2010-06-30 Wed.
徹底
2010-06-30
おはよう。
昨日はサッカー見たのか、って。
「見た」よ。
僕もこの社会の一員であり、そうである以上、話題になっているものはちゃんとチェックする。
「うちのオヤジとは違うんです」ってね、これは3代前の首相のユーモア、まだ2年も経っていないけど。
いつも聴いているNHK FMの「懐かしい未来」を聴かなかったんだから、まったく僕は大衆迎合だよね。
ただ、チャンネルをTBSに合わせたものの、途中からミュートにして、ラジオで実況解説を聞いたよ。
理由はわからないけれど、テレビの実況や解説を聴いていられなくなって。
まあ、放送局側が初心者で手慣れていなかったのだから、仕方がないのかな。
ウィンブルドンの中継だと副音声でマッケンローが解説していたけど、あれみたいに、副音声でNHKの実況解説をやってくれればよかったんだけどな。
しかも、「夜中に明るいものを見るのは、不眠症に悪影響を及ぼす」と思って、後半の途中でテレビを消してラジオだけにしちゃった。
でもって、明け方にようやく勝敗を知ったんだよね…。
2010-06-29 Tue.
円盤
2010-06-29
僕は、思う。
夏とは暑く、汗をかき、日に焼けるものだ、と。
僕は比較的夏の暑さに強いらしいので、自宅にいてもエアコンをつけることが少ない。
せいぜい、不眠に備えて就寝前に寝室を冷やしておく程度でいい。
外に出るときも、積極的に日向を歩く。
日に焼けても気にしないし、むしろ夏はとことん日に焼けるものだ、とまで思っている。
熱中症にならないように水分補給には気をつけてはいるけれど、今のところはまだ大丈夫。
一方で、冬は動きが極端に鈍くなる。
寒さが身にしみる、と人は言うが、僕はほとんどの人より過剰に寒さを感じているはずだ。
ただ、夏に強いとはいえ、蒸し暑い中で、人がたくさんいるところに出るのはやはり好まない。
気温が高いのはいいのだが、湿度が高いのはダメだ。
街の中だと、暑さより湿気にやられてしまう。
人混みには、本当に嫌気がさす。
そんな蒸し暑い街中の日向での唯一のオアシスは、ビルの壁面に設置された大型ビジョン。
そこで流れるASIAN KUNG-FU GENERATIONの「マジックディスク」のプロモーションビデオだ。
幸運にも出くわすことができたのなら、人の往来の中で立ち止まり、ビジョンをしばらく見上げる。
「少なくとも同じ星で、こういう世界が繰り広げられているんだ」とかすかな希望のようなものの存在を確認し、熱波地獄の中でようやく正気を取り戻す。
PVを手に入れたので、自宅でも毎日見ている。
そして、やっぱりほぼ毎日更新されるブログも読んでいる。
こうでもしていないと、この夏は生き抜けないかも知れない。
2010-06-28 Mon.
冷水
2010-06-28
「ワールドカップで勝ち進めば、そのチームに賞金がより多く入るらしいよ」
という、この時期に全くふさわしくないひねくれた情報が、僕の所までもたらされた。
調べたところ、どうやら事実らしい。
原子爆弾の被害を曇天によって免れ、たまたまこの土地に生まれおちた、というだけの理由で僕の中にほんの少しだけ生じた「絶対に負けられない戦いを応援しよう」という気持ちに、水を差されてしまう。
僕は、選手やスタッフが賞金のためにプレイおよびサポートしているとは一切思わない。
僕が気になるのは、その賞金が予算化された後のことだ。
これは一般的な話だが、転がり込んできた予算の裁量権を持つことになる者が、予算の提供を受ける者に対して向ける振る舞いについて、いつも気になる。
このような力学に、不必要な嫌悪感を覚えてしまう、どうしようもなく社会不適合な自分。
そんなことを考えながら、御茶ノ水のモヤモヤスポットを見上げてしまう。
2010-06-27 Sun.
