二十
「SMAPがんばりますっ!!」を見てしまった。
「ミーハー」、「大衆迎合」とのそしりは免れないだろう。
そうは言えども、学んだことはある。
時代が移れば、あの伝説の番組「鶴瓶・草なぎ がんばります」もネタになるんだな、と感服した。
番組の中では、木村メンバーの「全力坂」が比較的楽しかった。
また、森選手のことにも触れてくれたので、メンバーたちはとても立派な仕事をしたと思う。
それにしても、稲垣メンバーの扱いがひどく雑だったように思える。
「SMAPがんばりますっ!!」を見てしまった。
「ミーハー」、「大衆迎合」とのそしりは免れないだろう。
そうは言えども、学んだことはある。
時代が移れば、あの伝説の番組「鶴瓶・草なぎ がんばります」もネタになるんだな、と感服した。
番組の中では、木村メンバーの「全力坂」が比較的楽しかった。
また、森選手のことにも触れてくれたので、メンバーたちはとても立派な仕事をしたと思う。
それにしても、稲垣メンバーの扱いがひどく雑だったように思える。
ある本では、次のことが強調されている、らしい。
「まずは取扱説明書を読み込め」と。
その本を実際に読んだことがないので、本当に書いてあるかどうかはわからない。
しかし、このことは極めて重要なことだと思う。
その本とは、徳大寺有恒の「間違いだらけの運転テクニック」。
氏のことは新聞広告でしか知らないが、さすがベストセラー作家、言うことが違う。
先日、日本映画専門チャンネルで、「相米慎二特集」をやっていた。
映画はもちろんではあるが、寺田農がナビゲータをしたドキュメンタリー「相米慎二特集 特別番組 -挑発する映画の魂-」が何ともよかった。
相米慎二が存命中は、彼の作品である映画「台風クラブ」が置いてあるレンタルビデオ屋がほとんどなかった。
僕が「台風クラブ」のVHSを見たのは、相米慎二が住んでいた西荻窪のレンタルビデオ屋だけである。
相米慎二が亡くなってから、相米作品のDVDが多くのレンタルビデオ屋に置かれるようになった。
複雑な心境である。
年末。
深夜、テレビで「アクトリーグ」というのがやっていた。
内容は説明しない。
勝手に調べて欲しい。
その番組を見ていて、驚いたことがある。
劇団員の紹介で、突然、石堂夏央が出てきたのだ。
すっかり忘れていた。
石堂夏央といえば、映画「オートバイ少女」である。
監督は、あがた森魚。
確か見たはずだけど、相変わらず内容は1秒も覚えていない。
本当にあの石堂夏央なのか気になったので、思わずウェブで調べてしまった。
もしかしたら、江戸家小猫のように、他の誰かが二代目石堂夏央を襲名したかもしれないので。
でも、確かに、あの石堂夏央であるようだ。
恐るべき「アクトリーグ」。
こういう番組こそやるべきである。
少なくとも開始10分は見応えがあった。
年末。
深夜、テレビで映画「下妻物語」をやっていた。
思いがけずやっていたので、じっくり見てしまった。
「下妻物語」の原作は嶽本野ばら氏である。
以前書いたように、嶽本野ばら氏原作の映画「世界の終わりという名の雑貨店」を見たことがある。
この映画を見て、「嶽本野ばら氏の小説は一生読むことはない」と判断してしまった。
嶽本野ばら氏は歌舞伎町でパクられてしまった。
確か、大麻所持容疑だった。
原作者がパクられてしまっても、「下妻物語」は無事に放送できるようだ。
なので、とりあえず一安心である。
僕は「下妻物語」という映画が好きなのだ。
映画「下妻物語」が好きな理由は、監督の中島哲也にある。
これもまた昔、映画館で中島哲也監督の作品「Beautiful Sunday」を見たことがある。
例のごとく、内容はさっぱり覚えていないが、見に行ったことだけは覚えている。
それから映画に関しては数年の沈黙があったが、中島哲也監督は「下妻物語」でメガフォンをとり、名作を連発している。
小説の映画化が失敗するのは、得てして監督の責任だと思う。
