2022-07-31 Sun.
割譲
2022-07-31
快適な目覚め。
実家に事前に送り込んでいたデスクトップPCをセットアップ。
少し前にノートブックPCを購入したのだが、画面が小さいとのクレームを受け、昨年はモニタを送り、今度はノートブックのディスプレイが邪魔だといい、デスクトップを買う羽目になった。
ノートブックはおいにスライドすることになった。
パンを食べて、出かける。
定刻通りにバス停に着いたが、バスが来ない。
バスの本数も減っているし、行先のバリエーションも貧相だし、本当不安になる。
魚町でバスを降り、歩く。
この通りは、あまりきれいではなく、においも気になる。
小倉駅に着き、1階の改札口から入場。
この改札口を通ると、エルコクラがあった昔の小倉駅のことを思い出して懐かしい。
あの頃は、パタパタをずっと見ていても飽きなかった。
発車直前の電車に乗る。
相変わらずの車窓である。
門司港駅に到着。
改装の終えた駅舎をしばし探索。
そして、九州鉄道記念館。
実に13年ぶり。
栄町商店街を歩く。
門司港レトロ地区から一歩離れると、静けさが広がる。
生活があっての街なのだが、仕方ない。
門司電気通信レトロ館を訪れる。
昨日の観光案内所で、存在を知った。
建物は日本武道館を設計した山田守の手によるもので、火事の際に放水すると効果的に消火できる作りなっているそうだ。
電話の歴史を知れる充実した展示内容で、特に交換機の展示には興味をそそられた。
歴代の携帯電話も展示されていて、パルディオやらドラえホンやらに感涙した。
昼食は、ラーメン店へ。
「PAO-N」のコーナー「ペペ3」で、「なつかしの門司港グルメ トップ3」として紹介されたラーメン店である。
ここでは詳細を書かないが、衝撃的な店だった。
北九州によくあるのは「緊張感漂う店」であるが、一方でそれとは対極的なたたずまいも北九州では出くわす。
食券機に貼られた「領収書 かきます」の紙は、象徴的である。
僕らは、こういった店を、こういった店のおじちゃんおばちゃんを大事にして生活をしていた。
言うまでもないが、味もびっくりするくらいおいしかった。
街の巨匠、達人のなす業である。
海沿いを散策して、関門海峡ミュージアム。
こちらも13年ぶりだが、以前は名前が違っていた。
海峡を行きかう船を眺めながら、ソファに身を沈め、アイスを口にする。
船を見るのに飽きることはなく、いつまでも見ていられる。
前回は金が惜しくて入らなかったが、今回は入場料を払う。
鉄道記念館もそうであったが、この期間北九州市民は入場料無料だそうだ。
取り戻さなければなるまい。
改めて思うに、重厚な歴史を有する海峡である。
下関もしくは彦島がイギリスに租借されそうになったところを高杉晋作が交渉して阻止しただの、関門海峡には今も機雷が沈められていて、ときおり機雷除去しているだの、息苦しくなるほどの歴史である。
西小倉駅まで戻る。
身近なところで、一番変わったのは西小倉駅かもしれないな、と思う。
実家に帰り、遊びに連れて行かなかったことをおいめいに責められ、夕食はローストビーフ。
おいめいは、昨日買ってきたからすみを、感慨もなく食べ尽くしていた。
集めるだけ集めた町内会費の使途として、信じられない規模で行われる地元の川祭りの話など、ありがたいお話を伺う。
2022-07-30 Sat.
