羈絆
2011-01-28
超常識のモデルが、思考の限界を打破する。
例えば、マクドナルドのハッピーセット。
かなり昔、西村知美がおもちゃ目当てでハッピーセットを購入する、というエピソードを彼女自身がTVで公開し、その場にいた人たちは「いい大人が何をやっているんだ」という反応をしていた。
ところが、今となっては、大人がハッピーセットを購入するのは、そんなに変なことではない。
店頭で、堂々とハッピーセットを注文している大人をよく見かける。
あるいは、ひとりカラオケ。
少し昔、関根勤さんがひとりでカラオケボックスに行き、4時間ほど熱唱する、というエピソードを彼自身が「いいとも」で公開し、その場にいた人たちは「変わっている」という反応をしていた。
ところが、今となっては、ひとりでカラオケボックスに行くことは、そんなに変なことでない。
受付で、堂々と手続きを行っている一人客を見かけることがある。
僕の身近では、ビール。
アルコール度数の高い酒を飲んだ後、一旦ビールに戻るとすっきりし、また新たな気持ちでアルコール度数の高い酒を飲むことができる、という話を聞き、そんなことをしてもいいのだろうか、と思っていた。
ところが、今となっては、日本酒をたしなんだ後、一旦ビールを経由して、焼酎に向かう、といったことは当然の行為として定着している。
店員に、堂々とインターバル・ビールを注文することができる。
一旦踏み込んだ領域から撤退することはなかなか難しい。
やはり、常識を打ち破ることにいつまでも慎重でいた方がいいのだろうか。