迎合
"Trick or Treat!"
数週間前から近所のスーパーマーケットに貼られたお知らせによると、本日、会計の際に上の言葉を言うと、レジの人から何かのサプライズが用意されている。
ったく、こんな場末にまでやって来たか…。
ハロウィン普及阻止の立場を取る僕としては、全くもって遺憾である。
でも、早速、試してみよう。
ミルキーをもらいました。
"Trick or Treat!"
数週間前から近所のスーパーマーケットに貼られたお知らせによると、本日、会計の際に上の言葉を言うと、レジの人から何かのサプライズが用意されている。
ったく、こんな場末にまでやって来たか…。
ハロウィン普及阻止の立場を取る僕としては、全くもって遺憾である。
でも、早速、試してみよう。
ミルキーをもらいました。
スターダストプロモーション。
常盤貴子、松雪泰子、中谷美紀、竹内結子、柴咲コウ…。
正統派の女優を筆頭に多くの女性タレントが所属する大手芸能プロダクションである。
芸能界を賑わす一連の薬物騒動、そして、その騒動に便乗してか以前から問題を引き起こしてきたある女優の契約を解除したこともあってか、このプロダクションが所属タレントの薬物検査をする予定、という報道がなされた。
しかし、本当にやっているかどうか、実態がつかめなかった。
しかし、スターダスト所属のあるタレントのブログによって、検査が実施されている事実が明らかになった。
イメージを重視する事務所の一体誰がそんなことを公表するのか…。
板東英二氏である。
刑務所に収監された場合、住民登録はどこでなされるのか?
という疑問が去来し、2006年9月6日にメモに書き付けておいた。
その疑問を3年ぶりに調査する(検索する)ことにした。
同じような疑問を抱く人はいるらしく、いわゆる「教えて」サイトでも質問がなされていた。
それらの質問への回答をいくつか見たのだが、しっくりこない。
結果としては、「基本は住民登録を移さなくてもいいけど、移したいんだったら弁護士を通じてどうぞ」という感じだろうか。
恐ろしいのは、実刑を受けた者の住民登録が受刑中に職権消除で削除される場合がある、という記載を見たことだ。
もし本当なら出所時に困ることになるだろうが、かといって受刑者名簿を情報共有するわけにも行かないし、かといって住民登録を刑務所の所在地に移すのも履歴が残ることになるので難しい。
フジテレビの田淵裕章アナウンサーが体調不良でしばらく休養を取っている。
ある報道によると、アナウンサー室での陰湿な中傷(「親の七光り」とか)が休養の原因である。
ただし、この報道の信憑性を僕は担保できない。
そんな中傷が本当にあったのだろうか。
僕はあまり信じていない。
もしそのような安易な中傷がなされたとしたら、中傷の矛先が真っ先に向けられるのは、確かに実力はあるが容姿にはかなりの難があり、田淵氏の1年先輩であるモガモガモガヌノヌ…。
日曜、夜。
23時30分、就寝。
翌1時30分近く、覚醒。
それから、ほとんど眠れない。
少しまどろんだ気がするが、悪夢にうなされ、すぐに目覚める。
結局、覚醒したまま朝を迎えてしまった。
月曜。
7時、起床。
眠れなかったのに、眠気はない。
もちろん、クスリはやっていない。
朝刊を流し読みする。
民主2勝、公認会計士でも就職難、菊池雄星…。
「ひと」のコラムを読み、何かしら違和感を覚える。
執拗に言及するのには、何か歴史的理由か歴史的癒着か内部工作員による恣意的行為があるのだろう。
八ッ場ダムの建設費用、漁船が行方不明、松戸の事件はまだ解決していない…、不穏な話ばかり。
そして、テレビ欄を確認する。
もう裁判の話は耳にしたくない。
今日は降雨、そして低温。
誰が好きこのんで、列に並ぶものか。
そして、驚愕の声を上げる。
今日の「スタジオパーク」、まままままま松尾れい子が出るじゃないか!
