曇天の続き

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2010-09-30 Thu.

消入

2010-09-30

念のため一応断っておくが、僕は根本はるみとも、楠城華子とも結婚していない。
できるわけもない。

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2010-09-29 Wed.

介入

2010-09-29

悪いけど、代わりにやっておいてくれない?
でも、代わりであることは表向きには口にしないで。
たぶん、何も言わなくても周りは察してくれるとは思うよ。

上が責任を取らない時代だ。

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2010-09-28 Tue.

論題

2010-09-28

実家で呆れ果てるのは、家族で食事をとっているとき、両親の話題が食卓に並んでいる料理についてだけであることだ。
「これはうまい」「どこで買ったのか」「やっぱりちがう」「あれを出してくれ」「この部分が一番うまい」「次はこれを食べよう」「おまえ、少し食べ過ぎだ」「オレの分を残しておけ」「まだ、ここに残っとるやろうが」…。
文字に起こしていて、開いた口がふさがらない。

両親の振る舞いは確かに極端である。
それでも、食事をとっている時に最適な話題はその時に食べている料理についてである、というのには賛同したい。
これは経験則だが、その場の話題の中心となる料理とは、実に尊ぶべきものである。
誰も不愉快にならない。

他に会食に相応しいと思う話題は、その時に飲んでいる酒について。
あとは、仮定の話だ。
「もし○○だったら」という誰も傷つけないお題を選び、反芻を重ね、何のユリイカも得られない結論を導くことが重要である。

僕は、道の話や、街の平和な歴史の話も無難だと思うのだが、興味のない人も多いので、注意した方がいいのだろう。

気をつけているつもりだが、年のせいなのか、最近は飲むと自分の話や昔の話ばかりが口をつく。
一応自覚はしているのだが、こんなことでは、早晩誰も相手にしてくれなくなる…、もう手遅れだろう。

飲んだ次の日、話の内容を振り返ってみて何も覚えていない、あるいは今後の人生にとっては無意味だが楽しいことしか覚えていない、というのが、最高である。

一方で、世の中には飲み会の内容を事細かく覚えている人がいる。
酔いの覚めた頭で冷静な分析を加え、戦力として用いるために配備を密かに進める。
個人的な意見だが、これは大人の飲み方ではないと思う。
でも、これはある種の才能であり、処世術としては適切であろう。

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2010-09-27 Mon.

藪蛇

2010-09-27

一部の人たち以外、番組を視聴した誰しもが再認識したことだと思う。

よく知らない人から年賀状をいただいた場合の対処は慎重にせざるを得ない。

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2010-09-26 Sun.

異同

2010-09-26

初夏。

いわゆる第三のビールのジャンルに分類されているある商品のCMをテレビで見ていて、「何か、違和感があるなー」と一人で思っていた。
しかし、違和感の理由には思い至らなかった。

指摘されて気づいた。
「クリア アサヒ」のCMに出演した人が、松下奈緒から加藤あいに変わっていたことに。

雰囲気が似ていたからか、それともこちらがあまりにも間が抜けていたのか(たぶんこちら)、言われるまで全く気づかなかった。
かろうじて、無意識が発生させた違和感だけが僕に警告を与えていたのだった。
僕は「マジカル頭脳パワー」が放送されていたころから間違い探しが苦手で、「アルクメデス」の間違い探しでも間違いを一切見つけられない。

「恋空」の映画版で新垣結衣が主役をやっていたのを、TVドラマ版では水沢エレナが主役をやらされ…、抜擢されたのと同じ印象を覚えた。

さて、ソニー損保のCMはどうなるのだろうか。
今のNHKには、そんな縛りはないのかな。
露出度だけを考えると、朝ドラの主役よりCMの方が効果的な時代。

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2010-09-25 Sat.

爆弾

2010-09-25

新聞社のスクープに端を発した事件。
日付の改ざんは絶対に許されない。
これまで関わったすべての事柄について、疑いが及んでしまう。
いくら見直しをし、問題となっている件以外に改ざんがなかったことが証明されようとも、不信感はぬぐいきれないだろう…。

以上は、遺跡発掘をねつ造したとされる、昔の事件についての話である。
もっと恐ろしいことに、身内で捜査したところで内容の信憑性が著しく欠けているように思えてしまう。
じぶたれ、だな。

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2010-09-24 Fri.

