曇天の続き

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2023-07-31 Mon.

小倉増・復

2023-07-31

予告はあったが、朝、めいが訪れたのをきっかけに、眠っていた家が動き出す。
僕は控えていたつもりなのだが、周囲が飲みすぎなのである。

控えていた証として、昨晩FBSのCMで見て録画予約しておいた「ROCKに託す!鮎川誠が伝えたメッセージ」を再生する。
この番組ではめいには伝わらない概念だとは思うが、夢を持ってほしいし、夏休みの宿題を進める月曜の1日を夢をもって過ごしてほしいと願う。

特にやることもなく、このままだと「この家のTVは4K映らないのか、12月からどうする気なのか」などと言わなくてもいいことを口にしかねないので、実家を退散。
タクシーで小倉駅へ向かい、小倉城口でタクシーを下車。

券売機できっぷを買う。
確かに、画面に170円のボタンがなく、その部分がブランクになっている。
小倉からだと西小倉までのみが170円区間なのだが、西小倉駅で回収される枚数の何倍ものきっぷが小倉駅の券売機で発売されているのだという。
会社は不正乗車を疑い、170円のボタンを券売機から試験的に外している。
西小倉まで行くときは、ICカードか窓口できっぷを買うかしてくれ、とのこと。
このことが全国的に報道され、小倉出身である僕も周囲から問い合わせを受けた。
率直に言って、小倉を狙い撃ちにされたように思え、かなり腹が立っている。
やるのなら全駅でやればいいし、試験をするのなら博多駅でやればいい。
性善説を語るのはいいけど、これは駅の無人化を進めたことに対する利用者からのメッセージでもあるのではないか、と思う。

とにかく、170円のボタンはないが、150円の入場券は売っていた。
入場券で改札に入る。
どうやら、ICカードだけでなく、改札でVisaタッチをすれば運賃を支払えるようにもなっているらしい。
入場券を買ってまでして改札内に入ったのは、北九州駅弁当の駅弁を買いたいからだ。
改札外の売り場がなくなってしまい、不本意だがそこまでやることにした。
かしわめしは売っていたものの、うにめしや無法松弁当は売っておらず、しかも現金決済ができなかった。
何とかしてほしいのだが、年に1度しか来ない僕が言うことでもない。
もしかして、この先なくなったりしないだろうか。

高速バスに乗る。
車窓から、「ラ・ナシカ こくら」という老人ホームを見つける。
「ナシカ」とは実に小倉らしい名前、とその時は思ったが、後で調べると全国展開されている老人ホームの名前であった。
「ル・ナンカネ くさみ」とか、「ナンショーン つねみ」とかいうのもいいかもしれない。

北九州空港に到着。
MRJの格納庫が痛々しい。
チェックインを済ませ、おみやげを購入。
売り場でかしわめしののぼりを見つけたが、諸般の事情で買わない。
博多通りもんは緊急事態で北九州地区の販売を一時的に取りやめているとのことで、このことはよく覚えておきたい。
今後は、復活した八幡饅頭を買っていこうではないか。

保安検査場を通り抜け、搭乗口の前のベンチに座り、小倉駅で買ったかしわめしを食べる。
実は昨夜、「かしわめしの味が落ちた、2度と買わん、あんたも買わんほうがいい」と両親から忠告されていたのだが、にわかには信じられず、食べてみて判断しようと思った。
それで食べたところ、落涙するほどにおいしい。
ここで詳細を書くことは控えるが、つまりは「ちゃんと選べ」ということである。

JA24MCは、出発が20分遅れで、南向きに離陸。
機内映像問題は深刻で、スターフライヤーではパーソナルモニタを設置せず、スマートフォンで代替させる機体も今後出てくるようだ。
困ったことになるかもしれない。
スマートフォンを機内モードにして、Kindleを開く。
これで52週連続でKindleでの読書をしました、とアプリケーションが教えてくれる。
連続記録が途絶えたのは昨年岡山経由で帰省した週で、休暇を取るために余裕がなく、Kindleを開くことを忘れていたのだ。

都心上空を飛行し、羽田空港C滑走路に着陸。
高速バスに乗り、月曜のルーティンである「ミルクボーイの煩悩の塊」を聞く。

無事、自宅に到着。
実家に電話し、風の橋のモニュメント「銀河の舟」の現状(羽根がない)と、かしわめしの感想(ぜひ、こっちを食べてくれ)をお伝えする。
体重が4kg増えていた。

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2023-07-30 Sun.