松尾れい子。
佐賀県出身、1978年生まれ。
ソニーの「ちょっとそこまでオーディション」。
映画「がんばっていきまっしょい」に主人公の姉役で出演。
…それ以上は思い出せない。
どうやら「ウェルかめ」がらみの出演のようである。
こんな時期に松尾れい子か、いや、こんな日だからこそ松尾れい子がゲストなのだろう。
録画予約をして、家を発つ。
通勤。
携帯電話で松尾れい子の情報を確認する。
「水の中の八月」と「ユメノ銀河」に出演。
相変わらず、内容を全然覚えていない。
ここ最近、ようやく「水の中の八月」のポスターを思い出したばかりなのだ。
「笑う犬の冒険」にレギュラー出演。
そういえばそうだった。
僕も2001年9月16日の日記で書いた。
仕事。
形にならない眠気が僕にまとわりつき、すっきりしない。
瑣末で、面白くもない話ばかりが次から次にやってくる。
裁判の話に誰も触れることはない。
ましてや、松尾れい子の話なんて一切出てこない。
スーダンで子供が亡くなっていく間に、僕は文章の「てにをは」を修正したり、天から授けられた崇高な計画のつじつま合わせをしたりを繰り返している。
何のためにしているのか、視野の狭い僕には残念ながら理解できないが、きっと誰かがしなければならないのだから僕はそれをやっている。
ただ、いつの間にか自分が意志を持ってボールを投げたことにされているから、怖い。
それでも、無力感すら感じない。
ミミズと同じだ。
創造主のご意向を私ごときの土くれが知れる由もない。
帰宅。
ずだぼろのずぶぬれだ。
録画した「スタジオパークからこんにちは」を早速見る。
久しぶりに松尾れい子を見た気がして、彼女の変貌ぶりについ「ずいぶんと大人になって」という言葉が僕の口をついた。
世間に出てからというもの言葉遣いに注意するようにしているが、その癖がこんな場でも自然に出てしまい、ひどくさみしく感じる。
番組は全般的によかったが、あまりに過剰なので思わず「カメ、カメ、カメ、カメ、うるさいなー」と暴言を吐いてしまった。
NHKのアナウンサーの「何でも存じ上げております」感が、わざとらしく過剰に感じる。
そして、今夜もまた寝付きが悪いのだろう。
ずっと昔、父親とタクシーに乗ったことがある。
確か、東京の六本木に向かっていたのだと記憶する。
車内で、僕の名前についての話になった。
僕はそこで長年の疑問、つまり「僕の名前の読み方はどうしてこうなったのか?」を父親にぶつけた。
僕の名前の読み方は、名前を形成する漢字の一般的な読み方とは全然違う。
辞書にも載っていない読み方をする。
僕に名前を付けてくれたのは、祖父である。
この質問をした頃、祖父はまだこの世のものであったが、ちょっといろいろと怪しげであった。
なので、もう祖父に尋ねることはできなかった。
思えば、僕に名前を付けてくれた祖父は、何となく博識そうであった。
おそらく、何か深い理由があるに違いない…。
僕の純粋な問いに対し、父親は短く返答した。
「そう読むのは、おやじのどまぐれだ」
この「どまぐれ」というのは、おそらく方言である。
北九州や祖父が在住した筑豊には、どまぐれに当てはまる人物や行為があふれていた。
共通語に変換すると、つまり、僕の名前の読み方は、「祖父のフィーリング」である。
ついでに聞いた話だと、祖父から僕の名前を初めて提示されたとき、母親はひどく渋ったらしい。
その気持ちは分からんでもない。
これが、麗しき六本木の追憶、 remembranceである。
僕は一生忘れないだろう。
物心が付いて以来、自分の名前を振り仮名無しで他人に正しく呼ばれたことは一度たりともない。
それでも、12,000日近く付き合ってみると、風変わりな自分の名前でも何となくしっくり来るものである。
僕の名前はそんなに奇異ではない。
まともな漢字だし、意味もしっかりしているし、ウェブで調べたところ同じ漢字の名前の人がいることが分かったし、名前の読みだけなら実在の有名人にも同じ読みの人がいる。
しかし、漢字と読みをセットにして考えると、現代風に言えばいわゆるDQNネームの1つであろう。
なので、僕は昨今見受けられる命名の風潮をひどく心配している。
DQNネームのサイトを見て、「できれば全てネタであって欲しい」と心から願っている。
いやはや、自国民の大胆な発想力には感服してしまう。
政府は子育て支援手当の前に、漢和辞典を給付した方がいいのではないか、とすら思う。
しかし、万が一、僕が人の名前を付けることになったら、無知が原因で同じようなことをしでかすかも知れない。
その場合は、できればコンサバな名前でお茶を濁したいものだ。
といっても、「保守」と書いて「コンサバ」と読む、みたいな名前じゃない。
今日まで生きてきて学習した「大人の作法」の1つに、「人と映画の話をしない」というのがある。
映画の話をして、およそ成功した試しがない。
まず、映画のあらすじを人に伝えたり、人に尋ねたりしてはならない。
僕には表現力がないから、映画のあらすじを人にそのまま伝えることは能わない。
また、映画は結局見なければ分からないものなので、見たことのない映画の内容を人から聞いても、その話に満足することはまずない。
