曇天の続き

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2016-11-30 Wed.

氷漬

2016-11-30

自分から「アホはじめます」と宣言するのも含めて、凍える。

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2016-11-29 Tue.

互助

2016-11-29

パッション屋良の現況を伝える記事か…、と読み進めていくうちに、末尾に「聞き手=松野大介」とあるのを見て、「はい」と記事を閉じる。

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2016-11-28 Mon.

買替

2016-11-28

このタイミングで、家電のCMに満島ひかりを採用するのは、不思議。

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2016-11-27 Sun.

離界

2016-11-27

「東京上空いらしゃいませ」を見る。
NHK BSプレミアムで2016年6月27日に放送されたものを録画した。
1996年8月20日以来3回目の視聴、と記録ではなっている。

僕はきっと、牧瀬里穂への評価が厳しいのだろう。
その自覚はあるし、森口博子が執拗に物まねしていたことにも一定の共感をしている。
クラシック・バレエ仕込みのターンにすら顔をしかめてしまうのだが、その辺は差し引いて考えるようにしたい。
ちなみに、時代の子なので「Miracle Love」は好きだ。

秀逸だったのは、笑福亭鶴瓶が演じる会社役員について、牧瀬里穂演じるキャンペーンガールが「もんじゃ焼きみたいな奴」と評するところである。
何と美しい表現だろう、僕もどこかで(誤解のないように)使ってみたい。

幻想的な映像、ガラス窓にも映らない姿、効果的な選曲。
川越という実に絶妙なロケーションハンティングと、それゆえに光る「東上線」というセリフ。
最後はちゃんと盛り上がりを見せて、静かに終わる、安心の着地。
結婚パーティーでの「帰れない二人」は意図的な演出なのか。
「最近はトイレットペーパーを買わない」とのたまう牧瀬里穂の演技であっても、ファストフード店の長回しは魅力的で、大人の商業的汚さが際立つ、やはり素晴らしい映画である。
主役の近くで印象を残す三村さんには、驚かされた。
まともな毬谷友子にも驚く。

改めて気づいたのだが、僕が好きな映画の特徴の1つは、天使が出てくるものである。
天使とは、つまり「東京上空いらっしゃいませ」のコオロギのような位置のキャラクターである。
他の映画だとたとえば…、といっても、例のごとく全く思いつかない。
まあ、よく覚えてないけれど、深田恭子主演の「天使」は条件にマッチしていると思う。
「鍵がない」での大森南朋も、範疇に入ってくるように感じる。

相米慎二作品を見ることのデメリットは、作品の余韻をしばらく引きずってしまい、現実生活の営みがとてもつらくなることだ。
周囲が色あせて見えてしまい、頭の中では「帰れない二人」が流れ続けている。

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2016-11-26 Sat.

晩鐘

2016-11-26

下教来石はインパクトのある地名で、2度目でも記憶にとどまっているものだな。

僕は、中部地方内陸部の土地勘がまるでなく、広河原を抜ける「南アルプスアルペンルートバス」は知らなかった。
これで伊那路側に抜けられるのなら、行く気にもなる。
ただ、結局は茅野や岡谷あたりにぶつかるので、苦しい展開にはなったのだろう。

それにしても、星糞峠という名前は、もやつく。

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2016-11-24 Thu.

公園

2016-11-24

それでも、水前寺清子は出場しないのだな。
そして、松田聖子は、いつの間にか定位置を確保したような。

審査員を予想する気力がない。
後は、さんまさんがキーになっていることを期待するくらいか。

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2016-11-23 Wed.

広大

2016-11-23

ふと気になって調べたのだが、東芝北九州工場の跡地は今もなお更地のようである。

もう、西鉄が買って、住宅地にして、バス路線を整備すればいいんじゃないか、という乱暴な案しか僕の頭からは出てこない。

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2016-11-22 Tue.

呼吸

2016-11-22

代々木の小田急踏切が開いたものの、前を行く高齢男性がゆっくりと歩いている。
すぐに次の列車が来るサイレンが鳴り、車道の遮断棒が降りてしまった。
「このままでは、この高齢男性が渡る前にバーが下りてしまうのではないか」と、僕は男性の後ろにつく。
やがて、歩道のバーも下りてくる。
「あっ、頭に当たる」と思い、声をかけた方がいいのか、棒を支えた方がいいのか、迷ったつかの間、バーが当たりそうになる寸前に男性は踏切を抜けた。
踏切内に取り残されたのは僕の方で、バーを前に押して踏切を脱出した。

なんだか、伊丹十三映画を見ているようなシーンだった。

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2016-11-21 Mon.

釈明

2016-11-21

行いを許すことは当然ながら未来永劫ないだろうが、でもでも「All the Things She Said」は好きな曲である。

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2016-11-20 Sun.

無念

2016-11-20

まさか最後に山形に大敗するとは、柱谷幸一監督。

さて、僕は古瀬絵理の、熱心でないカジュアルなファンである。

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2016-11-17 Thu.