一方、映画化が成功するのは、監督か原作者のどちらかの功績(あるいは両方の功績)である。
もしかしたら、嶽本野ばら氏の作品は好きになれるのかもしれない。
作者の死後30年経って、作品が残っていたら、ぜひ読んでみようと思う。
最近、テレビのニュース番組をほとんど見なくなってしまった。
時代についていけないことを自覚する。
しかし、見なくなったのも原因がある。
伝えなければならないニュースが、いつしか視聴率のとれるニュースにシフトしている気がするのだ。
国会での漢字テストの話題はもういいので、国家ぐるみの年金詐欺のニュースをやって欲しい。
テレビ局の経営悪化が言われる昨今。
そこで提言したい。
今こそ、懐古番組をやるべきだ。
僕が子供だった頃、よく過去の番組を懐かしむ番組を放送していた。
そういった番組を見て、昔のテレビのことを勉強した。
例えば、リアルタイムでは見られなかった「夏のお嬢さん」をうたう榊原郁恵や、ピアノを足で演奏する近藤正臣など。
このような知識は、お笑い番組を見る際に不可欠であった。
テレビを深く楽しむには、ただネタで笑うだけではなく、そのネタが引っ張ってくる元ネタを知らなければならなかったのだ。
しかし、そのような懐古番組は、最近めっきり少なくなった。
これは、文化の断絶であると、僕は警告したい。
昔のことを引用して繰り広げられるネタが少なくなり、お笑い番組に深みがなくなったように感じる。
そこで。
予算のやりくりで苦労している今こそ、制作費のほとんどかからないように思える過去の番組の総集編を放送するべきだと思う。
テレビ・リテラシーの向上のためには、絶対に必要だ。
とはいえ、たぶん現在においては、そんな過去の番組の再放送はやりづらいのだと思う。
肖像権の主張とか、芸能事務所の圧力とかで、お蔵入りしている名作が多いのだと、推測する。
少し前にBShiでやっていた「街道てくてく旅」の四国八十八カ所踏破が好きで、よく視聴していた。
好きだったあまり、帰宅するといつも「ゴール」とポーズを決めるくらいだった。
先日、祖父と会話する機会があった。
祖父は以前、四国八十八カ所をバスで何度もめぐったことがあった。
その祖父が、「街道てくてく旅」について言及していた。
昔めぐった思い出が想起され、懐かしい、という話が聞かれるかと思いきや、次のような話を得られた。
「最近、四国をずっとまわるテレビをやってるが、あれはつまらん。
寺ばっかりで、何にも面白くない。
寺ばっかり見て、何が楽しいのか」
卒寿の祝いに「街道てくてく旅」のDVDをあげようと思ったのだが、あげなくてよかった。
僕があげなくても、寺から八十八カ所のVHSが送られてきたらしい。
もちろん、ビデオには寺しか映っていないので、祖父は見るのをやめた。
それにしても、じいさん。
あんたは、なぜ楽しくもないのに、寺巡りを何度もしたのか。
前からエスカレータについて疑問に思っていることが2つある。
そのうちの1つ。
僕の住んでいる地域では、人々はエスカレータに乗る際、右側を開ける。
どんなに混んでいても、みんな右側を開ける。
なので、よくエスカレータの乗り口が混雑する。
エスカレータの右側を開けて乗るというのは、いつの間にか定着したマナーである。
でも、混んでいるときは、2列でエスカレータに乗ってもいいのではないかと思う。
すごくもったいない気がする。
そんな風に思うので、ストレスを日々ため込んでしまっている。
なので、小倉でエスカレータに乗るときは必ず右側に乗って立ち止まり、気を晴らすようにしている。
小倉には、急ぐ人のためにエスカレータの片方を開けておくようなマナーは、まだ存在しないのだ。
このエスカレータのマナーだけは、いつまでも小倉に普及してもらいたくないと願っている。
先日、「もはや気胸ではない」宣言をした僕ではあるが、ここに来て衝撃的なニュースが舞い込んだ。
俳優の津川雅彦が気胸をわずらったのだ。