偉業

2010-09-24

報道を見聞きし、つくづく思う。
僕が考える「立派な人」の必要条件の1つとは、表立ってネガティブな批判をされる状況が形成されていることだ、と。
一様に礼賛される風潮に不必要な不気味さを感じ、何らかの不都合な事実が隠蔽されているのではないかとまで疑ってしまう。

これは、当事者ではなく周囲に原因があるのだと推察する。
まあ、持ちつ持たれつであることについては、一定の理解をしているつもり。
むしろ、それ以上に一方的なのかもしれない。
そして、詳しくないことについて、僕には何も言えない。

地獄を見た男、そしてプロの悪口師である有吉弘行氏によると、「圧倒的に好感度が高い人間の悪口は言わない」のがコツだそうだ。
彼の偉いところは、そのあとに続けて「例えば、○○とか××とか」と言って、圧倒的に好感度が高い人の実名を挙げるところにある。

しかし、一部のコメンテーターはなぜ「国技であるにもかかわらず、自国の力士が活躍していない」と繰り返ししつこく言い続けるのだろう。
出身国が同じである者が他国の国技で活躍するのを手放しで喜んでいる一方で。

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2010-09-23 Thu.

晩夏

2010-09-23

昨日、確実に夏が終わった。
オープンカーを所有していたある人が「この国では、オープンカーに乗るのに適切な時期が10日もない」と漏らしていたのだが、本当にその通りかもしれない。

「キングオブコント2010」を視聴した。

審査方法が安定してきたように思う。
プロである100人の出場者が審査に参加し、しかも匿名で審査するというのが、とてもいい。
仲間に受け入れられていない出場者がことごとく低得点に終わるのは、確かに気にはなる。
それでも、実力者が確実に優勝を手にする傾向ができている、と考える。
どうせ順位は3位ぐらいまでしか気にしていないので、僕は今の方式を支持する。

大多数が公平に参加する仕組みが実現されていれば、誤りは比較的少ないのだろう。

キングオブコメディの高橋さんの、普段とは全然違う緊張ぶりに、かなりドキドキした。
幸いにも、大きなとちりで実力が割り引かれて評価されるような事態にはならなかったので、本当によかった。

1つのボケを押し通すより、従前からある複数のボケの絡み合いの方が、今回は優勢だったように思う。
でも、今後どうなるかはわからない。

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2010-09-22 Wed.

都合

2010-09-22

HMVが撤退する。

小倉から、である。
「自然と歴史に囲まれた絶好のロケーション、HMVリバーウォーク北九州。」という公式サイトでの紹介でおなじみの店舗が2010年9月26日に閉店する。

2002年に開店。
僕は行ったことが1度もないので、思い入れも何もない。

ただ、今回の撤退によって、商品をまともに買うことのできるコンテンツショップが小倉にはあと何軒あるのだろう、と気になる。
通信販売だと、発売前に予約しても発売直後だけに封入されている特典が入っていなかったりすることがあり、それがつらい。
そういう特典も、いずれなくなるのだろうが。

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2010-09-21 Tue.

受益

2010-09-21

以前の記事で述べた通り、冗談が現実問題になるのは、冗談を口にした身としてはとても居心地の悪い思いがする。

小野真弓が国民体育大会の開会式、閉会式での司会者に起用され、そのことが県議会で取り上げられた。

また、会社役員の顔がちらつく。
このままではくやしいので、「やっぱり、鳥居みゆきもオーディションの最終選考に残ったんだろうか」とでも言ってみる。

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2010-09-20 Mon.

内輪

2010-09-20

休日。

乗客がまばらの各駅停車の列車に乗る。

途中駅で、10代後半らしき女性が2人乗車してくる。
席は半分程度空いているのだが、2席連続して空いておらず、彼女らは並んで座ることができない。

一方の女性が車内に通る声で、(おそらく)もう一方の女性に向かって声をかける。

「詰めて座れよ」

そのときの、車内に一瞬で張り詰めた空気は、僕の耳の右から左につんざいた。
その空気にいたたまれなくなり、座席の端に座っていた僕は、彼女たちのために思わず席を立とうしたほどだ。

車両を支配した空気に彼女も気づいたのか、発言主は連れの女性に向かって、
「なんてね」
とフォローしていた。
「なんてね」という言葉を、小倉出身の僕はドラマ以外で初めて耳にした。

あのような天真爛漫というか恐いもの知らずというか傍若無人というか、そういうものどもの行方についてしばし沈思黙考した。
それにしても、大人たちの冷ややかな目線は恐ろしい。

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2010-09-19 Sun.