没入

2016-11-17

驚いたのは、山崎樹範と吉井怜の結婚を、今日にいたるまで僕が知らなかったことである。
先週忙しかったのか、それゆえ芸能ニュースを見逃していたのか、さっぱり記憶がない。

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2016-11-13 Sun.

超金

2016-11-13

金曜。

歩いていると、すれ違う人がアイスをもって、食べている。
何人も続いてきており、中年男性もいる。
サーティワンアイスクリームに行列ができていた。
それで、無料クーポンだとわかった。

先月の吉野家、来月のミスタードーナツとともに、店員はとても大変である。
そのコストは、どの程度考慮されているのだろうか。

僕はもう、ソフトバンクとの契約を解除したが、おそらく無料クーポンをもらっていても、クーポンを利用することはなかったと思う。
このやり方は好きではないし、契約を解除してよかったとさえ思う。

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2016-11-12 Sat.

詰込

2016-11-12

店舗でポイントカードを極力作らないようにしているものの、利用頻度の高い店についてはポイントカードを受け取っている。
そして、カードのいくつかは持ち歩いている。

近頃では、スマートフォンにダウンロードしたアプリがポイントカードの代わりとして扱う店がある。
アプリをインストールするのも、個人情報を登録をしたり、プッシュ通知設定を解除したりするのも面倒である。
ただ、すでに作っているポイントカードであれば、アプリに移すことにそれほど抵抗感がない。
ポイントカートを持ち歩く手間も省ける。
スマートフォンを操作して画面を出すのが面倒だが、そんな時は提示しないことにしている。
実は、Tカードすら、持ちまわっているのに面倒だから出さないことが多い。

経済的もしくは政治的事情によってはあるかもしれないが、今後電子端末を携帯せずに暮らす生活を迎えるとは思えない。
端末の進化は続くだろうが、電子端末を必要としなくなるようなことは、おそらくもうないのだろう。

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2016-11-11 Fri.

偏解

2016-11-11

BBCのウェブサイトにポッカサッポロの「FREE Tea」が取り上げられていた。
お金を払わずに持ち去った人が、店員にとがめられた、という記事であった。

そんなことを記事にするのか、と話題のなさを嘆いていると、下には欅坂46の記事も続いており、BBCは我々に「他者の尊重と理解」を促しているのだ、と勝手に解釈した。

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2016-11-10 Thu.

重瞼

2016-11-10

Little Glee Monsterはそろっている。
ところで、無冠詞単数形は許される表現なのだろうか。

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2016-11-09 Wed.

切札

2016-11-09

僕はつくづく「現状追認主義」だと、自分のことながら半ばあきれてしまう。

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2016-11-08 Tue.

使道

2016-11-08

ハロウィンの経済効果は、バレンタインデーのそれを超えたという。

かなりダイレクトな物言いをすると、仮装のために買った物々は、その後どのような処遇となるのだろう。
即座に捨てられるのだろうか、それとも自宅に滞留し続けるのだろうか。

ハロウィンは、「断捨離」とは程遠い形態の祭りに変容した。

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2016-11-07 Mon.

透見

2016-11-07

「じゃあ、どの分野が一番詳しいの」

いろいろな分野の話に食い込もうとする僕に、そんなありがたい質問をしてくれた人がいた。
「どれかにしぼれよ」という忠告なのだろう。

自覚としては、「一番の分野」などない。
どの分野も中途半端にちょこちょこと雑学を仕入れているにすぎない。
それも新聞やウェブサイトを読んでいたら自動的に入ってくるような内容であり、およそ専門的とは言えない。
幅広く薄く知っているから、多くの人は、僕に対し「それだけしか知らないの」と思っているはずだ。

ところで、苦手な分野なら思い当たるものが2つある。

1つは生物である。

花の名前や虫の生態などには、全く興味がない。
これを言うと「人間も興味がないのですか」と問う人がいるのだが、情けないことに答えは「Yes」である。

もう1つは宇宙である。

星座や星の名前は知らないし、夜空を見上げても、判別できるのはオリオン座とカシオペア座だけだ。
宇宙規模の話を聞くと嫌気がさしてくる。
先日のアイソン彗星が地球に接近した時も、「1光年離れたオールトの雲から100万年かけて太陽に近づき、結局砕けた」「オールトの雲は、もともと木星近くに存在していた天体が太陽から離れていったものであり、1兆個の天体が含まれる」などと聞くと、もうどうでもよくなる。

先日も、1等星の数が21個であることを初めて知った。
それまで何の興味もなかったから調べなかったのであり、おそらく今後も興味を持たないのだろう。

宇宙と生物を興味の対象から除外すると、まあ何とすっきりとした空間が広がっているものだろうか。

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2016-11-06 Sun.

交差

2016-11-06

翌日放送の「ブラタモリ」では、「丁字路」と言っていたからな。

僕が「丁字路」のことを知ったのは、15年くらい前だろうか。
でも、普段の生活で、流れを止めてまで指摘することはない。
そんなことをしていて、昼番組のタレントとしてTVに残るには、卓越した話術が必要そうだ。

言いたいのは、情報番組を作っているのなら、他の情報番組を見ておきたかった、ということだ。
番組で取り上げられていたのを、目にすることはなかったのか。

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2016-11-05 Sat.

