2024-02-24 Sat.
塞栓
2024-02-24
ある日の朝、起床後、顔を洗い、麦茶を飲み、チーズを食べ、ポッドキャストを聴こうとすると、左耳からの音が聞こえない。
以前から、体の左半分の調子がおかしい、とは感じていたが、まさか耳がつぶれるとは予想していなかった。
右耳の聴力だけでこれから生きていくことになるのか。
ということを思ったのは1秒程度で、イヤフォンの左右を変えると、今度は右耳からの音が聞こえない。
また、イヤフォンが壊れてしまった。
今回壊れたのはワイヤレスイヤフォンである。
「すべてのイヤフォンは消耗品である」との心得はある。
イヤフォンを比較的酷使しているという自覚もある。
とはいえ、購入からわずか1年半、毎日使うようになってから約1年で壊れた。
そもそも、ときどき電源が入らなくなることがあり、その時はUSBにケーブルを差し込んでリセットする必要があった。
何とかごまかしながら使ってきたが、また出費だ。
その日の昼に、家電量販店に向かう。
値段を記憶しておらず、売り場で同じ商品を見て、愕然とする。
4K円を超えている。
午後の時間、ずっとそのことを考えて、帰宅時に家電量販店に寄る。
別の商品を見て、ランクを落とせば安いものがあるものの、USBコネクタががmicro BだったりコーデックがSBCだったりしてやめた、コーデックのことは聞かないでほしい。
買い替えでランクを上げたいところだが、やはり予算がない。
結局、同じ商品の色違いを泣きながら買う。
同情してくれたのか、店員も泣いていた。
春は近い。
壊れたイヤフォンだが、きっと断線しているだけであり、左側につながるコードを外から押してみたりねじってみたりしたが、直ることもない。
説明書を読み直すと、「充電式電池のリサイクルに協力してくれる方はここに送れ」とある。
神棚に備え、1時間ほど祈祷したうえ、茶封筒に入れ、住所を書いて、次の日120円切手を貼って、ポストに投函した。
「充電式電池在中」と赤字で書いていたので、きっと航空便で輸送されることはないだろう。
普段は、ジャケットのポケットにイヤフォンを入れて、マクドナルドで取り出して「証言者バラエティ アンタウォッチマン」を視聴するために使っているのだが、その扱いが断線の理由なのかもしれない。
ひとまず、イヤフォン積立貯金でもしておこう。
そして、断線リスクを恐れず「高級イヤフォンを買おう」という勇気のある者こそ、本当の富裕層と言えよう。
僕からしてしたら、大西洋を西へ向かおうとするくらいの冒険である。
2024-02-17 Sat.
有楽
2024-02-17
田中麗奈、40代で再ブレイクの兆し。
そんな記事が出てくる2024年早春。
「平野レミの早わざレシピ」に田中麗奈さんが出演していた。
TVバラエティの出演に慣れている俳優でも振る舞いが難しい番組に、実に見事に順応している、という印象だった。
いつもは、番組が崩壊していくさまを概観する見方をしていて、今回は田中麗奈さんを中心に見て、もう何を見ているのかわからなくなってきた。
そういうわけで、「ブギウギ」も見ていっている。
これは完全に自分が悪いのだが、朝ドラ、特にBKの朝ドラは、自分からの距離が遠い。
出てきて、対立したかと思いきや、すぐに和解した。
その様子についていけず、台詞にも距離を感じ、設定すら遠いものに感じる。
