2011-01-31 Mon.
大枠
2011-01-31
北九州市長選挙は、2011年2月6日が投票日。
「投票キャンペーンにAKB48を起用も」というニュースを知り、「そこまで力を入れているのか」と驚く。
確かに、AKB48のメンバーの一人、北九州市出身の梅田彩佳をキャンペーンガールとして起用している。
確かに、AKB48を起用している。
確かに。
梅田彩佳のブログにある、出身地に寄せるメッセージが感慨深い。
「いままで沢山の歴史が北九州市にはありました」というのは、たぶん肯定的な意味なのだろう。
「意思が強く、継続力があり、協力しあえる素敵な街」というのも、たぶん肯定的な表現なのだろう。
僕もそのような者でありたいものだ。
2011-01-30 Sun.
傾斜
2011-01-30
マスメディアの報道を見ていて感じるのは、利用価値の重視からスキャンダル攻撃への対象へとシフトする瞬間がどこかにある、ということだ。
利用価値とスキャンダルをつなぐ天秤があり、利用価値が優勢であれば一切触れないが、スキャンダルの方が重くなるとそちらへ傾き、集中砲火を浴びせる。
そういう変わり身の早さが欲しい。
2011-01-29 Sat.
開直
2011-01-29
朝日新聞2011年1月19日の朝刊に、記者の署名入り記事が掲載された。
タイトルは、「暴力団排除 実績ゼロの自治体に不信感」。
公共事業の入札において暴力団排除実績ゼロの自治体の入札担当者が「実績がないのは、そのような業者がいないということだ」と話し、記者は「本当にそうか」と疑問を呈している。
福岡県の自治体で排除実績があるのは、排除に取り組んできた結果とも言えるのではないか、と記事は指摘している。
そりゃそうだな、と思う。
きっと、このまま排除を続けていれば、よからぬ実態が次々に明らかになるのだろう。
そして、仮に排除実績がゼロになっても、その結果を疑ってかからなければならないのだろう。
排除実績があるからこそ、我が出身地は他の自治体と異なり、平穏なのだ。
2011-01-28 Fri.
羈絆
2011-01-28
超常識のモデルが、思考の限界を打破する。
例えば、マクドナルドのハッピーセット。
かなり昔、西村知美がおもちゃ目当てでハッピーセットを購入する、というエピソードを彼女自身がTVで公開し、その場にいた人たちは「いい大人が何をやっているんだ」という反応をしていた。
ところが、今となっては、大人がハッピーセットを購入するのは、そんなに変なことではない。
店頭で、堂々とハッピーセットを注文している大人をよく見かける。
あるいは、ひとりカラオケ。
少し昔、関根勤さんがひとりでカラオケボックスに行き、4時間ほど熱唱する、というエピソードを彼自身が「いいとも」で公開し、その場にいた人たちは「変わっている」という反応をしていた。
ところが、今となっては、ひとりでカラオケボックスに行くことは、そんなに変なことでない。
受付で、堂々と手続きを行っている一人客を見かけることがある。
僕の身近では、ビール。
アルコール度数の高い酒を飲んだ後、一旦ビールに戻るとすっきりし、また新たな気持ちでアルコール度数の高い酒を飲むことができる、という話を聞き、そんなことをしてもいいのだろうか、と思っていた。
ところが、今となっては、日本酒をたしなんだ後、一旦ビールを経由して、焼酎に向かう、といったことは当然の行為として定着している。
店員に、堂々とインターバル・ビールを注文することができる。
一旦踏み込んだ領域から撤退することはなかなか難しい。
やはり、常識を打ち破ることにいつまでも慎重でいた方がいいのだろうか。
2011-01-27 Thu.
