曇天の続き

Diary > 2024 > 09 | Calendar | RSS 1.0
2024-09-28 Sat.

持合

2024-09-28

借金をした経験がほとんどない。

正確に言うと、金利の付く借金をほとんどしたことがない。

先日書いたとおり、奨学金の貸与を受けた。
僕は、具体的な何かになることを嫌なのだが、周囲にわかりやすい何かがないと生きづらい。
やむをえず、学歴だけを手に入れようとし、そのために奨学金の貸与を受けた。
多額の借金になったが、ありがたいことに無利子だった。
それでも、毎月の返済は苦痛で、「この支払いがなければなー」と思っていたものだ。
それが、ある時からは「奨学金を貸与して学歴を得た見返りとしての給与の上乗せはある」と思い込むようにしたし、実際、その金が浮いたと仮定してもその使い道を思いつけないことに行き当たり、愕然とした。
ようやく返済は終え、返済額分の余裕ができたはずなのに、やっぱり余裕がない。

1999年に初めて自分でPCを買ったときも、借金をした。
上京してからは金がなく、PCの購入を我慢し、大学の計算機センターでUNIXを触っていただけだった。
でも、やはり満足できなくなってきて、ちょうど実入りの良く、続けられるアルバイトが見つかったのもあり、金を貯めて買った。
PC購入の際に、同時に3年分のネットのプロバイダ契約をし、3年間で支払う料金をPCの代金からを値引きしてもらった。
その後の3年間、プロバイダに月額料金を支払った。
いわば、頭金を払って、残りを月賦にしてもらったわけだが、こちらも(明らかな形での)利子はなかった。
プロバイダは当時ダイヤルアップ接続で、テレホーダイにも加入し、月額5K円ほどの支払いが続いた。
購入から2年くらいで、プロバイダとの契約を残したまま別の会社のADSLに加入した。
この経験で、借金は未来を拘束することを理解した。
その後のPCの購入は、ローンを組むこともなく、その場で決済している。

あと、初めて外国に行った際、渡航先で友人に金を借りた。
「外国ではクレジット決済で事足りる」という話を真に受け、現金を2万円しかもっていかず、しかも出国時の成田空港で周囲から保険に入ることを薦められ、1万円ちょっとの残額で出国した。
旅行先のネパールではクレジット決済などは遠い夢のような話で、カードのキャッシングをしたくてもATMもない。
やむを得ず、同行の友人に金を借り、帰国後、速やかに返済した。
控えめに言って、借りていなければ死んでいた。
知人間で寸借で借りたことはあったものの、まとまった額を用立ててもらったのは、これが最初で最後だ。

明確に金を借りたのはこの3回だけで、他はたぶんない。
普段ほとんどの決済はクレジットカード決済(あるいは、クレジットカードを介した電子マネー決済)で、これは借金ではあるが、金利がつくことなく、翌月に一括払いで銀行口座から引き落とされている。
分割払いもボーナス払いも、もちろん眼鏡をかけた中山エミリが薦めてくるリボルビングもしたことがない。
KCカードなら作りたかったけど、楽天カードにかかわることもなかった。
何度か外国に行ったが、その時は現金もしくはトラベラーズチェックで済ませたし、もう20年近く出国していないのもあり、現地でキャッシングという経験もない。

金があるのか、と問われれば、全くないと答える。
むしろ、金のある範囲内に支出を慎んでいるに過ぎない。

上京して以来、金がなくなりそうになったことは、覚えている限りで3度あった。
といっても、「このままだと、後1年で銀行残高がなくなるな」くらいの感覚である。
その1年の猶予期間中、支出をさらに減らし、何とかもがいているうちに、運よく状況を脱することができた。
「次の給料日までどうやって暮らそう」みたいなところまで追い込まれた経験はない。

遠い記憶だと、僕の両親は、何かを大きな買い物をするときに、ボーナス一括払いや分割払いを選んでいたように思う。
たしか、有利な金利が適用されるとかいう話だったと思うが、とにかく生活の身近に月賦があった。
自分も大人になれば月賦払いをするものだと思っていた。