津川さんは69歳。
30年前から肺に巨大嚢と呼ばれる大きな風船が膨らんでおり、ついにそれが爆発し肺に穴が開いた、と本人のブログに書いてある。
僕は、気胸はてっきり若年に多い病気だと思っていた。
医師にもそう言われたことがある。
なので、この10年再発がないのを受けて、「もはや気胸ではない」宣言をしたのであった。
しかし、調べたところ、気胸は壮年の人もかかりやすい病気である。
不勉強であった。
先達の全快を祈りつつ、身を引き締めて気胸に立ち向かう所存である。
センター試験の解答が掲載されている新聞を見て、思わず叫んだ。
「こ・れ・は・た・い・へ・ん・だ!!!」
本当にこんな風に叫んだ。
それは、新聞広告の片隅に以下の広告を見たからである。
「北予備東京」
以前、御茶ノ水のコーヒーショップでこんな話を盗み聞きしたことがある。
「俺が行っていた予備校は軍隊みたいな予備校だった。
服装は制限され、寮に監禁され、自習時間を勝手に設けられ、頭を丸坊主にされた。
その予備校の名は…」
聞かなくてもわかっている。
その予備校の名は、北九州予備校。
小倉に住んでいて知らない高校生はいない、たぶん。
東京にまでその噂が流れてくる北九州予備校。
それが今春、ついに東京に進出してくるのだ。
これは大変だ。
ウェブによると、北九州予備校東京校は日本橋にできるらしい。
「東京駅から徒歩17分」とうたっているところが、いかにも北予備らしい。
誰が東京都心で17分も歩くものか。
一個人として少しでも抵抗するため、ここにある事実を掲載しておく。
かねてより、僕が卒業した県立高校と北予備との癒着が噂されていたが、実際、本当に癒着があったことが新聞記事になってしまった。
記事によると、高校の教師の出張費を、予備校が肩代わりしていた。
その見返りは、想像するに難くない。
北予備の進出で、北九州のイメージがさらに悪くなることが懸念される。
由々しき問題だ。
近所のスーパーで、ある宣伝文句を見た。
「今日は冬の土用の丑の日です」
そこでは、ウナギの蒲焼きが売られていた。
ちょっと待って欲しい。
いくら土用の丑の日とはいえ、土用の丑の日をうたい文句にして冬にウナギを売るのはいささか無理があるのではなかろうか。
そもそも、土用の丑の日にウナギを食べるようになったのは…。
という講釈は抜きにしても、今年の「冬の土用の丑の日」にウナギは食卓に上らなかった。
金銭的な理由からである。
「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を見た。
テレビのスペシャルでやっていた、田中裕子と大泉洋が出ている版だ。
放送されたときにも見たが、借りてきたDVDで改めて見た。
抑制された大泉洋の演技が好きである。
ところで、オトンが住んでいるのはどうやら小倉らしい。
その小倉の景気の悪さについて、オトンが愚痴をこぼすシーンがある。
速水もこみち主演のテレビドラマ版でも、小倉の景気の悪さがことさら強調されていた。
原作を読んでないので正確にはわからないが、ドラマを見る限り、オトンが小倉の景気について愚痴たのはおそらく20世紀末前後の頃だと思う。
確かに日本の景気はよくなかった。
だが、その頃、僕は既に小倉を離れていたので、小倉の景気が本当のところどんなものだったか実感はしていない。
しかし、地元に残った知人や家族の話を聞くに付けても、小倉の景気はひどかったらしい。
特にその時期、知人の多くは就職先を探している時期でもあり、求人がほとんどない、と知人が嘆いていたのを覚えている。
帰省したときも、商店街を歩く人の数が心なし少ないように思えた。
今は、かなり回復している。
もっとも、オトンが携わっていたような仕事においても景気が悪かったかどうかは知るよしもない。
小倉出身とはいえ、オトンがやっていたような仕事に関係する人には縁がないので。