三六五二
2011-01-27
昨日までの総計は、2,124。
計測が間違っていなければ。
振り返って思うのは、私はほとんど変わっていない、ということだ。
風貌は劣化する一方だが、頭の中身は当初から、というより子供のころからたいして変わっていない。
性格も、考え方も、思想も、感覚も、好き嫌いも、あまり変化がない。
だから、「成長しないって約束」なら、いくらでも守れる自信がある、他の人は嘲笑うだろうが。
しばらく会わない知人に会うと、人は大人になり、成長するのだ、ということを実感する。
そして、自分だけが同じところにとどまっていることを思い知らされ、悲しい思いをする。
なぜ、人は変わるのだろう。
そして、なぜ、私は変わらないのだろう。
今後も、私はたぶんほとんど変わらないのだろう。
祖父が、老人介護施設で開かれる祖父自身の誕生日会について「つまらん。出たくない」と小さくぼやいている姿を見て以来、私の末路がすでに確定していることを強く感じる。
人の好意は理解できるものの、人の好意と自分との間にずれがあることをもう突きつけられたくないのだ。
ちなみに、祖父はその誕生日会の日の前に倒れ、そのまま亡くなった。
よっぽど出たくなかったのだろう。
だから、満島ひかりを見ると、本当にがっかりする。
Folder5が知らないところで女優になり、成長した姿を突然目にし、愕然とする。
おそらく、私は明日も変わらない。
いずれにせよ、確定してもらったので、とても助かる。
2011-01-26 Wed.
除外
2011-01-26
「昨夜は遅くまで起きていたので、今日は睡眠不足で調子が悪いんですよね」
という発言がもはや市民権を得ているのなら、深夜にサッカーの試合がある日の翌日はもう「国民の休日」にしてしまえばいいのに、と本気で思う。
関心のない人たちに与えてしまう被害を軽減するのを目的に。
2011-01-25 Tue.
雲泥
2011-01-25
古田敦也選手と井上公造氏。
似ているのに、似ても似つかぬもののたとえ。
古田敦也選手と大木凡人氏。
似ているのは、いとこだから。
2011-01-24 Mon.
堅実
2011-01-24
募集していた小倉駅の南口、北口の愛称が決まった。
南口が「小倉城口」、北口が「新幹線口」。
まあ、決まったからには、根付けばいいんじゃないかな、と思う、税金も投入されることだし。
小倉ステーションホテルの名称が「ステーションホテル小倉」に変更されていたことに先日ようやく気づいた僕には、なじむのに時間がかかることだろう。
僕は、「博多口」と「筑紫口」と言われても、今もまだどっちがどっちで、どの方角を向いているのかわからなくなる時がある。
それに、「新幹線口」という発想は、過去の小倉駅の構造に基づいた前時代的な視点のように思う。
「今日は新幹線に乗るから、新幹線口に回ってください」とタクシーに指示している姿が目に浮かぶ。
とりあえず宣伝して、貢献した気になってます。
ところで、JRの紫川架橋(河口側)の手前にある跨道橋の工事はいつになれば終わるのだろう。
まだやっていたけど、10年かかるという話は本当だったのだな。
2011-01-23 Sun.
刮目
2011-01-23
オードリーの若林さんが、「30歳をすぎてから、美空ひばりの歌で感動するようになった」と発言していた。
この意見に、僕も同意する。
特に、「愛燦燦」は本当にやばい。
年末に小椋佳が歌っているのをTVで聞いたけど、小椋佳が歌っているものでも、かなりやばい。
以前から、「夢芝居」も「愛しき日々」も好きだった。
失礼ながら言ってしまうけど、あのおっさんはいったい何なんだろうね。
最近聴くと感情が総崩れしそうになるのは、前にも書いたが「NとLの野球帽」。
世代が20年くらい違うけど、煙突の描写や「鉄くずまみれ」とか「咳き込みながら」とかいう言葉を聞くと、僕も子供のころを思い出し目頭が熱くなる、決していい思い出とは言えないが。
「あんたの場合、「NとLの野球帽」じゃなくて、鳥のヘルメットでしょ」という声もあるが、ありがたく無視する。
蛇足的解説: 僕が子供のころ、福岡ダイエーホークスのヘルメットは鷹の頭を模したものであった。
2011-01-22 Sat.