晴国
2022-07-30
快適な目覚め。
開場時刻を待って、大浴場へ。
これこそ、旅の醍醐味である。
朝食のブッフェは、和食を中心に選んだ。
たこめしを口にすると、不平不満は霧散する。
ビアガーテンの宴の跡を散策。
趣のある建物に心が洗われる。
感謝を込めて、土産を買い進める。
チェックアウトし、倉敷川沿いを散策。
昨夜は暗くてよくわからなかったが、柳並木の道に心が落ち着く。
川船に乗り、船上から街並みを眺める。
立派な石橋は一枚板のものもあり、往時が偲ばれる。
ここで、パフェ。
思い出作りとはいえ、身の丈に合わない出費であった。
自身の修行が足りない。
饅頭屋を冷やかし、雑貨店でマスキングテープとクリアファイルを購入。
倉敷の鳥観図が描かれたクリアファイルだ。
歴史を解説する看板を読み込み、北前船で運ばれてきたニシンを肥料して綿花を育てた、的なつじつまの合った知識を仕入れる。
倉敷駅まで続くアーケードを歩き、倉敷駅。
駅ビルは改装されていたが、駅前の建物の雰囲気が、なんというか、昭和を思わせる。
水島臨海鉄道の駅舎を覗いてみたが、列車は見えなかった。
山陽本線の普通列車に乗る。
クロスシートで快適。
岡山駅に到着。
地下道を通って、路面電車乗り場に。
路面電車のある街はうらやましいが、道幅を見ると、やはり北九州においては「残す」という選択肢はなかったな、と改めて思う。
電車に10分ほど乗り、10分ほど歩く。
岡山城は改装中で閉まっていて、後楽園へ向かい小さな入り口から入園する。
足を踏み入れ、広大な敷地に気後れして引き返し、入り口で案内図をもらい、ここに何をしに来たのかを再確認する。
30分くらい歩き回ったが、何を見ていいのかよくわからず、ベンチに座り込む。
不勉強極まりない。
バス乗り場まで歩いて、駅まで行くバスに乗る。
バスは駅にまっすぐ進まず、途中天満屋バスターミナルに寄る。
後で知ったのだが、これが岡山方式であり、そういえば児島でも同じようなことがあった。
予定より1時間早い新幹線のチケットを購入し、桃の購入はやはり断念して、きびだんご、菓子、鶏のもも焼き、地ビールの独歩を買い込む。
のぞみは西へ。
2年ぶりに、小倉駅。
北口の土産売り場に行くが、様子が変わっている。
きぬ貝の干物をいつも購入する店はまだあるが、きぬ貝が売っていない。
店員に「なんか、変わりました?」と聞くと、「1年前に改装して、全く違う雰囲気になった」とのこと。
率直に言って、僕は前の方がよかった。
観光案内所に立ち寄って、「雲のうえ」の最新号を確認しつつ、観光施設のチラシを物色。
地下のスーパーでふりかけとベビーハムを買って、タクシーに乗る。
街の様子は変わらないが、もう「電車通りを進んで」とも言えないし、交差点の形状が変わってしまい説明に苦慮するし、道を入ってもらう目印の消防署も歩道橋もなくなってしまった。
実家に到着。
きぬ貝がないことを父に謝罪し、代わりにからすみを渡す。
おいめいにはきびだんごを渡し、今後恩義を果たすよう強く言い渡す。
宴は、刺身、ビール、焼酎。
昨夜見た「チコちゃん」でやっていた、親と会う残された時間はほんの少し、という話題で、この日は終わり。
2022-07-29 Fri.