高宮

2010-09-19

仮にひろっつぁんがローカルタレントに転向していたとしたら、福岡の芸能界は大きく変わっていたことだろう。
地元出身であり、地元の事情に通じ、歌が大変うまく、演技もでき、容貌も整っていて、キャラクターもある。
それなのに転向しない理由は、彼女には十分な実力があり、およそ福岡にとどまる器ではないからだ。

なお、「ひろっつぁん」とは、森口博子のことである。
一般的には「もげしゃん」と呼ぶ方が、通用する。

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2010-09-18 Sat.

節制

2010-09-18

2、3日前から節制を心がけ、体調管理に勤しみ、飲み会当日を迎える。

本来なら、仕事に対してもこれくらいの気持ちで臨むべきなのだろう。
でも、仕事において自分の体調を調整しようなんてことは、絶対に思いつかない。

ところで、辞書を引いて確認したのだが、「節制」と「摂生」は意味が違う。
言われてみれば当然のように思えるが、意識して使い分けたことがなかった。

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2010-09-17 Fri.

平屋

2010-09-17

魚町交差点にあった西鉄魚町ビルが平屋の建物に建て替わる、との新聞情報、をガゾーン関門都市圏の記事で知った。

この記事で表明されているほどの気持ちまでには、まだ至らない。
それでも、あの魚町交差点の角に平屋の建物が建つ、というのにはさみしさを感じる。

魚町交差点とは、以前は西鉄路面電車の路線が3方向から集結していた場所だ。
北方線の記憶は僕には全くないが、北九州線があったころのことはよく覚えている。
電車がひっきりなしに走っていて、確か「降車専用」の電停があった。

電車とともに活気があったこの場所に、西鉄は平屋の建物を建てて、西鉄旅行の営業所だけを入れるつもりらしい。
さすがに、「そんなの、砂津でやってくれ」と言いたい。

手遅れにならないうちに、誰か手を打って欲しい。
それとも、もはや手遅れか。

ところで、僕はこの情報を今日知った。
北九州の街作り関連のブログを20個近くチェックしているのだが、チェックしているブログではまだどこも取り上げていなかった。
どうやら、巡回するサイトの数をまだまだ増やさないといけないらしい。

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2010-09-16 Thu.

辻褄

2010-09-16

何だか、周囲に説明責任を果たす準備をするためだけに仕事をしている風を装っている気がしてくる。

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2010-09-15 Wed.

意識

2010-09-15

万引きは、窃盗。
一方で、ゆすり、たかりは、恐喝、強要。
解釈次第では強盗にもなりうる。
ひとつの犯罪は、人生を十分に崩壊させる(とはいえ、限られた分野であれば受け皿はあるみたいだけれど)。

そのことについて、教育機関は生徒にしっかりと伝えて欲しい。
実感としては、万引きは外部に損害を与えるから多少は指導していたが、他は内輪の問題だから黙殺していたような。

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2010-09-14 Tue.

浮指

2010-09-14

両足の第二趾を力を入れて曲げると、付け根に他の指にはない痛みが走る。
数か月前まで気づかなかった。

どうやら、靴を履いているときに第二趾が接地していなかったようだ。

痛みに気づいて以来、第二趾に気をつけて歩くようにしているし、自宅で暇があればマッサージをしている。
痛みは少し改善した気もするが、まだ残っている。

もしかしたら、ビールの飲み過ぎによるあの病気かな、と懸念している。
でも、台風が来襲しているというのに、激痛が走るということもない。
処置に困っているので病院に行きたいのだが、例の如く「何科の病院に行けばいいのかわからない病」。

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2010-09-13 Mon.