総括
2011-01-22
金八つぁんに告ぐ。
たぶん、僕は最終回を見るだろう。
しかし、その目的は感動したいがためではない。
僕の目的は2つある。
1つは、歴代の生徒から誰かが出るだろう、という期待。
もう1つは、モノマネしたくなるシーンを見たいためだ(正確に言うと、モノマネタレントの誰かがするモノマネに備え、事前に確認しておきたいため)。
名シーンを期待してます。
2011-01-21 Fri.
長春
2011-01-21
「FRIDAY」を立ち読み。
桜庭ななみの…ではなく、「夜のブラタモリ」を確認するため。
おそらく、綱島へ行った帰りと思われる。
窓際が上座だったのだろうか。
いずれにせよ、持ちつ持たれつ。
2011-01-20 Thu.
旗幟
2011-01-20
意識がなくなってからでは遅いので、ここではっきりと宣言する。
治る見込みもないのに、胃ろうを受けて生き延びるのは嫌だ。
せっかくのチャンスをみすみす見逃したくない。
これが僕の意志なので、遠慮なく断ってください。
2011-01-19 Wed.
上映
2011-01-19
いわゆる「ミニシアター」の閉館が相次ぐ。
恵比寿の「ガーデンシネマ」がなくなるし、渋谷の「シネセゾン」も近々閉館なのだとか。
1990年代後半、僕はほぼ毎週、「ミニシアター」と呼ばれる映画館に脚を運び、「単館系」と呼ばれる映画を見ていた。
チケットショップで前売り券を安く購入し、客の入れ替えが始まるまで映画館の前に並び、ロビーに置かれたチラシを集めては、次にどの映画を見るかを考えた。
映画を見に行く習慣もなくなり、今では年に1度程度。
家でビデオを見る時間も取れないし、映画情報へのアンテナも閉まってしまった。
「シネ通!」を見ることすら、苦痛に近い。
そんな中、ミニシアターの閉館が続く。
時代の流れなのだから、しかたない。
しかし、メディアに特段取り上げられることもなくひっそりとなくなっていくのは、寂しさ以上に不公平さすら感じる。
おそらく、渋谷のCDショップが閉店するときほどの取り上げられ方はないのだろう。
これも、世代間闘争の結果の表れのように思う。
さて、その頃見ていた映画なのだが、今となっては内容どころかタイトルすらほとんど覚えていない。
あれだけ費やした時間は何だったのか、と後悔はせず、「あれだけ見て全然覚えてないけど、それでようやく今の自分が成立しているのであって、見ていなければ脳が退化しきってしまい、今頃電車も乗れなくなっている」と思い込むようにしている。
2011-01-18 Tue.
歓待
2011-01-18
先日、あるラーメン屋に行った。
初めて入ったそのラーメン屋では、麺の増量サービスを無料でやっていた。
「特盛りにしますか、大盛りにしますか?」と尋ねられ、「じゃあ、大盛りで」と答えた。
僕は思う。
麺増量サービスを行うくらいなら、そのサービスに投入される資源を麺のうまさへ向けてくれ、と。
2011-01-17 Mon.
変移
2011-01-17
一時期、「もっと知って 地デジ」という地上デジタル放送の喚起広告がTVで放映されていた。
国民が本当に地デジのことをもっと知るようになったら、暴動が起きるようで怖い。
デジタルラジオのサイトを見ると、電波面におけるデジタル化のメリットがわかりやすく説明されており、とても納得できる。
ただ、そのデジタルラジオが実用化試験放送を終えるのだから、まあいろいろと事情があるのだろう。
ところで、危ぐしていたのだが、ついに「地デジ化を前にあの人は亡くなり、一つの時代の終焉を感じる」的な追悼記事が目につくようになった。
何というか、陳腐でチープな表現である気がして、読んでいてむずがゆくなる。
事前に防護線を張っておくが、「アナログ放送の終了後に放送された映像が実在した!」とかいう都市伝説が出回るのは勘弁して欲しい。
2011-01-16 Sun.