玉藻
2022-07-29
前日。
ANAアプリの通知を受け取る。
オンラインでチェックインができるから、やってね、とのこと。
相変わらず航空機の搭乗の仕方が身についておらず、「チェックインってなんだっけ」というところから始める。
ニュースを見ると、事故があったようで、マリンライナーに大幅な遅れ。
もし日にちがずれていれば、僕も少し困った状態になっただろう。
当日。
5時30分、起床。
身の回りの物をショルダーバッグに詰める。
今夏にアウトレットで、定価の半額で買ったシャツは、「旅先の現地ガイドみたい」との評判で、今日着ていくのにうってつけだ。
また、この日のために買ったジーンズを着用。
高速バス。
案内板の情報によると、渋滞がいつもよりきつめ。
バスは、正規のルートとは異なる方へと進む。
これが初めての環状線。
飛行機出発の1時間前に到着する予定が、25分ほど遅れて第2ターミナル。
引っかかって伝家の宝刀を抜くようなことをもう2度としたくないので、着くや否や、保安検査場に向かう。
今になってようやく学ぶのだが、飛行機の出発時間の20分前に保安検査場を通過しなければならないわけだから、飛行機に乗る際は、出発時刻ではなく通過期限時刻を意識しておかなければならない。
「出発まで1時間もあるから多少の道路渋滞も余裕」なんていう勘違いから解放されるときがようやく訪れた。
検査場のシステムがまた変わっていて、自身の所作をアップデートする必要性に早くも嫌になる。
ずいぶんと大きな数字の搭乗口で、どうやらバスに乗るようだ。
セキュリティエリア内には、行先まで運んでくれる自動運転の車もあったが、それらに関心を寄せる余裕はもうない。
2年前の、廃墟のようなターミナルの風景とは違って、利用客は結構いる。
後で知ったのだが、自分の持っているコーポレートゴールドカードでは空港ラウンジが利用できなくなっていて、定刻通り着いていたら庶民的屈辱に悶絶するところであった。
機体はA320。
隣に年配の女性が座り、理由はわからないが西東京市のバス路線を手に握りしめ、サービスについてCAにいろいろと尋ねている。
後で僕にもイヤフォンの使い方を尋ねてきて、答えているうちに、CAが引き取ってくれた。
C滑走路で離陸、天候は晴れ。
窓外に川崎、横浜の街を見て、寺脇康文がナビゲートする音楽プログラムを拝聴。
還暦を迎えた、この世界に入る前はディスコで踊っていた、水谷豊にあこがれていた、などの話に、「刑事貴族」「悪魔のkiss」世代は感涙。
「夏ざかり ほの字組」「モンロー・ウォーク」「17歳」などを楽しむ。
飲み物はコンソメをいただく。
なお、紙媒体の「翼の王国」はなく、ご自身の端末か備え付けのタッチパネルでどうぞ。
ただ、パネルの反射によって後ろの人と目が合って、きまずい。
やがて着陸体制に入り、眼下に、小豆島、屋島が見えてきた。
少し緑が多くなってきたところで、高松空港に着陸。
降機する際、CAに「隣のお客様とお話ししていただいてありがとうございました」と声をかけられた。
これで、訪問した国内空港の数は17となった。
鹿児島、宮崎、熊本、天草、福岡、北九州、松山、高松、鳥取、関西、伊丹、羽田、成田、仙台、函館、釧路、女満別。
関西国際空港は2回訪れたものの、離着陸していない。
仙台空港も、鉄道で立ち寄っただけだ。
厳密にいうと、これに(旧)北九州空港が加わる。
方々に行っている割には数が少なく、空路の利用が少ないことがわかる。
空港内を見回ることもなく、バス乗り場へと向かう。
もしかしたら、うどんのつゆが出る蛇口でもあったのかもしれない。
空港は高台にあるようで、バス乗り場から高松市街が見渡せる。
バスは空港通りを進む。
驚くことでもないのでが、道路沿いにはうどん店が多い。
空港通り一宮でことでんに乗り換える手も考えたが、おとなしく市の中心部までバスで進む。
栗林公園の脇を抜け、市街地で下車。
数分歩き、うどん。
はも天、たこ天があったのを見逃し、ちくわ天、えび天などを、ざるうどんでいただく。
感想は、言うまでもない。
アーケードをほっつき歩く。
街は清潔で、人通りもある。