中学生女子の間では、しまむらが結構活用されている。
年末にやっていた「ミニミニさまぁ〜ず」における「グータンチューボー」からの情報。
常用漢字表が見直されるらしい。
少し前の朝日新聞で、「しんにゅう」の点を1つにするか2つにするかで議論がなされている、と書いてあった。
僕は、新たに戸籍を作るにあたり、姓の漢字についていた点を取ってしまった。
なので、僕と親とでは名字が異なる。
そんな暴挙に出てしまった人間の見解としては、点の数を1つに統一して欲しいと単純に思う。
しかし、話はそう簡単ではないらしい。
ところで、この記事を読んで、別の点で違和感を覚えた。
「しんにゅう」って、なんだ。
「しんにょう」じゃなかったっけ。
「しんにゅう」と「しんにょう」、どちらの言い方も通用しているようだ。
だったら、せめて「しんにゅう(しんにょう)」という風に書いて欲しかった。
点の数も重要だが、混乱するので呼び方の方の統一も図って欲しい。
1月16日は、禁酒の日である。
残り364日は、飲酒してもよいのだろう。
暇、である。
記念碑が建つくらい、暇、である。
なので、これを作ってみた。
小豆を水に浸し、煮立ててはゆで汁を捨てる作業を繰り返し、弱火で煮込み、大量の砂糖とひとつまみの塩を加えて味を調える料理である。
ところで、この料理をいったい何と呼べばいいのだろうか。
僕なら、迷いなく「ぜんざい」と呼ぶ。
僕が生まれ育った小倉ではそう呼ばれていた。
おそらく、我が国の西の方の地域ではその名称がまかり通っている。
しかし、関東では違う。
これを「しるこ」と呼ぶ。
小倉では、「しるこ」と言えば、こしあんでできた粒の入ってない方の食べ物ことを言う。
関東で「ぜんざい」と呼ばれる食べ物は別にある。
餅の上にあんこをのせたものだ。
なので、甘味処で「ぜんざい」を頼むと、僕が思っているのとは違うものが出てくる。
東京に出てくる人にとって、是非とも知っておかなければならない知識である。
そして、西の方の地域に行く人も知っておかなければならない知識である。
ちなみに、沖縄で「ぜんざい」をオーダーすると、これまた全く違うものが出てくる、らしい。
一度でいいから食べてみたい。
なお、写真に写っている餅は、角餅ではなく丸餅である。
餅の形状について語り出すと、これまた長い話になるので、ここでは割愛する。
成人の日。
「青年の主張」が既に放送されていないのを知った僕は、NHK BSハイビジョンで放送されたライブを見ることにした。
「スーパーライブ CHAGE and ASKA」である。
代々木体育館で行われたアコースティックライブ。
行こうか行くまいか悩んだのだが、結局行かなかった。
テレビでライブを見て、「行けばよかった」と改めて思った。
恥ずかしながら独白するが、僕は20世紀の間、CHAGEの楽曲の良さが理解できなかった。
初めて買ったCD「RED HILL」を何度もリプレイした時も、CHAGE担当の楽曲を聴いて、「どこがいいんだ、これは」と正直思っていた。
浅はかな人間である。
しかし、2004年にその認識を改めた。
四国旅行の際、「RED HILL」のCDを何となく持っていくことにした。
四国で何度も「RED HILL」を再生しながら、四国特有の狭路を走っていると、何故かCHAGEの声と楽曲に魅了された。
そんな出来事がきっかけとなり、「RED HILL」を最初から最後まで堪能することができるようになった。
ライブを見て、改めてCHAGEの魅力に気付かされた。
特に、「NとLの野球帽」には心を打たれた。
時代はもちろん違うが、僕も同じ地元で煙突を見ながら育ったので、なおさらである。
僕は、自他共に認める「のんき」である。
のんきエピソードには事欠かない。
成人の日。
僕は、ある番組を見ようと思い立ち、新聞のテレビ欄を開いた。
その番組名は、「青年の主張」。
新成人がNHKホールの壇上で主張する、という番組である。