法規
2010-06-27
僕はかなり以前から、ルールを守ることで無条件に偉いんだ、という考えが苦手であった。
それはただの権威主義なんじゃないの、と無意識に思ってしまっていた。
あるいは、もしかしてルールに責任をなすりつけているんじゃない、という偏見すら持ってしまう。
終戦を経験していなくても、ルールが突然変わることによる態度の豹変なら何度も直面してきた。
それゆえ、ルールは、まずは1度疑ってかかるべきものだ、と考えてきた。
かといって、ルールを無条件に破ることが偉いんだ、という反権力的発想も苦手だった。
しかしながら、伊丹十三のこの文章を読み、やや考えを変えた。
忠告、といってもあまり口はばったいこともいえないが、自分がパトロール・カーになったつもりで運転してみてはどうだろう。
自分は絶対違反していない、という確信から生まれる精神的な安定感、これが運転にゆとりをあたえるのです。
ref. 伊丹十三、「ヨーロッパ退屈日記」。
自動車を運転していると、僕は「周囲の交通の迷惑になっていないか」と思い、ついつい周囲に合わせた、自分には多少無理をした運転をしてしまう。
そして、マイ・ペースに車を運転している人を、心の中でなじることもほんの少しだけある。
でも、それは改めよう。
たとえ真夜中に散歩をしていて、車の往来が全くない交差点であっても、赤信号に出くわしたら立ち止まろう。
そう安易に影響され、実行している。
少なくとも交通法規に関しては、おそらく安全性を十分考慮されて作られているはずだから、とりあえず全面的に厳守することにする。
こういう風にルールを尊重することの重要性を説いてくれていれば、ルールに関する僕の見解がもう少しまともなものになっていたと思う。
余計なトラブルも回避できたに違いない。
ずいぶんと手遅れ感はあるが、今からでもたぶん遅くないので、ちゃんとしよう。
ところで、近所の駅前にある両側2車線の道路で、ワゴン車2台が併走していた、ドライバーたちの怒声とともに。
2010-06-26 Sat.
帰途
2010-06-26
「相棒」シーズン6第14話「琥珀色の殺人」のラスト、登場人物がみんなでカクテルを飲むシーンがある。
僕は「相棒」が好きだけど、このシーンは数少ない「腑に落ちないシーン」の1つである。
このシーンでは、殺人を認めた犯人が、杉下警部や亀山刑事などそこにいる人たちとバーに並んで座り、一緒にホーム・スウィート・ホームというカクテルを和やかに飲んでいる。
何故、これから殺人で逮捕されようとしている人と一緒にカクテルを飲みながら、ほほえましく会話を交わすことができるのだろう。
ものすごく違和感で、意図を酌み取ることができない。
ホーム・スウィート・ホームとは、これを飲んでどなた様もいつかは家に帰れますように、という意味が込められたカクテルである、と劇中で説明されている。
だとしたら、犯人が家に帰るにはかなりの時間がかかる、という意味か。
2010-06-25 Fri.
夢寐
2010-06-25
以前から言っているように、睡眠をとれば、もっぱら悪夢しか見ない。
眠っても、疲れは全く取れない。
むしろ、一晩中うなされ、疲れが増した状態で目を覚ます。
先日に至っては、まずいラーメンを食べるという夢を見た。
夢の中でちゃんと味がしたのだから、恐ろしい。
また別の日には、東京中が雪に埋まっている、という夢を見た。
夏至の蒸し暑い夜明けだというのに。
さらに別の日には、目覚めた瞬間に、「6杯目のビールって意味があるんだろうか」という思いが舞い降りた。
それ以来、6杯目のビールを拒絶してしまう。
つまり、数少ない夏の楽しみが奪われた。
化学者であるケクレは、夢で得た発想から、6つの炭素によるベンゼン環の構造を思いついた、という(真偽は不明)。
同じ6でも、6杯目のビールの悟りを得てしまった僕には、今後ケクレが体験したようなユリイカは2度と訪れないだろう。
2010-06-24 Thu.