再学

2010-09-13

忌まわしき思い出とともに多くのものを廃棄してきた中、自宅にかろうじて生き残っている高校時代の教科書を手に取ってみた。

「現代社会」の教科書には、政治・経済に加えて倫理に関する章が設けられており、文化の創造、青年期の課題、思想と真理、青年と人生、といった項目が並んでいる。
そして、全体のまとめとして、「民主主義の課題」。
恐ろしいくらい、学んだ記憶がない。

読み返すと、なかなか面白い。

人生の意味がわからなければ、よりよい社会人になるための知識や技術を習得することの意味も、ほんとうに納得したことにならない。人生などつまらぬものだと思っている人は、よりよい社会人になることなど何の意味もないと思うだろう。しかしわたしたちは、知識や技術の習得と並行して、人生の意味をさらに考えなければならない。

中高年世代に義務教育を課し、この本の内容を叩き込んだ方がいいのではないか、とすら思う。

「現代社会」の内容に一定の満足を得られたので、期待をして「国語」の教科書を開く。
しかし、期待に反して、「国語」の教科書に書かれていることのほとんどはどれも僕の興味を引かなかった。

少なくとも、読書の楽しみを学べることはない。
国語の授業とは、忍耐を重ねてつまらない文章を読む訓練を積む場だったのだ、と改めて知る。
その訓練が、社会に出ても役立っている。

加藤周一の評論「日本文化の雑種性」が掲載されているのだが、改めて読んで特に驚いた。
2ページ以上にわたって段落が全くない。
細かい文字がぎっしりと詰まっており、パッと見だと、とても読む気になれない。
(たぶん)読み応えのある文章である(と思われる)のに、現在の基準に照らし合わせると、形式面から言って悪文の代表格にあげられることだろう。

国語の教科書を読んでも、「この文章は面白いから、同じ筆者が書いた別の文章を読もう」と思うことは少なかったし、今読み返してもそんな考えを持つことはなかった。
古い知人に「この筆者の文章はいろいろな入試に出ているから、他のも読んでおこう」と発言した者はいたし、同じ理由で読書を露骨に勧めた国語教師もいたのだが。

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2010-09-12 Sun.

悲哀

2010-09-12

古いPCを捨てることになり、その処理に当たっている。

スペックは、以下の通り。
CPUは、400MHz。
メモリは、192MB。
HDDは、10GB。

「昔のパソコンはこれだけしか容量がなかったんですね。今じゃ考えられない」という現代人の声が聞こえてきた。

ここで、「何を言っているんだ。オレが初めて買ったPCのスペックは…」と返し、自分史を披露し始めると、間違いなくひんしゅくを買う。
また、最初にPCを手にした時期は人によりばらつきがあり、上には上を行く人が必ずいるので、やめたほうがいい。
「オレが高校生のころは…」という話を祖父から散々聞かされた僕としては、お奨めしない。

とはいえ、周囲の反応を気にせずに僕の感想を率直に述べると、「むしろ今の容量の感覚に慣れない」というのが本音だ。

もちろん、今は音声や写真、動画でさえも簡単にPCで扱える時代なのだから、それなりの容量が必要なのは理解できる。
しかし、前も言ったけど、OSやアプリケーションの肥大化にはついていけない。
以前はメモリを節約するために知恵を使っていたのが、いつのころからか「資源を無尽蔵に要求してもよい」と考えるソフトウェア開発に移行した気がする。

スペックが向上するにつれ、アプリケーションも重くなる。
アプリケーションがさくさくと動くようになるのは、いったいいつのことなのだろう。

僕が今捨てようとしているPCも、本当なら何か使い道があるはずだ。
しかし、このスペックで動くOSやアプリケーションが存在しないので、リサイクルに回すより他ない。

使い道のないPCに自分の末路を重ね合わせつつ、リサイクルの手続きを着々と進める。

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2010-09-11 Sat.