でも、大人になっても、大きな買い物は、クレジットカードの一括払い、あるいは銀行振り込みで済ませてきた。
金融というものが発達した結果なのだろう。

そもそも、大きな買い物などといっても、最高でも200K円前後といったところだ。
直近だと、TVを買い替えたが、もちろんクレジットカードで決済し、ポイントももらった(ポイントは酒代に消えた)。
クレジットカード決済をすると、帳簿上は支出が記録され、引当金に計上される。
だから、引き落とし時に残高がない、ということはこれまで経験せずに済んだ。

家電や家の設備をいつか買い替えることに備えて、毎月一定額を引き当てている。
買い替えが発生し、引当金の残高が減れば、しばらく買い替えのことは忘れる。
引き当てることができるのは、月収が生活費をごくわずかに上回っているからである。
逆に言うと、月収の範囲内に生活費を収めるようにしているからだ。
そのごくわずかな余剰も、突如発生する家電の買い替えで結局消えている。

年中切り詰めているし、必要なものだけを買っていれば、月の支出はおのずと安定してくる。
給料日まで節約しよう、とか、ボーナスが出たからあれを買おう、などというのも一切ない。
その月の支出に計上されるのが嫌で、月末に買い控えることはある。
だから、むしろ月末の方が、金を使わない。
それで金が惜しくなり、結局翌月も買わなかったりすることもある。

自宅は賃貸である。
これは、かなり広い意味で借金と言えるのかもしれない。
設備を所有せず利用料を支払っている状況を借金と呼ぶのなら、電気、ガス、水道なども借金であろう。
通勤の交通費なども、借金と呼べるのかもしれない。

まさか、この年になるまで車も家も買わないとは思わなかった。
家は必要だが、この先の不安定さを考えると、やはり賃貸を選ぶだろう。
車は今は必要ないし、もし必要になったらローンを組むかもしれないが、リースにするかもしれない。

借金をしないと状況を打開できない、というのは、かなり追い詰められている事態だと感じる。
そのような借金が必要な人に、その後の返済の見込みなどあるのか、ましてや金利など払えるのだろうか。
ラジオCMで「結婚資金のためにキャッシング、18年かけて完済、そして払う必要のない利息が戻ってきた」などと聞くが、それくらいの時間感覚がリアルなのだろう。

奨学金の貸与を受けたが、それは、実家にあるささやかな財産に手を付けなくても、無利子で学費を確保できたからだ。
PCを買ったときに契約を結んだのは、手元にある金の自由度を確保しておきたかったからだ。
ネパールでの借金は、帰国すれば返済できる見込みがあったし、それを信じてくれたから貸してもらえた。

いずれにせよ、過去の借金は、用途が明確で、実現性のある返済計画を提示することができた。
生活費が足りないから借金をせざるを得ない、というのは、まずその事態が不安すぎて、自分が慣れることができないと思う。
でも、慣れてしまえば、何でもないことなのかもしれない。

幸運なことに、瞬間的に大きな金が必要になるようなことが、これまでほとんどなかった。
出費が必要になっても、その時の持ち合わせに収まるよう、慎重に買い物をしてきた。
例えば、就職して、職場に着ていく服をそろえなければならなかったが、金がなく、バーゲンで一番安い15K円ほどのスーツを買った。
着ている本人も落ち着かないような、不思議なスーツだった。
ここから学んだのだが、「衣食住」のうち、金があるうちに充実させておくべきは「衣」である。
金がなくなっても、着る服がそろっていれば、その場をしのげる。
「食」は、金があってもなくても、健康によくて安価でおいしいものを選んでいればいい。
でも、金があるからといって「住」を豪奢なものにすると、金がなくなった時の家賃や維持費に困る。

その後も、欲しいものは買わず、必要なものしか買ってきていない、というより必要なもの以外を買う余裕がなかった。
そもそも、欲しいものがそんなにない。
余裕がない状況が長く続いた結果、欲しいものを考える頭がなくなったのかもしれない。
悲しい話だ。