水不足さえ気にしなければ、高松に住む、というのもありかもしれない。
瓦町からことでん。
終点の高松築港で下車。
高松城址を見学。
駅の方へ歩くと、徳島、高知、松山の方向を示す、交差点の行先標識を見つける。
振り返ると、港。
タワーに上ると、レストランが休業中で無料開放されていた。
「四国一高い建物」との案内を受け、「そうですか、確かにいい景色ですね」と答える。
思っていたより、高松市街は山に囲まれているものだ。
駅でチケットを購入し、喫茶店で休憩。
サイフォンでいれたコーヒーをいただき、おだやかに。
高松駅から、マリンライナーのグリーン席。
坂出駅を発車した後、大掛かりなカーブを描いて、列車は瀬戸内海上空へと飛び込む。
瀬戸大橋通過は、22年ぶり3回目。
不思議なことに、どれも四国から本州への移動。
旅行計画時、瀬戸大橋を渡る路線バスを発見し、「これで櫃石島など降りてやろうか」と誤った道を進みそうになったが、時間もないし、この時期だし、そもそも何のためにそれをするのかわからないし、といろいろ気づき、まっとうな道を外さずに済んだ。
児島駅で下車。
四国新幹線のために空けているともいわれる広い駅前広場は特に何もなく、駅のコンビニで飲み物を買い、バスの発車を待つ。
暑い。
とこはいバスに乗車。
途中、天満屋ハピータウンや児島文化センターなど、バスターミナルっぽいところを立ち寄る。
道はやや上り、鷲羽山ハイランド前では、観光客を拾う。
公共交通機関を使ってここまで遊びに来る客もいるようだ。
下津井港で下車。
回船問屋を復元したという資料館を見学。
どうしようもない無知で嫌になるのだが、下津井港は北前船が立ち寄る港であり、往時は大変に栄えたそうである。
下津井電鉄があったのも、納得できる。
「とこはい」の意味も、ここで知る。
土産物店で干したこを求めようとするが、店員に「産地をよく見てね」とアドバイスをいただき、ぶつ切りのたこがパックになったつまみを購入。
下津井の港を散策し、瀬戸大橋下の公園にたどり着く。
当然ながら、瀬戸大橋が開通した時の記憶はあるのだが、実物を目にするとまあ大げさともいえるような立派なものを作ったものである。
関門橋や若戸大橋を見て育ったからの感想かもしれない。
あれば当然のようにも思えるが、ないのが自然であり、それゆえに四国との航路でも栄えていたのが下津井である。
最終バスに乗り、下津井電鉄の車両を車窓から観察し、児島駅南で下車。
次のマリンライナーの発車時刻まで2分しかなく、乗り場まで上がると列車のドアが閉まりかけていた、と思ったら開けてくれて、何とか乗り込む。
茶屋町まで息切れが止まらなかった。
茶屋町で下車。
近くの茶屋町小学校は創立150年だそうで、児童が描いた絵が駅構内に貼られていた。
先ほどのマリンライナーに乗れたおかげで、早い時刻のバスに間に合った。
少し遅れてやってきたバスに乗り、進む。
道が細く、対向車線はかなりひどい渋滞である。
それでも、岡山駅周りよりもかなり早く、倉敷美観地区に到着。
Googleマップの指示に従い、茶屋町で降りてここまで来たのだが、路線バスの現在位置を取り込んでいるのだろうか。
紡績工場の建物を改装した宿泊施設に、本日は投宿。
途中で我に返ったのだが、倉敷に泊まるのに、なぜ僕は「まず高松空港に降り立とう」と考えてしまうのだろう。
冒頭に言ったとおり、1日ずれていたら計画が崩れ、途方に暮れているところだった(高速バスに乗るか、フェリーに乗るかして渡っていただろう)。
「旅とは移動」の考えを、そろそろ改めたい。
チェックインしてからすぐ食事で、まあそれはそれはもう大満足の献立だった。
もちろん、はもも、たこも出たし、さざえもおいしかった。
中庭では、ビアガーデンが営業中で、すべての酔客に「プロースト!」。
敷地を抜け出し、夜の倉敷川河畔を散策してみたが、照明がなくて、雰囲気があるというか、怖いというか。
風呂に入って、冷たい水を飲んで、ベッドに横になりながら金曜ロードショーで「ジュラシックワールド」を見て、なんとも充実した1日だった。
2022-07-23 Sat.