規格
2011-01-16
年末当たりからランドセルのTV CMが多くなり、仁義なき戦いが繰り広げられている。
今年はA4サイズのファイルが入ることをうたっているものが多い。
小学校にもようやくA判が普及してきたようだ。
ただ、ひとつ懸念していることがある。
それは、ランドセルが大きくなったら、教室のランドセル収納スペースにランドセルが入らなくなるのではないか、ということだ。
僕が小学生だった頃は、ランドセルを教室の後ろの棚に置く決まりがあり、区切られたパーティションの中にそれぞれのランドセルを入れるようになっていた。
収納スペースが以前のままであれば、ちょっと困ったことになる。
…と思うけど、たぶん大丈夫なのだろう。
現代は頼もしい親御さんが大勢いらっしゃるから。
2011-01-15 Sat.
販路
2011-01-15
電車内のドコモの広告で、就職活動にスマートフォンを、と書いてあった。
スマートフォンがあれば、気になる情報を移動中でも取得できるのだとか。
シグマリオンIIIを売っていた2003年にも同様のことが言われていたな、と思い出す。
進化してきたのだろう。
そういえば、就職活動用のノートというのも売られていた。
2010年版自己紹介
2011-01-15
自己紹介2010年版を公開しました。
2011-01-14 Fri.
浄化
2011-01-14
僕の2011年の心がけ。
それは、「食べない」である。
と公言したら、種々の団体から心配の声が上がってきた。
こちらとしては考えあってのことなのだが、控えめにしておこう。
2011-01-13 Thu.
広域
2011-01-13
「白だし」を購入してみた。
これを使って、茶碗蒸しでも作ってみようかと思って。
発売元の企業の住所を見てみると、「愛媛県伊予市」とある。
住所だけから推測すると、いったいどこに位置しているのだかさっぱりわからない。
と言いつつ、福岡県にも「豊前市」があったことを思い出す。
「福岡県豊前市」とは、住所だけで言うとすごく気持ちが悪い。
まあ、自分の出身地のことを考えると、地名のことなんて何も言えない。
2011-01-12 Wed.
膵臓
2011-01-12
酒飲みすぎキャラで、すい炎をわずらい休養することになるとは、おそらく誰からも同情されることはないのだろう。
人ごとではない。
摂生し節制しなければ。
2011-01-11 Tue.
消化
2011-01-11
3か月先の打ち切りが決まっているにもかかわらず、毎日生放送しなければならない。
さて、どういう気持ちになるのだろうか。
2011-01-10 Mon.
悠長
2011-01-10
まずは、やかんに水を張り、コンロにかける。
急須に茶葉を入れ、食器棚から湯飲みを取り出す。
果物籠に1袋のミカンを盛る。
やかんが湯気を噴けば、湯をポットへ移す。
1時間前からエアコンを入れ、居間を暖めておく。
そして、こたつの温度調節を怠らない。
こたつの上に、読みかけの本や雑誌を数冊積み上げる。
傍らには、付箋とペンを備える。
あまり見栄えのいい習慣ではないのだが、本を読みながらメモを取るためにこれらが必要となる。
座いすの向きを調整し正面に据え、背もたれを最適の角度に合わせる。
腰の部分にはクッションをあてがう。
開始十数分前からこたつに足を突っ込む。
暖められた血液が足から体内へと循環していくことにより体が温まっていくのを確認する。
多すぎず少なすぎず、ぴったりの量の湯を急須に入れ、湯飲みに茶をいれる。
以上が、全国高校サッカー選手権大会決勝戦を見るための準備である。
TVの音は、小さめ。
平日には読まない小説を開き、音読するくらいのペースでゆっくりと読む。
そして、シュートが放たれた瞬間だけ画面に目を上げる。
くどいようだが、私はサッカーのことをよく知らないのだ、ペタンクと同様に。
人が必死で取り組んで姿を見て、それで涙を流している人間の行為に疑問を感じる。
僕が高校生の頃、教師が「文化祭で涙を流す方法」として「準備のために3日間徹夜すること」というのを伝授してくれた(蛇足だが、それを真に受け実践している生徒もいた)。
簡便な方法で、あるいは便乗して感動に興じることのできる者を実にうらやましく思う。
ああ、うらやましい。
だったら、ドーハとかへ行かなければならないと思う。
試合終了後、応援席にカメラが切り替わり、試合に負けたチームの高校の生徒が画面に映る。
自らが映った姿をビジョンで確認したのか、手を叩いて大笑いし合っている。
僕は、そういった人の感覚に共感する。
ただし、このような感覚の持ち主は、試合会場に行ってはいけないことも僕は知っている。
現場の雰囲気に水を差し、周囲の不必要なひんしゅくと反感を買う結果に終わるからだ。
ここは、TVの前で母校の活躍を見守るのが、正しい。
そして、時々スイッチングされる観客席に知った顔を見つけ、「一般から見るとそうなるのか」と感心していた方がよい。
僕もそうしてきた。
2011-01-09 Sun.