気楽
2010-06-24
1人で焼肉屋に入るのは、やはり抵抗を感じる。
かといって、前にも書いたように、自宅で焼肉をすると面倒なことになる。
私には解がある。
安楽亭であれば、1人焼肉が可能だ。
できれば、炭ではなくガス焼きの店の方がいい。
炭の燃え具合を気にしなくていいからだ。
そこで、ビールとホルモン焼を頼む。
こうすると、「酒場放浪記」で時々出てくるホルモン焼屋方式の雰囲気を、安楽亭で楽しめる。
安楽亭の最大のメリットは、飲めるファミレスである、ということだ。
胃にビールを流し込み、ホルモンを焼きながら、メモ帳を取り出し思いついたことをメモする。
普通の飲み屋でひとりで飲みながらメモをとっている人なんて見たことないが、ここは「ファミレス」なのでひとりでメモをとっていても変な目で見られない…、ということはないだろうけれど、周囲の目は気にならない。
特に、自宅近所の安楽亭は比較的空いているので、ほとんど気にならない。
酩酊すると、アイデアが豊富に出てくるので、メモが次々に埋まっていく。
ただ、翌日メモを見て「これ、使えるな」と思えるものは1%くらい。
どうやら、ストレスを解放する効果はあっても、アイデアを捻出する効果はないらしい。
2010-06-23 Wed.
突張
2010-06-23
僕: 「ベタな話だけど、ブブゼラは耳障りだよね」
知人:「確かに、ブブセラはうるさいね」
僕: 「ほとんどのブブゼラは、中国製らしいよ」
知人:「へー、ブブセラは中国で作られているんだ」
僕: 「ブブゼラのアラーム音が出るiPhoneアプリもあるんだって」
知人:「ブブセラの音の出る目覚まし時計なら、絶対に起きるね」
僕: 「…。ブブセラは、本当にうるさいね…」
2010-06-22 Tue.
派遣
2010-06-22
「やけに、セント・フォース顔した局アナがNHKにいるものだな」
という僕の発言は、結局最近よくありがちな「正しかったという点で間違っていた」というところに落ち着いた。
またしても直感をそれまでの常識が阻害し、そのことで僕はよくなじられている。
芸能人のサステイナビリティ、というのはこの日記が当初から取り上げている三大テーマのひとつだ。
スポーツ実況できる男性アナウンサー、というのも局外に少しずつ増えている気配がする。
今後、ますます外注化が進むのだろう。
厳しい労働環境だ。
それにしても、NHKには番組を中断するようなCMがなかったんだ、という事実をすっかり忘れていた。
地上波でBSの番組案内や受信料支払いの喚起、番組途中に挟まるニュース、歳末たすけあいのお願い、ひいてはAC恐怖症を悩ませるACジャパンのスポットまで放送しているのに。
むしろ、「坂の上の雲」にはインターバルを要求したいくらい。
でも、たとえCMがなくてもBS 1では画質が悪いので、僕はやはり民放を見てしまう羽目になった。
ミュートで。
いずれにしろ、平日の夕方のニュースと、「ニュース7」は、見られる状況であるなら見る。
2010-06-21 Mon.
素養
2010-06-21
僕の父親はワイドショーをほとんど見なかった。
芸能ニュースにも、ほとんど疎かったと思う。
そのことを僕は一時期、軽蔑していた。
「そんなんで、職場のOLと話が合うのか」と。
一方僕は、ワイドショーをよく見ていた。
ちゃんと理由がある。
その理由は、テレビでやっているお笑いのネタを理解したかったためだ。
当時のお笑いは、そのときの話題や流行を取り入れて、それを変形させたネタが多かった。
そういうネタの場合、元ネタを知っていないと内容が理解できず、心から笑えない。
理解できないのが惜しいので、僕は勉強するために、ワイドショーを自然とよく見ることになっていたのだと思う。
父親は最近の話題を知ろうともせず、僕が夢中で見ているテレビを「つまらない」と言い切り、書斎的なところへと去っていった。
ジェネレーション・ギャップである。
でも、わからないから「つまらない」と言ってしまう、その気持ちは理解していた。
僕は今でも、理解してもらおうという努力を払わない内輪ネタが苦手…、嫌いである。
やがて、テレビで頻繁に見ることのできるお笑いは、変化をとげた。
一時期は、芸人はみんな駄洒落を言わなければならないような時代があった。
あるいは、「あるあるネタ」で共感を呼ぶことが流行った時代もあった。
独自のキャラクターを作り上げ、コントではない普通の場所であっても登場し、一発ギャグを言えば笑いが一時的に取れる時代もあった。
だから、こちらが勉強する必要がなくなってしまった。
今の僕は、お笑いを理解するという理由でワイドショーを見ることはほとんどない。
受け手側が勉強しなくても、タレントはその場で笑うことができるネタをテレビでやってくれる。
逆に言うと、受け手側に共通する知識のない今、一体何がお笑いのメイン・ストリームになるのか、とても不安である。
今後は、芸人全員に謎かけを強いるような時代が来るかも知れない。
ところで、少し前の経営者の中には、「業界誌と日本経済新聞しか読まない」と言い切る人がいた。
限られたメディアで経営者に共通の知識基盤が形成され、それらに書かれた話題を話せば経営者同士なら話が通じたのだろう。
いい時代だ。
やはり、人と円滑なコミュニケーションを築くには、興味がなくても今の流行に触れておくのが大人のたしなみだろうか。
そういう理由で、時々無理をしてでもワイドショーを見ることがある。
でも、時間の浪費だな、という思いはぬぐえない。
TBSや一時期のオウム真理教のスタッフのように、業務の一環としてすべてのワイドショーをチェックする時間の余裕は、僕には一切ない。
ましてや、スポーツ新聞の記事の面積を測り、比較する気力もない。
そして、僕はもう結構な大人なので、たとえその場がしらけようとも、正直に「わて、サッカーのこと、ようわかりまへんねん」と言うことにしている。
だから、人が離れていく。
とは言っても、僕に残された時間がほんの少ししかないのだから、それはやむを得ない。
2010-06-20 Sun.