こういう番組が見たくなるのは、完全に中年の証拠であろう。
しかし、成人の日のテレビ欄に「青年の主張」は見あたらなかった。
今年は、「青年の主張」やらないのかな。
そう思い、インターネットのやほーで調べてみた。
すると、衝撃の事実が判明した。
「青年の主張」(1990年からは「青春メッセージ」)は2004年で既に終わっていた。
驚いた。
僕は番組が終わったことにも気付かずに、この5年を過ごしてきたのだった。
まあ、終わったことに気付いただけでもよしとするか。
そう思い直し、茶をすすった。
電車内に世界遺産展の広告が掲示されていた。
そこには、ある世界遺産の写真があった(一応言っておくが、その写真はカトマンズではなかった)。
水に囲まれ、山のような島の上にある建物。
たぶん、修道院だったはず。
これ、何だっけ。
確か、「アタック25」の海外旅行の行き先で出てきたはず。
サン…。
ああ、サンジェルマン。
いや、サンジェルマンはパン屋だよな。
何て言ったかな…。
映像は浮かぶが、名前が出てこない。
この現象は、僕にあるシーンを思い出させる。
それは、「あぶない刑事」のオープニング。
シリーズの途中から本編に登場しなくなるのに、オープニングの俳優紹介には出てくる人。
右手でポーズを決め静止画になるのだが、テロップにはその俳優の名前が出てこない。
そう、その俳優とは、木の実ナナである。
なぜ、途中から木の実ナナが出なくなったのか、当時子供ながらひどく心配し、恐怖すら覚えた。
映像は浮かぶが名前を思い出せない現象に見舞われたとき、僕はいつも木の実ナナを思い出す。
そして、「これは、「木の実ナナ現象」だな」と思う。
木の実ナナが頭の中で邪魔をして、思い出したい名前は少しも思い出せなくなる。
ちなみに、前述の世界遺産の名は、もちろん「モン・サン=ミシェル」である。
たぶん今後、「モン・サン=ミシェル」を見る度、木の実ナナを思い出すことになると思う。
面倒なことになった。
初めて購入したCDについては先日記述したとおりだが、初めて借りたCDとなると、もっと前にさかのぼることになる。
厳密に言うとCDではない。
ダビングされたカセットテープである。
自宅にダブルデッキのCDラジカセ(懐かしい)が導入されたのは、1991年である。
それまでは、父親が若い頃苦労して購入したらしいステレオコンポ(レコード)と、1980年製のラジカセしかなかった。
僕はその古いラジカセで、伊集院光の「チャオチャオビッグカンパニー」を聞いていた(何度も言うが、福岡では「Oh!デカナイト」ではなく「チャオチャオビッグカンパニー」だった)。
1980年代後半、親切な友人が1本のカセットテープをくれた。
それは、TM NETWORKの「CAROL」である、たぶん。
年代と収録曲から類推するに、たぶん、TMで1番売れた「CAROL」だと思う。
もらったのがとてもうれしくて、ケースの背見出しに「TM NETWORK」と書いたことをよく覚えている。
それから、約20年。
メンバーの1人は、刑事事件で起訴された。
それでも名作は名作であり、僕らの時代を語る欠かせないものであることは間違いない。
チャゲ&飛鳥、いや、CHAGE and ASKAか、とにかく、アジアを代表するスーパーデュオが解散する、というニュースを日刊スポーツで読んだ。
それを受けて、所属事務所は事実を否定するコメントを出した。
CHAGEは、僕が通った小学校の大先輩である、と聞いたことがある。
元ダイエーの山本和範選手が、「CHAGEと同じ小学校だった」と言っていたので、まず間違いないと思う。
誰しも、初めて購入したCD(レコード、もしかしたらMD)というものを記憶しているだろうが、僕ももちろん覚えている。
僕が初めて購入したCDは、CHAGE and ASKAの「RED HILL」である。
1993年10月10日、今はなき小倉そごうがオープンし大変な騒ぎになったとき、山野楽器で衝動買いした。