人に映画の内容を詳細まで尋ねたせいで、煙たがられたことがこれまで何度もある。
そういうときに決まって言われることは、「一度見れば分かる」。
次に、人に好きな映画を尋ねたり、自分がお気に入りの映画を教えたりしてはならない。
人がせっかく挙げてくれる「好きな映画」の多くは見たことがないので、話が先に進まない。
その映画のどこがいいのか一応尋ねたりしてみるが、結局内容が分からないので話が盛り上がらない。
たとえ人が挙げる「好きな映画」を見たことがあったとしても、僕と趣味が異なる場合がほとんどなので、その映画のどこがいいのか根掘り葉掘り聞いてしまう。
そして、意見の違いが露呈し、性格の不一致が立証され、険悪なムードが形成される。
万一映画の趣味が一致していたとしても、大体「その映画はいいよねー」で話が終わる。
映画を評論する能力が、僕には著しく欠如しているからだ。
また、自分のお気に入りの映画を明かしても、その映画がマイナーすぎて誰も知らない場合が多い。
そういう場合は怪訝な顔が返ってくるだけだ。
僕はそんな事態を避けるため、「好きな映画は?」と聞かれたら、
「「ターミネーター」と「バック・トゥー・ザ・フューチャー」と「マルサの女」」
という無難な答え(もちろん、嘘ではない)を返すようにしている。
そう答えると、たいていの場合浅笑いとともに映画の話は終わり、やがて平和な時間が訪れる。
でも、ごくまれにそれらのシリーズのリアル・マニアがいて、例えば「バック・トゥー・ザ・フューチャー」のタイム・パラドックスについて意見を求められることがある。
僕はそんなに注意深く「バック・トゥー・ザ・フューチャー」を見たことがないので、困ってしまう。
以前は、「好きな映画」という問いに「スター・ウォーズ」と答えていたが、世の中には「スター・ウォーズ」のコアなファンがたくさんいることを知り、今はそう答えるのを控えるようにしている。
最後に、人と一緒に映画を見ない。
以前、人が好きな映画をDVDで一緒に見ることになった時、僕が途中でずいぶん茶々を入れたので、その人に激怒されたことがある。
一緒に見る場合でも映画館であれば途中で口を挟むことはないが、鑑賞後に残されているのは、見た映画に関する不毛な論争か、あるいは見た映画の内容に全く触れないかのどちらかである(後者の場合、誘った側はひどく気まずい思いをする)。
僕が今できることは、見た映画のリストをただひたすらに公開することだけである。
理解とは誤解の総体であるそうだし、瑣末な事実の総体だけが理解を何となく醸成するのだと僕は信じている。
人は誰も孤島にあらず。
いずれ、他人と映画の話題を交わせる日が訪れることを願う。
1995年11月23日。
マイクロソフト社のOS「Windows 95」が発売された。
当時、僕の実家では、いろいろな経緯の末、NECの98MATE(PC-9821Be)を所有していた。
マシンのOSは「Windows 3.1」だった。
「Windows 95」をインストールできるか調べたのだが、動作条件を満たさないことがわかり断念した。
なので、僕はあの「Windows 95」騒動から遠く離れた場所にいた。
あの日について、よく覚えていることがある。
午前中のTBSで、「Windows 95」の特別番組を1時間くらいやっていたことだ。
進行役は確か板東英二氏だったと記憶している(今振り返ると、恐ろしい話だ)。
でも、記憶違いかも知れない。
あの頃、僕はパソコン関係の話を学校ではめったにしなかったのだが(まだ、PCが生活の一部になっていない時代)、翌日の学校ではその番組の話題で何人かと話すことになった。
そして、これからすごいことになるのだろう、と確認しあった。
時代が確実に変化した瞬間である。
ところで、2009年7月24日。
NHKで、いわゆる「地デジ促進番組」 を生放送していた。
内容は、石川県珠洲市でのアナログ停波実験の模様と、総務省の担当者による地上デジタルテレビ放送の説明、そしてその担当者にゲストの瀬川瑛子と松尾貴史が食い下がる、というもの。
僕は、週末に再放送されていたのを見た。
珠洲市のデジサポの電話番号が番組内で表示され全国に放送されたのに、デジサポの電話がパンクしていなかったのがすごく不思議だった。
おそらく、僕らのメディアリテラシーが向上したのだろう。
また、ゲストが提灯を持たずマイナスな話ばかり出てきて、地デジのよさがほとんど伝わってはこなかった。
この番組を見たとき、急に「Windows 95」の特番のことを思い出したのだ。
あの頃とは全然違って、今は夢が感じられない。
飛ぶ夢をしばらく見ないのもうなずける話だ。
気球が飛んでいったニュースを見たとき、人並みに心配した。
後日、自作自演が報じられて、展開がやけに早いなと思った。
メタな話が好きな僕は、自作自演を自作自演しているんじゃないか、と思ってしまった。
ワイドショーのネタとしては最適すぎる、と感じたのだ。
そのまた後日、自作自演に一部マスメディアも関わっていた、という報道がなされた。
頼むから冗談を言う前に事実が先行しないで欲しい、と願う。
4/5 × √(9*9 + 16*16) / 16 = 0.917….
