曇天の続き

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2024-09-14 Sat.

無適

2024-09-14

貸与型奨学金の返済をもうすぐ終える。

正確に言えば、数年前に「繰上返還」をし、返済を終え、報奨金まで受け取った。
「繰上返還」のための資金は他から調達し、その返済を毎月していたのだが、それももうすぐ終える。
調達相手は、自分である。

さらに正確に言うと、その「自分に対する借金」の残債も、今年中に完済する予定のところを、昨年末に余剰金で処理済みだ。

長かった。
保証人になってもらった父、連帯保証人になってもらった親戚に感謝する。
これで不安の種が1つ減った。

ここで改めて、奨学金を借りてまで行った大学の意義について、考えておきたい。
なお、これは自分にとっての意義であって、他人に当てはめるつもりは一切ない。

その前に、中学、高校の意義について考えておこう。

中学校は、いろいろな人が集まっていて、僕には落ち着かない場所だった。
その頃の僕は、恥ずかしいことに、現実的な将来のことを全く考えていなかった。
特に高校入試の知識を卒業間近まで持っておらず、近所の高校に行けばいい、としか考えていなかった。
それでも、中学3年の時の担任に気にかけていただいたおかげで、近所の高校に進学できた。
先生にはとても感謝している。
それがなかったら、完全に放っておかれ、いろいろな人の流れに飲み込まれ、自分の居場所を見つけられなかったと思う。

高校に行った意味は、「大学受験を突破できる知識や能力を身に着ける」という点に尽きる。
あれだけ強制されないと、およそ学力は身につかなかっただろう。
大学合格ほどの学力を得たことで、今の生活で助けられていることは多くあると思われる。
直接役に立つことはない知識、特に化学などは今の生活で全く役立てられておらず、ふがいないところではあるが、頭を使う訓練は十分にできたと思う。
教養を身に着けた、などとは到底言えないが、人に騙されるリスクは少し減っただろう。

また、自分にとっては、地元を出る手段を得られたことが大きい。
僕には、学力を得ることしか、環境を変える手段がなかった。
東京での生活が、結果的に自分に向いていることもよくわかった。

で、大学進学の意義だが、振り返ると、恥ずかしいことに、大学では全く勉強しなかった。
勉強のみならず、何もしていなかった。
ただただ、奨学金と仕送りと祖父からの小遣いを浪費しただけで、手元に何も残っていない、ように思う。

勉強に関しては、大学を卒業し、働き始めてからの方が、圧倒的にしている。
面倒なことにかかわりたくない、早く家に帰りたい、という一心で、仕事を終わらせるための知識を得てきた。
それもあるけれど、僕は大学の専攻とは異なるIT業界に進んだのだから、一から知識を身に着ける必要がある、と考えてきた。
IT知識については、正統な教育をほとんど受けておらず、独学と実地経験と他者からの叱責で身に着けた。
大学で得たことで業務に直接役に立ったことは、UNIXを使ったこと、LaTeXに触れたこと、くらいじゃないだろうか。

それを思うと、高校を卒業して、IT業界で働いてもよかったのではなかろうか。

早く金を稼げた機会の損失があるし、大学に行ったばかりに学費と生活費のサンクコストが生じた。
これはもう取り返せない。

金と時間を使って、学歴を手に入れた、という考え方は、確かにできる。
専攻の延長線上にある業界に進めば、機会は拓けただろうし、それなりの待遇を受けられたであろう。
専攻とは異なる業界に進んでも、高卒と大卒以上だと、得られるチャンスは大きく差がある。

でもそれは、明らかに「そういう社会」だったからである。
学歴で価値を判断されるのだから、その獲得のための労力を使わざるを得なかった。
社会への適用手段の1つに過ぎない。

実際僕は、大学でITの勉強をしなかったが、それでも独学でここまでやってきた。
大学に行かないと得られない知識があるのかもしれないが、自分のレベルだと、具体的に困ったことはあまりない。
実務に直結しない講義の受講が何かの役に立ったのかもしれないが、そもそも大学で勉強してないのだから、その実感はない。
むしろ、高卒直後の方が相対的に頭が切れていただろうから、IT業界で仕事をしていれば、業務知識がすいすいと頭に入ってきたかもしれない。
もっと柔軟な考え方や斬新的なアイデアを得られていたのではないだろうか。