「RED HILL」は今でも聞いており、旅行でドライブするときのテーマアルバムとなっている。
限定発売されたベスト盤も購入した。
魚町商店街の今はあるかどうかわからない松田楽器店で予約までして購入した。
確か、4枚組だったはずだ。
実家の押し入れに大切にしまってあったのだが、如何せん僕の私物は実家の引越の際に行方不明になったので、現在の所在は定かではない。
とても残念だ。
そして、忘れてはならないのは、「やるならやらねば」のCHAKE&YASKAである。
「モーニングムーン」の歌い方をCHAKEがYASKAに教えるコントをよく覚えている。
今でも時折再現しては、周囲の失笑を買っている。
大好きだ。
いつまでも解散しないで欲しい、というのが、身勝手なファンの正直な思いである。
解散の報道が、万が一話題作りだったとしても、誤報であればひとまず安心である。
先日の日記で「ブームに乗り遅るまじ」と書き、ふと「まじ」ってなんだっけ、と疑問に思う。
そこで、これまで開くことがないにもかかわらず、「いつか使うかもしれない」と机の下に飾っておいた「新編常用国語便覧」(浜島書店)を高校以来十数年ぶりに開いてみる。
開くと、何故か465ページが無惨に破られている。
なぜ、こんな狼藉が行われたのか、全く記憶にない。
それはさておき、「文語文法」を調べてみると、「まじ」が載っていた。
「べし」の打ち消し
なるほど。
じゃあ、「べし」ってなんだっけ。
ということで、「べし」を調べてみると、そこには僕の字で書き込みがしてあった。
スイカ止めてよ べしの山
あー、何かそんなこともあった気がする。
確か、古文教師が教えてくれた。
高校で習得した3大知識の1つである(残り2つは、「貸そうかな…」と「市は振興…」)。
しかし、なんのことだったっけ。
哀しいかな、高校の古文教師とは絶縁状態なので、やむを得ずGoogle教師に尋ねる。
そして、納得する。
しかし、「べしの山」の「山」については、どこにも記述がない。
とにかく、
一度でいいから見てみたい スイカ止めてよ べしの山
歌丸です
と、書き加えておくことにしよう。
10年後、見返したときが楽しみだ。
世は、アンサーソングブームである、たぶん。
だが、僕はこの流れにどうもついて行けない。
自分の曲に対して、自分でアンサーソングを作るのは非常に理解できる。
元はと言えば、自分の作品なのだ。
例えば、Dreams come true…、もとい、DREAMS COME TRUEの「未来予想図」および「未来予想図II」に対する「ア・イ・シ・テ・ルのサイン -わたしたちの未来予想図-」。
さだまさしの「関白宣言」に対する「関白失脚」。
classの「夏の日の1993」に対する2003年に出された「夏の日の…」そして「冬の日の2009」…。
しかし、有名な曲を、新人歌手が、「リスペクト」してアンサーソングを歌い、しかも売れる、というのが、どうも気にくわない。
感情的と言われても結構。
とにかく気にくわない。
人のふんどしで…、いかんせん気にくわない。
例えば、「Lifetime Respect」に対する「Lifetime Respect -女編-」。
「ロード」に対する「届かない想い… -ロード another story-」。
「夏の日の1993」に対する「夏の日の2006」…いや、これはカヴァーか。
まあ、アンサーソングはカヴァーよりクリエイティブと言えようか。
納得することにしよう。
かくいう僕も、ブームに乗り遅るまじ。
アンサーソングは無理だが、返詞?を作ってみた。
わかったよ 帰るよ
だから帰るって言ってるだろ
もう夕方だし 遅くなると怒られるし
手つなぐの? しょうがないなー
だから帰るって言ってるだろ うるさいなー
しつこいんだよ 帰ろう帰ろうって
そうだよ 家1つしかないよ 賃貸だし 悪いか?