これに14をかけると、およそ12.8V。
また、Wは変わらず、Hの比は、
(9/16) / (3/4)
なので、S比は0.75。
道理で、フジテレビの深夜番組が最近遠く感じるわけである。
よくも、「デジタルテレビチューナーを設置すればいい」とか、「ケーブルテレビでデジアナ変換すれば大丈夫」とか、臆面もなく言えるものだ。
「ただの歌手より、シンガーソングライターの方がすごいと思う」
古い友人の発言である。
それを聞いて、僕は、
「美空ひばりより久宝留理子の方がすごいのだろうか?」
と問うた。
友人は、
「曲がかけない美空ひばりより、曲を作れる美空ひばりの方がすごいと思わない?」
と答えた。
僕はこのような失言ばかりを繰り返し、友達を失っている。
ちなみに、久宝留理子が作曲したものも確かにあるが、CDが売れた当時は、曲をほとんどかいていない。
代表曲「「男」」や「薄情」の作曲は、伊秩弘将であった。
人生は旅、いたるところに伊秩あり。
今だったら、少しだけひねる。
「美空ひばりより市井紗耶香の方がすごいのだろうか?」
携帯電話のCMで、稲垣吾郎が運転免許証の提示を求められている。
このCMを見る度に、僕の脳裏に彼の過去の事件がフラッシュバックして、少し動悸がする。
考えすぎだろうけど。
甘いものがどうも苦手である。
子供の頃から、甘いものはどうも食いつけない。
親が甘い菓子をほとんど買い与えてくれなかったのも原因だと思う。
一人暮らしを始めた20代の頃、子供の頃に食べていなかった反動か、チョコレートやらアイスやらをコンビニエンスストアで購入することが日常化してしまった。
ケーキとかプリンとかシュークリームとかがこんなにおいしいものなんだ、と初めて気付いた。
この期間だけは、「甘い物好き」だったと言える。
ところがここ数年、「水曜どうでしょう」に出演する鈴井さんの甘いもの嫌いを見て、自分も甘いものを苦手に感じるようになってしまった。
おそらく、鈴井さんの苦悶の表情に感化されたのだろう。
全くもって、僕は人の影響を受けやすい。
而立に至りて、再び甘味遠のく。
ところで先日、東京都の浅草へ出かけた。
浅草へ行ったのは、途中下車を除外すると、およそ2年ぶりだと記憶する。
列車を下車して真っ先に甘栗店へ向かい、甘栗を購入。
新栗キャンペーンで、内容量を通常より30%増しにしていただいた。
持参したスタンプカードにスタンプを押してもらい、ご満悦。
「ぜひスタンプを全部貯めてください」と店員から激励を受ける。
あと34個、道は遠く険しい。
手水で手をそそぎ、線香の煙を体のいたるところへ浴びせかけ、浅草寺にお参りし(「南無観世音菩薩」)、浅草神社にお参りし(二拝二拍手一拝)、菊を愛で、胸の前で十字を切る。
これだけ分散投資すれば、おそらくどこかからかは御利益があるだろう。
適当に飯を食っても時間が余りに余っていたので、バーに行くことにした。
薄暗いバーのソファーに座り、オーダーを考える。
こういうところに来ると大体カクテルを注文してしまう。
メニューを見ると、オリジナルカクテルのパートに「浅草寺」という名のカクテルがある。
ウォッカベースなのでたぶん飲めるだろう、と思い、それを注文した。
そして、「浅草寺」が運ばれてくる。
僕はそれを口に含む。
…
それはとても甘かった。
味から察するに、おそらく梅酒が入っている。
あるいは、梅シロップかも知れない。
なるほど、浅草寺。
だから、ご当地カクテルを頼んではいけないのだ。
毎回失敗しているのに、貧乏性からか、ここでしか飲めないと思うとつい頼んでしまう。
連れがチョコレートをオーダーしていたので、少しつまんでみる。
案の定、甘さにもがき苦しんでしまった。
バーとは甘味処の側面もあるな、という思いが去来したまま、僕はバーを後にした。
新型インフルエンザの発症者が国内に現れた頃、街はマスクをしている人であふれていた。
その頃、近所のスーパーマーケットでは、レジの人が全員マスクをかけていた。
5月頃の話である。
そして、今月。
国内においても新型インフルエンザによって死亡するケースが現れている。
インフルエンザの感染報告は1週間に10,000例を超える。
それでも、以前の騒ぎと比べると、マスクをしている人は少なくなったように思える。
ドラッグストアでは、以前は品薄だったマスクが、今では普通に売られている。
おそらく、どの家庭もマスクの在庫を抱え込んでしまっているのだろう。
そして、近所のスーパーマーケットでは、レジの人は誰もマスクをかけていない。
当初だけパニックのように騒がれ、人気が殺到し、本当に必要な時にはそれほど需要が高まらない。
