家のものが壊れて、買いなおした。
電子レンジ、エアコン、照明が、不穏な動きを見せ始めたので、息を引き取らせた。
洗濯機も何だか変な音がしているし、BDレコーダーは何の操作も受け付けなくなったことがあったし、TVは電源が勝手に消えることが何度かあった。
給湯機もシャワー付きトイレも壊れた。
その他、過失ではあるが棚を壊されたし、物干し竿も錆がみっともないので買い替えた。

PCも2台買った。
実家用と自分用だ。
実家のPCを買いなおしたら、Officeが入っていないだの、筆王のソフトが入ったDVDをなくしただの言われた(もちろん、その費用も出した)。
自宅で使っていたBDドライブも実家にあげて、自分には新しいのを買ったら、思っていたより高くてへこんだ。
自分のPCは5年ぶりに買い替えた。
従来のPCをSSDに換装したら、電源ユニットが故障してしまい、買い直さずを得なくなった。
癖のあるキーボード配列に今も慣れないし、指紋認証もうまく通らない(やはり、指紋が変形したのかもしれない)。
PCモニタも買ったし、モニタを置く机上台も買った。
このため、スマートフォンの買い替えまで手が回らず、画面がひび割れしたまま3年目に突入することになる。

本当に、例年にないほど、いやになるくらい金を使った。
これでもう、すかんぴんウォークだ。
大々的に投資したのだから、回収できなければ「モニカ」である。

さて、政府が推奨している「キャッシュレス決済」について、自分の生活に少し変化があった。
それは、新たにPayPayでの決済を取り入れたことだ。
これにより、決済の優先順位は、交通系電子マネー、PayPay、クレジットカード、現金となった。
d払いの準備はしているが、まだ使ったことはない。
Edyは、使える店がまだあるんだったか。

典拠を記し忘れてしまったが、ある解説記事に、政府が「キャッシュレス決済」を進めている理由の1つが、これまでのATM網を維持するのが困難になり、経営が苦しくなってきた金融機関を救済するため、と推測しているのを見た。
僕は、銀行が提供する電子決済があり、それが利便性の高いものであったら、すぐにでも使いたいと思う。
現に、Jデビットは(使える場所があれば)よく使っていた。
別に、既存のクレジットカード会社や、新設のIT企業でなくてもよく、決済が銀行口座と直結してくれれば、わかりやすくてよい。
自身で電子決済のインフラ整備を行う使命を怠り、他者がインフラ整備のリスクを取るのを遠巻きに期待し、貨幣流通の根幹である役目もないがしろにしようとする金融機関に対して、手数料を払おうとする気が失せる。
クレジットカード会社に金を払う現実的な手段が口座振替しかないことを、腹立たしく思う。

2019年、自分の小遣い支出において、件数の73%、金額で70%弱がキャッシュレス決済であった。
これは、前年の水準とほぼ変わらない。
世の中としては、2019年はキャッシュレス決済の利用が飛躍的に増えた年だったのだろう。
僕にとっては、キャッシュレス決済が可能なシーンがPayPayを使える場所くらいにしか広がらず、特に変わりのない1年だった。

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2019-12-28 Sat.

投費

2019-12-28

若いみなさんは、すでに大きな資本を手にしています。
それは、「人的資本」です。
例えば、新入社員1年目の人は、これから40年間年収400万円を稼ぎ続けるとして、割引率を2%とすると、仮に年収が上がらないとしても(年収が新人の頃のまま、なんてことありませんよね)1.2億円相当の資本を保有していることになるのです!!

…もはやこんなことを言う人もいないだろうし、こんなことを言われて「自分は億単位の価値がある」などという根拠のない自信を持つ人もいないと思う。
1億持っていると言われても、明日の飲み会で徴収される会費に感じる憤りは一向に収まらない。

そもそも、その億単位の価値がある人はノーコストなのか。
そんなことはないだろう。
年収1,000万で浪費が990万なら、そいつのランニングコストを引いた上がりは10万だ。
役に立つかわからないが永遠に働かせるとして、割引率2%でも500万くらいの資本価値しかないことになる。
納税分を考えなければ、実際500万の価値もないやつなのかもしれない。