望峡

2023-07-30

快適な目覚め、美味なパン。

祖父の家があった土地が半分売れた、と先日聞いてはいたが、税金は納めないといけないし、多額の健康保険料を払う羽目になったし、えらい目に合った、まさに「負動産」だ、と母親が嘆く。
僕が子供のころ、今の実家の向かいの社宅に住んでいた。
このマンションはまだなくて、その向こうにすんでいる知り合いのおばあさんと毎朝手を挙げて挨拶を交わしていた。
マンションが建ったのは40年前で、社宅からの眺めが少しさえぎられた。
僕が実家を出てから事情があってこのマンションに移ったわけで、どういう経緯で手に入れたのかよく知らない。
このマンションの一室もいずれは「負動産」となり、僕が同じような愚痴を言うことになるのでは、と言いかけたが、快適な朝の雰囲気を壊してまで言うことでもないので、口を慎む。
次回は、書類を整えておくようお伝えしよう。

今日は日曜、教会から讃美歌が流れ、「ここでもそんなことをやっていたんだ」と不信心極まりない人間が初めて知る。
幼馴染に代替わりした病院の前を通り、バス停でバスを待つ。
隣のバス停が近くて、よく見える。

遅れたバスがやってきた。
都心やチャチャタウンでベテランが乗り降りし、小文字病院の移転先を初めて見て、駅の前でまたベテランが乗り降りし、最近TV番組で見た古くからある時計店の前を通り過ぎ、1時間バスに乗った。
わかっていたこととはいえ時間がかかったものだが、結構楽しめた。

門司港に到着。
たまらず、水のペットボトルを買う。
秋山の父親の店を黙殺し、周囲の飲食店を憂うが、このあたりも何が資本なのかわからない。
昨年お世話になったラーメン屋を、表敬訪問のつもりで素通りする。
門司港駅はきっときれいになったのだろう。
でも、修復中の姿を見ていたからまだいいが、昔から知ってみる身からすると、何がどう変わったのか実感がない。

焼きカレー屋で、注文が通っていない、という事件が発生する。
いろいろ言いたいことがあり、すでにもう言ってしまっているのだが、まあそういうこともある。
じらされたためか、味がよくわからなかったし、これでうどん屋より支払いが高いのだから、考えものだ。

関門連絡船の乗客は多く、外国人客が目立つ。
ここにジップラインを作ろうとするのだから、「またかよ」と思わず漏れる。
ロープウェイよりは安価にできるのだろうが、僕としてはケチつきまくりの第二関門橋をお願いしたいし、それよりも80年が経過した世界最初の海底鉄道トンネルである関門鉄道トンネルはいつまでもつのかがとても気になる。

記録によると、下関に来たのは、2012年以来のようだ。
その時は、巌流島に渡り、赤間神宮に参り、モスバーガーで休み、タワーに上って、シーモールを見た。

海響館に行くと、外国人のみならず、人が多い。
学校の制服を着た小学生の団体客もいる。
水族館恒例、チケットを買う際の「た…」がまた出てしまう。
イルカ・アシカショーが始まる直前、外から銃声が聞こえ、土地柄もあるのでいったん身を伏せる。
外を見ると、海沿いで男性が銃を持って歩いている。
周囲の落ち着きを見ている限り、下関のいつもの光景のようだ。
下関水族館には、小学生のころ父に連れて行ってもらった。
もちろん建て替わる前の水族館で、文字を刻むことができるメダルを買ってもらった。
今の水族館は、利便性もよくてきれいなのだけど、階段が多いのが少し古い建物の特徴なのかもしれない。
クジラの骨格標本と、海峡の流れを示す展示が興味深く、捕鯨産業の紹介映像をしっかりと見てしまった。
おいとめいに、ちいかわグッズを購入。

焼きカレー屋事件のため、すっかり遅くなってしまった。
タクシーの支払いでSuicaを出したばかりにやや一悶着があり、ようやく実家に到着。
父に、帰宅の遅いことを責められ、謝罪する。

夕食時、市長選の顛末に触れた後、下関の人の評について意見が交わされた。
北九州人は品がなくて恥ずかしく、下関の人には品がある、とのご意見。
門司港の焼きカレー事件について話すと、「そういうとき、北九州の人やったら、もう大変ですもんね」と言われる。
今日の僕がどうしたかは、忘れてしまった。

実は、僕の印象は逆で、今日もそうだが、下関に行った方がより身の引き締まる思いがする。
なんとなく屈強な男が多い印象だし、よそ者が容易に地雷を踏んでしまう不文律がありそうな気がしてならない。
生活から感じ取ってきた感覚ではあるが、もちろん、一個人の勝手な偏見であり、事実ではないだろう。

父のひじにとぐろを巻く血管を見ると酒が進み、父の鼠径部ヘルニアを診断できなかった医師の批評が続く。
母が、「珍しく酔っぱらった」といつものように言う。
この1年は、何とか乗り切ったようだ。
行く末と役割について妹と軽く打ち合わせをし、この日は終わる。

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2023-07-29 Sat.