信託
2010-06-20
今の眼鏡をかけ始めてから、僕の身に起こったいいことは、4つ。
これは、偶然なのか、あるいは何らかの因果関係があるのか、僕にはわからない。
以前の記事で言ったように、この眼鏡にも「メガネ何チャラ」が蓄積されているし、メッキもところどころはげている。
またコンタクトレンズに戻そうかな、と思い始め、現在街のコンタクトレンズショップに探りを入れている。
それにしても、以前からずっと疑問なのだが、どうして街のコンタクトレンズショップには相変わらずうさんくさい雰囲気が流れている、と僕は感じてしまうのだろうか。
何より、駅前でサンドウィッチマンがティッシュを配っている形態が、どうも信用できない。
無担保融資と同じで、人がひた隠しにしている劣等感や欲望にズバッと切り込んでくるような気がする。
気弱な地方出身者だけが抱く感情だろうか。
それはさておき、初めてコンタクトレンズを購入したショップに、11年ぶりに行ってみた。
井出薫が広告で宣伝をしていたショップチェーンだ。
しかし、昔だったらこういう言い方をしてもわかる人しかわからず、具体名を伏せる効果と優越感の両方を手にできたものなのに、このネット万能社会では、ちょっと調べればすぐにどこのショップチェーンのことかわかってしまう。
便利だけど、つまらない社会だと思う。
話がそれたが、相変わらずこの店は何というかチャラチャラした感じの店だった。
「気軽に目の中に異物を入れて、人生変えちゃいましょ!」というその店のオーラに襲われ、思わず胃液を戻した。
別の店では、入り口に黒服の男性が待ちかまえていた。
「コンタクトレンズの話を聞きたいんですけど」とこちらが言うと、黒服は中に案内し、別の女性が現れ、対応してくれた。
こういうシステムの店を見ると、別の業態の店を連想してしまう。
まったく、もっと信頼できるコンタクトレンズ量販店はないのだろうか…。
でも、探しているうちに1軒だけ、ものすごく地味なコンタクトレンズショップに出くわした。
店員の方がとても誠実な対応で、こちらから質問しなくても親切丁寧に説明してくれて、こちらの事情に対して親身になって相談に乗ってくれた。
ただ、その店の地味なたたずまいがやはり気になる。
本当にこの店に眼球の未来を託してもいいものか、と。
理想的なコンタクトレンズショップのたたずまいとはどのようなものだろうか。
とても難しい。
2010-06-19 Sat.