ここで、面倒を避けるためのディスクレーマーを置いておくが、「人的資本」の正確な概念は文献をあたってほしい。
よく読んでも、1億円の株券と同等の価値があって市場で売れるんだ、というわけではなさそうな気がする。

とにかく、数字遊びで悦に入らず、営業キャッシュフローを地道に稼ぐよりほかない。

ところで、「自分への投資」してますか。
僕はやっています。

「投資」と言っても、事実上「必要かと言われれば必要ではないが、かといってそれをやめてしまうのは何のために暮らしているのかわからない、と思えてくる埋没費用」のことを、「投資」と称しているだけだ。

どれを言うかというと、例えば、食費や下着、飲まないと頭がぼんやりしてしまう薬などの入手費用は、まあ間違いなく必要なものなので、この枠には入らない。
一方で、映画を見たり、本を買ったりする費用は、省略しても支障がないはずだが、それでもやめるわけにもいかないので、「投資」呼ぶことにする。
あるいは、人にものをあげたり、場の流れで食事をすることになり不参加の言い訳が思いつかなかったりするときに生じる費用もそうだ。
要は、必要経費でもなく回収もできない費用のことを「自分への投資」と呼んでいる。
人によっては、というより普通は、こういう費用を「生活費」とか「遊興費」とか呼ぶ。

ただ、これを「費用」と呼んでしまうと、「だったらできるだけカットしよう」と撤廃に躍起になり、潤いのないカサカサの生活になってしまう。
「投資」と呼んでおけば、それによる効果を得ようともがくことにより、費用の使い方を慎重に考えるようになるし、支払った後の行動も変わってくる。

ここで、「お前は、人との交流を「投資」と呼ぶのか」という軽蔑を受ける覚悟が必要になる。
そんな感想に対しては、控えめに「はい、そうです」と答える。
今後の関係を良好にしてより楽しい生活を送ろう、そのための投資だ、だから今この瞬間相手にいい思いをしてもらおう、と心底思っているのだから、これが本心である。
もちろん、結果が出ているかどうかは、自信がない。

さて、「自分への投資」とは具体的にはどのようなものか。

その1つがよく言われるやつ、資格を取ったり専門書を読みこんだりし、仕事のスキルを上げることだ。
仕事中、僕はとにかく早く家に帰りたいと考えている。
だからこそ、迅速にストレイトに結果に到達する術を常に探しているし、面倒な相手をいい気分にさせつつ黙り込ませて別の餌食に関心を向かわせるテクニックを磨いている。

でも、「自分への投資」の大きな割合を占めるのは、先ほども例に上げた飲み会や人へのプレゼントの費用、いわゆる「交際費」である。
避けられるものはできるだけ避けるようにしているが、参加したほうがいい、感謝を伝えたい、と思う関係が増えているのも事実だ。
決して付き合いのいいほうではないのは、お察しの通り。
それでも、交際費を年間で総計してみると、はっとするほどの金額になる(ぜひ、やってみたほうがいい)。
なので、誘われたからと言って無感覚に金を使わないほうがいいし、ましてや「人の付き合いに金銭感覚を持ち込むなんて無粋だわ」という顰蹙はぜひ耐えたほうがいい。
ここで金を使うことで、相手とどのような関係を築き、次に何をしてどのような成果を得るのか考えて、飲み会に臨み人と接する。
「打算的だ」と思われればその通りだけど、僕にとって「平和」は重要なインフラであり、何よりもメンテナンスしたいものである。
もう1回言うが、うまくいってないけど。

あとは、旅行の費用も「自分への投資」に当たる。
これも「投資」などと呼ぶことで、費用を削られることを守る。

その他、いわゆる娯楽的なものや、後悔先に立たず思い付きで購入したもの、裸眼でもどうにかなるのに買うコンタクトレンズの費用などを、「自分への投資」と呼ぶ。
そして、費用を費やした以上は、その費用に似合う収益を得ようと考えている。

それでは、どのくらいの収益を得れば回収できるのだろう。
例えば2019年の「自分への投資」の総額は約30万円だが、それを例に考えてみる。

30万円をいわゆる投資に突っ込んだとした場合、年間4%のリターンがあるとしよう。
それと同等のリターンを得るには、僕の年収の水準が投資前より12,000円上がればいい。
12,000円も上がるのか…、と思うが、月収に換算すると1,000円である。
30万円の投資の効果は、月給を1,000円上げることと同等である。
早速賃上げを交渉してみよう。