拘束

2010-09-11

諸般の事情があり、iPod shuffleを手放した。
元々懸賞で当たったもので自分で手に入れたわけではないし、どうにも使い勝手が悪いので、買い換えようと思ったのだ。

手放してもう半年ほど経つが、代替のものはまだ手に入れていない。
検討に検討を重ねた結果、「次のiPod touchが出たら、それを買おう」という結論を出したのだが、いざ新製品が出てしまうと、値段の高さとアップル一人勝ちの市場を前に尻込みしてしまう。

iPodでも、スマートフォンでもない、PDAが進化した製品が欲しい。
音楽はiPod nanoで聴くし、電話は携帯電話で受けるので、無線LANが使えるタッチパネル式携帯小型端末が欲しい。
現状では、スマートフォン以外となるとiPod touchしかなく、選択の自由がない。

それにしても、円高の影響で、iPodはもう少し安くならないのだろうか。

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2010-09-10 Fri.

進法

2010-09-10

そりゃ、N進法のNの部分をN進法で記述すれば、すべて「10進法」になるだろう。

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2010-09-09 Thu.

現生

2010-09-09

しばらく、ATMで現金を引き出していない。

店での支払いのほぼ全てをクレジットカードか電子マネーで済ましているからだ。
いろいろなカード機能を組み合わせた結果、手元には、Suica、PASMO、Edy、WAONがそろってしまった(nanacoは組み合わせることのできるカードがないので持ってない。たぶん必要ないだろう)。

試しに今年の8月の現金支払いを合計すると、6,000円にも満たない。
むしろ、カード払いで立て替えた分を人から受け取った現金の方が多い。

流出より流入が多いので、財布の中に現金が滞留する。
紙幣が多すぎて財布に入りきれず、わざわざATMに行って現金を預け入れしたほどだ。
もちろん、銀行口座の残高は着実に減少しているので、金が余っているわけではない。

2005年頃に、「あと10年くらいしたら、現金を扱うことがほとんどなくなるのではないか」と想像していた。
2010年の僕の生活は、そのときの想像に近くなっている。
携帯電話の番号だけで振り込みができるシステムが根付けば、ますますキャッシュレスになるのだろうけど。

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2010-09-08 Wed.

狭量

2010-09-08

気軽に頼み事をされることが多い。
きっと、信頼度が高いからであろう。
しかし、僕の心は狭いので、気安い頼み事を受けるとはらわたが煮えくり返るのを感じる。

要望を口にすれば、その通りに人が動くと考える。
思い通りに動かなければ、「言ったじゃない、聴いてなかった?」とこちらの責任を問う。
最近ではメールでの一方的な指示が増え、指示がメールに証拠として残っていると主張する。
なおさらタチが悪い。

そういうのを上手くかわしている人の動きを観察し、あることに気づいた。
上手くかわす人は、確かに指示に従っているのだが、その指示をされた事実をオープンにしている。
自分の意思で動いているのではなく身勝手な人間の指示で動いていることを、感情を交えず事実に基づいて描写している。
そして、周囲の第三者に判断を委ねている。

ただ、第三者がこちらの味方をしてくれるかどうかは、人望によるのだろう。

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2010-09-07 Tue.

営業

2010-09-07

「東京ガールズコレクション」の様子をTVで見ていて、「夢のような時代がやってきたな」と実感する。

登場したモデルが身につけているものを、見ている観客は携帯電話を使ってその場で購入することができる。
主催者側が端末を用意する必要はなく、それぞれの観客がすでに端末を持っているのだから、まさに思い描いていた未来が現実化している。

それにしても、「東京ガールズコレクションin沖縄」って、何なのだろう。
どうしても、ラフォーレ原宿 小倉店のことを思い出してしまう。

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2010-09-06 Mon.

全賭

2010-09-06

週末。
流れで、「BSデジタル号がゆく!」をほぼ全て見てしまった。

画面で見ると、門司港駅には一度は脚を運びたいと思ってしまう。
また、日田彦山線をブルートレインの客車が走ったというのは、実に感慨深かった。
久しぶりに見た田川伊田駅の構内の広さがさみしい。
採銅所駅が有名であることは全く知らなかったし、採銅所駅にあれほどの人が集まっていたことにかなり驚いた(どういう人が映るのかハラハラしたのだが、ほっとした。おそらく目立ちたい人たちは番組を見ていなかったのだろう)。