今後起こる支出イベントに備える必要があるだろう。
病気の恐れについては、掛け捨ての保険に加入しているし、後は健康保険で事足りるはずだ。
直近に起こりそうなことは転居であり、過去の経験から500K円くらい軽く失うことになるはずで、考えるだけで嫌になる。
あるいは、両親の介護があるかもしれない。
介護の範囲で済めばまだよく、もっと大きなことも起こりうる覚悟はそろそろ必要である。
現実的に可能性が高いのは、支出の発生よりも、収入が途絶えることだ。
失業保険もあるけれど頼りなく、年金受給年齢まではまだ遠い。

困った状況に陥っても、誰かに助けてもらえるほどのつながりを築けてはいない。
例えば、今夜の食事すら、頼れる人がいない。
金を貯めるよりも人のつながりを築く方が大事だとは理解している。
でも、それができないから、不安で金を貯めている。
実にむなしい。

たとえ金があっても、人が動いてくれる保証はない。
今だって人手不足で、飲食店に行っても、食事が出てくるまでずいぶん待たされたりする。
みんな金を払うばかりで、仕事をしようとしない。

税金を払っていることがクレジットになると思い込んでいる。
でも政府は、困ったときに僕を助けてくれるのだろうか。

Link
2024-09-21 Sat.

霧散

2024-09-21

目標は「30・30」、「オシャレ30・30」に出演することである。
「コピーは見た」。

さて、農産物の生産コストが高く、価格にも影響が出ている、消費者の皆さんのご理解を、みたいな広告を見た。
普段、ろくなことをしていない自分としては、実に頭の下がる思いがする。

生産コストが高いのは、人件費もさることながら、飼料代や光熱費、運搬コストの増大もあるのだろう。
要は、消費者は、金を払って輸入している飼料や石油、ガスを食っているのだ。

思うに、我々が考えるべきは外国に依存しているエネルギー問題であるとともに、為替相場についても関心を持つ必要がある。
生産者を応援するのなら、円高になるよう行動し、構造的に生産コストが下がるようにすることが望ましい。
外国に売れる価値のあるモノやサービスを率先して生産、創造するべきなのだ。

ところで、昨今のITエンジニアは、リソースを外国から調達するばかりで、そのコストを支払うばかりだ。
IT資源の支払いはドル建てが多く、円安に傾くことに、大きく荷担している。
円安を産んでいる元凶の連中が、円安によってさらにコスト増になり、その負担を顧客にお願いする、という情けない事態になっている。

国力を低下させている主犯は、ITエンジニアなのかもしれない。

今こそ「IT自給率」を高める施策が必要だ。
ITエンジニアは、自前でリソースを確保する気概を持たなければならない。

…というのも、もう手遅れなのかもしれない。
僕もそうだけど、すでにあるものに乗っかる方が楽だし、それを自分で作れるとも思えないほど実力差がある。
外国企業の株式を持ち、我々が支払った収益のほんの一部でもいいから回してもらい、死なない程度に養ってもらう、という戦略の方が、まだ現実的のような気がする。

規格外の大リーグプレイヤーの年俸をまかなっているのは、結局スポンサーである国内企業だ、という話もある。
我が国は、軍事力での貢献は期待できないが、他の点でずいぶんと貢献、もしくは利用されている気がしてならない。
「おもてなし」という感情労働を強制され、それを美徳とうたう現況を見ると、国民の命だって早晩差し出しかねない。

Link
2024-09-14 Sat.

無適

2024-09-14

貸与型奨学金の返済をもうすぐ終える。

正確に言えば、数年前に「繰上返還」をし、返済を終え、報奨金まで受け取った。
「繰上返還」のための資金は他から調達し、その返済を毎月していたのだが、それももうすぐ終える。
調達相手は、自分である。

さらに正確に言うと、その「自分に対する借金」の残債も、今年中に完済する予定のところを、昨年末に余剰金で処理済みだ。

長かった。
保証人になってもらった父、連帯保証人になってもらった親戚に感謝する。
これで不安の種が1つ減った。

ここで改めて、奨学金を借りてまで行った大学の意義について、考えておきたい。
なお、これは自分にとっての意義であって、他人に当てはめるつもりは一切ない。

その前に、中学、高校の意義について考えておこう。

中学校は、いろいろな人が集まっていて、僕には落ち着かない場所だった。
その頃の僕は、恥ずかしいことに、現実的な将来のことを全く考えていなかった。
特に高校入試の知識を卒業間近まで持っておらず、近所の高校に行けばいい、としか考えていなかった。
それでも、中学3年の時の担任に気にかけていただいたおかげで、近所の高校に進学できた。
先生にはとても感謝している。
それがなかったら、完全に放っておかれ、いろいろな人の流れに飲み込まれ、自分の居場所を見つけられなかったと思う。