脱線
2011-01-09
たまには、視聴習慣をぶっ壊す必要もあるらしい。
日曜、17時30分。
不動のチャンネルを替えてみると、テレビ東京で「歌の楽園」という番組が放送されていた。
昨年の4月から放送を開始しているようだが、気づいたのは今日が初めて。
一度見たらわかるが、まあとんでもない番組が始まっていた、という感じ。
「NHK歌謡コンサート」と「ヒッパレ」に製薬会社提供のテイストを加えた感じ。
ショックが大きくて、「ドライブ A GO GO!」まで全部見てしまった。
番組愛はわかったけど、再考して欲しい。
果たしてバカルディは「新・諸国漫遊記」をゴールとしていただろうか、と。
2011-01-08 Sat.
擦過
2011-01-08
「無添加洗剤 さらさ」のCMのように、タオルで顔をごしごしとこすっている人がいるのであろうか。
桃のような肌の持ち主であれば、押さえるように水滴を拭き取るものであろう。
2011-01-07 Fri.
引鉄
2011-01-07
近頃のニュースで出てくるとおり、九州新幹線開通で沸き立つ久留米市のふるさと特別大使は田中麗奈である。
何でもポスターがあるそうで、大変にうらやましい。
もし北九州市で同様の観光ポスターを作るのなら、被写体はシーナさんだろうか。
そげんこつ言うんやったら、久留米のポスターはやっぱ鮎川誠やね。
備忘のために書いておくが、本人の話によると、以前田中麗奈にCDデビューの話があったのだとか。
「夕凪の街 桜の国」で「Diamonds」を歌うシーンがあったが、鼻歌風だったし、どんな感じだったか忘れてしまった。
中越典子と共演していて、同年代のほぼ同郷出身で共演するのは、見ていてうれしくなるなあ、ということしか覚えていない。
ところで、「新幹線の駅ができる」というのでずいぶんと浮かれているのが、やっぱり藤井フミヤ。
タモリさんに「(新幹線開通がらみで)声がかかってないんですか」と聞いちゃうところがいい。
さすが、元国鉄マンである、その気持ちはわからなくもない。
一方で、全く関与しない話だが、ファンとしては心の準備はできている。
むしろ、落ち着いてもらった方がほっとする。
我々は、キャンドル・ジュンのショックを乗り越えてきたのだから。
2011-01-06 Thu.
例示
2011-01-06
綿矢りさと林真理子。
対極に位置することのたとえ。
2011-01-05 Wed.
侵略
2011-01-05
明治製菓のチョコレートのCM。
ある星で男は異星人らしき子供にチョコレートをあげる。
子供がその味に興奮し、もっとくれとねだる。
しかし、男は手持ちがないので地球の方を指さす。
子供が地球に向かって飛んでいく。
このCMを見ると、これまでトロを食べる習慣のなかった人たちにトロのおいしさを伝え、結局資源の争奪戦になってしまった、という現実を思い起こさせる。
ましてや、ふぐを食ったことのない人にふぐなんて食わせてはならない、決して。
ふぐは猛毒を持ってます。
あなたのことを思って言うけれど、食べない方が身のためです。
2011-01-04 Tue.