象筑

2023-07-29

自覚がないのだが、起床後の周囲のへたりぶりを見ると、昨夜はかなり飲んだようだ。
とうきびチョコの袋を探すが、昨夜めいが自宅へ持ち帰ったとのこと。

朝食を済ませると、父がスマートフォンを持ってきて「直してほしい」という。
当然触ったことすらない機種だし、壊れているとしたら僕が直せるわけもない。
「自分は時々根気強い人間である」と暗示をかけ、どういう状態に「直してほしい」のかを丁寧にヒアリングし、ウェブの検索で調べながらいくつかの設定をいじり、「直して」あげた。
もちろん、父からの感謝の言葉ない。

そういえば、以前母から「衛星放送が見れんくなった」と連絡があったことを思い出した。
その時は障害の切り分けをするべく、電話で「レコーダーでBSが見られるのか」と尋ね、「レコーダーってなんね」と返され、15分くらいのやり取りを根気強く続け、結局アンテナとレコーダーの間のケーブルに問題があるらしいことまでわかって、聞いたら「掃除のときにケーブルをまとめたことがあった」との話だったので、あとは業者に言ってくれ、と終わらせたのだった。
「あれ、どうなったんかね」とその後の顛末を聞くと、電器屋は相手にしてくれず(本当か?)、ネットで家電110番とかいうのを見つけてに電話し(この場合119番の方が適切な屋号ではないのか?)、遠賀の方からわざわざ来てくれて(本当にわざわざ来てくれてありがたい)、ケーブルの交換をして、20K円を請求された、とのことだった。
思わず「20K円?」と問い返してしまったが、その時ついでに「アンテナが横を向いています。方向を調整しておきますね」とのことで、プラス5K円かかったそうである。
1時間くらいかけて来てくれたので、それくらいの費用が掛かっても仕方ないとは思う。
僕を呼べば、往復50K円はかかるのだから。
そうはいっても、この先の生活を想像すると怖くて仕方ない。

事情があって、到津の森公園に向かう。
「あそこの仏壇屋、立地が立地だけに三色旗が看板にデザインされているな」などと思いながら、タクシーの車窓をやり過ごす。
先週のPAO~N「ペペ3」で到津を特集していて、この辺でベーブ・ルースがホームランを打ったか、この辺に造花店があるのか、と感慨に浸る。
公園の正面玄関に到着。

僕は、林間学園の経験者である。
小学1、2年の時に1週間ずつ、いずれも後期に通った。
路面電車で通ったことと象の写生をしたことだけがいいことで、後はろくな思い出がない。
小3のころ、仕事終わりの父に「夜の動物園」に連れて行ってもらい、帰りに寿司を食べた気がする。
最後に到津遊園に来たのは、小学生の高学年だっただろうか、よくわからない。
要するに、少なくとも30年は来ていない。

ちょっとくらい覚えている風景があるかと思っていたが、園内を見ても記憶と符合するものがない。
運営が西鉄から市に代わり、行動展示の先駆けとも言われるリニューアルをしてから初めて来たのだが、記憶と違いすっかり変わってしまっている、という感覚だ。
地形はそんなに変わっていないはずだが、雰囲気が変わっているので、懐かしさはない。
水辺の鳥の展示の箇所がかろうじて記憶をくすぐり(以前はこの近くにレッサーパンダの展示があった)、フクロテナガザルがうるさい。

遊具のある場所に行っても、昔の記憶と合うところはほとんどない。
ただ、サイクルモノレールは覚えている形で健在であり、それを基軸に過去を思い出そうとしたが、やはり何も思い出せない。
「何かの初めて」という触れ込みだった2回転宙返りスカイループコースターももうないが、「こんなに苦労して乗らないかんのか」という丘の上の観覧車は動いている。
当時は確か、3,000円くらい払えば、遊具が乗り放題だったはずだ。
ロバ乗り場の場所は変わっていないと思う。

記憶と違いがないのは、森の音楽堂である。
林間学園の時は、毎日まずここに集合した。
ベンチに座ってみるが、これがまた特に感慨もない(僕が悪い)。
到津の森公園として残っていることには、とにかくとにかく、感謝したい。
豊かな街である。