愛郷
2022-07-23
住民税通知をようやく確認し、ふるさと納税の答え合わせをする。
まず、立場を明確にしておくが、僕は、ふるさと納税の制度に反対である。
寄付したら返礼品をもらえる、が逆になり、返礼品をもらうために寄付している状態であるからで、これは本来の制定意図と異なる(多額の寄付で聖本1冊の返礼を授ける組織もあるようだが)。
そして、返礼品の送付を含めた額の総和は減少するし、返礼品業者と行政の関係もどうなっているか疑ってしまうし。
納税者のふるさと納税をサポートする業者も出現し、産業が興っているとはいえ、その源泉は税金である。
一方で、僕は現実追従主義でがめついので、得する制度は理解してしっかり利用する。
返礼品に生活必需品を提供している自治体を選び、寄付して返礼品を受け取っている。
自治体に思い入れも何もない。
こんな感じなので、ふるさと納税制度をやめるなら、「どうぞ」と思う、もちろん検証を忘れずに。
それで、前年は、その年の年収や所得控除を見込み、限度額を割り出し、業者のサイトからふるさと納税を利用し、ポイントを獲得した。
返礼品に選んだのは、米とか、米とか、シャボン玉石鹸とかである。
それが適切な額であったかが、住民税通知でようやくわかるわけだ(なくても確定申告時に計算できるが、いくらなんでもそこまで暇ではない)。
結果は、一部うまくいかないところがあった。
ふるさと納税の限度額はほぼ完璧に推定できていた反面、想定していた返還額に満たなかった。
これを言ってしまうといらぬ詮索をされてしまうが、一般論として、課税所得が、所得税算出の税率の境目に近いと、住民税の寄付金控除で用いる率との食い違いが発生し、結果「ふるさと納税額-2,000円」の満額が戻ってこない。
これはどうやら「ふるさと納税ワンストップ特例制度」を用いれば、回避できるようだ。
所得税と住民税で分けて控除されるのではなく、住民税から全額控除されるようになるからである。
しかし、確定申告をする場合は制度の対象外になる。
それに、やってみたらわかると思うが、「ワンストップ」なのは税金を徴収する側の話であり、納税者にとってみれば用意する書類も多いし、制度を利用するたびに申請しなければならない。
どこが「ワンストップ」なのだろうか、と思う。
電子申請による確定申告のほうが、よほど楽だ。
前年度分については確定申告が必要だったので、結果的に申告しないよりも少ない所得税、住民税の額となっている。
前年度は、住民税の方で用いる税率のおかげで限度額を拡大することができ、その限度額をフルに生かすことができた。
結果的にふるさと納税の分を埋めるほどの控除額になったわけだが、それにしても複雑である。
さて、払わずに済む金はどこへ持っていこう。
とりあえず、歩くだけで儲かる仮想通貨があるみたいだが、窓口がいなくなったようだ。
僕は純粋な視聴者なので、本人もそうだが、弟や「久保」を心配する。
まあ、北野誠ですら芸能界に残っているようなのだから、比較的楽観視している。
2022-07-17 Sun.