精錬
2010-06-19
書いた文章を世界に向けて自由に公開できる、という事態がこの国にもたらされて、もう10年以上が経過した。
今は、電子書籍の話題で世間は持ちきりだが、少なくとも文筆を職業としていない作家、つまり対価は要らないから好き勝手に書いたものを公表したいだけ、という書き手にとっては、「電子書籍化」はずいぶん前から実現していることになる。
それなのに、この大騒ぎになっている理由は、今後は報酬が発生する文章に対しても電子媒体によって提供されることになるからだ、と僕は認識している。
これまでは、書籍が出るまでに文章が洗練、淘汰されるシステムがあった。
編集者によるチェック、出版社による出版のゴーサインなどが、その仕組みの一翼を担っていた。
書店で「なぜこんな本が出版されているのか」と疑問に思うことがあるが、そんな本であっても、厳しいセレクションをくぐり抜けてきたほんのわずかのエリートであることは間違いない。
もし、本当に出版社が中抜きされるような事態が生じた場合、その淘汰の役目は誰が担うのだろう。
どのような文章でも、とりあえず公開、課金することが可能になるのだろうか。
これは、文章の書き手にとっては、内容の責任をひとりで抱え込むことになってしまい、非常に負担になると思う。
また、読み手にとっても、有用な文章を探したり読んだりするのに手間がかかり、これまたかなりの負担になる。
今後、権威付けするような機関が幅をきかせてくるかもしれない。
もっと言うと、一般人向けの文章プロデュース業みたいなのが盛んになるのではないか。
自分で書いたものをそのまま公表するのはものすごく怖いので、内容を吟味したり、自分の文章を整えたりしてもらう人が求められる。
いわば、カジュアルな形のゴーストライター。
もっといいたとえがあるのだが、ここで使うのは怖い結果を招きそうなので、やめておく。
そういう存在がいたからこそ、岡田監督の娘も安心して全面広告に手紙を掲載することができるのだろう、たぶん。
2010-06-18 Fri.
混入
2010-06-18
最近の習慣は、寝る前に子ども向け映画を見ることである。
おそらく、僕は見た目よりもかなり疲弊しているのだろう。
「ドラえもん のび太の夢幻三剣士」を見ていたら、背景に「コーヒーとUN」という文字を発見した。
これが何のパロディであるかは、皆さんご存じだろうから、説明しない。
しかし、よく紛れ込ませたな。
2010-06-17 Thu.
沿岸
2010-06-17
僕が何より一番避けたいことは、自分が言った冗談が現実になってしまうことである。
今日の「空から日本を見てみよう」で北九州工業地帯が取り上げられてしまった。
僕にとっては、以前の記事で言及した悪夢が、現実になってしまった形だ。
「出没! アド街ック天国」で小倉が取り上げられて以来の、テレビ東京で見る悪夢だ。
内容も悪夢に近い様な気がしたが、それでもきれいにまとまっていたと思う。
ところで、昨日は、石丸謙二郎のブログが更新されなかった。
5年間毎日更新を続けていて、ついに穴を開けてしまった、というのだから、恐ろしい。
どうやら、山の上からでは更新する手段がなかったらしい。
2010-06-16 Wed.
規制
2010-06-16
「ーしてはいけない」という考えに対する議論が、嫌いだし苦手である。
結局、結論が「オレが気にくわないから」というところに落ち着いてしまうからだ。
まずは権力闘争に勝ち抜かなければ、何の説得力も持たない。
どうやら、倫理を問うに必要な道具が十分そろっていないみたいだ。
2010-06-15 Tue.
快勝
2010-06-15
今日は心なしか、街行く人々の顔から明るい印象を受けた。
おそらく、琴光喜がウソを認めたからであろう。
2010-06-14 Mon.
利権
2010-06-14
子ども手当をめぐる企業間の醜い争い…、いや需要喚起策が繰り広げられている。
僕は今までのスタンスを変えずに、行政から支給された手当は、国債購入に充てることを提案したい。
だから、タイミング良く「個人向け3年国債」が発売されたんじゃないのか。
「うん、国債」でモテ体質を目指したいものだ。
本来であれば、国内最大の報道タブーは国債であるはずなのにな、と思う。
幻想が解けたら、一気に崩壊しかねない。
だから、身内が脚を引っ張らないような事態だけは、避けてほしい。
2010-06-13 Sun.