園を出て、バス停に向かうと、ちょうどメルセデス・ベンツ・シターロがやってきたので、勢いで乗る。
せっかくの連節バスだが、降りるまでに威力を発揮したのは、陸橋を降りたところのX字路を軽く左に曲がった時のみである。
特別快速は目的地のバス停に止まらないため、書店前のバス停で降りて、少し歩く。

両親が言及していた病院の前を通り、うどん屋に到着。
肉うどんに、別皿でゴボ天、丸天、しそおにぎりを頼む。
今回わかったのは、肉の味がうどんのだしを乱すので、僕にはあまり合っていないこと、別皿の丸天が揚げたてで、うどんに入れないで食べる方が僕には合っていることだ。
おはぎまで食べて、この値段か、と感激と驚愕し、Visaタッチで支払う。
隣のスーパーマーケットで休んでいると、館内にリピートするテーマソングが頭にまとわりつき、忘れられない。
ここはひとつ、CMでおなじみDate of Birthの名曲でいいのではないのか。

変わってしまった道路構造を抜け、変わらない路地を抜け、校舎を建て替えたので面影の残っていない中学の前を冷やかし、以前月賦百貨店があったところに考えられないたたずまいをしたガラス張りのカフェがあるのを横目にして、少し不便になったバスを待って、実家に戻る。

夜は、おでんに、しめさば。
枝豆ばかりを食べる。
昨日のからすみは、もうない。

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2023-07-28 Fri.

小倉増・往

2023-07-28

帰省する。

東筑は1-2で負けてしまった。
こうなれば、もう東筑が勝ち抜いた時に甲子園に行かないと、もう機会はないのかも、とまで思ってしまう。
「ほぼ出身校」といってもいい九国大付でもいいか、という心境までにはまだ至っていない。

予定より40分遅れで、高速バスが羽田空港第1ターミナルに到着。
駐車場が満車で、ターミナル内も多くの客が行き交っている。
旅行者がかなり戻ってきたようだ。
搭乗手続きをして、天むすを買って、保安検査場を通り抜け、搭乗口前で天むすを食べ、ついでに350ml缶を開ける。

ここ数年は、帰省を兼ねて旅行をしてきた。
飛行機のチケットだけを買うのと、1泊の宿泊とセットでチケットを買うのとで、さほど代金が変わらないことを教えてもらったからだ。
それで、指宿、天草、倉敷と立ち寄ってから小倉へと向かうことをしてきたのだが、よく考えるとどこも小倉まで向かうのが結構な距離で、およそ「ついで」とも言い難いことをしてきた。
今回は事情もあって、5年ぶりに直接北九州空港へ行くことにした。

822km先の北九州空港まで、A滑走路から離陸。
今日もやっぱり、スターフライヤー。
ジャパネットが資本参画してから初めてで、なんというか機内映像には物足りなさを感じる。
機内誌に「なんばん往来」の広告が載っているが、なぜかさかえ屋の名前はない。
ゴルゴ松本のテレビショッピングなどを見て、やり過ごす。

北九州空港に到着し、高速バスに乗る。
車内では、「PAO~N」を聴く。
ゲストは渡辺美里。

駅に到着。
新幹線口から駅に入り、店でやや大きめのからすみを買う。
観光案内所で情報を渉猟し、小倉城口へと至る。
この言い方、一向に慣れない。
旧電車通りあたりで、声をかけられる。
どこかから小倉に来て、北九州のソウルフードであるうどんを食べたい、とのことだったので、この道をまっすぐ進めばよい、とお伝えする。
何でここまで来て道を聞かれるのか、よほど隙だらけなのだろう。

こちらは銀天街を進み切り、ラーメン屋へ入店。
初めて訪れたのだが、実においしい。
店を出て、旦過市場を訪れる。
なかなか言葉にできない風景なのだが、再生するにしても不燃化は進めてほしい。
昭和館の復活の動きは驚きだったが、それならそれで応援したい。

知らない名前のタクシーに乗り、実家の前に着き、現金で支払う。
実家には母とめいがいて、めいは4月に配本されたZ会の教材をやらされていた。
父は、病院に行っていて、不在。
昨年購入してやったPCは好調とのこと。
羽田空港で北海道フェアをやっており、とうきびチョコの袋詰めを買ってきたのだが、めいには不評の模様。