大学は、学習の場ではなく、調査・研究の場である、という考え方もある。
教えてもらうのではなく、自ら問いを立て、真理の探究にいそしむ場所だと。
確かにそうなのだが、その点で言うと、自分にはまったくできなかった。

恐ろしいことに、自分が進学した場所は、調査・研究の仕方を親切に教えてくれることはなく、その方法を自ら学び取る必要があった。
また、指導教官は、どんなテーマでも、たとえ専門外のことであっても、的確にレビューできる方々ばかりだった。
その環境では、何をやっても無力感が付きまとった。
これは、圧倒的に自分が悪い。

僕は、すでに体系づけられた知識を理解し、その応用で物事を動かすことに興味がある。
昔からそうであり、大学には、知識を授けてくれることを期待していたようだ。
それが実際は、学位と引き換えに知識を創造することを要求されるのだから、そもそも考え方が間違っていた。
僕には、専門学校やカレッジが適切だったのかもしれない。

調査・研究というか、論文の書き方は、学校を出てからある程度修得した。
調査・研究の進め方くらいなら、まあ知っていると言えるだろう。
でも、僕には根本的な欠陥がある。
何も疑問を持たないし、困っていることも受け入れる、もしくはそこから離れてしまうところがある。
調査・研究の第一歩である「問い」を立てられず、飽きっぽくて興味が持続しないのだから、場違いにもほどがある。

大学は、勉強するだけの場所ではない、という考え方もあるだろう。
人との出会い、有り余る時間、自由の享受など。
友人や人脈、経験、深い内省などは、将来の自分にとって貴重な財産となった、という話を聞く。

しかしながら、僕はそういったものを楽しむことができない性格だ。
組織に何か「しばり」がないと落ち着かず、実際、大学に通うことが当時からものすごくつらかった。
自分のポテンシャルを活かすには学歴が絶対に必要で、有利なゲームにするために卒業したようなところがある。

僕にとってプラスとなったことを無理にでも探すと、似たような境遇の人たちが集ったことかあるかと思う。

働き始めてからは仕事のつながりがあるだけで、組織はさまざまな人たちの共同体である。
一方で、大学は、境遇が近い人たちが集まっていた。
そういう環境は大学以外では難しいだろう。
それでいて、それぞれが少しずつ異なった考えを持っていた。
同質の者が集う環境で異なる考えに触れたことは、その後の生活で役に立っていることだと思う。

実際、僕が専攻の延長にある業界に進まなかったのは、専攻での講義を受けたり、周囲の人たちの話を聞いたりしたからだ。
将来、とてもその業界で自分がやっていける自信が持てなかった。
IT業界に身を振るきっかけも、研究室の教授の考えをうかがい、同級生の話を聞いたからだ。
UNIXとLaTeXに触れたのも講義の中であるし、プログラミングが人より得意であることも、大学で知った。
大学で何かを「教わった」という実感はないものの、「世界が広がった」という感覚はある。
「知らない世界」があることを知ったのは大学で、大学を卒業してから「知らない世界」の勉強を始めた。
何も知らない高卒の段階で、IT業界を選びきれたかどうかも、疑問だ。

とはいえ、似たような境遇といえども、大学の同級生と比べ自分の実力は突出して低く、僕は落ちこぼれの劣等生だった。
その時は「楽しい」と錯覚したこともあったのかもしれないが、客観性がなかっただけで、今はつらいことしか思い出せない。
「大学に行ったのは無駄」とまでは言わないけれど、二度と戻りたくない時間ではある。

「知らない世界を知った」という意義が大学にあったとして、それでも金と時間を費やす必要があったのだろうか。
金と時間を使って大学に行かなくても、働いていればどこかで知る機会がなかったのだろうか。
効率だけを考えると、とてつもなく効率が悪かった。
貸与型奨学金だけは返済したけれど、他者にかけた心配と迷惑は本来無用のもので、今となっては取り返しがつかない。

社会に要請したいことがある。
高卒で働くチャンスを増やしてほしい。
そのパターンで実力を発揮できる人もいる。
また、就職してからも、世界が広がるような経験に満ちていることが望ましい。

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