高校に行った意味は、「大学受験を突破できる知識や能力を身に着ける」という点に尽きる。
あれだけ強制されないと、およそ学力は身につかなかっただろう。
大学合格ほどの学力を得たことで、今の生活で助けられていることは多くあると思われる。
直接役に立つことはない知識、特に化学などは今の生活で全く役立てられておらず、ふがいないところではあるが、頭を使う訓練は十分にできたと思う。
教養を身に着けた、などとは到底言えないが、人に騙されるリスクは少し減っただろう。

また、自分にとっては、地元を出る手段を得られたことが大きい。
僕には、学力を得ることしか、環境を変える手段がなかった。
東京での生活が、結果的に自分に向いていることもよくわかった。

で、大学進学の意義だが、振り返ると、恥ずかしいことに、大学では全く勉強しなかった。
勉強のみならず、何もしていなかった。
ただただ、奨学金と仕送りと祖父からの小遣いを浪費しただけで、手元に何も残っていない、ように思う。

勉強に関しては、大学を卒業し、働き始めてからの方が、圧倒的にしている。
面倒なことにかかわりたくない、早く家に帰りたい、という一心で、仕事を終わらせるための知識を得てきた。
それもあるけれど、僕は大学の専攻とは異なるIT業界に進んだのだから、一から知識を身に着ける必要がある、と考えてきた。
IT知識については、正統な教育をほとんど受けておらず、独学と実地経験と他者からの叱責で身に着けた。
大学で得たことで業務に直接役に立ったことは、UNIXを使ったこと、LaTeXに触れたこと、くらいじゃないだろうか。

それを思うと、高校を卒業して、IT業界で働いてもよかったのではなかろうか。

早く金を稼げた機会の損失があるし、大学に行ったばかりに学費と生活費のサンクコストが生じた。
これはもう取り返せない。

金と時間を使って、学歴を手に入れた、という考え方は、確かにできる。
専攻の延長線上にある業界に進めば、機会は拓けただろうし、それなりの待遇を受けられたであろう。
専攻とは異なる業界に進んでも、高卒と大卒以上だと、得られるチャンスは大きく差がある。

でもそれは、明らかに「そういう社会」だったからである。
学歴で価値を判断されるのだから、その獲得のための労力を使わざるを得なかった。
社会への適用手段の1つに過ぎない。

実際僕は、大学でITの勉強をしなかったが、それでも独学でここまでやってきた。
大学に行かないと得られない知識があるのかもしれないが、自分のレベルだと、具体的に困ったことはあまりない。
実務に直結しない講義の受講が何かの役に立ったのかもしれないが、そもそも大学で勉強してないのだから、その実感はない。
むしろ、高卒直後の方が相対的に頭が切れていただろうから、IT業界で仕事をしていれば、業務知識がすいすいと頭に入ってきたかもしれない。
もっと柔軟な考え方や斬新的なアイデアを得られていたのではないだろうか。

大学は、学習の場ではなく、調査・研究の場である、という考え方もある。
教えてもらうのではなく、自ら問いを立て、真理の探究にいそしむ場所だと。
確かにそうなのだが、その点で言うと、自分にはまったくできなかった。

恐ろしいことに、自分が進学した場所は、調査・研究の仕方を親切に教えてくれることはなく、その方法を自ら学び取る必要があった。
また、指導教官は、どんなテーマでも、たとえ専門外のことであっても、的確にレビューできる方々ばかりだった。
その環境では、何をやっても無力感が付きまとった。
これは、圧倒的に自分が悪い。