暇のため、散歩する。
この辺りは昔、電波塔が多く立っていたのだが、今は代わりにマンションが建てられている。
社宅や公舎も多かったわけで、そのあたりに住んでいた同級生もいたが、それが理由だろうか今もそのままこの地に住む人は少ないようだ。
歩くと少し先に塔を見つけて、近くまで行くとそれがタクシーの無線塔であることを今更知った(もしかしたら、忘れていただけかもしれない)。
こういう業務無線は、携帯電話による通信に乗っけられたりはできないものだろうか。
道を挟んで向こう側が別の小学校の校区で、子どものころは足を踏み入れたら生きては帰れない心地がしたものだ。
この辺は、細い道路が格子状に作られ、止まれと一方通行を示す標識が交差点ごとに並ぶ。
公園がたくさんあり、子どもたちがそれぞれの公園に正式名称とは異なる名前を付けていたのだが、今はさっぱり思い出せない。
団地もまだあるが、ここまで来るのにどこもそうだったが、人通りが少ない。
暑いから仕方ないのかもしれない。
その隣がGMSである。
昔は別のスーパーで、子どものころに資本が変わって、多分次に資本が変わる前に建物がなくなり、別の新しいスーパーができた。
敷地の様子や周辺の建物は変わらないのだが、主体であるスーパーの建物が変わっているので、記憶と今とで違和感がある。
全く違うわけではないが、どこかか少し違う、夢の中みたいな感じ。
建物の2階がテラスになっていて、西の方が望め、若戸大橋が見え、高塔山が見える。
眼下の建物は、以前はファミリーレストランだった。
僕が食べられる数少ない洋食の店で、行くのが楽しみだったが、今はなぜかカラオケ店になっている。
ちくわと高菜漬けを買って立ち去る。
近所のポプラは、から揚げ屋に代わっていた。

夜は、刺身。
父は、しばらく務めた町内会の会計を、責任の重さから丁重にお断りしたそうだ。
なにしろ大きな額を扱うそうだし、もう歳だし、とのこと。
僕も、もう歳です。

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2023-07-17 Mon.

庭講

2023-07-17

高輪ゲートウェイ駅で降車。
改札を出るくらいはしたことがあったと思うが、その時は明朝体を見てすぐに戻った。
信じられないくらい暑くて、工事現場で働いている皆さんに頭を下げ、ファン付き作業着に賞をあげたくなる。

道を渡って、いやになるほどの坂を上る。
上りきったところにあるのが、高野山東京別院。
宗教上の理由から賽銭は遠慮し、祖父母のために手を合わせ、境内で休む。
いつか高野山に行きたいとは思うのだが、なかなかその機会が得られない。
弘法大師の功績を手繰り、幼名が「真魚」であることを初めて知った。
それで、あれが、そうなのか。
後藤田氏に思いをはせ、後にする。

このあたりから道に迷い、いろいろなタイプの住宅を見て、NTT東日本関東病院に出る。
その裏手には、品のよさそうな区立小学校の横に、池田山公園がある。
たまらず麦茶のペットボトルを買い、看板を見て、そういえばこの近くかと気づく。
袋小路のような道を抜け、インドネシアの方々の高貴な交流を横目にし、ねむの木の庭。
映像では古くから見ていたが、このくらいの広さかと、来てみてわかった。
人は、誰もいない。

時間が無くなってきたので、地図を見ながら道を進み、東京都庭園美術館に到着。
フィンランド・グラスアートの展示を見る。
ここは、旧朝香宮邸でもあり、嗜好の凝らされた建物も面白かったし、グンネル・ニューマンの夭逝にも考えさせられるものがあった。
イッタラ、イッタラ。
庭園を歩いているときに、「Bye Bye Blue」を無意識に口ずさんでいて、その理由に思い当たったのはずいぶん時間が経ってからのことだった。

目黒駅まで歩き、渋谷に移動する。
今後の方向もあって、桜丘の担々麺で遅めの昼食、早めの夕食。
知らぬ間にサクラステージがもうできつつあって、テナントもほぼ決まっているらしく、他が割を食っているのだろうなと推察。

坂を上り切って、バスに乗り、昭和女子大の前のバス停で下車。
人見記念講堂でのoriginal loveのライブに行く。
20世紀末、渋谷公会堂の前で、外まで響き渡る田島貴男のシャウトを聞いて以来、初めてのライブだ。
2021年の田島貴男ライブのチケットを入手していたのだが、その時は体調不良で断念した。
内容は、過去の曲もたくさんしてくれたし、新しい曲も聞けるもので、圧倒された。
歳も感じさせないパワー、歳と経験があるからこそのパフォーマンスだし、本当にソウルがあった。

三軒茶屋の駅まで歩いて、電車に乗って帰宅。

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