昨今のマスクの流行状況を見ていると、なぜか株投資を本当に辞めたくなる。
まあ、それは単なる素人考えなのだろうけど。
「水泳を題材にした日本映画」と言えば、東の「バタアシ金魚」、西の「水の中の八月」で…。
…と、書いてはみたものの、西の「水の中の八月」がどんな映画だったかはもうすっかり忘れているし、だいたい映画版「水の中の八月」が水泳を題材としていたかどうかも自信がない。
この映画は関川夏央が書いた小説のタイトルを拝借しただけで、内容は小説とは全く違う。
小説の方は確かに水泳を題材としているのだが、映画のほうはどうだったかしら。
小説を映像化したNHKのドラマの方が強く印象に残っていて、石井聰亙が監督を務めた映画版の方は、確かに見たのだが内容を全く覚えていない。
小嶺麗奈が出ていたことと、福岡市内にある高校でロケをしたという事実しか覚えていない。
なので、西の方は取り下げておこう。
「バタアシ金魚」の方は、内容がかろうじて記憶に残っている。
なぜ、「東」と呼ぶことができるのか。
それは、東幹久が出演しているから、ではなく、映画が千葉で撮影されているからである。
映画中に千葉モノレールが登場するのが特に有名である。
僕はこの映画で初めて千葉モノレール(しかも懸垂式)を目にした。
ところで、国内のほとんどの政令指定都市には地下鉄がある。
地下鉄がないのは、川崎、広島、そして北九州だけだ…。
…と言えるのは、今はもう昔の話になってしまった。
現在は、平成の大合併で法令に基づきどさくさにまぎれて成立した「どさくさ政令指定都市」(略して「どさくさ指定」)が増えてしまった(五市合併で成立し、今は約百万都市に成り下がった北九州市出身者の戯言です)ので、上のようには言えなくなってしまった。
北九州に地下鉄がない理由について、いろいろ聴いたことがある。
地盤が弱い。
地下に炭坑の跡が残っている。
地下にはオバケが出る。
北九州にありがちなアンタッチャブルなタブーがある…、など。
理由はさておき、北九州には地下鉄がない。
その代わり、北九州にはモノレールがある。
定義はよくわからないが、国内で初めての「都市モノレール」とも言われる。
千葉の懸垂式と違い、北九州のモノレールは羽田へ向かうモノレールと同じ跨座式である。
話を元に戻す。
僕は、「バタアシ金魚」を小倉で初めて見た。
そして、千葉モノレールが登場したのを見て、とてもうらやましく思えて仕方なかった。
果たして北九州モノレールが使われた映画があるのか、あるいはそのような映画が今後作られることがあるのだろうか。
その映画は、「バタアシ金魚」のようにすばらしい映画になるのだろうか。
そう思ったのだ。
そして、2009年。
僕は、北九州モノレールが使われた映画を未だに知らない。
北九州フィルムコミッションのウェブサイトを見れば、見つかるかも知れない。
もしそんな映画を知っている人がいれば、教えてください。
一応「北九州モノレール」というDVDは出ているんだけど。
北九州モノレールは魅力に乏しい小倉の数少ない魅力の1つだと思う。
小倉を訪れる人は、小倉駅をぜひ見て欲しい。
政府は、予算の無駄遣いを見直している。
政府は過去の浪費についても見直したりするのだろうか。
例えば、官庁の高級官僚に支払った過剰報酬の返納を促したりとか。
僕が思いつく財源確保案は、この間の定額給付金の再徴収である。
あるいは、エコポイントを政府に寄付できるようにすること。
そのためのオンラインシステム構築費が4,000億。
Smap
→SoftBank
と来るなら、僕は、
SoftBank→Me
にならないように気をつけよう。
10月6日の「テレフォンショッキング」に175RのSHOGOが出演していた。
懸念していたとおり、話はやはり北九州のことへと移り、SHOGOが北九州特命大使(観光大使)を務めていることが披露され、綺羅、星の如く並ぶ北九州出身者の名が列挙され、挙げ句の果てに100分の1アンケートでも「北九州出身者でB型」というテーマが提示された(結果は0人)。
「北九州」というキーワードがテレビに出るだけで、僕は何故か「ギクッ」とする。
ところで、翌日の「クローズアップ現代」のテーマは「“助けて”と言えない -いま30代に何が-」であった。
こちらの方は見逃した。
再放送も見逃した。
内容は、番組紹介によると次のようなもの。
今年4月、福岡県北九州市の住宅で39歳男性の遺体が発見された。男性は死の数日前から何も食べず、孤独死していたとみられる。しかし、男性は、困窮する自分の生活について、誰にも相談していなかった。..
