違和感
今更、hitomiに「です・ます調」で迫られてもね。
新曲を耳にした際にもらした感想。
今更、hitomiに「です・ます調」で迫られてもね。
新曲を耳にした際にもらした感想。
itunesのpodcastのフロントページに「ミホミホマコト」が出ていた。
「ミホミホマコト」とは、朝日美穂、もりばやしみほ、川本真琴によるコーラス・ユニットである。
このサイトでは何度も言及しているが、川本真琴はまだ生きていた!
何故、「ミホミホマコト」がフロントページを飾っているのか。
残念ながら、そのメカニズムに対して仮説すら立てられない。
とにかく、アミューズ様様。
川本真琴の(ソロ?)ユニット「タイガーフェイクファ」も活動中らしい。
http://www.hamajimrecords.com/yagioo/intro.html
今年は、5年ぶりの「活動年」のようだ。
休火山よりは活動が活発と言えようか。
「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」
isbn:4101001472
2006年8月21日の日記で大人げないことを書いてしまった。
反省する一方、運動は続ける。
一方、こんなニュースも出ていた。
充実の時を迎えているTOKIO、12年目で再ブレイク!?
(オリコンの元記事)
なんと「12年目の再ブレイク」らしい。
絶大なる人気を長期間保っているアイドルグループですら、上記のようなことを言われている。
BONNIE PINKが「10年の下積み」と言われても仕方がないことなのかもしれない。
急に寒くなって、体調不良気味。
テレビに寺島しのぶが出ていた。
「富司純子によく似てきたなー」と独りごちる。
と思っていたら、それは寺島しのぶじゃなくて富司純子だった。
ミハエル・シューマッハが引退を発表した。
10年前からF1を見始めて以来、ずっと彼に魅了されてきた。
彼が引退する、という事実を、僕はまだよく理解できていない。
あと3戦、ドライビングをじっくり見ていきたいと思う。
「夜の果てまで」
isbn:4043743017
キグルミが歌う「たらこ・たらこ・たらこ」を、今朝初めて聞き知った。
http://www.kigurumi777.com/
結構。
世界はいろいろな可能性に満ちあふれており、他者に迷惑をかけない限り、可能性を追求してもいいのだろう。
CDを出す自由は何人たりとも侵すことができない。
ここで気になるのは、スーパーマーケットでこの曲が流れることである。
もっと気になるのは、仮にスーパーマーケットでこの曲が流れた場合、いつ流すのを止めるか、というタイミングである。
(「たらこ・たらこ・たらこ」はCMが絡んでいるので、曲を流さない可能性もある。)
過去にも、「だんご三兄弟」や「おさかな天国」がブームになったとき、スーパーマーケットの団子売り場、魚売り場ではではエンドレスでこれらの曲が流されていた。
スーパーマーケットを回る食品メーカーの業者で、「どこのスーパーに行っても「だんご三兄弟」がかかっている」と愚痴をこぼしていた人を、僕は知っている。
これらの曲のブームが過ぎ去っても、売り場では相変わらず曲を流し続けていた。
我々は、ここに慣性というものを観察することができる。
世の中で大事なのはタイミングなのだ。
中西圭三も、そう言って離婚したはず、たぶん。
ある日、カセットデッキからテープを抜く瞬間にはきっとドラマがあることだろう。
残念ながら、僕はそれを目撃することはできない。
もし、詳細を知っている人がいたら教えて欲しい。
「冷凍みかん」(GTP)のような例外もある。
今夏、よく売れ残っていたなー。
ミカン好きの僕が、理由はわからないけど、手を伸ばさなかったし。
地方発のブームは根強いものだと思っていたけど、もしかしたらブーム発祥地の「まとまりのなさ」に問題があったのかもしれない。
「東大式絶対情報学」
isbn:4062133717
近所にあるマッサージ屋で足裏を揉んでもらった。
初めて「きよしとこの夜」をがっつり見た。
大阪の番組の特徴を挙げろ、と言われたら、僕はこう答えていた。
「タレントをずらりとそろえて、トーク中心に番組を作る傾向にある」
セットを組んで、その前にタレントを座らせて、MCがいて、お題が出るという図式だ。
しかし、最近、その図式を用いる東京の番組が多くなった。
例えば、「さんま御殿」「アメトーク」「行列」「ロンハー」etc..