いやいや、ちょっと待て。
30万円を市場に投資した場合は、元本とは別に4%のリターンを期待している。
なので、「自分への投資」も、リターンとは別に元本の回収も考えよう。
企業と違って、この投資先は、早晩つぶれてしまうのだ。

例えば、月収が今より2,000円上がり、それが恒常的に続くとしよう。
そのうち1,000円を市場で年利4%で運用できるとすれば、20年以内に埋没費用30万円も回収できる。

逆に言うと、定時昇給というのは、「君たち被雇用者は、定時昇給に似合うだけの投資を自分自身に対してしなさいよ」という経営陣からの熱いメッセージと言える。
そう考えると何だか押しつけがましいようにも思うが、前向きに受け取ることにして、自分磨きを怠らないようにしたいものだ。
そして、上司との付き合いを軽くあしらい、早く帰ろう。

「自分への投資」をしても微々たる昇給に過ぎず、生活が全くよくならないように思えるが、利率を考えると所詮そんなものなのだとわかる。

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2019-12-27 Fri.

訪横

2019-12-27

横浜へ行く。

2019年4回目の横浜。
今年は、例年に比べ、横浜に行く機会が多かった。

朝の電車で向かったのだが、上り電車は都心を離れるころにはすいており、座席にも空きがあるくらいだ。
僕は、隣に人がいない席に座り「森毅ベストエッセイ」を読む。
本に出てくる「自分の休日」というのが、まさに今日である。

横浜は程よく遠い。
ちょっと遠出をして別の街に行きたい、というときに、適切である。
同じくらいの距離とはいえ、朝目覚めて、「今日は、大宮に気分転換に行くか」「船橋でリフレッシュだ」というのは、陽光の下にさらしてはならないセリフのように思える。
東京に飽きてきたらしく、交通費も気にならなくなった最近、「今度は春日部でも行ってみるか」と思い、はっと我に返ってその思いを瞬殺した自分は、きっと調子が悪かったのだろう。

桜木町駅で降り、みなとみらい方面を目指す。

1月のICEのライブに行った際、伊勢佐木町を見て、「横浜は、なんと豊かな街なのだろう」と感激した。
小倉から出てきて、横浜に行ったことは数えるほどしかなく、横浜のことをほとんど何も知らない自分に気づいた。

つい最近、横浜の中心部にほど近い場所に育った人と仕事をするようになった。
その人曰く、「立川って、埼玉ですよね」「大宮と浦和、どっちが手前ですか」「最近、ようやく山手線に乗るようになった」「千葉は、舞浜までしか行ったことがない」。
首都圏の路線図に行動範囲を示してもらうと、ほぼ横浜から数駅を囲むのみで、ほとんどの用事は横浜で事足りるそうだ。
勢いに任せて「鶴見が遠い、ところで鶴見は川崎ですよね」という始末。
その新鮮な感覚を目の当たりにして、「そのままでいてくれ、その感覚を教えてくれ」と楽しんでいる。
やはり僕たちは、退路を断って人生を賭場にさらした、みっともない上京者である。

しばらく歩いて、マクドナルドを発見し、遅めの朝食。
年末の楽しみ、2019年を振り返り、2020年のことを思う。

1時間ほど逡巡し、店を出て、横浜美術館。
おそらく、20年ぶりだと思う。

企画展とコレクション展を一通り見る。
開国直後から20世紀初頭にかけての横浜を描いた一連の作品に、特に目が行く。
さみしい漁村だった地に、異国の大型船がやってくるようになったら、それは楽しいだろうな、と海峡出身者は思う。

美術館を出て、横浜駅まで歩く。
途中、2019年秋に稼働した、京急の本社前を通る。
1月には「京急ミュージアム」が開設される。
そこから少し歩くと、「原鉄道模型博物館」がある。
この地の難点の1つは、冬に訪れると寒風がこたえる、という点である。

ポルタに降りて、昼食。
担々麺と麻婆豆腐丼を食べ、満足。
そのあとカフェに入り、仕事をして、夕方になったので、電車に乗って帰る。

朝思ったのだが、2020年は、横浜に出かける機会を増やそう。
東京のことは、放っておいても人が群がってくるだろうし。

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2019-12-24 Tue.