評判のいいドラマなのだから、もう一度言うけど、これは完全に自分が悪い。
単純に、見なければいいのだ。
自分が生きていくことすら不安に思わせる、内容と評判である。
で、冒頭のタイトルの記事である。
記事の中身を読むと、タイトルの感じはしない。
1998年にCMでブレイク、初主演映画で新人賞総なめ。
それから25年たち、ブレイク当時とは違う印象、2023年のドラマで好演、「なっちゃん」の親しみやすさと、大人になってからのミステリアスな雰囲気があってこそ演じられた。
そして、それと対照的な役柄を演じる「ブギウギ」。
「中抜けの25年」を、この書き手はどう見てきたのだろう、と思うと、末尾に署名があった。
名前で検索すると、このライターは1995年生まれ。
きっと、「なっちゃん」の時のことを直接認識できてはいないだろう。
僕のような者が、ブレイクの様を見ていないようなタレント、例えばせんだみつおとか湯原昌幸、大原かおりについて、仮に今TVに出まくるようになったとして、「再ブレイク」と表現をつかうことは、およそできないだろう。
せんだみつおゲーム以来、せんだみつおの動向を聞くのは、通いで大阪の番組に行くために新幹線に乗っていることくらいだ。
湯原昌幸の冠番組が今始まったとして、それを「再ブレイク」などと呼ぼうものなら、「ずっと「カラオケ大賞」の司会やっていたの知らないのか?」とののしられ、書き手の資質を問われ、強制退場させられそうだ。
大原かおりは大原がおりで、嘉門洋子がどうしたとか、付け焼き刃にもほどがある。
プロのライターは、直接知らないことでも、ちゃんと調べて書く。
そして、再ブレイクの「兆し」を敏感に察知し、それを親切に教えてくれる。
あるいは、ライターではなく、表面に現れない性格の悪い奴が、タイトルだけ適当につけたのかもしれない。
「あさイチ」で「今まで演じなかったような役で」みたいな振られ方をして、「そんな風には思わないんですけど」と軽くかわしていた。
僕もそちら側の感覚で、表舞台に立ち続ける俳優の、特に違和感のない一つの役という印象でしかない。
そして、ただただその美しさに体が強張り、宣伝でメディアに登場する頻度が高まっていることに感謝するとともに、お体の心配をする。
料理の手際の良さと、平野レミに対する戸惑う可愛さに、安心とともに悶絶した。
気になったのは、自宅に梅とレモンの木がある、という発言だ。
「自宅に木が植えられている」という概念を、僕はずいぶんと長い間忘れていて、それだけで現実に戻され、隔絶を思いしさらされた。
貧乏性なのではなく貧乏で吝嗇、ミニマリストではなく甲斐性なし。
以前、田中麗奈は「映画宣伝女優」と書いた。
それを行き過ぎた書き方のようでなんとなく気に病んでいたのだが、今回改めて「この表現は自分の思いを表現できている」と思った。
「出演する」というだけで作品が話題になり、番宣の出演は数少ないにもかかわらず、魅力的で華やかである。
人間の機微がわからず、情緒が著しく欠けている僕には、ドラマや演技の内容がよくわからないのだろうが、それでも田中麗奈さんが出ることで見てしまい、魅了されるのであれば、田中麗奈さんは次元の異なる圧倒的スターであり、真の「映画宣伝俳優」、そしてそれがつまり「映画俳優」なのだ。
2024-02-10 Sat.