述懐
2022-07-17
先日の川本真琴のライブツアー「密会」のライブレポートがリリースされた。
このレポートに書かれているのは最終日第2部の模様で、僕が参加したのは第1部だ。
セットリストは同じだが、様子が少し違う。
仕方がないのだが、やはり第2部のほうに行きたかった、という内容がレポートからはうかがえた。
レポートを見ながら、改めて思い返したことを書く。
まず、最初に「桜」のイントロに気付いた時、第1部の僕も思わず声を出した。
それは、「やってくれるんだ」といううれしさと怖さからだ。
率直に言うと、「無理していないか、歌えないことはないのか」という不安があったのだ。
その不安は「桜」には当てはまらなかったが、これも正直に記すが「LOVE&LUNA」には少し感じた(もちろん、受け入れる立場である)。
ただそれはすぐにやり過ごすことができて、その後の「1」がすごくて、これには心が揺さぶられた。
スローバラードと美しい詞が残されていることは祝祭であり、それが25年後に輝きを失われることなく聞けたのは、すばらしいことだ。
そして、MC。
第1部では明治神宮の話であったわけだが、後の方にとっておいたのか、というような第2部の感慨深いMCである。
40年後は2062年であるわけで、年号を書いてもピンとこないが、自身が迎える年齢を数えると、どんなことになっているのか想像もつかない。
2062年には世界人口が100億人を突破しているとの予測だから、ろくな世界であるはずもない。
一方で、40年前は1982年、「いいとも」が始まった年。
それを思うと、まあ40年くらい何とかなるのかもしれない。
年齢の近い身として、折り返しの意識が見えるのだが、どうだろう。
そして、「早退」。
第1部ではなかった、本人によるピアノ即興演奏があったのは、出色といえるものだっただろう。
それが聞きたいからライブに行ったところもあったので、目撃できなかった自分としてはここは本当に口惜しい。
この後の「FRAGILE」は、どんなんだったのだろう。
ライブが終わってから、改めて公式チャンネルのMVや過去のライブパフォーマンスを見ている。
「自分のペース」というものをどこまで維持していいものか、周囲はアーティストをどこまで尊重すればいいものか、判断がつかない。
一方で、川本真琴のファンであることを誤解なく伝えることは、素材を選んで見てもらえばいいので、今の時代比較的簡単になっている。
息の長いミュージシャンの新作をいつまでも待っていられるファンでいられるのは、やはり幸せなことだ。
今回のライブを心で温めながら、引き続き見守っていきたい。
2022-07-08 Fri.
壊れそうだった
2022-07-08
2017年4月、旅行で福井に行った。
桜の遅い満開の時期を堪能した京都を後にし、特急しらさぎで福井を訪れた目的はただ1つ。
川本真琴が高校の体育祭の時に利用したであろう、仁愛グランド前駅を通過するためだった。
お昼過ぎ。
ニュースが第1報を繰り返す中、僕は道端の椅子に座る。
近頃、情報の多さについていけず、頭が落ち着かない。
数か月前から週に1回このベンチに座り、音楽を聴きながら人の流れを見るようにして、多少の機能回復を試みている。
本日のアルバムは、「gobbledygook」。
2001年3月に、店員に頼んで取り寄せて入手した。
仕事を切り上げ、早退。
車をとばせばたった15分とちょっとくらいだっただろうが、地下鉄に乗り、六本木。
東京ミッドタウンにはしばらく訪れていなかったようで、居心地の悪さを我慢し、地図を何度も見て、目的地に到着。
サイトにログインし、QRコードで認証し、システムの説明を受け、入館。
微熱もない。
川本真琴 Billboard Live Tour 2022 「密会」
Special Band : 林正樹(Piano) 伊賀航(Bass) 山本達久(Drums)Special Guest : 池間由布子
2部構成の第1部のチケット。
この日はツアー最終日だし、第2部のほうが絶対いいのだろう。
でも、早く帰らなければならないし、夜に楽しいことは僕にはもう何も起こらないので、第1部を選んだ。
1996年5月、「愛の才能」を聞いたとき、びっくりしてひっくり返った。