看板

2019-12-24

いくらなんでも、「板橋区の女」遊井亮子が33歳設定、というのはないかと。
まあ、無理はないとは思うけれど。

突然、石井愃一が店主として出てきて、その瞬間「何だ、石井さんが黒幕じゃないか」となってしまったのは、少し残念。

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2019-12-21 Sat.

闘夏

2019-12-21

マラソン競技は、もはや冬季オリンピックで実施するのが適切かと思われる。

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2019-12-20 Fri.

消雪

2019-12-20

「おめでとうございます」

「ようやく、ですね」

各方面から僕に、こんな声がかけられた。

JR SKISKIに浜辺美波が起用されたことに対して、である。

なぜ、僕が祝祭を受けることになるのか、正確な理由は計り知れぬが、ひとまず「ありがとうございます」と返す。
喜びは全市民で分かち合ったほうがいい。

2019年の1年間、やり通したことはいくつかあるが、その1つに、「浜辺美波 真夜中のシンデレラ」を聞き続けたことがある。
前日深夜の放送を翌朝にradiko聴収する、というのが、毎朝のルーティンとなっている。
ちなみに、浜辺美波の朝のルーティンは、東宝芸能の先輩が主演している「科捜研の女」を見ることであり、べーやんの実家で飼われている猫の名は、ルパンニャンシーである。

今日も、列車内で聞いた。
先日はイタリアのサルディーニャ島に滞在した時の話をしていたが、本日は仕事でカナダに行った時の話。
カナダには、「雪」関係の仕事で訪れたそうである。

そして、エンディング。
2018年10月に番組開始されてから、今回で252回目となったそうである。
中途半端な回数をわざわざ告げるとは、やや不穏なうご…。

番組は、12月で終わり。
残り放送回数は、あと4回!

膝から崩れ落ちた。
「膝から崩れ落ちそうになる」というが、膝から崩れ落ちたのは初めてである。
確かに、「いいとも」が終わることを知った時ほどのショックではない。
しかし、箱番組の終了でここまでの衝撃を受けたのは、Oh!デカナ…、「チャオチャオ・ビッグカンパニー」に内包されていた「ウッチャンナンチャンのラジオな奴ら」の終了時以来であろう。

そしてここは公共の場、列車内である。
当然だれも手を差し伸べてくれるはずもないのだから、自力で立ち上がるしかない。

先週も、「キュレーターズ」でナビゲーターを務めていた田中麗奈が産休に入ってしまった。
そもそもラジオのレギュラーがあったこと自体余りある恵みであったし、事前の情報からの覚悟はあった。
本人の発言を信じれば、番組復帰はあるようで、テンカラットでつないだことから確度の高い情報と受け止め、それを待つことにする。

…そう言いきかせてはみるものも、2020年を生き抜いていく自信がなくなってきた。

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2019-12-11 Wed.

迷青

2019-12-11

先日、銀行へ行った。

平日の朝、天気は小雨。
都心に出て、コーヒーショップで朝食。
読書し、飽きたらPCで作業。
ここのコーヒーショップは最近、無線LANが格段に使いやすくなった。

10時になり、コーヒーショップを後にする。
電車に乗り、銀行の口座がある支店に向かう。
駅から少し歩く。
雨がぱらついているのだが、折り畳みの傘をさす程ではない、と判断する。

銀行に到着。
僕の口座を開設している支店は、事情があって、都心にあり、非現実的なくらい建物が大きい。
銀行に行くのは、休眠口座を解約し、遠隔窓口で口座を開設して以来。
場違いなのは十分承知しており、早くも居心地が悪い。

まずは、受付へ。
行員に一瞥されることを感じつつ、「こちらに開設している口座で個人向け国債を購入したいと思い、本日参りました」と伝える。
「本日は、通帳とご印鑑、本人確認ができる書類をお持ちですか」と尋ねられ、うなずくと、「それでは、あちらの窓口へ」と、資産運用ご相談コーナーへと通される。