相変わらずである。
ゲストは作家の平野啓一郎である。
見ていないので正確なところはよくわからないが、なぜ34歳の小説家が呼ばれたかというと、彼の人物が理由なのはもちろん、彼が30代であることに加え、しかも北九州市で育ったからであろう。
特命大使、結構。
地元出身の論客が育つのもすばらしい。
でも、抜本的な対策は悪いニュースが漏れ聞こえないようにすることだろう。
もちろん、悪いニュースを隠蔽すればいいという話ではない。
今後この国で育成しなければならないのは、次代を担うリーダーではなく、様々な方面に影響力を持つロビイストであろう。
もしそのようなロビイストがいれば、社会民主党党首がいち早くノーベル平和賞を受賞していたかも知れないし、地域振興券が経済学賞を受賞していたかも知れない。
でも、ロビイストってどういう人のことを指すのだろう。
僕は、「ロビイスト」という言葉を「ゴルゴ13」でしか見たことがないので、どういう人を指すのかピンとこない。
ところで、ある人たちが、広島あるいは長崎に来訪してもらおうとアメリカ合衆国大統領に呼びかけている。
そして、広島と長崎に夏季オリンピックを招致しようとしている。
結構な活動である。
僕もインスパイアされたので、ある活動を起こすことにしよう。
原爆投下を免れた地、小倉に大統領を呼び、平和の地小倉にオリンピックを招致するのだ。
そして、大統領の前で「おかげさまで僕は無事に生を受けました。あなたの国の言葉ではこれを「幸運」と呼ぶんですね」と言うのだ。
目標年度は特別に2201年、場所は北九州博覧祭跡地。
無理なら、ノッチ夫妻、そしてタモリンピックでもいい。
最悪、オリンピックの出店でも納得しよう。
※この話は痛い話です。
苦手な人は、読まない方がいいかもしれませんが、僕の文章力は乏しいので、案外大丈夫かも知れません。
「鶴瓶上岡パペポTV」。
福岡でもかろうじて放送していた。
僕が言うまでもなく、とんでもない番組だった。
この番組で印象に残っている話の1つに、次の話がある。
たぶん鶴瓶さんだったと思うが、口の上唇の裏にある、上唇と歯茎をつなぐ膜状の線は何のためにあるのか、この線を切ったらどれだけ痛いか、ということに言及していた。
そして話は、同じような線が口以外の箇所にもあるけどそっちが切れたら…、と波及していくのだが、想像するだけで痛くなるので、そちらの方は伏せておく。
この「口の線」の話を覚えているのには、理由がある。
僕の口には、この「口の線」がないのだ。
厳密に言うと、「口の線」は昔あったけど、切れてしまって、すごく短くなってしまった。
1988年5月13日。
小学生だった僕は、小学校対抗で行われるミニバスケットボールの大会に向けて、1時間目の授業が始まる前に早朝から練習をしなければならなかった。
この「練習をしなければならなかった」というのがキーポイントである。
戦争と教育のためなら、個人の尊厳なぞ蹂躙されて当然である。
その練習に参加するために、毎朝苦しい思いをして起床し、急いで登校していた。
遅刻すると、罰則が待っていたからである。
そんなある日、いつものようにあわてて学校を目指していると、歩道橋の階段で転んでしまった。
そして、階段を頭から転げ落ち、道路に顔をしこたまぶつけた。
そのとき、上唇を「ズドー」といったのだと思う。
とにかく激痛が走ったのを記憶している。
それでも、時間通りに登校しなければ銃殺刑なので、痛みに耐えながら学校へ向かった。
そして、バスケットボールの練習をみっちりやった。
ただ、練習が終わっても痛みが引かなかった。
なので、一応保健室に行くことにした。
そのとき、一緒に付き添ってくれた友人の名前を僕は一生忘れないと思う。
それを無視した担任の名前も一生忘れないだろう。
保健室のフクズミ先生は極めて優しく接してくれた。
でも、結局「なすすべなし」という結論に達した。
僕も、自分のフィジカルバランスの悪さが原因で転倒したのだと認識していたので、納得して保健室を去った。
それからしばらくの日数は口の痛みが続いたが、いつの間にか痛みは治まった。
で、ある時「そういえば、「口の線」がなくなっているな」と気付いたのだった。
結論。
「線」を切ることは、拷問には十分適している。
ただ、口の線を喪失しても、その後の生活には支障がないようだ。
もしかしたら、高須クリニックで再生できるかもしれない。