こちらこそ どうもありがとう
木山裕策の「home」に対する返詞である。
いい曲なので、リスペクトしてしまった。
これを、紅白歌合戦の観客席で堂々と眠っていた、彼の四男に捧げたい。
僕が初めて訪れた海外の地は、ネパールである。
初海外の地ネパールの印象があまりにも強かったため、海外に対して奥手な人間になってしまった。
それでも、ネパールのことをいつも気にかけている、つもりである。
昨年末に知ったのだが、ネパールでは現在「計画停電」なるものが行われているらしい。
事情はよくわからないが、ネパールではとにかく電力が足りないのだ。
ウェブに書かれている現地情報によると、停電時間は1日12時間。
2月からは、1日16時間!になるかもしれない、とある。
僕がネパールを訪れた2002年当時、確かに過酷な状況であったが、それでも何とか平穏に滞在生活を送ることができたし、少なくとも電気は来ていた(山の上コテージを除いては)。
あれから7年が経過し、政情不安が進むとともに、市民の生活は大きく悪化しているようである。
ネパールに平穏が早く訪れることを日々祈っている。
2度と行く機会はないだろうが。
僕は、無類の甘栗好きである。
と書いて、本当に「無類」という言葉を遣っていいものかわからなかったので、辞書を引いてみる。
…言い直した方が良さそうだ。
僕は、比較的甘栗好きである。
なぜ甘栗が好きになったか。
それは、母方の祖父が甘栗を頻繁に買ってくれたからである。
月に1度くらいは必ず買ってくれた。
ところで、先日の帰省の際、祖父に会いに行った。
祖父は、以前は歩けないくらい足腰が弱っていたが、今ではひょこひょこと歩いている。
何せ、白かった髪の毛の根元が黒くなっているのだ。
恐るべし、人間の生命力。
その祖父が、「リハビリ」と称してやっていることがある。
それは、新聞に挟まれているチラシで、箱を作ることだ。
箱と言っても、たいしたものではない。
折り紙の要領で、簡単な箱をこしらえているだけだ。
毎日他にやることがないようで、テーブルの上に100個くらいの箱が畳んでおいてあった。
祖父曰く、「箱を作るはいいが、使い道がない。これをおまえにやるから、むいた甘栗の皮を入れるのに使ってくれ」
涙を隠して、チラシでできた祖父手製の箱を受け取ったのは言うまでもない。
ちなみに、あのジャイアンも甘栗が好きである。
かあちゃんが「おまえの好物」と言って甘栗を買ってきた回をアニメで見たことがある。
何の回かは忘れたが、そのことだけが印象に残っている。
「いっそ」というのが、祖父の口癖であった。
僕が何かへまをしたり、くだらないことを言ったり、憎まれ口をたたいたりすると、祖父は決まって、
「いっそ」
と言い放った。
辞書には「いっそ」という言葉が載っているが、ここでいう「いっそ」とは意味が違う。
祖父が口にしていた「いっそ」とは、おそらく方言なのだろう。
しかし、僕は祖父からしか聞いたことがない。
この世で1人しか使用しているのを聞いたことがない言葉のニュアンスをどう共通語訳すればいいのかわからない。
強いて言えば、「いっそ」とは「ダメだ」という意味だろうか。
僕を含む孫どもは、祖父の言う「いっそ」という言葉がたいそう気に入っていた。
なので、何とかして祖父に「いっそ」と言わせようと、あるゲームを好んで行った。
その名は、「いっそ言わせゲーム」。
祖父の目の前でいろいろな失態を犯し、最初に祖父に「いっそ」と言わせた者が勝ちである。
実にくだらないゲームだが、このゲームはもはやプレイできない。
祖父は数年前に大往生を遂げてしまった。
ところで、この「いっそ」という言葉を全国的に広めた人物がいる。
それは、「いっそ セレナーデ」を生み出した井上陽水である。
この場合の「いっそ」とは、辞書に載っている「むしろ」という意味では断じてない。
なぜなら、井上陽水は、祖父と同郷の出であるからだ。
なので、「いっそ セレナーデ」の「いっそ」とは、井上陽水の出身地の方言、すなわち祖父が口にしていた「いっそ」と同じ意味を持つ。
つまり、「いっそ セレナーデ」とは、誰かの行動を評した「ダメだ 夜曲」なのだ!