提携
2011-01-04
元日の「相棒」SPぐらい、純粋にエンターテインメント性を求めたいのだが。
家族で見ていて、新年早々辛気くさい空気になってしまった。
推理あっての「相棒」のような気もするのだが、長いシリーズだからこういう話があってもよいか。
ところで、わざわざ「爆弾ハンバーグ」って、ちょっとしたブラック・ジョークだったのだろうか。
少なくとも宣伝にはなっていたように思う。
2011-01-03 Mon.
小倉一路(復)
2011-01-03
年末に買い込んでおいたので、今日は土産を買う必要がない。
駅構内で「小倉のかしわめし」と「おこわ無法松弁当」を購入する。
昼食用と夕食用。
N700系芸人。
10時過ぎに出発する新幹線に乗る。
車内はそれほど混んではいない。
多目的トイレに慣れていないので、12号車はやや使いづらい。
初めて姫路城を見ようとする。
そして、確かに見た、覆われている姿を。
ちょうどそのころ、車内の電光掲示板に、北九州市がらみのニュースが流れる。
まるでこの帰省ラッシュの時期に合わせたようなタイミングで、顔を伏せる。
新大阪駅の工事の進捗具合を確認し、昼食。
こんがらがったジャンクションを確認し、完食。
京都駅に着いた頃には、やはりやることがなくなってしまった。
琵琶湖を遠目に眺め、関ヶ原クリニック付近の雪景色を確認し、読書へと移行。
伊丹十三のエッセイを手に取る。
僕は、伊丹十三のエッセイを読む時間を作るために旅に出る、と言っても過言ではない。
これがなければ、小倉には行かないだろう…、というのは、検証できないので言わない。
武蔵小杉付近で、東京に戻ってきた感がわき起こる。
日没前には自宅へ到着。
このくらいの時刻に戻ると電車は混んでいなかったし、正月ボケもほどほどに抜けるらしく、ちょうどいいことがわかった。
2011-01-02 Sun.
福袋
2011-01-02
実家に届いた年賀状の中に、1枚の父宛のハガキ。
その差し出し主は、近所の神社。
今年の正月は、新たに開運福引きを行います。
豪華賞品を準備しており、はずれはないので、ぜひとも運試しを。
宣伝である。
神社の名簿に住所と名前が載っているところを見ると、おそらくうちの父親はお払いの上御得意なのだろう。
ところで、僕は福引きや福袋の類を敬遠している。
景品や福袋の中身にワクワクすることはない。
むしろ、何の満足も感じなくなってしまった。
当然なのだが、人が選んでくれたものより、自分で選んだものの方がしっくりくる。
実にさみしい話だ。
今年のおみくじの結果は、「末吉」でした。
おみくじには気に障るようなことばかり書いてあった。
きっと、読み手の心が貧しいのだろう。
昨年の「中吉」とほぼ同じことを書いていることを見ると、もうおみくじを引く必要がないのかも知れない。
2011-01-01 Sat.
読者
2011-01-01
昨年の「紅白歌合戦」で僕がいちばん驚いたのは、あのサプライズである。
そう、熊倉一雄が結構達者であったこと。
「もう80は超えているのに、ずいぶんと元気だな」と言ったら、母親に「まだ80は超えてないでしょ」とたしなめられ、やや険悪なムードになる。
なお、公式のプロフィールによると、80を超えています。
さて、新年を迎えたことだし、この日記が想定している読者像を改めて掲げておこうと思う。
第一は、幼少時を小倉で過ごし、今は小倉を離れて生活を営んでいる人々。
第二は、1990年代にTVばかりを見ていて、今はほとんど見ていない人々。
第三は、簡素な食事を好み、酒を愛し、干物や塩辛のようなつまみを好む人々。
この読者像が最もぴったり合う人物とは…、もちろん僕である。
自分が感じたことを忘れないために文章をまとめ、厄介なことを引き起こさない程度にほどほどに公開する、というのがこのサイトのコンセプトだ。
お間違えなく。