十代のすみっこで、これからずっと聞いていく歌い手が現れたのだ、という確信と喜びがあった。
シングルを待ち望み、アルバムを待ち望み、4年後にようやく2枚目のアルバムが出て、その時でもなんか知んないけど面倒な話が出てきて、そこから何をやっているのかわかりづらくなって、でもウェブというものがあるおかげで動静を知ることができ、気付いたらアルバムが出て、その時々で息を飲んだ。
デビュー25周年ツアーで、ようやくライブに来ることができた。
こんな感じだと、僕はいつか、8分のバニラのライブにも行くことになるのではないだろうか。
ソーダ水の泡みたいなジントニックを飲みながら待ち、開演時刻を少し過ぎて、本人登場。
顎までの長さの金髪に、黒のドレス、腰の後ろにリボン、あみあみブーツ、へそ出し膝出しといういでたち。
セットリストの最初は「桜」。
僕が2番目に好きな曲で、どこを切り取っても美しい。
春になると必ず聞いているし、桜の花を見ると脳内再生が止まらない。
春のリクエストを問われれば、「桜」と答えることにしている。
ちなみに夏だと「ENDLESS SUMMER NUDE」、秋だとparis match「眠れない悲しい夜なら」、冬ならbonnie pink「CHAIN」か土岐麻子「NEW YEAR, NEW DAY」、あるいは大瀧詠一「クリスマス音頭」をかけてもらうことにしたい。
年明けから春までにインターバルがあるが、そこは暫定で「White Love」か「DEPARTURES」、「Winter's Tale~冬物語~」を。
ICEからは、まだどれを選んでいいか決めかねている。
「LOVE&LUNA」の後に、「1」。
新しめの曲ばかりやるのかな、と事前に思っていたので、これはうれしかった。
「1」は今パフォーマンスされても、感動がある。
声を出しての鑑賞が許されておらず、精いっぱいの拍手を送る。
「人形」の後に友達の池間由布子をゲストに迎え、2曲。
最新のアルバムに入っている「ロードムービー」を聞いていると、目頭が熱くなる。
何で、こんな詩を書くのだろう、苦しい気持ちにならないのだろうか。
それは、YUKIに提供した楽曲「転校生になれたら」を聞いた時にも思った。
そんなことを言わなくても、ここにいればいいじゃないか。
MCでは、昨日明治神宮に行ったことを話していた。
東京の中でも大好きな場所で、3年に1度くらいは行っているとのこと。
今日のお客さんが満足してくれることを祈願するも、財布に6円しかなくて、クレジットカード払いもできず。
よって、もし満足してもらえたら、お礼を言いに行くとのこと。
直近のアルバムからアルバムタイトルでもある「新しい友達」、デビューシングルに入っていた「早退」。
新しい曲も古い曲も歌えることが、そしてどちらも十分に聞けるものであることがすごい。
そして、「FRAGILE」。
1番好きな曲で、これまで何度も何度も繰り返し聞いてきた。
長尺の曲で、壮大な音楽は広がりのポテンシャルを持ち、ライブだと聞きごたえがあるだろう、ぜひ聞いてみたいと思っていたので、生で聞けて本当にうれしかった。
最後は、「ゆらゆら」。
川本真琴の現在地であり、ベストなパフォーマンスだと思った。
時間いっぱいやるために、アンコールなしのセットリストにした、という気遣いも、うれしい。
ライブが終わって、ネットを見ると、ニュースが変わっていた。
ミッドタウンに入っている店は僕には敷居が高く、この時間だと客もまばら。
きっと僕の見えない時間に、品よく買い物をしているのだろう。
東京に居場所なんて、どこにもないように感じた。
東京に居場所がなかったら、どこにもない。
小暑を過ぎた外はまだ明るい。
後で知ったけど第2部は舞台の後ろのカーテンが開いて、毛利邸の庭園が見えとてもきれいだったらしい。
でも、2部構成にしてくれたから、早い時間に終わる方に行くことができた。
アーティスト本人からしたら、僕は「望まないファン」の類に入るのかもしれない。
でも、世間で認知されている像を望むファンとも、僕はまた違うようにも思う。
言ったとおり、僕は楽曲の衝撃、そして詞と歌回しにデビューから魅了されて入っていて、ビジュアルからというわけではなかった。
アニソンも通らなかった(売れた礎になったことは受け入れているし、中川翔子にも感謝している)。