農場

2016-11-05

上昇志向は認める。

東京の大学に入り、キャリアを積んだ結果、系列地方局にアナウンサーとして入社。
そこでまたキャリアを積み、大きな番組を担当しているのと並行して、転職活動。
数年で退社し、キー局のアナウンサーとして中途採用。

地方局でもう少しキャリアを積み、フリーで勝負するというトレンドは終焉し、引き抜きを食らい続ける地方局はさらに厳しい状況を迎えるのだろうか。
そして、タレントの第2の人生に付き合わされ続けるのだろうか…。

そういうことを思ったのは、エフコープ1社提供番組「くらしのラインアップル」を担当していたKBCの師岡正雄アナがニッポン放送に移籍した時、もう20年以上前である。

もちろん、全くわだかまりはないし、また山崎銀之丞にいたっては、当初から特に何も思わない。
田中みずきや安田瑞代が何を思っているかは気になるが、福地高子はきっとまだ現役なのだろう。

最近、Date of Birthをよく聞いている。
地元にいながら、こういうスタンスはどうやれば築けるのか、少し悩む。
「よくばりミルキィ」を視聴せずに済む人生は、偶然に過ぎないことを、肝に銘じる。

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2016-11-04 Fri.

寄席

2016-11-04

「おのののかがいるよ」

「おのののか風の人がいるよ」

とでは、こちらの対応がまるっきり異なるので、発言には注意していただきたい。

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2016-11-03 Thu.

人前

2016-11-03

鼻がむずがゆくて、鼻毛でも出ていないかと思い、自分の顔を確認するためにスマートフォンのインカメラをオンにしたら、「美人エフェクト」が設定されていた。
顔の毛穴が全く目立たなくなっていて「そんなのいいから」とスマートフォンに向かって発言したのを人に聞かれ、「何がいいんだ」とすごまれる始末。

資生堂が、在宅TV会議に映った顔に自動で化粧してくれるアプリを開発した。
僕としては、「そういうのを指摘する人にならないようにしよう」と心がけるのみ。

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2016-11-02 Wed.

抽斗

2016-11-02

僕が持つ知識の出現形態は、「プッシュ型」というより「プル型」である。

自分から知識を持ち出して会話を始める、ということができない。
何もないところから、何かを思い出すことをとても困難としている。

一方で、人の話から自分の記憶を呼び戻すことは比較的容易である。
この能力によって、人の得意とする分野に話を合わせることは簡単にできていた。
「できていた」と過去形で書くのは、最近では、人の話から自分の記憶が思い出されると、人の話を聞き終わる前に、自分の記憶の会話をしてしまうことがあるからだ。
これをしてしまうと、自分の話を会話に割り込ませてしまう。
また、聞いた話以上の記憶を呼び戻せないから、話が膨らまない。
記憶を活用しつつ、うまく寄り添うような会話を続けるよう心がけたい。

この特徴を他人に伝えるために、最近思いついた表現がある。

「僕は、クイズを解くのは得意だが、クイズを出すのが苦手だ」

何ともつまらなそうな人間ではないか。

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2016-11-01 Tue.

彗星

2016-11-01

お笑いファンは孤独である。

お笑いを見聞きしているだけで、自らが充足されてしまう。
都会なら事情が異なるのだろうが、基本、自宅で一人でお笑いに触れるのみなので、他者との感情の共有は起こりにくい。

日ごろから一流の笑いに触れているので、普段周囲で起こっている笑いについていけない。
決してそんなことはないのだが、程度の低いもののように見えてしまう。
そして、面白いことは理解していても、耐性ができているのでめったなことでは笑わない。
それだけで、周りからはユーモアを解さない人だと認識される。

また、仮に芸人の話題になっても、全く話が合わない。
お笑いファンは芸人に対し一定の尊敬をもっているので、表面的な感想に終わらせることができない。

周囲の雰囲気を見る限り、お笑いに対し自分と同じような気持ちを持っている人はないのだろう、と勝手に思い込む。
言いたい冗談は自制する。
転がり込んでくる冗談に、付き合う形で笑う。
何となく周囲に合わせているつもりで、結局周囲から浮いてしまう。

こんな状況のなかで、普段から接している人がお笑いファンであることが判明した時、お笑いファンである僕の喜びは爆発する。
それは、相手も同じだと思われる。

以前、ある人が「笑っていいとも」のグランドフィナーレの感想を伝えたいと思い、その相手を2人思いついて、その1人が僕だった、とうかがったことがある。
それを聴いた時、グランドフィナーレからすでに1か月以上が過ぎていた。
僕がお笑いファンであることを信頼してくれて、僕ともう1人には本当の感想を伝えてもよいと考えてくれたのだ。
その人とは、それ以来会う機会がほとんどない。

離れている場所で、周囲に披露することはないが、確かに同じ気持ちを持っている人がいる。
お笑いファンとはそこまで孤独なのか、と考えさせられた。

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