…というのが、レコード大賞の懐かしの映像を見ながら父親が唱えた学説である。
真偽のほどは定かではない。
しかし、祖父と井上陽水が同郷の出であることだけは事実である。
なお、これまた同郷のメイクアップ・アーティストのIKKOの芸名の由来は、これまた同じ「いっそ」という方言にある。
…とは、父親も唱えていないし、誰も言っていない。
ただの作り話である。
注意されたい。
(蛇足:IKKOと井上陽水の出身地が近いことは事実である。)
「ご当地ナンバー」というものがある。
住民の意向などに応じて、独自の地名を表示できるようになった。
これにより、「湘南」とか「鈴鹿」といったナンバーをつけた車を見かけるようになった。
そこで、「逆ご当地ナンバー」というのはどうだろう。
住民の意向などに応じて、地名表示を返上するというものだ。
例えば「筑豊」ナンバーなど…。
…という妄想が、父親の実家付近を走行中に舞い降りた。
小倉の街を後にする。
列車の出発1時間前に小倉駅に到着し、土産リストを攻略する。
そして、去年買い損ねた「かしわめし弁当」を購入し、意気揚々とホームへ上がる。
復路もN700系。
車内は結構混雑。
これでは、トイレ行くのも一苦労だ。
ビールを飲むのはやめておこう。
1時間ほど経過して、かしわめし弁当を食べる。
おかずの少なさに卒倒しかける。
「上等かしわめし」の煮玉子がいらなかったので、普通のかしわめし弁当にしたのだが、それが間違いだった。
でも、うまい。
もう1個いけそうだ。
腹も満たしたので、眠りにつく。
船をこいでいると、頭に何かが当たる。
席の隣に立っているおっさんの体がそこにあった。
混んでいるので仕方がないけど、ついつい2005年1月に詠んだ川柳を思い出す。
背もたれは 側面までも 俺のもの
しかし、何故滋賀県を通過しているとき、琵琶湖側の車窓を眺めていると、ナフコの看板を見つけてしまうのだろう。
米原付近の積雪を確認し、浜名湖の雄大な景色に心癒され、雲がかかった富士山に落胆する。
やがて、目的地に到着。
崎陽軒のシウマイ弁当が売り切れだったので、代わりに中華弁当を購入。
帰宅して、中華弁当を食べる。
これがなかなかうまい。
実家の近所にある神社へ、初詣に出かける。
おみくじをひいた。
「中吉」だった。
大吉の次にいいらしい。
幸せも 中くらいなり おらが春
去年の紅白、ブルーマンが不遇の扱いを受けていた記憶がある。
8時、起床。
元日の小倉は、雪だった。
元日に雪が降るのは、2005年以来だと思う。
2005年の時は、車が坂道でジェットコースター状態になり、危うく死にかけた。
雪の中、車を走らせ、何とか父親の実家に到着する。
昼からの宴会に必要なビールを買うことになり、父親と母親と僕で近所のスーパーに行く。
ビールをどれくらい買うか、という算段の際に、父曰く、
「1人4本。飲む人間は全部で10人だから、計40本必要だ。もちろんロング缶。ついでに焼酎も買っておこう」
ちなみに、10人の内、5人はアラカン(around 還暦)、1人は米寿も近い祖母である。
結果、スーパーにある冷えたスーパードライを全て買い占めることになった。
そして、おそろしいことに、買ったビールは夕方にはあらかたなくなった。