切捨
2010-06-13
運転免許の更新のため、運転免許試験場に出向く。
講習中、居眠りしているご婦人がいて、「免許を剥奪されるんじゃないか」とひやひやした。
無事に免許更新。
いつの間にか、中型免許になってしまった(経歴の記載も変えなくてはならないのだろうか)。
今話題の、交通の教則本もいただいた。
子供のころの僕はよく、家に居場所のない父のドライブに付き合わさ…、父が孤独な僕を不憫に思い、いろいろなところに車で連れて行ってくれた。
かわいげのない僕は、車に乗ってどこかに連れてこられても特にはしゃぐことなく、ただただ退屈な時間を弄ばせていた。
そんなとき、子供のころの僕が好んで読んでいたのが、車のダッシュボードに放置された「交通の教則」だった。
子供のころからこの教則本に親しんでいたおかげで、道路標識や交通規則をいつの間にか覚えてしまった。
なので、実際に免許を取る際も、学科試験で困ることは一切なかった(実技はともかくとして)。
少なくとも、僕にとっては教則本はまったく無駄ではなく、意味のある存在だった。
ところで僕が高校生の頃、ある同級生が「宝くじのCMって、何であんなに古くさいんだろう」とよく口にしていた。
所ジョージが宝くじのCMに出ていた頃で、確かに何というか、CMの画質がとても荒い感じがした。
今の騒ぎを目の当たりにし、改めて過去を思えば、そういうところにお金をかけていなかったことが、正常だったのかも知れない。
検証する手だてが全くないが。
それにしても、僕は何年か先まで暗証番号を覚えていられるだろうか。
2010-06-12 Sat.
心頼
2010-06-12
高所恐怖症、という人の大半は高所恐怖症でない。
高いところが苦手じゃない人の方が、割合から言うと、少ない。
アルコール依存症、という人の大半はアルコール依存症ではない。
本当に依存症だと思うのなら、事態は極めて深刻です。
周囲が迷惑しているはずなので、お願いだから病院で診てもらってください。
2010-06-11 Fri.
与奪
2010-06-11
僕の知人に、「亀井静香の政策のおかげで、仕事が激減した」と公言している人がいる。
具体的なことは伏せるが、いわゆる「モラトリアム」政策により、いろいろめぐりめぐって、結果的に自分の仕事が減った、と一応筋の通った分析をしている。
政治というのは、人の生き死にを左右する。
大げさかも知れないけれど、僕は1度だけだがそれを身をもって感じたことがある。
いやはや、システム自体が人を殺すことはめったにないので、システムエンジニアでよかった。
何というか、彼の政治的な手腕は評価されていいと思う。
2010-06-10 Thu.
準備
2010-06-10
ラジオのデジタル化が、どうやら現実的な話として進められているようである。
これでまたしばらく、コンポの買い換えができない。
2015年くらいまでに、解決しているだろうか。
そして、radikoの録音は、合法的かつ手間がかからずにできるようになったのだろうか。
2010-06-09 Wed.
露払
2010-06-09
「こういう報道を「プロモーション」と呼ぶんだ」
興奮に水を差すような上記発言をしてしまい、密かに後悔していた。
しかし、図らずとも僕が言ったとおりの展開が起こってしまった。
何度も騙された、いや訓練を受けてきた「なれの果て」である。
かといって、「プロモーション説」が証明されたわけでもない。
もし本当だったら、現場はやりづらいだろうね、と心配する気力すら、僕には残されていない。
2010-06-08 Tue.
到達
2010-06-08
ついに、あの場所出身の大臣が誕生したか。
そう。
ついに、クラリオンガール出身の閣僚が誕生した。
歴代のクラリオンガールは、今頃お祝いコメントを求められているのだろうか。
2010-06-07 Mon.