でも、もう一方の線の方は、喪失すると支障がある気がする。
「うちの子、「げーんきって、どんなっき?」のCM見ると、泣きやんで踊り出すんだよね…」
答えはもちろん、「やる気・元気・モンキッキー」であろう。
僕にでもできる姓名判断。
あなたの運気が拓けないのは名前のせいです。
石原真理子のように、名前から「子」を取った方がいいでしょう。
あなたの運気が拓けないのは名前のせいです。
高橋まりのように、名前に「子」を付けた方がいいでしょう。
あなたがイマイチブレイクしないのは名前のせいです。
名前を「椎名」と「子」で挟めばいいでしょう、さくらさん。
美人はずっと見ていられる。
滝川クリステルをずっと見ていると、ジョン・カビラに見えてくる。
小雪をずっと見ていると、角野卓造に見えてくる。
ここまで見ていられるのも、この人たちが美人だからであろう。
新聞に「道」(NHK出版)の広告が掲載されていた。
つい「まるで「偉大なるセンセイ」のお言葉が記された本の広告みたいだな」と思った。
知人に「逆だろ」と指摘された。
冷凍食品の「白いたいやき」(かねます食品)を食べた。
太宰府で売っている梅ヶ枝餅と同じような印象。
あれはうまい。
「テレビ朝日が、ほぼ全ての深夜番組を打ち切り、その代わりに通販番組を放送する」と8月の終わりに報道されたとき、たやすく信じることはできなかった。
「どうせ東スポ情報だろ」という空気が視聴者側には漂っていた。
しかし、9月の終わりを迎えると番組は矢継ぎ早に最終回を迎え、今週から「お願い!ランキング」という帯番組が本当に始まってしまった。
こんな非常事態でも、福岡ではおそらく何も変わらないのだろうけど。
新番組では、新野新先生のお弟子さんであるいちご姫のいちごハウスの内部が放送されるという魅力的なコンテンツも用意されているようなので、楽しみにしている。
僕の一番好きなドライブは、ICEのアルバムをBGMにして、夜中の首都高速湾岸線を東から西に向かうことである。
免許を取ってもう10年近くになり、無駄にゴールド免許(金メッキ)だが、そんなドライブなど、一度もしたことがない。
善良な一般市民を標榜とする僕に、夜中に出かける用事なんて、全くない。
出かける用事があったとしても、夜中の湾岸線なんて、怖くて行けない。
せいぜい羽田空港に向かうリムジンバスに乗り、失意のうちに通過した程度である。
だいたい、これまでに車を保有したことが一度もない。
そもそも、ICEのCDを1枚も持っていなかった。
1995年以降、ことあるごとにICEのアルバムを聴き、何とかこの身を保ってきた。
宮内氏が亡くなったことを知ったとき、「もう次はないんだ」と思い、ひどく落ち込んだ。
加齢について以前記したことがあるが、まだまだ甘かった。
活動休止とか、解散とか、引退とか、行方知れずとか、動向に誰も興味を持たない、なんて大したことはない。
年齢を重ねるとは、今後新譜が絶対に出ることはないアーティストのお気に入りリストが長くなることである。
ところで、ICE BLOGによると、11月にライブをやる模様。
たぶん行けないだろうけど、楽しみにしている。
一度聞いたら癖になる、明治十勝スマートチーズのCMに小泉今日子が出演している。
日向千歩が出ていたCMはもうやっていない。
やっぱり強いね。
僕はもともとチーズが苦手だし、一度食べたけど癖にはならなかった上に、CMも変わってしまったので、もう買うのはやめよう。
昨夜は、TOKYO MXの報道特別番組(お通夜)を最後まで見てしまった。
途中、コペンハーゲンからの独自生中継まであって、少し驚いた。
番組内の「多摩の子供たちのことも考えて欲しい」という角田光男氏の意見が秀逸だったと思う。
それにしても、IOC映像に対する同時通訳のボリュームが、NHKと比べ、TOKYO MXの方は若干少なかったように思える。
おそらく、TOKYO MXかNHKのどちらかの通訳、あるいはどちらともの通訳に嘘が含まれていたのだろう。
文句があるなら、自分が英語を習得すればいい、ということだ。
もし、Fukuokaが候補に残っていたら、前首相の人気ももう少し持続していただろうか。
もうFukuokaのことなんて、みんな忘れてるか。
faviconを作ってみた。
図案に関しては何処からもインスピレーションを得ていない、完全オリジナル(のつもり)。
