節電
自宅の電波時計が電波の受信に失敗するのは、仕方がないことだと思う。
だからと言って、内蔵の時計が正確な時刻より進むのはまだ許容できるが、遅れるのは困る。
ところで、その電波の受信に失敗する電波時計だが、ある時から「DST」という表示が出るようになった。
説明書にも書いていない表示だが、そこまで遅れているのかとあきれる。
自宅の電波時計が電波の受信に失敗するのは、仕方がないことだと思う。
だからと言って、内蔵の時計が正確な時刻より進むのはまだ許容できるが、遅れるのは困る。
ところで、その電波の受信に失敗する電波時計だが、ある時から「DST」という表示が出るようになった。
説明書にも書いていない表示だが、そこまで遅れているのかとあきれる。
小学生の頃はかろうじて小説を読んでいたが、中学生や高校生の頃に読んだ小説はほんのわずかである。
思い出すと、
ぐらいだ。
僕は、ほとんど人と接することもなかったうえに、小説や物語にも興味がなく、中高生のころはTV番組をただただ受動的に見ていた。
それゆえ、他人の気持ちがわからないのだ、わかろうともしないのだ、と反省している。
今からでも取り戻そう、と思い、以前、高校の国語の教科書を開いたことがある。
その時は、とても失望した。
教科書は、ほぼテキストが載っているだけだし、評論文に至ってはパラグラフの概念がなく、僕が後年に教えられた、ダメな文章の典型例だった。
僕が出会った国語教師は、(一部を除いて)一体何を教えてくれたのだろうか。
彼らは、「自由に鑑賞しろ」とか「気持ちを想像しろ」とかいう一方で、試験には○×を与える、支離滅裂な人たちだった。
そして、独学ができない教科書は、価値が著しく低い。
数学や物理は、授業中に自分のペースで読み進めて独習することができたが、国語はそれが通用せず、苦痛だった。
国語の教科書を読み返しても、得られるものはローマ字表記の仕方という、前時代的なテクニックだけかもしれない。
極めて感覚的な予測だが、北九州市の人口が福岡市の半分にも及ばない日が、いずれ来るかもしれない。
「あれ、そういえば、どうやって医者と出会ったのだろう」
アリシアクリニックの広告を見ていて、ふと思った。
思いの外、僕の心はひっかかっているようだ。
何度も言及された話なのだろうが、携帯電話の請求で「今月のパケット通信料、240万円割り引きました」などというお知らせ、利用者の苛立ちを掻き立てる以外に、何の意味があるのだろうか。
思うに、政党側で研修なりレクチャーなりやっていないのだろうか。
それとも、選良という身分を盾に取り、「聞く耳持たず」の域か。
やっぱり、「NHK歌謡コンサート」の出演には、プロモーションを感じる。
人生の大事な節目も活用されなければならないのが芸能人。
見たけど。
僕は、川本真琴の音楽的才能を評価しているので、世間の見方からは多少割り引いて見ていることになるのだろう。
「あまり巻き込まれないでほしいな」という願いがかわるまでに、早くフォーカスが移動してほしい。
でも、元はと言えば自分発信だし、かばいきれない。
近所にファミリーマートがあるのだが、そこでしばらく水を買わなかった。
理由は、「サントリー天然水」しか売られていなかったからだ。
いささか偏屈な性格なので、少し遠いところにあるセブンイレブンまで行って、水を購入している。
ところで、セブンプレミアムの「天然水」という商品のラベルに書かれている英文がなかなか読ませるものである。
We employ the highest skill in order to provide our customers with good products.
いいものを提供するために、最高の能力を「雇って」いるのである。
ここで言う「we」が誰を指しているのか、機会があれば聞いてみたい。
おそらく、能力を提供している側を含まないのだろう。
それはそれとして、provide に付随するのは with なのだな、と学習する。
いやー、よかった、よかった。
本当によかった。
めでたい、めでたい。
いや、本当に。
小泉今日子が結婚した時の田中裕二とは違い、僕は前に書いたように、よかったなーと心底思う。
こう思えるのも、間違いなく年を取ったからだと思う。
記事のタイトルを「電撃」にすればよかった、と後で気づいた。
でも、「電撃」っぽくないから、このままにした。
それにしても、主演ドラマ放映中の発表に疑う余地がないこともないが、もちろん全力で味方である。