解体
2010-06-07
中学3年の時の担任教師は、他の教師と少し変わっていて、高校入試の研究に熱心に勤しんでいた。
国語教師であるこの教師は、進路指導の一環としてそれまでの国語の入試問題を全てデータベース化し、出題傾向を分析していた。
また、あらゆるものを数値化し、それを何とワープロで管理していた(まだ表計算ソフトが普及していない頃の話だ)。
生徒の成績は、もちろんそのワープロで管理していた。
また、宿題に出すワークブックは、問題数を数え、生徒がいくつ答えを書いたかを数え、誰にも文句を言わせない客観的な方法で評価していた。
265問あったとして、答えを全て書いていれば265点と採点していたのだ。
「風変わりな先生だな」とその当時の僕は思っていたし、他の教師からも不思議な目で見られていたようだ。
しかし、今思えば実に普通のことをかなり先取りしてやっていたように思う。
先生のおかげで、僕も適切な高校に進学できた。
その先生が、3月頃にいつも楽しみにしていたのが、「サンデー毎日」の発売だった。
その週刊誌に掲載される「高校別大学合格者数一覧」が目当てだった。
他の記事には興味がなかったため、1度書店に「入学者数が載っている部分だけコピーさせてもらえない?」と尋ねたことがある、と話していた。
なぜこんな話を持ち出すか、というと、電子書籍が当時の先生の要望を満足してくれるのではないかと思うからだ。
電子書籍の最大のメリットは、印刷工程が省けることにあると、僕は考える。
印刷分のコストが省かれ、携わる人の人件費が削減できるはずだ。
電子的に書かれた文章を電子書籍のフォーマットにする部分については、たぶん印刷よりは費用がかからないと推測する(サイトへのアイテム登録料が気になるが)。
それとは別にメリットとして期待するのは、記事のバラ売りだ。
今の時代、雑誌不況とはいうものの、書店に行くとかなりの数の雑誌が並んでいる。
ある分野に絞ったとしても、いくつも雑誌があり、資金力のない僕はどれを選んで買っていいのかわからない。
多様性は評価すべき事なのだが、やはり多すぎるし、それなりの淘汰が必要だと感じてしまう。
たちが悪いことに、読みたいのは雑誌の中でもほんの一部の特集記事やインタビューであることが多い。
雑誌に載っているすべての記事を買い取りたいとは、とても思えない。
だから結局、書店では立ち読みですましてしまい、自宅に帰って雑誌のウェブサイトを見て、記事のタイトルだけコピーしている状況だ。
電子書籍が普及すれば、CDのアルバムの配信同様、記事のバラ売りが可能になるはずだ。
記事のタイトルだけが無料で流通し、読者は必要に応じて記事を購入できるようになると思う。
日本経済新聞社の書籍部門が企業向けに記事のバラ売りをしているのを僕は利用しているが、電子書籍によりそれが一般にも普及するチャンスがあると思う。
出版社も、丸ごと売るよりも、身銭が稼げるのではないか。
ちなみに、件の先生は、1990年代前半の小倉の状況で、「今後、生徒指導をする際に、生徒を一切殴らない」と宣言して、実際にそれを貫き通した。
それまでに生徒指導も担当したことのある教師が、小倉の街中で非暴力を宣言し、それを実行したのだ。
僕は、ずいぶん後にこの行為のすごさに気付かされ、それゆえ、先生のことをとても尊敬している。
大学に合格したことを一番知らせたかったのは、この先生だった。
おそらく、僕の大学合格を最も喜んでくれたと思う。
でも、その報告は未だに実現していない。
小倉時代の教師でお会いしたいと僕が思う、数少ない先生の1人だ。
2010-06-06 Sun.
十薬
2010-06-06
自宅裏の庭、通称…、裏庭の草取りを継続して行なっている。
ここ数年で、庭の植生は変化した。
当初、背の高い草が我が物顔で根を下ろしていたのだが、地道な駆除により姿を消した。
代わりに、庭をしつこくはびこり始めた植物がいる。
それは、ドクダミである。
奴は抜こうとしても、茎が途中でちぎれてしまう。
なぜなら奴は、強固な地下茎を張り巡らしているからだ。
時々、僕はドクダミを繁殖させるために、他の植物を駆除しているのではないか、とすら思えてくる。
ウェブで調べると、僕と同じくドクダミに苦慮している人達は多くいらっしゃる。
困っている人に向けられたアドバイスの中には、「ドクダミを摘んでお茶にすればいい」という案があったが、僕はどうも気が進まない。
自宅の近所では、土中のダイオキシン濃度が高いとかで、小学校の建設がストップしているからだ。
そこで、ホームセンターに向かい、熊手を購入した。
土を掘り返し、地下茎を取り除くという方法を採ることにしたのだ。
僕は自然に親しむことを極力避けるために実家を離れたつもりだけど、現状はまったく意図したものになっていない。
熊手で土を掘り返すと、様々な虫や得体の知れない奴らがわき出てくる。
生物の多様性を感じる瞬間だ。
というより、自宅の裏にこんなにも気持ち悪い連中がいたのかと思うと、家の中といえどもおちおち寝ていられない。
2010-06-05 Sat.