だから、たとえ似通った図案が既に存在していたとしても、影響を受けているわけではないので、謝罪したくない。
仮にそんなことがあったとしても、単純な図案だし、素人のやることなのだから、どうか見逃して欲しい。
あまりに言われるようなら、図案を外注します。
それにしても、こういうものを作ると、自分に何1つ取り柄がないことをつくづく感じる。
常識人でありたい。
いつもいつでもそう願っている。
しかし、実際のところ、僕は全く常識を身につけていない、と常日頃思い知らされる。
きっと、常識の方が僕を拒絶しているのであろう。
先日、カレーハウスCoCo壱番屋(ココイチ)で夕食をとる機会があった。
いい大人が、夕食をココイチのようなファストフードショップで済ますのも以前では常識外だったかもしれないが、時代が進化したので、臆面もなく夕食をとることができる。
最近、ココイチにおいて、やれご飯の大盛りをどれくらいまで食べられるか、とか、やれ辛さの限界に挑戦だ、とか、やれトッピング全部のせでハウマッチ、とかいう試みが横行している。
食べ物で遊ぶなんて以前では常識外だったかもしれないが、現代は飽食の時代だし、娯楽も洗練されているし、人の心にも許容があふれているのだから、そんなことをしても構わないのだろう。
でも、僕がココイチでいつも疑問に思うのは、果たしてこの店で一杯やることはできるのか、ということである。
ココイチのメニューには、缶ビール(キリンラガービール350ml缶)が用意されている。
だから、飲酒は可能である。
問題は、どのような形態で飲むことができるか、ということである。
オーダーが来る間、メニューを見ながら考えてみよう。
誰にでも思いつくのは、サラダをつまみにすることである。
これは、十分あり得る話である。
イカサラダなんて、実にうまそうである。
では、カレーライスはつまみにできるか。
これも、まああり得る。
ただ、ご飯が要らない、という意見はあろう。
じゃあ、トッピングを単品で注文して、それをつまみにして飲むことはできるのだろうか。
一度カレーライスが来た後にトッピングを追加注文したら、トッピングが皿に盛られてきたことがある。
この要領で、トッピングだけを注文してもいいものだろうか。
牡蠣フライなんて、まさにうってつけである。
この辺は、勇気が試されるところであろう。
サイドメニューを見てみる。
ココロッケというスティック状のコロッケなら、いけそうである。
らっきょうなんていうものもある。
30円だし、これはいける。
サラダに、カレーのルーだけかけてもらう、なんてことはできるのだろうか。
あるいは、カレールーを別盛りにしてもらい、ルーを付けながらコロッケを食べる、というのもいい。
ふと、テーブルの上を見る。
そういえば、福神漬があるではないか。
僕は福神漬が大好きで、カレーライスとともに容器の半分くらい福神漬を食べてしまうのだ。
これなら、無料でいける。
脇には、「とび辛」という香辛料もある。
単品で出されたトッピングにとび辛をかけて食べる、というアイデアもすばらしい。
レジ脇を見ると、冷凍庫がある。
その中には、カレーパンやナンが並べられている。
これらを店員さんに頼んで温めてもらう、というのも捨てがたい。
テイクアウト用に売っている冷凍食品のカレーうどんも、店で作ってもらえないだろうか。
最近のココイチには、何とカレー鍋のつゆまで売っているではないか。
「これでカレー鍋をお願いします」と頼んだら、案外作ってくれるかも知れない…。
そういうことを考えていると、注文したカレーがやってくる。
いつものポークカレー400gである。
トッピングは一切無し。
揚げ物をトッピングしてもいいのだが、食べている途中で気持ち悪くなることがわかっているから、最近は注文しない。
たぶん、逆流性食道炎なのだと思う。
この話は、もちろん妄想である。
CoCo壱番屋で、ビールを飲んだことなんて一度もない。
だって、高いもの。
テレビのトーク番組に、北乃きいが出演していた。
と思っていたら、テロップで「水森かおり」と出た。
以前から、近視の進行を懸念してきた。
だが、眼鏡をかけてこの間違いなのだから、どうやら悪いのは目ではなく、脳の識別機能の方らしい。
眼球を変えたところで、変化はないだろう。
ただ、
水森かおり⇒北乃きい
は、あり得ても、
北乃きい⇒水森かおり
は、たぶんないと思う。
原由子⇔水森かおり
は、成立するかもしれない。