僕は、すでに体系づけられた知識を理解し、その応用で物事を動かすことに興味がある。
昔からそうであり、大学には、知識を授けてくれることを期待していたようだ。
それが実際は、学位と引き換えに知識を創造することを要求されるのだから、そもそも考え方が間違っていた。
僕には、専門学校やカレッジが適切だったのかもしれない。

調査・研究というか、論文の書き方は、学校を出てからある程度修得した。
調査・研究の進め方くらいなら、まあ知っていると言えるだろう。
でも、僕には根本的な欠陥がある。
何も疑問を持たないし、困っていることも受け入れる、もしくはそこから離れてしまうところがある。
調査・研究の第一歩である「問い」を立てられず、飽きっぽくて興味が持続しないのだから、場違いにもほどがある。

大学は、勉強するだけの場所ではない、という考え方もあるだろう。
人との出会い、有り余る時間、自由の享受など。
友人や人脈、経験、深い内省などは、将来の自分にとって貴重な財産となった、という話を聞く。

しかしながら、僕はそういったものを楽しむことができない性格だ。
組織に何か「しばり」がないと落ち着かず、実際、大学に通うことが当時からものすごくつらかった。
自分のポテンシャルを活かすには学歴が絶対に必要で、有利なゲームにするために卒業したようなところがある。

僕にとってプラスとなったことを無理にでも探すと、似たような境遇の人たちが集ったことかあるかと思う。

働き始めてからは仕事のつながりがあるだけで、組織はさまざまな人たちの共同体である。
一方で、大学は、境遇が近い人たちが集まっていた。
そういう環境は大学以外では難しいだろう。
それでいて、それぞれが少しずつ異なった考えを持っていた。
同質の者が集う環境で異なる考えに触れたことは、その後の生活で役に立っていることだと思う。

実際、僕が専攻の延長にある業界に進まなかったのは、専攻での講義を受けたり、周囲の人たちの話を聞いたりしたからだ。
将来、とてもその業界で自分がやっていける自信が持てなかった。
IT業界に身を振るきっかけも、研究室の教授の考えをうかがい、同級生の話を聞いたからだ。
UNIXとLaTeXに触れたのも講義の中であるし、プログラミングが人より得意であることも、大学で知った。
大学で何かを「教わった」という実感はないものの、「世界が広がった」という感覚はある。
「知らない世界」があることを知ったのは大学で、大学を卒業してから「知らない世界」の勉強を始めた。
何も知らない高卒の段階で、IT業界を選びきれたかどうかも、疑問だ。

とはいえ、似たような境遇といえども、大学の同級生と比べ自分の実力は突出して低く、僕は落ちこぼれの劣等生だった。
その時は「楽しい」と錯覚したこともあったのかもしれないが、客観性がなかっただけで、今はつらいことしか思い出せない。
「大学に行ったのは無駄」とまでは言わないけれど、二度と戻りたくない時間ではある。

「知らない世界を知った」という意義が大学にあったとして、それでも金と時間を費やす必要があったのだろうか。
金と時間を使って大学に行かなくても、働いていればどこかで知る機会がなかったのだろうか。
効率だけを考えると、とてつもなく効率が悪かった。
貸与型奨学金だけは返済したけれど、他者にかけた心配と迷惑は本来無用のもので、今となっては取り返しがつかない。

社会に要請したいことがある。
高卒で働くチャンスを増やしてほしい。
そのパターンで実力を発揮できる人もいる。
また、就職してからも、世界が広がるような経験に満ちていることが望ましい。

Link
2024-09-07 Sat.

変送

2024-09-07

「世にも奇妙な物語 '14秋の特別編」を視聴。

ようやく時間を確保でき、録画しておいたのを視聴した。
初めての再生である。

「サプライズ」「走る取的」「未来ドロボウ」「冷える」「ファナモ」。
バランスの取れている回のように思う。

「未来ドロボウ」があることを、当時は知っていたのかもしれないが、今となっては全く知らなかったので、驚いた。
圧巻の演技力で、2回見てしまった。

「徒歩7分」以来、前田司郎氏に興味があり、「ファナモ」も楽しめた。
2024年から見ると、すでに訪れている未来のような気がして、そのうちストーリーの意味を失うかもしれない。

Link
Diary > 2024 > 09 | Calendar | RSS 1.0