望峡
快適な目覚め、美味なパン。
祖父の家があった土地が半分売れた、と先日聞いてはいたが、税金は納めないといけないし、多額の健康保険料を払う羽目になったし、えらい目に合った、まさに「負動産」だ、と母親が嘆く。
僕が子供のころ、今の実家の向かいの社宅に住んでいた。
このマンションはまだなくて、その向こうにすんでいる知り合いのおばあさんと毎朝手を挙げて挨拶を交わしていた。
マンションが建ったのは40年前で、社宅からの眺めが少しさえぎられた。
僕が実家を出てから事情があってこのマンションに移ったわけで、どういう経緯で手に入れたのかよく知らない。
このマンションの一室もいずれは「負動産」となり、僕が同じような愚痴を言うことになるのでは、と言いかけたが、快適な朝の雰囲気を壊してまで言うことでもないので、口を慎む。
次回は、書類を整えておくようお伝えしよう。
今日は日曜、教会から讃美歌が流れ、「ここでもそんなことをやっていたんだ」と不信心極まりない人間が初めて知る。
幼馴染に代替わりした病院の前を通り、バス停でバスを待つ。
隣のバス停が近くて、よく見える。
遅れたバスがやってきた。
都心やチャチャタウンでベテランが乗り降りし、小文字病院の移転先を初めて見て、駅の前でまたベテランが乗り降りし、最近TV番組で見た古くからある時計店の前を通り過ぎ、1時間バスに乗った。
わかっていたこととはいえ時間がかかったものだが、結構楽しめた。
門司港に到着。
たまらず、水のペットボトルを買う。
秋山の父親の店を黙殺し、周囲の飲食店を憂うが、このあたりも何が資本なのかわからない。
昨年お世話になったラーメン屋を、表敬訪問のつもりで素通りする。
門司港駅はきっときれいになったのだろう。
でも、修復中の姿を見ていたからまだいいが、昔から知ってみる身からすると、何がどう変わったのか実感がない。
焼きカレー屋で、注文が通っていない、という事件が発生する。
いろいろ言いたいことがあり、すでにもう言ってしまっているのだが、まあそういうこともある。
じらされたためか、味がよくわからなかったし、これでうどん屋より支払いが高いのだから、考えものだ。
関門連絡船の乗客は多く、外国人客が目立つ。
ここにジップラインを作ろうとするのだから、「またかよ」と思わず漏れる。
ロープウェイよりは安価にできるのだろうが、僕としてはケチつきまくりの第二関門橋をお願いしたいし、それよりも80年が経過した世界最初の海底鉄道トンネルである関門鉄道トンネルはいつまでもつのかがとても気になる。
記録によると、下関に来たのは、2012年以来のようだ。
その時は、巌流島に渡り、赤間神宮に参り、モスバーガーで休み、タワーに上って、シーモールを見た。
海響館に行くと、外国人のみならず、人が多い。
学校の制服を着た小学生の団体客もいる。
水族館恒例、チケットを買う際の「た…」がまた出てしまう。
イルカ・アシカショーが始まる直前、外から銃声が聞こえ、土地柄もあるのでいったん身を伏せる。
外を見ると、海沿いで男性が銃を持って歩いている。
周囲の落ち着きを見ている限り、下関のいつもの光景のようだ。
下関水族館には、小学生のころ父に連れて行ってもらった。
もちろん建て替わる前の水族館で、文字を刻むことができるメダルを買ってもらった。
今の水族館は、利便性もよくてきれいなのだけど、階段が多いのが少し古い建物の特徴なのかもしれない。
クジラの骨格標本と、海峡の流れを示す展示が興味深く、捕鯨産業の紹介映像をしっかりと見てしまった。
おいとめいに、ちいかわグッズを購入。
焼きカレー屋事件のため、すっかり遅くなってしまった。
タクシーの支払いでSuicaを出したばかりにやや一悶着があり、ようやく実家に到着。
父に、帰宅の遅いことを責められ、謝罪する。
夕食時、市長選の顛末に触れた後、下関の人の評について意見が交わされた。
北九州人は品がなくて恥ずかしく、下関の人には品がある、とのご意見。
門司港の焼きカレー事件について話すと、「そういうとき、北九州の人やったら、もう大変ですもんね」と言われる。
今日の僕がどうしたかは、忘れてしまった。
実は、僕の印象は逆で、今日もそうだが、下関に行った方がより身の引き締まる思いがする。
なんとなく屈強な男が多い印象だし、よそ者が容易に地雷を踏んでしまう不文律がありそうな気がしてならない。
生活から感じ取ってきた感覚ではあるが、もちろん、一個人の勝手な偏見であり、事実ではないだろう。
父のひじにとぐろを巻く血管を見ると酒が進み、父の鼠径部ヘルニアを診断できなかった医師の批評が続く。
母が、「珍しく酔っぱらった」といつものように言う。
この1年は、何とか乗り切ったようだ。
行く末と役割について妹と軽く打ち合わせをし、この日は終わる。