この番組では、データ放送の双方向システムを利用した企画を実施していた。
出演者がクイズに答え、視聴者は誰が正解するかをベットし、そのポイントを競うというものだ。

実は、2日目の方で、午前の放送が終了した段階で僕は340ポイントを獲得しており、画面表示では1位だった。
途中まで3位だったのが最終問題で1位になったので、決して多くの人が横並びの1位ではなかったのだと推測する(集計が正しければ)。
最初の問題で遠藤章造さんに賭けたのが、財を成したきっかけとなった。
この手のイベントで瞬間的にでも全国1位になったのは初めてのことだ。

午後の部の1問目で全ポイントを失い、首位の夢は潰えた。
午後に出された問題は2問で、後から計算すると両方とも正解しないと1位にはなれなかったので、特に悔いは残らなかった。

本編を見ているときは「立川流だから」と耐えていたのだが、後で立川(たちかわ)真司氏であることを知り、無駄な我慢をしたことに気づいた。

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2010-09-05 Sun.

打消

2010-09-05

沢尻エリカのインタビューについて、全文がサイトに掲載されている。

文中には「あの謝罪はしたくなかったし、間違いだった」とはあるが、謝罪が演技だったとは言っていない。
涙を流したのは演技だった、とも言っていない。

昨今の風潮において、強制されたから謝罪に臨んだ、というのは、どこの現場も同じなのではないだろうか。
それを暴露してしまったことがローカル・ルールに抵触したから、彼女は攻撃されているのだろう。

結局事務所の言うとおりにしても、事務所は彼女の身を守らなかった。
そして、沢尻エリカは事実を話すことを選択した。

しかし、どんな形であれ、メディアに出てしまった自分の行為を後から否定してしまうと、自分にとっても不利益を被ることになる。
このインタビューによって、今後沢尻エリカがメディアで何をしようと、僕はすんなりとは信じられなくなってしまった。

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2010-09-04 Sat.

保養

2010-09-04

土曜の朝。
NHK FMの「ウィークエンドサンシャイン」と「世界の快適音楽セレクション」を聴きながら、コーヒーと蒸しパンを口にし、YahooのTV番組表でBSとCSのこの先一週間の番組をチェックし、録画予約する。

これだけが、今の僕に残された唯一の自由時間、そして唯一の楽しみである。

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2010-09-03 Fri.

意思

2010-09-03

これまでの人生を振り返って、「臓器提供してもいいかも」とふらっと口にしたことがあっただろうか。
そして、それを誰かに聴かれてはいないだろうか。

たったそれだけで、将来もしかしたら脳死判定をされるかも知れない。
そういうリスクのある世界に、僕は生きている。

ここでしっかりと意思表明しておく。
死後、自分の臓器を提供することは一向に構わない。
しかし、それは心停止した場合に限る。
脳死判定は拒む。
その意思を間違いなく酌み取って欲しい。

脳死がどういう状態なのか、もっとよく知りたいし、家族にももっと詳しく知ってもらいたい。

たまたま読んだ「週刊新潮」2010年9月2日号で、渡辺淳一が「死刑囚の臓器移植を」というエッセイを書いていた。

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2010-09-02 Thu.

踏絵

2010-09-02

どっちかを選んで、どっちを選んだか意見を表明して、さらに他人を引き込む活動に参画しなければならないのだろう、と推測する。
その選択が、自分の今後の運命を左右することになる。
人のことなんて、考えていられないだろう。
恩義が大切だから。

どっちでもいいけれど、遺恨は必ず残る。

愛川欽也の何かに火が付いたらしく、ウェブサイトの更新が続いている。

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2010-09-01 Wed.

選考

2010-09-01

読売テレビで始まるドラマ「FACE MAKER」で募集していたオーディション
一般公募であったが、多数の応募の中から見事日向千歩が選ばれた。

偶然にも、ドラマの製作会見の直前に主役の永井大の交際事実が発覚した。
偶然とはいえ、いい番組宣伝にもなったことだろう。

「ミヤネ屋」でオーディションの様子が流れたのを録画して見たが、選ばれた後、まさか日向千歩が涙を流すとは思わなかった。
そういうのを見ると、こちらのうがった見方はすべて消え去ってしまった。

ところで、読売テレビは、いつの間に「よみうりテレビ」ではなくなったのか。
僕が現在使っているATOK2006では、まだ「よみうりテレビ」と変換される。

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