左党
2024-02-10
左肩が痛い。
昔から左肩が痛かった、と思っていたのだが、記録となんとなくの記憶によると、2019年ごろは右肩が痛かったようだ。
少なくとも2022年末くらいから左肩が痛くなり始めて、特に2023年2月ごろは、生活に支障が出るほどの痛みがあった。
寝るとき、左肩を上にして寝ていると、腕のバランスが前後に動くたびに、激痛で目が覚める始末だった。
5月ごろだったか、鏡で見てみると、左腕を挙げたときに肩が開ききらないままで挙げていることに気付いた。
それ以来、肩を開くことを心がけながらストレッチをしていて、多少は開くようにはなってきた。
肩を積極的に動かすようにもしていて、ある時から動かすとゴキゴキと音が鳴る。
左の首も痛い。
首が回らなくなることが1週間に1度ほどあり、そんな時はテープを貼り首をかしげながら生活をし、その場をしのいでいる。
首を動かすと、ずっとメシメシと音が鳴る。
首の後ろがずっと痛くて、痛くなかった時の記憶がもうない。
そんなことを言っていると、年明けから左の肘が痛くなった。
ストレッチのせいだろうか。
自覚できるほどに左の上腕がねじれていて、それを伸ばそうとしているから肘まで痛くなったのか。
ウェブで検索すると、「スマホ肘」という症状もあるそうだ。
左手でスマートフォンを持つ時間が長いと、気付かないうちに左腕を酷使しているようで、肘に痛みが生じるとのこと。
もう情けなくなってきた。
ある日、午前中までは多少の痛みにとどまっていた左肘が、昼食後ズキズキと痛むようになってきた。
最終的には左前腕の中が激しく痛むようになってきて、キーボードを操作することもままならなくなってきた。
Ctrl + Sを押すのもしんどくて、この先ファイルを保存できない体になってしまうのか、と焦った。
もしかしたら何かしらの病気で、もしかしたら左腕を切断しなければならないかもしれない。
僕にはキーボードを操作する以外の存在意義がなく、「隻腕用のキーボードなんてあるのだろうか」と真剣に考えた。
帰宅後、痛む左腕を見ると少し腫れていて、熱を帯びている。
体温も微熱が出ていて、その日はそのまま寝込んだ。
骨が折れているのか、神経がいかれてしまったのか。
横になっていても痛くて、眠ることができない。
左腕を挙げるような格好でしばらくいて、ようやく少し痛みが治まる。
翌日、ひとまず整形外科に行く。
レントゲンを撮ってもらい、骨に異常がないことを確認。
蜂窩織炎だろう、という診断を受けた。
小さな傷から菌が入り、皮膚の深い部分で炎症を起こしているのだという。
点滴を受けて、痛み止めと抗生剤を処方してもらう。
薬剤師からは、「高齢者がかかる病気です。ものすごく忙しかったのですか」と言われた。
激務とは程遠い労働環境だが、この僕が現世にいるというだけで、精神は過酷な環境にある。
出された薬を飲んで、家で寝ていると、痛みはひとまず小さくなってきた。
この顛末を人に話すと、「人食いバクテリアじゃないか」と言われた。
僕はその時「人食いバクテリア」のことはよく知らず、話を聞いてみると、菌が違うだけで、まさに自分の症状と同じである。
もし、事前に「人食いバクテリア」について知っていたら、症状が出た時点でパニックになっていただろう。
いや、何の菌によるものかは調べていないのだから、本当に菌が違うと言い切っていいのだろうか。
1週間後、再び整形外科に行き、左肘の様子を見て治っていることを告げられた。
「再発の可能性は低い」と言われ、僕としては菌がいなくなったことを信じるよりほかない。
ただ、左の前腕がまだ痛かったり、左手がしびれたり、という自覚症状はまだある。
これが、左肩から来ている症状なのか、まだ菌が暴れているのかは、よくわからない。
そんな情けない状態で、先日の雪道で転倒してしまった。
尻もちをつかなかったかわりに、左腕を伸ばしたまま地面に左手をつき、左肘に痛みが走った。
腫れはなく、骨折はしていないようだが、前腕が痛くて、もうズタボロだ。
左首、左肩、左腕が痛いし、以前からちょっと体調が悪くなると左の腰が痛くなる。
酒を飲みすぎると、左の脚にしびれが出る。
左半身に霊が取り付いているのか、右脳が死んでいるのか、どっちかだろう。
2024-02-03 Sat.