窓口には、女性行員が座っていた。
僕はもう一度用件を伝え、行員から歓待を受ける。

そこから、まずは、債券購入用の口座開設の手続きを行う。
いくつかの書類に住所氏名を記入し、運転免許証とともに渡す。
その情報に基づき、行員が端末を操作する。
入力された情報がタブレットに表示され、僕はチェックボックスに印をつける。

次に、個人向け国債の説明を受ける。
「個人向け国債の購入は初めてですか」と尋ねられ、「初めてではないのですが、不勉強なものでよくわかっておりません」と返す。
こちらは、このために時間をたっぷりと確保しているのだ。
いくらでも説明を聞こうではないか、と姿勢を正す。

3種類の商品説明があり、利率の話、売却のルールなどを理解し、商品を選ぶ。
「では、本日はいかほど購入なさいますか」と尋ねられ、こんなたいそうな作業をしている割にはばかばかしくなるような金額を口にする。
普通預金口座から出金する手続きに着手。
口座番号と金額を記入し、署名、捺印。
さらに、債券購入の手続き。
書類上で商品を選択し、金額を記入し、署名、捺印。

別の金融商品を説明され、「ぜひ検討したいと思うので、説明資料をいただけますか」と返す。
源泉徴収がどうのとか、特定口座がどうのとか、わかるようなわからないような話をわかるまで伺い、納得のいくやり方に落とし込む。
その都度、タブレットで、膨大な質問数のアンケートに答える。

「今日はお休みを取られたというのに、あいにくの天気ですね」と話しかけられ、「そうですね。近頃は雨ばかりで空気も湿っぽく、洗濯物が乾かなくて困ります。そちらはそんなことはないですか」と返す。
いったい何の話をしているのかわからなくなるが、銀行で話す話題としては、きっとふさわしいものだと思う。

「それでは」と行員が、数字の書かれた札を渡す。
「ただいまからお手続きを進めます。20分ほどかかりますので、お時間を頂戴してもよろしいでしょうか」

20分?

「もちろん、かまいません」
「お待ちの間、外出なされますか」
「いえ、建物の中で待たせていただきます」
「それでしたら、あちらのソファでお待ちください」

ほんの少し笑みを浮かべることを忘れずに維持し、僕は席を立つ。
20分?

用を足したかったが、不慣れな銀行でトイレを拝借するのも気が引けて、窓口から少し離れたソファに座る。
バッグから、佐藤正午「月の満ち欠け」を取り出す。
交換殺人だの、偽札だの、一見陳腐と思われる題材を、魅力的なストーリーへと昇華させる「小説巧者」の腕が、今回の「生まれ変わり」でも存分に発揮されており、ついつい集中してしまう。
いい機会なので、この銀行で宝くじでも買っておこうか、とすら思う。
時折窓口のほうを見ると、先ほどの行員が端末にデータを入力し、書類を印刷していた。
どうやら、冗談ではなく、本当に20分かかる作業をしているようだ。

そして、本当に20分ほど待たされて、窓口の行員から名前を呼ばれる。
ご丁寧な感謝の意を伝えられ、こちらも面倒な手続きをさせてしまったことを詫びる。
袋を渡され、中には先ほど話に出た金融商品の説明資料が入ったロゴ入りクリアファイルと、台所用ラップや食材保存袋などが入っていた。
銀行でこのようなものをもらうのは、いつ以来だろうか。

「よい休日をお過ごしください」という声を後にし、建物の出入り口へと向かう。

なぜこの銀行で個人向け国債を買うことになったのか、一応の理由があったのだが、それにしても、あまりにも仰々しく、終えてみるとむしろすがすがしさすら感じられる。
重々しい手続きに、「本当にこの銀行から自分の資産を引き出すことができるのだろうか」という、一見逆とも思われる疑問が浮かんでくる。

この後、上野に行き、美術館で絵画鑑賞。
平日の午後であっても、美術館はご婦人方でにぎわっており、自分がいったい何を見に来ているのか、目的を見失いそうになる。

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2019-12-07 Sat.

主客

2019-12-07

納税とは、政府への配当ではなく、国民総体から政府への投資であり、その効果をチェックしていこうと思う。

どうも逆に考えてしまう。

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