先週末に「アメトーク」の特番をやっていた。
その内容は、実にまとまりのないものだった。
各人がそれぞれネタ見せに終始しており、ネタの多さに、食傷気味。
1つの話が発展的に組み上がっていく醍醐味が見られなかった。
おそらく長時間の収録を時間内に収めるための編集にも原因があるんだろうけど。
その夜、関東では「じかおぎ」という番組をやっていた。
内容は、次長課長とおぎやはぎがトーク番組を仕切って、どっちが優れているかを競うというもの。
それに、トークゲストがMCのしきりを見て感想を書き、その感想を番組中にMCの後ろにあるモニタに表示するという企画も加わっていた。
結局、その番組は現在のトーク番組の裏側を見せるものになってしまった。
すなわち、最近話題の「ひな壇芸人」が何を考えて番組に臨んでいるか、が番組上に晒されていた。
この2番組の放送を見終えて、僕は「トーク番組は行き着くところまで行き着いた」と感じた。
つまり、トーク番組は、最終的な局面、つまり「番組のネタ晴らし」にまで達してしまった。
出演者が視聴者にトークの内容ではなく、トークの技巧を視聴者に見せつけるようなやり方では、視聴者は置きざりにされ、すぐにでも飽きてしまう、と。
しかも、トーク番組でやられている手法には、ダチョウ倶楽部のリアクション芸のようなほほえましさもない。
他の出演者をこきおろし、MCに自分を売り込むことと編集でカットされないことが主として考えられている。
悪意すら感じ取れた。
トーク番組の常連が主体となって、他者を排他的に扱いながら番組を作っていくのなら、テクニックばかりが目立つ一方で肝心の話が目立たなくなり、結局つまらない内輪ネタの番組に成り下がるのだろう。
腕を磨くのはいいけど、最終的には視聴者が判断することを忘れないで番組を作っていって欲しい。
ということで、ある2人の芸人の行く末がとても心配。
僕の耳あかは湿っている。
日本人の約5分の1は、湿った耳あかの持ち主らしい(wikipedia:耳垢)。
日本人の中ではマイノリティなので、からっとした耳あかの持ち主に迫害を受けてきた気がする。
ところで、耳あかはどのくらいのタイミングで取るのが適切なのか?
以前、僕は耳掃除の周期を「2週間に1度」に決めていた。
耳掃除はあまり好きではなかったし、「その程度で十分かな」と言う勝手な思いこみがあった。
だが、2週間というサイクルは生活習慣に合わず、耳掃除を忘れることが多かった。
思い出したように耳掃除すると、耳あかがごろごろと出てきた。
さくらももこがエッセイで書いていたように、耳あかを貯め込んで耳掃除するのはある意味快感である。
しかし、ある日、普通に生活していて、耳から耳あかがぽろっと転げ落ちてきたことがあった。
さすがにこれはまずい。
なので、それ以来、耳掃除を1週間確実に行うようにしている。
その結果どうなったか?
耳掃除をする楽しみがなくなった。
綿棒を耳の穴の中でくるくると回しても、綿棒が軽く汚れる程度。
耳あかの固まりは、見なくなった。
なお、耳あかにはそれなりに存在理由があり、取りすぎはあまりよくない。
最近読んだ新聞記事によると、耳あかがあることによって、耳の中に虫が入るのを防ぐ役割をしているらしい(念のため補足するが、耳あかの固まりがブロックするわけではなく、耳あかには虫が嫌う成分が含まれているらしい)。
また、頻繁に耳掃除していると、耳の中が乾燥しかゆみが生じるため、また耳を掃除したくなる、いわば「負のスパイラル」に陥るそうだ。
その記事には、極論を言うと耳掃除なんてする必要もない、とまで書いてあった。
「ちびまる子ちゃん」にもあったように、耳かきは癖になり、やめられなくなる。
友人が暇さえあれば耳を掃除していたので、是非とも教えてあげたい。
かといって、僕の場合は、耳からの分泌物が多いのか、耳掃除しなければそこら中に耳あかをまき散らすことにもなりかねない。
なので、僕の場合は、1週間に1度は耳掃除というのが適切なのだろう。
今は、耳あかの固まりに出会うことがない、という「むなしい余生」を送っている。
「パネルクイズ アタック25」の芸能人大会をもちろん見た。
あの環境の中で、博多華丸・大吉も素人、スタッフも含めて、みんながんばっていたと思う。
ただ、山口もえのあの答えは、どう考えてもタイムオーバーだと思う。
この番組の進行は司会者のさじ加減1つで決まる、とは知っているけど、あまりのことにちょっと引いた。
しかし、番組を見ている人と見ていない人のパネルの取り方の違いが目立った回たっだ。
好楽にはもっと研究してもらいたい。