火影
2024-02-03
先日、映画を見てきた。
午前中で用事を済ませたことにし、移動。
時間の都合がいい渋谷に向かう。
また、渋谷。
新宿の映画館は落ち着かないし、池袋は街になじみがないし、有楽町とか日本橋とか行くのはおっくうだし、六本木に行くのは屈服した気もちになるし、上野にパルコがあることが今も信じられない。
いろいろと文句を言いながらも、結局は昔から映画を見ていた渋谷に足が向く。
山手線で渋谷駅に到着。
電車に乗る前に移動しておいたので、比較的スムースにハチ公口に出る。
着ぐるみを着ている女の子やら、上半身裸の男や、高尚な主張を展開する中年男性やらを目にして、やっぱりうんざりする。
「ここに来れば、たいていのVHSが控えている」という安心感に包まれて生きてきた十数年こそ、幸せと呼べたのだろう。
渋東シネタワーのTOHOシネマズ渋谷までに行くのに、7分くらいかかった。
「TOHOシネマズ渋谷」とだけ書いておけばいいのかもしれないが、後から見返した時、20年とか30年とか経ってから見返した時に、場所の名前だけ書き残してあっても、どこにあるのかわからなくなるかもしれない、というのが、シネ・アミューズ世代の教訓である。
「Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下」という感じで書いておかないと、本当によくわからなくなるだろう。
要は、ビックカメラA館B館とかあったところの先です。
1階でチケットを買う。
座席がほとんど埋まっていて、最前列の4席ほどしか空いていない。
平日の昼間なのになぜ、という疑問は、後で「毎週水曜は1,300円」ということがわかったことで、きっとそれなのだろうと結論づける。
時間があるので、ふらふら歩く。
食事をとってもいいな、と考えながら歩くと、通りに多くのラーメン屋があることに気付く。
しばらく来ていないうちに、知らない店が増えている。
これらの店に入ればすべて、パートタイムの手によって作られたものを食べることになるのか、と思うと、店に入り金を払うのが惜しくなる。
世の中には、堕落した飲食店オーナーや、借金に追われる雇われシェフや、明るい未来を夢見て真摯に担務にいそしむパートタイムもいるに違いなく、偏見を持ってはいけないのだが、いかんせん金がないので、軽率な行動ができない。
何もかも自分が悪く、金を使わないに越したことはないのだ。
ファミマでおにぎりを買って、高架下の井の頭線改札の前の手すりに寄りかかって、食べる。
車体全体をひっかいたような車が目の前を過ぎていき、昔からの焼き鳥の煙が立ち込める。
マークシティには、いわゆる「100円ショップ」が入っている。
渋東シネタワーに裏から入り、エレベータで7階まで向かい、開場を待つ。
入場を促す声がかかってから、トイレで用を済ませ、ゴミ箱におにぎりの包装を捨て、チケットを係員に見せる。
座席は最前列のやや左側、通路の右側である。
スマートフォンを機内モードにし、マナーモードをオンにし、Kindleで宮脇俊三電子全集7「シベリア鉄道9400キロ/椰子が笑う 汽車は行く」を読む。
シネマチャンネルに出演する福本莉子の美しさに見とれる、というより、最前列から見上げているので、顔が縦に伸びたように見え、まるで巨人である。
これから見ることになる映画がどのように見えるか不安も感じたし、福本莉子の全身を下から見上げることで何か見えないか、とすら思った。
大写しで見る福本莉子はきれいで、これは後でわかるが麻生祐未もきれいだった。
映画「PERFECT DAYS」。
映画のためにわざわざ凝った話なんてこしらえなくていいんだ、とやっぱり確信した。
こういう映画、もっと見たいのに、全然ない。
少なくとも、今日見た予告編に出てきた映画は、全部違うように見えた。
スクリーンの中の東京はごちゃごちゃしていて、偽善にあふれていた。
首都高から見える景色は10m進むごとに様子が激変し、心をかき乱した。
なんでこんなところで生活しているのだろう、と思うし、こんな街の姿を見ている世界に対して言い訳したくなった。
資源が集積した結果の余剰が産まれるところのおこぼれを当てにしてフリーライドできるところしか、自分の生きていける場所はない。
僕の生活は、偏屈な行動規範と、融通の利かないルーティンでガチガチに縛られている。