説明
2010-06-05
世の中二極化している、とよく言われる。
僕も二極化について考えてみた。
データを何の加工もせず、そのまま出して欲しい。
それを見て、私が全て判断するから、という人。
わからないことは、池上彰さんみたいな人に短くわかりやすく説明して欲しい。
そういう説明ができる人がいれば、この私でも理解することができる、という人。
バランスが必要だと思う。
少なくとも、ある程度の情報をある程度処理できるリテラシーが欲しい、僕は。
2010-06-04 Fri.
乱立
2010-06-04
本日の朝日新聞のテレビ欄に、次の記者レビューが掲載されている。
フジテレビ社員からも「紳助ファミリーの身内ネタが飽きられている」「政権交代、不景気といった今、おばかな笑いよりも、視聴者は生活に密着した情報を求めているはず」という批判も出ている。
(「おばかな笑い、ブームにかげり?」)
犯人捜しが始まらなければよいのだが。
それとも、揺さぶりだろうか。
2010-06-03 Thu.
吐夢
2010-06-03
一緒にしてはいけないのだろうけど。
できないことを言うな、というのなら、高校野球部の「甲子園出場」という目標はほとんど全て撤回するべきなのだと思う。
夢を語ることを半ば強制しておいて、挑戦に失敗したら非難するわけだから、道理で保守派が増えるわけだ、という短絡的な感想を持ってしまう。
僕は小学6年の時に、そのことで担任教師にこっぴどく叱られたことがあるので、一応気をつけているつもり。
2010-06-02 Wed.
集計
2010-06-02
Yahoo天気には、閲覧者が自分のいる市区町村の天気を報告するボタンがある。
「晴れ」「くもり」「雨」「雪」のうち、現在どの天気なのか投票する。
その結果が定期的に集計され、公表されている。
おおよそ正しい天気が1番得票することになるのだが、同じ市区町村でも場所によっては雨が降っていたりいなかったりする場所があるらしく、少数意見も出てくる。
時々、「好きな芸能人ランキング」とかで、1票しか入らない芸能人がいるけれど、僕はそれもすごいことだと思う。
1人しかいないかも知れないが、その人は投票した人を1番好きだということを示しているからだ。
世の中の大半の芸能人は、1票すら入らない。
2010-06-01 Tue.
律儀
2010-06-01
僕が毎日(正確には「毎日分の」)ウェブ日記を書こうと思い直したきっかけは約1年前、石丸謙二郎のブログを見てからである。
彼は、毎日欠かさず記事を1つずつアップしている(しかも、更新は早朝の場合が多い)。
記事の内容は、更新時に起きた出来事にこだわらず、直近の経験を小出しにしているので、どうやらネタ切れしにくいようだ。
実に、ストイックな彼らしいスタイルであると思う。
その様を見て、なぜか僕も見習おうと思いたち、1日1つ(のペースで)記事を書いている。
僕も毎日(正確には「毎日分」)更新する自分なりの方法を見つけることができたので、それを実行している。
今のところ、何とか続いてきたけど、この先どうなるかはわからない。
すべては、周囲の事情と日頃の行い、体調次第である。
このように、ブログの更新頻度には、その人の人となりが現れる。
頻繁に更新する人もいれば、たぶん忙しいのか、まったく更新されないサイトもある。
遠野なぎこのように何か事情があって更新できないらしい人もいるし、星井七瀬のように現状がどうなっているのかわからない人もいる(そして、追跡報道はまったく期待できない)。
間寛平のように、壮大なチャレンジの様子を毎日伝えてくれる人もいるし、岸部四郎のように、ようやく更新されたことにより安否を確認できる人もいる。
たとえば、原千晶のブログは、更新のない時期がしばらく続き、数か月後に突然更新が再開され、その後集中的にいくつかの記事がアップされ、そしてまた沈黙する、という感じである。
実に、彼女らしいスタイルであると思う。
一方、矢部美穂のブログは、毎日3本くらいの記事がアップされる。
彼女はブログを少なくとも2つやっていて、僕はどちらも何となく講読している。
先日は、岡部玲子の結婚パーティーに出席した、という記事が掲載されていた。
おそらく、どちらとも親戚に騎手がいて、どちらとも競馬関係の仕事に携わっているから、交際があるのだろう。
今月は、矢部美穂の誕生月である。
矢部美穂を「スーパージョッキー」で見て、少なくとも15年は経過しているわけだから、実は結構息が長い。
そして、僕も同様に年を1つ取ることになる。