僕にとっては数少ない「詞を聞くミュージシャン」であるし、代替性のないアーティストである。
昔の様子の再現を期待しているわけでもない、なにせ自分の歳を考えればそんなことは到底思えないし、その時のCDがあるからそれを聞けば済む。
いくら「成長しないって約束」とはいえ、なくしたもの、やめたものはあるだろうし、気付いたこと、補ったものだってあるし、そのうえで変わらないものもある。
川本真琴は、これまでの作品を十分に評価されていいミュージシャンである。
そして、過去の作品を現在の形でパフォーマンスすることができ、今もなお新譜を期待できる、現在進行形の人である。
だから、自分を大切にしてほしい、できれば大切にしてくれる世界に身を置いてほしい。
率直に言うと、遠くで見ていてつらいこと、危ういと思うこともなくはない。
応えなくてもいいことをしなくてもいいのに、という歯がゆさもある。
本人はMCで「あまり体を動かさない」と言っていたけど、できれば体のメンテナンスを続けてほしい。
このような僕の態度が「熱心なファンではない」と言われれば否定しないし、全部は受け入れられないのも確かだ。
でも何度も聞いているし、これからも聞くだろうし、新しいのは試してみるし、たぶんそれも聞き続けるだろう。
乃木坂のほうに帰ると、田中麗奈さんがCMに出演しているペットショップを見かけた。
ここにあったのか。
2017年、仁愛グランド前駅は通過したが、仁愛女子高校駅を訪れる機会は作れなかった。
その母校を訪ねてNHKの昼生ラジオに出演した川本真琴を聞いた2012年に、僕は次の新譜を待ち続けることにしたのだ。
2022-07-01 Fri.
福祭
2022-07-01
金曜日、ということで、ウエストに行った。
前回ウエストに行ったのは…、僕は過去にウエストに行ったことがあるのだろうか。
少なくとも、ここ35年間は行った記憶がない。
僕は小倉の人間であり、最も行きやすいのは大手町にあるウエスト。
ただ、「行きやすい」といっても、そんなに近くもなく、そっち方面に用事もなかった。
ウエストはファミリーレストランと考えており、ファミレスに行く文化が実家にはない。
CMの影響か、ウエストといえば焼肉で、焼肉ならやすもりに行くという頭が働いていた(やすもりも行ったことがないけど)。
村田英雄先生のCMの世代ではないので、お恥ずかしい。
その大手町にあったウエストも、ずいぶん前に閉店しているようだ。
以前から、ウエストが関東地方に進出していることは知っていた。
たまたまウエストのことを思い出す出来事と、ちょっと遠出する用事が重なり、ウェブサイトで店舗リストを見ていると、用事ついでに寄れるところにウエストがあることを発見し、赴くことにした。
郊外にあるそのウエストは、看板では主に「生そば」を推していた。
店のたたずまいも、なんというか不安を掻き立てるものであり、でもここまで来たからと覚悟を決めて入店。
店内は、13時ごろでも混んでいて、カウンターに誘導される。
注文は、丸天うどんに、ごぼう天と海老天のトッピング。
「丸天はカットしますか」などという親切な質問を店員からされ、「そのままで結構です」と答える。
うまい。
安心のクオリティである。
特に、かぶりついた丸天の味は関東ではお目にかからないものであり、落涙した。
それにしても、丸天に残る歯形はどうしたものかと思う、カットしてもらった方がよかったのか。
資さんうどんの関東進出報道が出て、狂喜乱舞している知人もいたが、経営陣の説明の通り、その後の動きはまだ見られない。
ウェブサイトによると、実家近隣の店舗が閉店しているし、あの到津店も閉店とあるし、もちろん新店もできているのだが、関東に店舗ができるのはまだ先のようだ。
うどんとラーメン、丸天とベビーハム、辛子高菜と白身魚のために実家に戻る、という選択肢を真剣に考える。
捨てるものが大きかったのだが、このところ天秤が釣り合いつつある。
もちろん、戻れば戻ったで、しがらみや面倒ごとが多いし、仕事もない。
ITがあれば、どんな場所でも世界レベルの産業が起こせたはずなのに。
1990年代に行動していれば、十分間に合ったはずだったが、後の祭り、起業祭にわっしょい約90万、戸畑提灯山笠は直前で中止、である。