幸いなことに、少なくともこの10年は、手詰まりになるようなトラブルは起きなかった。
トラブルは起きたのかもしれないが、手をこまねいているうちに通り過ぎたか、業を煮やして誰かが片付けてくれたか、トラブルから目を背け現実逃避したかして、もう忘れてしまっている。
映画でも、何も大きなことが起きていないように見えて、何かしらの出来事が起きている。
主人公の生活は、それらで多少の揺さぶりを受けるのだが、一方でその揺さぶりを吸収し、生活を続けていく。
頑なで譲らない生活ではなく、頑健な生活、ロバストな生活がある。
一方で顧みるに、主人公が持ち合わせている小さな「楽しみ」が、自分には全くない。
世の中には嫌なことばかりがあって、それから遠く距離を置くために、自分の生活様式がある。
多少興味のあることでも、それに夢中になれると思い違いをしている自分に気付き、早々に飽きてしまう。
人に対しては全く興味がないようで、他人を尊重したい気持ちはある。
よって、ひとりで過ごす時間を増やすにはどうしたらいいか、が生きるメインテーマとなっている。
こんな自分はどこでも場違いで、期限を決めて存在を許してもらい、早々と立ち去るのがよい。
場違いではない場所があったとしても、すぐに自問自答に陥り、居心地が悪くなってしまう。
これらは周囲のせいではなく、自分のシステムにすべての問題があり、それがわかり切っているので絶望している。
その相手は、自分にしかできない。
上映終了後、工事の関係で2基しか動いていないエレベータがやはり混雑しているとのことで、係員が案内する階段へと進んだ。
後ろからくる観客が階段を下りながら「映画の続きにいるようだ」と発しているのが耳に入り、全くだと思った。
離脱しないためには、ルーティンにすがるしか選択肢がない。
建物を出て、すぐに地下道へもぐり逃げ込む。
とても、スクランブル交差点を突破する気になれなかったのだ。
階段が面倒でも、地下道は地上と比べれば閑散としていて、半分くらいの時間でハチ公改札横の階段まで出られた。
今後は地下を通っていこう、と決めたが、この決めごとも過去何回かしたような気がする。
「消えていくものは消えていくままにする」が自分のポリシーであるが、VHSでしか残っていない映画が消えていく今を見ると、抗いたくなる。
自分が好きな映画は、見るに堪えないくだらない映画であり、それらは名作でもなく、権利関係もよくわからず、何よりほどんと誰も関心をもたないので、ディスク化の需要にも気づかれず消えていく。
それらが消えると、それを見たはずの自分の経験も、現実のものかどうかわからなくなる。
自分の記憶しか頼りにできない人間は、脆い。
昼食をとらなかったのは、映画の後で酒を飲みたかったのもある。
前から行こうと決めていた、やきとり屋に入る。
客は4組ほどいて、焼き場1人、フロア1人で回していた。
他の客はすべてこれから飲み会の0次会だったようで、夜の街も元に戻りつつあるのだろう。
後から調べて、多種業態を展開する会社が運営する店だと知ったが、別にそんなことは気にする必要もなくおいしかった。
これは一般的な話だが、今の時代、外でちょっとひっかけるだけでも3,000円、居酒屋で軽くとなれば5,000円、食事でもなろうものなら10,000円くらいの出費を覚悟しなければならなくなった。
金のことが気になって邪魔をする一方で、そんなに気にするほど金がないのか、とも思う。
でも、アンガールズの田中さんが番組で言及していたが、僕も時給750円、日給8,000円の時代を過ごしてきたのだ。
1時間働いてラーメンが食えるか、8,000円×20日で1か月の家賃と生活費が支払えるか、という感覚が、ずっと抜けない。
もしくは、金を惜しむのは、金を払っていながら惨めな思いしかできない自分に辟易しているからではないか。
そこにいるだけで自己憐憫にたどり着くしかない自分とつきあうのが、もう本当に嫌だ。
そして、酔っぱらっても家に帰らなければならない。
何か、とても大きく間違っているような気がしてならない。
ところで、今日の「めぐみのラジオ」を聞いていたら、岡垣バイパスの車線拡張工事が終了し、今日から国道3号線は北九州から福岡まで全線4車線以上となるそうだ。
今更感があって信じられないくらいなのだが、できてよかったし、永遠にできないように思えた黒崎バイパスもできたことだし、すべてよかった。